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2008年04月26日

その4 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)


中学生のとき、自己分析を繰り返す過程で封印を解いた過去の記憶。


私が5歳の頃、父と折り合いの悪かった母が家出を計画したことがありました。

そのとき、


「他のきょうだいは連れて行くけれどもあんたは置いていく」と、

私に面と向かって宣告した、記憶・・・。


※詳しくはこちらに書いています。
http://mishio.seesaa.net/article/47066498.html



今でもありありとおぼえています。

幼い私にとって、目の前が真っ暗になるような衝撃だったことも。

それでも、泣くでもなく駄々をこねるでもなく、

黙ってうなずくしかなかったことも。



結局、母は家出を断念したのですが。

実際には出て行かなかったのですが。



でも、母から「要らない子」として

きょうだいの中から選ばれてしまった事実、

「あんたを捨てる」と宣告された事実は、

母が実際には出て行かなかったとしても、変わらない。


この記憶は幼い私には重すぎたのでしょう。

ずいぶん長い間封印されていました。


中学生のとき、フロイトと出会い、

深層心理とか抑圧などの言葉を知った私は、

当時のあまりの生きづらさの理由を解明するために、

自己分析に没頭し、その過程でこの記憶の封印を解きました・・・



何かのきっかけで、ふっとこの記憶がよみがえったとき・・・

私はあまりのショックに、身も世も無く泣き崩れました・・・


ひどい自己否定の、原因(のひとつ?)を見た、と思いました。




だからといって、対人恐怖や場面緘黙が劇的に改善した、

ということはないですが(^^;


でも、とても気が軽くなったのは事実です。

どんなものでも、原因不明というより、

きっかけや原因がはっきりしたほうがすっきりして、

受け容れやすく、消化しやすくなりますよね?




その後もずっと、

手当たり次第心理学関係の書物(特に深層心理学方面)を読んでは、

自分に当てはめて検証し考察し、分析する、

ということに没頭しつづけました。

自分が一番面白い観察対象であり、研究対象、という感じでした。



現在もまだ続いているそんな自己分析の日々の中で、

いろいろな思い込みや思考の枠、怖れ、禁止令が、

少しずつ白日の下に浮かびあがり、解除されていくことになります。


薄皮をはぐように、私は解放され、自由になっていきました。

私をしばりつけ、こわばらせ、

声や自己表現を奪っていたいろいろな思い込みや思考の枠、

怖れ、禁止令の数々から・・・。



高校入学を機に、

とりあえず誰とでも裏声を使わずに会話ができるようになりました。

本当に画期的なことでした。



人生の節目は自分を変えるチャンスですよね。

自分を知っている人が少ない場に新たに入っていくときって、

自分を変えることにチャレンジするのに向いている。



中学入学時と同じくらいの決意と覚悟で、

私は「誰とでも普通の声で話す」というチャレンジに挑み、

成功しました・・・



しかし、その後も根強く続く自己否定。

自殺念慮。

そして、時々に行ってしまう自殺企図。


そんな状態は、大学に進学してからも続きます。


当時、裏声は使わなくてすむようになったとはいえ、

私はまだまだ、本来の自分らしい声など、出せていませんでした。




  自分が自分であってはいけない、

  自分が自分であることが知られたら、絶対に排斥される。

  びくびく。

  おどおど。



不安と緊張からこわばった無表情な顔と固く力の入った身体。

そんな身体から発せられる小さな声で恐る恐る話す。

聞き返されると、とたんに不安が一層高まり、泣きそうになる。

声ももっと小さくなる。



耐えられなくなって、

話の途中で「いいです、ごめんなさい」と

半泣き状態で逃げ出してしまう。


そんな状態で、人間関係など、うまくいくはずもなく。

大学に進学してからも友達などろくにできず、

アルバイトも人間関係が上手くいかなくて長く続かず・・・


そんな中、

私の「声」「身体」状況に大きな影響を与える出会いが・・・(つづく)





posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その5 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)


あまりの生きづらさに、早くから心理学に親しみ、

強すぎる自己否定など少しずつ自分の問題に気づき始めた私ですが、

大学に進学してからも、激しい対人恐怖と希死念慮に苦しみ続けました。



いつでもどこでも、

不安と緊張からこわばった無表情な顔と固く力の入った身体。

挨拶も返事もつぶやくような声しか出ない私に、

友達もなかなかできず、バイト先でも人間関係はうまくいきませんでした。


なんとか少しでも楽になりたい、友達が欲しい、

人間関係が少しでもスムーズにいくようにしたい。


模索し続ける私の前に、

私の「声」「身体」状況に大きな影響を与える出会いが。



それが、名著「ことばが劈かれるとき」と、その著者、竹内敏晴さんとの出会いでした。
   


竹内敏晴さんとの出会いも、シンクロに満ちたものでした。


「その3」で書いたように、

私には「自分と波長の合う人」を見つけることのできる能力があります(^^)


見てわかるのではなく、「ひとこと会話を交わすとわかる」のです。

(ここにも「声」の秘密が隠されているのでしょうか。

声にはやはり魂の質のようなものが反映されるのかもしれません。)




同じ教室で、何ヶ月も一緒に過ごしていて全然なんとも思っていなかったのに、

「消しゴム貸して」「いいよ、どうぞ」と

何気ない会話を交わした瞬間に、

「えっ?!この人いったい?!」と衝撃が走る。


だから、恐る恐る、様子を見ながら、そっと近づいてみる。



すると案の定、興味の方向が同じで話が合い波長が合い、

すっかり親友になれる。


裏声ではなく普通の声で人と会話できるようになった高校以降、

そういう経験を複数回しています。


ですから、対人恐怖が強い私でしたが、

その割には不思議と常に「親友」と呼べる存在がいました。


普通の浅いレベルの友人はゼロに近いにもかかわらず(^^;



予備校時代に、そのような経緯で「親友」になったMちゃん

(彼女とのきっかけは「ここ空いてますか?」と尋ねた一言でした^^)。



当時のBFのYくん(初対面の挨拶を交わした瞬間に、

脳天を直撃するほどの衝撃を受け、私からアプローチ^^。

一目惚れならぬ、一言惚れです^^)。



その、浅からぬ絆を実感せずにいられない二人のソウルメイトから、

別々に「ことばが劈かれるとき」という本と、

竹内敏晴さんのワークショップを進められたのです。

時を同じくして。


Y君から貸してもらった「ことばが劈かれるとき」を読み、

衝撃を受けました。

演劇家であり演出家であり、

今では「声の産婆」とも呼ばれているらしい^^竹内敏晴さんは、

少年時代、聴力を失っていた人です。



言語が母語として身体にしみこむ大切な時期に

聴力を一旦失った著者の、

「ことば」と「他者との会話」の獲得を巡る苦しみ。

苦悩。

他者と関わる大切なツール、

「ことば」を取り戻そうという切ないもがき。


訥々と、切々と、淡々と、

その苦闘が記されたその本に、

私は自分を重ね合わせ、深く揺り動かされました。


この人のワークショップに出てみたい!



貧乏学生にはかなりな打撃だった参加料を潔く払い(^^)、

私は親友Mちゃんが勧めるそのワークショップに、

彼女と二人で出席することにしました。



その日、私を待ち受けていたのは・・・(つづく)






ことばが劈かれるとき」竹内敏晴 著、筑摩書房

『からだは、自分と世界がふれる境界線だ。

そこに必死になって生きようとしながら、

閉ざされ、病み、ゆがむ“からだ”・・・。

幼児に耳を病んだ著者が、

どのようにして“こえ”と“ことば”を回復し、

自分と世界の触れあいを、

また、人間関係のダイナミズムを取り戻していったか−−−−。

長く苦しい努力の過程を語りつつ、

人間の生き方の根底を照らし出すユニークな一冊。』

             裏表紙の紹介より。

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その6 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

そのあまりの生きづらさに、早くから心理学に親しみ、

傷ついたインナーチャイルドの存在や、そこからくる強い自己否定など、

少しずつ自分の問題に気づき始めた私ですが、

大学進学後も激しい対人恐怖と希死念慮からはまだ解放されずにいました。



人と目も合わせられず、虫の鳴くような声でしか挨拶もできず、

談笑なんてとんでもない。

毎日がすごいストレス。

学校でもバイト先でも、不安と緊張の固まり。


なんとか少しでも楽になりたい、友達が欲しい、

人間関係が少しでもスムーズにいくようにしたい。


模索し続ける私の前に、

私の「声」「身体」状況に大きな影響を与える出会いが。


それが、名著「ことばが劈かれるとき」と、その著者、竹内敏晴さんとの出会いでした。


竹内敏晴さんのワークショップに恐る恐る参加した私を待ち受けていたものは、

目からウロコの気づきの数々、洞察の数々。


「声には実体や方向性がある」

「声はエネルギー体である」

「声と身体と心は切り離せない。三位一体な存在である」

etc...




「声」は、飛ぶんです。

明確な方向性を持って。

ご存じでしたか?


そして、人の身体に「当たる」んです。

胸を打つ」という表現がありますが、あれは比喩ではなかった!

本当に、「声」は、「人の胸を打つ」ことができる。

人の身体にぶち当たって揺さぶることができる。

声が人に届くとき、人はその声に揺さぶられているのです。



竹内先生のワークショップは盛りだくさんで、種々のワークが体験できました。


それら多様なワークの中で、一番印象的で今でも忘れられないのが、

「声には実体や方向性がある」ということを実感してみるワークでした。


竹内先生の知的財産権を侵害しても申し訳ないので、ワークの詳細には触れないことにしますね。

とても面白いワークなので残念ですが。

まだ先生は現役でワークを実施されているようなので、

興味のある方は参加されてみてください。


   竹内敏晴さんのHPはこちら


参加者のひとりが、自分に向かって背を向けて座ってる他の参加者の中から特定の一人を選び、

その人に向かって呼びかける、というワークなのですが。


後ろ向きに座ってる人たちの中で、

「自分に向かって言ってる」と感じた人は手を挙げます。


誰一人手が上がらない場合、

先生が、「今の声はどの辺を通ってどこに落ちたかな?」と問いかけます。


その反応が面白いのです!


誰かが恐る恐る「私の頭の上を通って行ったような」などと言い始めると

口々に、「私の右横を抜けて、あの辺りでストンと床に落ちました」などと

言い始めるのです!

しかも、みんなが指さす「声のたどった経緯」が大筋で一致している。


「私もその辺りで落ちた気がしたなあ、確かに」などと、

自分がおぼろげに感じたことと一致するのです。


呼びかける声には、方向性があるのですね!

しかも、それを誰でも実感することができるのですね!

声とは、「ここに当たった」「ここに落ちた」と描写することができるものなのですね!



本当に新鮮な、驚きの体験でした。



最初、声かけ役の人も緊張しており、声も小さく、

その声はだいぶ手前で誰にも当たらずストンと落ちます。


それを参加者さんたちに口々に指摘され、

「自分の声って全然誰にも届いてない」と気づかされます。


何度か繰り返すうちに

声に気合いがこもり始める。

声に気迫が出てくる。

そうなると、声の勢い、声のエネルギーが全然違う。

方向性を持って真っ直ぐに飛び、目指す人のすぐ近くまで来るようになる。

でも、そこでもすぐには届かない。


すぐ近くまで行っているのに、目指す人の横や手前で落ちちゃったり、

頭上を通り越してしまったりする。

周囲の違う人が手を挙げて、目指す人は知らん顔してたりする。


すると、先生に指摘されます。

  「あなたは本当にあの人に話しかけたい、と思ってますか?

  本当に伝えたいと思ってますか?」



  
               ・・・(つづく)


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その7 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)


  「あなたは本当にあの人に話しかけたい、と思ってますか?

  本当に伝えたいと思ってますか?」





竹内敏晴先生のその問いかけは、私にはとても重く響きました。

私が声を出すとき、相手に届けたいと思って出しているだろうか。

相手に伝えたい、と心から思えてる言葉を伝えているだろうか。




竹内先生のワークショップを通して、何人もの方の「人に届く声」を聞かせていただきました。

勢いが、気迫が、エネルギーが、全然違う。

声を出す場所の違いも感じました。

喉から出ている声なのか、お腹からでている声なのか。


お腹からでる声は、深くて、よく響き、ムチのようにしなやかに相手の身体をピシリと打つ。



そして人に言葉を届けるとはどういうことか、も散々見せていただきました。


人に届く言葉、人に伝わる声を出している人は、

見るからに、顔が違う。

身体のたたずまいが違う。

立ち上る気迫が違う。

そして、声にこもったエネルギーが違う。

声の持つ波動が違う。



本当に伝えたいのかどうか。

本当に対話したいのかどうか。

本当に関わり合いたいのかどうか。


気持ちが、声と身体に与える影響。

心構えが、立ち上る気配に与える影響。

相手への関わり方が、周囲にどれほど顕著に伝わることか。



私が今まで出していた声は、「できたら誰にも届かないで欲しい」「できたら誰にもかすらず、スルーされてほしい」という裏の願いを体現してしまっていました。

私は対人恐怖があまりに強すぎて、誰とも本当は関わり合いたくなかったのですね、実は。

そのことに否応なく気づかされました(><)

誰にも、自分の存在に気づいて欲しくなかった。

だから、か細い声しか出なかった。

だから、目を合わせることができなかった。



最初に人とのコミュニケーションを拒否しているのは、私自身でした。

これでは、人間関係なんてうまく行くはずがない。

自分自身の心の問題に「声」から気がつくという、新鮮な体験をすることができました。



そしてまた、その恐怖心が身体を硬直させ、それが固くて小さい、響かない声を作っている、ということにも。

身体をほぐし、リラックスさせることで、声を柔らかく響き良くする、というアプローチがあるのですね。

リラックスしたゆるんだ身体から発せられる、柔らかで素直な声は、まっすぐ相手に届く。



コミュニケーションは、心理学だけのものではなかった。

身体や声などの、「こころ」や「精神」や「脳」など以外のアプローチも効くものだった!

そのことに気づかせていただいた一日でした。



人と人との関わり合いですから、そりゃ「生身のからだ」同士で行うものですよね。

でも頭でっかちだった私にとってはすごく新鮮な気づきでした。

それまで、心理学の本を読んでは自己分析をする、という座学のアプローチしかしてなかったですから。

身体を使って実際に人と交流しながら行うコミュニケーショントレーニングは、本当に実践的で、とても気づきの多い実り豊かなものでした。




そして、その日から「声」への興味と関心が芽生えました。

「エネルギー体」としての「声」、実体を持ち人の心や体を実際に揺さぶることのできる「声」。



               ・・・(つづく)

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その8/完結編 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

【私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)その8・完結編】

竹内敏晴先生のワークショップを体験して、

  声が人に届くかどうかは音声の大小には関係ないこと、

  いくら声が大きくても、「この人と関わりたい」という思いのこもってない声は身体の横をスルーしていくこと、

などを知ったことは、大きな収穫でした。


いえ、声が大きければ鼓膜には響くのですが、「胸」や「骨」を震わせないのですね。

工事現場の騒音のように、「他人事」として頭の上を素通りしてしまう。

逆に、声が小さくても、「あなたとコミュニケートしたい」という真剣さがある声は、まっすぐに届くのです。

身体の中心に。

たとえ工事現場の騒音の中でささやかれたとしても。

そういう経験って、ありますよね。

人ごみの雑踏の中でかすかに呼ばれたときに、はっと振り向いた経験が。




また、「エネルギー体」としての「声」、

実体と質量を持ち、周囲に影響を与えることのできる「声」への興味と関心が芽生えました。

『声』というものを、そういう目で見ると、本当に面白いのです。



  「この人の声は口を出たとたんにぼたぼたと床に落ちてしまっていて、誰にも届いていないようだ」

  「今の声は確かに私の胸を打った。まっすぐに、まるでしなやかなムチのように。」

  「今の一声にはすごくエネルギーがこもっていたので、だから会場が一瞬で静まり返った」



日々、声そのものの持つ質感や、声の影響力を面白く観察するようになりました。

「声」の持つ力を実感した印象的な事件を三つほど書いてみますね。



◎乗馬体験教室での経験。

私は乗馬に憧れがあり、体験教室に出てみたことが数回あったのですが、馬が言うことを聞くかどうか、が「どんな声を出すか」によっていることに気がつきました。

お腹から出る確信に満ちた声には馬は反応するが、細くて弱々しい、自信なさげな声は聞き流される。

このときにも声の力を感じました。

動物は、言葉の意味ではなく、声のエネルギーで「自分に何かを伝えようとしているのかどうか」を判断するのでしょうね。



◎子育て中のこんな経験。

長男がヨチヨチ歩きの頃、散歩中私の手を振り払い、まっすぐ車道に向かって走り始めたことがありました。

ちょうどトラックが通りかかった車道へと駆けていくわが子の背へ向かって自分の中からほとばしりだした「だめ!」の叫び。

すぐに駆け寄って腕をつかみながら、「本気で相手に届けたい、という意図の明確な声」を発する感覚をかみしめました。


エネルギーの塊として身体の奥からせりあがり、対象物に向かって真っ直ぐ飛ぶのが見えるような、そんな、声。

声を出した、というより、ドラゴンボールのカメハメ波を発してぶつけたような、ずっしりした手ごたえを感じました。





◎義父の臨終の床で。

夫との交際中に、夫(まだ婚約者でしたが)の父が倒れ、そのまま危篤状態になりました。

私も婚約者として、彼に連れられ病院に駆けつけました。

胸を痛めながら回復を祈ってはいましたが、お会いするのもこれが初めてという遠い存在の方であり、感情は特に波立っていませんでした。

病室に入り、こん睡状態の義父の姿を目にしても、淡々とした沈痛さに厳粛さが加わったくらいでした。


夫はまっすぐ父親の傍らに向かい、その手を取り、ただ一言「お父ちゃん!」と呼びかけました。





その声を聞いたとたん、

まるでスイッチでも押されたかのように、

私の全身は悲しみの奔流に飲み込まれ、

涙がとめどなくあふれてきたのです。




その声に、深く動かされたのです。


万感の想いのこもった声でした。

それは、親を喪おうとしている子の声そのものでした。

天国に旅立とうとしている魂を呼び止めようと、

身体の奥から自然とほとばしり出た声、

置いていかれる者の愛惜の声。


短い、たった一言の「お父ちゃん!」に、胸をわしづかみにされ、強い感情を呼び起こされたのです。


この経験はとても感動的で、そして深く考えさせられるものでした。


「声」の持つ力。

「声」はただの空気の振動ではない。

「声」の持つ可能性。

「声」に乗せることのできる情報量の多さ。





これらの経験から、

人の心の中の思いは、たとえ言葉にならなくても、声に乗せて人の胸にまっすぐ届けることができるのだ、と思うのです。

いうなれば、人の胸から胸、人の心から心へ、声が想いをまっすぐに届ける。

頭を介さず、言葉も必要とせず。


目に見えず、言葉にすると薄っぺらくなってしまう万感の想いは、

声に乗って、人に届く。

胸に。

まっすぐ。

頭を介さず。




本気かどうか、どんな想いがうずまいているかどうか、真剣かどうか。

あなたの覚悟、あなたの相手への向き合い方の姿勢はそのまま声に現れる。


だから私はセラピスト開業独立サポート講座の中にボイストレーニングを組み込んだのです。


「いらっしゃいませ」という瞬間、

「今日はどうされたのですか?」とたずねる瞬間、

あなたの中にもし揺らぎや自信のなさがあれば、伝わってしまうのです。

「それはつらかったでしょうね」という言葉に、真の共感がこもっているかどうか、ばれてしまうのです。


逆に、うまい言葉が出てこなくても、

短く「まあ」「そう」「ええ」というだけで、

本気で共感してくれていることが、相手にはちゃんと伝わるのです。




私は場面緘黙で悩みました。

少しでも緊張すると声が出ないという症状に、長く苦しんだんです。

だから、「声」という存在に敏感になりました。

そこで気が付いた「声」の持つ豊かな可能性。

「声」に敏感になったことが、今のお仕事にとても役に立っているのです。

本気の声をこちらが出せば、クライアントさんも、本気になってくれる。

本気で関わりたい想いを挨拶の声に乗せれば、クライアントさんもスムーズに心を開いてくれる。



それから、クライアントさんの状態も、声でわかります。

言葉では「わかりました」「だいじょうぶです」と言っていても、

それが本当かどうかは声でわかります。

というか、声でしかわかりません。


「こんにちは」「どうぞよろしくお願いします」という挨拶の時点で、

クライアントさんがどんな気分、どんな状態なのかを把握することができます。

立て板に水のようによどみなく話しているクライアントさんの

一瞬の迷い、一瞬のためらい、に気づくのも、手がかりは「声」です。





私は、「声を大切にするコーチ」、「声にこだわるコーチ」です。

私に、あなたの声を聞かせてください。

あなたの、本当の声を聞かせてほしい。


/完



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2007年10月16日

まぼろしの小さい犬【魂に響く絵本・児童文学】

つい10日ほど前、父が急逝いたしました。

父が私にくれたものはたくさんありますが、
その中の一つに、「犬という友」があります。


小学校4年生の時。
父が私に、生涯最初の私の犬を連れて帰ってくれました。

対人恐怖が強く、場面緘黙症に苦しみ、友達のいなかった私に、
父が「犬」という得難い友を与えてくれました。



結婚後、生涯二匹目の愛犬も、父が贈ってくれました。

慣れない土地で初めての育児に孤独に取り組んでいた私の、
どれほどの助けに彼がなってくれたことでしょう。


言葉を超え、ただ寄り添ってくれる存在。
理屈を超え、ただ愛情と信頼をひたむきに示してくれる存在。


ありがとう、パパ。

彼らは私にとって、最高の友であり、最高のカウンセラーでした。


そんな父に、感謝と追悼を。

孤独な少年と、犬の、魂のふれあいの物語をご紹介。
絵本ではありません。薄めですが、単行本の児童書です。



魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜
http://www.mag2.com/m/0000144564.htm

2007.10.16 第20号
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『まぼろしの小さい犬』
フィリパ・ピアス 作 
岩波書店
(対象年齢:小学校中学年以上)
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  〜 あらすじ 〜

  優しい両親とたくさんの兄弟たちの中で、
  ベンはなんとなく孤立している。

  「自分の犬さえ飼えたら」。

  漠然とした孤独の中で、ベンは自分の犬が欲しくてたまらない。

  自分の後をついてきてくれる犬、一緒に冒険や探険ができる犬、

  なでてやれる犬、面倒を見てやれる自分の犬。

  おじいさんの田舎の家にいるティリーみたいな。



  しかし、いくら切望してみても、
  大都会の真ん中でアパート暮らしをしている今の環境では
  犬は飼えはしない。

  味気ない現実に失望し、
  ベンは空想の世界に安らぎと慰めを見いだす。

  目をつぶると、
  そこには一匹の勇敢なチワワが姿を現すようになったのだ。
  これ以上ないほど賢く、勇敢で、忠実な犬。

  ベンの、理想の愛犬。

  「チキチト」という名の、チワワ。

  空想の中で、ベンとチキチトは常に行動を共にする。

  もうチキチトが居てくれるから、ベンは孤独じゃない。

  もう本当の犬を飼わなくてもいい。

  チキチトさえ、居てくれれば。



  四六時中目をつぶってチキチトと過ごすようになっていたベンは、
  ある日とうとう交通事故に遭う。

  危うく命を落としそうになって
  ベンはやっと現実の世界に引き戻され、
  そしてその事故がきっかけとなりベンの家族は郊外に引っ越す。

  とうとう犬を飼える環境となったのだ!

  待ち望んだ、生きた本物の子犬をもらえる日。

  チキチトとの現実の世界での再会を夢見るベンの前に現れたのは、

  ブルブルふるえる、
  チキチトとは似ても似つかぬ平凡で臆病な犬だった。



  「これはチキチトじゃない!」

  チキチトじゃない犬なんていらない、
 
  勇敢でも立派でもない犬はいらない・・・



          ・
          ・
          ・

  
     

    −−−−−−−−−−−−−−−−





  「犬さえ飼えれば」。

  黙って横に居てくれる存在に恋いこがれる切なさ。


  ただ無言で自分を受け容れてくれる存在を切望せずにいられない

  たましいの孤独


  そして、

  夢と現実、理想と日常のギャップを乗り越えていく

  少年の心の葛藤と成長を描いた、名作。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





言葉を超え、ただぬくもりと愛で寄り添ってくれる存在の重要性。

理解なんていらない、

なにかをしてもらおうとも思わない、

ただそこに居て欲しい。



私を見てしっぽを振って欲しい。

私に駆け寄って来て欲しい。

私の横でくつろいでほしい。

そんな存在がいれば、私はそれだけで生きていけるのに。



黙って横にいてくれる存在。

私のことを無条件で受け入れてくれる存在。

私のことを大好きなんだと確信できる存在。

そのありがたさ。

そんな存在がいてくれたら、生きていける。



Stand by me.

ただ、そばにいて欲しい。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




しかし、そんな存在が手に入ったとき。

あなたもまた彼をそのままで受け入れる度量が試される。

ありのままの、欠点だらけの、弱い、現実の、彼の存在を。



手がかかったり、見栄えが悪かったり。

毎日毎日、世話が必要だったり

面倒だったり大変だったり。



彼の至らなさ、期待外れな点を、

批判せず、裁かず、否定せず、

ただ、認め、受け入れ、

彼に対して負う義務と責任を淡々と果たす。



ある意味、それはあきらめであり、妥協である。

受容の過程。



私は私のままでいい。

そしてまた、あなたはあなたのままでいい のだ。

臆病でいい、みすぼらしくていい、平凡でいい。


私からあなたに、先に与える愛がある。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





  人は、欲しいものが手に入ったあと、

  それとどのようにつきあっていくのかを学ばなくてはいけない。



  それは、夢から現実へと降りてくる作業。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





これは、『くまのコールテンくん』のその後の物語だ。

  ※『くまのコールテンくん』
   http://tamahomishio.blog69.fc2.com/blog-entry-115.html




「こんな人がいてくれたら」と願っていたそのままの人と出会った後。

「ずっとあなたを探していた」と言ってくれる人と出会った後。

切なく恋いこがれていたものが手に入った後。

王子と姫がめでたく結ばれたあと。

欲しくて欲しくてたまらなかったものが手に入ったあと。

何が起こるのか。




  Boy meets a girl.

  運命の出逢いのその後の、泥臭い受け入れの物語。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




誰かとの出逢いは、魔法の杖なんかじゃない。

出逢えたからといって、何も解決などしない。

あなたが手に入れたのは、ただのきっかけ。

これからたくさんの課題を、もがきながら乗り越えて、

パートナーシップを築かねばならない。



  時に傷つけあいながら。

  時に泣きながら。

  かっこわるく。

  体当たりで。




夢と現実の違い。

夢は、手が届いたとたん、現実に変貌する。

万能でもない、十全でもない。理想とはほど遠い、日常。

それを受け入れ、乗り越える困難、試練。





夢を手に入れてしまったあと、人はどう現実と折り合っていくのか。

夢が日常に降りてくることをどう受け容れていくのか。

夢を手にしたということは、その時点で、その夢は既に破れているのだ。


そのほころびを繕い、慈しみながら、感謝して、受け取る。

要求せず、批判せず、裁かず。

ただ、認め、受け入れ、

自分から先に愛を与えていく。



空想の世界で、のんきに夢を羽ばたかせる楽しみから卒業し、

現実世界で

身体を使い、汗を流し、時に涙や鼻水だって流しながら

他者と関わっていくことを引き受ける。

毎日毎日発生する、面倒な義務と責任を引き受ける。



それに見合うだけのものが手にはいるから。



それは、経験、そして成長、そして生身の温かい絆、つながり。




私は私のままでいいように、

あなたもあなたのままでいい。

臆病でいい、みすぼらしくていい、平凡でいい。

私の期待を裏切ってもいい。


あなたはただそこに居てくれるだけでいい。

私から先に、あなたに与える愛がある。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




  「犬さえ飼えれば」。

  黙って横に居てくれる存在に恋いこがれる切なさ。


  ただ無言で自分を受け容れてくれる存在を切望せずにいられない

  たましいの孤独



  そして

  空想の世界でふわふわと遊ぶ気ままさを手放し、

  現実の日常生活の中で、

  泥臭く生きることを受け容れていく

  少年の心の葛藤と成長を描いた、名作。



  まだまだ幼い少年は、いかにしてチキチトへの憧れと執着を手放し、

  肉体を持つ平凡な犬を受け容れていったのでしょうか。


  ぜひ、本を読んでみてください。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




『まぼろしの小さい犬』
フィリパ・ピアス 作 
岩波書店
(対象年齢:小学校中学年以上)




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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2007年09月26日

小窪先生と荒島先生の波動療法をお奨めします!

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   ● 波動療法個人セッション
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もうすっかり波動療法の虜! 

めちゃくちゃ気持ち良いマッサージ

リーディング、波動

その上、心理療法も。

これを二時間弱びっちりと、先生二人がかりで。

あの日から、私は波動療法の素晴らしさを世の中に伝える伝道師となりました(笑)

ある日の日記で波動療法の魅力を熱く語った私ですが(^^)


波動療法は、男性の小窪先生と、女性の荒島先生が、
二人一組で施術してくださいます。

女性でも男性でも安心して受けられますね!


先生方は、正真正銘のサイキック。

お顔を見ただけで、「ここが痛いでしょう」
「○歳くらいにこんなことがあったでしょう」
とビシバシと当ててくださいます。

「○○が××になってるから調子悪いんだよね」
「恋愛にこんなパターンがあるでしょう。
ここをこうすれば全部解決しちゃうんだよね」

そんなアドバイスが次々に!

会うだけでも、いい波動をたっぷり受けて、
すごく元気になれてしまいますよ!




波動療法のすごいところは、ただマッサージするだけでもないというところです。

マッサージもしてくれるんですよ。
それがめちゃくちゃ気持ち良いんですが。
それだけじゃなく、リーディングもしてくれるし、波動を流してもくれる。
その上、心理療法もプラスされてる。
一種の短く簡素なインナーチャイルドワークがセットで付いて来る、みたいな(^^)

リーディングとしては、身体を触りながら、「何歳くらいにこんなことが
あったでしょう」みたいなことを色々言われたりします。

「こんな感情をひどく溜め込むタイプですね」とかね。
「ここがこんな風に痛いでしょう」とか。

半分霊感占い師みたいです。
それがまたかなり当たってる。
すごい。

それから、波動を流してもくれるんですが、レイキに似た温かい
エネルギーを流し込んでくれます。
これがまた気持ちいい!!

それから、二時間弱の施術の間中、「ずっとがんばってきたんだね」
「つらかったね」「もうがんばらなくてもいいんだよ」「そのままの自分
でいていいんだよ」などの心のこもった言葉をかけ続けてくれます。
めちゃくちゃ癒されます!
何度も何度も泣きそうになりました。

「生まれなおし」や「生みなおし」のワークもします。
もうすでに心理療法の世界ですよね。

(中略)

めちゃくちゃ気持ち良いマッサージ
リーディング、波動
その上、心理療法も。

これを二時間弱びっちりと、先生二人がかりで。

私はリピーターになります!
家族にも受けさせたい。
友人知人にも薦めまわりたい。

※全文はこちら
http://tamaho.exblog.jp/m2005-06-01/#4929920

※親友Kちゃんからもらった体験談
http://tamaho.exblog.jp/m2005-07-01/#6079418




−−−−−−−−−−−−−−−−−−
● 波動ワークショップ
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個人セッションは上記のような感じなのですが、ではワークショップはどのような感じなのでしょうか?

どんな効能があるのでしょうか。


どちらを受講したらよいのかと迷われる方も多いかと思います。

実際、そういう質問を数人からお受けしました。

どちらの内容も、文章で説明するのはとても難しいのですが・・・

私の体験記の中の、特に違いが明確に出ていると思う部分を
抜き書きますね。

ご参考までに。


−−−波動ワークの感想から引用−−−−

この二日間の体験は、本当に得難く、感動的なものでした。
爽やかで、心地よいものでした。
「本気で取り組むって、こういうことだったんだ!」
「本気で関わり合うって、こういうことだったんだ!」
それが、肉体を通して、腑に落ちました。

駒苫や早実の高校球児の気持ちがわかる気がします(^^)
本気って、覚悟を決めるって、腹をくくるって、こういうことなんです。
本気になれ、覚悟を決められたときの、人が出す「火事場の馬鹿力」。
それを出している自分に出会えます。

私たち、それが出せるんですよ!
感動じゃありませんか?

皆さんに、心からお勧めしたい。
スポーツが嫌いでも、身体を動かすのが苦手でも大丈夫です。
自分を変えたい、
もっともっとイキイキと自分らしく生きていきたい、
生きている実感が欲しい、
そういう全ての人へお勧めします。

現実を変えたい、
状況を切りひらきたい、
自分の未来は自分でつかみとりたい、
そんな全ての人へお勧めです。

幸せになりたい、
本気ってどういうことか知りたい、
人と関わる温かさを実感したい、
親密な人間関係を築けるようになりたい。
そんな全ての人へお勧めです。


本気になることはどういうことなのか。

自立とはどういうことなのか。
自分の人生を生きるとはどういうことなのか。
理屈ではなく、身体感覚で、それらを実感できるワークショップです。
こんなワークショップは他にないと思います。
類を見ないもの。

コーチングも、
自立とか自分の人生を生きるとかいうことを担うものですが、
コーチングはどうしても左脳に行きがちなんですよね。
理屈っぽくなってしまう。

そこを、理屈は一切抜きで。
五感で。
身体感覚で。
第六感までも駆使して。
身体でつかみとることができます。

※全文はこちら
http://plaza.rakuten.co.jp/sprtcoach/diary/200608220000/


★今年8月の旭川での「波動ワーク2日間」に参加された
セラピストさゆりんさんの感想

「頭を働かせる暇などなく、
お腹に腑に落ちるという暇すらもなく、
直接身体で「わかる」というレベルに達してしまう。
「生きる」ということをテーマにしたワークだったのですが、
本音で本気で「自分を生きる」ということを
身体で体験しました。
      (中略)
後で振り返って見てみると、びっくりすることばかりです。
参加者全員が、あっという間にまるで別人に変身していました。」
http://plaza.rakuten.co.jp/sayurin16/diary/200608010000/


★今年9月の九州・福岡での「波動ワーク2日間」に参加された
ライトワーカーひっくるさんの感想

「波動ワークで誕生。
そう、誕生という言葉がぴったりする。
生まれてきておめでとう。
新たなヒックルは以前よりパワフルでそれでながら優しく、
本当に依存を断ち切り、自立した存在です。
目の前が輝いて見えます、人の良いところも、自分の良いところも。
悪いところも全てを受け入れてさらなる段階へ、生きます。
(誤字ではありません)」
http://plaza.rakuten.co.jp/tuiteru777/diary/200609020000/





先生方の連絡先

 〒146-0085 東京都大田区久が原4-27-12
 アイシン波動療術院
           小窪  博、 荒島 怜衣子
 TEL 090-1263-6171(治療院) 
090-3806-2611(荒島) 090-8784-1104(小窪)
 E-MAIL y_aishin_hk@xrh.biglobe.ne.jp 
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2007年07月08日

信頼って、なに?その1(2005年7月の日記より)

7/9〜7/14の東京旅行全体が人生の昇格試験のようだったと感じているんですが、その大きなテーマは二つ。


1.「信頼とはなに?」

2.「応援してくれる人が居るからがんばれる? じゃあ誰も応援してくれなければ、あなたはどうするの?」


でした(^^;



私はこの旅行の前半に、ちょっとした個人的な対人トラブルを経験しました。

それは、実際に起こった事件レベルで言うと、本当に些細なことでした。




このブログを以前から読んでくださっている人ならもうご存知だと思いますが、私はとてももろく、あやうい面を持っています。

傷だらけのインナーチャイルドを抱えています。

自己肯定とか基本的信頼感が、とても揺らぎやすい。




この些細な出来事を巡って、なぜか私の中で地震が起こってしまいました。

もともとバランスの悪い基本的信頼感が大きく揺らいでしまいました。

事実関係としては、全然たいした事件じゃないのに、インナーチャイルドとしてはすごく傷ついちゃったみたいで・・・(;;)




多分、私が「課題」を求めている時機だったんでしょうね。

基本的信頼とはなにか、について考えなければいけないタイミングだった。

この、本当に些細な出来事に、私はなぜか根本から揺らがされ、ものすごくショックを受けてしまいました(^^;







「応援してくれる人が居るからがんばれる。」

「少なくとも何人か、私を認めてくれる人が居る。
だからこの世に生きていてもいいと思える。」

私の基本的信頼感は、そういう条件付きだったのですね。


私にとってのその些細なトラブルの相手の方は、その「私を応援してくれる人」「認めてくれる人」のうちの、存在感の大きい一人でした。


「この人は私を応援してくれる、と信じていたけど、その根拠はいったいなんだったんだろう?」と、世界に対する基本的信頼がガラガラと音を立てて崩れました。




「応援してくれる人が居るからがんばれる、と思ってきた。

それがただの思い込みで、誰も応援してくれてなんかいないとすれば?」


「私を認めてくれる人が居るから、この世界に生きていてもいいと思えた。

でも、誰も私を認めてなんていないとすれば?」


「私はこんなに簡単に揺らぐものを信じてきたんだ・・・。

なんの根拠もないことを。

なんて、心細い。なんて、あやうい。」


「こんなに簡単に信頼とは揺らぐのだ。

私が信頼している他のこともまた、簡単に揺らいで失われてしまうのだろうか・・・。」


「あの人も私を応援してくれている、あの人も私を認めてくれている、あの人も、あの人も、と今まで数え上げてきた人。

でも、その根拠は?

それは一体、事実なんだろうか。証明できる? 保証はある?」

「信頼って、一体なんだろう。私はいったい、今まで何を信じてきたんだろう。

これからは一体、何を信じて生きていけばいいんだろう。」



高所恐怖症の人が催眠術をかけられてすいすいと高い塀の上を歩いていた。

なのに、その途中で、その催眠術がとかれてしまった。




例えて言えば、そんな気分でした。



ハッと気がつくと、自分は高い塀の上で何も支えるものもなく立っている。

向こうはじまではまだまだ遠い。

あそこまで渡りきらなければいけない。

でも催眠術からは醒めてしまった。

私はぶるぶる震えながらその場にしゃがみこみ、動けなくなってしまいました。

「最後まで夢を見させていて欲しかった」こんな言葉が何度も何度も頭をよぎります。





大切な大切な家族だって、明日交通事故で死んでしまうかもしれない。

実家の両親だって、きょうだいだって、いつ私を置いて天に召されるかわからない。それは今日かもしれない、明日かもしれない。

家族も、友達も、他のなにも、確かなものなんて、何一つ無い。

それは、どうしようもないこと。

そんな中、私は何を信じて生きればいい?



こんな些細な出来事で、私の住んでいる世界というものの確かさが揺らぎました。

確かな実体だと思っていた世界の構成要素は、まったく確かなものでなんかなかった。

押せば倒れる張りぼてだ。書割だ。




そのトラブルの内容は、本当に些細なこと、ささやかなことです。

「もぉ〜(笑)、今度からは気をつけてよね!」で済んでもおかしくないことなんです。



でも、私の中の傷を直撃してしまいました。


誰かがすれ違いざまに誰かの肩に当たる。よくあること。

でもその相手の人は丁度その場所に深いまだ癒えてない傷を持っていた。

何の悪気も無いただのはずみ、よくあることなのに、傷を持っている人はその場で悶絶しなければならないほどの苦痛を感じることとなってしまった。


そんな感じです。


多分、私が「課題」を求めている時機だったんでしょうね。

基本的信頼とはなにか、について考えなければいけないタイミングだった。





「あの人も私を応援してくれている、あの人も私を認めてくれている、あの人も、あの人も、と今まで数え上げてきた。でも、全て思い込みに過ぎないのでは?」

「信頼って、一体なんだろう。私はいったい、今まで何を信じてきたんだろう。

これからは一体、何を信じて生きていけばいいんだろう。」


私の住んでいる世界というものの確かさが揺らぎました。

確かな実体だと思っていた世界の構成要素は、まったく確かなものでなんかなかった。

押せば倒れる張りぼてだ。書割だ。





そのトラブルが起こった日が10日の夜でした。

久々に私のインナーチャイルドである内なる我愛羅ちゃんが大暴れしているのを感じ、寝ても醒めても涙が止まらない状態にまでなってしまっていました。

そのときは何がこんなにつらく苦しく痛いのか、よく把握できてませんでした。

正直に言って、「あの人が私をこんなにも傷つけた。ひどい!」という程度の認識でした。

渦中に巻き込まれてしまって客観的な眼差しを失ってしまってました。



翌11日、ゆこりん改め天海 悠さんと初の対面を果たし、ローズ大ハッピーさんのヒプノを受ける中で、気づきが深まっていく私・・・。


(ずいぶん以前から11日にローズ大ハッピーさんのヒプノセラピーの予約を入れていた、ということがすごく不思議で、シンクロだなあと感じます。)



「全てのことはベストのタイミングで与えられるギフト」なんですよね。

私にとって、この出来事が必要だった。

必要な学びとして、今、与えてもらった。

相手の方は、私のための課題を携えて、私の人生を訪れてくれた恩人なんだよ、と気づきました(気づいただけで、なかなか「でもひどい!」という気持ちからは抜けられませんでしたが^^;)


そしてたぶん、相手の方にとっても、私が涙ながらに「ひどい」と訴えたこと(お恥ずかしい;;)は、きっと丁度いいタイミングで与えられた学びだったに違いない。

色んな事情を鑑みると、素直にそう納得できる材料が揃っているんですね。



また、ローズさんのヒプノでは、まだこれだけ痛む傷の正体を見に行きました・・・

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 03:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去生の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

信頼って、なに?その2(2005年7月の日記より)

ローズ大ハッピーさんのヒプノで出てきたのは、みなしごになってしまった過去生でした。

以前にもちらりと出てきたことのある過去生です。

それが、より一層細かく詳しく出てきました。




5歳か6歳くらいの女の子。

のどかな農村で、お母さんとおばあちゃんと幼い弟とで、とても幸せに暮らしている。

お父さんの姿は出てこなかった。

居なかったのかもしれない。

そのせいか、お母さんから「お姉ちゃん」としてすごーーく頼られ、必要とされて、とても張り切っている。

張り切ってお手伝いをし、進んで弟の面倒を見ている。

お母さんから「お前が居なかったらどうなっていたやら」というような言葉をいっぱいもらって、すごく誇らしい。

必要とされ、愛されて、とても幸せだった毎日。




そんな平凡で満ち足りたある日、山に薪を集めに行った。

帰って来てみると・・・





村がなかった。




土石流? 土砂崩れ? 地震?




なにか、そのような自然災害のせいで、村が、壊滅していた。





女の子は一人ぼっちで、取り残されてしまった。






大好きなお母さんを、かわいい愛しい弟を、優しく温かいおばあちゃんを、泣き叫びながら探し回る。


引き裂かれそうな絶望と恐怖。


打ちのめされる圧倒的な孤独。


一人おめおめと生き残ってしまった自責の念。


誰一人守れず救えなかった罪悪感。




そして、怒り。

強烈な、怒り。

裏切られ感。




「家族なんだもの、いつも一緒だよ」

「大好きだよ、絶対に離さないよ」

「何があっても一緒にいようね」



お母さんはいつもそう囁いてくれていた。




守れない約束なんかしないでよ!


私を置いて行かないでよ!


約束が違うよ!


全部、嘘じゃん!


お母さん!お母さん!お母さん!






ローズさんが、「本当にお母さんはあなたを裏切ったのでしょうか。嘘をついたのでしょうか」と問いかけてくれる。





「嘘じゃないなら・・・裏切ったわけじゃないなら・・・



私がみんなのところに行かなければ!


みんな、待ってるから!


私を探してるから!


淋しがってるから!」





最初、つぶやくような低い声だったのに、途中からこみ上げてくるものがあり、最後は悲鳴のような声で号泣。





身近な人との絆にも、世界へも、すぐに信頼が揺らいでしまうのは、この記憶のせいだったんですね。




大切な大切な家族だって いつ喪ってしまうかわからない。

私を置いて天に召されていくのは今日かもしれない、明日かもしれない。

今日、外出先から帰宅したら家がないかもしれない。

さっきまであった村が、一瞬あとには跡形も無いかもしれない。

家族も、友達も、村も、世界も、確かなものなんて、何一つ無い。

それは、どうしようもない事実。

そんな中、私は何を信じて生きればいい?



私の住んでいる世界というものの危うさ、もろさ。

世界の構成要素は、信頼して寄りかかるには、あまりにもはかない。





ヒプノセラピーセッションは、ハイヤーセルフに出てきてもらって、「それでも人を信じ続けなさい」という言葉をもらって、終わりました。


そのときはスッキリしたと感じたんだけど、まだまだ残っているものがありました。




この階段は、足を置いたら崩れるかもしれない。

そう感じてしまったら、もうその階段を登れない。


この人は、いつ居なくなるかわからない。

そう思ってしまったら、もう 人に心を預けられない。



さみしいさみしいさみしいさみしい




何をしていても涙があふれてきます。

7/13のコーチングの資格試験の本番も、ティッシュで鼻をかみながら、目の周りを真っ赤にしながらの受験でした(^^;



でも、その夜、私は私なりの答えを、私なりの光を、とうとう見つけたのです。




      □ ☆ □




5歳頃に天災に遭い、家族も家も、それどころか住み慣れた村全体を失って孤児になってしまった過去生の記憶(かもしれないイメージ^^)をヒプノセラピーで思い出しました。


その記憶とダブる思い出があります。



私が5歳の頃、父と不仲だった母は、家出を計画します。

でも、子どもの数が多かったので、全員を連れて出るわけにはいかない。

「あんたは置いていく」と私は面と向かって母から宣告されました。




茶の間の奥の部屋の、本棚の前でのことでした。

私は立っており、母は正座してました。

正面から私の顔をのぞきこみ、「**(妹の名)はまだ赤ちゃんやし、**(弟の名)は甘えんぼやし、連れていかなしょうがない。あんたはママがおらんでも大丈夫やろ? な?」と。



今でもありありとおぼえています。

幼い私にとって、目の前が真っ暗になるような衝撃だったことも。

それでも、泣くでもなく駄々をこねるでもなく、黙ってうなずくしかなかったことも。



結局、母は家出を断念しました。

でも、次の朝、弟や妹の服はいつものタンスの引き出しの中にはありませんでした。

母はトランクの中から着替えを取り出し、妹や弟に着せていました。





私の服は、いつも通り、タンスの引き出しの中に入ったままでした・・・






この、母から「要らない子」として選ばれ、「あんたを捨てる」と宣告された思い出は幼い私には重すぎ、ずいぶん長い間封印されていました。


中学生のとき、フロイトと出会い、深層心理とか抑圧などの言葉を知った私は、当時のあまりの生きづらさの理由を解明するために、自己分析に没頭し、その過程でこの記憶の封印を解きました・・・



こんなにもありありと細かいところまで覚えているのに、それまで意識の表面には決して上らせないようにしてきた自分の心理機能。

あまりにつらくて、受け容れがたいから。

自分が崩壊しそうになるから。




涙をこぼさずにこの記憶について思い出せるようになったのは、ここ数年のことです。




母は、とても愛情深い人でした。(今もそうですが。)

子どものことを溺愛する、どちらかと言えば過保護・過干渉の人でした。

私に対しても、抱きしめたりほお擦りしたりチュウしたり(^^)、大好きとか宝物とか、たくさんの言葉をくれました。




そんな母が私を要らないと言うならば、一体どこの誰が私を愛するだろう?

そんな母が私を捨てようとするならば、いったい誰を信じられるだろう?

母のように、どんな人も必ずいつか手のひらを返すのだろうか。

耳に心地良い言葉をくれる人に限って、いつか手ひどく裏切るのだろうか。




「天災で孤児になった過去世」の記憶は、この実際の記憶を「例えて言えばこんな衝撃」とノベライズしたものなのかもしれません。


私にとって、それまで慣れ親しんでいた世界が崩壊してしまうようなインパクトんだよ、ということを物語として表現する・・・。





もう何も信じられない、もう誰も愛さない、みんな嘘つきだ、みんな裏切り者だ。




なんで私を置いて行くの?

本当に私が母親やきょうだいを失って平気だと思うの?




大人になった私も、身近な人を失いそうになることに耐えられない。

自分の全存在を否定されたように感じてしまう。

世界が崩壊してしまうように感じてしまう。



その秘密はこの記憶の痛みにあるんでしょうね。




母は結局、家を出なかったのですが。

私のために、不幸な結婚生活に踏みとどまってくれたのですが。

私はそれほど愛されていたのですが。

母が自分の人生を捧げてくれるほどに。

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 03:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去生の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

信頼ってなに?その3(2005年7月の日記より)

昨日、『天災で孤児になった過去世の記憶』は、この実際の記憶を「例えて言えばこんな衝撃」と物語として表現したものかもしれません、と書きました。

でも、ゆっくりかみ締めてみると、私の感覚としては、先に『天災で孤児になった過去世の記憶』があり、

さらにその傷を上からえぐられたのが「要らない子として母から選ばれてしまった五歳の頃の実際の経験」と思ったほうがしっくりきます。


だからこそ、ここまで痛むのだ、と考えたほうが、しっくりくる感じ。



親しくて信頼していた人から、前言を翻されたり、約束を守ってもらえなかったりした時の「まただ・・・!」という怒りと悲しみ。


「いつもこうだ」

「いつもいつも、みんな守れない約束ばかりする」

「どうして、信頼させておいて裏切るんだろう?」

「守れない約束なんて、しないで欲しい。自分がどれほど残酷な行為をしているのか、わかっているんだろうか?」


この怒りと悲しみと裏切られ感。

そんな感情を味わうたびに感じる、世界が根底から崩壊してしまうような不安。


その根っこは、その過去生の記憶にあると思うと、なにかと矛盾なく符号する感じ・・・。

ま、真実なのかどうなのかは検証のしようがないわけですが。




13日、CTIのコーチ認定資格試験のあと、CTI関係者の飲み会に試験受験生も誘っていただきました。

試験の最中からずっと

「何も確かなものなんてない」

「他の友人だろうが、夫だろうが、子どもだろうが、いつ私を置いて去っていくのか、誰にもわからない」

「私が信じていたものって、なんてはかないんだろう」

という想いに囚われ、ずっと涙ぐんで鼻をすすっていた私ですが、飲み会の席でとうとう泣き始めてしまいました・・・(恥; *^^*)


コーチ仲間はみんな、とても聞き上手で、人の心に寄り添うのが上手です。

そして、明らかに私の様子はおかしかった。

そんな敏感で優しくあったかい仲間から、どうしたのかを聞かれ、



「資格コースが終わってしまうのが本当に淋しい。

私は北海道在住で、他のCTIコーチ仲間からは一人で離れてる。

資格コースが終わってしまうと誰かから電話がかかってくることも、もうない。

私は一人で放り出されてしまう、私は一人だ、と感じてる。」

というふうに説明して、そのまますすり泣き・・・。




そしたら、CTI代表の島村剛さんが離れた席に座っていらっしゃったのに、わざわざ私のとこに来てくださって、



「僕は、決して、珠帆さんを一人になんかしません!」



と力強く断言してくださいました(;;)




思わず胸に迫るものがあり、一層激しく泣きじゃくりながら「インナーチャイルドが嘘つき!って言ってます」と返事をしました(^^;




それが本当だったらどんなに嬉しいか。

でも、できない約束なんかもうしないでよ!

できない約束で期待させるのが、どれほど残酷なことか、わかってるの?!




でも、剛さんは繰り返し言ってくださいました。

「僕は、決して、珠帆さんを一人になんかしません」




その二回の言葉にこめられた語勢が、私の胸を打ちました。

深いところから出された、真実を語る声でした。

表面的な浅いところから出された声とは全く違う、力強くて人の胸に直球で届く声でした。


内容ではなく、声にこもった真剣さ、思いの深さが私の心を揺さぶりました。




想いだけは真実なんだ。


それが、突然、その時、腑に落ちたんです。



状況がそれをゆるさないことは、ままあるだろう。


(ただでさえ多忙な剛さんが、どうやって私をひとりにしないでおくことができると言うのでしょう?)


でも、その思いはきっと、真実なものなんだ。



「約束を守ったか守らなかったか」「実際にどのような言動を取ったのか」など、表面的な行動レベルに焦点を合わすのではなく

また、物理的地理的距離も超えて、

私たちは、お互いの「想い」の強さや真実さを信じていくしかない。



そうなんですよね・・・




状況がそれを許さないことは、ままある。

でも、想いだけは信じよう。

それ以外に信じるに足るものがあるだろうか?





熱烈に愛を語り合ったカップルが破局を迎えて別れることなんてよくあって。

でも、以前、「愛してる!」と囁きあったその瞬間の想いだけは真実で。




お母さんが子どもに「何があってもお母さんが守ってあげる」っていくら言っても守れないことはままあって。

でも、その想い、そう言いたくなる想いだけは真実で。



私もまた、愛しい我が子を置いて、突然天に召されるような事態になるかもしれない。

でも、私が幼い子どもたちを置いて去らなければならなくなったとしても、私が彼らを愛した事実は変わらない。

私が彼らを抱きしめる、その瞬間の温もりを覚えていてほしい。





過去生での母も、今生での母も、「大好き」「大切」「ずっと一緒」とよく言ってくれていた。

その想いが真実なことを、私は実はよく知っていて・・・(;;)

私は裏切られてなんか居ない(泣)

残念なことに、状況がそれを許さなかった。

それだけなのだ・・・


想いは真実。

込められていた深い想いは真実でした。








  大切な大切な家族だって いつ喪ってしまうかわからない。

  今日、外出先から帰宅したら家がないかもしれない。

  家族も、友達も、世界も、確かなものなんて、何一つ無い。

  それは、どうしようもない事実。

  そんな中、私は何を信じて生きればいい?




この問いの答えを、私は見つけました。



人との関係においては、「その瞬間瞬間に飛び散る火花を」。






人と人が深いところで触れ合った瞬間に飛び散る火花、それ以外に信じるに足るものがあるでしょうか。


誰かと誰かの魂が触れ合う。

その神聖な瞬間、人と人の間にスパークする火花。


温かな共感。

存在の奥深いレベルで、何かと何かが共鳴を起こす。




人と人とは、まるで宇宙の虚空に浮かぶ惑星同士のように孤独。

なのに、お互いの間に横たわる深遠の闇を超えて、神聖な火花が飛ぶ奇跡の瞬間っていうのが、確かにあって。



(今回日記に寄せられた温かいコメントの数々に、私はそれら火花を見ました・・・。真実の触れ合い、真実の共感を感じました。ありがとうございました。)


そしてそれは、流れ星をビンに閉じ込めていられないように、

そよ風を缶詰にはできないように、

一瞬一瞬過ぎ去っていってしまうもの、つなぎとめてはいられないもので。


だからこそ、貴重で。


飛び散る火花は宇宙の虚空に消えていっても、その明るさ、美しさ、その瞬間の感動を私はありありと覚えている。


そしてまた、火花は必ずや何回でもスパークするだろう。

周囲に人がいてくれる限り。

私が、人と誠実に触れ合い続けるのをやめない限り。




人との触れ合い以外の部分では、私が何を信じようと、どんな信念を持とうと、自由なのだ、と。

裏づけとか証拠とか保証とか根拠とか、どうせないんだし、と。




  今日、外出先から帰宅したら家がないかもしれない。


でも、あるかもしれない。




  今日、人工衛星が降ってきて潰されるかもしれない。


でも、そんなことは起こらないかもしれない。




何を信じようと自由ならば、

   人がその個人的な世界の神ならば、

私は、自分が一番心地よく、一番力強さを増す信念を選ぼう。



明日もまた世界は安全に続くと、まずは信じよう。

この階段は崩れない、そう信じてのぼっていこう。

人と関わった瞬間に胸に満ちる温かい感動。

「いつか訪れるかもしれない別れ」を恐れすぎて、その瞬間瞬間の温もりを味わうことを拒否してしまうようなことのないように、生きていこう。




思い起こせば、私はその元々のトラブルの相手の方との間に、たくさんの美しい共感の火花を飛び散らせてきていたのです。


「実際にどのような言動を取ったのか」など、表面的な行動レベルに焦点を合わすのではなく

飛び散った火花の明るさ、美しさ、その瞬間の感動の記憶に焦点をあわせたい。


その瞬間瞬間の想い、共感、感動、温もり。

それらは真実のものでした。





この東京旅行全体が、まるで人生の昇格試験のようだったと感じています。

そして、答えが見えた、と。

そして私は自分が人生の昇格試験には合格できただろう、と感じています。



1.「信頼とはなに?」

→なんの根拠も保証もなくても、あえて身を投げ出して預けることです。

 なんの保証もないことを、覚悟の上で。
 
 裏切られて痛い思いをするのも、自己責任で。

 その瞬間瞬間の、自分にとっての真実を重んじること。

 それに従って、身を投げ出して預けること。
 
 その結果を、引き受ける覚悟をすること。




2.「応援してくれる人が居るからがんばれる? じゃあ誰も応援してくれなければ、あなたはどうするの?」

→誰一人応援してくれなくても、誰一人私を認めてくれなくても、私は前を向いて歩き続けます。

 それが私ですから。




今回、激しい苦痛の中で、たくさんの方に支えられて、私はわたしなりの答えを、光を、見つけました。


私と関わってくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました。


心からの感謝を捧げます。

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去生の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

信頼って、こういうことだったんだ(2005年7月24日(日)の日記より)

長い連載が完結しました。
お付き合いくださった皆様、温かく心のこもったコメントをくださった皆様、ありがとうございました。

こういう、ささやかだけれども明るい火花をきらめかせることだけを追い求めたいな、と改めて感じました。

他人の言動をコントロールしようとしては、「約束が違う」とか「信じてたのに裏切られた」と騒ぎ立てるような、そんな浅いレベルの“エセ信頼”は手放したい。



みんな、「つながって」いる。

でもそれを「繋ぎとめたままに保とう」というのは無理なことで。

それをなんとか「繋ぎとめたままにしておきたい」と色々やってはかなわず、落ち込んだり傷ついたり、みたいなことを繰り返してきたのかな、という気がします。

ひと言でいって、執着であり、依存ですよね。

自分の存在が危うくて、それを誰かに保証して欲しかったのです。

誰かを繋ぎとめることによって。

誰かの言動をコントロールすることによって。




今回、「確かなものって一体なに?」と突き詰めて突き詰めて探っていって、自分の存在の核のような、芯のようなものに行き当たりました。


唯一確かなものって、自分の存在。自分の本質。


そしてそれは、誰かの言動によって価値を測られるような、そんなものではない。

人の本質は、誰かの言動によって損なわれたり価値が下がったりするような、そんなものではない。



誰かがどんな振る舞いをしたとか、誰かの言動がどうだったとかにいちいち反応しなくていい。

ただ、「核」から「核」を、「芯」から「芯」を見る。



自分自身の輝く本質を、確信を持ってギュッと握り締めることさえできたら。

そうすれば他の方の輝く本質にも焦点を合わせることができる。



それができればたいていのことは恐れなくていいんだ、と学びました・・・。






過去につらいトラウマを抱えている方へ。

傷ついたインナーチャイルドがまだ内側で泣いている、という方へ。



乗越えましょうね、お互い。

魂は自由なはずです。

乗越えられない試練は与えられないはずです。

全てはベストのタイミングで与えられたギフトのはずです。

想念が現実を作るはずです。

いつまでも、過去に私たちの人生を損なわせ続けるわけにはいかない。

そう思いませんか?

乗越えられますとも。

いっしょに手を携えて、歩き続けましょう。


フラワーエッセンスなども助けになってくれますよ。




ちなみに、私はRosemaryさんに一ヶ月前にフラワーエッセンスを調合してもらったんですが、それがなんと、以下のような内容でした。




  ☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆


ミルクウィード〜〜〜
過度の依存症や幼児がえり、感情的退行に。
またアルコールや薬物、過食や過眠によって意識を鈍らせようとする人に。
魂の非常に深いレベルで滋養を与え、退行現象を起こしている核の部分を再生させる能力を育て、健康的な自我や自信、自立心を育てます。

ウィロウ〜〜〜
被害者意識や、自分を正当化してまわりを責める人、ネガティブな感情に執着する人に。
魂に弾力性や柔軟性をもたらし、受け入れ、許すことができるよう促します。人生の状況を自分が作り出していることに気づき、自分の人生に責任を持てるようになります。

ホリー〜〜〜
自分が他者や愛から切り離されていると感じることから来る、嫉妬、羨望、疑い、怒り、憎しみ、恨みなどのネガティブな感情に。
ハートを愛で満たし、愛と許しをもたらし、他の人間に愛を差し伸べることができるよう促します。
自己の定義を限られた狭いものから、広がりのある、他者をも包括するものへと切り替え維持するのを助けてくれます。

イブニングプリムローズ〜〜〜
胎児期や乳幼児期に受け取った拒絶感や孤独感、虐待から「自分は誰からも望まれない存在」と思い込み、人との深い感情のふれあいやかかわりを避けたり、性的、感情的な抑圧のある人に。
魂の深い核の感情に気づきと滋養を与え、心の傷を癒し、素直に愛情を表現できるようにサポートします。


  ☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆



そのときは自覚的にはなにも感じてなかったはずなんですが・・・ずばりじゃないですか〜(><;

なんでわかったんだろう?(^^;




このエッセンスを、ちょうど東京で飲み終わるんです。

そう、そのきっかけとなったトラブルが起こった日の午前中に、まさに飲み終わりました。

そしたら、こんな風に気づきの嵐が起こり、一皮剥けることとなりました。



おそるべし、フラワーエッセンス。

おそるべし、Rosemaryさん


/完



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2007年07月07日

私は生まれてきたくなかった(2005.2.10の日記より)

ヒプノセラピー体験記第二弾!

りり&ririさんのヒプノセラピーを体験しました。

二回目のりり&ririさんヒプノ体験です。


もう一週間以上経ってしまいましたが、感動体験でしたのでいまさらですがご報告しますね。


ヒプノで見たいもの、扱いたいテーマを、始めるときに明確にします。



私は、

「社会に出るとか人前に立つっていうことに、

根強い苦手意識や、根拠のない不安や恐怖がある。

その原因を見つけて癒したい」

ということをテーマに選びました。


その原因にさかのぼっていく中で、

お母さんのお腹に居たときのことを思い出しました。

すると突然、まるで平衡感覚がどうかしたかのように、体が揺れて感じられはじめました。

まるで波にもまれる舟の上で横になっているように。

ちょっと気分が悪くなったくらい。


羊水に浮かびながらお腹の中で運ばれている感覚なんでしょうか・・・

実感としてゆらりゆらりと揺れて感じるのがなんとも不思議・・・



それとともに、母がとても不安がっている気持ちをありありと感じました。


色々と複雑な環境の中で、

ひどく不安な思いで毎日をすごしている母の気持ちが、痛いくらいに・・・。


そして、お腹の中の胎児である私は、ひどく心を痛めます。

私がなんとかしてあげたい、と強く思ってる。

なんとかお母さんの力になってあげたい、お母さんの助けになりたい、って。


りり&ririさんの穏やかな問いかけに答えて、

言葉を捜しながらゆっくりゆっくり自分の中を探求していた私ですが、

この気持ちを思い出したとき、泣けて泣けて仕方ありませんでした。


母の力になりたい。

でもまた役に立てないに違いない。

またきっとなんの役にも立てない。



その怖れと無力感に、生まれてくるのを嫌がっている自分。


私が予定日を大幅に過ぎてから生まれてきた、という母の話を思い出しました。



こんなに不安がっておびえていたからだったんだー。



で、残念ながら、その不安は的中してしまったわけです。

迷惑をかけ続け、面倒をかけ続ける乳幼児の自分。

次々に生まれるきょうだい。

家事育児に髪を振り乱し、眉間に皺を寄せ、暗い顔でため息をつき続ける母。

「子どもさえいなければ」の言葉。



私は「ほらやっぱり何の役にも立てない。

迷惑になるくらいならば生まれてこなければ良かった」と、

自分を責め、自分の存在を否定しました。



私なんか生まれてこなければよかった。

そしたらせめて迷惑だけはかけなくてすんだ・・・




りり&ririさんにハグされて大泣きしました。

優しい温もりの中、存分に泣いたあとに見えてきたもの。




「判断するのが早すぎた」


私が何か人様や社会の役に立てるとしたら、今から。

1歳や2歳のときに“役に立てない”と判断したのは早すぎた(苦笑)


母に、“あなたが苦労しながら育てた子はこんなにも社会のお役に立っています”と見せたい。

“あなたの苦労はこんな形で実りました”と。



私の、

「社会に出るとか人前に立つっていうことに対する根強い苦手意識や不安や恐怖」

の理由が少し見えてきたように思いました。



また役に立てない、また失敗する、迷惑だったらどうする、お呼びじゃないに違いない。


そんな気持ちが沸きあがってくるのです。

(きっと、過去生に、手ひどい失敗体験があるのでしょうね・・・

いや、ひとつふたつそれらしきものを思い出しているのですが。)



ちょうど母のお腹からなかなか出てこれなかったときのように。




でも、ここで私がためらい続けたら、また私は役立たずで終わってしまう。

母に、

“あなたが苦労しながら育てた子はこんなにも社会のお役に立っています”と見せるためにも、

“あなたの苦労はこんな形で実りました”と誇りに思ってもらうためにも、

私はもう苦手意識や不安や恐怖は手放します。


私は、社会に関わっていく。

私は仕事をしていく。

私は広報や告知を恐れない。

私は成果を上げる。

私は露出度を上げていく。

私はもう引っ込まない。


たくさんの人にお役に立つために、

持って生まれた特性を、得意分野に生かしていきます。


私はここにいて、コーチングとタロット占い師をしています。

どうか、あなたのお役に立ててください。
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2007年07月06日

父と話す(2006年6月13日(火)の日記より)



ただいまです〜。

6/12の夜、旅から、帰って参りました〜。


三日間のCTIコーチング応用コース@大阪に

アシスタントとして参加してきました!


6/8の朝は、とうとう完徹完遂。

一睡もせぬまま家を出ました(爆)

もちろん、洗濯物はたためないまま(失笑)


姫路の実家に滞在させてもらったので、

たまには両親に孫の顔でも見せようと、下の子を連れての旅。


はしゃいだ息子に、飛行機の中でも電車の中でも眠らせてもらえず(汗;

疲れが取れぬまま・・・。


そして、本番開始。

翌日から、朝7時に家を出て、丸一日の研修にアシスタントとして従事し、

夜は9時前に帰宅する日々・・・。


疲れました〜。


好きなことだからやってられるんだよな〜。



研修の内容は、素晴らしかったです。

アシスタントとしての学び、というよりも、一参加者として、

生身で、自分自身の人生と向き合うこととなりました。



で。


東京旅行からの一連の学びが、集大成を迎えました。




前回の日記「東京旅行中盤戦のご報告」では


対人恐怖症がまだ癒えない自分を感じていき

子どもの頃、父と不仲だった母から、

「あんたたちさえ生まれていなければ、離婚できたのに」

と何度も何度も聞かされてきたことを思い出したことを書きました。


「私なんて居ない方がいい。私なんて居ない方が、みんなが幸せになれる。消えてしまいたい。」


と、心の奥底にインプットしてしまっていたことに気づいたことを。


「この“恐れ”の源は“愛”だった」

「私は、こんなにも周囲の人の幸せを願っている。

自分自身の存在を消してしまってもいいと思うほどに。」



と気づいたところで、「つづく」と結んだのですが。



「東京旅行後半戦のご報告」をすっとばしてしまいますが(^^;

今回の関西旅行で、すべてが大団円を迎えました。



私は、愛されてきたのです(涙)


私は、生まれてきても良かった(涙)



研修の二日目に、参加者全員に宿題が出されます。

それぞれが、コース中のコーチングで、「人生に意味のある一歩」を決め、

それを帰宅してから次の日のコース開始までの間に、

必ず実行すること。


私もアシスタントとしてコーチングセッションに参加し、

そして自分にとっての「人生に意味のある一歩」を決めました。


それは、「父と対話すること」でした。



以前、日記にも書いたことがあるように、父はいつも不機嫌な人でした。

その日記は残念ながら、今回の「ブログ強制削除事件」で消えてしまったようなのですが(涙)


なにか気に触ると、いつまでも大声で母に対して怒鳴り散らしていました。

もちろん、母だけでなく、幼い私たちきょうだいも、その標的になりました。


暴力も、ゼロではありませんでした。

多くもなかったのですが。


私の子ども時代、父が居る間は、家は安全な場所ではありませんでした。

いつもびくびくして、父の顔色を伺っていなければいけなかった。

そうしてないと、私だけじゃなく、大好きな母や、姉や幼い弟妹が酷い目に遭う。


正直に言って、私は父が嫌いでした。

恨んでいました。

母にため息をつかせつづけ、「あんたたちさえいなければ」と言わせ続けた

私の無邪気で幸せな子ども時代を奪った張本人。

そう思いこんで責めていました。



ずっと責めて、恨んできた。



その父への恨みがましい気持ちを、とうとう手放すことにしました。

とても勇気の必要な決断でした。



きっかけは、よーじゅ先生の占星術講座。

習ったばかりの占星術の知識で、家族全員の私との相性を何の気なく見ていたのですが。

父との相性を見てみると、なんと・・・。


父はすごく私を支え、応援してくれる存在として、そこに浮かび上がるのです。


意外に思いながらも「そうかな?」という目で見てみると。


・私の、人の内面と自分の内面に対する強い興味と関心は、
 明らかに父から受け継いだもの

・父の蔵書のおかげで、ユングやフロイトを始め、
 数多くの心理学の専門書に触れることができた

・高い教育を受けさせてくれた

・コーチングの勉強も、影になり日向になり、応援し続けてくれている


これをきっかけに、この歳になってやっと、心からの父への素直な感謝がこみ上げてきました。

私は父から、応援され、支えられてきた。

もしかしたら、私は父から愛されてきたのかもしれない。



そしてこの土曜日、家族での食事のあと、私は父の自室まで父を追いかけていきました。



そして、感謝の気持ちを伝えました。

父ははっきりと「よくがんばってると誇りに思う」と言ってくれました。

ブログも読んでいる、と(驚!)

とても自慢に思っていると。

応援してる、と。



パパ、この日記も読んでますか?

私はずっと、あなたを恨んできました。

愛されてこなかったと思っていました。

私なんか、生まれてこなければ良かったんだと思っていました。



この歳になって、やっと、素直に事実が見えます。

私はずっと応援され、支えられてきた。

私は生まれてきても良かったんですよね(;;)



父と話したあと、母にその感動を伝えにいきました。

母ともまた、いろいろ話しました。

母と話しながら、泣けて泣けて仕方ありませんでした。

母もまた、こんなに私を応援してくれている。



父と母が私にしてくれたこと、そしてこれからもしてくれることは

私は両親に直接返せないかもしれない。


でも、必ず、社会には還元していきます。


そして、もちろん、私の二人の息子にも。



二人から受けとったペイフォワードは、必ず前へ前へと回していきます。

私は社会に貢献していきます!



対人恐怖症との最後の闘いが、無事終わったように感じています(^^)

「私が、生まれてきてもよかったのならば。

もっともっと社会のお役に立っていきたい。」

「私がここに居てもいいならば。

私はもっともっと活躍していきたい。

存在を生かし続け、輝かし続けていたい。」


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2007年07月01日

父の病気(2006年6月27日(火)の日記より)

父を思い出すとき、必ず浮かんでくる光景があります。

冬の抜けるような青空をバックに、坂道を片手を挙げて駆け下りてくる姿。

そして、それを見てひどく安堵している、幼い私と姉の姿。




   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




あれは、私が4〜5歳、姉が6〜7歳の頃ではないでしょうか。

父に連れられて、列車に乗って父の仕事場へ行きました。

理由は、なんだったんでしょう?

父は自分の職場を見せたかったのでしょうか。


途中、どこかの駅で、父がホームに降りました。

駅弁か缶ジュースでも買いに行ったんでしたっけ。


・・・で。


戻ってくるのが間に合わず、列車は父をホームに残して、発車(^^;

幼い私たち姉妹は、子どもだけで、車内に残されました。



・・・呆然。


しばらく顔を見合わせていた私たちですが、車掌さんを呼び止めて、

事情をつたない口調で説明し、私たちは次の駅で降ろされました。

戸外の風が吹き込む寒い駅員詰め所で、丸い石油ストーブのそばに座らされ、

熱いお茶を手渡されました。

心細い思いで、熱いお茶をふーふー吹きながらすすっていたら。



冬の抜けるような青空をバックに、父の姿が。

ホームのある方向から、片手を挙げて、走って駆け下りてくる父の姿。

その父の姿を見て、私たちがどれほど深く安堵したことか。


「パパがちゃんと私たちを迎えに来てくれた(;;)」




  .。.・:*: ☆ .:*:・:'




不和だった家庭、あまり家に寄りつかず、たまに家に居るときは

いつも不機嫌だった父。

その父との、数少ない心温まる思い出なのです。

そして、あまり強くない絆、あまりしっかりとはしていない信頼関係の、

数少ない補強材料。



「でも、最後にはちゃんと迎えに来てくれる。あの時のように。」

「決して本当には私たちを見捨てはしない。あの時のように。」




   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




父に、病気が見つかりました。

生死に関わるような病名です。


親って、居なくならない、と、どこかでたかをくくっていたように思います。

いくら、わがままを言おうと困らせようと、私を置いていかないと。

あのとき、走って戻ってきてくれたように。



決して、私を置き去りにしては去っていかないのだ、と。

いつまでも、影になり日向になり、見守ってくれるもんだ、と。

あのとき、走って戻ってきてくれたように。





   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




手術は来週だそうです。



実家から遠く離れた土地に住んでいる私にできることは、

祈ることだけです。



手術の日程が決まったら、一緒に祈ってくださいますか。




  .。.・:*: ☆ .:*:・:'




涙の父娘和解からわずか数週間。

私から父へ、感謝を伝え、父から私へ「誇りに思う」という言葉をもらってから

わずか数週間で。

いきなりの病気発覚。


まるでドラマです(;;)

まるで、安っぽい通俗なドラマみたい。



でも、病気発覚の前に、感謝の言葉を伝えられたのは、せめてもの慰めです・・・



あのとき、ハグしておけば良かったよ、パパ。
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2007年05月31日

インナーチャイルドとバーストラウマ(2006.814の日記より)

昨日、ひとりブリージングをしてました〜。



ここのところ、怒濤の学びに襲われていて。

かなり混乱していて。

先日、とうとうブルーウィンズの真美さんのところへ、

助けを求めて行ってきたところなんです。




で、はっきりしたこと。

私が苦しんだり揺らいだりしている根っこは一つ。

傷ついたインナーチャイルド。


真美さんの誘導でライトブリージングをし、

幼い頃、母に甘えることをあきらめてしまった感覚を思い出し、

号泣してきました。


たくさんの子ども、祖父母とも同居で多忙な母、

不幸な結婚生活で消耗しきった母。


どちらかと言えば私が母のカウンセラー役を果たしていたくらいです。

とても甘えられませんでした。



幼い頃に母親との幸福な一体感、絶対的な安心感を得られなかった。

そこを求めることを、

「無理だ」「不可能だ」「仕方がないんだ」とあきらめ、封印してきた。



そこが、私の根強い寂しさの元になっているようです。



「温もり」も「一体感」も「安心感」も、

この世では決して得られないのだ、と幼い頃にあきらめてしまった。


どんなに欲しくても、どんなに渇望しても、

決して決して手にはいることがないのだ、と。


「一体感を伴う安心感」や、

「愛し愛されているという確信と温もり」などを、

私は絶望と共に、自分に禁じてしまった。


 ※最初にこの「あきらめ」と「封印」に気づいたのは、
  旭川波動ワークショップだったのですが。
  またその話も書きたい!



その寂しさと諦念に焦点を当て、いっぱい泣いて来ました。

本当は、あきらめなくてもいいんですよね。

本当は既に手にしている。

だって、私には愛する夫と子ども達がいる。

この理不尽なあきらめを手放し、

私は既に満たされていることを受け入れます!



でも、まだ親玉が出てないね、って

セッションが終わってから真美さんに言われちゃいました。


多分、バーストラウマが親玉だね、って。



私が母のお腹にいたとき、母は不幸でした。

色んな複雑な家庭の事情に、翻弄されている最中でした。

胎児の私が、その状況にとても胸を痛めて、

「生まれたくない」と強く願っていたことを、

以前、りり&ririさんのヒプノで思い出したことがあります。

「生まれたら、母に迷惑をかけることになってしまう」と。




そのときのトラウマを、しっかり癒せば、

すごくパワフルに力強くなれるのにね、と。

ちょっとやそっとじゃ揺らがなくなれるよ、と。



ぜひまた真美さんのブリージングを受けて、

しっかりと根っこから自分を癒したいのですが、

昨日、ぽかりと空いてしまった時間を利用して、

見よう見まねで「一人ブリージング」に挑戦していたのです(^^)


出てきたのは、

 
  「私は災厄じゃない!」


という強い悲しみでした。


私は、誕生を、「待ちこがれた良きもの」として、受け止められたかった(;;)

私は、喜びと共に、迎えられたかった。

私は「忌むべき災厄」なんかじゃなかった。

私は本来、「喜び」であり、「福音」であり、「祝福」であったはずなのに。

そんな“良きもの”“幸いなるもの”として、天から降りてきたはずだったのに。



私は不幸の象徴か?

私は負担と迷惑の権化か?

私はお荷物か?

私は厄介者か?



私は、大好きな母に、喜びと共に抱きとめられたかった!



一人で、ぽろぽろぽろぽろ泣きました。

  「私は災厄なんかじゃなかったのに! 

   私は喜びだったはずなのに!」

と一人つぶやきながら、泣いていました。




私は、「恋愛至上主義」なところがあります(^^;

ちょっと「恋愛依存症」っぽい傾向があるのです。

その理由が、少し見えた気がしました。



私は、求められたいんです。

私は、自分を待ち望み、強く求めてくれる人が、欲しい。

私を見たときに、パッと顔を輝かせてくれる人が欲しい。

私が電話した、メールした、と言っていちいち喜んでくれる人が欲しい。


私のことを、「待ちこがれた良きもの」と見なしてくれる人がほしい。

私のことを、喜びと共に迎えてくれる人。

私のことを、「喜び」、「福音」、「祝福」であるかのように扱ってくれる存在。



幸せな家庭を築いていても、

やっぱり恋愛初期のあの狂おしいほどの情熱が欲しくなります(^^;

「会いたい」と言われたい、「声が聞きたい」って言われたい。

恋愛初期の頃の熱烈に求められる体験をもう一度!って思ってしまう(^^;


そんな自分がすごく謎で、ちょっと恥ずかしかったんですけど、

その原因が少し見えました。


誕生を純粋に喜んでもらえなかった、という心の傷からの強迫行為なんだなあ、って。


待ち望まれたい。待ちこがれられたい。

私がここに来たことを情熱的に喜んで歓迎して欲しい。

その望みを、変形した形で、叶えようとしていたのですね。


ちょっと切ないです(;;)


気づいたからには、乗り越えるよ!

ネガティブな影響から、自由になりたい。

心底、そう望みます。


私は本来、「喜び」であり、「福音」であり、「祝福」です。

そんな“良きもの”“幸いなるもの”として、天から降りてきました。


そこに、なんの証明もいりません。

誰かから保証してもらわなくても、私の価値は揺らぎません。

それを認め、受け入れます。

強迫的な証明渇望を、手放します。
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2007年05月30日

無力で役に立たない自分を受け入れる(2006.11.3の日記より)

えっと、友人の凄腕セラピスト、あぜさんに、落ち込みの真っ只中にセッションを受けたのですが。

 ※あぜさんのHP
 セッションルーム愛と桃舎

セッションの中で、「動けない自分」「人に助けを求めずにいられない自分」に対する激しい自己嫌悪を、ひたすらじーっと見つめました。

この根強い自己嫌悪、自己否定はなに?

胸の奥から吹き出してくる声高な“NO!”は一体なに?


  「私は人に迷惑をかける存在だ。

   私は居るだけで、周囲に負担を掛けてしまう。

   生まれてきて、ごめんなさい。」


根深く私の胸の奥に巣くう罪悪感。自責の念。


私は、この世に生を受けたときに、全面的に歓迎してはもらえなかった。

(こちらで詳しく書いてます。「インナーチャイルドとバーストラウマ

待ちわびた祝福として、母に、歓びと共に抱きとめられたかったのに。


無力で、なんにもできず、全面的に世話を焼いてもらうしかない赤ん坊の自分。

弱々しくて、依存的で、どんなことも自分ではできず、泣き声をあげて助けを呼ぶしかない自分。

情けなく、みっともなく、はた迷惑。

お前のせいで、どれほどお母さんがしんどい思いをしているのか、わかっているのか?

自責の念。

罪悪感。



一生のうちに、一度でいいから、思う存分、依存を許されてみたい。

誰かに、安心して、全体重を預けて、甘えてみたい。

「無力で何もできなくても、泣いて助けを求めるだけでも、それでも存在を喜ばれている」と感じてみたい。

そう実感してみたい。



一生のうちに、一人くらい、「迷惑じゃないよ」って言ってくれる人が居てくれたら。

そうしたら、生きていけるのに。


  淋しい淋しい淋しい。


あぜさんの優しく穏やかな声で誘導されながら、ありありとその渇望を味わい、さめざめと、思う存分泣きました。




みっともなくて、ぶにょぶにょしていて、できそこないの芋虫のような、気持ち悪い存在。

それが、イメージの中の弱い自分でした。

  こんなものが、愛されるわけがない。

  誰も欲しがるわけがない。

まるで、ヒルコ(古事記に出てくる、イザナギとイザナミの最初の子ども。できそこないだから、って捨てられちゃう)。


その、ヒルコのような気持ち悪い弱い私が、身をよじって泣き叫んでいました。


誰か一人でいいから、私を受け入れてくれたら。

一生に一度でいいから、「迷惑じゃない」って言ってもらえたら。

ぶにょぶにょで弱々しくて無力で依存的な、そんなお前の面倒を見るのはむしろ喜びだ、と。

誰かひとりでいいからそう言ってくれたら。

嘘でもいいから。

そうしたら、生きていけるのに。



散々泣いてから、イメージの中で、左手にその弱い自分を乗せて見てみました。

「小さくて傷つきやすそうで柔らかそうで、くるんと丸まっていて・・・」

私が描写すると、あぜさんが、「まるで胎児のようですね」と言ってくれました。


  ああ、胎児なんだ・・・。

  赤ちゃんなんだ。

  急に愛しくなってきました



私「うーん、なんだか可愛いですね。」

あぜ「あれ?気持ち悪くってみっともなくて醜い存在なんじゃなかったの?」

私「いや、なかなか可愛いです^^。無力で弱々しい存在って、結構可愛いですよね。」

あぜ「そうだよね、そういう存在って可愛いよね。そう言ってあげようよ、可愛いよ、って。」

私「・・・はい、言ってあげました。喜んでますね・・・すごく喜んでます・・・」


胸がいっぱいになって、涙がにじんできました・・・

せめて、私だけでも、「可愛いよ」って、もっと早く言ってあげればよかった・・・


無力で、役に立たない存在である自分を、受け入れてないのは、私自身でした。

弱くて依存的な自分は、みっともなくて醜くて気持ち悪いと決め付けて否定していたのは、私自身でした。


弱々しくて傷つきやすい存在って、かえっていとおしい。



私は、私の弱さを、受け入れます。

抱きしめます。

なんて可愛い。



あのね、無力でも良かったんだよ。

迷惑なんかじゃ、なかったんだよ。

いのちって、生まれてくるって、そういうことなんだよ。

人は、助け合って、支えあう。そういう存在なんだよ。

だから、いっぱい甘えていいんだよ。

大好きだよw。

生まれてきてくれて、ありがとう>自分

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月20日

自分史:夫との出会い その1

いずれ書きたいなーと思っていた夫との出会いの話を、詳しく連載しちゃいますね!(照*^^*)

実話です(^^)

一切脚色なしです。



あれは私がまだ21歳の2月、大学の3年生になる春休み、韓国旅行中のことでした。

その旅で、私は、子どもの頃から思い描いていた通りの、まさに理想の男性と出会ってしまったのです・・・。

本来全く接点のない私と彼との人生が、ソウルという異国の地で、その安宿で、たった三日間だけ、重なったのですが・・・。


そんなご縁で結婚することもあるんですもんねーーー

人生って、わかりません・・・



えっと、海外への憧れが強く、「世界旅行研究会」というサークルに所属していた私は、1年生の時の香港・中国旅行、2年生の時のタイ・インド・ネパール旅行に次いで、その春休みに訪れる三回めの海外自由バックパック貧乏旅行の行き先として、韓国を選んだのです。

その頃、盧泰愚大統領への反発で治安が乱れ、デモ騒ぎが頻発したんですね、韓国は。

それを聞くと、冒険心がうずいてしまって(苦笑)

迷わず韓国を旅先に選びました。



そんな私ですので、治安の悪い地域をわざわざ訪ねた若者がテレビでバッシング受けているのを見ると、わがことのように感じてしまいます(^^;

若者は危険な経験がしたいものなんだ、と私は思います。

今、通過儀礼というイニシエーションを失ってしまった若者が、「死と再生」を疑似体験するためにバイクを飛ばしたり危険な海外にわざわざ行ったりするのはとても健全なことなんじゃないか、と思うのです・・・

それは時として、すさまじい迷惑を家族に、そして日本国に与えてしまう危険な行為ではあるのですが・・・。


色んな無茶をしてきた私が、特にこれといってひどいめにも遭わずここにこうしていられるのは、何か目に見えないものに守られてきたとしか思えないなあ、と改めて・・・

そして、21歳になったばかりの若さで、運命の人、赤い糸の相手とめぐり合えたというのもまた、大いなるもの(サムシンググレイト)の導き、見守りを感じずにはいられません・・・


私には、物心ついた頃から、「こんな人でなければ絶対に結婚しない」という明確なイメージがありました。

どんなイメージかというと・・・






 ・男女差別主義者ではない人。
  家事育児すべてを平等に分担してくれる人。

 ・頭がよくて博識でリベラルで、柔軟な発想のできる人。
  対話能力のある人。
  知的な面で、尊敬させてくれる人。

 ・大胆で実行力のある人。
  たとえばある日私が「あーあ、旅に行きたいな」と言ったとしたら、次の日荷造りして航空券用意して「ほら、行くぞ」と言うような、そんな人。

 ・生命力の強い人。サバイバル能力のある人。
  自分の手で家を建てたり、自分で井戸を掘って水を確保できたりするような、山から獲物をぶら下げて帰ってきたりできるような、そんな人。
  「大草原の小さな家のお父さん」のような、そんな人。

 ・職業は“ものを作る職人”希望。




私、両親が不仲な家庭で育ったので、結婚願望がなかったんです。

幼いときから母が、ため息をつきながら「結婚さえしていなければ」「独身のままでさえいれば」「子どもさえいなければ」と嘆くのを聞いて大きくなっていたので。

それに、TVや大人同士の会話で「結婚は人生の墓場」とか、面白おかしくちゃかして言ってますよね。

ああいうのを頭から信じてました。



結婚は人生の墓場だ、と。

結婚は不幸の始まりだ、と。

結婚なんかしたら、人生は終わってしまう、と。




幼稚園の頃から「私は結婚しない」と断言していたのを自分でもよく覚えていますし、親戚の叔父さんおばさんや幼馴染のお母さんなどと会う機会があると今でもよく言われます。

「たまちゃんがまさか結婚するとは思ってもみなかった^^;」

「あんたはずっと独身を通すんやと思ってた」

と・・・(^^;



小学校3、4年の時、なんの授業だったか、「結婚、と言う言葉から連想する言葉を言いなさい」と、順番に全員が指されたことがあります。


「幸せ」とか「ウェディングドレス」とか「家庭」とかそんな言葉が続く中、私ひとりが「離婚」と答えました(爆)



そんな私でしたから、「こんな人ならば結婚してやってもいい」(←偉そう^^;)という条件はことのほか厳しかったのです。



妥協なんかする気はさらさらない。

妥協するぐらいならば、結婚自体をしない。

妥協してまで結婚する価値なんて、いったいどこにあるのか?




そして、結婚後の生活スタイルにまで、厳しい注文は及ぶのでした。

その注文とは・・・


その2へ
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 01:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 夫との出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分史:夫との出会い その2

その注文とは

・北海道で広い土地を買って暮らす

・家はダンナ様手作り

・馬も飼う

・ダンナ様は在宅で職人業に従事。子どもに働いている姿を日々見せる。

・家事育児はもちろん平等に分担。



親にこの私のビジョンを話すと、「アホ!職人いうのは昔かたぎなもんや。家事育児をやってくれるような人がおるかいな!」と一笑にふされました(^^;

それならそれで、結婚なんてしないまでよ、と思っていた私でした。


高校生くらいのとき、さすがに異性が気になり、恋に憧れるようになりました・・・そして、その時始めて、「もしかして、結婚って、“好きな人”とずっと一緒に居れるってことなの?!」と気づきました(遅いって^^;)。


それまで「人生の墓場」にしか見えなかった結婚が、はじめて夢のあるものに見えた瞬間でした・・・。


その頃、自分がひどい淋しがりやであることにも気づき、「籍を入れるにしても入れないにしても、誰かと一緒に暮らしたいな」と思い始めました・・・。


大学入学直後のGWに、初めてのBFができました。

とっても優しい人で、この人のおかげで親元を離れての下宿生活にスムーズに慣れることができました。

でも、どこか物足りなかった。

「私の探しているのはこの人ではない」

交際二年目くらいから、私から別れ話を持ち出しては、結局寂しさに耐えられずまたよりを戻す、ということを繰り返すようになりました。


そんな中、“その1”に書いた“韓国バックパック貧乏一人旅”に旅立ったのです。


2月の韓国はとても寒く、空もいつも灰色で、時々雪が舞いました。

底抜けに明るかったタイやネパールの旅行と違い、一人旅の気分も滅入りがちでした・・・。


自然と、「地球の歩き方」を目印に、同じような貧乏旅行の日本人と馬鹿話に興じるのが重要な楽しみになりました。


その度に聞く色んな人から聞く、「もう謎の金髪の日本人には遭った?」という話題。



日本人離れした金髪らしい。

言動もすごく“謎”らしい。

今、韓国のあちこちに出没しているらしい・・・。





そんなある日、ソウルの有名な安宿で、私が泊まっていた「女子部屋」の戸を開けると、中庭に、ド金髪をおかっぱにした、背の高い男性がアルカイックスマイルを浮かべて座っていました。

目があったので会釈をすると、返してくれました・・・


「これが噂の“謎の金髪の日本人”さん?!

 とうとう遭っちゃった!」


そのときの私には、まさかその後、その謎の日本人と結婚することになろうとは、夢にも・・・・



☆ ☆ ☆




当時泊まっていたソウルの有名な安宿。
確か名前は大宇旅館だったような気が・・・。

ドミトリーがいくつかあって、そのうちのひとつが女の子部屋。

ほんの、三畳くらいの狭い部屋に、二組の布団。

布団のサイズが、ひとつはシングルなんだけど、ひとつはダブルサイズ。

で、定員が三名。






・・・つまり、ダブルの布団で二人で寝ろ、という意味です(^^;


たとえ、自分の連れでなくても。



つまり、ある朝目が覚めてみたら、同じ布団で、見ず知らずのおばさんが寝ている、ということです(爆)



実際、二日目の朝、目が覚めてみたら、私の隣で、同じ布団にくるまって、白人の年配の女性がすやすや眠ってました(笑)

なかなか新鮮な経験でした・・・




で、その女の子部屋の戸を開けてすぐが、中庭。

大きなテーブルが置いてあり、それを囲んで椅子がたくさん。

ワンコインを箱に入れれば、セルフサービスでインスタントコーヒーやティーバックの紅茶などを自由に飲めるようになっています。


いつも、貧乏旅行者がたくさんたむろして(なぜか日本人が中心でした)、自分の旅の貧乏自慢や危険自慢、不潔自慢などをしていました(爆)。



その旅館があまりに居心地よくって、ついつい10日間ほども滞在してしまった私ですが(たとえ布団が共用でも!)、その中庭で聞いた「謎の金髪の日本人」の武勇伝の数々。

次々に来ては去っていく旅人の多くが、「彼」について語るのです。


不思議な髪の色、不思議な髪型、不思議な風貌。
全てにおいて日本人離れしている、とか。

旅館に部屋を取っておきながら、数日間帰ってこない、とか。

観光地に数日間滞在していながら、全然観光地めぐりをしていない、一体なにをしているのか、とか。



なんせ風貌が目立つので、

「もう謎の金髪の日本人と遭遇した?」

「え?金髪の日本人?・・・ああ、見た見た!あの背の高い人でしょう?」


とか、

「まだ見てないけど、噂を聞いてる〜。不思議な人なんだって?」

とか、とにかくいいネタになっていました(^^)



私も「ええーーー、そんな人がいるのーーー?!一度お会いしてみたい!」と好奇心の塊になっていました♪



そして、その運命の日に、女の子部屋の戸を開けた向こうに座っていた金髪の青年は、噂どおりの神秘的なアルカイックスマイルを浮かべていたのでした。

180cmの長身に、モコモコのダウンジャケットを着ているせいで、妙に体格よく見えました。

ダウンジャケットと長身と金髪の取り合わせのせいで、妙にアメリカ人チックに見え、ほんと日本人離れした不思議な風貌でした・・・




彼は、当時、九州の家具工房を辞めたところでした。
次は北海道の職業訓練校に建築の勉強をするために行くことが決まっていました。


北海道への引越しの前に、工芸品などに触れるために、韓国・台湾の旅をしていたそうです。

ソウルのその安宿には、三日間だけの滞在でした。


私は当時、東京で学生生活。


本来全く接点のない私と彼との人生が、ソウルという異国の地で、その安宿で、たった三日間だけ、重なりました・・・

その3

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 01:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 夫との出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分史:夫との出会い その3

本来全く接点のない私と彼との人生が、ソウルという異国の地で、その安宿で、たった三日間だけ、重なりました。


一日目。

目が合ったので会釈しただけ。
中庭のテーブルで同席したが、お互いが言葉を交わす機会はなし。

口数が少なくて控えめな、ニコニコした人だなあ、というのが印象でした。

自分の「貧乏旅行自慢」を口角泡を飛ばして話す「俺が俺が」タイプの強烈な旅行者が多い中、「俺が俺が」と自己主張しなくても存在感があるところに好感を持ちました・・・。

無口にニコニコしているだけで、すごい存在感でしたから・・・(^^;



二日目。

一人でソウルの街をうろうろしていると、突然「どこ行くの」と日本語で声を掛けられてびっくり!
“謎の金髪の日本人”さんでした。

はじめてのちゃんとした会話でした。

「私のこと覚えててくれたんだ」と意外に思いました(^^)
ろくに言葉も交わしてませんでしたから・・・。

私はただ自分の行き先を言い、彼は「あさってから台湾へ行くので航空券を取りに来たんだ」と言いました。

その時はそれだけ・・・。
たった30秒ほどの会話のあと、「じゃ!」と別れました。


その夜、また中庭でたむろってました。

私はその滞在中にすっかり仲良くなった数人の仲間とおしゃべり。

明日どうするの、という話になりました。

「私は板門店ツアー。」

私が言うと、近くで他の人と話していた“謎の金髪の日本人”さんが「あ、俺も明日は板門店。」



北朝鮮との国境、板門店には、一般人は自由に入れません。

観光客のために「板門店ツアー」というものがあり、行って見たい人はそれに参加することになります。

その安宿にたむろしている旅行者が次々に板門店ツアーに参加しては、ものものしい警備の緊張感あふれる国境地帯の雰囲気を語るのを聞いていると、自由旅行好きでパックツアーをどこか馬鹿にしていた私も、板門店ツアーにだけは行きたくなってしまったのです。


板門店ツアーは毎日行われています。のんきな自由旅行の身、参加はいつでもよかった。

たまたま、申し込んだ日が、、“謎の金髪の日本人”さんと同じでした。

そして、その安宿たむろ仲間からは、その日参加するのが私と彼だけでした。

自然に、「じゃあ一緒に行きましょう」という話になりました。



これが、運命の分かれ道ですよね。

「板門店ツアー」の次の日、彼は台湾へと発って行ってしまいますから。

「板門店ツアー」に参加する日が、お互い一日でもずれていたら、今私はここでこんな生活はしていないでしょう(^^)

また、その安宿たむろ仲間の中で、同じ日に参加する人が他にもいたら、私は既に仲良くなっていたそっちの人とばかり話していたかもしれません・・・。

本当に、運命は不思議です・・・。



ちなみに、そのときはまだ、彼のことをなんとも思っていませんでした。

私は自分のことを「変な人クレクター」と自称しているのですが(笑)、風変わりな人や変人奇人と呼ばれるような人には好奇心がうずき、もっと知りたくなってしまうところがあります。

彼に対してもその辺の好奇心はうずいてました。

でも、異性に対する「ちょっといいな」というようなものは、そのときは全然ありませんでした。


だって、ド金髪をおかっぱにしてるんですよ!

180cmの長身に、モコモコのダウンジャケットを着ているせいで、すごくガタイよく見えるんです(本当はガリガリ君でしたが^^;)!

そんな男性が、おかっぱ頭・・・

面長で、アゴと首のがっしりした、青池保子が描く「エロイカより愛をこめて」の登場人物のような輪郭をしているんですよ(輪郭だけね)。

そんな男性が、おかっぱ頭・・・。

申しわけないですが、「かっこいい」という言葉からは・・・かなり縁遠かったです(苦笑)。


感じのいい人だとは思っていましたが。



そして一晩明けて、運命が大きく動く板門店ツアーの日がやってまいりました。

しかし、私はなんと寝坊をしてしまったのです・・・




☆ ☆ ☆




ツアーの集合時間に間に合うように約束していた時間をいくらか過ぎて、私は身支度もほどほどに部屋を飛び出しました。

待ちかねていたらしい「金髪の日本人」さん。

私を見るなり「行くぞ!」。

集合場所まで一目散にスタスタ。



その途中、急いでいるはずなのに、突然雑貨屋さんに立ち寄る彼。

どうしたのかなと見ていると、黙って菓子パンを一袋買いました。

お腹空いてるのね、この人も朝ごはん食べてないのかな、と思っていると、お店から出てきた彼は黙ってそのパンを袋ごと私に差し出しました。

そしてまた無言でダッシュ。




そうです、朝ごはんを食べる時間のなかった私のためだけに、菓子パンを買ってくれたのです(;;)



ほとんど、見ず知らずの他人に近い状態の私のために・・・。


「食べる?」とか聞かないで、黙って買って黙って手渡す無口さが男らしい・・・


と、その時最初に「じーーーーん」ときました(^^;



  (その後、同じ行動が

  「なんで私の気持ちを聞かないの?」

  「なんで、勝手に憶測で判断するの?」と

  何度も何度もケンカの原因となるとは

  そのときは知るよしもなかったのでした。。。爆;)



そしてまた、「時間は守らなければならない」と思っているらしい態度に好感を持ちました。

外見や旅のスタイルは、充分すぎるほどアナーキーで自由人なわけですよ、彼は。

その彼が、「約束の時間は守らなければ」という価値観を大切にしているらしい。



バランス感覚を感じました。

メリハリを。

社会常識に縛られるのでもなく、無責任や非常識やだらしなさに走るのではない。

自分の行動を自分なりの美学で選択しているんだろうな、と思いました。



人には迷惑をかけない。

信頼関係は守る。


  でも、人に迷惑をかけず自分の良心に恥じないならば、

  “人からどう思われるか”とか

  “普通みんなどうしてるか”、などには

  縛られるつもりは毛頭ない。



その哲学を感じ、またじーーーーーんとしました。





それから、遅刻した私に気分を害している様子が見えないところも。

それどころか、パンを買ってくれたり、さりげなく気遣ってくれるわけです。

「優しい・・・」



またまた、じーーーーーん。




朝から私の中の彼の点数が急上昇。


そんな好印象で、半日コースの板門店ツアーに出発しました。

ツアー会社の観光バスで、一路板門店に向かいます。

ツアー参加者は20人とか30人規模だったのではないでしょうか。

その中、同じ宿から一緒に参加した「金髪の日本人さん」と自然とペアで行動しました。

まあ、いわばいきなりデートをしたのに近い状況ですよね。

バスの中など、ゆっくりと二人で会話する時間がたっぷりありました。


  そして、

  彼が5年間の手作り家具工房での修行を終えたばかりであること、

  次は建築の勉強をするために北海道の職業訓練校に行くことが決まっていること、

  将来は北海道で家具工房を開きたいこと、

  その自宅兼工房を自分の手で建てたいこと、などを聞くことができました・・・



「理想の男性と出会ってしまった!!!」

もう口あんぐり状態です(爆)

完全に目はハートです(自爆!)




私には、物心ついた頃から、「こんな人でなければ絶対に結婚しない」という明確なイメージがあったことを書きました。


 ・男女差別主義者ではない人。

 ・頭がよくて博識でリベラルで、柔軟な発想のできる人。

 ・大胆で実行力のある人。

 ・自分の手で家を建てたりできる「大草原の小さな家のお父さん」のような人。

 ・職業は“ものを作る職人”希望。




そして、結婚後の生活スタイルにも、明確なイメージがありました。


・北海道で広い土地を買って暮らす

・家はダンナ様手作り

・馬も飼う

・ダンナ様は在宅で職人業に従事。子どもに働いている姿を日々見せる。

・家事育児はもちろん平等に分担。




これらの条件を、完全に満たす人と、出会っちゃったよーーーー!!!!


話してて伝わってくるリベラルさ。

「男だから女だからと決め付けるのは好きではない」とサラリと言ってのけてくれます。

  「僕は家が洋食屋で、家業を手伝っていたので料理くらい幾らでも作れる。

  食事なんて、作れる方が作ればいいんや。

  僕は奥さんが望むんやったら専業主夫でも全然かまへん。」



話せば話すほど、私が思い描いていたものとぴったり一致するのです。

北海道に、できれば広い土地を買って、馬や山羊やニワトリなどを飼いたい、とか。




話は弾み、とても楽しく、あっというまに半日間の板門店ツアーは終わり、ソウルに帰ってきました。

ツアーは解散です。




「この後どうするの?」と尋ねると、彼は「骨董品街に行ってみたい」と言います。

私は思い切って・・・



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posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 夫との出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分史:夫との出会い その4

子どもの頃から思い描いていた通りの、まさに理想の男性と出会ってしまった・・・。

本来全く接点のない私と彼との人生が、ソウルという異国の地で、その安宿で、たった三日間だけ、重なりました。

その最終日、彼こそがまさに私がずっと探していた人だ、という確信をもちました。


でも、明日から彼は台湾。

一緒に居られるのは今日だけ。

しかも日本に帰国してからも、私は東京、彼は北海道。



無理だと思いました(^^;

いくら私が盛り上がろうと、無理なもんは無理だ、と。

出会ったものの、「こんな人もいるんだー」という感慨だけを私に残して、私の人生からは去って行ってしまうんだろうな、と。



半日コースの板門店ツアーが終わろうとする頃、「この後どうするの?」と彼に尋ねました。

「骨董品街に行ってみようかと思って」という返事に、私は思い切って「一緒に行こうかな」と言ってみました。

恐る恐る・・・。

ちょっとでも迷惑そうだったら即効撤回するつもりでした(^^;

ほんと、当時は対人恐怖症が一番きつかった頃でしたから。



それを考えると、出会ったのが旅先だったのはものすごい幸運でした。

旅先で出会う人に対しては自分を表現できたので。

私の場合、「これからも付き合わなければいけない人間関係」が一番苦手でした。

過去生の記憶のせいかなにかわかりませんが(^^;、

とにかく「これからも**ヶ月間付き合いがある」と思ったとたん、身体がこわばり、心臓がバクバク、冷や汗たらり、声が出ない、笑顔なんて作れない、という状態になってしまってました、当時。

でも、それが旅先だと、とても開放感を感じることができました。

本当の自分を出しても大丈夫、と思えました。

旅先では、初対面だろうがなんだろうがニコニコしながら心を開いて対話ができました。

今の私に近い感じですね。

土地の人とも、言葉が通じなくても楽しく交流ができました。

片言の韓国語を話すととても喜んでくれるのが嬉しくて・・・。



後から彼に聞くと、私がとても社交的で人見知りしない明るい子に見えたそうです。

一人旅のはずなのに、たくさん友達を作っててすごいな、って見えていたとか。


いやあ、ほんと、旅先で出会っていてよかったです。



旅先だからこそ、恐る恐るでも、私から「一緒に行こうかな」なんて言えたんでしょうね。

彼は喜んで快諾してくれ、午後も一緒にソウルの骨董品街をブラブラすることになりました。

(後から聞くと、私のことなーーんとも思ってなかったそうですが^^;。とりあえず若い女の子だったので、ちょっとときめいたそうですが、それだけだったそうです・・・悔しい!)


そこでまた私は彼に惚れ直します(*^^*)

だって、骨董品屋さんに並んでいるタンスや小卓を見て、「これはケヤキや」とか、「これはムクの一枚板や」とか、ひとめでわかるんですよ!?

「これは合板や」とか。

で、その見分け方とか、価値とかを教えてくれます。

そういう職人の世界に憧れていたけれども、今まで身近にそういう人が居なかった私は、またまた目がハートに・・・。


すごい人と知り合ってしまった、と・・・。

こんな人を探していたんだ、と・・・。



明日の朝この人は韓国を発っていってしまう。

でもそれまでになんとか縁をつながなくては。

つきあうのは無理でも、知り合いとして、友達として、手紙をやりとりしたり、なんらかの形でつながりたい!


そのためには・・・




☆ ☆ ☆



そのためには、住所交換をするしかない!


当時、まだ携帯電話もないし、パソコンでのメールもまだなかったんですね。

やっと留守番電話が普及し始めた頃でした(歳がばれますね)。


なんとか、つながりを保ちたいならば、住所を教えてもらって、手紙を書くしかない。

でも、なんて言って住所を聞こう?

女性から男性にこういうこと聞くのって、とっても勇気が要りますよね。


でも、いい口実がひとつありました。

午前中の板門店ツアーで、彼が何枚か私の写真を撮ってくれていたのです。

「写真、私の住所を教えたら送ってもらえる?」

と話しかけました。


そして自然な感じで住所交換完了!!

やったーーー。




次の朝早く、私がまだ寝ているうちに、彼は次の目的地、台湾に向けて旅立って行きました・・・。





私の中で、“謎の金髪の日本人”さんは、伝説となりました・・・。

その後、旅先で出会って親しくなる人ごとに、「こんな人と出会っちゃった」と熱く語り続けました(笑)。

「まさに理想の男性像にぴったりなのよ!」と(笑)

相手にとってはいい迷惑だったことでしょう(^^;



でも、それを聞かされた誰が、その後私がその「理想の男性」と結婚することになると思ったでしょうか。

付き合えるとさえ、私自身も思ってもいませんでした。



当時北海道に住んでいた彼と、東京で学生生活中の私が、その距離の壁を超えてつきあうことになったきっかけは・・・


その5へ
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 01:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 夫との出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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