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2008年04月26日

その1 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

私は子どもの頃、幼稚園でも学校でも、話せませんでした。

無理をすれば、かすかな裏声なら出すことができました。

先生に何か質問されたときなど、逃げられない時は、

裏声を使って絞り出すように返事していました。


  怖かったのです。

  ものすごく怖かった。



身体もまた、動かせませんでした。


高いところから下を見下ろしたとき、身体ってこわばりますよね。

あの感じが、家の外に居る間中続きました。

 常に、怖い。

 常に、不安。

外では、一箇所にじーっと、立ちすくみ続けていました。

幼稚園では、ホールの隅で、身体を丸めてうずくまり続けていました。

小学校では、自分の席で、朝登校してから夕方下校するまで、

うつむいたままただ座り続けていました。

誰ともしゃべらず、誰とも遊ばず。

トイレに行ったり教室移動したりする必要最小限以外、動きませんでした。

幼稚園の3年間(三年保育だったので^^)、小学校の6年間、ずっと。

ひたすら、固まり続けていました。


  怖かった怖かった怖かった。

  キケンキケンキケン。


今でもよくあの感覚を覚えています。


  身体がこわばる。

  激しい緊張。

  特に背中、腕、首筋。

  凍り付く感じ。

  のどがつまる。

  声帯が狭まる。

  声が出ない。


必要に迫られて、声を絞り出す。

身体のどこも響かせていない、のどだけで発声するか細い裏声で、

なんとか意思の疎通をする。



激しい自己否定。

  私はここにふさわしくない。

  私はここで認められていない。

  私が私であることがばれたら、追い出されるだろう。

  私は自分らしさを隠し通さなければならない。



そして、その信念を裏付けるように、

友達など一人もできず、いじめられ続けました。

意識が現実を作る、という一つの証明ですよね(^^)

私が「きっと受け入れてもらえない」と信じて

心を閉ざし殻に閉じこもったままだったので、その通りになった。


話もせず笑いもせず動きさえしない子どもに、友達ができるはずもなく。


子どもたちが、自分より弱い立場の子どもには攻撃的になるというのは、

自然な行動特性ですよね。


それが存分に発揮され、私はかっこうのイジメのターゲットでした。


苦痛でした。

毎日毎日が、苦痛でした。

「子どもってみんな無邪気で天真爛漫」みたいな言い方が私は好きじゃありません。

私は無邪気でも天真爛漫でもなかった。

子どもでしたが。

二歳の頃から記憶がありますが、ずっとそんな感じだった。

 (家の中や、家の近くの慣れた場所できょうだいで遊んでる時は、
  笑ったりしゃべったりいたずらしたり走り回ったりする
  普通の子どもだったのですが。)


今、本当に長い間の紆余曲折と努力が実り、

人生の中で一番無邪気で天真爛漫に振る舞えている気がします。

子ども時代より、今の私の方がずっと自由で、ずっと伸び伸びしている。

あの、自分に対する激しい否定の声が聞こえなくなりました。

  「何をやってもダメだ」

  「誰もお前を受け入れないだろう」

  「黙って邪魔にならないように引っ込んでいろ」

  「お前の存在は迷惑なのだ」

という自己評価から、やっと自由になりました。


  今、私の表情は柔らかい。

  今、私の身体は柔らかい。

  今、私の声は深く、力強い。


私は、自信を持って自分を表現する。

そして、周囲はそれを温かく受け入れてくれるという信頼を持てている。

実際、「共感しました」「そういうの素敵だと思う」と返してくれる人たちに、

今、囲まれている(^^)



ここに来るまで、私は本当に努力しました。

自分では、「血のにじむような努力」だったと感じています(^^;

「対人恐怖との闘いの半生」だったと(←大げさ?^^)。



小学校の頃の思い出で、忘れられないのが・・・(続く)



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その2 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

  
小学校の頃の思い出で、忘れられないことがあります。


弟が三年生、私が5年生くらいだったのではないかと思うのですが、

弟の声がかすれはじめたことがありました。

耳鼻咽喉科を受診したところ、声帯にポリープが出来ている、

ということで、手術をすることになりました。


そのとき、母から言われたこと。



 「あんたが変な裏声ばっかり出すからや。

  そやから弟が真似して、それでポリープになったんや。」




・・・私に対する心配は?・・・



私が好きこのんで、裏声を出しているとでも?



私の方がずっと裏声の頻度が高い。

だったら私にもポリープができる可能性があるのでは?

その心配は?



私は、裏声でしか話せなかったから、裏声を出していたのです。

普通の声が出せたなら、どれほど喜んで出したでしょうか(;;)



弟は、私と違い、天真爛漫で陽気で、友達の多い子でした。

滅多に裏声なんか出してなかったし、出した時は単純に遊びとして、

おもしろがって出していただけだった。



  そんな弟の声がかすれたら、病院に連れて行き、治療を受ける。

  私が声を出すことができないのは、放置。

  裏声でしか話せないのは、叱咤の対象。



  助けて欲しいのに!



私は、助けてほしかった。



  毎日毎日、不安と恐怖で動けない。声も出ない。話せない。

  毎日毎日、いじめられるために学校へ行く。



誰も、助けてくれなかった。



学校を休もうとしても、力づくで家から引っ張りだされた。

   不登校も認めてもらえなかった(;;)


児童相談所とか、スクールカウンセラーとか、心療内科とか、

そういう所に連れて行ってもらいたかった・・・

変だと気づいて欲しかった。

助けが必要なのでは?と思って欲しかった。




苦しい毎日からの救いのヒントを求めて、

私は小学生のうちから心理学に興味を持ち始めます。



精神科医だった父(でも我が子には手を差し伸べてくれなかったですが^^)の蔵書を、

読めるものは片っ端から読みました。


父のところに送られてくる精神医学会の学会誌なども読みました。


中学生に上がって、劇的な変化が訪れます。


   それは・・・(つづく)



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その3 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

中学生になって訪れた、劇的な変化。

なんと、普通の声で話せる相手ができたのです!

それも、三人も!!!

   ぱちぱちぱち!(拍手)




これは、本当に画期的なことでした。

今まで、何年間も努力してきてできなかったことができたのですから。



小学校卒業、中学校入学。

私が進んだのは地域の公立中学とはいえ、

これをきっかけに今までとは環境はがらりと変わります。


他の小学校からも入学生が来ます。

全く知らないメンバーが、同じクラスの半分を占めることになります。


私なりに、賭けたのです。

このチャンスに自分を変えないと、また同じ日々が続くだけだ、と。


幼い私にとって、本当に勇気のいることでした。

バンジージャンプを飛ぶくらいの決意と意志の力のいることでした。


私の持って生まれたギフトの一つに、「波長の近い人をかぎ分ける能力」があります。

その動物的な本能とも言うべき能力を駆使して、新たなクラスメイトの中から、ピンときた三人に普通の声で話しかけました。


ありったけの勇気と意志の力を総動員して。


そして、普通の声が出た。

そして、相手もにこにこと気持ちよく応対してくれた。



崩れ落ちて泣きじゃくりたいくらいの、安堵でした。

足ががたがた震えていました。


「やればできる」


 (ちなみに、そのときの三人の友人とは、今でも細く長くつながっています^^。

  Rちゃんは時々ブログを見ていてくれてるんじゃないかな? 

  Rちゃん、見てる?^^)



でも、「普通の声で話せる相手」は中学時代はその三人以上には増えませんでした。

学年が変わりクラスが変わりその三人とは離れても、

新しい気を許せる友達を作れない。


相変わらず針のむしろの中学生活。


ちょうど多感な思春期を迎えたこともあり、

私の苦しみは変わらず続きました。



  どうしてこうなんだろう?

  一生このままなんだろうか?

  さびしい、友達が欲しい。

  人と仲良くしたい。

  もっと色んな人と近づきたい。

  恋だってしたい。


こんな私に、いったいそんな日がくるんだろうか?

生きていても、いいことがあるんだろうか?



小学校の頃から希死念慮があったことを覚えていますが、

思春期を迎えて顕著に「死」に憧れ始めました。



  「人生がこんなに苦しく孤独なものならば、

        いっそ死んでしまいたい。」




そんな中、ますます心理学に傾倒していきました。

フロイトを読み、ユングを読みました。

母親がPTA仲間から借りてくる、

コミュニケーション系の子育て論の本も読みました。


  ちなみに、トマス・ゴードン博士の「親業」はいい著作でした。
  子供心に「こう接して欲しい!」と切実に願いました(^^)



自分自身のあまりの生きづらさを解明すべく、自己分析に没頭しました。

なぜここまで自己否定がひどいのか。

なぜここまで無価値感が強いのか。


そしてある日、とある古い記憶の封印を解きます・・・(つづく)


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その4 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)


中学生のとき、自己分析を繰り返す過程で封印を解いた過去の記憶。


私が5歳の頃、父と折り合いの悪かった母が家出を計画したことがありました。

そのとき、


「他のきょうだいは連れて行くけれどもあんたは置いていく」と、

私に面と向かって宣告した、記憶・・・。


※詳しくはこちらに書いています。
http://mishio.seesaa.net/article/47066498.html



今でもありありとおぼえています。

幼い私にとって、目の前が真っ暗になるような衝撃だったことも。

それでも、泣くでもなく駄々をこねるでもなく、

黙ってうなずくしかなかったことも。



結局、母は家出を断念したのですが。

実際には出て行かなかったのですが。



でも、母から「要らない子」として

きょうだいの中から選ばれてしまった事実、

「あんたを捨てる」と宣告された事実は、

母が実際には出て行かなかったとしても、変わらない。


この記憶は幼い私には重すぎたのでしょう。

ずいぶん長い間封印されていました。


中学生のとき、フロイトと出会い、

深層心理とか抑圧などの言葉を知った私は、

当時のあまりの生きづらさの理由を解明するために、

自己分析に没頭し、その過程でこの記憶の封印を解きました・・・



何かのきっかけで、ふっとこの記憶がよみがえったとき・・・

私はあまりのショックに、身も世も無く泣き崩れました・・・


ひどい自己否定の、原因(のひとつ?)を見た、と思いました。




だからといって、対人恐怖や場面緘黙が劇的に改善した、

ということはないですが(^^;


でも、とても気が軽くなったのは事実です。

どんなものでも、原因不明というより、

きっかけや原因がはっきりしたほうがすっきりして、

受け容れやすく、消化しやすくなりますよね?




その後もずっと、

手当たり次第心理学関係の書物(特に深層心理学方面)を読んでは、

自分に当てはめて検証し考察し、分析する、

ということに没頭しつづけました。

自分が一番面白い観察対象であり、研究対象、という感じでした。



現在もまだ続いているそんな自己分析の日々の中で、

いろいろな思い込みや思考の枠、怖れ、禁止令が、

少しずつ白日の下に浮かびあがり、解除されていくことになります。


薄皮をはぐように、私は解放され、自由になっていきました。

私をしばりつけ、こわばらせ、

声や自己表現を奪っていたいろいろな思い込みや思考の枠、

怖れ、禁止令の数々から・・・。



高校入学を機に、

とりあえず誰とでも裏声を使わずに会話ができるようになりました。

本当に画期的なことでした。



人生の節目は自分を変えるチャンスですよね。

自分を知っている人が少ない場に新たに入っていくときって、

自分を変えることにチャレンジするのに向いている。



中学入学時と同じくらいの決意と覚悟で、

私は「誰とでも普通の声で話す」というチャレンジに挑み、

成功しました・・・



しかし、その後も根強く続く自己否定。

自殺念慮。

そして、時々に行ってしまう自殺企図。


そんな状態は、大学に進学してからも続きます。


当時、裏声は使わなくてすむようになったとはいえ、

私はまだまだ、本来の自分らしい声など、出せていませんでした。




  自分が自分であってはいけない、

  自分が自分であることが知られたら、絶対に排斥される。

  びくびく。

  おどおど。



不安と緊張からこわばった無表情な顔と固く力の入った身体。

そんな身体から発せられる小さな声で恐る恐る話す。

聞き返されると、とたんに不安が一層高まり、泣きそうになる。

声ももっと小さくなる。



耐えられなくなって、

話の途中で「いいです、ごめんなさい」と

半泣き状態で逃げ出してしまう。


そんな状態で、人間関係など、うまくいくはずもなく。

大学に進学してからも友達などろくにできず、

アルバイトも人間関係が上手くいかなくて長く続かず・・・


そんな中、

私の「声」「身体」状況に大きな影響を与える出会いが・・・(つづく)



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その5 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)


あまりの生きづらさに、早くから心理学に親しみ、

強すぎる自己否定など少しずつ自分の問題に気づき始めた私ですが、

大学に進学してからも、激しい対人恐怖と希死念慮に苦しみ続けました。



いつでもどこでも、

不安と緊張からこわばった無表情な顔と固く力の入った身体。

挨拶も返事もつぶやくような声しか出ない私に、

友達もなかなかできず、バイト先でも人間関係はうまくいきませんでした。


なんとか少しでも楽になりたい、友達が欲しい、

人間関係が少しでもスムーズにいくようにしたい。


模索し続ける私の前に、

私の「声」「身体」状況に大きな影響を与える出会いが。



それが、名著「ことばが劈かれるとき」と、その著者、竹内敏晴さんとの出会いでした。
   


竹内敏晴さんとの出会いも、シンクロに満ちたものでした。


「その3」で書いたように、

私には「自分と波長の合う人」を見つけることのできる能力があります(^^)


見てわかるのではなく、「ひとこと会話を交わすとわかる」のです。

(ここにも「声」の秘密が隠されているのでしょうか。

声にはやはり魂の質のようなものが反映されるのかもしれません。)




同じ教室で、何ヶ月も一緒に過ごしていて全然なんとも思っていなかったのに、

「消しゴム貸して」「いいよ、どうぞ」と

何気ない会話を交わした瞬間に、

「えっ?!この人いったい?!」と衝撃が走る。


だから、恐る恐る、様子を見ながら、そっと近づいてみる。



すると案の定、興味の方向が同じで話が合い波長が合い、

すっかり親友になれる。


裏声ではなく普通の声で人と会話できるようになった高校以降、

そういう経験を複数回しています。


ですから、対人恐怖が強い私でしたが、

その割には不思議と常に「親友」と呼べる存在がいました。


普通の浅いレベルの友人はゼロに近いにもかかわらず(^^;



予備校時代に、そのような経緯で「親友」になったMちゃん

(彼女とのきっかけは「ここ空いてますか?」と尋ねた一言でした^^)。



当時のBFのYくん(初対面の挨拶を交わした瞬間に、

脳天を直撃するほどの衝撃を受け、私からアプローチ^^。

一目惚れならぬ、一言惚れです^^)。



その、浅からぬ絆を実感せずにいられない二人のソウルメイトから、

別々に「ことばが劈かれるとき」という本と、

竹内敏晴さんのワークショップを進められたのです。

時を同じくして。


Y君から貸してもらった「ことばが劈かれるとき」を読み、

衝撃を受けました。

演劇家であり演出家であり、

今では「声の産婆」とも呼ばれているらしい^^竹内敏晴さんは、

少年時代、聴力を失っていた人です。



言語が母語として身体にしみこむ大切な時期に

聴力を一旦失った著者の、

「ことば」と「他者との会話」の獲得を巡る苦しみ。

苦悩。

他者と関わる大切なツール、

「ことば」を取り戻そうという切ないもがき。


訥々と、切々と、淡々と、

その苦闘が記されたその本に、

私は自分を重ね合わせ、深く揺り動かされました。


この人のワークショップに出てみたい!



貧乏学生にはかなりな打撃だった参加料を潔く払い(^^)、

私は親友Mちゃんが勧めるそのワークショップに、

彼女と二人で出席することにしました。



その日、私を待ち受けていたのは・・・(つづく)






ことばが劈かれるとき」竹内敏晴 著、筑摩書房

『からだは、自分と世界がふれる境界線だ。

そこに必死になって生きようとしながら、

閉ざされ、病み、ゆがむ“からだ”・・・。

幼児に耳を病んだ著者が、

どのようにして“こえ”と“ことば”を回復し、

自分と世界の触れあいを、

また、人間関係のダイナミズムを取り戻していったか−−−−。

長く苦しい努力の過程を語りつつ、

人間の生き方の根底を照らし出すユニークな一冊。』

             裏表紙の紹介より。

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その6 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

そのあまりの生きづらさに、早くから心理学に親しみ、

傷ついたインナーチャイルドの存在や、そこからくる強い自己否定など、

少しずつ自分の問題に気づき始めた私ですが、

大学進学後も激しい対人恐怖と希死念慮からはまだ解放されずにいました。



人と目も合わせられず、虫の鳴くような声でしか挨拶もできず、

談笑なんてとんでもない。

毎日がすごいストレス。

学校でもバイト先でも、不安と緊張の固まり。


なんとか少しでも楽になりたい、友達が欲しい、

人間関係が少しでもスムーズにいくようにしたい。


模索し続ける私の前に、

私の「声」「身体」状況に大きな影響を与える出会いが。


それが、名著「ことばが劈かれるとき」と、その著者、竹内敏晴さんとの出会いでした。


竹内敏晴さんのワークショップに恐る恐る参加した私を待ち受けていたものは、

目からウロコの気づきの数々、洞察の数々。


「声には実体や方向性がある」

「声はエネルギー体である」

「声と身体と心は切り離せない。三位一体な存在である」

etc...




「声」は、飛ぶんです。

明確な方向性を持って。

ご存じでしたか?


そして、人の身体に「当たる」んです。

胸を打つ」という表現がありますが、あれは比喩ではなかった!

本当に、「声」は、「人の胸を打つ」ことができる。

人の身体にぶち当たって揺さぶることができる。

声が人に届くとき、人はその声に揺さぶられているのです。



竹内先生のワークショップは盛りだくさんで、種々のワークが体験できました。


それら多様なワークの中で、一番印象的で今でも忘れられないのが、

「声には実体や方向性がある」ということを実感してみるワークでした。


竹内先生の知的財産権を侵害しても申し訳ないので、ワークの詳細には触れないことにしますね。

とても面白いワークなので残念ですが。

まだ先生は現役でワークを実施されているようなので、

興味のある方は参加されてみてください。


   竹内敏晴さんのHPはこちら


参加者のひとりが、自分に向かって背を向けて座ってる他の参加者の中から特定の一人を選び、

その人に向かって呼びかける、というワークなのですが。


後ろ向きに座ってる人たちの中で、

「自分に向かって言ってる」と感じた人は手を挙げます。


誰一人手が上がらない場合、

先生が、「今の声はどの辺を通ってどこに落ちたかな?」と問いかけます。


その反応が面白いのです!


誰かが恐る恐る「私の頭の上を通って行ったような」などと言い始めると

口々に、「私の右横を抜けて、あの辺りでストンと床に落ちました」などと

言い始めるのです!

しかも、みんなが指さす「声のたどった経緯」が大筋で一致している。


「私もその辺りで落ちた気がしたなあ、確かに」などと、

自分がおぼろげに感じたことと一致するのです。


呼びかける声には、方向性があるのですね!

しかも、それを誰でも実感することができるのですね!

声とは、「ここに当たった」「ここに落ちた」と描写することができるものなのですね!



本当に新鮮な、驚きの体験でした。



最初、声かけ役の人も緊張しており、声も小さく、

その声はだいぶ手前で誰にも当たらずストンと落ちます。


それを参加者さんたちに口々に指摘され、

「自分の声って全然誰にも届いてない」と気づかされます。


何度か繰り返すうちに

声に気合いがこもり始める。

声に気迫が出てくる。

そうなると、声の勢い、声のエネルギーが全然違う。

方向性を持って真っ直ぐに飛び、目指す人のすぐ近くまで来るようになる。

でも、そこでもすぐには届かない。


すぐ近くまで行っているのに、目指す人の横や手前で落ちちゃったり、

頭上を通り越してしまったりする。

周囲の違う人が手を挙げて、目指す人は知らん顔してたりする。


すると、先生に指摘されます。

  「あなたは本当にあの人に話しかけたい、と思ってますか?

  本当に伝えたいと思ってますか?」



  
               ・・・(つづく)


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その7 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)


  「あなたは本当にあの人に話しかけたい、と思ってますか?

  本当に伝えたいと思ってますか?」





竹内敏晴先生のその問いかけは、私にはとても重く響きました。

私が声を出すとき、相手に届けたいと思って出しているだろうか。

相手に伝えたい、と心から思えてる言葉を伝えているだろうか。




竹内先生のワークショップを通して、何人もの方の「人に届く声」を聞かせていただきました。

勢いが、気迫が、エネルギーが、全然違う。

声を出す場所の違いも感じました。

喉から出ている声なのか、お腹からでている声なのか。


お腹からでる声は、深くて、よく響き、ムチのようにしなやかに相手の身体をピシリと打つ。



そして人に言葉を届けるとはどういうことか、も散々見せていただきました。


人に届く言葉、人に伝わる声を出している人は、

見るからに、顔が違う。

身体のたたずまいが違う。

立ち上る気迫が違う。

そして、声にこもったエネルギーが違う。

声の持つ波動が違う。



本当に伝えたいのかどうか。

本当に対話したいのかどうか。

本当に関わり合いたいのかどうか。


気持ちが、声と身体に与える影響。

心構えが、立ち上る気配に与える影響。

相手への関わり方が、周囲にどれほど顕著に伝わることか。



私が今まで出していた声は、「できたら誰にも届かないで欲しい」「できたら誰にもかすらず、スルーされてほしい」という裏の願いを体現してしまっていました。

私は対人恐怖があまりに強すぎて、誰とも本当は関わり合いたくなかったのですね、実は。

そのことに否応なく気づかされました(><)

誰にも、自分の存在に気づいて欲しくなかった。

だから、か細い声しか出なかった。

だから、目を合わせることができなかった。



最初に人とのコミュニケーションを拒否しているのは、私自身でした。

これでは、人間関係なんてうまく行くはずがない。

自分自身の心の問題に「声」から気がつくという、新鮮な体験をすることができました。



そしてまた、その恐怖心が身体を硬直させ、それが固くて小さい、響かない声を作っている、ということにも。

身体をほぐし、リラックスさせることで、声を柔らかく響き良くする、というアプローチがあるのですね。

リラックスしたゆるんだ身体から発せられる、柔らかで素直な声は、まっすぐ相手に届く。



コミュニケーションは、心理学だけのものではなかった。

身体や声などの、「こころ」や「精神」や「脳」など以外のアプローチも効くものだった!

そのことに気づかせていただいた一日でした。



人と人との関わり合いですから、そりゃ「生身のからだ」同士で行うものですよね。

でも頭でっかちだった私にとってはすごく新鮮な気づきでした。

それまで、心理学の本を読んでは自己分析をする、という座学のアプローチしかしてなかったですから。

身体を使って実際に人と交流しながら行うコミュニケーショントレーニングは、本当に実践的で、とても気づきの多い実り豊かなものでした。




そして、その日から「声」への興味と関心が芽生えました。

「エネルギー体」としての「声」、実体を持ち人の心や体を実際に揺さぶることのできる「声」。



               ・・・(つづく)

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その8/完結編 私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

【私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)その8・完結編】

竹内敏晴先生のワークショップを体験して、

  声が人に届くかどうかは音声の大小には関係ないこと、

  いくら声が大きくても、「この人と関わりたい」という思いのこもってない声は身体の横をスルーしていくこと、

などを知ったことは、大きな収穫でした。


いえ、声が大きければ鼓膜には響くのですが、「胸」や「骨」を震わせないのですね。

工事現場の騒音のように、「他人事」として頭の上を素通りしてしまう。

逆に、声が小さくても、「あなたとコミュニケートしたい」という真剣さがある声は、まっすぐに届くのです。

身体の中心に。

たとえ工事現場の騒音の中でささやかれたとしても。

そういう経験って、ありますよね。

人ごみの雑踏の中でかすかに呼ばれたときに、はっと振り向いた経験が。




また、「エネルギー体」としての「声」、

実体と質量を持ち、周囲に影響を与えることのできる「声」への興味と関心が芽生えました。

『声』というものを、そういう目で見ると、本当に面白いのです。



  「この人の声は口を出たとたんにぼたぼたと床に落ちてしまっていて、誰にも届いていないようだ」

  「今の声は確かに私の胸を打った。まっすぐに、まるでしなやかなムチのように。」

  「今の一声にはすごくエネルギーがこもっていたので、だから会場が一瞬で静まり返った」



日々、声そのものの持つ質感や、声の影響力を面白く観察するようになりました。

「声」の持つ力を実感した印象的な事件を三つほど書いてみますね。



◎乗馬体験教室での経験。

私は乗馬に憧れがあり、体験教室に出てみたことが数回あったのですが、馬が言うことを聞くかどうか、が「どんな声を出すか」によっていることに気がつきました。

お腹から出る確信に満ちた声には馬は反応するが、細くて弱々しい、自信なさげな声は聞き流される。

このときにも声の力を感じました。

動物は、言葉の意味ではなく、声のエネルギーで「自分に何かを伝えようとしているのかどうか」を判断するのでしょうね。



◎子育て中のこんな経験。

長男がヨチヨチ歩きの頃、散歩中私の手を振り払い、まっすぐ車道に向かって走り始めたことがありました。

ちょうどトラックが通りかかった車道へと駆けていくわが子の背へ向かって自分の中からほとばしりだした「だめ!」の叫び。

すぐに駆け寄って腕をつかみながら、「本気で相手に届けたい、という意図の明確な声」を発する感覚をかみしめました。


エネルギーの塊として身体の奥からせりあがり、対象物に向かって真っ直ぐ飛ぶのが見えるような、そんな、声。

声を出した、というより、ドラゴンボールのカメハメ波を発してぶつけたような、ずっしりした手ごたえを感じました。





◎義父の臨終の床で。

夫との交際中に、夫(まだ婚約者でしたが)の父が倒れ、そのまま危篤状態になりました。

私も婚約者として、彼に連れられ病院に駆けつけました。

胸を痛めながら回復を祈ってはいましたが、お会いするのもこれが初めてという遠い存在の方であり、感情は特に波立っていませんでした。

病室に入り、こん睡状態の義父の姿を目にしても、淡々とした沈痛さに厳粛さが加わったくらいでした。


夫はまっすぐ父親の傍らに向かい、その手を取り、ただ一言「お父ちゃん!」と呼びかけました。





その声を聞いたとたん、

まるでスイッチでも押されたかのように、

私の全身は悲しみの奔流に飲み込まれ、

涙がとめどなくあふれてきたのです。




その声に、深く動かされたのです。


万感の想いのこもった声でした。

それは、親を喪おうとしている子の声そのものでした。

天国に旅立とうとしている魂を呼び止めようと、

身体の奥から自然とほとばしり出た声、

置いていかれる者の愛惜の声。


短い、たった一言の「お父ちゃん!」に、胸をわしづかみにされ、強い感情を呼び起こされたのです。


この経験はとても感動的で、そして深く考えさせられるものでした。


「声」の持つ力。

「声」はただの空気の振動ではない。

「声」の持つ可能性。

「声」に乗せることのできる情報量の多さ。





これらの経験から、

人の心の中の思いは、たとえ言葉にならなくても、声に乗せて人の胸にまっすぐ届けることができるのだ、と思うのです。

いうなれば、人の胸から胸、人の心から心へ、声が想いをまっすぐに届ける。

頭を介さず、言葉も必要とせず。


目に見えず、言葉にすると薄っぺらくなってしまう万感の想いは、

声に乗って、人に届く。

胸に。

まっすぐ。

頭を介さず。




本気かどうか、どんな想いがうずまいているかどうか、真剣かどうか。

あなたの覚悟、あなたの相手への向き合い方の姿勢はそのまま声に現れる。


だから私はセラピスト開業独立サポート講座の中にボイストレーニングを組み込んだのです。


「いらっしゃいませ」という瞬間、

「今日はどうされたのですか?」とたずねる瞬間、

あなたの中にもし揺らぎや自信のなさがあれば、伝わってしまうのです。

「それはつらかったでしょうね」という言葉に、真の共感がこもっているかどうか、ばれてしまうのです。


逆に、うまい言葉が出てこなくても、

短く「まあ」「そう」「ええ」というだけで、

本気で共感してくれていることが、相手にはちゃんと伝わるのです。




私は場面緘黙で悩みました。

少しでも緊張すると声が出ないという症状に、長く苦しんだんです。

だから、「声」という存在に敏感になりました。

そこで気が付いた「声」の持つ豊かな可能性。

「声」に敏感になったことが、今のお仕事にとても役に立っているのです。

本気の声をこちらが出せば、クライアントさんも、本気になってくれる。

本気で関わりたい想いを挨拶の声に乗せれば、クライアントさんもスムーズに心を開いてくれる。



それから、クライアントさんの状態も、声でわかります。

言葉では「わかりました」「だいじょうぶです」と言っていても、

それが本当かどうかは声でわかります。

というか、声でしかわかりません。


「こんにちは」「どうぞよろしくお願いします」という挨拶の時点で、

クライアントさんがどんな気分、どんな状態なのかを把握することができます。

立て板に水のようによどみなく話しているクライアントさんの

一瞬の迷い、一瞬のためらい、に気づくのも、手がかりは「声」です。





私は、「声を大切にするコーチ」、「声にこだわるコーチ」です。

私に、あなたの声を聞かせてください。

あなたの、本当の声を聞かせてほしい。


/完



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posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 私は声が出なかった(対人恐怖症の記録) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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