こちらではこんなコラムが読めます。

 ・いじめられっ子からの乗り越えストーリー  ・ネガティブを抱えて生きる象徴「キノコ荘物語」

 ・私のコーチングに対する想い/私のコーチングスタイルの特長など

 ・インナーチャイルドの癒しの旅  ・自分史:夫との出会い  ・魂に響く絵本・児童文学  ・自分史:占い師への道  ・過去生の記憶(魔女狩りの記憶 他)  ・私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)  ・おすすめセラピー・ワークショップ・講座など  ・私の年表

 ・怒りや憎しみなど、ネガティブな感情と向き合い乗り越える

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2009年03月21日

【愛されたものはほのかな光をまとう。「おじいちゃんは水のにおいがした」】魂に響く絵本・児童文学

優れた絵本、児童文学は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。


 ☆読者の方限定 秘密パスワード公開! 

              詳しくは巻末をご覧下さい♪




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 ☆今号は写真絵本です(^^)



魂に響く絵本・児童文学


2009.3.19 第23号
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『おじいちゃんは水のにおいがした』
今森 光彦 写真・文、偕成社(対象年齢:読んであげるなら小学校初級から)
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  〜 あらすじ 〜

 『山々にかこまれた大きな湖、琵琶湖。

 水辺のまわりには、田んぼがひろがり、家々があつまっています。

 そんな湖のほとりで、ぼくは、ひとりの漁師と出会いました。



 おじいちゃんの年は80才をこえています。

 ぼくは、このおじいちゃんに会ったとき、とてもうれしくなりました。

 なぜかといえば、おじいちゃんの体から、水のにおいがしてきたからです。』
 
                        (本書の冒頭より抜粋引用)



琵琶湖のほとりで毎日漁をして暮らす漁師、三五郎さんの日常風景が、

美しい写真の数々で切り取られている。



ほんの数百メートルの漁場を、「これだけあれば十分」という三五郎さん。

売るためではなく、自分の家族が食べる分だけの魚を捕る三五郎さん。



三五郎さんの乗る、大正時代に作られた小さな木船。

それを大切に大切に修理し手入れする、三五郎さんの姿。

川の表面に広がる藻を掃除する三五郎さん。



わき水を生活に利用している町並み。

わき水を、自然のシステムの中で他の生物と共有している生活スタイル。

冬の大切な行事として、"たなかみさま"にお供えものをして手を合わせる
三五郎さんの姿。



琵琶湖岸に広がるヨシ原の手入れの風景。




 『漁師、田中三五郎さんが、私に教えてくれたことは

 "水の中には、生命が流れている"ということです。

 それは、琵琶湖に住む人ならだれでもが抱いていた

 「水の哲学」です。そうした水への関心が、魚や水鳥

 たちにとってゆりかごともいえるヨシ原も守らせてき

 たのだと思います。

  美しい水辺が、そして、三五郎さんの想いが、これ

 からも受け継がれていきますように・・・。』(本書後書きより抜粋引用)




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衝撃的なまでに美しい写真の数々。


 ※こちらで、一部の写真が見れます。

 ぜひ、クリックして、ながめてみてください。
 http://www.kaiseisha.co.jp/newbook/new061.html




水面に映える日の光の美しさ。


川面を滑るように行く木船の姿のうつくしさ。


その木船をあやつるおじいさんの たたずまいのうつくしさ。


雑草と木々の間にかいま見える、たゆたう川面のうつくしさ。


丁寧に手入れされた網などの素朴な漁具のうつくしさ。


家々の間を流れる川で、おばあさんが野菜を洗ってる。

  そんな景色の 胸をきゅんと打つうつくしさ。


使い込まれた古い台所の、玄関のタタキの、立てかけられたよしずの、

  すがすがしいまでの うつくしさ。




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  これらの風景は、これらの写真は なぜここまでうつくしいのでしょう。

  考え込んだ結果、

  ひとつの答えに行き着きました。

  「そこに愛があるから」ではないか、と。




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愛されたものは、ほのかな光をまといますよね。

それが人であれ、動物であれ、植物であれ、土地であれ、無機物であれ。



【たとえば】

◎愛されている子どもは、愛されているオーラみたいなものをまとってますし、
幸せな家族が住んでいる家は、幸せ色の空気感をまとっています。

逆に言うと、空き家は、一目見てわかりますよね。
まとっている雰囲気がすさんでいるから。



◎私の義兄は、モノを大切に可愛がって使う人ですが、
義兄からもらうお古のパソコン、使わなくなった軽自動車、すべて「この子達は
可愛がられて大切にされてきたんだなー」って触れるだけで伝わってくるものが
ありました。


◎レイキを車に当てると、故障が少なくなり燃費が良くなり、そしてまた駐車違反を
取られにくくなる、と私にレイキを伝授してくれた師匠は言っていました。

レイキも「愛のエネルギー」の一種ですよね。



◎そしてまた、愛されたものは、「侵しがたい」ムードをまとう。

自己愛がしっかりしていて自己肯定感のしっかりしている人は、
イジメなどに遭いにくいと思うのですが、
これまた「愛されている光」をまとっている効果のおかげもあるかと思います。



◎どこかで読んだ話ですが、第二次世界大戦後のドイツで、
同じだけの食糧を配給している二つの公立の孤児院での体格差が
問題になったことがあったそうです。

片方の孤児院の子ども達の体格が、有意に優れている。

食糧配給量が同じなのにおかしい、何か不正でも行われているのでは、と調査したところ、
体格が良かった方の孤児院の院長が優しくて愛にあふれた人で、
体格の悪い方の孤児院の院長は厳しくて冷たい人だったそうです。

それ以外にその二つの孤児院に差がなかった。
食糧の横流しなどの不正も行われていなかった。

しかし、院長の人柄で子ども達の発育まで変わってくるのだろうか、と、
確認のために双方の孤児院の院長を取り替えてみたそうです。

そしたら、その結果、温かい人柄の院長が来た孤児院の子ども達の発育が良くなり、
厳しい院長が来た孤児院の子ども達の健康状態は悪くなったそうです。

「ビタミン愛」は本当にある、ということが確認された実験でした・・・。

つまり、愛されているものは、発育や健康状態が良くなるのです。


◎植物に歌を歌ってやると実がたくさん付く、とか、
田んぼに挨拶してやると収穫量が増える、とか、
よく聞く話ですよね。


◎私の住む村は緑の多い自然の豊かなところですが、
ただ放置されただけの山、林も多いところです。
繁り放題に繁った笹やイタドリに囲まれ、容易には近づけない林が、
延々と続いています。

その木々は、全然幸せそうに見えない。
人間に侵害されずに自然林でいられているのだから幸せでもいいはずなのですが、
まったく幸せそうじゃない。
どちらかといえば、すさんでいる。

うち捨てられてかえりみられていないものがまとう空気、
たとえば空き家がまとっているすさんだ空気と同種のものを感じるのです。


◎一方、たまに札幌に出かけ、北海道神宮の森や北大の構内の木々を見ると、
幸せそうに見えるのです。

豊かで満たされて見える。
愛されているもののまとう光をまとって見えるのです。
手入れされ、愛でられているものの輝きを感じるのです。





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以上の根拠から、

私は人間の存在価値は「愛すること」にあるのではないか、と思うに至りました。




人間は、本当に「地球のガン細胞」だろうか、と。

本当に、環境を破壊するだけの存在だろうか、と。



人間だって、大自然の一部。

神の創造物のひとつ。

大自然に、ムダなモノなんてひとつもないはず。

神の造られたものに、ムダなものなんて 一つもないはず。


「では人類は地球環境の中でどんな役割を果たすために生まれてきたのか」と考えたとき、

人類は、愛するために生まれてきたのではないか、と思い至ったのです。

人間は、周囲を愛することで、地球に、環境に、貢献するのではなないか、と。




大自然の存在の中で、人間は突出して「愛することが得意な種」だと思うのです。



  違う種のことまで愛しかわいがり手入れをし世話をすることのできる、

  希有な存在だと。



  人間は、その知性、その想像力、その器用な手先を使って、

  周囲を愛し世話をし手入れをすることを担って生まれてきていると思うのです。






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愛することは、光をまとわせること。



内側から満たし、免疫力を上げ、健康にし、

外側に結界を張り、侵入者を防ぐバリアとなる、

そんな温かい柔らかな光で覆うこと。



三五郎さんと、その周囲の人々が

川と琵琶湖に

その街並みに

その家々に

どのような光をまとわせたか。


どのように手入れし、世話をし、可愛がることで

どのように内側から満たし健康にしていったか


リアルに見ることのできる絵本。





ぜひ、手にとって見てください。

そこに、希望が見えることと思います。


人間が地球に為すべき事がわかると思います。

私たちが地域にするべきこと。

私たちが周囲の身近な人々にするべきことがわかると思います。



   ★それは、「愛でること」。


子どもにすることも、地域を流れる川に対してすることも、一緒。

人に対してすることも、持ち物に対してすることも、

地域に生えている植物に対してすることも、一緒。


「いのち」への畏敬の念をこめながら

         愛し、手入れし、可愛がること。


         愛の光を送ってあげること。




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『おじいちゃんは水のにおいがした』
今森 光彦 写真・文、偕成社(対象年齢:読んであげるなら小学校初級から)




この写真絵本が現代の日本で撮影されたことは、大きな希望。

このような暮らしをしている人がまだ居ること。

このような風景がまだ残っていること。

このような生活哲学がまだ息づいていること。

このように、

敬虔で大自然に対する畏怖の念に基づいて生きている人々が

まだいること。


それも、北海道の片隅で、とか沖縄の離島で、ではなく、

大阪からほど近い琵琶湖にまだあることは、

おおきな希望の光。




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廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録




posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 06:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

『ようこそ、おまけの時間に』

優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。





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 ☆今号も絵本ではなく、児童書です。

 それなりの厚さと長さのある、"本"です。


 やっぱりストーリーもしっかりしていて、読み応えがありますね。



 絵本には絵本にしかない良さがありますが、

 "本"には"本"ゆえの良さがあります。


 私はストーリー重視派なので、やはり児童文学が、児童書が好きです(^^)



メルマガ「魂に響く絵本・児童文学」

2008.10.31 第22号
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『ようこそ、おまけの時間に』
岡田 淳 作、偕成社(対象年齢:小学校上級から)
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  〜 あらすじ 〜

小6の賢はある日から毎日連続して同じ夢の続きを見るようになる。

四時間目になると見るその夢の中では、

級友の誰もがイバラの中に閉じこめられて眠っていた。


賢はカッターナイフを手に夢の時間を待ち、

少しづつイバラの蔓を切り開いていく。


まず自分が自由になると、次は

隣の席の明子にまとうイバラを切ってやる。



目を覚ました明子は普段の教室の明子と違う。

もっと話しやすく優しい。

賢も夢の世界だとはきはきと意見が言え、のびのびと振る舞える。




二人は毎日連続してみる夢の中で、

毎日次々に級友たちをイバラの眠りから救い出す。


イバラに覆われ、死んだように青白い顔をして眠る姿を見ると、

とても見過ごせなかったのだ。



次々と目覚める級友たちは、

やはり現実の学校でのみんなと違っていた。


ガリ勉だと思ってた子はひょうきんで陽気だったし、

お上品ぶったお嬢様だと思っていた子は

気取ったところのないさばさばした子だった。


みんなで力を合わせてイバラと格闘するうちに、

毎日現実の教室で顔を合わしていても得られなかった

友情と協力と同志愛が芽生えていく。



イバラに覆われた異世界に突然目を覚ますことになる仲間たちのために、

賢たちは学校放送を使うことにする。


  「ようこそ、おまけの時間へ。

  僕たちは君たちより先に目覚めたものです・・・」




そしてその夢の世界でのできごとは

確実に現実の世界をも変えていく。




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ご存知、和製ファンタジー児童文学の旗手、岡田淳の手による名作。


ここに描かれているのは、「本来の自分を取り戻す過程」を表した寓話。



私たちはまさにイバラのツルに巻きとられて眠っているような状態で、
日々死んだように過ごしているのではないだろうか。

目覚めればもっともっとつながりあえ、共感しあえ、

協力しあえるのに。




物理的な距離は近くにいても、

それぞれがイバラの蔓の中に分断され、眠っていては

とても孤独で無力だ。



先に目覚めたものが、周りの人間を呼び覚ます責任を負っている。



そして目覚めた者同士が手を携えれば

もっと大きな変化を社会に起こせる。



   最初っから、眠り込まずに生きていけるような

   その人らしく輝いたまま 生きていけるような

   そんな社会に、変化させることができる。






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あなたにまとわりつくイバラは、


  「古い思いこみ」

  「誤った信念体系」

  「恐れ」

  「不安」

  「常識を気にするこころ」

  「人の目を気にするこころ」

  「未知を恐れるこころ」・・・。


そんなもの、次々に切ってしまえ。



   自由になろう。




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長年、身体にまとわりつかせてきたイバラを切るのは、難しいことかもしれない。

痛みを伴うかもしれない。

イバラのトゲで手を刺すかもしれない。

血がにじむこともあるだろう。

時間もかかるだろう。

それでも、やる価値はあるんじゃないだろうか。


  あなたは死んだように、

  色んなことをあきらめて、

  他者とも触れあわず、

  壁の中に閉じこもって、

  これからも生きていきたいのか?



周囲の人々と真に知り合い、真に触れあおう。

あなたが本当はどんな人なのか、周囲に表現していこう。

自分を抑えて隠し通すのをやめてみよう。




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今まで「仕方ない」とあきらめてきたものに挑戦してみよう。

今まで「傷つくのも傷つけるのも怖い」と避けてきたような

真の話し合い、真の対話に挑戦しよう。

今まで「きっとムリ」と手を出さなかったような

大きな夢に挑んでいこう。



本当はやりたかったこと、

本当はあきらめきれてないこと、

心の底から求めていることを


  「私はこれを求めずにはいられません」と認めよう。

   「どうか助けてください」と天に助けを求めよう。


そして、再チャレンジを始めよう。

それが、イバラのツルを切り始めるということ。

死んだように生きることをやめる、ということ。


その姿はきっと、周囲の人を内側から呼び覚ます。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




目覚めた人間が一定数を超えたとき。


社会全体に変化が起こるだろう。



   最初っから、眠り込まずに生きていけるような

   その人らしく輝いたまま 生きていけるような

   そんな社会に、変化させることができる。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





人は、鎧を脱がないと、真に触れあうことなんてできない。



人は、いつのまにか築き上げてしまった古い壁を壊さないと、

成長することができない。

容量をアップすることができない。



柔らかく傷つきやすい自分の本質を守るためにまとった殻。


その殻が、もう役割を終えたなら、

私たちがもう一段階成長するべき時に来たなら、

その殻を内側から割る作業が必要となる。


その作業は苦しいものかもしれない。

しかし、それをしないと、

私たちは次のステージに進むということができない。




真の人生を生きよう。目を覚まそう。

壁の内側にこもって日々をやり過ごすのは今日でおしまいにしよう。

自分がイキイキと生きていないことに気づきながら

周囲のせいや社会のせいにして

「仕方ない」ですませるのは今日でおしまいにしよう。



本当に求めているもの、欲しくて欲しくてたまらないものを

「私はこれを求めずにはいられません」と認めよう。

「どうか助けてください」と天に助けを求めよう。

そして、再チャレンジを始めよう。

それが、イバラのツルを切り始めるということ。

死んだように生きることをやめる、ということ。


その姿はきっと、周囲の人を内側から呼び覚ます。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




目覚めた人間が一定数を超えたとき。


社会全体に変化が起こるだろう。



   最初っから、眠り込まずに生きていけるような

   壁を築いたり殻をまとう必要が最初からないような

   傷つきやすく弱い自分を守らなくても生きていけるような

   そのまま受け入れられるような

   そんな社会に、変化させることができる。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



『ようこそ、おまけの時間に』
岡田 淳 作、偕成社(対象年齢:小学校上級から




エンディングのイメージもとても綺麗。

心の中に今も炎が燃え上がっている光景があります(^^)




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月29日

私の年表

・【こども時代】

祖父母、叔父、叔母と同居の大家族の中、第二子として誕生。

両親の夫婦仲が悪く、複雑な家庭環境で、典型的なACとして成長。

母から誕生を喜んでもらえなかった、「子供さえいなければ離婚できたのに」と何度も言われた、というトラウマを深く心に刻んでしまい、長年苦しむ。

ものごころついた頃からの対人恐怖症、場面緘黙症。

幼稚園でも誰ともしゃべらず遊ばずずっと一人でしゃがみこんですごす。


場面緘黙症のため小学校では声が出ず、ひたすら一人で自分の机で座り続けて一日をやりすごす。

友達ゼロ。いじめられっ子。

遠足などの班分けでは、必ずひとり余って、委員長とか副委員長が先生から言われてしぶしぶ自分の班に呼んでくれる、という感じ・・・。

針のむしろでした。

不登校やりたかったです・・・親に引きずられて無理矢理登校させられてました。


その後、血がにじむような努力で(←ちょっと大げさ^^)少しずつ声を出せるようになり、中・高で“友達”と言えるような存在も数人できるようになる。

自身のあまりの生きづらさと、精神科医だった父の影響で、早くも小学生の時から心理学の本などに親しむ。

フロイト、ユング、河合隼雄、などの著作に特に影響を受ける。



・【大学時代】

一浪を経て(なぜか京都で過ごしました。楽しかった!京都大好き。)早稲田大学第一文学部に入学。

父の勧めもあり、精神科医を目指して医学部志望だったので、失意の進学(><)


相変わらずの対人恐怖症とACならではの自己評価の低さ、それに伴う感情の上下の激しさに苦しみつつ、自由な学生生活も謳歌。

「世界旅行研究会」なるサークルに入部、バックパック一つでアジア各国をふらふらと旅して回る。

インド旅行のついでにトランジットで立ち寄ったタイに夢中になり、通い詰める。

大学三年生になる春休み、韓国旅行中に、同じく一人旅をしていた今の夫と知り合い、交際開始。

「バシャール」やシャーリー・マクレーンの「アウトオンアリム」などに触れ、精神世界にも目覚めた頃。

心理学科には進学しなかったものの(一年のときの成績が悪くて入れなかった^^)心理学やカウンセリングへの興味も薄れず、独学を続ける。

卒論には「ユングと道教」というテーマを選ぶ。




・【1992〜1999 方向性を見失う。アイデンティティの危機】

大学卒業と同時に結婚、北海道の大自然の中で暮らしたいという夢を持つ夫にくっついて北海道へ転居、出産。

周囲に友達ゼロ、友達が作れそうなチャンスゼロ。

気晴らしゼロ。

親の仕送りでのんきに暮らしていた学生時代と打って変わって、缶ジュースを買うのに自販機の前で数分悩むほどの貧乏暮らし。

近所の家というものがない田舎暮らし、公園もなく公園デビューもできない密室の育児。

読書大好きなのに、本屋も図書館も半径20kmに無い生活。

お金もなく、興味のあることを勉強できるような場もなく、将来に夢も希望も描けない。

自分の人生は終わった、と思った。

結婚は人生の墓場、というのは本当だった、と。


経理系事務のパート従業員として就職したりもしました。

低収入、針のむしろの人間関係、正社員と厳然と格差のあるパートの身分、自分らしさや自分の個性などが一切生かせない仕事の内容。

かといって、北海道の山奥の村に住んでいては、他に転職先もない。

いつまでもこのパートの身分にしがみついていないといけないのか?

他の可能性はないのか?

こんな生活があと何十年も続くのか? 絶望。



・【2000〜2003 転換点! 四国香川県時代】

四国の香川県のあるまとまった仕事を、建築士である旦那が請け負うことになった。

つまりその建築工事の終了まで、という期間限定で、
ダンナに安定高収入が約束された。

「今ここで何か出来なかったら、一生変わらない!やらねば!」

ここにいる間に、何か手に職をつけなければ、私は一生あのままだ!

今しかない! なにか資格を!

ずっと興味があった心理学やカウンセリングやスピリチュアルなことを仕事に関連づけたい。

その道で食べていきたい、活躍していきたい。

山奥の村に住んだままでできるような仕事がしたい。

最初、カウンセラーを目指して勉強することを考えたが、諸般の事情や周囲の勧めもありタロット占いの勉強とコーチングの勉強を開始する。



2002年8月 よーじゅ先生によるタロット講座受講。

2003年1月より、四国から大阪まで通い、CTIジャパンの大阪でのコーチ養成コース受講。

2003年5月 応用コースまで修了。

   ※2003年5月、コーチングのクライアント数4名



・【2004年1月 コーチとして、起業独立スタート!】

2003年末に、4年間暮らした四国の香川県から、北海道に帰る。

夫の仕事は途切れ、いきなりの収入ゼロ状態。

わずかな貯金で食いつなぎながら、
コーチングと占いで食べていくための試行錯誤に本格的に取り組む。

  ※2004年1月、コーチングのクライアント数9名 



2004年春、HP完成。

  ※2004年4月、コーチングのクライアント数12名
 

その頃まだまだ対人恐怖症が強く残り、自信がなく、不安が強く、
自己肯定感の低かった私には、HPの公開はすごく抵抗があった。

怖い。人が怖いし、社会に出て行くのが怖い。

でも、自分らしい人生を、自由に生きたいならば、ここで踏ん張るしかない。

背水の陣。

夫の付属物ではなく、単純労働者でもなく、自分の個性を生かし、
自分の能力を生かして生きていきたいならば、
怖いとか苦手とか、言ってる場合じゃない。

恐れと不安に立ち向かいながら、
胃が痛くなる思いに苦しみながらのHP公開。

メルマガ発行。






・【2004年10月 飛翔!】

コーチとしての起業独立を心に決めてからわずか10ヶ月後、

HPが完成してからわずか半年後、

2004年10月に当初の目標の「月収30万円」を達成!!


  ※2004年10月、コーチングのクライアント数17名 



2004年10月よりCTIジャパン資格コース受講
2005年6月修了
2005年10月認定試験合格。

CPCCホルダーとなる。

  ※CPCC (Certified Professional Co-Active Coach)
  米国CTI 認定プロフェッショナル・コーアクティブ・コーチ



【2008年初夏現在】

今や、北海道を代表するスピリチュアルコーチとして活躍中。

自らの起業体験を生かした「セラピスト開業・独立サポートプロジェクト(セラサポ)」代表。

ホンモノをかぎ分ける能力で日本中から素晴らしいセミナー、講座をピックアップし、企画と集客のセンスを生かして札幌で次々に開催。

◎私のセミナー開催実績はこちら


夫には専業主夫として、家事、育児、趣味に専念してもらってます。

私が三人の子供(一番下は2007年10月に出産したばかりのまだ乳児)を含む一家五人を養う大黒柱として、自分らしく楽しく生活しております。


   ※コーチングのクライアント数、常時20名前後。

ラベル:自分史
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の年表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月01日

私の提供するコーチングの特長 その2

先日サンプルセッションをさせていただいたクライアントさんから、以下のようなご質問をいただきました。


 『ちょっと疑問が湧いてしまったのですが、

  コーチングは全て感覚的なものが大切なのでしょうか?

  どうしても論理的に納得したくなることが

  ありそうな気がしてならないのです。

  また、自分が今後コーチをしていく上で、

  感覚重視って説得あるんだろうか・・・?』




私の答えは、「はい、コーチングは感覚的なものが大切です」ということになるでしょうか(^^)

普通、人がコーチングを受けるのは

「使命を明確にしたい」とか、

「もっと自分らしく輝きたい」とか、

「イキイキ溌剌と充実した毎日を送りたい」などの

目的があると思うのですね。



「より良い、そしてより自分らしい人生を生きたい」

「もっともっと幸せになりたい」

という目的が。



その目的に役に立つのは?

    私は感覚だと思うのです。



  『幸せ』は、

  『ワクワク』は、

  『充実感』は、

  『生きる喜び』は、

  感覚なのです。




その人の感覚は、その人にとっての「幸せ」を探すガイガー探知機です。

その人がどんなときに、どんな風にワクワクを、充実感を、生きる喜びを感じるのか。

その人の感覚を鋭敏な受信機で受信し続ける。

少しでもワクワクや充実感が高まったと思ったら、そちらの方向に舵を切って行く。

それを続けていると、少しずつ、その人らしさを輝かせる人生に近づいていけるのです。



その人の幸福度を測るガイガー探知機が、

ずーっと大音量で鳴り続けて止まらないような、そんな人生に。




なのに、頭での論理的思考は、得てして、カラダで感じる「感覚」から目をそらさせるきっかけになってしまうのです。

感覚重視でないと、その人の目指す幸福、目指す人生に、たどり着けないのというのに。



『また、自分が今後コーチをしていく上で、感覚重視って説得あるんだろうか・・・?』


この問いに対する答えも、「はい、説得力あります」です。

なぜなら、「結果が全て」だからです。


クライアントさんが「イキイキと輝く幸福な人生」を手に入れられさえすれば、それで良いのです。

それが出来るならば、どんな道筋を取るのかは大きな問題にならないでしょう。

そして、クライアントさんがどんな時にどんな風にイキイキを感じるのか、感覚を重視する道が最短距離でないはずはない、と私は信じます。


論理的思考が地図やカーナビなどのツールであるとしたら、カラダの感覚は、どこへ行きたいかという「意思」だと思うのです。



どこへ行きたいかが明確なとき、地図は大活躍してくれます。


地図がなければ、たどり着くまでに無駄な時間やエネルギーがたくさん費やされることでしょう。

行きたい場所がどれほど明確にイメージできていたとしても。

(論理的思考の重要性はここにあります。

効率的な道の選び方を助けてくれえるのですね。)



でも、「どこへ行きたいのか」という「意思」が明確じゃないときに、いくら詳細な地図があっても、役に立たないのです。

まったく、役に立たない。

ちょっと時間やエネルギーが余計にかかるとか、そういうレベルではなく、役に立たないのです。


まずは「行き着きたい場所を明確にする作業」のあとで、始めて地図やカーナビなどのツールは真価を発揮するのです。



コーチングという、

「私の行きたい場所はどこか」「私はどこを目指すのか」を考える作業の際に、感覚よりも論理的思考を大切にする行為は、

例えれば、ドライブの前に、

いきなり地図を1ページ目からじっくりと読み込み始めるようなものだと思うのです。



地図を良く読めば答えが書いてあるのではありません。

「食事なのか、のんびり景色が見たいのか」「景色っていっても海なのか山なのか」、自分の胸に問いかけるしかないのです。


「意思」という答えを得たあとで使いこなすツール、それが「論理的思考」なのだ、と、私はそう思います。

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私はこんな方と関わっていきたい

私はどんな人と関わっていきたいのでしょうか。

どのように関わっていきたいか、はずっと以前から明確です。


「人の話を聴くことで、その人を支援していきたい」

「肉体面ではなく、心理面を癒していきたい」



これらの点は、決してぶれない。

私の羅針盤は明らかにその一点を指し示し続けているのですが……。



「ではどんな人を?」という点の模索が続いていました。



そこが、明確になりました。



  繊細な感受性や傷つきやすさと弱さと、

  能力と才能、輝く可能性、内面から駆り立てる想い の

  両方を持っている人たちを支援していきたい。





私が関わりたいのは、弱い面、弱点や傷を抱えていて、恐れや苦痛に翻弄されることがあるんだけれども、

それだけじゃなく、パワーやエネルギー、やる気のある人たち。

社会に、影響力を及ぼせる人たち。

社会の成長点で活躍していけるような人たち。



私は、社会の「成長点」をはぐくむ太陽になりたい。

効果的に、効率的に、社会のより良い変化に影響を及ぼしたい。


「成長点」とは、植物の先端部分です。

集中的に細胞分裂が繰り返され、ぐんぐんと育っているポイント。

植物は、全体がまんべんなく成長するわけではないんですよね。

新芽の先など、「成長点」が存在する。




こうして、今、はじめて明確な言葉になりましたが、私はずっとそのことを目指して来ていました。


「眠れるライトワーカーをたたき起こして

点火して回る人になりたい」

「醜いアヒルの子救出家でありたい」

「フロドのためのサムでいたい」

すべて、同じ意味でした。



繊細な感受性を持っているがゆえに、いっぱい傷ついてきているかもしれない。でも、潜在的な可能性とやる気がある。

世の中を良くしていきたいと願っている。

そんな人を支援していきたいのです。

それは、今、これを読んでくださっているあなたのことかもしれません(^^)


もし、ちょっとくらい不安や自信のなさを抱えていても、やりたいことがあるならば。

もし、自分らしく輝くことで人の役に立っていきたい、という気があるならば。

そして、もう自分の天職、使命を見つけ、歩みだしているんだけれども、伴走者が欲しい、味方が欲しい、という方も。

私にお声を掛けてくださいね。



パワーと才能のある人々が、夢と理想のある人々が、

自分の使命を生きるための適切な支援をうけられますように。


どんどんその才能を世のため人のために開花させていくための 

的確なサポートを受けられますように。


そのために、私が自分のつとめを果たせますように。
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の提供するコーチングの特長

私はコーチングの際に、よく「それって、例えて言えばどんな感じですか?」と訊ねます。

その意図を、クライアントさんにきかれました。

えっと、改めて説明しようとするととても難しい(^^)

そうですよね、気になりますよね。


コーチングについての名著に「コーチングバイブル」(ウィットワース 他 著、東洋経済新報社)という本があるのですがそこにこういう一文があります。




        ':・:*:. ☆ .:*:・:'



p80より

「比喩のスキルとは、感覚やイメージを使うことで、クライアントが体験していることをより速くかつ容易に理解できるようサポートするスキルです。

たとえば、「混乱していますか?」というクライアントの知性に語りかける問いよりも、

「霧の中をさまよっている感じですか?」というクライアントの感情に訴えかける問いの方が効果的だと言えるでしょう。

なぜなら、後者の方が、クライアントが実際に霧の中でさまよっているイメージを想像 することができるからです。

比喩によって、クライアントは自分に起きていることをまさに全身で感じることができます。

クライアントが求める答えは、多くの場合、頭ではなく、心や身体の中に潜んでいるので、

そこに意識を向けるには比喩によって論理的な思考回路を迂回することが有効なのです。」




         ':・:*:. ☆ .:*:・:'




つまり、頭で論理的な説明をするよりも、

「その感覚は例えて言えばこんな感じ」

と身体感覚で言えたほうが、

ずっとクライアントにとって得るものが大きい、ということ。



自分自身の状態を、感覚的に描写することができると、重要な気づきや洞察に至ることが多いのです。


気づきや洞察には、原因などを追及するような「論理的思考」「分析的思考」が邪魔になるのですね。


ですので、感情的にモヤモヤしている人には、私はまず「それってどんな感じですか」と訊ねることを大切にしています。



たとえば、漠然と「どうすればいいのかわからない」と言っているだけよりも、

また、論理的分析的思考で

「なぜどうすればいいのかわからないのかと言えば、あの人はこういうし、この本にはこう書いてあるし、この方法を採ればこんな弊害があるし」

とぐるぐる思考に陥るよりも、



「そうですね、まるで、狭い小屋に閉じこめられて外に出られないような気分です」

と言ってもらった方が、ずっと気づきが大きく、その後の展開が速いのです。


そしてリアルにその感覚や情景を細かく描写していくと、

    皆さん、実際、多くの気づきにたどり着かれるのです。



「子どもの時に叱られて閉じこめられた物置にそっくり。

これってつまり、目上の年上の人に頭ごなしに言われると萎縮しちゃう感覚なのかなあ」

とか。



「でも、その小屋の戸のすきまから明るい日差しが差し込んでくる。

ちょっと戸を揺さぶればすぐに開きそう。

自分が戸を開けようとしていないだけのような気がしてきた。」

とか。



「すごく狭い小屋で、しかも真っ暗、ってかんじ。

ああ、私は今、息苦しさと同時に恐怖も感じてるんだなあ。」

とか。



例えて言えば、ですが、そんな風に気づいて行かれることが多いのです。


焦点が全然合ってなかった映像が、少しずつピントが合ってきて、何が映し出されているのかがわかってくる爽快感、みたいな感じでしょうか。


身体の感覚に焦点を当て、ゆっくり味わい寄りそいながら描写していくことの効果に注目したセラピーとして有名なものに「フォーカシング」があります。

フォーカシングについての本を読んで驚いたのですが、私がしていることってフォーカシングとそっくり。

私のコーチングって、セラピーでもあるんですね……。

ハコミ・セラピーを知ったときもそう思いましたが……。



クライアントさんの内面とつながり、本質の輝きを呼び覚ますことで、

クライアントさんの人生をより深く、より広く、より高く、

展開させていくことにコミットする。


ただ、表面的に「どうすれば効率が上がるか」を一緒に考えるような浅いコーチングには全く興味がない。


私の提供するコーチングは、そんな感じです。


参考文献「やさしいフォーカシング 自分でできるこころの処方」(アン・ワイザー・コーネル著 コスモス・ライブラリー)
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ありのままでいい。このままでいい。ってことは駄目な部分を変える努力をしなくていいということなのか?」

  「ありのままでいい。このままでいい。

  ってことは駄目な部分を変える努力を

  しなくていいということなのでしょうか?」




私が購読しているお気に入りのメルマガ 「★ネクラでブサイク彼氏が5人★」の最新号に、そんな問いかけを読者さんから受けた、というお話が載っていました。

もちろん、ありのままの自分でいい、ということと、向上心を捨ててしまうことは別物ですよね。

このことについて、私もよくクライアントさんとお話するのですが、私がよく使う例えがあります。


私は、「自分を小さな双葉だと思ってみてください」と言います。


小さな、柔らかい双葉。

「まだこんなに小さいなんて!」

「葉っぱがまだ二枚しかないなんて!」

「だいたいいつになったら花が咲くのよっ!」

と、マイナス点を付けたくなるところは一杯あるかもしれない。



でも、そこで

「水が欲しい?!太陽に当てて欲しいだ?!

10年早いよ。立派な花を付けてから言いな!」

みたいな対応で、伸びると思いますか?


「こんなんじゃダメだから毎日100回引っ張る!

少しでも成長が早いように!」

ってスパルタ教育に走って、健やかに育つと思いますか?


枯れちゃいませんか?



一番いいのは、ゆっくり見守ること。

今、小さくて柔らかい双葉であることを認めること。

今は小さいかも知れないけれど、

すごい可能性を秘めていることを信じて待つこと。

いずれ花を咲かせる準備を着実にしている自分であることを信頼すること。


何を必要としているか、どんな状態だと健やかに育つのか、冷静に判断して、そんな環境を整えること。


必要なものをそろえ、快適な環境さえ整えれば、生き生きと自分らしさを発揮し始めることを信頼して待つこと。



植物ならば適切な量の水と日光と肥料ですよね。

人の場合、

 水=愛情

 日光=注目、共感

 肥料=学び

じゃないか、というのが私の持論なんですね。



それを自分自身にたっぷりと注ぎ込む。


自分を愛して、認めて、「そうだよね、まだまだ上手くできないことが多いから、つらくなっちゃうんだよね」と共感して、そして適切な学びの機会を持つ。


本を読んだり人の話を聞いたり。


それがあれば、「小さな双葉」であるあなたは、ゆっくりかもしれませんが、すくすくと、毎日少しずつ育ちます。


必ず。



人ってそういうものです。


適切な環境にさえあれば、必ず、天を目指して伸びてしまうものなのです。

すくすくと。

そして、いつか時期が来たとき、花を咲かせ、実を結ぶのです。

そういう風にプログラムされてますから。



蛇足ですが、私はカウンセリングやコーチングなどの各種セッションって、「注目と共感のサプリメント」みたいなものだなって思ってます。

それさえあれば人は伸びるんだけど、毎日の生活では不足しがち。

だからサプリメントとして摂る。


そういうことなんだな、って(^^)



心の栄養不足に陥らないよう、適切に摂取してくださいね、「注目と共感のサプリメント」。

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私がサンプルセッション一回無料の制度を取っている理由

『どなたでも一回30分間のコーチングを、

体験無料サンプルセッションとしてどうぞお受けください!』



ということで、無料サンプルセッションの制度を取っています。

コーチングってどんなものか、たくさんの方に知って欲しいから。

そして、モヤモヤ、イライラ、ドヨドヨしちゃっている方のお役に、少しでも立ちたいから。



これは私からのペイフォワードなのです。



私はたくさんの方に支えられてここまできました。

ブログで結構赤裸々につづってますが、私は繊細すぎ、もろすぎて、かなり生きづらい日々を送ってきた人間です。

よけいなものを背負い込みすぎて、がちがちになっていました。


それは、かなり困難な道のりでした。

あやういところすれすれの毎日でした。


で、こんな私がここまで来れたのには、たくさんの方からの愛の手があったからなんです。



以前ブログにも書いた小学校の時の青田先生。

学生時代に一時通った、心理相談室のカウンセラーさん。

子どものときの絵画教室の先生。

素晴らしい地域文庫「なかよし文庫」を運営してくださっていたボランティアの方々。

そんなに危うい変なやつだったのに、根気強く付き合い続けてくれた友人たち。

相談に乗ってくれたり黙って話を聞いてくれた周囲の人。


本当に、本当にありがとうございました。

たくさんの方が私に温かい目を注ぎ続け、関わり続けてくださったおかげで、今の私がいます。

私が受けたご恩は皆さんに返しようがない。

この感謝の思いは、他の方々へ、手渡していきます。

「無料サンプルセッション」として。



心からの感謝と愛と尊敬をこめて。



どうか、お気軽に、受け取ってください。

私に、恩を返す機会を与えてください。

そして、あなたも、次へ回していってください。




どうか、売り込みと取らないでくださいね。

何も売りつけませんので!

安心して、お気軽にどうぞ!

あなたの幸せそうなお声、力強い言葉が聞きたいだけなのです。


(それに、お近づきになりたい、もっと仲良くなりたい、という想いもあったりします^^)



もし、気が向きましたら、お気軽にお声を掛けてくださいませ。


※一応、お一人様一回限りのご利用とさせてくださいね。

※二回目以降は「単発コーチング」ということで対応させていただきます。

※メールコーチングという選択肢もあります。

(無料サンプルセッション申し込み先・問い合わせ先はこちら

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなたもライトワーカー(世界に光をもたらす人)のひとりです

私がコーチングを学んだコーチ養成機関、CTIジャパンの代表を務められている島村剛さんの言葉で、私が忘れられないものがあります。


  「世の中に悲惨な事件はたくさん起こっています。

  新聞やテレビでそんな事件を目にするたび、

  私は『間に合わなかった』と悔しく思うのです。

  私がコーアクティブコーチングを

  もっと世の中に広められていたら、
 
  こんな事件は起こらなかったかもしれないのに、と。

  ああ間に合わなかった、と。」



        ':・:*:. ☆ .:*:・:'



『間に合わなかった』この言葉は私の胸を打ちました。

私もまた、今後 悲惨な事件をニュースで目にするたびに、

「間に合わなかった」と悔やみたい。

虐待のニュースが流れるたびに。

大きな事故が起こるたびに。

青少年の事件が起こるたびに。

熱帯雨林がまた減ったと聞くたびに。

異常気象に気づくたびに。

  そのことについて、人や社会を非難する前に。




        ':・:*:. ☆ .:*:・:'



  「今どきの親は」

  「今どきの若者は」

  「今どきの子どもは」

  「最近の世の中は」

  「近頃の社会は」


と、原因を外に求めるのは簡単です。

人や社会を断罪し、非難するのはラクチンです。

でもそれを言っている私は自分にできることを全てやっている?

私は私の務めを万全に果たしている?

もうできることは何も無い?

私にも何かできることがあったのでは?

私は最大限に持てる力を発揮している?

      と、私は私に問いたいと思うのです。




         ':・:*:. ☆ .:*:・:'




全ての人が、「間に合わなかった」と悔やんだら。

世の中に悲惨な事件はたくさんある。

それに触れたとき、全ての人が

「私は全力を尽くしていただろうか」

「私はやれるだけのことをしていただろうか」

「私にまだできることはあったんじゃないか」と

各々胸に問うような社会ならば。

各自が 人を責めず、自分を戒め、

その後 より一層周囲に貢献しようと

心を砕くような 社会ならば。



何かが違ってくるように思うのです。



あなたもまたライトワーカーなのです。



私たちは皆、

世界を良くしていく責任を分け合うライトワーカーなのです。

あなたもまた、世界に光をもたらす人なのです。


あなたは輝いている?

あなたは喜びと感謝を周囲に振りまいてますか?

あなたはあなたの周り半径2mを愛と平和で満たしていますか?


あなたはあなたの灯を高く掲げていますか?

それは赤々と燃えてますか?


あなたは社会に光をもたらしていますか?

あなたはあなたの役割を万全に果たしていますか。




       ':・:*:. ☆ .:*:・:'



あなたがお母さんなら、子どもを抱きしめること。

あなたがダンナさんなら、奥さんに愛といたわりを表現すること。


あなたが仕事をしている人なら、

その仕事が一人でも多くの人に喜んでもらえるよう、

心をこめること。



あなたの周り半径2mに愛と平和を体現すること。


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私は「声にこめられたエネルギー」を大切にするコーチです

コーチングを始めてから、“声”について考えることが多くなった。

“声”には多くの情報がつまっている。


心を開いた声、覚悟の決まった声、心を閉ざして上辺だけで会話しているときの声、本気でそう思っていないときの声、明らかに違う。


心を開き、覚悟を決めた人の声は、まっすぐに人の心を打つ。

そんなとき、下腹の辺りから発せられた 深く力強い声が 直球で人の胸に届く。

内容ではなく、声にこもった真剣さ、思いの深さが人の心を動かす。



自分がコーチングを受けていて思うのは、そんな「本当の声」を発するとき、自分自身も己の思わぬ力強さに驚き、感動している、ということ。

下腹の深いところから発せられた、力強い真実の声は、自分自身の胸も震わせる。


人は「本当の声」を出すとき、自分自身の力強さに目覚めている。


だからコーチなど対人援助職の仕事の重要な部分は、クライアントの本当の声を引き出すこと。クライアントの警戒心をとき、心を開かせ、真実を語ってもらうこと。真剣さ、決意、覚悟を引き出すこと。


それが出来れば、コーチングは半分以上成功している。

クライアントは自分自身の熱い思いや強さに驚き、感銘を受けている。

そんな自分に一目置き始める。

自己信頼が育ち始める。

そのためにコーチがするべき大切なこと。


自分自身もまた、「本当の声」で話すこと。

心を開き、身体を開き、覚悟を決め、真摯に真実を見据えて語ること。

その気迫を、声で相手に直球で届けること。

何を話すか、という内容ではなく、声にこもった真剣さ、思いの深さが相手の心を動かす。



真実は真実を呼び、本当の声は本当の声を呼ぶ。


声が気になりだすと、次は音が気になりだした。

チベタンベルの音色は明らかに場の空気を浄化する。

「音楽は目に見えない世界の領域にあり、現実世界よりも高い波動を持っています」という人もいる。


音は振動だ。

音は鼓膜だけを振動させるのではない。

体中を震わせるのだ。

細胞の一つ一つの細胞液を震わせるのだ。

音の響きは明らかに私たちに影響を及ぼす。


言葉、声、音。

私はこれらを大切にするコーチです。
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コーアクティブ・コーチングとは

私は、米国CTI 認定プロフェッショナル・コーアクティブ・コーチ (Certified Professional Co-Active Coach、略してCPCC)の資格を持っています。



<コーアクティブ・コーチングとは>


直観や、身体レベルでの感覚、腑に落ち感を大切にします。

コーチとクライアントは完全に対等であると考え、クライアントとの協働関係(コーアクティブネス)を重視します。

常にクライアントの中に光り輝く本質を見続けろ、決してそこから視線をそらすな、と熱く指し示します。

クライアントの光り輝く本質を呼び覚ますことを至上命題に、ヒプノにも良く似た誘導イメージングなど、スピリチュアルな手法を多用します。


私は、そんなコーアクティブ・コーチングに心底惚れこんでいます。

私はこの道をまい進していきたい。



注)コーアクティブ・コーチングとは、日本で二つ目に大きなコーチ養成機関「CTIジャパン」の提唱するコーチングの流派です。

コーチングにも色んな流派があるのです(^^)
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私が子育てコーチングセミナーを通して伝えたいもの

私は、折に触れて「子育てコーチングセミナー」をあちこちで開催しています。

私の「子育てコーチングセミナー」への想いについて、考えてみました。


コーチングは、人の潜在的な可能性を開くお手伝いをするスキル。

  「あなたには、持って生まれた天賦の才能がある、

  その素晴らしい可能性を伸ばして社会に貢献しよう!

  あなたにはそれができる。

  私はそれを知ってる!」


それを伝え、支援する具体的なスキルがコーチング。

もし、親が我が子のコーチになれたら、そんなに素晴らしいことはない。


親が変わり家庭が変わったら子どもが変わる。


子どもが自分自身を肯定し、自分の持って生まれた才能を存分に伸ばせるように変わったら、

日本の未来が変わり、多分世界の未来も変わる。


だから、私は自分の知識、スキル、想いを子育て中の親に伝えていきたい。

少しずつでも。


半日や一日のセミナーでは、とてもじゃないですが「子育てに必要と思われるコーチングの知識を一通り教える」というわけにはいきません。


まずは、基礎中の基礎として、

“伝わるコミュニケーション”とはどんなものか、

“嬉しいコミュニケーション”とはどんなものか

を伝えたい。


そう、知識だけでなく、スキルを、使える“技術”を身に付けて帰ってもらいたい。

新しい知識について聞きかじりました、では終わってもらいたくない。

そのために、体験型エクササイズに時間の大半を使う。

体の感覚で、“伝わるコミュニケーション”“嬉しいコミュニケーション”を知ってもらう。


  *聴いてもらえるってこんなに嬉しい

  *受け止めて共感してもらえるってこんなに嬉しい

  *認めてもらえるってこんなに嬉しい



注目と共感と受容がどれほどの“力づけ”効果があるのかを体験型ワークを通して実感してもらいたい。



“伝わったと感じると、こんなに嬉しい”

“こういう 応対って、こんなに嬉しい”

と実感する体験を、これでもかこれでもか、と積んで帰って欲しい。


そんな体験の機会を豊富に提供したい。

人は感動することでしか、変わらない。

変容は内側からしか起こらない。


  「聴いてもらえるってこんなに嬉しいんだ」

  「受け止めて共感してもらえるってこんなに嬉しいんだ」

  「認めてもらえるってこんなに嬉しいんだ」


注目と共感と受容がどれほどの“力づけ”効果があるのかを体験型ワークを通して実感してもらい、 参加してくれた人たちの内面を、深いところから揺り動かしたい。

意味深い変化を内側から促したい。

そういう、“実感”・“腑に落ち感”を伴う内側からの変化は、「こうしたらいいらしいと聞いた」などというような聞きかじりとは全然違うものになるだろう。

その人の人格に永続的な変化をもたらすような、 成長とも変容とも言うべきものになることだろう。

そんなセミナーを開催したいです。


私の「子育てコーチングセミナー」では、

出席してくださる方に、

・“実感”

・“腑に落ち感”

を伴う内側からの変化・伝わるコミュニケーション、

人間関係に喜びをもたらすコミュニケーションのモデル

・多様な経験、多様な気づきと学び

・「目の前の人をひたすら誉める」とか、「一切自分の意見を口を挟まずに相手の話に耳を傾ける」など、今までやったことの無かったタイプのコミュニケーションを体験する機会

・逆に、ふだんの生活ではなかなかない「ひたすら誉められる体験」「受け入れられ耳を傾けられる体験」

などを提供していきたいと願っています。


今までに既に何回もの「子育てコーチングセミナー」を行ってますが、その際印象的だったのは、「誉められる体験」「聴いてもらう体験」のエクササイズを通して、受講生の皆さんの顔つきが変わっていったこと。

より柔らかく、そしてより輝く表情へ。

そして感想を述べ合う場で、「今まで生きてきて誉められたことなんかなかった」「今まで全然自信が持てなかった」と涙ぐむ姿が見られたこと。

「自分って、このままでもいいのかもしれない」というつぶやき……。


そう、私はこの講座を通じて受講生に「そのままでいいんだよ」というメッセージも届けたい。

ありのままのあなたが素敵。

そのままでいい、無理なんかしなくていい、飾らなくてもいい。

そう、お母さんの役割にある人に言ってあげたい。

お母さんが変わったら、家庭の雰囲気が変わる。

そして、子どもが変わる。

子どもがありのままの自分自身を肯定することができたら。

そして自分の欠点ではなく、長所に注目できるようになったら。

そしてイキイキと才能を存分に伸ばすことができたら。

そうすれば、日本の未来が変わる

そして、きっと世界の未来も変わる



だから、私は、「子育てコーチングセミナー」を企画し続ける。
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もし私が独自にコーチング倫理規定を作るとしたら

日本コーチ協会の定める 倫理規定というのがあります。

コーチングの理念、定義、行動規範、と、とてもよく出来ています。

行動規範も、契約について、守秘義務について、と、きちんと細かく網羅されています。

諸先輩方の叡智の結晶です。私も以前から参考にさせていただいています。

さて、この倫理規定を尊重した上で、もし私が独自にコーチ倫理規定を何項目か書き加えるとしたら?ということを、ちょっと考えてみました。

まずは、

 *クライアントの魂の成長を目指す

という一文は入れたいですね。これは必須です。

クライアントの魂の成長が全てに優先される、とまで言い切ってもいいかもしれない。

私にとっては、ですけどね。

それから、

 *コーチ自身が常に自分の限界に挑戦し続け、自分自身を深く見つめ続ける

という一文も。それから・・・


*コーチングセッションは、クライアントのためだけに存在する。

コーチは、セッションの間中、クライアントの姿を反映するだけの透明な存在となる。

そのためには、自分のエゴやグレムリンをよく知り、自己管理に務めなくてはいけない。


*常にコーチは心を開き、自分自身の全存在でクライアントと向き合う。


*そのように接することができない相手をクライアントにするようなことはしない。

なんていうか、私は「鬼気迫るコーチング」がしたいんだな、って改めて実感しました。


一点の留保もためらいもない。

一点の嘘もごまかしもゆるさない。

常に真剣勝負の。


そんなコーチになりたいんですね・・・

より一層、精進します!
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

掌に「ミカエル」の刻印を

手のひらに、 “I'll ミカエル”という刻印を押される夢を見たことがあります。

あまりに印象に残る夢だったので、エンジェルオラクルカード2でArchangel Michaelのカードの意味を調べてみました。


大天使ミカエル(Archangel Michael)

「私はあなたと共にいます。これからあなたが人生の目的、使命を達成するための変化が訪れるので、あなたに勇気を与えにきました」

 あなたは自分の人生の目的、使命を尋ねましたね。そして見守って欲しいとお願いしたでしょう。

あなたはライトワーカー、つまり光を人々に与える役割を持っています。

私はあなたの使命がしっかり達成されるように、いつも近くで見守っています。

あなたはライトワーカーです。

時にはどこか他の人たちと自分が違っていると感じ、疎外感を覚えたこともあるでしょう。

でもあなたは決してひとりではありません。

そしてこれからもひとりになることはないのです。

 仕事場や家庭内で何か変化を起こさなければと思うのは、私の影響を受けているからです。

あなたの人生の目的、使命をもっと重要なこととして考えてください。

私はあなたのスケジュールを調整して、これから成し遂げていくであろう人生の目的、使命が順調で調和が取れたものになるお手伝いをします。

私に手助けを求めてください。

私は必ず助けます。そしてあなたがこれから迎える変化に対応できるようにお手伝いします。


 
        ':・:*:. ☆ .:*:・:'



驚きました。これぞまさに私がやりたいこと、私が目指していること。

I willのwillは、未来系のwillじゃなくて、動詞のwillなんだ。



  私は、大天使ミカエルのような存在でありたいと、意図する。

  意志する。

  意欲する。


私は「自分の人生の目的、使命を尋ねる人」のそばにいたい。

そして見守りたい。

私は「ライトワーカー、つまり光を人々に与える役割を持っている人」の傍にいたい。

私はそんな人の使命がしっかり達成されるように、いつも近くで見守っていたい。

他の人たちと自分が違っていると感じ、疎外感を覚えたことがある人に、



  「でもあなたは決してひとりではありません。

  そしてこれからもひとりになることはないのです」と 

  伝える役割を担いたい。

  色んな人に、

  「あなたの人生の目的、

  使命をもっと重要なこととして考えてください。」

  と伝えたい。


私はあなたのスケジュールを調整して、これから成し遂げていくであろう人生の目的、使命が順調で調和が取れたものになるお手伝いをしたい。

私に手助けを求めて欲しい。私は必ず助けるから。

そしてあなたがこれから迎える変化に対応できるようにお手伝いするから。

私は、大天使ミカエルのような存在であり続けると、

意図する。意志する。意欲する。


I'll be Archangel Michael !!

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【スーホの白い馬】魂に響く絵本・児童文学

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。





      ':・:*:. ☆ .:*:・:'





先日、映画「Tibet Tibet」上映会に行って参りました。

  「Tibet Tibet」※公式サイトhttp://tibettibet.jp/

感動しました!

深く感銘を受けました。

揺さぶられました。



チベット問題が、人権問題であることが、よくわかりました。

人は、自分の出自を愛し誇りに思ってもいい。

人は、自分が生まれ育った風土を愛し誇りに思っても良い。

人は、自分の家族や身の回りの人を愛し大切にしてもよい。


そんな、そんな簡単で基本的なことなんだと思いました。


人は、自分の信仰や思想・信条を選ぶ自由があるはず。

人は、自分が大切にしているものを大切にし続けていいはず。

その人自身が、大切にされ尊重されて当然なはず。

どんな人であれ。


モンゴルと文化的に深いつながりを持つチベットの映画を、
モンゴルを舞台にした絵本「スーホの白い馬」についてメルマガを
書こうとしている時に見ることになった不思議な縁をかみしめつつ。

たいせつな白い馬を、力づくで奪われたスーホ。

大切な存在を踏みにじられた痛みを、歌と音楽という非暴力な手段で
表現するスーホ。

そんなスーホの中に、チベットの民の姿を見ました。




魂に響く絵本・児童文学
(絵本だけでなく、児童文学もとりあげている事実に即して、
メルマガのタイトルを変更いたします。ご了承下さいませ。)
http://www.mag2.com/m/0000144564.htm

2008.4.29 第21号
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『スーホの白い馬』
大塚勇三 再話、赤羽末吉 絵 
福音館書店
(対象年齢:読んであげるなら4才くらいから)
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  〜 あらすじ 〜

(モンゴル民話の再話)

  中国の北のほう、モンゴルには、ひろい草原がひろがり、

  そこに住む人たちは、むかしから、ひつじや、牛や、

  馬などをかっていました。

  このモンゴルに、馬頭琴という、がっきがあります。

  がっきのいちばん上が、馬の頭のかたちをしているので、

  ばとうきんというのです。

  けれど、どうしてこういう、がっきができたのでしょう?

  それには、こんな話があるのです。(本文2pより引用)


          ・
          ・
          ・


貧しい羊飼いの少年、スーホは、おばあさんと二人暮らし。

ある日、生まれたばかりの白い子馬を助け、大切に育てます。

白い馬は、羊を狙うオオカミと果敢に戦うような勇気ある馬に育ち、

その名馬ぶりがあだになり王様に力づくで取り上げられてしまいました。

馬を渡すまいとして抵抗し半死半生の目に遭ったスーホが

馬の身を心配しながら寝込んでいると、外から物音が・・・


白馬が、滝の汗を流し傷だらけで立っているではありませんか!


王様たちが逃がすまいと射かけた矢を全身に受けながら、

走って走って走り続けて、大好きなスーホのところへ、

帰ってきたのです。


「白馬、ぼくの白馬、死なないでおくれ!」

切ない祈りと懸命の看病もむなしく、

弱り果てた白馬はスーホの腕の中で息絶えます。



嘆き悲しむスーホの夢の中へ、

白い馬が現れます。

「私を使って楽器を作ってください。

そうすれば、私はずっとあなたと共にいられます。

あなたを慰めてあげられます。」


          ・
          ・
          ・


  がっきはできあがりました。

  これが、ばとうきんです。

  スーホは、どこへ行くときも、このばとうきんを

  もっていきました。

  それをひくたびに、スーホは、

  白馬をころされたくやしさや、

  白馬に乗って、草原をかけまわった楽しさを、

  思い出しました。

  そしてスーホは、じぶんのすぐわきに、

  白馬がいるような 気がしました。

  そんなとき、

  がっきの音は、ますますうつくしくひびき、

  聞く人の心をゆりうごかすのでした。(本文44pより引用)





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





これは、『くまのコールテンくん』のその後の物語だ。

  ※『くまのコールテンくん』
   http://mishio.seesaa.net/article/94770808.html


これは、『まぼろしの小さい犬』のその後の物語だ。

  ※『まぼろしの小さい犬』
   http://mishio.seesaa.net/article/94766984.html




私は「くまのコールテンくん」で奇跡の出会いを語った。

Boy meets girl.

ずっと探していた存在に巡り会える奇跡。

「私もあなたを探していた」と答えることのできる奇跡。



私は「まぼろしの小さい犬」で

奇跡の出会いのその後の泥臭く平凡な日常について語った。

出会いの後

相手を受け入れていく地道な努力。

ありのままの、欠点だらけの、弱い、現実の、その存在。




そして「スーホの白い馬」で対象喪失について語りたい。

奇跡的な邂逅のあと、ありのままの存在を受け入れ、世話をし面倒を見、

楽しみも喜びも分かち合ったあと、

いきなり喪った時(奪われた時、去られた時)あなたには何が残されるのか。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




楽器は空洞があるからこそ、美しい倍音を豊かに響かせる。


カリール・ジブランは言う。

「悲しみがえぐったその跡にこそ、喜びは満ちるのです」




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




あなたの内部をある他者との出会いが埋めた。

あなたの内部をある他者の存在が占めた。

その他者の存在が喪われたあと(奪われたあと、去られたあと)、

その跡はどうなるのか。



ぽっかりと空いた空虚な穴はどうなるのか。



他者に共鳴するスペースになるのだ、と私は思うのです。

楽器には欠かせない、共鳴のための空洞に。




あなたにうがたれた穴が大きければ大きいほど、

あなたが奏でる楽の音は豊かに共鳴する。


あなたにうがたれた穴が大きければ大きいほど、

他者の想いに共感し共鳴する余地、可能性が豊かに広がる。


人間の幅が大きくなる。

スケールが大きくなる。

あなたは

かすかにもらす他者のため息にも繊細に反応し共鳴する

優しい楽器となるだろう。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




出会って別れ、

巡り会って去られ、

愛して喪い、

そのたびに豊かなものを内側に蓄積していく。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




「サンタクロースの小部屋」という名著があります。

  ※松岡享子 著、こぐま社


東京こども図書館の理事長である松岡さんが、

幼い人たちにとっての読書の重要性を格調高い文章と

たくさんの事例で語ってくれる素晴らしい本ですが、

そのはしがきに、本の題名にもなった「サンタクロースの小部屋」という

コラムが載っています。


その内容を要約すると。



『幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、

 その人の中に、信じるという能力を養う。

 心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、

 心の中に、サンタクロースを収容する空間を創り上げる。

 サンタクロースをもう信じなくなったあとも、

 サンタクロースが占めていた空間は、その子の中に残る。

 この空間がある限り、人は目に見えないけれども大切なものを

 ここに迎え入れることができる。』



出会いと別れの意味もここにあると思うのです。

同じだと。

人は、誰かを愛し、受け入れ、心の内に住まわせる体験を通じ、

心の余地を大きく広げる。



そこからその誰かが去っていったあとも、その場所は残り続ける。



その場所に、あらたな何か、あらたな「良きもの」「愛おしいもの」を

受け入れ続けるでしょう。


「愛」「信頼」「友情」を受け入れ続けるでしょう。



例え、出会いの数だけ別れがある、というのが真理であろうとも

出会うことを恐れてはいけない。



大地が、死と再生を繰り返すことで、豊かに肥えていくように

人もまた、出会って別れ、愛して喪い、巡り会って去っていく経験の中で

豊かに耕されていくのだから。



人を心から愛したことのある人だけにわかるものがある。

人を喪う苦痛に眠れぬ夜を過ごしたことのある人だけにわかるものがある。



スーホが

白馬に乗って草原をかけまわった楽しさを知っていたからこそ、

白馬をころされたくやしさを知っていたからこそ

馬頭琴がますます美しく鳴り響いたように。

その調べが人の心を揺り動かし続けることができたように。

その調べが、人の心を癒すことができたように。



ゆたかな、ゆたかな経験。



人と人は、

まるで宇宙の虚空に浮かぶ惑星同士のように孤立しているけれども

感情だけが私たちを結ぶ。

まるで大陸が海でつながっているように。



生命が生まれては死んで朽ちていくことで、

母なる大地が豊かさを増していくように

私たちは出会って様々な体験を分かち合い、そして別れていくことで、

豊かな共鳴と共感を響かせる可能性を高めていく。

豊かな感情をはぐくみ、他者とのつながりを深めていく。


出会いに感謝。

そしてそれと同じくらい、別れに感謝。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




別れには感謝。

しかし、理不尽な暴力など、世の中には許してはいけないものもあると思います。

軽んじられて当然の存在なんてない。

暴力を振るわれていい存在なんてない。


人が、尊厳を踏みにじられる行為すべてに、NO。



世界のすべての「スーホ」が、自分の「白馬」を

損なわれずにすみますように。

世界のすべての「スーホ」が、尊重され、大切にされますように。



  ※私にできることを探して、「チベットのためにできること」の
  キーワードで検索してみました。
  その情報の、シェア。

  「チベットのために、できること」
  http://ymtk.jp/ladakh/2008/03/post_84.html

  「チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン(TSNJ)」
  http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html





『スーホの白い馬』
大塚勇三 再話、赤羽末吉 絵 
福音館書店
(対象年齢:読んであげるなら4才くらいから)



        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



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posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私が占い師兼コーチになったわけ

      ★サイトのプロフィールページにも載せている文章です



 【私が占い師兼コーチになったわけ】

 

私はずっと、普通の人と当たり障りのない表面的な交流がうまくできませんでした。

幼い頃から、誰とも言葉が通じないと感じ、世界から拒絶されていると感じてきました。



最近は、なんとか楽しく苦痛なく人付き合いができるようになりましたが・・・。

世間話の仕方を、長年の試行錯誤の中でやっと身につけることができたので・・・。



でも、本当につい最近まで、深い孤独の中で殻に閉じこもって生きてきました。



そして、この特質を強みとして活かす道がどこかにあるはずだと、

ずーっと探し求めていました。




こんな人間に生まれたのは、何か使い道があるからこそ、のはずだと思って……。



私が普通の人と当たり障りのない表面的な交流がうまくできない理由は、


「私にとって、コミュニケーションとはすなわち、

心の奥底でつながりあう深い真実なものだから」


なのです。




私は簡単に自分の奥底にアクセスできるのです。

そこで起こっている真実を容易に言葉にして表現し、人に伝えることができる。

まっすぐに、心からの想いを人に伝えることができる。

そうすることで、人の心を揺り動かすことができる。




「当たり障りの無い会話が苦手」、

言い換えれば、私は、深いレベルでのコミュニケーションが得意なのです。




あるとき、やっと自分という器の使い道がわかったと思いました。

それが、コーチングであり、タロット占いでした。



二つとも、深いレベルで自分自身と、

そしてクライアントさんとつながらないと機能しない職業ですから……。



今では、これぞまさに天職と感じています。


自分の一番の弱みだと、このせいで生きづらいと、

ずっと恨みに思っていたところが活かせる職業なんですもの。


弱みは強みに変わる、というのは、本当だったんですね……。




それから、占い師とコーチを始めてから気がついたのですが、

これらの職業にミッション(使命)を感じるのは、

私が同志を捜し求めているからだというのもあるようです。




 私はもの心ついて以来ずっと、同志を探し続けているんです。

 同じ志を抱き、同じ山の頂を目指して歩める仲間を。

 南総里見八犬伝か、漫画「僕の地球を守って」みたいなイメージ。




 この時代のこの世界に、同じ志を持って生まれた仲間が散らばっている。

 繊細で、内省的で、常に魂の成長を求めてしまう人。

 なぜ人は生きるのかとか 自分はなんのために生まれたのかを 

真剣に考えずにはいられず、

より高いレベルの世界の実現を夢見ずにはいられない人たち。



 みんな広い世界のあちこちに 分断されていて、

 孤独と無力感に苦しみ、

 大多数の人たちと同じに生まれつかなかった自分を責めている。


 以前の私みたいに。





 だから、私は探し続けます。

 以前の私のような人に、「あなたはあなたのままでいい」と伝えたい。



 「あなたがあなたとして生まれたのにはわけがある」

 「あなたには使命がある」

 「あなたは一人じゃない。ここに仲間がいる。」

と伝えたい。



孤独な同志の魂を見つけ出し、エンパワメントし、

たくさんの仲間と引き合わせること。



そして、みんなで手を携え、支えあい励ましあって

“より良い世界の実現”という山の頂を目指し続けること。



 それが私のミッション(使命)です。

 


目指すのは、

「自分らしく輝くことは、周囲を明るく照らすこと」を

体現しながら力強く高みを飛翔する 火の鳥コーチ。


スピリチュアルな視点、

魂の成長の視点からのアプローチで、

人を自己受容へ促す タロット占い師。




 そうして もっともっと多くの同志を探し出し、

 「あなたのままでいい」

 「あなたはひとりじゃない」

 と伝えていきたい。



そして、支えあって同じ山の頂を目指したい。

力を合わせていっしょにより高いレベルの世界の実現を目指したい。


ぜひあなたも旅の仲間に加わりませんか?



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私にとってコーチングとは 〜フロドにサムがいてくれたように〜

 【私にとってコーチングとは
     
      〜 フロドにサムがいてくれたように 〜】

 

私にとってコーチングとは、

誰かが自分を信じて共に居てくれるということです。


フロドにサムが居てくれたように。



    ':・:*:. ☆ .:*:・:'



フロドにサムとは……何のことかわかりますか?

『ロード・オブ・ザ・リング』という映画の主要登場人物です。

この映画は私にとって特別な意味を持つものです。


私にとっては既に「映画の名作」ではありません。

私個人に届いた天啓であり、召命であり、Callingなんです。





    ':・:*:. ☆ .:*:・:'





ご存知ない方のために簡単にご説明。


映画の中で、フロドという名の主人公が、

「悪の象徴である魔力を持つ指輪を葬り去るために、

指輪を“滅びの火口”に捨てる」という旅に出ます。



サムという、忠実な友人であり従僕である存在が、

困難で危険に満ちた旅のあいだ中

フロドにずっと付き添ってくれます。




どんなにつらいときも、苦しいときも傍にいてくれるのです。





      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




そして彼は全面的にフロドを信頼しているのです。


彼ならこの困難な使命を貫きとおせると、

心の底からの信頼と敬意を捧げている。


そして、常にフロドの半歩後ろにつき従う。

決して前には立たない。

道を決めるのは常にフロド。



なぜならフロドこそがこの旅の主人公であり、

フロドこそが指輪の担い手だから。



でも、フロドが指輪の魔力に負けて道を踏み外しそうになったとき、

サムは決して見過ごしません。




「目を覚まして!」と、

雇い主であるはずの、

主人であるはずのフロドに敢然と向かっていく。



指輪の魔力に我を失ったフロドに

剣をノド元に突きつけられても動じません。



一切の恐怖を見せず、哀しげな表情でただ、

「私です、サムですよ、フロドさま。お分かりにならないのですか?」と。



そこには無垢の信頼があります。

フロドに対する、そして自分の動機に対する。



今は誤解されているかもしれない。

でも、自分の行為には一片のエゴもまじってはいない。

この誠実さと真摯さは必ずやフロドに通じる。


そのことへ対する全幅の信頼。





    ':・:*:. ☆ .:*:・:'




フロドはサムのおかげで、なんとか目的地近くまでたどり着きます。


しかし、火口を目前に、

とうとうフロドは疲労と心労のあまり倒れこみ、

もう起き上がれません。



そのとき、同じくらい疲弊しているはずのサムが彼を背負い、

立ち上がります。



「私には指輪をあなたに代わって運ぶことはできません。

でも、あなたを背負うことならできます。」





     ':・:*:. ☆ .:*:・:'




あなたがあなたの指輪の担い手であり、

私にはあなたの課題を肩代わりしてあげることはできない。


でも、あなたという存在を支えることなら出来ます……。


これはまさにコーチとクライアントの関係だと思いました。





      ':・:*:. ☆ .:*:・:'





指輪って、みんなの心の中にある易きに流れる心の象徴だと思うんです。


みんな、一瞬一瞬問われているのだと。

次の行動を、次の選択を。

ラクチンだけれども、使命や目標や夢や理想からは外れていく行動をする

(指輪を使う)のか、


誘惑を排し 淡々と目的地まで旅を続けるのか。






     ':・:*:. ☆ .:*:・:'





みんな一人一人が自分の胸の中に「魔の指輪」を運びながら

“人生”という旅をしている。



自分なりの使命や夢や理想や目標を目指す旅をしている。


指輪の誘惑に 易きに流れてしまいそうな心と 常に 孤独な戦いを続け、

ときに座り込みそうになる。



ときに道を間違いそうになる。





     ':・:*:. ☆ .:*:・:'





そんなとき、あなたにもサムが居てくれたら、と思いませんか。



どんなにつらいときも、苦しいときも 

傍にいてくれる存在がいたら、と。



全面的に自分を信頼してくれる人がいてくれたら。


あなたならこの困難な使命を貫きとおせると、

心の底からの信頼と敬意を捧げてくれる人。



でも、あなたが本来の道を踏み外しそうになったとき、

決して見過ごさない人。




「目を覚まして!」と、

「それがあなたの目指している道なの?そんなもんなの?」と、

敢然と、まっすぐに、自分の存在を賭けた真摯な一喝をくれる人。




あなたが疲れきってもう立ち上がれないと感じたときに、

「私にはあなたの課題を肩代わりしてあげることはできない。


でも、あなたという存在を支えることなら出来ます。」

と言ってくれる人……。



そんな人が傍に居てくれたら、

どんな大きな使命もやり通せそうな気がしませんか。

どんな困難にも立ち向かえそうな気がしませんか。

それが、コーチなのです。

それが、コーチングを受ける、ということなのです。


 


     ':・:*:. ☆ .:*:・:'





自分なりの使命や夢や理想を抱いて

“人生”という孤独な旅をしているあなた。


孤独な戦いに疲れて ときに座り込みそうになったり、

易きに流れる心に 負けそうになるあなた。


あなたのサムを雇ってみませんか。


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月26日

その1 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

私は子どもの頃、幼稚園でも学校でも、話せませんでした。

無理をすれば、かすかな裏声なら出すことができました。

先生に何か質問されたときなど、逃げられない時は、

裏声を使って絞り出すように返事していました。


  怖かったのです。

  ものすごく怖かった。



身体もまた、動かせませんでした。


高いところから下を見下ろしたとき、身体ってこわばりますよね。

あの感じが、家の外に居る間中続きました。

 常に、怖い。

 常に、不安。

外では、一箇所にじーっと、立ちすくみ続けていました。

幼稚園では、ホールの隅で、身体を丸めてうずくまり続けていました。

小学校では、自分の席で、朝登校してから夕方下校するまで、

うつむいたままただ座り続けていました。

誰ともしゃべらず、誰とも遊ばず。

トイレに行ったり教室移動したりする必要最小限以外、動きませんでした。

幼稚園の3年間(三年保育だったので^^)、小学校の6年間、ずっと。

ひたすら、固まり続けていました。


  怖かった怖かった怖かった。

  キケンキケンキケン。


今でもよくあの感覚を覚えています。


  身体がこわばる。

  激しい緊張。

  特に背中、腕、首筋。

  凍り付く感じ。

  のどがつまる。

  声帯が狭まる。

  声が出ない。


必要に迫られて、声を絞り出す。

身体のどこも響かせていない、のどだけで発声するか細い裏声で、

なんとか意思の疎通をする。



激しい自己否定。

  私はここにふさわしくない。

  私はここで認められていない。

  私が私であることがばれたら、追い出されるだろう。

  私は自分らしさを隠し通さなければならない。



そして、その信念を裏付けるように、

友達など一人もできず、いじめられ続けました。

意識が現実を作る、という一つの証明ですよね(^^)

私が「きっと受け入れてもらえない」と信じて

心を閉ざし殻に閉じこもったままだったので、その通りになった。


話もせず笑いもせず動きさえしない子どもに、友達ができるはずもなく。


子どもたちが、自分より弱い立場の子どもには攻撃的になるというのは、

自然な行動特性ですよね。


それが存分に発揮され、私はかっこうのイジメのターゲットでした。


苦痛でした。

毎日毎日が、苦痛でした。

「子どもってみんな無邪気で天真爛漫」みたいな言い方が私は好きじゃありません。

私は無邪気でも天真爛漫でもなかった。

子どもでしたが。

二歳の頃から記憶がありますが、ずっとそんな感じだった。

 (家の中や、家の近くの慣れた場所できょうだいで遊んでる時は、
  笑ったりしゃべったりいたずらしたり走り回ったりする
  普通の子どもだったのですが。)


今、本当に長い間の紆余曲折と努力が実り、

人生の中で一番無邪気で天真爛漫に振る舞えている気がします。

子ども時代より、今の私の方がずっと自由で、ずっと伸び伸びしている。

あの、自分に対する激しい否定の声が聞こえなくなりました。

  「何をやってもダメだ」

  「誰もお前を受け入れないだろう」

  「黙って邪魔にならないように引っ込んでいろ」

  「お前の存在は迷惑なのだ」

という自己評価から、やっと自由になりました。


  今、私の表情は柔らかい。

  今、私の身体は柔らかい。

  今、私の声は深く、力強い。


私は、自信を持って自分を表現する。

そして、周囲はそれを温かく受け入れてくれるという信頼を持てている。

実際、「共感しました」「そういうの素敵だと思う」と返してくれる人たちに、

今、囲まれている(^^)



ここに来るまで、私は本当に努力しました。

自分では、「血のにじむような努力」だったと感じています(^^;

「対人恐怖との闘いの半生」だったと(←大げさ?^^)。



小学校の頃の思い出で、忘れられないのが・・・(続く)



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その2 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

  
小学校の頃の思い出で、忘れられないことがあります。


弟が三年生、私が5年生くらいだったのではないかと思うのですが、

弟の声がかすれはじめたことがありました。

耳鼻咽喉科を受診したところ、声帯にポリープが出来ている、

ということで、手術をすることになりました。


そのとき、母から言われたこと。



 「あんたが変な裏声ばっかり出すからや。

  そやから弟が真似して、それでポリープになったんや。」




・・・私に対する心配は?・・・



私が好きこのんで、裏声を出しているとでも?



私の方がずっと裏声の頻度が高い。

だったら私にもポリープができる可能性があるのでは?

その心配は?



私は、裏声でしか話せなかったから、裏声を出していたのです。

普通の声が出せたなら、どれほど喜んで出したでしょうか(;;)



弟は、私と違い、天真爛漫で陽気で、友達の多い子でした。

滅多に裏声なんか出してなかったし、出した時は単純に遊びとして、

おもしろがって出していただけだった。



  そんな弟の声がかすれたら、病院に連れて行き、治療を受ける。

  私が声を出すことができないのは、放置。

  裏声でしか話せないのは、叱咤の対象。



  助けて欲しいのに!



私は、助けてほしかった。



  毎日毎日、不安と恐怖で動けない。声も出ない。話せない。

  毎日毎日、いじめられるために学校へ行く。



誰も、助けてくれなかった。



学校を休もうとしても、力づくで家から引っ張りだされた。

   不登校も認めてもらえなかった(;;)


児童相談所とか、スクールカウンセラーとか、心療内科とか、

そういう所に連れて行ってもらいたかった・・・

変だと気づいて欲しかった。

助けが必要なのでは?と思って欲しかった。




苦しい毎日からの救いのヒントを求めて、

私は小学生のうちから心理学に興味を持ち始めます。



精神科医だった父(でも我が子には手を差し伸べてくれなかったですが^^)の蔵書を、

読めるものは片っ端から読みました。


父のところに送られてくる精神医学会の学会誌なども読みました。


中学生に上がって、劇的な変化が訪れます。


   それは・・・(つづく)



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その3 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

中学生になって訪れた、劇的な変化。

なんと、普通の声で話せる相手ができたのです!

それも、三人も!!!

   ぱちぱちぱち!(拍手)




これは、本当に画期的なことでした。

今まで、何年間も努力してきてできなかったことができたのですから。



小学校卒業、中学校入学。

私が進んだのは地域の公立中学とはいえ、

これをきっかけに今までとは環境はがらりと変わります。


他の小学校からも入学生が来ます。

全く知らないメンバーが、同じクラスの半分を占めることになります。


私なりに、賭けたのです。

このチャンスに自分を変えないと、また同じ日々が続くだけだ、と。


幼い私にとって、本当に勇気のいることでした。

バンジージャンプを飛ぶくらいの決意と意志の力のいることでした。


私の持って生まれたギフトの一つに、「波長の近い人をかぎ分ける能力」があります。

その動物的な本能とも言うべき能力を駆使して、新たなクラスメイトの中から、ピンときた三人に普通の声で話しかけました。


ありったけの勇気と意志の力を総動員して。


そして、普通の声が出た。

そして、相手もにこにこと気持ちよく応対してくれた。



崩れ落ちて泣きじゃくりたいくらいの、安堵でした。

足ががたがた震えていました。


「やればできる」


 (ちなみに、そのときの三人の友人とは、今でも細く長くつながっています^^。

  Rちゃんは時々ブログを見ていてくれてるんじゃないかな? 

  Rちゃん、見てる?^^)



でも、「普通の声で話せる相手」は中学時代はその三人以上には増えませんでした。

学年が変わりクラスが変わりその三人とは離れても、

新しい気を許せる友達を作れない。


相変わらず針のむしろの中学生活。


ちょうど多感な思春期を迎えたこともあり、

私の苦しみは変わらず続きました。



  どうしてこうなんだろう?

  一生このままなんだろうか?

  さびしい、友達が欲しい。

  人と仲良くしたい。

  もっと色んな人と近づきたい。

  恋だってしたい。


こんな私に、いったいそんな日がくるんだろうか?

生きていても、いいことがあるんだろうか?



小学校の頃から希死念慮があったことを覚えていますが、

思春期を迎えて顕著に「死」に憧れ始めました。



  「人生がこんなに苦しく孤独なものならば、

        いっそ死んでしまいたい。」




そんな中、ますます心理学に傾倒していきました。

フロイトを読み、ユングを読みました。

母親がPTA仲間から借りてくる、

コミュニケーション系の子育て論の本も読みました。


  ちなみに、トマス・ゴードン博士の「親業」はいい著作でした。
  子供心に「こう接して欲しい!」と切実に願いました(^^)



自分自身のあまりの生きづらさを解明すべく、自己分析に没頭しました。

なぜここまで自己否定がひどいのか。

なぜここまで無価値感が強いのか。


そしてある日、とある古い記憶の封印を解きます・・・(つづく)


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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