いずれ書きたいなーと思っていた夫との出会いの話を、詳しく連載しちゃいますね!(照*^^*)
実話です(^^)
一切脚色なしです。
あれは私がまだ21歳の2月、大学の3年生になる春休み、韓国旅行中のことでした。
その旅で、私は、子どもの頃から思い描いていた通りの、まさに理想の男性と出会ってしまったのです・・・。
本来全く接点のない私と彼との人生が、ソウルという異国の地で、その安宿で、たった三日間だけ、重なったのですが・・・。
そんなご縁で結婚することもあるんですもんねーーー
人生って、わかりません・・・
えっと、海外への憧れが強く、「世界旅行研究会」というサークルに所属していた私は、1年生の時の香港・中国旅行、2年生の時のタイ・インド・ネパール旅行に次いで、その春休みに訪れる三回めの海外自由バックパック貧乏旅行の行き先として、韓国を選んだのです。
その頃、盧泰愚大統領への反発で治安が乱れ、デモ騒ぎが頻発したんですね、韓国は。
それを聞くと、冒険心がうずいてしまって(苦笑)
迷わず韓国を旅先に選びました。
そんな私ですので、治安の悪い地域をわざわざ訪ねた若者がテレビでバッシング受けているのを見ると、わがことのように感じてしまいます(^^;
若者は危険な経験がしたいものなんだ、と私は思います。
今、通過儀礼というイニシエーションを失ってしまった若者が、「死と再生」を疑似体験するためにバイクを飛ばしたり危険な海外にわざわざ行ったりするのはとても健全なことなんじゃないか、と思うのです・・・
それは時として、すさまじい迷惑を家族に、そして日本国に与えてしまう危険な行為ではあるのですが・・・。
色んな無茶をしてきた私が、特にこれといってひどいめにも遭わずここにこうしていられるのは、何か目に見えないものに守られてきたとしか思えないなあ、と改めて・・・
そして、21歳になったばかりの若さで、運命の人、赤い糸の相手とめぐり合えたというのもまた、大いなるもの(サムシンググレイト)の導き、見守りを感じずにはいられません・・・
私には、物心ついた頃から、「こんな人でなければ絶対に結婚しない」という明確なイメージがありました。
どんなイメージかというと・・・
・男女差別主義者ではない人。
家事育児すべてを平等に分担してくれる人。
・頭がよくて博識でリベラルで、柔軟な発想のできる人。
対話能力のある人。
知的な面で、尊敬させてくれる人。
・大胆で実行力のある人。
たとえばある日私が「あーあ、旅に行きたいな」と言ったとしたら、次の日荷造りして航空券用意して「ほら、行くぞ」と言うような、そんな人。
・生命力の強い人。サバイバル能力のある人。
自分の手で家を建てたり、自分で井戸を掘って水を確保できたりするような、山から獲物をぶら下げて帰ってきたりできるような、そんな人。
「大草原の小さな家のお父さん」のような、そんな人。
・職業は“ものを作る職人”希望。
私、両親が不仲な家庭で育ったので、結婚願望がなかったんです。
幼いときから母が、ため息をつきながら「結婚さえしていなければ」「独身のままでさえいれば」「子どもさえいなければ」と嘆くのを聞いて大きくなっていたので。
それに、TVや大人同士の会話で「結婚は人生の墓場」とか、面白おかしくちゃかして言ってますよね。
ああいうのを頭から信じてました。
結婚は人生の墓場だ、と。
結婚は不幸の始まりだ、と。
結婚なんかしたら、人生は終わってしまう、と。
幼稚園の頃から「私は結婚しない」と断言していたのを自分でもよく覚えていますし、親戚の叔父さんおばさんや幼馴染のお母さんなどと会う機会があると今でもよく言われます。
「たまちゃんがまさか結婚するとは思ってもみなかった^^;」
「あんたはずっと独身を通すんやと思ってた」
と・・・(^^;
小学校3、4年の時、なんの授業だったか、「結婚、と言う言葉から連想する言葉を言いなさい」と、順番に全員が指されたことがあります。
「幸せ」とか「ウェディングドレス」とか「家庭」とかそんな言葉が続く中、私ひとりが「離婚」と答えました(爆)
そんな私でしたから、「こんな人ならば結婚してやってもいい」(←偉そう^^;)という条件はことのほか厳しかったのです。
妥協なんかする気はさらさらない。
妥協するぐらいならば、結婚自体をしない。
妥協してまで結婚する価値なんて、いったいどこにあるのか?
そして、結婚後の生活スタイルにまで、厳しい注文は及ぶのでした。
その注文とは・・・
(つづく)
こちらではこんなコラムが読めます。
●私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など
●私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など
●インナーチャイルドの癒しの旅
●自分史:夫との出会い
●魂に響く絵本・児童文学第一号〜順次掲載しつづけます
●自分史:占い師への道
●過去生の記憶(魔女狩りの記憶 他)
●私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)
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2007年05月20日
自分史:夫との出会い その2
その注文とは
・北海道で広い土地を買って暮らす
・家はダンナ様手作り
・馬も飼う
・ダンナ様は在宅で職人業に従事。子どもに働いている姿を日々見せる。
・家事育児はもちろん平等に分担。
親にこの私のビジョンを話すと、「アホ!職人いうのは昔かたぎなもんや。家事育児をやってくれるような人がおるかいな!」と一笑にふされました(^^;
それならそれで、結婚なんてしないまでよ、と思っていた私でした。
高校生くらいのとき、さすがに異性が気になり、恋に憧れるようになりました・・・そして、その時始めて、「もしかして、結婚って、“好きな人”とずっと一緒に居れるってことなの?!」と気づきました(遅いって^^;)。
それまで「人生の墓場」にしか見えなかった結婚が、はじめて夢のあるものに見えた瞬間でした・・・。
その頃、自分がひどい淋しがりやであることにも気づき、「籍を入れるにしても入れないにしても、誰かと一緒に暮らしたいな」と思い始めました・・・。
大学入学直後のGWに、初めてのBFができました。
とっても優しい人で、この人のおかげで親元を離れての下宿生活にスムーズに慣れることができました。
でも、どこか物足りなかった。
「私の探しているのはこの人ではない」
交際二年目くらいから、私から別れ話を持ち出しては、結局寂しさに耐えられずまたよりを戻す、ということを繰り返すようになりました。
そんな中、“その1”に書いた“韓国バックパック貧乏一人旅”に旅立ったのです。
2月の韓国はとても寒く、空もいつも灰色で、時々雪が舞いました。
底抜けに明るかったタイやネパールの旅行と違い、一人旅の気分も滅入りがちでした・・・。
自然と、「地球の歩き方」を目印に、同じような貧乏旅行の日本人と馬鹿話に興じるのが重要な楽しみになりました。
その度に聞く色んな人から聞く、「もう謎の金髪の日本人には遭った?」という話題。
日本人離れした金髪らしい。
言動もすごく“謎”らしい。
今、韓国のあちこちに出没しているらしい・・・。
そんなある日、ソウルの有名な安宿で、私が泊まっていた「女子部屋」の戸を開けると、中庭に、ド金髪をおかっぱにした、背の高い男性がアルカイックスマイルを浮かべて座っていました。
目があったので会釈をすると、返してくれました・・・
「これが噂の“謎の金髪の日本人”さん?!
とうとう遭っちゃった!」
そのときの私には、まさかその後、その謎の日本人と結婚することになろうとは、夢にも・・・・
当時泊まっていたソウルの有名な安宿。
確か名前は大宇旅館だったような気が・・・。
ドミトリーがいくつかあって、そのうちのひとつが女の子部屋。
ほんの、三畳くらいの狭い部屋に、二組の布団。
布団のサイズが、ひとつはシングルなんだけど、ひとつはダブルサイズ。
で、定員が三名。
・・・つまり、ダブルの布団で二人で寝ろ、という意味です(^^;
たとえ、自分の連れでなくても。
つまり、ある朝目が覚めてみたら、同じ布団で、見ず知らずのおばさんが寝ている、ということです(爆)
実際、二日目の朝、目が覚めてみたら、私の隣で、同じ布団にくるまって、白人の年配の女性がすやすや眠ってました(笑)
なかなか新鮮な経験でした・・・
で、その女の子部屋の戸を開けてすぐが、中庭。
大きなテーブルが置いてあり、それを囲んで椅子がたくさん。
ワンコインを箱に入れれば、セルフサービスでインスタントコーヒーやティーバックの紅茶などを自由に飲めるようになっています。
いつも、貧乏旅行者がたくさんたむろして(なぜか日本人が中心でした)、自分の旅の貧乏自慢や危険自慢、不潔自慢などをしていました(爆)。
その旅館があまりに居心地よくって、ついつい10日間ほども滞在してしまった私ですが(たとえ布団が共用でも!)、その中庭で聞いた「謎の金髪の日本人」の武勇伝の数々。
次々に来ては去っていく旅人の多くが、「彼」について語るのです。
不思議な髪の色、不思議な髪型、不思議な風貌。
全てにおいて日本人離れしている、とか。
旅館に部屋を取っておきながら、数日間帰ってこない、とか。
観光地に数日間滞在していながら、全然観光地めぐりをしていない、一体なにをしているのか、とか。
なんせ風貌が目立つので、
「もう謎の金髪の日本人と遭遇した?」
「え?金髪の日本人?・・・ああ、見た見た!あの背の高い人でしょう?」
とか、
「まだ見てないけど、噂を聞いてる〜。不思議な人なんだって?」
とか、とにかくいいネタになっていました(^^)
私も「ええーーー、そんな人がいるのーーー?!一度お会いしてみたい!」と好奇心の塊になっていました♪
そして、その運命の日に、女の子部屋の戸を開けた向こうに座っていた金髪の青年は、噂どおりの神秘的なアルカイックスマイルを浮かべていたのでした。
180cmの長身に、モコモコのダウンジャケットを着ているせいで、妙に体格よく見えました。
ダウンジャケットと長身と金髪の取り合わせのせいで、妙にアメリカ人チックに見え、ほんと日本人離れした不思議な風貌でした・・・
彼は、当時、九州の家具工房を辞めたところでした。
次は北海道の職業訓練校に建築の勉強をするために行くことが決まっていました。
北海道への引越しの前に、工芸品などに触れるために、韓国・台湾の旅をしていたそうです。
ソウルのその安宿には、三日間だけの滞在でした。
私は当時、東京で学生生活。
本来全く接点のない私と彼との人生が、ソウルという異国の地で、その安宿で、たった三日間だけ、重なりました・・・
(つづく)
・北海道で広い土地を買って暮らす
・家はダンナ様手作り
・馬も飼う
・ダンナ様は在宅で職人業に従事。子どもに働いている姿を日々見せる。
・家事育児はもちろん平等に分担。
親にこの私のビジョンを話すと、「アホ!職人いうのは昔かたぎなもんや。家事育児をやってくれるような人がおるかいな!」と一笑にふされました(^^;
それならそれで、結婚なんてしないまでよ、と思っていた私でした。
高校生くらいのとき、さすがに異性が気になり、恋に憧れるようになりました・・・そして、その時始めて、「もしかして、結婚って、“好きな人”とずっと一緒に居れるってことなの?!」と気づきました(遅いって^^;)。
それまで「人生の墓場」にしか見えなかった結婚が、はじめて夢のあるものに見えた瞬間でした・・・。
その頃、自分がひどい淋しがりやであることにも気づき、「籍を入れるにしても入れないにしても、誰かと一緒に暮らしたいな」と思い始めました・・・。
大学入学直後のGWに、初めてのBFができました。
とっても優しい人で、この人のおかげで親元を離れての下宿生活にスムーズに慣れることができました。
でも、どこか物足りなかった。
「私の探しているのはこの人ではない」
交際二年目くらいから、私から別れ話を持ち出しては、結局寂しさに耐えられずまたよりを戻す、ということを繰り返すようになりました。
そんな中、“その1”に書いた“韓国バックパック貧乏一人旅”に旅立ったのです。
2月の韓国はとても寒く、空もいつも灰色で、時々雪が舞いました。
底抜けに明るかったタイやネパールの旅行と違い、一人旅の気分も滅入りがちでした・・・。
自然と、「地球の歩き方」を目印に、同じような貧乏旅行の日本人と馬鹿話に興じるのが重要な楽しみになりました。
その度に聞く色んな人から聞く、「もう謎の金髪の日本人には遭った?」という話題。
日本人離れした金髪らしい。
言動もすごく“謎”らしい。
今、韓国のあちこちに出没しているらしい・・・。
そんなある日、ソウルの有名な安宿で、私が泊まっていた「女子部屋」の戸を開けると、中庭に、ド金髪をおかっぱにした、背の高い男性がアルカイックスマイルを浮かべて座っていました。
目があったので会釈をすると、返してくれました・・・
「これが噂の“謎の金髪の日本人”さん?!
とうとう遭っちゃった!」
そのときの私には、まさかその後、その謎の日本人と結婚することになろうとは、夢にも・・・・
☆ ☆ ☆
当時泊まっていたソウルの有名な安宿。
確か名前は大宇旅館だったような気が・・・。
ドミトリーがいくつかあって、そのうちのひとつが女の子部屋。
ほんの、三畳くらいの狭い部屋に、二組の布団。
布団のサイズが、ひとつはシングルなんだけど、ひとつはダブルサイズ。
で、定員が三名。
・・・つまり、ダブルの布団で二人で寝ろ、という意味です(^^;
たとえ、自分の連れでなくても。
つまり、ある朝目が覚めてみたら、同じ布団で、見ず知らずのおばさんが寝ている、ということです(爆)
実際、二日目の朝、目が覚めてみたら、私の隣で、同じ布団にくるまって、白人の年配の女性がすやすや眠ってました(笑)
なかなか新鮮な経験でした・・・
で、その女の子部屋の戸を開けてすぐが、中庭。
大きなテーブルが置いてあり、それを囲んで椅子がたくさん。
ワンコインを箱に入れれば、セルフサービスでインスタントコーヒーやティーバックの紅茶などを自由に飲めるようになっています。
いつも、貧乏旅行者がたくさんたむろして(なぜか日本人が中心でした)、自分の旅の貧乏自慢や危険自慢、不潔自慢などをしていました(爆)。
その旅館があまりに居心地よくって、ついつい10日間ほども滞在してしまった私ですが(たとえ布団が共用でも!)、その中庭で聞いた「謎の金髪の日本人」の武勇伝の数々。
次々に来ては去っていく旅人の多くが、「彼」について語るのです。
不思議な髪の色、不思議な髪型、不思議な風貌。
全てにおいて日本人離れしている、とか。
旅館に部屋を取っておきながら、数日間帰ってこない、とか。
観光地に数日間滞在していながら、全然観光地めぐりをしていない、一体なにをしているのか、とか。
なんせ風貌が目立つので、
「もう謎の金髪の日本人と遭遇した?」
「え?金髪の日本人?・・・ああ、見た見た!あの背の高い人でしょう?」
とか、
「まだ見てないけど、噂を聞いてる〜。不思議な人なんだって?」
とか、とにかくいいネタになっていました(^^)
私も「ええーーー、そんな人がいるのーーー?!一度お会いしてみたい!」と好奇心の塊になっていました♪
そして、その運命の日に、女の子部屋の戸を開けた向こうに座っていた金髪の青年は、噂どおりの神秘的なアルカイックスマイルを浮かべていたのでした。
180cmの長身に、モコモコのダウンジャケットを着ているせいで、妙に体格よく見えました。
ダウンジャケットと長身と金髪の取り合わせのせいで、妙にアメリカ人チックに見え、ほんと日本人離れした不思議な風貌でした・・・
彼は、当時、九州の家具工房を辞めたところでした。
次は北海道の職業訓練校に建築の勉強をするために行くことが決まっていました。
北海道への引越しの前に、工芸品などに触れるために、韓国・台湾の旅をしていたそうです。
ソウルのその安宿には、三日間だけの滞在でした。
私は当時、東京で学生生活。
本来全く接点のない私と彼との人生が、ソウルという異国の地で、その安宿で、たった三日間だけ、重なりました・・・
(つづく)
自分史:夫との出会い その3
本来全く接点のない私と彼との人生が、ソウルという異国の地で、その安宿で、たった三日間だけ、重なりました。
一日目。
目が合ったので会釈しただけ。
中庭のテーブルで同席したが、お互いが言葉を交わす機会はなし。
口数が少なくて控えめな、ニコニコした人だなあ、というのが印象でした。
自分の「貧乏旅行自慢」を口角泡を飛ばして話す「俺が俺が」タイプの強烈な旅行者が多い中、「俺が俺が」と自己主張しなくても存在感があるところに好感を持ちました・・・。
無口にニコニコしているだけで、すごい存在感でしたから・・・(^^;
二日目。
一人でソウルの街をうろうろしていると、突然「どこ行くの」と日本語で声を掛けられてびっくり!
“謎の金髪の日本人”さんでした。
はじめてのちゃんとした会話でした。
「私のこと覚えててくれたんだ」と意外に思いました(^^)
ろくに言葉も交わしてませんでしたから・・・。
私はただ自分の行き先を言い、彼は「あさってから台湾へ行くので航空券を取りに来たんだ」と言いました。
その時はそれだけ・・・。
たった30秒ほどの会話のあと、「じゃ!」と別れました。
その夜、また中庭でたむろってました。
私はその滞在中にすっかり仲良くなった数人の仲間とおしゃべり。
明日どうするの、という話になりました。
「私は板門店ツアー。」
私が言うと、近くで他の人と話していた“謎の金髪の日本人”さんが「あ、俺も明日は板門店。」
北朝鮮との国境、板門店には、一般人は自由に入れません。
観光客のために「板門店ツアー」というものがあり、行って見たい人はそれに参加することになります。
その安宿にたむろしている旅行者が次々に板門店ツアーに参加しては、ものものしい警備の緊張感あふれる国境地帯の雰囲気を語るのを聞いていると、自由旅行好きでパックツアーをどこか馬鹿にしていた私も、板門店ツアーにだけは行きたくなってしまったのです。
板門店ツアーは毎日行われています。のんきな自由旅行の身、参加はいつでもよかった。
たまたま、申し込んだ日が、、“謎の金髪の日本人”さんと同じでした。
そして、その安宿たむろ仲間からは、その日参加するのが私と彼だけでした。
自然に、「じゃあ一緒に行きましょう」という話になりました。
これが、運命の分かれ道ですよね。
「板門店ツアー」の次の日、彼は台湾へと発って行ってしまいますから。
「板門店ツアー」に参加する日が、お互い一日でもずれていたら、今私はここでこんな生活はしていないでしょう(^^)
また、その安宿たむろ仲間の中で、同じ日に参加する人が他にもいたら、私は既に仲良くなっていたそっちの人とばかり話していたかもしれません・・・。
本当に、運命は不思議です・・・。
ちなみに、そのときはまだ、彼のことをなんとも思っていませんでした。
私は自分のことを「変な人クレクター」と自称しているのですが(笑)、風変わりな人や変人奇人と呼ばれるような人には好奇心がうずき、もっと知りたくなってしまうところがあります。
彼に対してもその辺の好奇心はうずいてました。
でも、異性に対する「ちょっといいな」というようなものは、そのときは全然ありませんでした。
だって、ド金髪をおかっぱにしてるんですよ!
180cmの長身に、モコモコのダウンジャケットを着ているせいで、すごくガタイよく見えるんです(本当はガリガリ君でしたが^^;)!
そんな男性が、おかっぱ頭・・・
面長で、アゴと首のがっしりした、青池保子が描く「エロイカより愛をこめて」の登場人物のような輪郭をしているんですよ(輪郭だけね)。
そんな男性が、おかっぱ頭・・・。
申しわけないですが、「かっこいい」という言葉からは・・・かなり縁遠かったです(苦笑)。
感じのいい人だとは思っていましたが。
そして一晩明けて、運命が大きく動く板門店ツアーの日がやってまいりました。
しかし、私はなんと寝坊をしてしまったのです・・・
ツアーの集合時間に間に合うように約束していた時間をいくらか過ぎて、私は身支度もほどほどに部屋を飛び出しました。
待ちかねていたらしい「金髪の日本人」さん。
私を見るなり「行くぞ!」。
集合場所まで一目散にスタスタ。
その途中、急いでいるはずなのに、突然雑貨屋さんに立ち寄る彼。
どうしたのかなと見ていると、黙って菓子パンを一袋買いました。
お腹空いてるのね、この人も朝ごはん食べてないのかな、と思っていると、お店から出てきた彼は黙ってそのパンを袋ごと私に差し出しました。
そしてまた無言でダッシュ。
そうです、朝ごはんを食べる時間のなかった私のためだけに、菓子パンを買ってくれたのです(;;)
ほとんど、見ず知らずの他人に近い状態の私のために・・・。
「食べる?」とか聞かないで、黙って買って黙って手渡す無口さが男らしい・・・
と、その時最初に「じーーーーん」ときました(^^;
(その後、同じ行動が
「なんで私の気持ちを聞かないの?」
「なんで、勝手に憶測で判断するの?」と
何度も何度もケンカの原因となるとは
そのときは知るよしもなかったのでした。。。爆;)
そしてまた、「時間は守らなければならない」と思っているらしい態度に好感を持ちました。
外見や旅のスタイルは、充分すぎるほどアナーキーで自由人なわけですよ、彼は。
その彼が、「約束の時間は守らなければ」という価値観を大切にしているらしい。
バランス感覚を感じました。
メリハリを。
社会常識に縛られるのでもなく、無責任や非常識やだらしなさに走るのではない。
自分の行動を自分なりの美学で選択しているんだろうな、と思いました。
人には迷惑をかけない。
信頼関係は守る。
でも、人に迷惑をかけず自分の良心に恥じないならば、
“人からどう思われるか”とか
“普通みんなどうしてるか”、などには
縛られるつもりは毛頭ない。
その哲学を感じ、またじーーーーーんとしました。
それから、遅刻した私に気分を害している様子が見えないところも。
それどころか、パンを買ってくれたり、さりげなく気遣ってくれるわけです。
「優しい・・・」
またまた、じーーーーーん。
朝から私の中の彼の点数が急上昇。
そんな好印象で、半日コースの板門店ツアーに出発しました。
ツアー会社の観光バスで、一路板門店に向かいます。
ツアー参加者は20人とか30人規模だったのではないでしょうか。
その中、同じ宿から一緒に参加した「金髪の日本人さん」と自然とペアで行動しました。
まあ、いわばいきなりデートをしたのに近い状況ですよね。
バスの中など、ゆっくりと二人で会話する時間がたっぷりありました。
そして、
彼が5年間の手作り家具工房での修行を終えたばかりであること、
次は建築の勉強をするために北海道の職業訓練校に行くことが決まっていること、
将来は北海道で家具工房を開きたいこと、
その自宅兼工房を自分の手で建てたいこと、などを聞くことができました・・・
「理想の男性と出会ってしまった!!!」
もう口あんぐり状態です(爆)
完全に目はハートです(自爆!)
私には、物心ついた頃から、「こんな人でなければ絶対に結婚しない」という明確なイメージがあったことを書きました。
・男女差別主義者ではない人。
・頭がよくて博識でリベラルで、柔軟な発想のできる人。
・大胆で実行力のある人。
・自分の手で家を建てたりできる「大草原の小さな家のお父さん」のような人。
・職業は“ものを作る職人”希望。
そして、結婚後の生活スタイルにも、明確なイメージがありました。
・北海道で広い土地を買って暮らす
・家はダンナ様手作り
・馬も飼う
・ダンナ様は在宅で職人業に従事。子どもに働いている姿を日々見せる。
・家事育児はもちろん平等に分担。
これらの条件を、完全に満たす人と、出会っちゃったよーーーー!!!!
話してて伝わってくるリベラルさ。
「男だから女だからと決め付けるのは好きではない」とサラリと言ってのけてくれます。
「僕は家が洋食屋で、家業を手伝っていたので料理くらい幾らでも作れる。
食事なんて、作れる方が作ればいいんや。
僕は奥さんが望むんやったら専業主夫でも全然かまへん。」
話せば話すほど、私が思い描いていたものとぴったり一致するのです。
北海道に、できれば広い土地を買って、馬や山羊やニワトリなどを飼いたい、とか。
話は弾み、とても楽しく、あっというまに半日間の板門店ツアーは終わり、ソウルに帰ってきました。
ツアーは解散です。
「この後どうするの?」と尋ねると、彼は「骨董品街に行ってみたい」と言います。
私は思い切って・・・
(つづく)
一日目。
目が合ったので会釈しただけ。
中庭のテーブルで同席したが、お互いが言葉を交わす機会はなし。
口数が少なくて控えめな、ニコニコした人だなあ、というのが印象でした。
自分の「貧乏旅行自慢」を口角泡を飛ばして話す「俺が俺が」タイプの強烈な旅行者が多い中、「俺が俺が」と自己主張しなくても存在感があるところに好感を持ちました・・・。
無口にニコニコしているだけで、すごい存在感でしたから・・・(^^;
二日目。
一人でソウルの街をうろうろしていると、突然「どこ行くの」と日本語で声を掛けられてびっくり!
“謎の金髪の日本人”さんでした。
はじめてのちゃんとした会話でした。
「私のこと覚えててくれたんだ」と意外に思いました(^^)
ろくに言葉も交わしてませんでしたから・・・。
私はただ自分の行き先を言い、彼は「あさってから台湾へ行くので航空券を取りに来たんだ」と言いました。
その時はそれだけ・・・。
たった30秒ほどの会話のあと、「じゃ!」と別れました。
その夜、また中庭でたむろってました。
私はその滞在中にすっかり仲良くなった数人の仲間とおしゃべり。
明日どうするの、という話になりました。
「私は板門店ツアー。」
私が言うと、近くで他の人と話していた“謎の金髪の日本人”さんが「あ、俺も明日は板門店。」
北朝鮮との国境、板門店には、一般人は自由に入れません。
観光客のために「板門店ツアー」というものがあり、行って見たい人はそれに参加することになります。
その安宿にたむろしている旅行者が次々に板門店ツアーに参加しては、ものものしい警備の緊張感あふれる国境地帯の雰囲気を語るのを聞いていると、自由旅行好きでパックツアーをどこか馬鹿にしていた私も、板門店ツアーにだけは行きたくなってしまったのです。
板門店ツアーは毎日行われています。のんきな自由旅行の身、参加はいつでもよかった。
たまたま、申し込んだ日が、、“謎の金髪の日本人”さんと同じでした。
そして、その安宿たむろ仲間からは、その日参加するのが私と彼だけでした。
自然に、「じゃあ一緒に行きましょう」という話になりました。
これが、運命の分かれ道ですよね。
「板門店ツアー」の次の日、彼は台湾へと発って行ってしまいますから。
「板門店ツアー」に参加する日が、お互い一日でもずれていたら、今私はここでこんな生活はしていないでしょう(^^)
また、その安宿たむろ仲間の中で、同じ日に参加する人が他にもいたら、私は既に仲良くなっていたそっちの人とばかり話していたかもしれません・・・。
本当に、運命は不思議です・・・。
ちなみに、そのときはまだ、彼のことをなんとも思っていませんでした。
私は自分のことを「変な人クレクター」と自称しているのですが(笑)、風変わりな人や変人奇人と呼ばれるような人には好奇心がうずき、もっと知りたくなってしまうところがあります。
彼に対してもその辺の好奇心はうずいてました。
でも、異性に対する「ちょっといいな」というようなものは、そのときは全然ありませんでした。
だって、ド金髪をおかっぱにしてるんですよ!
180cmの長身に、モコモコのダウンジャケットを着ているせいで、すごくガタイよく見えるんです(本当はガリガリ君でしたが^^;)!
そんな男性が、おかっぱ頭・・・
面長で、アゴと首のがっしりした、青池保子が描く「エロイカより愛をこめて」の登場人物のような輪郭をしているんですよ(輪郭だけね)。
そんな男性が、おかっぱ頭・・・。
申しわけないですが、「かっこいい」という言葉からは・・・かなり縁遠かったです(苦笑)。
感じのいい人だとは思っていましたが。
そして一晩明けて、運命が大きく動く板門店ツアーの日がやってまいりました。
しかし、私はなんと寝坊をしてしまったのです・・・
☆ ☆ ☆
ツアーの集合時間に間に合うように約束していた時間をいくらか過ぎて、私は身支度もほどほどに部屋を飛び出しました。
待ちかねていたらしい「金髪の日本人」さん。
私を見るなり「行くぞ!」。
集合場所まで一目散にスタスタ。
その途中、急いでいるはずなのに、突然雑貨屋さんに立ち寄る彼。
どうしたのかなと見ていると、黙って菓子パンを一袋買いました。
お腹空いてるのね、この人も朝ごはん食べてないのかな、と思っていると、お店から出てきた彼は黙ってそのパンを袋ごと私に差し出しました。
そしてまた無言でダッシュ。
そうです、朝ごはんを食べる時間のなかった私のためだけに、菓子パンを買ってくれたのです(;;)
ほとんど、見ず知らずの他人に近い状態の私のために・・・。
「食べる?」とか聞かないで、黙って買って黙って手渡す無口さが男らしい・・・
と、その時最初に「じーーーーん」ときました(^^;
(その後、同じ行動が
「なんで私の気持ちを聞かないの?」
「なんで、勝手に憶測で判断するの?」と
何度も何度もケンカの原因となるとは
そのときは知るよしもなかったのでした。。。爆;)
そしてまた、「時間は守らなければならない」と思っているらしい態度に好感を持ちました。
外見や旅のスタイルは、充分すぎるほどアナーキーで自由人なわけですよ、彼は。
その彼が、「約束の時間は守らなければ」という価値観を大切にしているらしい。
バランス感覚を感じました。
メリハリを。
社会常識に縛られるのでもなく、無責任や非常識やだらしなさに走るのではない。
自分の行動を自分なりの美学で選択しているんだろうな、と思いました。
人には迷惑をかけない。
信頼関係は守る。
でも、人に迷惑をかけず自分の良心に恥じないならば、
“人からどう思われるか”とか
“普通みんなどうしてるか”、などには
縛られるつもりは毛頭ない。
その哲学を感じ、またじーーーーーんとしました。
それから、遅刻した私に気分を害している様子が見えないところも。
それどころか、パンを買ってくれたり、さりげなく気遣ってくれるわけです。
「優しい・・・」
またまた、じーーーーーん。
朝から私の中の彼の点数が急上昇。
そんな好印象で、半日コースの板門店ツアーに出発しました。
ツアー会社の観光バスで、一路板門店に向かいます。
ツアー参加者は20人とか30人規模だったのではないでしょうか。
その中、同じ宿から一緒に参加した「金髪の日本人さん」と自然とペアで行動しました。
まあ、いわばいきなりデートをしたのに近い状況ですよね。
バスの中など、ゆっくりと二人で会話する時間がたっぷりありました。
そして、
彼が5年間の手作り家具工房での修行を終えたばかりであること、
次は建築の勉強をするために北海道の職業訓練校に行くことが決まっていること、
将来は北海道で家具工房を開きたいこと、
その自宅兼工房を自分の手で建てたいこと、などを聞くことができました・・・
「理想の男性と出会ってしまった!!!」
もう口あんぐり状態です(爆)
完全に目はハートです(自爆!)
私には、物心ついた頃から、「こんな人でなければ絶対に結婚しない」という明確なイメージがあったことを書きました。
・男女差別主義者ではない人。
・頭がよくて博識でリベラルで、柔軟な発想のできる人。
・大胆で実行力のある人。
・自分の手で家を建てたりできる「大草原の小さな家のお父さん」のような人。
・職業は“ものを作る職人”希望。
そして、結婚後の生活スタイルにも、明確なイメージがありました。
・北海道で広い土地を買って暮らす
・家はダンナ様手作り
・馬も飼う
・ダンナ様は在宅で職人業に従事。子どもに働いている姿を日々見せる。
・家事育児はもちろん平等に分担。
これらの条件を、完全に満たす人と、出会っちゃったよーーーー!!!!
話してて伝わってくるリベラルさ。
「男だから女だからと決め付けるのは好きではない」とサラリと言ってのけてくれます。
「僕は家が洋食屋で、家業を手伝っていたので料理くらい幾らでも作れる。
食事なんて、作れる方が作ればいいんや。
僕は奥さんが望むんやったら専業主夫でも全然かまへん。」
話せば話すほど、私が思い描いていたものとぴったり一致するのです。
北海道に、できれば広い土地を買って、馬や山羊やニワトリなどを飼いたい、とか。
話は弾み、とても楽しく、あっというまに半日間の板門店ツアーは終わり、ソウルに帰ってきました。
ツアーは解散です。
「この後どうするの?」と尋ねると、彼は「骨董品街に行ってみたい」と言います。
私は思い切って・・・
(つづく)
自分史:夫との出会い その4
子どもの頃から思い描いていた通りの、まさに理想の男性と出会ってしまった・・・。
本来全く接点のない私と彼との人生が、ソウルという異国の地で、その安宿で、たった三日間だけ、重なりました。
その最終日、彼こそがまさに私がずっと探していた人だ、という確信をもちました。
でも、明日から彼は台湾。
一緒に居られるのは今日だけ。
しかも日本に帰国してからも、私は東京、彼は北海道。
無理だと思いました(^^;
いくら私が盛り上がろうと、無理なもんは無理だ、と。
出会ったものの、「こんな人もいるんだー」という感慨だけを私に残して、私の人生からは去って行ってしまうんだろうな、と。
半日コースの板門店ツアーが終わろうとする頃、「この後どうするの?」と彼に尋ねました。
「骨董品街に行ってみようかと思って」という返事に、私は思い切って「一緒に行こうかな」と言ってみました。
恐る恐る・・・。
ちょっとでも迷惑そうだったら即効撤回するつもりでした(^^;
ほんと、当時は対人恐怖症が一番きつかった頃でしたから。
それを考えると、出会ったのが旅先だったのはものすごい幸運でした。
旅先で出会う人に対しては自分を表現できたので。
私の場合、「これからも付き合わなければいけない人間関係」が一番苦手でした。
過去生の記憶のせいかなにかわかりませんが(^^;、
とにかく「これからも**ヶ月間付き合いがある」と思ったとたん、身体がこわばり、心臓がバクバク、冷や汗たらり、声が出ない、笑顔なんて作れない、という状態になってしまってました、当時。
でも、それが旅先だと、とても開放感を感じることができました。
本当の自分を出しても大丈夫、と思えました。
旅先では、初対面だろうがなんだろうがニコニコしながら心を開いて対話ができました。
今の私に近い感じですね。
土地の人とも、言葉が通じなくても楽しく交流ができました。
片言の韓国語を話すととても喜んでくれるのが嬉しくて・・・。
後から彼に聞くと、私がとても社交的で人見知りしない明るい子に見えたそうです。
一人旅のはずなのに、たくさん友達を作っててすごいな、って見えていたとか。
いやあ、ほんと、旅先で出会っていてよかったです。
旅先だからこそ、恐る恐るでも、私から「一緒に行こうかな」なんて言えたんでしょうね。
彼は喜んで快諾してくれ、午後も一緒にソウルの骨董品街をブラブラすることになりました。
(後から聞くと、私のことなーーんとも思ってなかったそうですが^^;。とりあえず若い女の子だったので、ちょっとときめいたそうですが、それだけだったそうです・・・悔しい!)
そこでまた私は彼に惚れ直します(*^^*)
だって、骨董品屋さんに並んでいるタンスや小卓を見て、「これはケヤキや」とか、「これはムクの一枚板や」とか、ひとめでわかるんですよ!?
「これは合板や」とか。
で、その見分け方とか、価値とかを教えてくれます。
そういう職人の世界に憧れていたけれども、今まで身近にそういう人が居なかった私は、またまた目がハートに・・・。
すごい人と知り合ってしまった、と・・・。
こんな人を探していたんだ、と・・・。
明日の朝この人は韓国を発っていってしまう。
でもそれまでになんとか縁をつながなくては。
つきあうのは無理でも、知り合いとして、友達として、手紙をやりとりしたり、なんらかの形でつながりたい!
そのためには・・・
☆ ☆ ☆
そのためには、住所交換をするしかない!
当時、まだ携帯電話もないし、パソコンでのメールもまだなかったんですね。
やっと留守番電話が普及し始めた頃でした(歳がばれますね)。
なんとか、つながりを保ちたいならば、住所を教えてもらって、手紙を書くしかない。
でも、なんて言って住所を聞こう?
女性から男性にこういうこと聞くのって、とっても勇気が要りますよね。
でも、いい口実がひとつありました。
午前中の板門店ツアーで、彼が何枚か私の写真を撮ってくれていたのです。
「写真、私の住所を教えたら送ってもらえる?」
と話しかけました。
そして自然な感じで住所交換完了!!
やったーーー。
次の朝早く、私がまだ寝ているうちに、彼は次の目的地、台湾に向けて旅立って行きました・・・。
私の中で、“謎の金髪の日本人”さんは、伝説となりました・・・。
その後、旅先で出会って親しくなる人ごとに、「こんな人と出会っちゃった」と熱く語り続けました(笑)。
「まさに理想の男性像にぴったりなのよ!」と(笑)
相手にとってはいい迷惑だったことでしょう(^^;
でも、それを聞かされた誰が、その後私がその「理想の男性」と結婚することになると思ったでしょうか。
付き合えるとさえ、私自身も思ってもいませんでした。
当時北海道に住んでいた彼と、東京で学生生活中の私が、その距離の壁を超えてつきあうことになったきっかけは・・・
(つづく)
本来全く接点のない私と彼との人生が、ソウルという異国の地で、その安宿で、たった三日間だけ、重なりました。
その最終日、彼こそがまさに私がずっと探していた人だ、という確信をもちました。
でも、明日から彼は台湾。
一緒に居られるのは今日だけ。
しかも日本に帰国してからも、私は東京、彼は北海道。
無理だと思いました(^^;
いくら私が盛り上がろうと、無理なもんは無理だ、と。
出会ったものの、「こんな人もいるんだー」という感慨だけを私に残して、私の人生からは去って行ってしまうんだろうな、と。
半日コースの板門店ツアーが終わろうとする頃、「この後どうするの?」と彼に尋ねました。
「骨董品街に行ってみようかと思って」という返事に、私は思い切って「一緒に行こうかな」と言ってみました。
恐る恐る・・・。
ちょっとでも迷惑そうだったら即効撤回するつもりでした(^^;
ほんと、当時は対人恐怖症が一番きつかった頃でしたから。
それを考えると、出会ったのが旅先だったのはものすごい幸運でした。
旅先で出会う人に対しては自分を表現できたので。
私の場合、「これからも付き合わなければいけない人間関係」が一番苦手でした。
過去生の記憶のせいかなにかわかりませんが(^^;、
とにかく「これからも**ヶ月間付き合いがある」と思ったとたん、身体がこわばり、心臓がバクバク、冷や汗たらり、声が出ない、笑顔なんて作れない、という状態になってしまってました、当時。
でも、それが旅先だと、とても開放感を感じることができました。
本当の自分を出しても大丈夫、と思えました。
旅先では、初対面だろうがなんだろうがニコニコしながら心を開いて対話ができました。
今の私に近い感じですね。
土地の人とも、言葉が通じなくても楽しく交流ができました。
片言の韓国語を話すととても喜んでくれるのが嬉しくて・・・。
後から彼に聞くと、私がとても社交的で人見知りしない明るい子に見えたそうです。
一人旅のはずなのに、たくさん友達を作っててすごいな、って見えていたとか。
いやあ、ほんと、旅先で出会っていてよかったです。
旅先だからこそ、恐る恐るでも、私から「一緒に行こうかな」なんて言えたんでしょうね。
彼は喜んで快諾してくれ、午後も一緒にソウルの骨董品街をブラブラすることになりました。
(後から聞くと、私のことなーーんとも思ってなかったそうですが^^;。とりあえず若い女の子だったので、ちょっとときめいたそうですが、それだけだったそうです・・・悔しい!)
そこでまた私は彼に惚れ直します(*^^*)
だって、骨董品屋さんに並んでいるタンスや小卓を見て、「これはケヤキや」とか、「これはムクの一枚板や」とか、ひとめでわかるんですよ!?
「これは合板や」とか。
で、その見分け方とか、価値とかを教えてくれます。
そういう職人の世界に憧れていたけれども、今まで身近にそういう人が居なかった私は、またまた目がハートに・・・。
すごい人と知り合ってしまった、と・・・。
こんな人を探していたんだ、と・・・。
明日の朝この人は韓国を発っていってしまう。
でもそれまでになんとか縁をつながなくては。
つきあうのは無理でも、知り合いとして、友達として、手紙をやりとりしたり、なんらかの形でつながりたい!
そのためには・・・
☆ ☆ ☆
そのためには、住所交換をするしかない!
当時、まだ携帯電話もないし、パソコンでのメールもまだなかったんですね。
やっと留守番電話が普及し始めた頃でした(歳がばれますね)。
なんとか、つながりを保ちたいならば、住所を教えてもらって、手紙を書くしかない。
でも、なんて言って住所を聞こう?
女性から男性にこういうこと聞くのって、とっても勇気が要りますよね。
でも、いい口実がひとつありました。
午前中の板門店ツアーで、彼が何枚か私の写真を撮ってくれていたのです。
「写真、私の住所を教えたら送ってもらえる?」
と話しかけました。
そして自然な感じで住所交換完了!!
やったーーー。
次の朝早く、私がまだ寝ているうちに、彼は次の目的地、台湾に向けて旅立って行きました・・・。
私の中で、“謎の金髪の日本人”さんは、伝説となりました・・・。
その後、旅先で出会って親しくなる人ごとに、「こんな人と出会っちゃった」と熱く語り続けました(笑)。
「まさに理想の男性像にぴったりなのよ!」と(笑)
相手にとってはいい迷惑だったことでしょう(^^;
でも、それを聞かされた誰が、その後私がその「理想の男性」と結婚することになると思ったでしょうか。
付き合えるとさえ、私自身も思ってもいませんでした。
当時北海道に住んでいた彼と、東京で学生生活中の私が、その距離の壁を超えてつきあうことになったきっかけは・・・
(つづく)
自分史:夫との出会い その5
距離の壁に阻まれた私たちがつきあうことになったきっかけは、私の北海道訪問でした。
私は『金髪の日本人さん』と出会って別れた10日後くらいに日本に帰国しました。
2月末か、3月初めの頃でした。
帰国してすぐ、絵葉書を彼に送りました。
速攻で返事が来ました。
約束どおり、板門店で写した写真を何枚もプリントして送ってくれてました。
「やっぱり親切!」またまた目がハートになる私でした(^^)
それから、私はときどき手紙を書きました。
彼は必ず、すぐに返事をくれました。内容は男の人らしいぶっきらぼうな調子でしたが・・・。
やっぱり親切(^^)
でもちょっと素っ気ないかも(苦笑)
(あの頃もうメールなんてものがあったらどうだったんでしょうねー。。。
あ、携帯もPCも、メール機能を一切使いこなせてないうちのダンナ様だから、もしメールがあっても使えてないかも!^^;)
でもいくらなんでも、旅先で一日一緒に行動しただけ、しかも相手からは全然プッシュしてくれる気配はない、そんな状況の男性とまさかお付き合いできるとはとても思えませんよね。
それに連載初回に書いたとおり、倦怠期とはいえちゃんとステディな彼氏がいた私。
帰国直後はポーーーッとしてたものの、日常に紛れてすっかりあきらめがついてしまいました。
さて、時は流れ、夏が近づいてきました。
「さて今年の夏はどこに旅行に行こうか?」
「そうだ、友達誘って北海道に行こう! “金髪の日本人さん”という知り合いもできたことだし、どこか案内してもらえたりするかも!」
そんな短絡的な思考回路で、私は北海道旅行を計画。
もちろん、『金髪の日本人さん』との再会にはおおいに期待していました。
でも、自分に自信もないし、彼の方は特に私のことをなんとも思ってないみたいだし、私には一応BFがいるし、「あの人とどうにかなりたい!」なんて野望は抱いていませんでした(^^;
ただ北海道旅行を楽しんで、彼とも再会を楽しんで、これからも末永いお友達でいれる基盤を作ろう。
そんな気分でした。
「世界旅行研究会」なんてサークルに入っていたおかげで、旅好きな友達には事欠かず、すぐに北海道旅行の相手は決まりました。
(一人旅大好きな私ですが、さすがに一人暮らしの男性のところにいきなり一人旅で訪れるわけにはいかない、という良識が働きまして・・・^^;)
『金髪の日本人さん』に「この夏、友達と北海道に旅行に行こうと思うんですが、遊びに行ってもいいですか」と手紙に書くと、「ぜひぜひ来て下さい、一緒に酒でも飲みましょう」という返事が来ました。
「行くぞ!」と気合の入った私。
でもいかんせん学生の身、旅費が足りません。
友人(もちろん女の子です)と二人で決めた作戦。
それは
ヒッチハイク!
そのちょうど前年に、やはり野宿&ヒッチハイクを多用した貧乏旅行で北海道を訪れているので、その二つの旅行の思い出が混じってしまい、詳細を思い出せません(^^;
一つだけよく覚えているのが、大型トラックをヒッチして津軽海峡までたどり着いたものの、青函連絡船に乗るお金がなく、トラックの助手席に隠れたまま青函連絡船に乗り込んだこと。
(当時、青函トンネル開通直後でしたが、トラックが青函トンネルを通れるわけもなく。
ということは、今でも青函連絡船はあるんでしょうか?
車両運搬の手段として。)
友人と二人、無事乗り込めたことに安堵して、船内でそーーーっと車から降り立ちました。
すると突然、「ちょっと!そこの二人!」と若い乗務員さんに呼び止められてしまったのです!
無銭乗船が見つかった?!
絶体絶命の危機!
・
・
・
ところが、その若い乗務員さんは
「わかってる、お金がないんでしょう?
それはいいから。
でも、もしこの船になにかあったときのために、
乗船簿に名前と住所を書かせて。
お金のことは心配しなくてもいいから。」
と・・・。
世の中にこんなに親切でこんなにもののわかった大人っているんだ、と思いました(^^)
船に万が一ことがあったときに、名簿に名前がなかったら、救助から漏れるかもしれない。
無縁仏になってしまって、遺族に連絡が行かないかもしれない。
それを心配してくださった、心にくい配慮でした。
そんな冒険を乗越えながら(^^;“金髪の日本人さん”の住む富良野に到着。
数ヶ月ぶりに再会する彼は、ド金髪もだいぶ落ち着いて、「明るい茶髪」程度になってました。
相変わらずおかっぱ頭でしたが(^^;
彼の案内で、アパートへ。
古ぼけた、家賃の安そうなアパートの、建てつけの悪いドアを「ギィーッ」と開けると、
そこは
・
・
・
別世界でした!
修行していた家具工房で自作したという見事な手作り家具が並んでいます。
照明やカーペットやカーテン、内装の全てが、統一感があります。
お金はかかってないものの、すごくこだわって選んだのが伝わってくるものばかり・・・。
でしかもめちゃくちゃ片付いてる!
余計なものが何一つ無い。
感動・・・・。
夕食も、次の日の朝食も、彼の手作りです。
彼が骨董品屋さんなどで見つけてきたというこだわりの食器にキレイに盛り付けられて出てきます。
???大感動!!!!
一旦あきらめがつきかけ、忘れかけていたトキメキがダッシュで戻って参りました!
彼のアパートには二泊だったか三泊だったかさせてもらったのですが、いっぱいいっぱいおしゃべりして、いっぱいいっぱい笑いました。
そう、彼のユーモアのセンスにもノックアウトされたかな(^^)
笑いの方向性が似ているんですね。
面白いと思うものが似ている。
冗談を言い合っていると時が立つのを忘れました(^^)
笑って笑って、お腹の皮がよじれました・・・
最後の夜、友人が寝てしまったあとも、私はいつまでも彼と話してました。
時が惜しかったんですね。
眠ってしまえば、朝が来るだけですから。
そして東京に向けて帰っちゃうだけですから。
・・・そして、その晩、とうとう成り行きで私は自分の気持ちを告げることになりました・・・
そして、彼もまた応じてくれました・・・
東京に帰ってすぐ、彼から届いた手紙には、「僕のパートナーになってください。結婚しましょう。」と書いてありました。
気持ちを確認しあった後、一通目の手紙ですよ?
驚いて「まさか熱しやすくて冷めやすいタイプなのでは?」と返事を書きました。
それに対し、
「僕は熱しやすく冷めにくいという、フライパンや鍋の素材に最適なタイプなんです」
という返事が(^^;
私はまだ21歳、まだ大学三年生でした。
「私が探していたのはこの人だ」という確信を持ちつつも、あまりに時期尚早で、お断りいたしました。
その後ずっと、「結婚しよう」攻撃は続きました。
「熱しやすく冷めにくいという、フライパンや鍋の素材に最適なタイプ」
という言葉は本当でした。
でも、当時、私にはつきあっているステディな彼氏がいたのです・・・
(つづく)
私は『金髪の日本人さん』と出会って別れた10日後くらいに日本に帰国しました。
2月末か、3月初めの頃でした。
帰国してすぐ、絵葉書を彼に送りました。
速攻で返事が来ました。
約束どおり、板門店で写した写真を何枚もプリントして送ってくれてました。
「やっぱり親切!」またまた目がハートになる私でした(^^)
それから、私はときどき手紙を書きました。
彼は必ず、すぐに返事をくれました。内容は男の人らしいぶっきらぼうな調子でしたが・・・。
やっぱり親切(^^)
でもちょっと素っ気ないかも(苦笑)
(あの頃もうメールなんてものがあったらどうだったんでしょうねー。。。
あ、携帯もPCも、メール機能を一切使いこなせてないうちのダンナ様だから、もしメールがあっても使えてないかも!^^;)
でもいくらなんでも、旅先で一日一緒に行動しただけ、しかも相手からは全然プッシュしてくれる気配はない、そんな状況の男性とまさかお付き合いできるとはとても思えませんよね。
それに連載初回に書いたとおり、倦怠期とはいえちゃんとステディな彼氏がいた私。
帰国直後はポーーーッとしてたものの、日常に紛れてすっかりあきらめがついてしまいました。
さて、時は流れ、夏が近づいてきました。
「さて今年の夏はどこに旅行に行こうか?」
「そうだ、友達誘って北海道に行こう! “金髪の日本人さん”という知り合いもできたことだし、どこか案内してもらえたりするかも!」
そんな短絡的な思考回路で、私は北海道旅行を計画。
もちろん、『金髪の日本人さん』との再会にはおおいに期待していました。
でも、自分に自信もないし、彼の方は特に私のことをなんとも思ってないみたいだし、私には一応BFがいるし、「あの人とどうにかなりたい!」なんて野望は抱いていませんでした(^^;
ただ北海道旅行を楽しんで、彼とも再会を楽しんで、これからも末永いお友達でいれる基盤を作ろう。
そんな気分でした。
「世界旅行研究会」なんてサークルに入っていたおかげで、旅好きな友達には事欠かず、すぐに北海道旅行の相手は決まりました。
(一人旅大好きな私ですが、さすがに一人暮らしの男性のところにいきなり一人旅で訪れるわけにはいかない、という良識が働きまして・・・^^;)
『金髪の日本人さん』に「この夏、友達と北海道に旅行に行こうと思うんですが、遊びに行ってもいいですか」と手紙に書くと、「ぜひぜひ来て下さい、一緒に酒でも飲みましょう」という返事が来ました。
「行くぞ!」と気合の入った私。
でもいかんせん学生の身、旅費が足りません。
友人(もちろん女の子です)と二人で決めた作戦。
それは
ヒッチハイク!
そのちょうど前年に、やはり野宿&ヒッチハイクを多用した貧乏旅行で北海道を訪れているので、その二つの旅行の思い出が混じってしまい、詳細を思い出せません(^^;
一つだけよく覚えているのが、大型トラックをヒッチして津軽海峡までたどり着いたものの、青函連絡船に乗るお金がなく、トラックの助手席に隠れたまま青函連絡船に乗り込んだこと。
(当時、青函トンネル開通直後でしたが、トラックが青函トンネルを通れるわけもなく。
ということは、今でも青函連絡船はあるんでしょうか?
車両運搬の手段として。)
友人と二人、無事乗り込めたことに安堵して、船内でそーーーっと車から降り立ちました。
すると突然、「ちょっと!そこの二人!」と若い乗務員さんに呼び止められてしまったのです!
無銭乗船が見つかった?!
絶体絶命の危機!
・
・
・
ところが、その若い乗務員さんは
「わかってる、お金がないんでしょう?
それはいいから。
でも、もしこの船になにかあったときのために、
乗船簿に名前と住所を書かせて。
お金のことは心配しなくてもいいから。」
と・・・。
世の中にこんなに親切でこんなにもののわかった大人っているんだ、と思いました(^^)
船に万が一ことがあったときに、名簿に名前がなかったら、救助から漏れるかもしれない。
無縁仏になってしまって、遺族に連絡が行かないかもしれない。
それを心配してくださった、心にくい配慮でした。
そんな冒険を乗越えながら(^^;“金髪の日本人さん”の住む富良野に到着。
数ヶ月ぶりに再会する彼は、ド金髪もだいぶ落ち着いて、「明るい茶髪」程度になってました。
相変わらずおかっぱ頭でしたが(^^;
彼の案内で、アパートへ。
古ぼけた、家賃の安そうなアパートの、建てつけの悪いドアを「ギィーッ」と開けると、
そこは
・
・
・
別世界でした!
修行していた家具工房で自作したという見事な手作り家具が並んでいます。
照明やカーペットやカーテン、内装の全てが、統一感があります。
お金はかかってないものの、すごくこだわって選んだのが伝わってくるものばかり・・・。
でしかもめちゃくちゃ片付いてる!
余計なものが何一つ無い。
感動・・・・。
夕食も、次の日の朝食も、彼の手作りです。
彼が骨董品屋さんなどで見つけてきたというこだわりの食器にキレイに盛り付けられて出てきます。
???大感動!!!!
一旦あきらめがつきかけ、忘れかけていたトキメキがダッシュで戻って参りました!
彼のアパートには二泊だったか三泊だったかさせてもらったのですが、いっぱいいっぱいおしゃべりして、いっぱいいっぱい笑いました。
そう、彼のユーモアのセンスにもノックアウトされたかな(^^)
笑いの方向性が似ているんですね。
面白いと思うものが似ている。
冗談を言い合っていると時が立つのを忘れました(^^)
笑って笑って、お腹の皮がよじれました・・・
最後の夜、友人が寝てしまったあとも、私はいつまでも彼と話してました。
時が惜しかったんですね。
眠ってしまえば、朝が来るだけですから。
そして東京に向けて帰っちゃうだけですから。
・・・そして、その晩、とうとう成り行きで私は自分の気持ちを告げることになりました・・・
そして、彼もまた応じてくれました・・・
東京に帰ってすぐ、彼から届いた手紙には、「僕のパートナーになってください。結婚しましょう。」と書いてありました。
気持ちを確認しあった後、一通目の手紙ですよ?
驚いて「まさか熱しやすくて冷めやすいタイプなのでは?」と返事を書きました。
それに対し、
「僕は熱しやすく冷めにくいという、フライパンや鍋の素材に最適なタイプなんです」
という返事が(^^;
私はまだ21歳、まだ大学三年生でした。
「私が探していたのはこの人だ」という確信を持ちつつも、あまりに時期尚早で、お断りいたしました。
その後ずっと、「結婚しよう」攻撃は続きました。
「熱しやすく冷めにくいという、フライパンや鍋の素材に最適なタイプ」
という言葉は本当でした。
でも、当時、私にはつきあっているステディな彼氏がいたのです・・・
(つづく)
自分史:夫との出会い その6
「こんな人でないと結婚しない」と思い描いていたその通りの人と出会う。
しかも旅先で。
しかも、先方までが私を気に入ってくれた。
奇跡的ですよね。
運命的な出会いだと。
でも、その後の展開は全然スムーズじゃなかった。
まずは、当時、私にはつきあっているステディな彼氏がいました。
でも、私にとっては「この人は私が探している人じゃない」ということが既に明確になってしまっていて、私から別れ話を切り出しては、寂しさに負けてまた寄りを戻す、ということを繰り返しているような状態でした。
ので、当時の彼氏との別れはすぐに決意できました。
でも、つらかった。
他に好きな人ができたから、別れる。
これって、とっても自分勝手で相手を傷つける別れ方ですよね。
そんな自分が嫌だった。
すごく自己嫌悪になりました。
それから、“金髪の日本人さん”はどんなに素敵な人でも、近くには居てくれない。
気軽に会えない。
あまりに長距離で、電話代も気になる。
そして当時の私のつらさを倍増させたのは、 共通の話題がない でした。
私はホワイトカラーの家に育ち、教育熱心な親に猛勉を強いられて東京の大学に進学していました。
彼はブルーカラーの家に育ち、勉強しろなんて言われたことなく、実業高校卒業後は家業を手伝い、その後家出同様に家具工房に弟子入りした人でした。
まったく育った環境とか、今いる環境とかが違うのです。
私たちは旅先で出会って、その後まもなくつきあいだし、共通の友達も少なく、共通の環境に一緒に居たことがほとんどないままでした。
私は読書が好きで映画が好き(それもおゲイジュツおフランス系の)。
彼は読書はハウツーものオンリー。
映画はドンパチ系ハリウッドものオンリー。
趣味が違う・・・(;;)
元彼は、とても趣味の合う人でした。
育った環境も良く似ていて、今の環境も同じ(同じ大学、同じ学部で同じサークルの先輩でした)。
しかも近くにいてくれて、夜中でも「会いたい」と言えば飛んできてくれる人でした。
元彼とは別れたものの、新彼はその代わりはしてくれない。
私は精神的なバランスをひどく崩しました。
元彼をひどい振り方をした、ということで罪の意識もありましたし・・・
孤独にも耐えられるほど強くなかったですし・・・
アルバイトで稼いだお金を貯めて、はるばる彼に会いにいっても、感覚の違いや習慣の違いに唖然とすることばかり・・・
(価値観だけは幸い近かったのですが・・・)
大学生活で私の周りにいる、優柔不断なほどに優しくて口のうまい男の子たちとは全然違う。
(文学部でしたから、特にそういうタイプの人が多かったのかもしれません)
ぶっきらぼうで語彙が少なく、ぎょっとするような表現を平気で口にする彼・・・。
理解できませんでした。
私の繊細でもろい神経はジョリジョリと逆なでにされました。
せっかくはるばる会いに行っても、泣きながらモノを投げながら大喧嘩。
東京での一人暮らしがさびしくて、彼に電話をしても会話が続かない。
とうとう、一旦別れることになりました・・・
付き合いだしてわずか数ヵ月後の秋のことでした・・・
「こんな人でないと結婚しない」と思い描いていたその通りの人と出会う。
しかも旅先で。
しかも、先方までが私を気に入ってくれた。
奇跡ですよね。
赤い糸の相手だったということだと思っています。
でも、その後の展開は全然スムーズじゃなかった。
育った環境が違う。
今いる環境が違う。
感覚が違う。
趣味が違う。
好みが違う。
共通の話題がない。
東京での一人暮らしがさびしくて、彼に電話をしても会話が続かない。
はるばるお金を貯めて北海道に訪ねていっても、泣きながらの大喧嘩・・・(;;)
とうとう、一度別れました。
春に出会い、夏につきあい始め、秋に別れ。
なんだか、自然のサイクルに合っている気がしますね(^^)
どろどろの愛憎劇のあげくの別れという感じではありませんでした。
彼が身を引いてくれた、って感じ。
私が寂しいとかつらいとか大騒ぎしていたので、「僕とつきあっていてつらいならば別れようか?」と穏やかに申し出てくれました。
私は「振られた!」と感じてまたドツボにはまるのですが・・・(^^;
しかし、またここで、運命の天使様が微笑みます・・・
東京と北海道と離れていて。
偶然ばったり会うとか、ない。
「最後に一度だけ」とか「ちょっとご飯食べるだけ」とか「忘れ物があったから」とか、そんな気軽な理由では再会できる距離ではない。
今まで一緒に過ごした時間もすごく短く、積み重ねた歴史とか共通の思い出とかが非常に少ない。
共通の知人・友人が極端に少ない。
普通に過ごしていたら復縁があり得ない状況でした。
しかし、またここで、運命の天使様が微笑んだのです・・・
(つづく)
しかも旅先で。
しかも、先方までが私を気に入ってくれた。
奇跡的ですよね。
運命的な出会いだと。
でも、その後の展開は全然スムーズじゃなかった。
まずは、当時、私にはつきあっているステディな彼氏がいました。
でも、私にとっては「この人は私が探している人じゃない」ということが既に明確になってしまっていて、私から別れ話を切り出しては、寂しさに負けてまた寄りを戻す、ということを繰り返しているような状態でした。
ので、当時の彼氏との別れはすぐに決意できました。
でも、つらかった。
他に好きな人ができたから、別れる。
これって、とっても自分勝手で相手を傷つける別れ方ですよね。
そんな自分が嫌だった。
すごく自己嫌悪になりました。
それから、“金髪の日本人さん”はどんなに素敵な人でも、近くには居てくれない。
気軽に会えない。
あまりに長距離で、電話代も気になる。
そして当時の私のつらさを倍増させたのは、 共通の話題がない でした。
私はホワイトカラーの家に育ち、教育熱心な親に猛勉を強いられて東京の大学に進学していました。
彼はブルーカラーの家に育ち、勉強しろなんて言われたことなく、実業高校卒業後は家業を手伝い、その後家出同様に家具工房に弟子入りした人でした。
まったく育った環境とか、今いる環境とかが違うのです。
私たちは旅先で出会って、その後まもなくつきあいだし、共通の友達も少なく、共通の環境に一緒に居たことがほとんどないままでした。
私は読書が好きで映画が好き(それもおゲイジュツおフランス系の)。
彼は読書はハウツーものオンリー。
映画はドンパチ系ハリウッドものオンリー。
趣味が違う・・・(;;)
元彼は、とても趣味の合う人でした。
育った環境も良く似ていて、今の環境も同じ(同じ大学、同じ学部で同じサークルの先輩でした)。
しかも近くにいてくれて、夜中でも「会いたい」と言えば飛んできてくれる人でした。
元彼とは別れたものの、新彼はその代わりはしてくれない。
私は精神的なバランスをひどく崩しました。
元彼をひどい振り方をした、ということで罪の意識もありましたし・・・
孤独にも耐えられるほど強くなかったですし・・・
アルバイトで稼いだお金を貯めて、はるばる彼に会いにいっても、感覚の違いや習慣の違いに唖然とすることばかり・・・
(価値観だけは幸い近かったのですが・・・)
大学生活で私の周りにいる、優柔不断なほどに優しくて口のうまい男の子たちとは全然違う。
(文学部でしたから、特にそういうタイプの人が多かったのかもしれません)
ぶっきらぼうで語彙が少なく、ぎょっとするような表現を平気で口にする彼・・・。
理解できませんでした。
私の繊細でもろい神経はジョリジョリと逆なでにされました。
せっかくはるばる会いに行っても、泣きながらモノを投げながら大喧嘩。
東京での一人暮らしがさびしくて、彼に電話をしても会話が続かない。
とうとう、一旦別れることになりました・・・
付き合いだしてわずか数ヵ月後の秋のことでした・・・
☆ ☆ ☆
「こんな人でないと結婚しない」と思い描いていたその通りの人と出会う。
しかも旅先で。
しかも、先方までが私を気に入ってくれた。
奇跡ですよね。
赤い糸の相手だったということだと思っています。
でも、その後の展開は全然スムーズじゃなかった。
育った環境が違う。
今いる環境が違う。
感覚が違う。
趣味が違う。
好みが違う。
共通の話題がない。
東京での一人暮らしがさびしくて、彼に電話をしても会話が続かない。
はるばるお金を貯めて北海道に訪ねていっても、泣きながらの大喧嘩・・・(;;)
とうとう、一度別れました。
春に出会い、夏につきあい始め、秋に別れ。
なんだか、自然のサイクルに合っている気がしますね(^^)
どろどろの愛憎劇のあげくの別れという感じではありませんでした。
彼が身を引いてくれた、って感じ。
私が寂しいとかつらいとか大騒ぎしていたので、「僕とつきあっていてつらいならば別れようか?」と穏やかに申し出てくれました。
私は「振られた!」と感じてまたドツボにはまるのですが・・・(^^;
しかし、またここで、運命の天使様が微笑みます・・・
東京と北海道と離れていて。
偶然ばったり会うとか、ない。
「最後に一度だけ」とか「ちょっとご飯食べるだけ」とか「忘れ物があったから」とか、そんな気軽な理由では再会できる距離ではない。
今まで一緒に過ごした時間もすごく短く、積み重ねた歴史とか共通の思い出とかが非常に少ない。
共通の知人・友人が極端に少ない。
普通に過ごしていたら復縁があり得ない状況でした。
しかし、またここで、運命の天使様が微笑んだのです・・・
(つづく)
自分史:夫との出会い その7
私と彼とは、「偶然にばったり」もあり得ない遠距離恋愛です。
いったん別れてしまえば、復縁は難しい。
普通ならここで復縁はないことでしょう。
しかし、運命の天使様が微笑んでくれました。
別れてから1ヶ月ほどたった頃、電話が鳴りました。
韓国のソウルの安宿で一緒にたむろっていた仲間からでした。
彼との出会いの舞台になった、あの安宿です。
「“金髪の日本人”さんのところに泊めてもらってスキーしようと思うんだけど、一緒に行こうよ!」
その子は細かいことにはこだわらないニコニコ朗らかな男の子で、
「“金髪の日本人”さんとは実はその後つきあって別れたので、
気まずくてとても行けない」
と断っても
「そう言わずに行こうよ」
「いいじゃんいいじゃんそんなこと気にするなよ」
の一点張り。
普通、そんな理由を聞かされたら「そう・・・ごめんね・・・」とすぐに引っ込みませんか?
その子はニコニコと爆弾発言を平然と口にするような、それで
周囲が凍っていても気づかないような、そんな天然キャラでした(^^)
でも、そのカラリとした明るさに「別にいっかー」と行く気にさせられたんですから、私たち二人の恩人ですね。。。。
最近すっかりご無沙汰してますが、Kくん、感謝してます!
もちろん、嫌いになって別れたわけじゃなかったからこそ行こうかなと思えたんですよね。
そうでなかったら彼も歓迎してくれなかったことでしょう。
共通の話題がなくって寂しい、とか、私は寂しがりやで長距離恋愛には向かない、とか、そんな理由で「ちょっと無理かな」と思ったところに“金髪の日本人”さんが「僕とつきあっていてつらいなら別れようか」と身を引いてくれた。
そういう別れ方でしたから。
ドロドロの傷つけあいをして別れたわけじゃなかった。
その後もたまには電話で話してましたし・・・。
でも、「別れ」を口にしたのが彼からだったこともあり、「振られた」いう思いもあって、気まずいのは気まずかったのです・・・。
というわけで、朗らかで細かいことは気にしないKくんに強引にひっぱられる形で、富良野の彼のところにスキーに行きました。
出会ってからほぼ一年たった、初春の頃だったのではないでしょうか。
久々に訪れる彼の部屋はやっぱり素敵で、彼の手料理はやっぱり手際よく、
盛りつけも凝っていて、おいしい。
そして雪山での彼の姿はとっても格好良かったのです!(*^^*)
私の理想の男性の条件のうちの次の二つを十二分に満たす姿でした・・・
「大胆で実行力がある人」
「生命力の強い人。サバイバル能力のある人。
自分の手で家を建てたり、自分で井戸を掘って水を確保できたりするような、
山から獲物をぶら下げて帰ってきたりできるような、そんな人。」
スキー場なので当たり前ですが、雪が積もっていて寒いんですよ(^^;
で、彼も大阪出身で、つい数ヶ月前まで九州に住んでいた人のはずなんですよ。
北海道の冬なんて、初体験のはず。
スキー自体、初心者同様だと自分でも言っていて、決してそんなに上手ではない。
なのに、すごく堂々と生き生きと振る舞っている。
寒さや雪に全くたじろぐ様子がない。
アパートの前の雪かきとかをする姿が力強くて要領良くって、しかも全然めんどくさそうじゃない。
しんどそうじゃない。
私が慣れない重いスキー板を運ぶのに手間取っていると、片手でひょいひょい運んでくれる。
すごく親身に指導してくれて、教えてくれる。
それも全然偉そうじゃない。
「そういう俺も下手なんやけどな」と言ってハハハと屈託なく笑う。
こけるたび、「俺こんなとこでこけた〜!」といちいち大笑い(^^)
またまた目がハートになりました・・・
正直に言って、惚れ直しました・・・(*^^*)
やっぱり私はこの人がいい!
ちょっとくらい趣味が合わなくても、感覚が違っても、ちょっとくらい寂しい思いをすることになっても、私はこの人じゃなきゃ嫌なんだ。
とにかく私はこの人がいいんだ。
でも、短い滞在期間はあっという間に過ぎ、帰る日が近づいてきました。
そんなとき、また“天然”くんのKくんが爆弾発言をしたのです・・・
「僕は用事があるから帰らないと仕方がないけど、たまちゃんはもう少しいればいいじゃん。
どうせ大学、冬休みなんでしょ?
だったらゆっくりすればいいじゃん。
僕は一人で帰るから、たまちゃんは残りなよ。」
私は驚いて「だって・・・迷惑だろうし・・・」とかなんとかモゴモゴつぶやきました。
“金髪の日本人さん”は「別に迷惑じゃないよ。残れば?」と答えてくれました・・・
次の日、Kくんはニコニコとさわやかに一人帰って行きました。
“金髪の日本人さん”が「残れば?」と言ってくれた時点で、そして私が一人残ることを決めた時点で、私たちは再び付き合い出すことを決意したわけです。
「だって、自分から“別れよう”って言って私を振ったくせに!」と後からすねてみせると、「僕とつきあってるせいで苦しいなら悪いと思ったから」と言ってくれました。
その当時も、今も、一貫して、彼は私をとても大切にしてくれます。
私は、その当時も、今も、一貫して、彼に惚れ込んでいます(*^^*)
でも、全然スムーズじゃなかった。
何回も何回も大喧嘩を繰り返し、傷つけあいました。
何回も何回も別れました。
結婚してからもそれは続きました。
何回も何回も「離婚」という言葉が飛び出しました。
私がこの連載を通して伝えたかったことは、
「運命の人と出会えばハッピーエンド」というわけではない!
ということです。
出会えればめでたしめでたしではありません。
「チャンスが巡ってきても、それをつかんでモノにするのは自分の行動力」
なのです。
そして、出会って結ばれるところでハッピーエンドが訪れるのは、おとぎ話の中だけです。
「その後、関係性を築いていくのは自分の努力」
なのです。
私は、21歳という若さで、思い描いていた通りの男性と巡り会いました。
それは、単純な幸せを意味しませんでした。
幼稚で未熟なまま「運命の人」と出会う。
それはなかなか過酷な経験でした。
「運命の人」と出会う時期の早い遅いにかかわらず、親密で継続的な関係を誰かと持てるようになるには、人生経験と人格の成熟が必要なのです。
自分磨きと人格の成長に、出会ってから取り組むのか、出会う前に取り組むのか。
その違いがあるだけなのです。
「他人といいパートナーシップを築けるようになっているかどうか資格試験」に、合格してから出会うのか、
出会ってから、合格するまで過酷な勉強に取り組むのか。
その違いだけ。
そんな感じです。
私は、「早すぎる巡り会い」に苦しみました。
(つづく)
いったん別れてしまえば、復縁は難しい。
普通ならここで復縁はないことでしょう。
しかし、運命の天使様が微笑んでくれました。
別れてから1ヶ月ほどたった頃、電話が鳴りました。
韓国のソウルの安宿で一緒にたむろっていた仲間からでした。
彼との出会いの舞台になった、あの安宿です。
「“金髪の日本人”さんのところに泊めてもらってスキーしようと思うんだけど、一緒に行こうよ!」
その子は細かいことにはこだわらないニコニコ朗らかな男の子で、
「“金髪の日本人”さんとは実はその後つきあって別れたので、
気まずくてとても行けない」
と断っても
「そう言わずに行こうよ」
「いいじゃんいいじゃんそんなこと気にするなよ」
の一点張り。
普通、そんな理由を聞かされたら「そう・・・ごめんね・・・」とすぐに引っ込みませんか?
その子はニコニコと爆弾発言を平然と口にするような、それで
周囲が凍っていても気づかないような、そんな天然キャラでした(^^)
でも、そのカラリとした明るさに「別にいっかー」と行く気にさせられたんですから、私たち二人の恩人ですね。。。。
最近すっかりご無沙汰してますが、Kくん、感謝してます!
もちろん、嫌いになって別れたわけじゃなかったからこそ行こうかなと思えたんですよね。
そうでなかったら彼も歓迎してくれなかったことでしょう。
共通の話題がなくって寂しい、とか、私は寂しがりやで長距離恋愛には向かない、とか、そんな理由で「ちょっと無理かな」と思ったところに“金髪の日本人”さんが「僕とつきあっていてつらいなら別れようか」と身を引いてくれた。
そういう別れ方でしたから。
ドロドロの傷つけあいをして別れたわけじゃなかった。
その後もたまには電話で話してましたし・・・。
でも、「別れ」を口にしたのが彼からだったこともあり、「振られた」いう思いもあって、気まずいのは気まずかったのです・・・。
というわけで、朗らかで細かいことは気にしないKくんに強引にひっぱられる形で、富良野の彼のところにスキーに行きました。
出会ってからほぼ一年たった、初春の頃だったのではないでしょうか。
久々に訪れる彼の部屋はやっぱり素敵で、彼の手料理はやっぱり手際よく、
盛りつけも凝っていて、おいしい。
そして雪山での彼の姿はとっても格好良かったのです!(*^^*)
私の理想の男性の条件のうちの次の二つを十二分に満たす姿でした・・・
「大胆で実行力がある人」
「生命力の強い人。サバイバル能力のある人。
自分の手で家を建てたり、自分で井戸を掘って水を確保できたりするような、
山から獲物をぶら下げて帰ってきたりできるような、そんな人。」
スキー場なので当たり前ですが、雪が積もっていて寒いんですよ(^^;
で、彼も大阪出身で、つい数ヶ月前まで九州に住んでいた人のはずなんですよ。
北海道の冬なんて、初体験のはず。
スキー自体、初心者同様だと自分でも言っていて、決してそんなに上手ではない。
なのに、すごく堂々と生き生きと振る舞っている。
寒さや雪に全くたじろぐ様子がない。
アパートの前の雪かきとかをする姿が力強くて要領良くって、しかも全然めんどくさそうじゃない。
しんどそうじゃない。
私が慣れない重いスキー板を運ぶのに手間取っていると、片手でひょいひょい運んでくれる。
すごく親身に指導してくれて、教えてくれる。
それも全然偉そうじゃない。
「そういう俺も下手なんやけどな」と言ってハハハと屈託なく笑う。
こけるたび、「俺こんなとこでこけた〜!」といちいち大笑い(^^)
またまた目がハートになりました・・・
正直に言って、惚れ直しました・・・(*^^*)
やっぱり私はこの人がいい!
ちょっとくらい趣味が合わなくても、感覚が違っても、ちょっとくらい寂しい思いをすることになっても、私はこの人じゃなきゃ嫌なんだ。
とにかく私はこの人がいいんだ。
でも、短い滞在期間はあっという間に過ぎ、帰る日が近づいてきました。
そんなとき、また“天然”くんのKくんが爆弾発言をしたのです・・・
「僕は用事があるから帰らないと仕方がないけど、たまちゃんはもう少しいればいいじゃん。
どうせ大学、冬休みなんでしょ?
だったらゆっくりすればいいじゃん。
僕は一人で帰るから、たまちゃんは残りなよ。」
私は驚いて「だって・・・迷惑だろうし・・・」とかなんとかモゴモゴつぶやきました。
“金髪の日本人さん”は「別に迷惑じゃないよ。残れば?」と答えてくれました・・・
次の日、Kくんはニコニコとさわやかに一人帰って行きました。
“金髪の日本人さん”が「残れば?」と言ってくれた時点で、そして私が一人残ることを決めた時点で、私たちは再び付き合い出すことを決意したわけです。
「だって、自分から“別れよう”って言って私を振ったくせに!」と後からすねてみせると、「僕とつきあってるせいで苦しいなら悪いと思ったから」と言ってくれました。
その当時も、今も、一貫して、彼は私をとても大切にしてくれます。
私は、その当時も、今も、一貫して、彼に惚れ込んでいます(*^^*)
でも、全然スムーズじゃなかった。
何回も何回も大喧嘩を繰り返し、傷つけあいました。
何回も何回も別れました。
結婚してからもそれは続きました。
何回も何回も「離婚」という言葉が飛び出しました。
私がこの連載を通して伝えたかったことは、
「運命の人と出会えばハッピーエンド」というわけではない!
ということです。
出会えればめでたしめでたしではありません。
「チャンスが巡ってきても、それをつかんでモノにするのは自分の行動力」
なのです。
そして、出会って結ばれるところでハッピーエンドが訪れるのは、おとぎ話の中だけです。
「その後、関係性を築いていくのは自分の努力」
なのです。
私は、21歳という若さで、思い描いていた通りの男性と巡り会いました。
それは、単純な幸せを意味しませんでした。
幼稚で未熟なまま「運命の人」と出会う。
それはなかなか過酷な経験でした。
「運命の人」と出会う時期の早い遅いにかかわらず、親密で継続的な関係を誰かと持てるようになるには、人生経験と人格の成熟が必要なのです。
自分磨きと人格の成長に、出会ってから取り組むのか、出会う前に取り組むのか。
その違いがあるだけなのです。
「他人といいパートナーシップを築けるようになっているかどうか資格試験」に、合格してから出会うのか、
出会ってから、合格するまで過酷な勉強に取り組むのか。
その違いだけ。
そんな感じです。
私は、「早すぎる巡り会い」に苦しみました。
(つづく)
自分史:夫との出会い その8
私は、21歳という若さで、思い描いていた通りの男性と巡り会いました。
それは、単純な幸せを意味しませんでした。
幼稚で未熟なまま「運命の人」と出会う。
私は早すぎる出会いに苦しみました。
何かを選ぶ、ということは、他の選択肢を捨て去るということです。
「決断」は、「絶つと決める」と書きます。
彼を選ぶということは、他の恋を諦める、ということでした。
彼と一緒の未来を選ぶということは、他の未来の可能性を諦める、ということでした。
彼との交際期間に、何度か別れていますが、そのうちの一回は「他に好きな人ができたから」でした・・・
私が幼い頃から思い描いていた通りの理想の人である今のダンナを振ってまで付き合いたかった人もまた、明らかにソウルメイトでした。
若いときに「赤い糸の相手」と出会うということは、再会を約束していたソウルメイトと出会っても、恋ができないということです(^^;
明らかに「恋の相手としての再会」を約束していたソウルメイトと、やっと巡り会えたとき、「結婚の相手としての出会い」を約束していたダンナともう出会ってつきあっていた・・・
私は板挟みになって、ひどく苦しみました・・・
出会いの順番が、逆ならば良かった・・・
本当に苦しかった時期、その彼との過去世を思い出しました。
チベットの僧院で共に修行していた親友でした。
再会を約束して転生して、そして出会えたのにね・・・。
彼とは「恋の相手としての再会」。
“金髪の日本人さん”(今のダンナですね^^)とは「結婚の相手としての出会い」。
時が経つにつれて、そのことが明確になったので、ダンナの元へ戻りました。
ダンナも心が広いと思います。
ひどく傷つけたはず。
それなのに、よくぞ受け入れてくれました。
よくぞ許してくれました。
でも、私だって苦しかった。
悶絶するほどの苦しみでした。
出会いの順番が、逆ならば良かった・・・
早すぎる出会いに苦しんだ、一例です。
“金髪の日本人さん”は理想通りの人でした。
夢に描いていた通りの、尊敬に値する行動力、知性、寛容さ、向上心、決断力、自立心・独立心の持ち主。
が、共通の趣味にも話題にも乏しい人。
そして、依存させてくれない人。
寂しいだの会いたいだのと言ってくれない人。
私がそういうこと言っても「?」という反応しか返してくれない人。
自分がとても自立できている人なので、私の甘えたい願望や依存心を理解できない。
「会いたいって・・・会って何するの? あ、セックス?」みたいな反応です(これマジ^^;)。
内側に泣きやまないインナーチャイルドを抱えたアダルトチルドレンの一人である私。
ひとりぼっちが怖くてならず、すぐに精神的に不安定になる私を、なんの悪気もなくポンと突き放す・・・
鬼コーチか!って感じでした。
彼とつきあい続け、彼と結婚するということは、「私を甘やかしてくれる男性との居心地の良い恋は、この人生ではもう二度とできない」ということを受け入れることでした。
「恋人には自分を理解してほしいし共感してほしい」という願いをきれいさっぱり諦めるということでした。
彼とつきあい続け、彼と結婚するということは、自分の未来の可能性の幅を極端に狭めることでした。
私は大好きな国、タイと関わって生きていきたいという夢も一旦諦めました。
大学卒業後のタイ留学を、半年で切り上げて帰国したのです。
タイではなく、彼と生きていく人生を、私自身が選びました。
でも、それは苦渋の選択でした。
その後何年も、ひどい喪失感と挫折感、そして後悔を引きずり続けました。
思う存分やりたいことをやった後に、出会えば良かった・・・
これもまた、早すぎる出会いに苦しんだ一例です。
「こんな人生を歩みたい」「こんな人でありたい」という大筋な価値観は一致しているけれども、
細かい点では食い違いだらけ、全然かみ合わない私たち二人。
そんな二人が紆余曲折を経てなんとかラブラブ夫婦にたどり着けた秘訣は・・・
変えられることを変える勇気と
変えられないことを受け入れるつよさと
その二つを見分ける智恵を、
神よ、私にお与えください
こんな祈りがあるのをご存じですか?
私の考える「夫婦ラブラブの秘訣」は、まさにこの祈りの通りです。
変えられることを変える勇気。
「タロット占い師への道 2」で書いたように、
私は、夫婦はケンカを避けていてはいけないと思うのです。
決して、真正面からの対峙から、逃げてはいけない。
真実の話し合いを諦めないで模索し続けよう。
あなたが求めているものは何か、何がつらいか、何が苦しいか、ストレートに胸から胸へ直球で投げ込もう。
どうか、より良い関係へ変わる努力をあきらめないで。
人と人は、宇宙の虚空に浮かぶ惑星同士のように孤独。
たとえ夫婦だろうが、人と人の間には、深遠な淵が横たわっている。
だからこそ、伝えたい!届けたい!という強い想いと共に、声を振り絞って伝えていかないと、何一つ伝わらない。
そうしないと、何一つ分かり合えない。
もちろん、相手を傷つけたり貶めたりするケンカはNGです。
かえってお互いの間の溝を深め、関係を壊すだけ。
そうではなく、あきらめずに、真剣に、話し合い、議論を戦わせ、想いをぶつけること。
それなくして、どんな人間関係が持てるというのでしょうか。
激情のまま相手を傷つけるケンカではなく、自分の真実の想いのたけをぶつけるケンカをしよう。
そんなケンカをする勇気を持とう。
自分たちの関係をより良いものへ変えていく挑戦をあきらめてはいけない。
私は心の底から、そう思います。
そして、変えられないことを受け入れるつよさ。
さっき書いたことと一見矛盾するようですが、これはつまり、「あきらめること」「手放すこと」なんですよね。
相手は別の人格なのだ、とあきらめること。
決して理解しあえない部分はある。
それはそれで仕方ないんだ、とあきらめること。
相手は決して自分の期待通りになんか動いてくれない。
このことを受け入れること。
同じ方向を向いて、伴侶として歩いていけるならば、つかず離れずの距離でいいじゃん、と手放すこと。
相手の存在、相手の人格を、丸ごと受け入れて認めること。
相手の趣味、思考回路、性格等は変えられない。
相手の価値観も変えられない。
自分自身が、まずは自分と異なる価値観を受け入れられるよう、変わること。
何が変えられて何が変えられないのか、その二つを見分ける智恵。
これが一番大切なような気がします。
そのためにも、まずは「話し合い」まずは「議論」なのかな。
自分が何がイヤで何がつらくて何で困っていて、どうなりたいのか。
何を求めているのか。
相手にどう協力して欲しいのか。
それをぶっちゃけること。
まずは自己開示ですよね。
自分が先に勇気を出して自己開示すれば、パートナーも自己開示を始めることは多いものです。
むやみに非難されたり攻撃されたりはしない、と信頼関係ができれば、用心深いパートナーも心を開いて話し合いの席についてくれるかもしれません。
本音で話し合うことで、「何が変えられて、何が変えられないのか」が明確になっていくことでしょう。
話し合いもせず、努力もせずに諦めて投げ出うのは、成長を投げてしまうこと。
そして、「お互いが自分らしい人生を生きるためには、別れることも辞さない覚悟」。
そして、「まずは自分自身が幸せでいること」。
この二つも秘訣に加えたいと思います。
別れるしかない二人、というのもあります。
また、「別れ」を具体的にイメージして始めて価値が分かる、という場合があります。
「死」を見据えることが「生」を見据えることとイコールなように、「別れ」を直視することは「パートナーシップ」の価値を認識することに直結するものです。
子どもが上手くできないときにすぐに放り出して駄々をこねだすような、そんな安易で逃避的な「別れ」は不毛です。
でも、常に「別れも選択肢としてあり得る」という覚悟は大切だと思います。
「いつか必ず死ぬのだ」と実感しながら生きることが一瞬一瞬の価値を高めるように。
私の場合は、明確にそうでした。
何度も別れを繰り返していますが、その度に、「ああ、私にはこの人が必要なんだ。私はこの人を失いたくないんだ。」ということが腑に落ち、
抵抗無く「この人と上手くやっていくための努力」をすることができるようになっていきました。
多分、彼も同じような感じなのではないか、と思います。
それから、「まずは自分自身が幸せでいること」。
幸せな人だけが、周囲の人に幸せのお裾分けができるのですから。
私が自分のやりたいことを見つけ、どんどん満足感と充足感が満ちていくにつれて、夫婦仲は良くなっていきました。
「こんな人生を歩みたい」「こんな人でありたい」という大筋な価値観は一致しているけれども、
細かい点では食い違いだらけ、全然かみ合わない私たち二人。
そんな二人が紆余曲折を経てなんとかラブラブ夫婦にたどり着けた秘訣は以上の5つです。
・変えられることを変える勇気と努力を惜しまないこと。
・変えられないことはあきらめ、手放すこと。
・変えられることと変えられないことの二つを見極めるために、話し合いで心を開き本音を語り合う習慣を持つこと。
・「別離」も視野に入れ続けておくこと。
・まずは自分が幸せになること。
これらはあくまで私にとっての秘訣なので、誰にでも普遍的に効果のあるものとは言えないかもしれません。
でもここから、何か参考になったり、刺激となったりするものを各自汲み上げてもらえれば嬉しいと願ってます。
以上、長々と続けてきた「夫との出会い」シリーズですが、これで一旦区切りを付けたいと思います。
未来予知なのか、理想を明確にしていたら叶うという願望実現の法則なのか、それとも前世から約束していた赤い糸の相手だったからなのか、
とにかく私は子どもの頃に思い描いていたそのままの相手と、運命的に旅先で出会ってしまったのですが。
そんな運命的な出会いだろうが、赤い糸の相手だろうが、人と人がパートナーシップを築いていくのは困難なものなんだ、ということを書きたかったのです。
努力は惜しんではいけないけれども、どこかでは諦めなくてはいけない、っていうこととか。
その辺が伝わっていれば幸いです(^^)
(完)
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それは、単純な幸せを意味しませんでした。
幼稚で未熟なまま「運命の人」と出会う。
私は早すぎる出会いに苦しみました。
何かを選ぶ、ということは、他の選択肢を捨て去るということです。
「決断」は、「絶つと決める」と書きます。
彼を選ぶということは、他の恋を諦める、ということでした。
彼と一緒の未来を選ぶということは、他の未来の可能性を諦める、ということでした。
彼との交際期間に、何度か別れていますが、そのうちの一回は「他に好きな人ができたから」でした・・・
私が幼い頃から思い描いていた通りの理想の人である今のダンナを振ってまで付き合いたかった人もまた、明らかにソウルメイトでした。
若いときに「赤い糸の相手」と出会うということは、再会を約束していたソウルメイトと出会っても、恋ができないということです(^^;
明らかに「恋の相手としての再会」を約束していたソウルメイトと、やっと巡り会えたとき、「結婚の相手としての出会い」を約束していたダンナともう出会ってつきあっていた・・・
私は板挟みになって、ひどく苦しみました・・・
出会いの順番が、逆ならば良かった・・・
本当に苦しかった時期、その彼との過去世を思い出しました。
チベットの僧院で共に修行していた親友でした。
再会を約束して転生して、そして出会えたのにね・・・。
彼とは「恋の相手としての再会」。
“金髪の日本人さん”(今のダンナですね^^)とは「結婚の相手としての出会い」。
時が経つにつれて、そのことが明確になったので、ダンナの元へ戻りました。
ダンナも心が広いと思います。
ひどく傷つけたはず。
それなのに、よくぞ受け入れてくれました。
よくぞ許してくれました。
でも、私だって苦しかった。
悶絶するほどの苦しみでした。
出会いの順番が、逆ならば良かった・・・
早すぎる出会いに苦しんだ、一例です。
“金髪の日本人さん”は理想通りの人でした。
夢に描いていた通りの、尊敬に値する行動力、知性、寛容さ、向上心、決断力、自立心・独立心の持ち主。
が、共通の趣味にも話題にも乏しい人。
そして、依存させてくれない人。
寂しいだの会いたいだのと言ってくれない人。
私がそういうこと言っても「?」という反応しか返してくれない人。
自分がとても自立できている人なので、私の甘えたい願望や依存心を理解できない。
「会いたいって・・・会って何するの? あ、セックス?」みたいな反応です(これマジ^^;)。
内側に泣きやまないインナーチャイルドを抱えたアダルトチルドレンの一人である私。
ひとりぼっちが怖くてならず、すぐに精神的に不安定になる私を、なんの悪気もなくポンと突き放す・・・
鬼コーチか!って感じでした。
彼とつきあい続け、彼と結婚するということは、「私を甘やかしてくれる男性との居心地の良い恋は、この人生ではもう二度とできない」ということを受け入れることでした。
「恋人には自分を理解してほしいし共感してほしい」という願いをきれいさっぱり諦めるということでした。
彼とつきあい続け、彼と結婚するということは、自分の未来の可能性の幅を極端に狭めることでした。
私は大好きな国、タイと関わって生きていきたいという夢も一旦諦めました。
大学卒業後のタイ留学を、半年で切り上げて帰国したのです。
タイではなく、彼と生きていく人生を、私自身が選びました。
でも、それは苦渋の選択でした。
その後何年も、ひどい喪失感と挫折感、そして後悔を引きずり続けました。
思う存分やりたいことをやった後に、出会えば良かった・・・
これもまた、早すぎる出会いに苦しんだ一例です。
「こんな人生を歩みたい」「こんな人でありたい」という大筋な価値観は一致しているけれども、
細かい点では食い違いだらけ、全然かみ合わない私たち二人。
そんな二人が紆余曲折を経てなんとかラブラブ夫婦にたどり着けた秘訣は・・・
☆ ☆ ☆
変えられることを変える勇気と
変えられないことを受け入れるつよさと
その二つを見分ける智恵を、
神よ、私にお与えください
こんな祈りがあるのをご存じですか?
私の考える「夫婦ラブラブの秘訣」は、まさにこの祈りの通りです。
変えられることを変える勇気。
「タロット占い師への道 2」で書いたように、
私は、夫婦はケンカを避けていてはいけないと思うのです。
決して、真正面からの対峙から、逃げてはいけない。
真実の話し合いを諦めないで模索し続けよう。
あなたが求めているものは何か、何がつらいか、何が苦しいか、ストレートに胸から胸へ直球で投げ込もう。
どうか、より良い関係へ変わる努力をあきらめないで。
人と人は、宇宙の虚空に浮かぶ惑星同士のように孤独。
たとえ夫婦だろうが、人と人の間には、深遠な淵が横たわっている。
だからこそ、伝えたい!届けたい!という強い想いと共に、声を振り絞って伝えていかないと、何一つ伝わらない。
そうしないと、何一つ分かり合えない。
もちろん、相手を傷つけたり貶めたりするケンカはNGです。
かえってお互いの間の溝を深め、関係を壊すだけ。
そうではなく、あきらめずに、真剣に、話し合い、議論を戦わせ、想いをぶつけること。
それなくして、どんな人間関係が持てるというのでしょうか。
激情のまま相手を傷つけるケンカではなく、自分の真実の想いのたけをぶつけるケンカをしよう。
そんなケンカをする勇気を持とう。
自分たちの関係をより良いものへ変えていく挑戦をあきらめてはいけない。
私は心の底から、そう思います。
そして、変えられないことを受け入れるつよさ。
さっき書いたことと一見矛盾するようですが、これはつまり、「あきらめること」「手放すこと」なんですよね。
相手は別の人格なのだ、とあきらめること。
決して理解しあえない部分はある。
それはそれで仕方ないんだ、とあきらめること。
相手は決して自分の期待通りになんか動いてくれない。
このことを受け入れること。
同じ方向を向いて、伴侶として歩いていけるならば、つかず離れずの距離でいいじゃん、と手放すこと。
相手の存在、相手の人格を、丸ごと受け入れて認めること。
相手の趣味、思考回路、性格等は変えられない。
相手の価値観も変えられない。
自分自身が、まずは自分と異なる価値観を受け入れられるよう、変わること。
何が変えられて何が変えられないのか、その二つを見分ける智恵。
これが一番大切なような気がします。
そのためにも、まずは「話し合い」まずは「議論」なのかな。
自分が何がイヤで何がつらくて何で困っていて、どうなりたいのか。
何を求めているのか。
相手にどう協力して欲しいのか。
それをぶっちゃけること。
まずは自己開示ですよね。
自分が先に勇気を出して自己開示すれば、パートナーも自己開示を始めることは多いものです。
むやみに非難されたり攻撃されたりはしない、と信頼関係ができれば、用心深いパートナーも心を開いて話し合いの席についてくれるかもしれません。
本音で話し合うことで、「何が変えられて、何が変えられないのか」が明確になっていくことでしょう。
話し合いもせず、努力もせずに諦めて投げ出うのは、成長を投げてしまうこと。
そして、「お互いが自分らしい人生を生きるためには、別れることも辞さない覚悟」。
そして、「まずは自分自身が幸せでいること」。
この二つも秘訣に加えたいと思います。
別れるしかない二人、というのもあります。
また、「別れ」を具体的にイメージして始めて価値が分かる、という場合があります。
「死」を見据えることが「生」を見据えることとイコールなように、「別れ」を直視することは「パートナーシップ」の価値を認識することに直結するものです。
子どもが上手くできないときにすぐに放り出して駄々をこねだすような、そんな安易で逃避的な「別れ」は不毛です。
でも、常に「別れも選択肢としてあり得る」という覚悟は大切だと思います。
「いつか必ず死ぬのだ」と実感しながら生きることが一瞬一瞬の価値を高めるように。
私の場合は、明確にそうでした。
何度も別れを繰り返していますが、その度に、「ああ、私にはこの人が必要なんだ。私はこの人を失いたくないんだ。」ということが腑に落ち、
抵抗無く「この人と上手くやっていくための努力」をすることができるようになっていきました。
多分、彼も同じような感じなのではないか、と思います。
それから、「まずは自分自身が幸せでいること」。
幸せな人だけが、周囲の人に幸せのお裾分けができるのですから。
私が自分のやりたいことを見つけ、どんどん満足感と充足感が満ちていくにつれて、夫婦仲は良くなっていきました。
「こんな人生を歩みたい」「こんな人でありたい」という大筋な価値観は一致しているけれども、
細かい点では食い違いだらけ、全然かみ合わない私たち二人。
そんな二人が紆余曲折を経てなんとかラブラブ夫婦にたどり着けた秘訣は以上の5つです。
・変えられることを変える勇気と努力を惜しまないこと。
・変えられないことはあきらめ、手放すこと。
・変えられることと変えられないことの二つを見極めるために、話し合いで心を開き本音を語り合う習慣を持つこと。
・「別離」も視野に入れ続けておくこと。
・まずは自分が幸せになること。
これらはあくまで私にとっての秘訣なので、誰にでも普遍的に効果のあるものとは言えないかもしれません。
でもここから、何か参考になったり、刺激となったりするものを各自汲み上げてもらえれば嬉しいと願ってます。
以上、長々と続けてきた「夫との出会い」シリーズですが、これで一旦区切りを付けたいと思います。
未来予知なのか、理想を明確にしていたら叶うという願望実現の法則なのか、それとも前世から約束していた赤い糸の相手だったからなのか、
とにかく私は子どもの頃に思い描いていたそのままの相手と、運命的に旅先で出会ってしまったのですが。
そんな運命的な出会いだろうが、赤い糸の相手だろうが、人と人がパートナーシップを築いていくのは困難なものなんだ、ということを書きたかったのです。
努力は惜しんではいけないけれども、どこかでは諦めなくてはいけない、っていうこととか。
その辺が伝わっていれば幸いです(^^)
(完)
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