私は、21歳という若さで、思い描いていた通りの男性と巡り会いました。
それは、単純な幸せを意味しませんでした。
幼稚で未熟なまま「運命の人」と出会う。
私は早すぎる出会いに苦しみました。
何かを選ぶ、ということは、他の選択肢を捨て去るということです。
「決断」は、「断つと決める」と書きます。
彼を選ぶということは、他の恋を諦める、ということでした。
彼と一緒の未来を選ぶということは、他の未来の可能性を諦める、ということでした。
彼との交際期間に、何度か別れていますが、そのうちの一回は「他に好きな人ができたから」でした・・・
私が幼い頃から思い描いていた通りの理想の人である今のダンナを振ってまで付き合いたかった人もまた、明らかにソウルメイトでした。
若いときに「赤い糸の相手」と出会うということは、再会を約束していたソウルメイトと出会っても、恋ができないということです(^^;
明らかに「恋の相手としての再会」を約束していたソウルメイトと、やっと巡り会えたとき、「結婚の相手としての出会い」を約束していたダンナともう出会ってつきあっていた・・・
私は板挟みになって、ひどく苦しみました・・・
出会いの順番が、逆ならば良かった・・・
本当に苦しかった時期、その彼との過去世を思い出しました。
チベットの僧院で共に修行していた親友でした。
再会を約束して転生して、そして出会えたのにね・・・。
彼とは「恋の相手としての再会」。
“金髪の日本人さん”(今のダンナですね^^)とは「結婚の相手としての出会い」。
時が経つにつれて、そのことが明確になったので、ダンナの元へ戻りました。
ダンナも心が広いと思います。
ひどく傷つけたはず。
それなのに、よくぞ受け入れてくれました。
よくぞ許してくれました。
でも、私だって苦しかった。
悶絶するほどの苦しみでした。
出会いの順番が、逆ならば良かった・・・
早すぎる出会いに苦しんだ、一例です。
“金髪の日本人さん”は理想通りの人でした。
夢に描いていた通りの、尊敬に値する行動力、知性、寛容さ、向上心、決断力、自立心・独立心の持ち主。
が、共通の趣味にも話題にも乏しい人。
そして、依存させてくれない人。
寂しいだの会いたいだのと言ってくれない人。
私がそういうこと言っても「?」という反応しか返してくれない人。
自分がとても自立できている人なので、私の甘えたい願望や依存心を理解できない。
「会いたいって・・・会って何するの? あ、セックス?」みたいな反応です(これマジ^^;)。
内側に泣きやまないインナーチャイルドを抱えたアダルトチルドレンの一人である私。
ひとりぼっちが怖くてならず、すぐに精神的に不安定になる私を、なんの悪気もなくポンと突き放す・・・
鬼コーチか!って感じでした。
彼とつきあい続け、彼と結婚するということは、「私を甘やかしてくれる男性との居心地の良い恋は、この人生ではもう二度とできない」ということを受け入れることでした。
「恋人には自分を理解してほしいし共感してほしい」という願いをきれいさっぱり諦めるということでした。
彼とつきあい続け、彼と結婚するということは、自分の未来の可能性の幅を極端に狭めることでした。
私は大好きな国、タイと関わって生きていきたいという夢も一旦諦めました。
大学卒業後のタイ留学を、半年で切り上げて帰国したのです。
タイではなく、彼と生きていく人生を、私自身が選びました。
でも、それは苦渋の選択でした。
その後何年も、ひどい喪失感と挫折感、そして後悔を引きずり続けました。
思う存分やりたいことをやった後に、出会えば良かった・・・
これもまた、早すぎる出会いに苦しんだ一例です。
「こんな人生を歩みたい」「こんな人でありたい」という大筋な価値観は一致しているけれども、
細かい点では食い違いだらけ、全然かみ合わない私たち二人。
そんな二人が紆余曲折を経てなんとかラブラブ夫婦にたどり着けた秘訣は・・・
☆ ☆ ☆
変えられることを変える勇気と
変えられないことを受け入れるつよさと
その二つを見分ける智恵を、
神よ、私にお与えください
こんな祈りがあるのをご存じですか?
私の考える「夫婦ラブラブの秘訣」は、まさにこの祈りの通りです。
変えられることを変える勇気。
「
タロット占い師への道 2」で書いたように、
私は、夫婦はケンカを避けていてはいけないと思うのです。
決して、真正面からの対峙から、逃げてはいけない。
真実の話し合いを諦めないで模索し続けよう。
あなたが求めているものは何か、何がつらいか、何が苦しいか、ストレートに胸から胸へ直球で投げ込もう。
どうか、より良い関係へ変わる努力をあきらめないで。
人と人は、宇宙の虚空に浮かぶ惑星同士のように孤独。
たとえ夫婦だろうが、人と人の間には、深遠な淵が横たわっている。
だからこそ、伝えたい!届けたい!という強い想いと共に、声を振り絞って伝えていかないと、何一つ伝わらない。
そうしないと、何一つ分かり合えない。
もちろん、相手を傷つけたり貶めたりするケンカはNGです。
かえってお互いの間の溝を深め、関係を壊すだけ。
そうではなく、あきらめずに、真剣に、話し合い、議論を戦わせ、想いをぶつけること。
それなくして、どんな人間関係が持てるというのでしょうか。
激情のまま相手を傷つけるケンカではなく、自分の真実の想いのたけをぶつけるケンカをしよう。
そんなケンカをする勇気を持とう。
自分たちの関係をより良いものへ変えていく挑戦をあきらめてはいけない。
私は心の底から、そう思います。
そして、変えられないことを受け入れるつよさ。
さっき書いたことと一見矛盾するようですが、これはつまり、「あきらめること」「手放すこと」なんですよね。
相手は別の人格なのだ、とあきらめること。
決して理解しあえない部分はある。
それはそれで仕方ないんだ、とあきらめること。
相手は決して自分の期待通りになんか動いてくれない。
このことを受け入れること。
同じ方向を向いて、伴侶として歩いていけるならば、つかず離れずの距離でいいじゃん、と手放すこと。
相手の存在、相手の人格を、丸ごと受け入れて認めること。
相手の趣味、思考回路、性格等は変えられない。
相手の価値観も変えられない。
自分自身が、まずは自分と異なる価値観を受け入れられるよう、変わること。
何が変えられて何が変えられないのか、その二つを見分ける智恵。
これが一番大切なような気がします。
そのためにも、まずは「話し合い」まずは「議論」なのかな。
自分が何がイヤで何がつらくて何で困っていて、どうなりたいのか。
何を求めているのか。
相手にどう協力して欲しいのか。
それをぶっちゃけること。
まずは自己開示ですよね。
自分が先に勇気を出して自己開示すれば、パートナーも自己開示を始めることは多いものです。
むやみに非難されたり攻撃されたりはしない、と信頼関係ができれば、用心深いパートナーも心を開いて話し合いの席についてくれるかもしれません。
本音で話し合うことで、「何が変えられて、何が変えられないのか」が明確になっていくことでしょう。
話し合いもせず、努力もせずに諦めて投げ出うのは、成長を投げてしまうこと。
そして、「お互いが自分らしい人生を生きるためには、別れることも辞さない覚悟」。
そして、「まずは自分自身が幸せでいること」。
この二つも秘訣に加えたいと思います。
別れるしかない二人、というのもあります。
また、「別れ」を具体的にイメージして始めて価値が分かる、という場合があります。
「死」を見据えることが「生」を見据えることとイコールなように、「別れ」を直視することは「パートナーシップ」の価値を認識することに直結するものです。
幼い子どもが、なにかが上手くできないときにすぐに放り出して駄々をこねだすような、そんな安易で逃避的な「別れ」は不毛です。
でも、常に「別れも選択肢としてあり得る」という覚悟は大切だと思います。
「いつか必ず死ぬのだ」と実感しながら生きることが一瞬一瞬の価値を高めるように。
私の場合は、明確にそうでした。
何度も別れを繰り返していますが、その度に、「ああ、私にはこの人が必要なんだ。私はこの人を失いたくないんだ。」ということが腑に落ち、
その後は抵抗無く「この人と上手くやっていくための努力」をすることができるようになっていきました。
彼もまた、別れ話のたびに私を大事にしてくれるようになりました。
それから、「まずは自分自身が幸せでいること」。
幸せな人だけが、周囲の人に幸せのお裾分けができるのですから。
私が自分のやりたいことを見つけ、どんどん満足感と充足感が満ちていくにつれて、夫婦仲は良くなっていきました。
「こんな人生を歩みたい」「こんな人でありたい」という大筋な価値観は一致しているけれども、
細かい点では食い違いだらけ、全然かみ合わない私たち二人。
そんな二人が紆余曲折を経てなんとかラブラブ夫婦にたどり着けた秘訣は以上の5つです。
・変えられることを変える勇気と努力を惜しまないこと。
・変えられないことはあきらめ、手放すこと。
・変えられることと変えられないことの二つを見極めるために、話し合いで心を開き本音を語り合う習慣を持つこと。
・「別離」も視野に入れ続けておくこと。
・まずは自分が幸せになること。
これらはあくまで私にとっての秘訣なので、誰にでも普遍的に効果のあるものとは言えないかもしれません。
でもここから、何か参考になったり、刺激となったりするものを各自汲み上げてもらえれば嬉しいと願ってます。
以上、長々と続けてきた「夫との出会い」シリーズですが、これで一旦区切りを付けたいと思います。
未来予知なのか、理想を明確にしていたら叶うという願望実現の法則なのか、それとも前世から約束していた赤い糸の相手だったからなのか、
とにかく私は子どもの頃に思い描いていたそのままの相手と、運命的に旅先で出会ってしまったのですが。
そんな運命的な出会いだろうが、赤い糸の相手だろうが、人と人がパートナーシップを築いていくのは困難なものなんだ、ということを書きたかったのです。
努力は惜しんではいけないけれども、どこかでは諦めなくてはいけない、っていうこととか。
その辺が伝わっていれば幸いです(^^)
(完)
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