こちらではこんなコラムが読めます。

 ・いじめられっ子からの乗り越えストーリー  ・ネガティブを抱えて生きる象徴「キノコ荘物語」

 ・私のコーチングに対する想い/私のコーチングスタイルの特長など

 ・インナーチャイルドの癒しの旅  ・自分史:夫との出会い  ・魂に響く絵本・児童文学  ・自分史:占い師への道  ・過去生の記憶(魔女狩りの記憶 他)  ・私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)  ・おすすめセラピー・ワークショップ・講座など  ・私の年表

 ・怒りや憎しみなど、ネガティブな感情と向き合い乗り越える

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2014年04月07日

あなたもまた、「火」を掲げる輪に加わってください。

前回の日記の続きです。

奴隷の少年が、主人の「人はどれくらいの寒さに耐えられるのか」という気まぐれの好奇心で、

着物も毛布も火もなしで一晩中山の岩の上に立っている、という挑戦をさせられることになります。

もしそんな状態で一晩生き抜いたら、家や畑付きで自由の身にしてやるぞ、と。

奴隷の少年は困って村の長老を訪ねます。


長老は

「私が向かいの山の頂で、一晩中火をたいていてやろう。

お前はその火を見て、お前のためだけに夜を徹して薪をくべ続ける私のことを思い浮かべなさい。

そうすればきっと耐え抜ける。」

と言います。


少年は、その夜、闇の中で遠くにちらちらとかすかに見える灯りに励まされて、その試練を耐え抜きます。



   ・・・という、お話。



本当は続きがあり、後半は一休さんよろしくとんちでその主人をぎゃふんと言わせてめでたしめでたしなのですが、

そちらはもう私にとってはどうでもいいんです(汗)


私はこのお話の前半が本当に大好きで。



誰かが遠くで灯火を明々と点し続けていてくれる。

その姿に励まされて、厳しい状況に耐え抜ける、ってこと、あると思うんです。


ここで前回の日記の続きの内容になるんですが


私の尊敬する児童文学者の皆様は、私にとっての「山の上の火」なのです。

あの人たちがあんなに明々と灯火を掲げていてくれた。逆境の中で。くじけず。うまずたゆまず。

だったら私もがんばれる。

いや、私もがんばらなければ、と思える。



児童文学者の皆さんに限定する必要はもちろんなく、

大きな目標、エゴを超えた社会貢献や世界平和のため、次世代の幸福のため、命の未来のために尽力をやめない方々はみんな、

私にとっての「山の上の火」。


黙々と、寒さや暗さや孤独の中で、火に薪をくべ続けてくれている人たちがいる。

自分のためではなく、隣人のために、社会のために、未来のために、地球のために。



そのつもりになって周囲を見れば、闇の中にたくさんの灯火が、ちらちらと、無数に輝いている。

闇に見えるかもしれない状況だけど、決して世界は闇に包まれてはいない。

無数の光がまたたいている。

宇宙のように。



私もまた、誰かのために火をたきつづけよう。

少しは周囲を照らしたり温めたりできるかもしれないから。

遠くから、「あそこでああやって珠帆さんも火を守り続けている」って、誰かの励みになっているかもしれないから。



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 21:40| 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

言葉が脈動するように光るのを見たことありますか?

というわけで、前回の日記に書いたように、2/4は絵本の世界にどっぷりはまっていたのですが。

その余波で、私の尊敬する児童文学者たちについて色々思い出してます。


たとえば、10年ほど前に、ある図書館で開かれた小澤俊夫先生の昔話についての講座、

今までに受講した講座の中での最高峰です☆

私も今までにたくさんの講座、たくさんのセミナーに参加してきましたが、

あの講座を超える体験はまだありません。


小澤先生に興が乗ってくるにつれて、会場となったこじんまりとした会議室全体がびりびりと震え始めたのです☆

小澤先生の周りで、空気が脈動していました。

脈動するように光っていました☆

空気って、光るんですね。

言葉に応じて、脈動するように、光るんですね。

ご存じでしたか?


私も一度でいいから、自分から発する情熱で空気をびりびりふるわせるような、

自分から発する言葉が脈動するように光るような講演がしたいものです。

死ぬまでに、一度でいいから。

私の目指す理想の講座、理想の講演。



そして、小澤先生の講座に次いで、私の人生二番目に素晴らしい講演が

小樽の児童文学研究センターでの、斎藤惇夫先生が語った瀬田貞二論です☆

今でも忘れられません。

斎藤惇夫先生が、どれほどの敬愛と慕わしさを込めて瀬田貞二先生について語られたか。

そこにどれほどの熱とどれほどの想いがこもっていたか。

もう10年くらい前の体験ですが、斎藤惇夫先生のたたずまい、表情、使われた言葉、フレーズ、たくさん覚えています。


瀬田貞二先生と石井桃子先生が、戦後の焼け跡の中、
飢えに苦しみながら、
子どもたちのための読み物に尽力された様子を
斎藤惇夫先生は語られました。

その一語一語に、斎藤惇夫先生の心の震えがこもっていました。

その日食べるものにことかくような状態で、
子どもたちのための文学を守り通そうとする。

一般の人からは「道楽」としか見なされていなかった、絵本・児童文学を。

その時代、そんな状況下で、
子どもたちの柔らかい感受性に、成長真っ盛りの精神に、
芸術として価値の高い読み物を届けようとする。

できるだけ質の高いものを。できるだけ廉価で。

それがどれほどの覚悟と使命感がないと続けられないことか。

想像するにあまりあります。


彼らのおかげで、戦後の子どもたちの文化がある。

戦後の子どもたちの精神は、彼らの志と献身のおかげで培われた。


宮崎駿監督もどうやらかなりの児童文学マニアなのですが。

宮崎監督の名作アニメには、古今東西の名作児童文学に大なり小なり影響を受けているものがたくさんあるのですが。

つまり、瀬田貞二先生と石井桃子先生の尽力がなかったら、宮崎アニメもあのような形ではなかったのです。


そして、また、私も、彼らがいなかったら、このような精神、このような語彙、このような表現力、このような感受性を持っていなかったわけです。

彼らが翻訳してくれた名作児童文学の数々が、私を今の私にしてくれました。

彼らの使った美しい日本語の訳文が、私の語彙や表現力を育ててくれたのです。
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 21:37| 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなたの白猫になりたい(笑)「100万回生きたねこ」はやっぱり名作!

2012年2/4土曜日は小樽の大魔女Tenjuさんのいる喫茶店、キッチンぐるぐるさんにて、

定期的に行わさせていただいている絵本読み聞かせワーク「大人のための絵本茶話会」。

毎回、すごくイイ時間をいただくのですが、今回もまた深かったですー★


今回、今までとちょっと異なる取り組みということで、名作絵本を心理学的に解説する時間を取ってみたんです。

「三匹のヤギのがらがらどん」と「100万回生きたねこ」の二冊をその対象に取り上げてみました。

そしたら、反応が良くって!

参加者さん方がとても熱く食いついてきてくださって。

すっごく嬉しかった!(^▽^)

「えっ?!こんなマニアックな話、面白いと思ってくれるんですか?

うそ!(≧▽≦))

だったらもっと話しちゃいますよ!!!」

って感じでかなりテンション上がりました!!


「三匹のヤギのがらがらどん」は、実はジブリの名作「となりのトトロ」のモチーフになってるんですよ!

ご存じでしたか?(^^)

そして、子どもの魂の成長、心理的成長が盛り込まれてる名作なんです。

あんなに幼い人たちが喜んで何度も何度も読んでもらいたがるには理由があったんです。

幼い人たちの魂の成長に必要な栄養素、「勇気」や「チャレンジ精神」「恐れに立ち向かう心」「信頼」などがたっぷり摂れる、名作なんです。



そして、「100万回生きたねこ」。

この絵本には、実はAC(アダルトチルドレン)の生き様が描かれてると私は考えています。

AC(アダルトチルドレン)の抜けだし方、克服の仕方を「100万回生きたねこ」から学ぶことができる、と。


「100万回生きたねこ」を通して、

自分を殺して他人の期待する人生を生きていた人が、

まずは自分自身になり、

その後、

自分らしく生きながらも他者に寄り添い貢献する人生へと移行する過程を読み取ることができる。

と、私は思っています。


参加者さんのお一人が、書店に並んでいた「100万回生きたねこ」に

「あなたには白猫のような存在がいますか?」という帯が付いていて、

その問いに揺さぶられて余計泣けた、というお話を教えてくれました。


白猫とは、主人公のトラ猫が他者に寄り添い貢献する人生へと移行するキーポイントになる存在なのですが。

何もしないんです、特別なことは、なにも。

ただ、白猫だけは他の猫とちがい、トラ猫の経歴や外見などの条件に影響されなかった。

そしてすべてをただ黙って受け止めた。

それだけ。

それだけで、トラ猫はすごくゆるむことができた。

自分らしくいながら他者と調和する人生に移行できた。



私も、たくさんの人にとっての白猫のような存在になりたい、って強く思いました。

自分を殺して他人の期待する人生を生きてきた人が

自分の人生を生きる方向へ舵を切るきっかけを作りたい。


経歴や外見などの表面的な要素ではなく、その人の「本質」に寄り添い

すべてをただ黙って受け止めることで

「あなたはあなたのままでいい」を伝えたい。

「自分は自分のままで良かった」が腑に落ちれば、人はエゴを手放せる。

自分らしく、社会貢献を始めてしまう。


私はそう信じてます。

私はあなたの白猫のような存在になりたい。


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 21:31| 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月17日

ももたろうが退治しに行ったのは、心の中の鬼。

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魂に響く絵本・児童文学  
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 優れた絵本、児童文学は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。


 ☆読者の方限定 秘密パスワード公開! 

              詳しくは巻末をご覧下さい♪




      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




 ☆今号は読者さんからいただいたメールをご紹介します(^^)

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『ももたろう』
小沢 俊夫 (著), 赤羽 末吉 (イラスト) 、福音館
(対象年齢:読んであげるなら四歳くらいから)
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前号で取り上げた「はやたろう」に、読者さんから感想メールが届きました!

以下、許可を得てご紹介させていただきますね。

「ももたろう」を読んで感じたこと、だそうです。




      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




はやたろうの絵本評、楽しく読ませていただきました。

ありがとうございました☆

ちょうどたまちゃんの絵本メルマガを読む少し前に、

赤羽末吉画の『ももたろう』を娘に読みながら、

感じたことがあります。


ももたろうが退治しに行ったのは、

心の中の鬼。

(鬼の存在とその仕業を告げるメッセンジャーは、ここではカラス。)


退治しに行ったというより、対峙しに行ったかな・・・。

「命ばかりは助けてください。もうきっと悪いことはいたしません」と

泣いて懇願する鬼の大将に向かって、

「宝物はいらん、おひめさまを返せ」と。



これは、いろいろな信念やさまざまな感情(鬼)にとらわれて、

これまでなかなか一緒になれずにいた、

「本来の自分の在り方」を取り戻すということかな、と。





・・・と、この辺りは、なんとなく頭で考えたのですが、

何より心で感じたのは、

ももたろうがそんなインナージャーニーに出かける際に、

おじいさんおばあさんがしてくれたこと・・・


  「にっぽんいちのきびだんごを どっさり いっぱい こしらえて、

  こしに さげさせ、 あたらしい はちまき もたせ、

  あたらしい、 はかま はかせ、 かたな ささせて、

  『にっぽんいちの ももたろう』とかいたはた、もたせ

  『きをつけて いってこい。
 
  おにを たいじしてくるのを まっているでなあ』

  と、 おくりだしました。」


      ・・・
      ・・・
      ・・・


ここに、親の在るべき姿を、見ました。

何より、「わが子は『にっぽんいち』」と、強く強く、想うこと。

そして、待つこと。


おばあさんの作ってくれるきびだんごは、そんな親の愛の結晶で、

その愛が、ももたろうを、旅の仲間、

インナージャーニーの戦友たちに引き合わせてくれます。

  「こしにつけたのは なんですか」

  「にっぽにちのきびだんご」

  「一つ ください、おともします」

  「それでは おまえに わけてやろう。

   これさえ たべれば 十にんりき」・・・


子が一人で人生の荒波を渡っていくとき、

「あなたが一番。あなたを一番に、愛しているよ。

あなたはこの世でただ一人の、誰より大切なかけがえのない存在だよ。」

という親の心が、どれほどの力になるのかと、しみじみ思いました。


それなのに、それなのに〜、

幼稚園になかなか馴染めず泣き続けた娘に対して、私が抱いた感情は!?

  「どうしてあなただけ ダメなの?」

  「早く 慣れてほしい」

  「もう付き合いきれない」

・・・ももたろうのおじいさんおばあさんとは程遠い、

情けない保護者であります--;


私も、私のおひめさまを助け出す旅の途上です。


                    (北海道在住 Yokoさんより)




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




素晴らしい解釈ですね・・・。

ももたろうが退治しに行ったのは、

心の中の鬼。

「本来の自分の在り方」(お姫様)をさらって閉じこめていた、

色々な思いこみや感情。



そして、おじいさんやおばあさんの、親としての在り方。

何よりも、「わが子は『にっぽんいち』」と、強く強く、想うこと。

そして、待つこと。


二人がももたろうに与えるきびだんごものぼりも、そんな親の愛の結晶の象徴。

これから、ひとりで人生の荒波を渡っていくとき我が子に対し、

「あなたが一番。あなたを一番に、愛しているよ。

あなたはこの世でただ一人の、誰より大切なかけがえのない存在だよ。」

という親の心を、そういう形ではっきりと伝えることの大切さ。



すごく響いてきました。

本当にそうですよね。



そしてまた、おじいさんやおばあさんも、自分の中の人格の一側面と
見ることもできると思うのです。

自分自身を慈しみ育む側面もまた、自分の内面の一部、と。


と思っていたら、Yokoさんから「メルマガに掲載可」のお返事と共に
このような一文が。

『昨夜メールを送らせていただいた後、
おばあさんおじいさんの、ひたすら受容し、そのままを認め、信じる愛を、
「親のあるべき姿」と書きましたが、
それは、「私自身」に対して、「私が」取るべき態度でもあるんだな・・・
と思いました。

しかし、思うは易し(笑
行うは難し・・・です!』


Yokoさん、さすがですね・・・。

そして、思うは易し、行うは難し。

本当に。

まずは、自分を責めてしまう自分を許すところから始めましょう(^^)





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





『ももたろう』
小沢 俊夫 (著), 赤羽 末吉 (イラスト) 、福音館
(対象年齢:読んであげるなら四歳くらいから)


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 19:57| 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月24日

生命の豊かさ、多様性、雑多さ。「ジャイアントジャムサンド」

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。


 ☆読者の方限定 秘密パスワード公開! 

              詳しくは巻末をご覧下さい♪



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




時は八月。

全ての生命エネルギーが沸き立つ盛夏。


私の住む自然に囲まれた山村では、毎年スズメバチがこの時期ブンブンと飛び回ります。

蜂と8。音が一緒ですね。そのうえ、8という数字の形は蜂に似てますね(^^)



そんな、8月の蜂の羽音に代表されるような


盛夏ならではの命のざわめきが伝わってくる絵本を選んでみました。



魂に効く絵本  ?絵本は恋に似ている?

2007.7.31 第19号
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『ジャイアント・ジャム・サンド』
ジョン・ヴァーノン・ロード 作
アリス館(対象年齢:読んであげるなら4歳くらいから)
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  あらすじ


 チクチク村へ飛んできたハチ・・・

 400万匹・・・こりゃ、たまらん!

 ブンブン、ワンワン、ウォンウォン、チクッ!

 そこで、パン屋のおじさんが、考えた

 素晴らしいハチ退治。

 それは、大きな大きなジャム・サンド!

 さて、ハチは?

           (本絵本 裏表紙より)

    ????????????????


生命の豊かさ、多様性、雑多さ。

それは豊穣の証。

ハチは花粉を介在し、作物に実りをもたらす。

ただのやっかいものではない。

ただの害虫ではない・・・



そもそも、ただの害虫なんて、この世に存在するのだろうか?

すべて、助け合い、補い合う存在なのではないだろうか。

たくさんの生き物がつながりあい、補い合い、支え合い、

地球の命はつむがれていく。

命の連鎖はつむがれていく。

植物を小型草食獣が食べ、その草食獣を肉食獣が食べ、

その肉食獣が死ぬとその死骸を虫が食べ、微生物が分解し、

土に還り、それを栄養として植物が育ち、それを草食獣が食べ・・・


地球はこうして命の循環をしている。


ただのやっかいもの、ただの害虫なんて、一切存在しない。

それが、命。

それが、生き物。




しかし、そうは言ってもチクチク村の村民にとって、

大量発生したハチはどうしようもなく「やっかいな存在」だった。

畑仕事ができない、普通の日常生活を送れない。



そこで一致団結してアイディアを出し合い、助け合って

「巨大ジャム・サンド大作戦」を決行。


パン屋さんはパン屋としてその知識と技能を発揮し

お百姓さんは自分の畑を「つかってくだせえ」と申し出、


村民ひとりひとりが自分にできる協力を惜しまず、

    トラクター、工場、ヘリコプター、大量の苺ジャム・・・

持てるものを惜しげもなく差し出し・・・



最後は作戦大成功のお祭り騒ぎ!

村民総出で 「うたって おどって わらって さわぐ」

巨大ジャムサンドのために焼いた巨大パンを、みんなで食べながら。



   ところで サンドは どうなった?

   むらの みんなが いうことにゃ

   とりが はこんで とんでって

   100しゅうかんも だいえんかいを しました とさ



めでたしめでたし。



        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





蜂が大発生し、困り果てたからこそ、村民が一致団結して立ち上がった。

災難と言える事件があったからこそ、解決後に喜びと達成感が味わえた。


互いの活躍をねぎらう。

結束が強くなる。

お互いを見直す。

信頼関係が増す。

祝祭の宴でカタルシスを味わう。



すべての出来事に意味がある。

子どもの病気や問題行動は

家庭の不和や不均衡を正すためのきっかけとしての意味を持つ、という。



この「蜂の大発生」事件にも、同じような効果があったのではないだろうか。



一見、問題と思えるもの、見えることの中に潜む「豊穣」へのきっかけ。

そこに目を向けてみてもいいかもしれない。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





生い茂る雑草、あちこちに出没する蟻、ハエ、ゴキブリ、蜘蛛のたぐい。

それらの秘めている豊かな可能性に、感謝の目を向けてみてもいいかもしれない。


雑多さがはらむ豊かさ。

多様性が指し示す未来への希望。

無秩序、混沌がもたらす新たな展望、新たな希望。



生き物が死ぬことで、

そしてその死体が腐ることで

未来へと生命エネルギーが循環していくように



雑多な微生物、多種多様な昆虫たち、混沌とした生き物の多様な営みがあるからこそ、

地球は青々と命の輝きをたたえ、明日へと命の流れは受け継がれていく。

連綿と。



問題が起こるからこそ、混乱ととまどいがあるからこそ、人は新たな気づきに至る。

洞察が起こり、次元が新たな地平へとシフトする。


平穏無事は停滞へとつながりやすく、

問題と混乱は刷新と改革への道となりやすい。



無秩序、混沌がもたらす新たな展望、新たな希望。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




うっかりと火を通すのを忘れていた味噌汁の味が変わりやすく

生ゴミがにおいやすく

虫たちの活動が盛んになりやすく

雑草が生い茂りやすい

そんな真夏

命の祭りに感謝と崇敬の目を。




混沌、雑多、カオス、不潔、腐乱

  そんなものに潜む

     変化の可能性、未来への希望のきっかけの可能性に。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'







『ジャイアント・ジャム・サンド』
ジョン・ヴァーノン・ロード 作
アリス館(対象年齢:読んであげるなら4歳くらいから)
ラベル:児童文学 絵本
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「はやたろう」1

ある日、旅のお坊さんがある村を通りかかると、村のみんなが泣いていた。魂に響く絵本・児童文学「はやたろう」その1
 優れた絵本、児童文学は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。




      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




 ☆今号は日本の民話です(^^)
  長くなってしまったので、分割してお送りしますね。
  続きはまた明日!


魂に響く絵本・児童文学

2009.8.19 第24号
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『はやたろう』
監修・松谷みよ子、文・小沢清子、絵・太田大八、小学館
(対象年齢:読んであげるなら五歳くらいから)
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  〜 あらすじ 〜
ある日、旅のお坊さんがある村を通りかかると、
村のみんなが泣いていた。

わけを尋ねると、今日は年に一度、村の神様に娘を捧げる日だと
いうではないか。

「神様は人を助ける存在のはず。娘を差し出させるなんて、
本当の神のはずはない。」

その夜お坊さんが社の下に隠れて様子をうかがうと、
「神」の正体はなんと巨大な二匹のヒヒだった。

ヒヒが恐れる「越後高田のはやたろう」を探して旅に出たお坊さんが
越後高田で見つけた「はやたろう」は、なんと人ではなく犬だった。


村に連れ帰られたはやたろうはヒヒに敢然と立ち向かい、ヒヒを倒す。
が同時にはやたろうも息絶えた。

霊犬はやたろうのおかげで平和の戻ったことを村人達はとても喜び、
はやたろうを祀るお堂を建てていつまでも大切に拝んだということだ。



        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



民話は人の魂の成長を描いていると言われている。

だからこそ、人の心にまっすぐ届き、魅了し、
何百年という年月の間語り継がれていく力があるのだ。


この民話の場合、村全体を一人の人格として見立てると、
魂の成長が描かれているのが読み取れる。


人の人格は、平板な一枚岩のようなものではない。

色んな人がいる村のように、色んな顔を持っているもの。

いろんなパート(副人格)が組み合わさってできているもの。

一人の人の中に、傷つきやすい子どもっぽい人格も居れば、
冷静沈着で理性的な大人な人格も居る。

「なんでもいいじゃん」とゆるゆるな人格も居れば、
几帳面でいたいお堅い人格も居る。

自分という一人の人間の中に、複数の人格のパートが居て、
それぞれせめぎ合う。

まるでひとつの村のように。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




  この民話の村を一人の人格と見立てると。

  "娘"は若々しくみずみずしい生命力の象徴。

  将来の大きな変容の可能性の象徴。

  変化と成長と繁栄の兆しの象徴。



  "ヒヒ"は、「変化したいだと?ふざけるな。」と言ってくる存在。

  「挑戦?失敗したらどうするんだ。今のままでいろ。」と言ってくる
  自分の中の一側面。

  それが、"ヒヒ"の暗喩するもの。

  自分の中に潜む、変化を恐れる心の象徴。



  "旅のお坊さん"は、メッセンジャー。

  広い世界からの。

  ハイヤーセルフからの。

  成長を助け変化を促進する福音をもたらしてくれる存在。

  シンクロニシティのような。



  では、霊犬"はやたろう"は・・・?




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




この物語を現代の現実を生きる一人の人のお話に置き換えると、

以下のような魂の成長物語として翻訳することができる。



 
        □ □ □


人は、変化し成長するもの。

平凡に穏やかに暮らしているあなたも例外ではない。

あなたの内側に、折に触れ新しいことにチャレンジしてみたい気持ちが
沸き上がってくる。

「ああ、あんなことに挑戦してみたいなあ・・・。」


でもあなたは、そんなささやかな願いをこみ上げてくる度に押し殺す。

「でも難しすぎる」「お金がかかる」「時間がない」「あの人が反対する」
「周囲の人がどう思うか」・・・云々。

神をかたる化け物に「娘を差し出せ。さもないと村をめちゃくちゃにするぞ」
と脅されて素直に娘を差し出し続けた民話の中の村人のように、

変化は難しくて危険なもの、
安全に生きていくためには慎重でないといけないと信じている。



そうやって
変化したい心を何かのせいにしては抑圧することを繰り返していたあなたに、

ある日思いがけず新風が吹き込む。

物語でお坊さんが
「娘を差し出させるなんておかしい。そんな神に従うことはない。」
と言ったように、

あなたの心に吹き込んだ新風は告げる。


  「変化を望んでもいいのかもしれない。

   自分を押し殺さないで生きる道もあるのかもしれない。」




「本当に無理なの?チャレンジしてみたらいいんじゃないの?」と

「変えようとしてみた?努力してみたの?」と、

「最初っからあきらめてるなんて、なんかヘンだよ」と、突然気がつくのだ。

きっかけは、お友達の何気ない一言かもしれないし、
本屋でふっと手にとった書物の1ページかもしれない。

テレビで見た何かかもしれないし、電車のつり革広告かもしれない。




お坊さんが、村の悪い慣習を断ち切るために
越後高田にヒヒの恐れる"はやたろう"を探しに行ったように、

あなたは、あなたに訪れた直感的な疑問に従い、
自分自身の成長と変化の小さな芽を守り育むために
クエスト(探求、冒険の旅)を始める。

気になる本を何冊か図書館で探すのかもしれないし、
ネットで特定のキーワードで検索してみるのかもしれない。

心理カウンセリングやセラピーやヒーリングを受けるのかもしれないし、
セミナーを受けてみるのかもしれない。

コーチングを試してみるのかもしれないし、
何かの勉強を始めるのかもしれない。

とにかく、変化を恐れる心に立ち向かえる強さを得るために、
あなたは心の旅を始める。



                    (つづく)




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




『はやたろう』
監修・松谷みよ子、文・小沢清子、絵・太田大八、小学館
(対象年齢:読んであげるなら五歳くらいから)


※参考文献
『昔話の深層―ユング心理学とグリム童話』 (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄 (著)

『昔話と日本人の心』 (岩波現代文庫―学術)
河合 隼雄 (著)

『ファンタジーを読む』 (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄 (著)

『子どもの本を読む』 (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄 (著)
ラベル:絵本 児童文学
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「はやたろう」2

そしてとうとう"はやたろう"が見いだされる。魂に響く絵本・児童文学「はやたろう」その2
   ※前回の日記の続きです。


そしてそのうち、とうとう"はやたろう"が見いだされる。

あなたはあなたの内なる可能性を救い出してくれる力強い何かを見いだすのだ。


あなたが見つけ出したあなたの守り手は、誰か特定の人物ではないだろうし、
知識とか理論のような理性的なものではないだろう。

それは、もっとワイルドで荒々しい"エネルギー"であり"パワー"のはずだ。

"はやたろう"が人ではなく犬だったように。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




  「私は私の人生を生きたいんだ!」というあなたのお腹の底からの決意。

   なにくそ!という底力。

  「誰がこのままで終わるもんか」という静かな怒り。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




霊犬"はやたろう"もまた、あなたの人格の一側面なのだ。

獣のように力強く原初的なエネルギーを、あなたもまた自分の内側に
持っていたのだ。

「私は私の人生を生きる!この夢は絶対にあきらめない!」

あなたは自分の中の変化を恐れる心と真っ向から向き合い、
怖さに震えながらも何かの決意を実行に移す。

本気で好きになった人に体当たりの告白をするのかもしれないし、

「これだ!」と思った資格スクールに申込書を提出し安くない入学金を
振り込むのかもしれない。

親からの余計な口出しにはっきりと「NO!」を突きつけるのかもしれないし、

腐れ縁の恋人ときっぱりと別れるのかもしれない。

以前なら無理だとあきらめたような大きな目標に向けて、
500円玉貯金を始めるのかもしれない。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




"ヒヒ"は自分の外側にいる邪魔な存在ではなく、

"はやたろう"もまた
自分以外のより高次の存在が助けに駆け付けてくれたのではなかった。

両方、自分の一側面だったのだ。

変化や新しいものが伴うリスクから自分を守る保守的なパートと

あえて怖いものに勇気を持って立ち向かう革新的なパート。

両方、自分の中に備わっている大切な自分の一部だった。

より良い人生を送るために、

より幸福になるために、備わっている重要なあなたの魂の一部なのだ。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




はやたろう的な革新的人格が、

「大丈夫、やり抜くから。

ちょっとくらいの危険には立ち向かう勇気があるから。

本気だから。信じて。そして、助けて。」

とヒヒ的な保守的な人格にまっすぐに宣言できたとき、
はやたろうとヒヒは統合され、"娘"という可能性を孕む存在へと昇華される。

錬金術で言う、「王と王妃の結婚」だ。

対立物として拮抗していた存在は統合され、新しい可能性へと姿を変える。

変化が引き起こされ、輝かしい未来が幕を開け、未知なる地平が姿を現す。



                        (つづく)




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




『はやたろう』
監修・松谷みよ子、文・小沢清子、絵・太田大八、小学館
(対象年齢:読んであげるなら五歳くらいから)


※参考文献
『昔話の深層―ユング心理学とグリム童話』 (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄 (著)

『昔話と日本人の心』 (岩波現代文庫―学術)
河合 隼雄 (著)

『ファンタジーを読む』 (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄 (著)

『子どもの本を読む』 (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄 (著)

ラベル:児童文学 絵本
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「はやたろう」3

☆長くなってしまったので、分割してお送りしてます。
  今日は「その3/完」をお届け!

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『はやたろう』
監修・松谷みよ子、文・小沢清子、絵・太田大八、小学館
(対象年齢:読んであげるなら五歳くらいから)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


さて、ここからは絵本のお話ではなく、
私自身の本当の話です。


私が三年前に亡くした愛犬の名前は、まさに「早太郎」でした。

この民話にちなんで名付けました。

新しく我が家に来た犬の名前をなんにしようか自分に問いかけた瞬間、
ぴったりのタイミングでテレビから流れてきたのがこの民話。

問いに、天啓のように答えが与えられた瞬間でした・・・。



16年前に我が家にやってきた、霊犬にあやかって早太郎と名付けられた犬は

3年前の夏、寿命を全うして眠るように逝きました。



その後の私を訪れた変化は、

まさに私の中でずっと生け贄に捧げられ続けた柔らかで幼い子どものような存在が
息を吹き返していくような変化でした。


「自分らしく生きる」ということ、「人生を楽しむ」ということを、

ワガママだとしか思えずに押し殺そうとしていた私

(まさに娘を生け贄に差し出し続けた村のような状態でした)の元に、

たくさんのメッセージが届けられ、

たくさんの意味ある偶然の一致が起きました。


旅のお坊さんが何人も大挙して訪れてきてくれたような現象が起きました(^^)



私は人生を楽しんでもいいのかもしれない。

人の役に立たないなら生きていてはならない、と思いこみ過ぎてるかもしれない。

私はただ、そこに居てもいい存在なのかもしれない。

そう思わされるメッセージが次々に届く中で、


     「いや、とてもそうは思えない!」


私は罪悪感や恐怖や自己不信、他者不信におののきました。


そして、このテーマで何度も何度も心理セラピーを受け、

コーチングを受けました。


早太郎とヒヒが、私の中で戦ったのです。何度も、何度も。

私の中に封印されたワンダーチャイルドを賭けて、

死闘が繰り広げられました。



その結果。

ヒヒと早太郎は統合されて私の中に取り込まれ、

「何をしでかすかわからないから自由にさせるわけにいかないんだ」と

自分の奥深くに封印されてきたワンダーチャイルドが太陽の下に姿を現しました。


閉じこめられていた洞窟から解放されたのです。

今までずっと失われていた私の一側面。

その側面をやっと取り戻し、

私はよりワイルドにより力強く生き始めました。

より荒々しく、より自由に、より野放図に。



ほっておくと何をしでかすかわからなかった、

やんちゃで乱暴でしつけのしようがなかったハスキー犬、早太郎

その早太郎に投影され肩代わりしてもらっていた私のパート。



早太郎を得て、そして喪うことで、

私は自分の中のはじけるようにワイルドで型にはまらない

破天荒なワンダーチャイルドを取り戻しました。




人生のこの時期、この民話を、素で生きた感じがします。

この民話を、私は生ききりました。




欲しいものを欲しいと言っていい。

イヤなものをイヤだと言っていい。

たとえ何の役にも立たなくても、私は生きていてもいい。

私は存在する価値がある。



今、やっと私はそう思えます。

私は、私の一部を押し殺すことと引き替えに

生きていることを許されているのではなかった。


そう思いこんでいたのは私の勝手な思いこみだった。


神はそんなことを望んだりはしない。

私自身が変化とチャレンジを恐れるあまりに作り上げた

「誤った信念体系」に過ぎなかったのだ。

私は自分の人生を幸福に生きてもいい。



人は誰でも、自分の人生を、幸福に生きてもいい。

人は、自分の一部を押し殺さなくてもいい。

自分の全体性を生きようとしてもいい。

自分の中の、生け贄に捧げられようとしている一部を、全力で救いだそう。

そんなあなたを、宇宙は全力でサポートするだろう。

「旅のお坊さん」的メッセンジャーが、これでもかこれでもかと、

大挙してあなたの元を訪れるだろう(^^)



だからあなたは、本来の自由なあなた自身を、

押し殺さずに生きてください。

あなたの可能性を、「変化を恐れる心」の前に生け贄として差し出すのを、

そろそろやめてください。

それが、この民話「はやたろう」からあなたへのメッセージです。



                            (その3/完)




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




『はやたろう』
監修・松谷みよ子、文・小沢清子、絵・太田大八、小学館
(対象年齢:読んであげるなら五歳くらいから)


※参考文献
『昔話の深層―ユング心理学とグリム童話』 (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄 (著)

『昔話と日本人の心』 (岩波現代文庫―学術)
河合 隼雄 (著)

『ファンタジーを読む』 (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄 (著)

『子どもの本を読む』 (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄 (著)
ラベル:児童文学 絵本
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2009年03月21日

【愛されたものはほのかな光をまとう。「おじいちゃんは水のにおいがした」】魂に響く絵本・児童文学

優れた絵本、児童文学は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。


 ☆読者の方限定 秘密パスワード公開! 

              詳しくは巻末をご覧下さい♪




      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




 ☆今号は写真絵本です(^^)



魂に響く絵本・児童文学


2009.3.19 第23号
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『おじいちゃんは水のにおいがした』
今森 光彦 写真・文、偕成社(対象年齢:読んであげるなら小学校初級から)
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  〜 あらすじ 〜

 『山々にかこまれた大きな湖、琵琶湖。

 水辺のまわりには、田んぼがひろがり、家々があつまっています。

 そんな湖のほとりで、ぼくは、ひとりの漁師と出会いました。



 おじいちゃんの年は80才をこえています。

 ぼくは、このおじいちゃんに会ったとき、とてもうれしくなりました。

 なぜかといえば、おじいちゃんの体から、水のにおいがしてきたからです。』
 
                        (本書の冒頭より抜粋引用)



琵琶湖のほとりで毎日漁をして暮らす漁師、三五郎さんの日常風景が、

美しい写真の数々で切り取られている。



ほんの数百メートルの漁場を、「これだけあれば十分」という三五郎さん。

売るためではなく、自分の家族が食べる分だけの魚を捕る三五郎さん。



三五郎さんの乗る、大正時代に作られた小さな木船。

それを大切に大切に修理し手入れする、三五郎さんの姿。

川の表面に広がる藻を掃除する三五郎さん。



わき水を生活に利用している町並み。

わき水を、自然のシステムの中で他の生物と共有している生活スタイル。

冬の大切な行事として、"たなかみさま"にお供えものをして手を合わせる
三五郎さんの姿。



琵琶湖岸に広がるヨシ原の手入れの風景。




 『漁師、田中三五郎さんが、私に教えてくれたことは

 "水の中には、生命が流れている"ということです。

 それは、琵琶湖に住む人ならだれでもが抱いていた

 「水の哲学」です。そうした水への関心が、魚や水鳥

 たちにとってゆりかごともいえるヨシ原も守らせてき

 たのだと思います。

  美しい水辺が、そして、三五郎さんの想いが、これ

 からも受け継がれていきますように・・・。』(本書後書きより抜粋引用)




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




衝撃的なまでに美しい写真の数々。


 ※こちらで、一部の写真が見れます。

 ぜひ、クリックして、ながめてみてください。
 http://www.kaiseisha.co.jp/newbook/new061.html




水面に映える日の光の美しさ。


川面を滑るように行く木船の姿のうつくしさ。


その木船をあやつるおじいさんの たたずまいのうつくしさ。


雑草と木々の間にかいま見える、たゆたう川面のうつくしさ。


丁寧に手入れされた網などの素朴な漁具のうつくしさ。


家々の間を流れる川で、おばあさんが野菜を洗ってる。

  そんな景色の 胸をきゅんと打つうつくしさ。


使い込まれた古い台所の、玄関のタタキの、立てかけられたよしずの、

  すがすがしいまでの うつくしさ。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




  これらの風景は、これらの写真は なぜここまでうつくしいのでしょう。

  考え込んだ結果、

  ひとつの答えに行き着きました。

  「そこに愛があるから」ではないか、と。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




愛されたものは、ほのかな光をまといますよね。

それが人であれ、動物であれ、植物であれ、土地であれ、無機物であれ。



【たとえば】

◎愛されている子どもは、愛されているオーラみたいなものをまとってますし、
幸せな家族が住んでいる家は、幸せ色の空気感をまとっています。

逆に言うと、空き家は、一目見てわかりますよね。
まとっている雰囲気がすさんでいるから。



◎私の義兄は、モノを大切に可愛がって使う人ですが、
義兄からもらうお古のパソコン、使わなくなった軽自動車、すべて「この子達は
可愛がられて大切にされてきたんだなー」って触れるだけで伝わってくるものが
ありました。


◎レイキを車に当てると、故障が少なくなり燃費が良くなり、そしてまた駐車違反を
取られにくくなる、と私にレイキを伝授してくれた師匠は言っていました。

レイキも「愛のエネルギー」の一種ですよね。



◎そしてまた、愛されたものは、「侵しがたい」ムードをまとう。

自己愛がしっかりしていて自己肯定感のしっかりしている人は、
イジメなどに遭いにくいと思うのですが、
これまた「愛されている光」をまとっている効果のおかげもあるかと思います。



◎どこかで読んだ話ですが、第二次世界大戦後のドイツで、
同じだけの食糧を配給している二つの公立の孤児院での体格差が
問題になったことがあったそうです。

片方の孤児院の子ども達の体格が、有意に優れている。

食糧配給量が同じなのにおかしい、何か不正でも行われているのでは、と調査したところ、
体格が良かった方の孤児院の院長が優しくて愛にあふれた人で、
体格の悪い方の孤児院の院長は厳しくて冷たい人だったそうです。

それ以外にその二つの孤児院に差がなかった。
食糧の横流しなどの不正も行われていなかった。

しかし、院長の人柄で子ども達の発育まで変わってくるのだろうか、と、
確認のために双方の孤児院の院長を取り替えてみたそうです。

そしたら、その結果、温かい人柄の院長が来た孤児院の子ども達の発育が良くなり、
厳しい院長が来た孤児院の子ども達の健康状態は悪くなったそうです。

「ビタミン愛」は本当にある、ということが確認された実験でした・・・。

つまり、愛されているものは、発育や健康状態が良くなるのです。


◎植物に歌を歌ってやると実がたくさん付く、とか、
田んぼに挨拶してやると収穫量が増える、とか、
よく聞く話ですよね。


◎私の住む村は緑の多い自然の豊かなところですが、
ただ放置されただけの山、林も多いところです。
繁り放題に繁った笹やイタドリに囲まれ、容易には近づけない林が、
延々と続いています。

その木々は、全然幸せそうに見えない。
人間に侵害されずに自然林でいられているのだから幸せでもいいはずなのですが、
まったく幸せそうじゃない。
どちらかといえば、すさんでいる。

うち捨てられてかえりみられていないものがまとう空気、
たとえば空き家がまとっているすさんだ空気と同種のものを感じるのです。


◎一方、たまに札幌に出かけ、北海道神宮の森や北大の構内の木々を見ると、
幸せそうに見えるのです。

豊かで満たされて見える。
愛されているもののまとう光をまとって見えるのです。
手入れされ、愛でられているものの輝きを感じるのです。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





以上の根拠から、

私は人間の存在価値は「愛すること」にあるのではないか、と思うに至りました。




人間は、本当に「地球のガン細胞」だろうか、と。

本当に、環境を破壊するだけの存在だろうか、と。



人間だって、大自然の一部。

神の創造物のひとつ。

大自然に、ムダなモノなんてひとつもないはず。

神の造られたものに、ムダなものなんて 一つもないはず。


「では人類は地球環境の中でどんな役割を果たすために生まれてきたのか」と考えたとき、

人類は、愛するために生まれてきたのではないか、と思い至ったのです。

人間は、周囲を愛することで、地球に、環境に、貢献するのではなないか、と。




大自然の存在の中で、人間は突出して「愛することが得意な種」だと思うのです。



  違う種のことまで愛しかわいがり手入れをし世話をすることのできる、

  希有な存在だと。



  人間は、その知性、その想像力、その器用な手先を使って、

  周囲を愛し世話をし手入れをすることを担って生まれてきていると思うのです。






        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





愛することは、光をまとわせること。



内側から満たし、免疫力を上げ、健康にし、

外側に結界を張り、侵入者を防ぐバリアとなる、

そんな温かい柔らかな光で覆うこと。



三五郎さんと、その周囲の人々が

川と琵琶湖に

その街並みに

その家々に

どのような光をまとわせたか。


どのように手入れし、世話をし、可愛がることで

どのように内側から満たし健康にしていったか


リアルに見ることのできる絵本。





ぜひ、手にとって見てください。

そこに、希望が見えることと思います。


人間が地球に為すべき事がわかると思います。

私たちが地域にするべきこと。

私たちが周囲の身近な人々にするべきことがわかると思います。



   ★それは、「愛でること」。


子どもにすることも、地域を流れる川に対してすることも、一緒。

人に対してすることも、持ち物に対してすることも、

地域に生えている植物に対してすることも、一緒。


「いのち」への畏敬の念をこめながら

         愛し、手入れし、可愛がること。


         愛の光を送ってあげること。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



『おじいちゃんは水のにおいがした』
今森 光彦 写真・文、偕成社(対象年齢:読んであげるなら小学校初級から)




この写真絵本が現代の日本で撮影されたことは、大きな希望。

このような暮らしをしている人がまだ居ること。

このような風景がまだ残っていること。

このような生活哲学がまだ息づいていること。

このように、

敬虔で大自然に対する畏怖の念に基づいて生きている人々が

まだいること。


それも、北海道の片隅で、とか沖縄の離島で、ではなく、

大阪からほど近い琵琶湖にまだあることは、

おおきな希望の光。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録


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2008年11月14日

『ようこそ、おまけの時間に』

優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。





      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




 ☆今号も絵本ではなく、児童書です。

 それなりの厚さと長さのある、"本"です。


 やっぱりストーリーもしっかりしていて、読み応えがありますね。



 絵本には絵本にしかない良さがありますが、

 "本"には"本"ゆえの良さがあります。


 私はストーリー重視派なので、やはり児童文学が、児童書が好きです(^^)



メルマガ「魂に響く絵本・児童文学」

2008.10.31 第22号
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『ようこそ、おまけの時間に』
岡田 淳 作、偕成社(対象年齢:小学校上級から)
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  〜 あらすじ 〜

小6の賢はある日から毎日連続して同じ夢の続きを見るようになる。

四時間目になると見るその夢の中では、

級友の誰もがイバラの中に閉じこめられて眠っていた。


賢はカッターナイフを手に夢の時間を待ち、

少しづつイバラの蔓を切り開いていく。


まず自分が自由になると、次は

隣の席の明子にまとうイバラを切ってやる。



目を覚ました明子は普段の教室の明子と違う。

もっと話しやすく優しい。

賢も夢の世界だとはきはきと意見が言え、のびのびと振る舞える。




二人は毎日連続してみる夢の中で、

毎日次々に級友たちをイバラの眠りから救い出す。


イバラに覆われ、死んだように青白い顔をして眠る姿を見ると、

とても見過ごせなかったのだ。



次々と目覚める級友たちは、

やはり現実の学校でのみんなと違っていた。


ガリ勉だと思ってた子はひょうきんで陽気だったし、

お上品ぶったお嬢様だと思っていた子は

気取ったところのないさばさばした子だった。


みんなで力を合わせてイバラと格闘するうちに、

毎日現実の教室で顔を合わしていても得られなかった

友情と協力と同志愛が芽生えていく。



イバラに覆われた異世界に突然目を覚ますことになる仲間たちのために、

賢たちは学校放送を使うことにする。


  「ようこそ、おまけの時間へ。

  僕たちは君たちより先に目覚めたものです・・・」




そしてその夢の世界でのできごとは

確実に現実の世界をも変えていく。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




ご存知、和製ファンタジー児童文学の旗手、岡田淳の手による名作。


ここに描かれているのは、「本来の自分を取り戻す過程」を表した寓話。



私たちはまさにイバラのツルに巻きとられて眠っているような状態で、
日々死んだように過ごしているのではないだろうか。

目覚めればもっともっとつながりあえ、共感しあえ、

協力しあえるのに。




物理的な距離は近くにいても、

それぞれがイバラの蔓の中に分断され、眠っていては

とても孤独で無力だ。



先に目覚めたものが、周りの人間を呼び覚ます責任を負っている。



そして目覚めた者同士が手を携えれば

もっと大きな変化を社会に起こせる。



   最初っから、眠り込まずに生きていけるような

   その人らしく輝いたまま 生きていけるような

   そんな社会に、変化させることができる。






        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





あなたにまとわりつくイバラは、


  「古い思いこみ」

  「誤った信念体系」

  「恐れ」

  「不安」

  「常識を気にするこころ」

  「人の目を気にするこころ」

  「未知を恐れるこころ」・・・。


そんなもの、次々に切ってしまえ。



   自由になろう。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





長年、身体にまとわりつかせてきたイバラを切るのは、難しいことかもしれない。

痛みを伴うかもしれない。

イバラのトゲで手を刺すかもしれない。

血がにじむこともあるだろう。

時間もかかるだろう。

それでも、やる価値はあるんじゃないだろうか。


  あなたは死んだように、

  色んなことをあきらめて、

  他者とも触れあわず、

  壁の中に閉じこもって、

  これからも生きていきたいのか?



周囲の人々と真に知り合い、真に触れあおう。

あなたが本当はどんな人なのか、周囲に表現していこう。

自分を抑えて隠し通すのをやめてみよう。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




今まで「仕方ない」とあきらめてきたものに挑戦してみよう。

今まで「傷つくのも傷つけるのも怖い」と避けてきたような

真の話し合い、真の対話に挑戦しよう。

今まで「きっとムリ」と手を出さなかったような

大きな夢に挑んでいこう。



本当はやりたかったこと、

本当はあきらめきれてないこと、

心の底から求めていることを


  「私はこれを求めずにはいられません」と認めよう。

   「どうか助けてください」と天に助けを求めよう。


そして、再チャレンジを始めよう。

それが、イバラのツルを切り始めるということ。

死んだように生きることをやめる、ということ。


その姿はきっと、周囲の人を内側から呼び覚ます。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




目覚めた人間が一定数を超えたとき。


社会全体に変化が起こるだろう。



   最初っから、眠り込まずに生きていけるような

   その人らしく輝いたまま 生きていけるような

   そんな社会に、変化させることができる。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





人は、鎧を脱がないと、真に触れあうことなんてできない。



人は、いつのまにか築き上げてしまった古い壁を壊さないと、

成長することができない。

容量をアップすることができない。



柔らかく傷つきやすい自分の本質を守るためにまとった殻。


その殻が、もう役割を終えたなら、

私たちがもう一段階成長するべき時に来たなら、

その殻を内側から割る作業が必要となる。


その作業は苦しいものかもしれない。

しかし、それをしないと、

私たちは次のステージに進むということができない。




真の人生を生きよう。目を覚まそう。

壁の内側にこもって日々をやり過ごすのは今日でおしまいにしよう。

自分がイキイキと生きていないことに気づきながら

周囲のせいや社会のせいにして

「仕方ない」ですませるのは今日でおしまいにしよう。



本当に求めているもの、欲しくて欲しくてたまらないものを

「私はこれを求めずにはいられません」と認めよう。

「どうか助けてください」と天に助けを求めよう。

そして、再チャレンジを始めよう。

それが、イバラのツルを切り始めるということ。

死んだように生きることをやめる、ということ。


その姿はきっと、周囲の人を内側から呼び覚ます。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




目覚めた人間が一定数を超えたとき。


社会全体に変化が起こるだろう。



   最初っから、眠り込まずに生きていけるような

   壁を築いたり殻をまとう必要が最初からないような

   傷つきやすく弱い自分を守らなくても生きていけるような

   そのまま受け入れられるような

   そんな社会に、変化させることができる。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



『ようこそ、おまけの時間に』
岡田 淳 作、偕成社(対象年齢:小学校上級から




エンディングのイメージもとても綺麗。

心の中に今も炎が燃え上がっている光景があります(^^)




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月01日

【スーホの白い馬】魂に響く絵本・児童文学

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。





      ':・:*:. ☆ .:*:・:'





先日、映画「Tibet Tibet」上映会に行って参りました。

  「Tibet Tibet」※公式サイトhttp://tibettibet.jp/

感動しました!

深く感銘を受けました。

揺さぶられました。



チベット問題が、人権問題であることが、よくわかりました。

人は、自分の出自を愛し誇りに思ってもいい。

人は、自分が生まれ育った風土を愛し誇りに思っても良い。

人は、自分の家族や身の回りの人を愛し大切にしてもよい。


そんな、そんな簡単で基本的なことなんだと思いました。


人は、自分の信仰や思想・信条を選ぶ自由があるはず。

人は、自分が大切にしているものを大切にし続けていいはず。

その人自身が、大切にされ尊重されて当然なはず。

どんな人であれ。


モンゴルと文化的に深いつながりを持つチベットの映画を、
モンゴルを舞台にした絵本「スーホの白い馬」についてメルマガを
書こうとしている時に見ることになった不思議な縁をかみしめつつ。

たいせつな白い馬を、力づくで奪われたスーホ。

大切な存在を踏みにじられた痛みを、歌と音楽という非暴力な手段で
表現するスーホ。

そんなスーホの中に、チベットの民の姿を見ました。




魂に響く絵本・児童文学
(絵本だけでなく、児童文学もとりあげている事実に即して、
メルマガのタイトルを変更いたします。ご了承下さいませ。)
http://www.mag2.com/m/0000144564.htm

2008.4.29 第21号
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『スーホの白い馬』
大塚勇三 再話、赤羽末吉 絵 
福音館書店
(対象年齢:読んであげるなら4才くらいから)
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  〜 あらすじ 〜

(モンゴル民話の再話)

  中国の北のほう、モンゴルには、ひろい草原がひろがり、

  そこに住む人たちは、むかしから、ひつじや、牛や、

  馬などをかっていました。

  このモンゴルに、馬頭琴という、がっきがあります。

  がっきのいちばん上が、馬の頭のかたちをしているので、

  ばとうきんというのです。

  けれど、どうしてこういう、がっきができたのでしょう?

  それには、こんな話があるのです。(本文2pより引用)


          ・
          ・
          ・


貧しい羊飼いの少年、スーホは、おばあさんと二人暮らし。

ある日、生まれたばかりの白い子馬を助け、大切に育てます。

白い馬は、羊を狙うオオカミと果敢に戦うような勇気ある馬に育ち、

その名馬ぶりがあだになり王様に力づくで取り上げられてしまいました。

馬を渡すまいとして抵抗し半死半生の目に遭ったスーホが

馬の身を心配しながら寝込んでいると、外から物音が・・・


白馬が、滝の汗を流し傷だらけで立っているではありませんか!


王様たちが逃がすまいと射かけた矢を全身に受けながら、

走って走って走り続けて、大好きなスーホのところへ、

帰ってきたのです。


「白馬、ぼくの白馬、死なないでおくれ!」

切ない祈りと懸命の看病もむなしく、

弱り果てた白馬はスーホの腕の中で息絶えます。



嘆き悲しむスーホの夢の中へ、

白い馬が現れます。

「私を使って楽器を作ってください。

そうすれば、私はずっとあなたと共にいられます。

あなたを慰めてあげられます。」


          ・
          ・
          ・


  がっきはできあがりました。

  これが、ばとうきんです。

  スーホは、どこへ行くときも、このばとうきんを

  もっていきました。

  それをひくたびに、スーホは、

  白馬をころされたくやしさや、

  白馬に乗って、草原をかけまわった楽しさを、

  思い出しました。

  そしてスーホは、じぶんのすぐわきに、

  白馬がいるような 気がしました。

  そんなとき、

  がっきの音は、ますますうつくしくひびき、

  聞く人の心をゆりうごかすのでした。(本文44pより引用)





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





これは、『くまのコールテンくん』のその後の物語だ。

  ※『くまのコールテンくん』
   http://mishio.seesaa.net/article/94770808.html


これは、『まぼろしの小さい犬』のその後の物語だ。

  ※『まぼろしの小さい犬』
   http://mishio.seesaa.net/article/94766984.html




私は「くまのコールテンくん」で奇跡の出会いを語った。

Boy meets girl.

ずっと探していた存在に巡り会える奇跡。

「私もあなたを探していた」と答えることのできる奇跡。



私は「まぼろしの小さい犬」で

奇跡の出会いのその後の泥臭く平凡な日常について語った。

出会いの後

相手を受け入れていく地道な努力。

ありのままの、欠点だらけの、弱い、現実の、その存在。




そして「スーホの白い馬」で対象喪失について語りたい。

奇跡的な邂逅のあと、ありのままの存在を受け入れ、世話をし面倒を見、

楽しみも喜びも分かち合ったあと、

いきなり喪った時(奪われた時、去られた時)あなたには何が残されるのか。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




楽器は空洞があるからこそ、美しい倍音を豊かに響かせる。


カリール・ジブランは言う。

「悲しみがえぐったその跡にこそ、喜びは満ちるのです」




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




あなたの内部をある他者との出会いが埋めた。

あなたの内部をある他者の存在が占めた。

その他者の存在が喪われたあと(奪われたあと、去られたあと)、

その跡はどうなるのか。



ぽっかりと空いた空虚な穴はどうなるのか。



他者に共鳴するスペースになるのだ、と私は思うのです。

楽器には欠かせない、共鳴のための空洞に。




あなたにうがたれた穴が大きければ大きいほど、

あなたが奏でる楽の音は豊かに共鳴する。


あなたにうがたれた穴が大きければ大きいほど、

他者の想いに共感し共鳴する余地、可能性が豊かに広がる。


人間の幅が大きくなる。

スケールが大きくなる。

あなたは

かすかにもらす他者のため息にも繊細に反応し共鳴する

優しい楽器となるだろう。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




出会って別れ、

巡り会って去られ、

愛して喪い、

そのたびに豊かなものを内側に蓄積していく。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




「サンタクロースの小部屋」という名著があります。

  ※松岡享子 著、こぐま社


東京こども図書館の理事長である松岡さんが、

幼い人たちにとっての読書の重要性を格調高い文章と

たくさんの事例で語ってくれる素晴らしい本ですが、

そのはしがきに、本の題名にもなった「サンタクロースの小部屋」という

コラムが載っています。


その内容を要約すると。



『幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、

 その人の中に、信じるという能力を養う。

 心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、

 心の中に、サンタクロースを収容する空間を創り上げる。

 サンタクロースをもう信じなくなったあとも、

 サンタクロースが占めていた空間は、その子の中に残る。

 この空間がある限り、人は目に見えないけれども大切なものを

 ここに迎え入れることができる。』



出会いと別れの意味もここにあると思うのです。

同じだと。

人は、誰かを愛し、受け入れ、心の内に住まわせる体験を通じ、

心の余地を大きく広げる。



そこからその誰かが去っていったあとも、その場所は残り続ける。



その場所に、あらたな何か、あらたな「良きもの」「愛おしいもの」を

受け入れ続けるでしょう。


「愛」「信頼」「友情」を受け入れ続けるでしょう。



例え、出会いの数だけ別れがある、というのが真理であろうとも

出会うことを恐れてはいけない。



大地が、死と再生を繰り返すことで、豊かに肥えていくように

人もまた、出会って別れ、愛して喪い、巡り会って去っていく経験の中で

豊かに耕されていくのだから。



人を心から愛したことのある人だけにわかるものがある。

人を喪う苦痛に眠れぬ夜を過ごしたことのある人だけにわかるものがある。



スーホが

白馬に乗って草原をかけまわった楽しさを知っていたからこそ、

白馬をころされたくやしさを知っていたからこそ

馬頭琴がますます美しく鳴り響いたように。

その調べが人の心を揺り動かし続けることができたように。

その調べが、人の心を癒すことができたように。



ゆたかな、ゆたかな経験。



人と人は、

まるで宇宙の虚空に浮かぶ惑星同士のように孤立しているけれども

感情だけが私たちを結ぶ。

まるで大陸が海でつながっているように。



生命が生まれては死んで朽ちていくことで、

母なる大地が豊かさを増していくように

私たちは出会って様々な体験を分かち合い、そして別れていくことで、

豊かな共鳴と共感を響かせる可能性を高めていく。

豊かな感情をはぐくみ、他者とのつながりを深めていく。


出会いに感謝。

そしてそれと同じくらい、別れに感謝。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




別れには感謝。

しかし、理不尽な暴力など、世の中には許してはいけないものもあると思います。

軽んじられて当然の存在なんてない。

暴力を振るわれていい存在なんてない。


人が、尊厳を踏みにじられる行為すべてに、NO。



世界のすべての「スーホ」が、自分の「白馬」を

損なわれずにすみますように。

世界のすべての「スーホ」が、尊重され、大切にされますように。



  ※私にできることを探して、「チベットのためにできること」の
  キーワードで検索してみました。
  その情報の、シェア。

  「チベットのために、できること」
  http://ymtk.jp/ladakh/2008/03/post_84.html

  「チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン(TSNJ)」
  http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html





『スーホの白い馬』
大塚勇三 再話、赤羽末吉 絵 
福音館書店
(対象年齢:読んであげるなら4才くらいから)



        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



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2007年10月16日

まぼろしの小さい犬【魂に響く絵本・児童文学】

つい10日ほど前、父が急逝いたしました。

父が私にくれたものはたくさんありますが、
その中の一つに、「犬という友」があります。


小学校4年生の時。
父が私に、生涯最初の私の犬を連れて帰ってくれました。

対人恐怖が強く、場面緘黙症に苦しみ、友達のいなかった私に、
父が「犬」という得難い友を与えてくれました。



結婚後、生涯二匹目の愛犬も、父が贈ってくれました。

慣れない土地で初めての育児に孤独に取り組んでいた私の、
どれほどの助けに彼がなってくれたことでしょう。


言葉を超え、ただ寄り添ってくれる存在。
理屈を超え、ただ愛情と信頼をひたむきに示してくれる存在。


ありがとう、パパ。

彼らは私にとって、最高の友であり、最高のカウンセラーでした。


そんな父に、感謝と追悼を。

孤独な少年と、犬の、魂のふれあいの物語をご紹介。
絵本ではありません。薄めですが、単行本の児童書です。



魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜
http://www.mag2.com/m/0000144564.htm

2007.10.16 第20号
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『まぼろしの小さい犬』
フィリパ・ピアス 作 
岩波書店
(対象年齢:小学校中学年以上)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

  〜 あらすじ 〜

  優しい両親とたくさんの兄弟たちの中で、
  ベンはなんとなく孤立している。

  「自分の犬さえ飼えたら」。

  漠然とした孤独の中で、ベンは自分の犬が欲しくてたまらない。

  自分の後をついてきてくれる犬、一緒に冒険や探険ができる犬、

  なでてやれる犬、面倒を見てやれる自分の犬。

  おじいさんの田舎の家にいるティリーみたいな。



  しかし、いくら切望してみても、
  大都会の真ん中でアパート暮らしをしている今の環境では
  犬は飼えはしない。

  味気ない現実に失望し、
  ベンは空想の世界に安らぎと慰めを見いだす。

  目をつぶると、
  そこには一匹の勇敢なチワワが姿を現すようになったのだ。
  これ以上ないほど賢く、勇敢で、忠実な犬。

  ベンの、理想の愛犬。

  「チキチト」という名の、チワワ。

  空想の中で、ベンとチキチトは常に行動を共にする。

  もうチキチトが居てくれるから、ベンは孤独じゃない。

  もう本当の犬を飼わなくてもいい。

  チキチトさえ、居てくれれば。



  四六時中目をつぶってチキチトと過ごすようになっていたベンは、
  ある日とうとう交通事故に遭う。

  危うく命を落としそうになって
  ベンはやっと現実の世界に引き戻され、
  そしてその事故がきっかけとなりベンの家族は郊外に引っ越す。

  とうとう犬を飼える環境となったのだ!

  待ち望んだ、生きた本物の子犬をもらえる日。

  チキチトとの現実の世界での再会を夢見るベンの前に現れたのは、

  ブルブルふるえる、
  チキチトとは似ても似つかぬ平凡で臆病な犬だった。



  「これはチキチトじゃない!」

  チキチトじゃない犬なんていらない、
 
  勇敢でも立派でもない犬はいらない・・・



          ・
          ・
          ・

  
     

    −−−−−−−−−−−−−−−−





  「犬さえ飼えれば」。

  黙って横に居てくれる存在に恋いこがれる切なさ。


  ただ無言で自分を受け容れてくれる存在を切望せずにいられない

  たましいの孤独


  そして、

  夢と現実、理想と日常のギャップを乗り越えていく

  少年の心の葛藤と成長を描いた、名作。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





言葉を超え、ただぬくもりと愛で寄り添ってくれる存在の重要性。

理解なんていらない、

なにかをしてもらおうとも思わない、

ただそこに居て欲しい。



私を見てしっぽを振って欲しい。

私に駆け寄って来て欲しい。

私の横でくつろいでほしい。

そんな存在がいれば、私はそれだけで生きていけるのに。



黙って横にいてくれる存在。

私のことを無条件で受け入れてくれる存在。

私のことを大好きなんだと確信できる存在。

そのありがたさ。

そんな存在がいてくれたら、生きていける。



Stand by me.

ただ、そばにいて欲しい。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




しかし、そんな存在が手に入ったとき。

あなたもまた彼をそのままで受け入れる度量が試される。

ありのままの、欠点だらけの、弱い、現実の、彼の存在を。



手がかかったり、見栄えが悪かったり。

毎日毎日、世話が必要だったり

面倒だったり大変だったり。



彼の至らなさ、期待外れな点を、

批判せず、裁かず、否定せず、

ただ、認め、受け入れ、

彼に対して負う義務と責任を淡々と果たす。



ある意味、それはあきらめであり、妥協である。

受容の過程。



私は私のままでいい。

そしてまた、あなたはあなたのままでいい のだ。

臆病でいい、みすぼらしくていい、平凡でいい。


私からあなたに、先に与える愛がある。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





  人は、欲しいものが手に入ったあと、

  それとどのようにつきあっていくのかを学ばなくてはいけない。



  それは、夢から現実へと降りてくる作業。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





これは、『くまのコールテンくん』のその後の物語だ。

  ※『くまのコールテンくん』
   http://tamahomishio.blog69.fc2.com/blog-entry-115.html




「こんな人がいてくれたら」と願っていたそのままの人と出会った後。

「ずっとあなたを探していた」と言ってくれる人と出会った後。

切なく恋いこがれていたものが手に入った後。

王子と姫がめでたく結ばれたあと。

欲しくて欲しくてたまらなかったものが手に入ったあと。

何が起こるのか。




  Boy meets a girl.

  運命の出逢いのその後の、泥臭い受け入れの物語。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




誰かとの出逢いは、魔法の杖なんかじゃない。

出逢えたからといって、何も解決などしない。

あなたが手に入れたのは、ただのきっかけ。

これからたくさんの課題を、もがきながら乗り越えて、

パートナーシップを築かねばならない。



  時に傷つけあいながら。

  時に泣きながら。

  かっこわるく。

  体当たりで。




夢と現実の違い。

夢は、手が届いたとたん、現実に変貌する。

万能でもない、十全でもない。理想とはほど遠い、日常。

それを受け入れ、乗り越える困難、試練。





夢を手に入れてしまったあと、人はどう現実と折り合っていくのか。

夢が日常に降りてくることをどう受け容れていくのか。

夢を手にしたということは、その時点で、その夢は既に破れているのだ。


そのほころびを繕い、慈しみながら、感謝して、受け取る。

要求せず、批判せず、裁かず。

ただ、認め、受け入れ、

自分から先に愛を与えていく。



空想の世界で、のんきに夢を羽ばたかせる楽しみから卒業し、

現実世界で

身体を使い、汗を流し、時に涙や鼻水だって流しながら

他者と関わっていくことを引き受ける。

毎日毎日発生する、面倒な義務と責任を引き受ける。



それに見合うだけのものが手にはいるから。



それは、経験、そして成長、そして生身の温かい絆、つながり。




私は私のままでいいように、

あなたもあなたのままでいい。

臆病でいい、みすぼらしくていい、平凡でいい。

私の期待を裏切ってもいい。


あなたはただそこに居てくれるだけでいい。

私から先に、あなたに与える愛がある。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




  「犬さえ飼えれば」。

  黙って横に居てくれる存在に恋いこがれる切なさ。


  ただ無言で自分を受け容れてくれる存在を切望せずにいられない

  たましいの孤独



  そして

  空想の世界でふわふわと遊ぶ気ままさを手放し、

  現実の日常生活の中で、

  泥臭く生きることを受け容れていく

  少年の心の葛藤と成長を描いた、名作。



  まだまだ幼い少年は、いかにしてチキチトへの憧れと執着を手放し、

  肉体を持つ平凡な犬を受け容れていったのでしょうか。


  ぜひ、本を読んでみてください。




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




『まぼろしの小さい犬』
フィリパ・ピアス 作 
岩波書店
(対象年齢:小学校中学年以上)




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



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2007年01月15日

くまのコールテンくん【魂に響く絵本・児童文学】

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



お正月にお年玉をもらったこどもたち。

それで、何を買うのでしょう。


「お年玉をはたいてもこれが欲しい!」と思えるものに出逢えることは、

 幸せですよね。


今日は、そんな幸せな巡り会いのお話です。

ずっと求めていたものに巡り会う奇跡を描いた絵本。



魂に響く絵本・児童文学

2007.1.15 第18号
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『くまのコールテンくん』
ドン=フリーマン 作
偕成社(対象年齢:およそ5歳くらいから)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

  あらすじ


 くまの コールテンくんは、はじめ、おおきな デパートの
 おもちゃうりばに いました。

 おもちゃうりばでは、どうぶつも、にんぎょうも、みな、
 はやくだれかが きて、

 じぶんを うちに つれていってくれないかなあと、
 おもっていました。

 コールテンくんも、まいにち そう おもっていました。

        (中略)

 ところが、あるあさ、ひとりの おんなのこが、
 コールテンくんの めを じっと のぞきこんで、


  「ねえ、みて、ママ! あたし、ずっとまえから 
  
            こんな くまが ほしかったの。」

                    (本書P3〜P5より)


しかし、女の子の母親は、
「ズボンの肩紐のボタンが取れていて、まるで新品じゃないみたい」と、

名残惜しそうに振り返る女の子をひっぱって帰ってしまいます。

「ぼく、ボタンが取れてるの、知らなかった。今夜、探しに行こう。」

初めて自分を欲しいと言ってくれた女の子が去っていく姿を、
寂しく見送ったコールテンくんは、そう決意します。

その夜、デパートの中を、
自分がなくしたボタンを探して大冒険するコールテンくん。

でもその奮闘もむなしく、ボタンは見つかりません。


次の朝。

前夜の大冒険のため、
まだ眠い目をこすっているコールテンくんの前に、
デパートの朝一番のお客さんの姿。

それは、昨日来たあの女の子でした。


 「あたし、リサっていうの。

  あたし、あなたを つれに きたのよ。

  ゆうべ、ちょきんばこを あけて、

  あたしの ちょきんが いくら あるか しらべてみたの。

  そしたら、ちょうど あなたが かえるだけあったの。

  おかあさんも いいって。」



箱にお入れしましょうかという店員を断って、
リサはコールテン君を胸に抱いて帰ります。

アパートの一室にあるリサのお部屋は小さくて質素。

でも、女の子らしい可愛いベッドの横には、
コールテン君にぴったりのサイズのベッドが
もう用意されています。


 「これが きっと うちって いうもんだな。」と、

 コールテンくんは おもいました。

 「ぼく、ずっとまえから うちで、くらしてみたいなあって

  おもってたんだ。」


 リサは、いすに すわって、コールテンくんを ひざに のせると、

 とれた ボタンを つけてくれました。

 「あたし、あなたのこと このままでも すきだけど、

   でも、ひもが ずりおちてくるのは、きもちわるいでしょ。」

 と、リサは いいました。



 「ともだちって、きっと きみのような ひとのことだね。」

 と、コールテンくんは いいました。

 「ぼく、ずっとまえから、ともだちが ほしいなあって、おもってたんだ。」

 「あたしもよ!」リサは そういって、コールテンくんを

 ぎゅっと だきしめました。(本書P24〜P30より。太字原文ママ)


    −−−−−−−−−−−−−−−−


誰か抱きしめる相手が欲しい リサ。


誰かに「あなたがいい」と言われたい、

誰かにうちに連れて帰ってもらいたい、と切望するコールテンくん。


そんなさびしい二人が巡り会い、

「私がずっと前から探していたのはあなただ」と気づく奇跡。

胸がきゅんとなる古典的名作絵本。



       .。.・:*: ☆ .:*:・:'



ここではないどこかに、私を待っている人がいるはず。

その人は、私の目をじっとみつめて「やっと見つけた」とつぶやくだろう。

「ずっとあなたを探していた」と。


そして私も言うだろう。

「私も」と。「私もあなたを探していた」と。



        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



丸ごと受け止めてもらいたい、そのまま認めてもらいたい。

「あなたがいい」と言われたい。

「他の誰でもなく、あなたがいい」、と。

欠けている所があっても、それでもあなたがいい、と言われたい。



そのままのあなたが好きだけど、

でもズボンがずり落ちてくるのは気持ち悪いでしょ?

そう言ってボタンを付けてくれる人。


欠けてるままで丸ごと受け止めてくれる人。

でもそのせいで不都合を感じずにすむように配慮してくれる人。

そんな人を友達と呼ぶのだ。



狭くても、質素でも、自分の居場所がある所、

自分のベッドが用意されている所。

そういう場所を「うち」と呼ぶのだ。

そしてそこは、どんな豪華な御殿よりもずっと素晴らしい。



求めてくれる人のいる幸せ。

居場所のある幸せ。

欠けてる所のあるあなたのままでいいと言ってもらえる幸せ。

足りないところを補い合える幸せ。



人と人とは補いあい、かばいあい、支え合い、ありがとうを言い合い

ぎゅっと抱きしめ合って 生きていく。

             欠けてるままで。




   .。.・:*: ☆ .:*:・:'



コールテンくんは、リサ親子に出逢うまで、

ボタンが取れていることに気づかなかった。


人と人は、触れあうことでお互いの独自性に気づく。

それは、欠点・短所に気づくことでもある。

人と人は、出逢うことで、お互いの欠けている点に気づく。



人は人に欠点を指摘され、ときには嘲笑され、
            劣等感を抱かされることがある。

そして人は人に、そのままでいい、そこがいい、と
     認められ、受け入れられ、励まされ、癒される。

人は人によって傷つき、人は人によって癒される。

傷つくことは磨かれること。

  人は人によって磨かれる。

  人は人によってしか、磨かれない。



        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



人は皆、不完全に生まれる。

そしてその不完全さを

受け入れあい、認め合い、支え合い、補い合って

社会として機能していく。

人は社会的存在なのだ。


社会はジグソーパズルだ。

あなたの不完全さを、誰かが埋めるだろう。

誰かの不完全さを、あなたが埋めるだろう。


完全な存在であろうとしないで欲しい。



        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



ここではないどこかに、私を待っている人がいるはず。

その人は、私の目をじっとみつめて「やっと見つけた」とつぶやくだろう。

「ずっとあなたを探していた」と。


そして私も言うだろう。

「私も」と。「私もあなたを探していた」と。



        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



人は本当はそのままでいい。

ありのままでいい。

それでも人は必ず、

自分に欠けているところを埋めてくれるものを求めて探求の旅に出る。



その旅の果てに、「自分は自分のままでよかった」

「足りない存在のままで ひとと補い合えばよかった」

の答えにたどり着く。



青い鳥は自分の家にいるもの。

でも一旦、家の外に探しに出ることで、

やっとその真実を見る目が開かれる。



自分のミッシングピース探しの旅。

自分探しの旅。

そして自分のミッシングピースは、どこかで獲得するものではない。

誰かとの絆の中でこそ埋められるのだ。


            欠けてる所を補いあう形で。



        .。.・:*: ☆ .:*:・:'



だから、あなたらしさを恥じず、存分に輝いて欲しい。

人より突出した部分を恥じず、欠けている部分を隠さず、

あなたらしさを存分に発揮してほしい。


そんなあなたを待っている人がいる。

そんなあなただからこそ、ぱちりとはまる場所がある。


あなたは世界のミッシングピースだ。

あなたは世界に待たれている。



くまのコールテンくん
ドン=フリーマン 作
偕成社(対象年齢:およそ5歳くらいから)

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2006年07月19日

あたまにつまった石ころが【魂に効く絵本】

■日付

2006年6月30日(金)


■タイトル

あたまにつまった石ころが【魂に効く絵本】


■本文

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。


 
      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2006.6.30 第15号
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『あたまにつまった石ころが』
キャロル・オーティス・ハースト 著 千葉 茂樹 訳
光村教育図書(対象年齢:およそ小学校中級以上)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

あたまにつまった石ころが

あらすじ

切手にコイン、人形やジュースのビンのふた。
みなさんも集めたこと、ありませんか?
わたしの父は、石を集めていました。
周りの人たちは言いました。

「あいつは、ポケットにもあたまのなかにも
石ころがつまっているのさ」

たしかにそうなのかもしれません・・・

−−−−−−−−−−−−−−−


子どもの頃から石ころ集めに変わらぬ情熱を持ち続け、
どれだけ周囲の人に笑われても石集めをやめなかった、
作者の父の実話。

学歴はないけれど、
石を愛する気持ちは人並み外れていた。

大恐慌のさなか、その情熱と知識量を認められ、
科学博物館の鉱物学部長の座に
館長から推薦されるまでになる。

「ここに必要なのは、
あたまのなかとポケットが石でいっぱいの人なのよ。
あなたみたいにね。」


01年度ボストングローブ・ホーンブック賞
ノンフィクション部門オナー賞受賞作。




   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




肩の力の抜けた走り書き調のペン画に

透明水彩で色づけした、

さらりと軽やかな絵柄のごく薄い絵本。


でもその軽やかさにだまされてはいけない。


この絵本は、子どもたちに

自分の個性をいかに生かして

社会に貢献していこうかを考えさせる、

絵本版「13歳のハローワーク」なのだ。


自分の「好き」と「ワクワク」を追求しよう。

自分を殺すことで、ではなく、

生かし切ることで、社会に貢献しよう。


こんな人間として生まれてきたことには、なにか意味があるはず。

自分をこんな人間に作られたのには、神様に何か意図があったはず。


何をしているときが一番ワクワクするのか、

そのワクワクセンサーに従って生きていこう。


自分を生き生きと輝かせることは、

その光で社会を照らすことだ。

それこそ社会貢献への一番の近道なのだ。


中学生や高校生など、これから社会へ出て行こうとする世代に

読み聞かせしてみたい。




   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




ここで間違ってはいけないのは、

「好き」と「ワクワク」を追求することは

「好きなことしかしない」ことではない、ということ。


好きなことに邁進していく道は、いばらの道だ。

周囲の人は「そんなことしてなんになる?」と

こぞってあなたを笑うだろう。

次から次へと、障害が前に立ちはだかるだろう。


「好き」なことのために、

イヤなこと、苦手なこと、つらいことに挑戦しつづけざるを得ないだろう。


  この「好きなこと」さえあきらめてしまえば、

  どれほど楽になれることか。


  周囲の期待や状況に流されて生きれば、

  どれほど楽だろう・・・。



あなたの頭を、そんな考えが何度もよぎるはずだ。




好きなことを追求していくことと、

好きなことだけやっていくのとは違うのだ。


好きなことを追求するためには、困難に立ち向かい続けなくてはいけない。


人生、なにをやっていても試練はやってくる。


しかし、それが好きで、あきらめきれないことならば、

その試練に立ち向かい続け、それを乗り越え続けないと仕方がないのだ。



  「成功の方程式」はよく言われるように

  「失敗+失敗+失敗+・・・・・=成功」の形を取る。



数知れない失敗のあとに初めて得られるもの、それが成功。



次々に経験する挫折と紆余曲折を乗り切るために、必要なもの。


それは「それが好き」という熱い想い、熱い情熱。


「それが好きなんだ」「それがやりたいんだ!」という想い。





イメージは、ジブリのアニメ映画『天空の城 ラピュタ』で、

シータの胸に下がった飛行石のペンダントから発する一筋の光。

それは、レーザー光線のように、まっすぐにラピュタを指し示す。



  ラピュタはあなたが追い求め続けずにはいられないものの象徴。


  ラピュタを真っ直ぐに指し示す一筋の光は、

  あなたを内側から駆り立てずにいられない想いの象徴。


  それは、視覚化された「好き」と「ワクワク」。




あなたの胸からまっすぐに伸びた光は、どこを指し示しているだろう?




自分の「好き」と「ワクワク」を追求しよう。


何をしているときが一番ワクワクするのか、

そのワクワクセンサーに従って生きていこう。


自分を生き生きと輝かせることは、

その光で社会を照らすことだ。

それこそ社会貢献への一番の近道なのだ。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'








あなたは、あなたの飛行石が指し示す方向へ歩んでいますか。



自分を殺すことで、ではなく、

生かし切ることで、社会に貢献しよう。


こんな人間として生まれてきたことには、なにか意味があるはず。

自分をこんな人間に作られたのには、神様に何か意図があったはず。


あなたには、呼ばれている場所があり、

待っている人たちがいる。

はるか彼方からあなたの魂に呼びかける、

あなたにとってのCallingにぜひ従って欲しい。



あなたもライトワーカーの一人として、

自分自身を輝かせよう。

そのまばゆい輝きで、一隅を照らそう。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


「父が情熱をかたむけたのは、石や鉱物だけではありませんでした。
「学ぶ」ということそのものをこよなく愛し、尊重していたのです。

この絵本では紹介できませんでしたが、
博物館の鉱物学部長になった父は、働きながら大学に通いました。

ジョンソンさん(博物館館長)の計らいでした。

大学の若い同級生たちは、父を「おじいちゃん」とよんだといいます。
でも、その頃には、そうよばれてもちっともおかしくない年に
なっていたのです。

ジョンソンさんが退職すると、
その後を次いでスプリングフィールド科学博物館の館長に
就任したのは、なんと私の父でした。

父ほど幸福な人生を送った人を、私は他に知りません。」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

著者による後書きより。



『あたまにつまった石ころが』
キャロル・オーティス・ハースト 著 千葉 茂樹 訳
光村教育図書(対象年齢:およそ小学校中級以上)




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





この絵本を書店で立ち読みしたとき、

軽やかで明るいハッピーな絵本なのに、

涙があふれてきた。


許されたように感じたのだ。


私は、絵本が好き、児童文学が好き。


子どもの頃から、本を読み出すと話しかけられても聞こえなかった。

学校の休み時間もずっとひとりで本を読んでいた。


学校の行き帰りも、本を読みながら歩いたので、

ときどき電柱にぶつかった。


親からは「読み過ぎ!目が悪くなる」と小言をいわれつづけ、

周囲からは変わった子扱いで、浮きまくっていた。



大人になり、結婚してからも、

気に入った本は多少高くても買わずにはいられない。


夫は「これがなんになる」と渋い顔をした。



周囲から理解されず、ずっと肩身の狭い思いで生きてきた。

そんな私を、許されたように感じたのだ。




立ち読みしおわったとき、涙を手の甲でぬぐいながらこう思った。

「私の頭の中には子どもの本がつまっているんだ。」


「この絵本の主人公は、
好きな石ころを大切にすることを止めなかったことで、
結果的に周囲の役に立ち、重用されるようになった。

だったら私も、

子どもの本を集めることは何の役にも立たない
無駄な行為だなんて
自分を責めなくてもいいんじゃないだろうか。

この本を買ってもいいんじゃないだろうか。」



だから、この絵本をレジまで持って行き、買った。




あれから数年。

私はこうして絵本・児童文学のメルマガを書き、

読み聞かせのワークショップを開くようになっている。



好きなことを追い求め続ければ、

必ずやなにかの形で誰かの役に立つことができる。

その知識とその情熱を評価される時が来る。



好きなことをあきらめるのではなく、

生かすことで、社会のお役に立っていこう。



自分を殺すことで、ではなく、

自分の個性を生かし切ることで、社会に貢献しよう。


こんな人間として生まれてきたことには、なにか意味があるはず。

自分をこんな人間に作られたのには、神様に何か意図があったはず。


私たちには、呼ばれている場所があり、

待っている人たちがいる。


私たちもライトワーカーの一人だ。

自分自身を輝かせ、その光で、社会の一隅を照らそう。




魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
という今はもう廃刊にしてしまったメルマガに掲載していた記事を
収録しております。

あたまにつまった石ころが


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【魂に効く絵本】『イオマンテ』いのちの重み、食の重み

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。


 
      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



形態は絵本ですが、字数が多くて内容も高度。

児童書の範疇に入れた方がいいでしょう。

おとなにもずっしりと響きます。


魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2006.5.12 第14号
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イオマンテ
  寮 美千子 作、パロル舎(小学校高学年くらいから)
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 〜あらすじ〜

「今日は山へ、キムンカムイ(山の神様)をお迎えに行くぞ」

早春の山に猟に出かけた父さんは、三日後、

たっぷりの熊肉と立派な毛皮、

  そして、生まれて間もない熊の子を連れて 帰ってきた。


母さんが熊の赤ちゃんをすぐに抱き取った。

「おおよしよし。寒かったでしょう、怖かったでしょう」

そう語りかけて、自分のおっぱいを含ませる。


その夜、コタン(村)のどの家も、お腹いっぱい、

おいしい熊肉のオハウ(煮込み)を食べた。

お父さんが背負って持ち帰った肉だ。


それ以来、熊の子と僕は、きょうだいのように暮らした。

同じ布団に寝て、同じご飯を食べた。

外でコロコロ遊んだ。

いっぱい相撲も取った。

熊の子が迷子になったとき、僕は青くなって必死で探した。

やっと見つけたとき、

熊の子は、切ない声を上げてまっすぐ僕に向かって駆けてきた。


それから約一年近くたった真冬のある日、

ずいぶん大きくなった熊の子が突然、

降りしきる雪に けだもののような声で吠えかかり始めた。


驚いて熊の子を懸命になだめようとする僕に、父さんは言った。

  「心配するな。そろそろカムイの国に帰りたくなったんだ」

  「カムイの国って?」

  「この子の母さんのいるところさ。

  この子の母さんはね、

  たくさんの肉を背負い、毛皮の服を着て

  カムイの国から遊びにきてくださった。

  そしてこの子を私たちのところにあずけ、

  カムイの国へ帰っていかれた。

  今頃はカムイの国で、この子が来るのを、

  今か今かと待っておられるだろう。」

  父さんは、僕の方にそっと手を置いた。

  「だから、この子を送って差し上げよう。
             カムイの国へ。」(p28より)



         ・
         ・
         ・




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




アイヌ民族の荘厳な儀式、熊送り(イオマンテ)を通して

「いのち」の重さ、

その重い「いのち」を食事としていただくことの痛みを

詩のような美しい文体で秀逸に描き出した、名作。


大切に大切に育てられた熊の子は、

イオマンテの祭りの中で殺され解体され、

その肉は村中の人にふるまわれる。


熊の子をただ飼って太らせて、屠るのではない。

決して家畜ではないのだ。

カムイ(神さま)の化身を、お預かりして、またお見送りするのだ。

ぜひまた、この人間の里へ遊びに来て下さい、という祈りをこめて。



我が子同様に育ててきた村の女も、

きょうだい同様に暮らしてきた子ども達も、

胸のつぶれる想いに耐え、泣きながら敢えてその肉を口にする。



  それから、肉のオハウが出てきた。

  あぶらみばかりの、

  とろりとおいしい、あつあつのオハウだ。

  おいしい、おいしいとぼくはたべ、

  それからふいに思い出した。


  これは、あの子熊の肉。

  ついさっきまで、子熊だった肉。

  ぼくは、子熊をたべている。


  ああ、あのときもそうだった。

  子熊がここにきた夜に、

  おなかいっぱいオハウをたべた。

  あれは子熊のかあさんの肉。

  ぼくは、子熊のかあさんをたべたんだ。


  それだけじゃない、みんなみんな、

  兎も、鹿も、さけやますも、

  ぼくはいのちをたべている。

  みんなのいのちをたべている。

  ぼろぼろ、なみだがこぼれてきた。(p46より)



エカシ(長老)が言う。

「泣くんじゃない。

子熊のカムイが悲しまれるぞ。

さあ、楽しく送って差し上げよう。」



わざわざ肉と毛皮を背負って

カムイの国からはるばる来て下さったカムイを、

精一杯のおもてなしで楽しませ、送るために、

イオマンテの夜は、

村中で夜通し、飲んで歌って踊って食べ、楽しく笑いさざめく。

カムイを喜ばせるために。



      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



カムイからのお預かりものである幼い熊の子を、

家族同様に、大切に大切に、愛情を注いで育て、

時がくれば

たくさんの捧げものとお供えを何日もかけて入念に用意し、

敬意と礼儀を尽くした儀式でお送りする。



ただ送るだけではない。

ついさっきまで抱きしめ頬ずりしていたその愛しい身体に包丁を入れ、

料理して、食べる。

涙にくれ、そして心から敬意と感謝を捧げながら。

また会えることを、カムイとして再び訪れてくれることを、

心から祈りながら。



自分たちが、大いなる大自然の一部として生かされていることを肝に銘じ、

普段、何気なく口にしている命の尊さを体で思い知るための仕組みとして、

これ以上の仕組みがあるだろうか。


この仕組みを「祭祀」とした狩猟採集民族、アイヌの民の

その叡智の深さ、その生命観の厳しさ。

大自然に対する畏敬の念と、感謝の念の、深さ。

その、謙虚さ。



      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



自分たちがいただいている命の尊さを体で思い知る。

普段何気なく食べている肉は、さっきまで息づいていたいのち。

つぶらな瞳と温かな肌を持っていただろう、誰かの子ども。

誰かのきょうだい。

誰かの親だったかもしれない存在。


肉だけじゃない。

魚はもちろん、野菜だって、いのち。



私たちは、他者のいのちをいただかなくては、生きていけない。

光合成をしている植物以外、どんな生き物も、

他者のいのちを分けてもらわなければ、生きていけない。

私たちは、地球上を循環しているいのちの一部。

死んで、他のいのちの一部となり、

生まれて、

他のいのちを取り入れ続けて生き延びていく。



私たちは、生かされている。

他のいのちの累々たる屍の上で、生かされている。


その厳しさ、その責任を、甘んじて引き受けて生き続けるしか、ない。

与えられたこの命を、

引き継ぎ、十全に生かしていくしか、その重責に応える術は、ない。




私たちは、命をいただいて生きている。

命は、こんなにも尊い。

命を奪う行為というのは、こんなにも重い。



私たちは、スーパーでパック詰めの肉や魚を買うとき、

野菜を買うとき、

どのくらいその痛みやその重さを感じているのだろうか。


どのくらい感謝していただいているのだろうか。




  だから、こどもたちよ、よくおぼえておくんだ。

  一粒のあわもひえも、

  一切れの肉も魚も、みんないのち。

  わたしたちは、いのちをたべている。

  いのちと魂との、おおきなめぐりの中にいる。

  すべては、めぐるいのちのめぐみ。

  すべては、めぐるいのちのめぐみ。(P64より)





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



イオマンテ

『イオマンテ』 寮美千子 文 /小林敏也 絵 出版社:パロル舎
(小学校高学年くらいから)



      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



「生かされていることに感謝し、

その尊さその重さをひしひしと感じながら、

他の命を謹んで食すこと」


「大いなるいのちの流れの一部にすぎないことを良く認識して、

謙虚に、対等に、他のいのちを遇すること。」


私たちは、残念ながら、他の命の累々たる屍の上にしか、

生きていられないのです。

いえ、それを「残念ながら」と表現するのが

おこがましいかもしれません。



大いなる命の流れの一部として内包されていることを喜び、

感謝しながら、と表現するべきなのかもしれません。



私たちは生かされていて、そして大きないのちの流れの一部。

私たちは、孤独ではない。

私たちは、分断されていない。

私たちの身体を構成する分子は、すべてこの地球の一部。

ビッグバンの昔から、

恐竜の身体の一部だったりマンモスの身体の一部だったり、

生々流転を繰り返してきた分子で、

私たちの身体は構成されている。



私たちの身体は、この地球に属している。

他のすべてのいのちときょうだい。



すべて一緒なのかもしれません。

どちらがどんなタイミングで食べられようとも。


これがワンネス。

これが種を超えた愛。



どの「いのち」も光。

その「いのち」も、大切な輝く存在。

どの「いのち」も、誰かのこども。誰かのきょうだい。

でも、私たちはそんな重いいのちをいただかなくては生きていけない。

私たちは、そんな唯一無二の愛しいいのちを食べ続けて、今日がある。


その重み、その痛みを感じることこそ、

「種を超えた愛」を感じることではないか、と思うのです。




魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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『台所のマリアさま』聖なるものとの絆を切望するたましいのうずき

■日付

2006年2月4日(土)


■タイトル

『台所のマリアさま』聖なるものとの絆を切望するたましいのうずき


■本文

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。




      ':・:*:. ☆ .:*:・:'





しばらく間があいてしまいました・・・。

ちょっとスランプに陥ってました(^^;



二ヶ月ぶりの今号で取り上げるのは『台所のマリアさま』。
  
絵本ではありません。薄い小さな本ですが、児童書です。


魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2006.2.4 第13号
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台所のマリアさま

  ルーマー・ゴッデン 作、評論社(小学校高学年くらいから)

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 〜あらすじ〜
グレゴリーは孤独だった。


優しいけれども多忙で、いつも家にいない両親、

やってきては去っていく お手伝いさんたち。



いつのまにかグレゴリーは他者に心を閉ざし、

「自分のことにしか興味がない」と

嘆かれる少年になってしまっていた。






 そんなグレゴリーの家に、マルタが来た!



マルタは今までのお手伝いさんとは違う。


グレゴリーがいつ学校から帰ってきても、

必ず台所にいる。


  そして、ずっとこの家に居ると言ってくれる。





グレゴリーは言う。

「お手伝い? とんでもない! マルタは“家”だよ。」






マルタはウクライナ難民。


ときどき、二度とは戻れぬ 遠い故郷を恋しがり 

  たどたどしい英語で訴える。



「ここには“いい場所”がありません。

私たちの家には、必ず“いい場所”がありました。」


「ウクライナ人の台所には、

必ずマリア様と幼子キリスト様の絵をおまつりします。

ただの絵ではありません。

布を貼って服にし、ビーズや金で飾ってあるものです。

そして、その聖画の前にランプをともします。


一日中私たちはそれを見るんです。

台所は暗いけど、ランプと絵は光っているんです。

部屋のどこにいても、

マリア様と幼子の顔がこっちを見てるんですよ。

でも、ここにはそれがない・・・。」





  マルタの悲しむ顔を見たくない!


マルタの思い出にできるだけ近い聖画を求めて、

グレゴリーの奮闘が始まった。



外界との関わりを拒んでいた少年が、

その幸せを心から願わずにいられない存在を得たとき


        すべては変わり始めた・・・




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




聖なるものとの絆を切望する、たましいのうずきを、



そして日常生活の中の「祈り」の大切さを描いた名作。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




マルタの求めるような「聖画」は、子どものお小遣いではとても買えない。

グレゴリーはそのことに気づいてもあきらめなかった。

驚くべき忍耐強さで 手作りに挑む。



あれほど他人と関わることを拒んでいた少年が、

理想の聖画を追い求めるためには、

人見知りを克服して外へ外へと出かけていく。



博物館、教会、宝石商・・・



初めて入る帽子屋さんで、

「キレイな端布を分けてもらえませんか」と頼む。



目も合わさないようにしていた近所のお菓子屋のおばさんに、

お菓子を包んでいるキラキラ輝く紙が必要なことを話す。



今まで妹にも触らせたことのない大切な船の絵の背景を切り抜く。

それが一番聖母子像の背景に似合いそうだったから。



創意工夫を凝らし、時間をかけ手間を掛け、

自分が大事にしていたものも差し出して

聖画はとうとう完成した。



それは「祈り」の過程だった。



良いもの、美しいものを、心を込めて創り上げる行為は、

そのまま「祈り」なのだ。


誰かの喜ぶ顔が見たいがために、

一心に美しいものを作る行為は、まさに「祈り」そのものなのだ。



だからこそ、芸術と信仰は常にワンセットだった。

最高の芸術は、常に、謙虚な祈りに満ちているのだ。





聖なるものへの希求を込め、

愛する人の喜ぶ顔を思い浮かべながら、

コツコツと手間を掛け時間を掛け、

想いを注ぎ込まれて創り上げられた作品に



     魂がこもらないわけがあろうか。


     人の胸を打たないわけがあろうか。




逆に言えば、そのように作られたものでないものが、

人の心を打つことはあり得ないのだ。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




聖画というのはただの絵じゃない。

この地上の世界と天国とを結びつける役割をするもの。

神聖なものに向かって開かれているひとつの窓。




近代的なしゃれたデザインの台所にタマネギを吊すマルタ。


地から生えてきたような、土の匂いのぷんぷんするマルタ。


だからこそ、グレゴリーは安心することが出来た。






そして、天上の世界と結びつく窓がその台所に開いたとき、

全てはつながる。




地と天は結ばれねばならない。

天と地をつなげるパイプが必要なのだ。

どちらとのつながりも、切れていてはいけないのだ。




マルタが家に来てくれる前のグレゴリーは、

どんな存在ともつながりが持てていなかった。

だから孤独だったのだ。




マルタは、土とのつながりを体現した存在だった。

マルタを得てまず安定したグレゴリーの精神は、次は天上を目指す。




マリア様の聖画が完成し、


   “いい場所”が台所に出現したとき、パイプは通る。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





  マルタは“いい場所”を見たとき、棒立ちになった。

  それからマルタはゆっくりと手を上げた。

  その顔つきが完全に変わった。

    (中略)


  それからマルタは話し始めた。

  マルタの口にする言葉を理解したものはだれもいなかった。

  しかし、ジャネットでさえも、

  それが感謝と賛美の祈りであり、歌であることはわかった。

  その声は朗々とあたりにひびきわたった。


    (中略)


  一言もわからないままに、

  その言葉はグレゴリーの胸にくいこみ、その体をゆさぶった。



     『台所のマリアさま 』 ルーマー・ゴッデン 作、評論社
     P110より抜粋





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





  chant という英単語がある。

  「歌う」という意味、

  「(祈りや魔法の呪文を)唱える」という意味がある言葉。




そしてまたサンスクリット語には、shanti という言葉がある。

“大いなる平安” “全ては祝福されている”という意味。



chant と shanti 、音の響きも意味にも共通点がある。




  チャントという言葉には言霊がある。

  日本語の「ちゃんと」にも同じ言霊がこもっている。



つまり、「ちゃんとやる」というのは、

「穏やかな心で祝福を込めて為す」ということではないかと。


   「ちゃんと」やる、ということは、

   「想いを込め、祈りながら」やる、ということなのだと。





マルタの言う「いい場所」とは、

「ちゃんとした場所」、祈りの場所、平安の場所だった。





「ちゃんと料理する」

「ちゃんと掃除する」

「ちゃんと片付ける」

「ちゃんとした暮らし」

生活そのものが祈りである暮らしも可能なのだ。

その豊かさ。



人が住んでいる家と、空き家と、一目でわかる。

オーラが違うから。


誰かから慈しまれている存在は、

輝き、温もり、生気、まとっている空気が違う。



日々の生活に想いと祈りを込めていくと

生活空間がほのかな光で包まれる。




あなたの住空間は「祈り」のオーラをまとっているだろうか。

あなたの身近な人は「愛されている」オーラをまとっているだろうか。




あなたは「ちゃんと」生きているだろうか。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




人は、天とも地とも、つながりが切れては、健全に生きられない。


聖なるものとつながる窓が、必要なのだ。

地なるものとつながるための温もりと安心感が必要なのだ。



そして、その両方をつなぐためのパイプが、必要なのだ。


そのパイプが、「祈り」。



人には、「祈り」が必要なのだ。



ちゃんと生きること。

ちゃんと、日々の生活を送ること。

丁寧に、心を込め、祝福をこめて、日常生活を送ること。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



  『台所のマリアさま
   ルーマー・ゴッデン 作、評論社
   (小学校高学年くらいから)




魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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この世界に恋して

■日付

2005年12月1日(木)


■タイトル

この世界に恋して


■本文

私の暮らす北海道の山村では、もう一週間くらい前から銀世界です。
(今日なんか、吹雪だったりします^^)

でも、本州ではまだ紅葉だったりするのですね!


では、この絵本もまだ遅すぎない?とあわてて取り出した一冊
  

メルマガ魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.11.30 第12号

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『ボビーとそらいろのヨット 』

  マーガレット・バーディック 作、童話館出版(3歳くらいから)

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 〜あらすじ〜


  ボビーはカワウソの男の子。

  ある秋の日、アナグマさんのお店で、素敵なヨットを見つけました。

  
  大きな白い帆のついた空色のヨット。

  「ビーバーさんの作品。いいものと交換します」
                  の札がついてました。



  こんな素敵なヨットと交換してもらえるほどの「いいもの」って
  いったいなんだろう?


  きれいに色づいた森の木の葉は すぐに茶色くなってしまう。

  おいしい小枝は 食べたらなくなってしまう。

  川底できらきら輝く小石は 乾いたら何でもないただの小石。


  

  なかなかいつまでも喜んでもらえるものが見つけられません。



  夕日を眺めながらヨットのことばかり考えていた日の夜、

  ボビーは空色のヨットで遊ぶ夢を見ました。



  ヨットは金色の夕焼けの海に浮いていました。

  帆は、綺麗な秋の森の色。

  空のお月様は、きらきら光る小石のようでした。


  次の朝、目が覚めるとすぐに、

  ボビーは絵を描き始めました。




  美しい色の絵の具で、夕日のしずむ、カエデの森を描きました。

  そのなかにきれいな木の葉と小枝と、
 
  きらきら光る小石を、いっぱい描きました。



   「すばらしい絵だよ、ボビー!」とアナグマさんがいいました。

   「これなら空色のヨットと交換してあげるよ。

      きっとビーバーさんがいつまでも喜んでくれるからね。」





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






この美しい世界に恋して、恋いこがれて、

その想いの結晶が「芸術作品」なのだ。



いくら心奪われても、

決して手の中にとどめておくことのできないもの。


 秋の森の 木の葉の色。

 金色の 夕焼け。

 濡れた小石が 川底で日の光を反射する。


 帆に風をみなぎらせたヨットが描く マリンブルーの海の白い航跡




「恋う」は 「請う」であり

      「乞う」である。


どうかもう少し近くに、と請い願うこと。


どうか触れさせてください、と、

どうか一瞬でも長く ここにとどまってください、と乞うこと。



「恋」は「来い」にもつながる。

決して手に入らぬもの、決して手に届かぬものを、

声をからして呼ぶ声。


それが、芸術作品を生み出す原動力。



決して手には入れることが出来ないけれども、

希求することをやめることもできない 崇高なものへの憧れ、恋。


決して所有することのできないものから引き起こされる心の震えを 

いかに上手く再現するかの 技術の追求に、

その恋うる想いを昇華させる。


それが芸術。




ビーバーさんは大きな白い帆を張った青いヨットの姿に

なにかをかき立てられたのだろう。

だから模型を作らずにいられなかった。


その心の震えや胸の高まりを

もう一度呼び起こしてくれるほどの質の高さを目指して、一心に。



ビーバーさんの感動と憧れがこもり、

手塩にかけて丁寧に作られたヨットは、

同じくらいの想いと熱意の込められた

ボビーの絵となら、交換できた。


良い作品はそれなりの対価を求めるのだ。




この絵本の最後のページで、

ビーバーさんはボビーの描いた絵を眺めながら、手仕事に励んでいる。

窓の外は雪景色。

雪に閉ざされた冬の間、ビーバーさんは温かい室内で、

木を削って新しい作品を作りながら、ボビーの絵を愛でる。


身の回りの世界の美しさに、幼い少年が息をのみ、目を見張った。

その純粋な悦びと驚きがそのまま表現されている、絵。

冬の過ごし方として、なんて豊かなことだろう。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




一瞬のきらめき、一瞬の感動を

     形にしてとどめておきたいのだ。


その心の震えや胸の高まりを

もう一度呼び起こしてくれるもの。

それを所有したいのだ。




私たちはこの地球に恋して生まれてきた。

その美しさに触れる度に胸が躍る。

心の琴線が高鳴る。



恋いこがれるばかりで

決して手に入れられない はかなくも崇高な現象たち。


 蜘蛛の糸につらなる朝露。

 雨上がりの虹。

 真っ黒い雨雲を切り裂いて走る稲妻。

 天青石の空に浮かぶローズクォーツの夕焼け雲。

 美しく咲き誇り、あっという間にしおれていく花々。

 あどけなさをすぐに卒業してしまう幼子たち。

 いずれ 別れの時が来る 愛する存在たち。



決して手中に収めておくことは出来ないけれども、

希求することをやめることもできない。



私たちは その苦しい恋を 芸術に昇華し続ける。



どうかもう少し近くに、どうか一瞬でも触れられますように、

と請い願う。


どうか一瞬でも長く ここにとどまっていてくださいと乞う。



その想いこそが芸術作品を生み出す原動力。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




動物たちが主人公の可愛らしいミニサイズの絵本。

でもその可愛らしさにだまされてはいけない。

この絵本には、「芸術とは何か」がつまっているのだ。



幼いうちにぜひ出会って欲しい一冊。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




『ボビーとそらいろのヨット』 
マーガレット・バーディック 作、 わたなべ しげお 訳
童話館出版(読んであげるならおよそ三歳から)


魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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エルマおばあさん

■日付

2005年10月28日(金)


■タイトル

エルマおばあさん


■本文

木の葉が色づき、舞い散る 晩秋となりました。

ここ 北海道では、初雪も舞いました。


全ての生命活動が一旦休止するかに見える、

北の国の厳しい冬の訪れです。



そこでこの季節、「死」を見据える絵本を選んでみました。

  

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.10.27 第11号

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『さよなら エルマおばあさん 』

  大塚 敦子  写真・文、小学館(10歳くらいから)

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 〜あらすじ〜


  ある夏の終わり、エルマおばあさんは、お医者さんから、

  病気でもう長くは生きられない、と言われました。





著者の大塚敦子さんと 以前から家族ぐるみのつきあいで、

孫のように可愛がってくれていたというエルマおばあさん。



その大塚さんが、許可を得てエルマおばあさんの自宅に住み込み、

介護を手伝いながら撮った写真で構成された

ドキュメンタリー写真絵本。



外出前にお化粧するエルマおばあさん。

老人クラブの朝食会で友人たちと談笑するエルマおばあさん。

庭で草花の世話をする姿。



その後、

 ゆっくりと 衰弱していくエルマおばあさんの姿。



  「それは、体が旅にでる準備をしているからなんだよ」
  本書19pより



点滴を付けた寝姿。

そして、延命治療をしないで欲しい、という要望書に
サインするシミの浮いた手。


弟との、子どもたちとの、親戚たちとの、

別れを惜しむシーンの数々。




とうとう、歩けなくなります。


酸素吸入器の細いチューブを鼻に刺した顔は、
以前よりも 一回り小さく見えます・・・。



  そして、まるでゲームでも楽しむみたいに、
  こんなことも言いました。

  「わたしは、自分の死ぬ日を決めたからね。

  その日付を紙に書いてかくしておいたから、

  私が死んだあと、さがしてごらん。」   p43より





そしてある日、

その日がエルマおばあさんの決めた日だ、ということが、

家族にもわかりました。



その夜、みんなは寝ないでエルマおばあさんにつきそいました・・・





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





 “この本は、子どもたちだけではく、お父さんお母さんにも、

 ぜひ読んでいただきたいと思います。

 そして、子どもといっしょに、

 「人の命には限りがあり、だれにも必ず死を迎えるときがくること」や

 「死が訪れる瞬間は苦しくないこと」を

 話し合ってほしいと思います。”

   本書の帯より(ホスピスケア研究会代表 季羽倭文子さんの言葉)




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





エルマおばあさんの淡々とした姿。

それが写真である、という重み。

迫り来るリアリティ。




最後まで、強いまなざしを持ち続けていた彼女。


しわくちゃの、一回り小さくなった顔の中の

意志に満ちたまなざし。

力強い瞳。




それは、


  自分の死に方を自分で決めた満足感と誇りで


        輝いているのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





死は破滅でも敗北でもない。

死は忌むべきことではない。


人生という作品の大切なエンディングなのだ。

クライマックスを経たあとのエンディング、大団円。


一年は、冬があって初めて完全な一年なのだ。

1日は、夜があって初めて完全な1日なのだ。



天寿を全うした老人の死は、

季節が来て舞い落ちる木の葉のように静かで

そして 尊厳に満ちている。



それは、物事のあるべき姿を思い起こさせる。



季節は巡る。

夏が過ぎ、青々としていた木々の葉は 色を変えていく。

そしてある時、そのときが来たことを知る。

葉は、風に手を取られ そっと枝から離れる。

旅立つ。

それはとても自然なこと。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





考えてみれば、


今まで生きてきた数え切れない数の先人たちも、

一人残らず死んだのだ。


今生きている私たちも一人残らず死に向かいつつあるのだ。


誰一人死を免れないのだ。

むやみに恐れることはないのだ。

誰にだって訪れることなのだ。

全員が通り抜けるところ。




  すごく普通のこと。

  特別なことじゃない。





命は大いなる流れに浮かぶ泡沫だ。

かつ消え、かつ結び、を繰り返す。

泡が消えても、元の流れに戻るのみ。

そして、また泡を結ぶこともあるのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





しかし、死は痛ましい。

 嘆きと 喪失の哀しみに 満ちている。



パール・バックの「母の肖像」の中の一節を思い出す。




   「(こどもは天国で安らかにしていると)考えたからといって、

         母親の腕と心が充たされると思うんですか?」


            (中略)


   「肉体は何でもないでしょうか? 

    私は自分の子どもたちの肉体を愛しました。(略)

    私が生んで、可愛がって、洗ってやり、着せてやり、

    面倒を見てやった肉体は、私には貴重な宝です。」
  
         『母の肖像』P・バック 新潮文庫p123より
    




私たちは地上で生きている。

肉体をまとって生まれることを選んだのは、
五感で生きることを味わうため。

感覚や感情を通して事物と関わるため。

肉体を通して他者と関わるため。



 「海が大陸をつなぐように、

   感情が私たちをつなぐよすがなのです」

              本田健さんの言葉より。




肉体を通して、私たちは触れあう。

感情を通して、私たちは触れあう。



地上の肉をまとって、

初めて私たちはお互いの重みと温かさを知ることができる。



子どもの身体のずっしりした温もりを膝に感じ、

恋人の髪の感触にドキッとし、

老いた母の細い肩をもみながら 

  幼い日に抱きしめられた 母親の力強い腕を 思い出す。



肉体が喪われるとき、

私たちは触れあえなくなる。

お互いの温もりを感じることが出来なくなる。



それを嘆くのは当然のこと。

去る者も残されるものも 名残を惜しむのは当然のこと。




死は破滅でも敗北でもない。

むやみに恐れることではない。

忌むべきことではない。

しかし、一時の別れとはいえ、別れは別れなのだ。


文字通り、今生の別れを

心ゆくまで悼み、大いに嘆き、惜しもう。


それができて、初めて私たちは心の平安へと行き着くのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





一人の老女の いのちが燃え尽きるさまを淡々と記録し
その後の喪失の空間の痛みまで切り取った、感動の一作

『さよなら エルマおばあさん 』
  大塚 敦子  写真・文、小学館(10歳くらいから)




魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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家族全員で 幸福探しの旅【魂に効く絵本】

■日付

2005年9月23日(金)


■タイトル

家族全員で 幸福探しの旅【魂に効く絵本】


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.9.24 第10号

キノコ採り、果物狩り、芋掘り・・・

秋って、狩猟採集時代の古いDNAが騒ぐ季節。

実りの秋。

そんな秋の景色が美しく描かれる絵本を取り上げてみました。




   ☆「家族全員で 幸福探しの旅」

             がテーマの 絵本 ご紹介



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14ひきのひっこし 』 14ひきのシリーズ

  いわむら かずお  文・ 絵、童心社(読んであげるなら3歳くらいから)

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 〜あらすじ〜

お父さんお母さんに

子どもが10人。

それにおばあちゃんおじいちゃん。

三世代、総勢14匹のネズミの大家族。



その一家が、秋の野山の景色の中

新しい巣穴を探して、大移動。



その旅は希望にも満ちているけれども

命の危険とも隣り合わせ。



天敵のイタチを、息を潜めてやりすごす。

川が行き先を遮れば、助け合いながら、渡る。

夜は、やはり天敵のフクロウを警戒しながら、不安な野宿。



そんな長い旅の末、やっと新しい巣穴が見つかった!

大木の根っこに空いた洞だ。


今度は新しい巣穴を快適な「家」にするための

一致団結した努力が始まった・・・





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





天敵のイタチと遭遇したとき、川を渡るとき、野宿のとき。

危険なときは、家族一丸となって協力体制をとる。



まだ少年の長男次男も、鋭くとがった棒を持ってイタチを警戒するし、

長男はお父さんと一緒に たき火を囲んで寝ずの番もする。


家族を守るためには、闘う覚悟ができているのだ。

幼い弟妹を守るために。



まだ少年の長男次男も、川の両岸で綱を支える。

幼い弟妹や年老いた祖父母が 安全に流れを渡れるように。



家族全員で困難を乗り越え、幸福探しの旅。

その中で、それぞれがそれぞれの役割を果たそうとして

一生懸命。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





私の敬愛する河合隼雄先生は

「児童文学」を論じた本も数多く著されているが、


家族が協力し合うことについて

「大草原の小さな家」シリーズを例に上げ

こんな一文を書かれていました。



インガルス一家が幌馬車で川を渡るシーン。



お父さんはもちろん先に立って、

馬の手綱をしっかりと握りしめ、

流れの中で足を踏ん張り、一歩ずつ向こう岸を目指す。



子どもたちは幌馬車の中で怖いのを我慢してじっとしている。

お母さんはただ静かにその子どもたちを抱きしめている。


家族全員が、できることを精一杯やっている。

一家が直面した危機を乗り越えるために、全員が協力している。





子どもにはできることと出来ないことがあって、

お父さんと一緒になって川の中には入っていけない。


けどだからと言って自分を役立たずだとか責めなくてもいい。

怖いのを我慢してじっとしていること。

それも役割を果たすこと。



どんな子も、いつも、

そのときに家庭で果たせる精一杯の役割を果たそうとしていて。

健気に。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




「14ひきのひっこし」でも、

年かさの子どもたちは棒を持ってイタチを警戒する。

小さな弟妹たちは怖いのを我慢してじっとしている。。。



おじいちゃんおばあちゃんも

そんな子を抱きしめたりしながらじっとしていて。。。



新しい巣穴を快適な「家」にするための大工仕事の場面でも、

大きい子どもたちはお手伝い。

小さい子どもたちは走り回って遊んでいる。



それぞれにできる精一杯の役割を果たして居る。

胸が熱くなるようだ。



幼い人たちは

そこにいて笑いながら遊んでいてくれれば

それが役割を果たすこと。




幸せそうにしていること、っていう役割がある。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





ただ遊んでいるだけのように見える子どもたちも 

それが役割。



社会と一緒。


無駄と思えるものを排除しちゃうと

潤いや柔軟性のない社会になる。

多様性こそが生命力を高めるのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





家族全員で困難を乗り越え、幸福探しの旅。

幼い子どもたちまでもが それぞれの持ち場を守りぬく。




最後から二ページ目では、

ろうそくの柔らかな明かりの中、

家族全員で

秋の実りがふんだんに饗された 豊かな食卓を囲む。


一日の労働のあとの、和やかな食卓。



  家庭という幸せ。

  家族があるというの幸せ。

  自分の居場所があるという幸せ。


  一緒に困難に立ち向かう仲間がいるという幸せ。

  守るべきものがあるという幸せ。

  それを今日も守り抜けたという幸せ。


     満足感と感謝と喜び。





全ての家庭が、

今日もまた困難を乗り越え終わって、

家族一同笑顔で 食卓を囲めていますように。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





細やかに描き込まれた、秋の里山の風景が美しい名作定番絵本。

『14ひきのひっこし 』 14ひきのシリーズ
  いわむら かずお  文・ 絵、童心社(読んであげるなら3歳くらいから)



魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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めくるめく異世界に遊ぶ絵本ご紹介【魂に効く絵本】

■日付

2005年8月22日(月)


■タイトル

めくるめく異世界に遊ぶ絵本ご紹介【魂に効く絵本】


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.8.22 第9号




甲子園も終わりましたね!

北海道は駒大苫小牧の優勝で盛り上がってますよ(^^)

それにしても、人はなぜ 高校野球の応援に

   暑い中 わざわざ出かけていくのでしょうね。





   ☆「夢中で 遊びに熱中する 体験の大切さ」

             がテーマの 絵本 ご紹介



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『めっきらもっきらどおんどん』長谷川摂子 文、降矢奈々 絵、福音館書店
                    (読んであげるなら4歳くらいから)


『かいじゅうたちのいるところ』モーリス・センダック、富山房
                   (読んであげるなら4歳くらいから)

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二冊とも、子どもが異次元の世界に巻き込まれ、

いろんな冒険をし

そして無事に元の世界に戻ってくるというファンタジー。



いわゆる「行きて還りし物語」を踏襲している。



ファンタジー文学の王道「行きて還りし物語」の精髄が


    低年齢から 存分に楽しめる 定番の名作。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





この二作品には、

「めくるめく」という形容詞がぴったりなような気がする。

その迫力、その強烈なイメージ。



  思う存分異世界で遊びほうけてから帰って来る 完全燃焼感。

  理性も理屈も振り捨てて 全身で遊ぶ感覚。


  野性的な情動に突き動かされて、

     すべてを忘れて遊び狂う、その感覚。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






そして、もう一つ印象的なのは、

そっちの世界に行ったっきりにならずに

ちゃんと戻ってこれるきっかけに、

二作に共通して 母親との絆が描かれていること。





情動の世界も大切で、そっちにどっぷりと浸かる体験も大切。



でも、現実生活も送らなきゃいけない。

戻ってこなくてはいけない。

そこで、呼び戻してくれるもの。

つなぎとめてくれるもの。


 それは愛に満ちた身近な人間関係。




子どもの頃、 「かいじゅうたちのいるところ」の最後の一文に

とても慰められたのをよく覚えてる。


 「部屋にはちゃんと夕ご飯が置いてあって、まだほかほかと温かかった」


待っててくれている人がいる、という安心感、安定感。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






このメルマガ、「魂に効く絵本」の趣旨は、

“魂を少し震わせて、
    少し生き生きを取り戻そう”なのですが、


まさにそれをやっている子どもを描写したのが

「めっきらもっきら」であり

「かいじゅうたちのいるところ」なのだと思います。



夢中になれるものに没頭して、

現実とか理性とかの手の届かない

自分の深いところまで降りていって

戻ってくる体験の豊かさ。



情動とか本能とか狂気とか野性とか


   それらにどっぷりと浸かる経験の健康さ。



そしてそれは、

  「人はなぜロックのライブとか、

   よさこいソーランとか、

   高校野球の応援に

   わざわざ出かけていくのか」

という問いの答えなのだろう。


それらの会場の熱狂と、

「かいじゅうたちがいるところ」での

怪獣たちとの言葉もない熱狂のシーンはとても似ている。



共鳴や共振があればより容易に熱狂や没頭や夢中の体験ができる。

場の力、仲間のダイナミズムが作用する。


同じく熱狂している人間が発するなにかに共鳴して、

よりいっそう夢中になる。

よりいっそうのめりこむ。

より一層理性を吹っ飛ばす。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






言葉の要らない、

理屈も 理性もない、

あるのは情動とか熱狂とか歓喜とか野性とか本能。

魂のふるえ。



そういう世界に浸かることの豊かさ。

集合無意識レベルで多くの魂と共感する。

魂のジャングルみたいな。

魂の深海みたいな。



そこへ還っていって

  そこにどっぷりと浸かることで

          人は魂の全体性を取り戻すのだろう。



生きる力を取り戻すのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





「遊び」の重要性。


人間の根源的な生きる力を取り戻す時間が

我を忘れて熱狂している時間、

“遊びに夢中になっている時間”。



一見無駄にしか見えない「遊び」が持っている豊かさ、力強さ、奥深さ。

それを失ったら、生きる力も失われてしまう。




熱狂と没頭。

それがある人生は厚みとふくらみと深みがある。

それがある人生は味わい深い人生となる。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






私の大好きな言葉に、

中島らもさんの名言

「恋愛は日常に対して垂直に立っている」

があります。





  「恋愛は日常に対して垂直に立っている。


  その一瞬が永遠をはらんでいる。

  その一瞬は、通常の時間軸に対して垂直に屹立していて、

  その無限の広がりの中に、

  この世とは別の宇宙がまたひとつ存在しているのだ。」


            『恋は底ぢから』中島らも著 集英社文庫P70より






物語や絵本や 遊びに熱中している時間も

日常に対して垂直に立っているといえるのではないだろうか。


だからこそ、

そういう時間が多い人生は ふくらみや厚みや深みがある。

豊かなのだ。




心電図の針の軌跡の、上下に振れる幅が広いように。

上下の振幅の幅が狭いのは、生きる力が弱い状態を表している。

無感動で平坦な日常。

潤いのない茫漠とした状態。

生きたまま死んでいるかのような。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





「めっきらもっきらどおんどん」と

「かいじゅうたちのいるところ」の二冊の絵本を手に取ろう。

その二冊が ページ一杯に発する熱狂と夢中の波動に共鳴しよう。


大声で朗唱してみよう。

理性なんて一瞬忘れて、その世界を全身で味わってみよう。

散文の日常に対して垂直に立つ、詩のような時間を登場人物たちと共有しよう。

その一瞬に永遠を見よう。



それから、大切な人たちが暮らす、この愛しい日常に帰ってこよう。



多少 退屈かもしれないし

詩のキラメキや 爆発性はないかもしれないけれども、

散文の安心感と安定感のある、この日常生活に。







      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






『めっきらもっきらどおんどん』長谷川摂子 文、降矢奈々 絵、福音館書店
                    (読んであげるなら4歳くらいから)


『かいじゅうたちのいるところ』モーリス・センダック、富山房
                   (読んであげるなら4歳くらいから)


参考図書:『恋は底ぢから』中島らも著 集英社文庫



魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
という今はもう廃刊にしてしまったメルマガに掲載していた記事を
収録しております。
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魂に効く絵本「ナヌークの贈り物」

■日付

2005年7月25日(月)


■タイトル

魂に効く絵本「ナヌークの贈り物」


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.7.25 第8号

夏真っ只中ですね!

北海道はそうでもないですが、他の地域はさぞかし暑いんでしょうね。

季節柄、目に涼しげな絵本を選んで見ました。



   ☆「大自然の中、いのちはめぐりつづける」

             がテーマの 絵本 ご紹介



    ・『ナヌークの贈り物』星野道夫 写真/文 小学館
                    (小学校中学年くらいから)


    ・『いわしくん』菅原たくや 文化出版局
                   (読んであげるなら4歳から)

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 ● 『ナヌークの贈り物』

  星野道夫 写真/文 小学館

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     〜〜あらすじ〜〜


ある吹雪の夜、北米原住民の少年は、
ナヌーク(ホッキョクグマ)の精霊に語りかけられる・・・



「人間はクジラに向かってもりを投げ、

クジラはサケを飲み込み、

サケはニシンを飲み込む。

 −−−−生まれかわっていく、いのちたち。」




「おまえのおじいさんの最期の息を受け取った風が、

生まれたばかりのオオカミに、最初の息をあたえたのだ。

 −−−−生まれかわっていく、いのちたち。」




「少年よ、消えていく命のために祈るのだ。

お前のおじいさんが、祈っていたように。

おまえのその祈りこそが、私たちに聞こえる人間の言葉なのだ。」




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



クマに魅入られ、クマを追い続けた写真家、

星野道夫さんの写真絵本。



私たち人間だけが

愛情や友情などの高等な心理機能を持って生きているのではない。



動物だって、家族がいて仲間がいて、

愛し合い慈しみあって生きている。

それが生き生きと伝わる写真たち。



家族と戯れるホッキョクグマ。

雪原で身を寄せ合って気持ちよさげにうたたねする彼ら。

相撲を取る二頭、それを遠巻きにするギャラリーたち。

乳をまさぐる我が子を目を細めて抱くホッキョクグマ。

母親グマのあとを一心に追う二頭のきょうだい。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




私たちは大いなる命の流れに浮かぶうたかたに過ぎない。

かつ消えかつ結び を永遠に繰り返す・・・


そして、私たち人間だけがその流れに浮かんでいるわけではない。


TVの中でライオンがシマウマに飛び掛かって
血まみれになって食べてるのも、

庭先でアリがチョウチョの死体を運んでいるのも、

私たちがスーパーで
パック入りの薄切り肉を買ってきて食べるのも、

全部一緒。



私たちは命を食べて生かされている。

私たちが食べるマックのハンバーガーも

宅配のピザも、

ついこないだまで息づいていた命だった。

生き生きしたつぶらな瞳をして、
触れると体温と鼓動が伝わってくる、そんな存在だったのだ。



私たちは生き物の命をいただいて食べている。

そして、私たちだって、
いつか世界の構成要素として大地に帰っていくだろう。

灰になり

微生物に分解され

大地に帰り

そうして永遠に循環していくだろう。



私たちは他者の命を食べて生かされている。


「いただきます」に込められた意味の深さを思おう。

「いのちを、いただきます」という敬虔な感謝の祈りなのだ




『ナヌークの贈り物』星野道夫 写真/文 小学館





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





そしてぜひ、読み聞かせにこの絵本を選ばれるときは、



   『いわしくん』菅原たくや 文化出版局



とセットにして読んでもらいたい。


<あらすじ>

日本の海で泳いでいた「いわし」くんは船につかまった。

スーパーで売られ、買われて、食べられた。



最後のページで、いわしくんが泳いでいる。

いわしくんを食べた男の子の身体に宿って。



楽しげに。生き生きと。目を輝かせて。

そこには食べられてしまった無念など、みじんもない(笑)。

あるのは、はじけるような「生の歓び」だけだ。

肉体に取り入れられたことで再び泳げることへの感謝と、悦び。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





私たちは、生かされている。

大いなる自然の中で、他者の生命をいただき、

取りいれ、そのおかげさまで生かされている。




私たちの体の中には、太古の恐竜が息づき、

昨夜の夕食で食べたいわしくんが泳いでいる。

私たちもまた、大自然の一つの構成要素に過ぎない。


私たちが他者の命を取り入れて生きているように、

私たちが死んだら

そのいのちは 他の生き物に取り入れられ、

この地球上を姿を変えて生きていく。



私たちは、地球の上の大いなるいのちの流れに浮かぶ、

泡の一つにすぎない。


それは決してはかないことなどではない。

そこにあるのは、

母なる大地にしっかりと抱きとめられている安心感。



私たち いきとし生きるもの全て、

確かに悠久の命の流れの一部であり、

決して切り離された孤独な存在ではないのだ。




「いわしくん」
菅原たくや 作、文化出版局 
(読んであげるなら4歳くらいから)



魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
という今はもう廃刊にしてしまったメルマガに掲載していた記事を
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長新太さん追悼号【魂に効く絵本】

■日付

2005年6月30日(木)


■タイトル

長新太さん追悼号【魂に効く絵本】


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.7.1 第7号
 


長新太さんが亡くなりました。

ナンセンス絵本の巨匠でいらっしゃいました。

巨星墜つ、の感があります・・・




というわけで、長新太さん追悼号


   ☆「理屈抜きに 五感で楽しむ体験の 大切さ」

                 を語る絵本 ご紹介

    

    ・『キャベツくん』(五歳くらいから)

    ・ 私の お気に入り長新太作品     



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 ● 『キャベツくん』

  長 新太 文・絵  文研出版

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     〜〜あらすじ〜〜


 キャベツくんが あるいていくと

 ブタヤマさんに あいました。



 「おなかがすいて フラフラなんだ。

      キャベツ、おまえをたべる!」




 キャベツくんが

 「ぼくをたべると キャベツになるよ!」と

 いいました。



    「ブキャ!」



 ブタヤマさんは そらをみて、

 びっくりしてしまいました。

 はなが キャベツになっている ブタヤマさんが、

 そらにうかんでいます。




 キャベツくんが、

 「ぼくをたべると、こうなる」といいました。

 「じゃあ、へびが きみをたべたら、

             どうなるんだ?」


 「こうなる!」とキャベツくんはいいました。


    「ブキャ!」


 キャベツを 三玉 串刺しにした、

 おだんごみたいなへびが そらにうかんでいます。




 「じゃあ、タヌキがたべたら、どうなる?」


 「こうなる!」とキャベツくんはいいました。


     「ブキャ!」
 

 (さて、どんなものが空にうかんでいたでしょう^^?)




 「じゃあゴリラがたべたら?」


 「こうなる!」とキャベツくんはいいました。


      「ブキャ!」


  (さて、どんなものが空にうかんでいたでしょう^^?)

         ・

         ・
       
         ・



      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




“「こうなる!」とキャベツくんはいいました。”

この決まり文句が各ページの末尾。




そこで、次のページをめくると、一行目が




    「ブキャ!」





そして、大きく宙に浮かぶ、


身体の一部がキャベツになってしまった動物の、


バカバカしくも笑える ナンセンス戯画。




その、リズミカルな繰り返し。



“「こうなる!」とキャベツくんはいいました。”

の決まり文句に、「くるぞ くるぞ くるぞ」と

いやがうえにも盛り上がる期待(^^)



「やっぱりキタ〜ッ!」

期待を裏切らない、いや期待以上のバカバカしさの快さ。





理性や知性のスイッチを切り、


理屈ぬきに大笑いするためにある本。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






絵本は、子どもたちの純粋な喜びのために存在します。


文字や言葉や知識を教えるためにあるのではない。

喜びや笑いや感動のためにあるのです。

純粋なエンターテイメントのためにある。

幼い人たちが最初に出会う芸術作品なのです。




しつけや教育のためにあるのではない。

子どもに思想的なスローガンを訴える手段ではない。

生きる喜びをはぐくむ純粋な芸術なのです。




長新太さんの作品はどれもこれもナンセンスです。

頭をつかって理解できる範疇を大きく超えてしまっている。


そこが素敵です。

頭のスイッチを切って、五感で理屈ぬきに楽しむためにある絵本。

そのコンセプトが明確なのです。




知性、理性、知識、教養、分析、批判、論理的思考力

すべて確かにとても重要なものです。

でも、時に応じてスイッチを切ることができないと、

生きる力が邪魔されることがあります。

生きる力は身体に住んでいる非論理的なものなのです。



好き、ワクワク、愛、喜び、悲しみ、情熱、怒り、ハングリー精神、悔しさ、、、、


これらの「想い」こそが牽引力。

「こうでありたい!」という強い想い。

知性や論理的思考力は、

その「想い」を叶えるために働くサポーターに過ぎません。


その「想い」のために

次の一歩を右にとるのか左にとるのかを判断する。

その役目が知性や理性の役割です。

あくまでも二次的な存在。サポーター。



まず、「想い」ありき。

あちらの方へ一歩ずつでも近づいて行きたいのだという切望あっての人生。


まずはエンジンが、牽引力が働かなければ歩き出せない。

どこへ向かえばいいのかわからない。

駆り立てられるものがなくてどうして進めるだろう?

「想い」がなければ、自分が何がしたいのか分からない。

どんな人生を生きたいのかわからない。




まず、「想い」ありき。

「こうでありたい!」という切望。





「想い」に導かれる充実した人生のために

幼い人に 心がふるえ、喜ぶ経験を与えたい。

知性や理性を刺激する情報ではなく、

心や胸が喜ぶ情報を与えたい。



理屈を超えた五感への刺激。

まずは心の栄養、心の食べ物。

美しくて、純粋な生きる喜びを与えるものを。


人は、感動することによってしか変わらない。

人は、内側からしか変容しない。

人の天命を示す飛行石は、胸でしか光らないのです。




まずは「想い」あっての人間

まずは「想い」あっての人生。



まず、幼い人には、心がふるえ、喜ぶ経験を。

知性や理性を刺激する情報ではなく。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





理性や知性のスイッチを切り

純粋に五感で楽しむ体験をくれる名作。


『キャベツくん』
  長 新太 文・絵  文研出版
(読んであげるなら五歳くらいから)








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 ● 私の お気に入り長新太作品 ご紹介!

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☆『つ き よ』 教育画劇

三日月の輝く晩、
たぬきは人知れぬ山奥の湖で、
三日月がこっそりと
あんなことやこんなことをやっているのを見てしまいました!

たぬきはびっくりして、
思わず 
おなかをぎゅうっと両手でつかんでしまいました・・・





☆『おばけのいちにち』 偕成社

おばけって、いったいどんな一日をすごしているんでしょうか?

細長い勾玉みたいな形をして目鼻もない、
緑色一色のシュールなおばけ。

どんな歯ブラシ使ってるの? 
はいているパンツは? 
かぶっている帽子は?

訪ねてくる友達、ネコとのケンカの様子、などなど、
おばけの隠された日常が明らかに!





☆『つきよのかいじゅう』 佼成出版社

かいじゅうをカメラで撮影したい! 
人里離れた湖で、
かいじゅうが現われるのをひたすら待ち続けた
カメラマンの見たものは?!





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





長新太作品にハズレはありません。

静かで品のいいナンセンス。

シュールな中に穏やかな温かさのある笑い。

おおらかで広がりのある画風。



長新太作品の末尾の数行が、特に好きです。


◇『キャベツくん』の末尾

  「ブタヤマさんの よだれが
  かぜにのって、やわらかく
  ながれていきました。」


◇『つ き よ』の末尾

  「いけは もりのおくのほうに あるので、
  せかいいちの たんけんかだって
  みつからないと、ぼくはおもいます。」



◇『おばけのいちにち』の末尾

  「よるになった。
  おかのうえの おばけのいえ。

  しろいはなが さきはじめた。」





詩的な味わいのある 静かな余韻を残す終わり方・・・


シュールでナンセンスな絵本ですが、
無理にオチをつけようとはしていない。



ナンセンス絵本ならばお笑いで締めようとしたり、
または話が広がりすぎて
収集がつかなくなったりしそうなものですが。



この詩的で節度のある距離感が好ましい。

長新太作品の 魅力の秘密のひとつのように思います。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





子どもの本にメッセージは要らない。



いや、メッセージはこもっていてもいいかもしれない。

でも、意図はいらない。

教育はいらない。

説教もしつけも理屈もいらない。


そんな、私の絵本論を裏づけしてくれるかのような 

ナンセンスな 長新太作品の数々。



絵本に、メッセージも教育も主義主張も要らない。

ただ、面白く、夢中になれればいい。

ただ、心に響けばいい。





メッセージは汲み取るものだ。

読んだ子どもたちが各自、自分の手で汲み取るものだ。

与えられるものではない。

教え込まれるものではない。






ラピュタの飛行石は胸で光るのだ。

頭で、ではない。




まずは子どもたちに、心の栄養を与えよう。

理屈ぬきのワクワクと喜びと快さを与えよう。

それこそが生きる力をはぐくむだろう。

絵本は生きる喜びを育てる栄養だ。

心の食べ物だ。




 シュタイナー教育を紹介する『7歳までは夢の中』によると、
 7歳以前は心の栄養だけでよいそうです。

 頭の栄養を与えるにはまだ早すぎるとか。

 虫や自然についての科学絵本も、
 知識を教え込むためのものではなく、
 「自然の驚異」に目を見開かせる、
 「センスオブワンダー」だけで満ちたものを。




絵本は何かを教えるためのものではない。

絵本は何か主義主張を訴えるための手段ではない。

絵本は幼い人々が最初に出会う芸術作品なのだ。

まずは純粋な喜びと感動のために。

まずは純粋な楽しみのために。

まずは美しさを愛でるために。

まずは笑うために。

まずは面白がるために。

感動のあとに汲み取れるメッセージがある。

笑いとわくわくのあとにそっと残るメッセージがある。

そんなものであって欲しい。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




長新太さんは、

純粋な喜びと楽しみのための絵本を

たくさん世に送り出してくれた

空に大きく輝く星でした。



今は、あちらの世界で、

キャベツくんやブタヤマさんや、

たぬきやかいじゅうやおばけたち、長ワールドの住人たちと

心行くまで遊んでいらっしゃるのかもしれませんね。



たくさんの豊かな喜びを、

たくさんの子どもと大人たちに遺してくれて、

ありがとうございました。


ゆっくりと、お休みください。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




『つ き よ』 教育画劇
(読んであげるなら五歳くらいから)

『おばけのいちにち』 偕成社
(読んであげるなら五歳くらいから)

『つきよのかいじゅう』 佼成出版社
(読んであげるなら五歳くらいから)


長 新太 アマゾン全検索結果なんと376件!
どれもこれも名作です。
長新太作品にはずれなし。




参考図書

『七歳までは夢の中―親だからできる幼児期のシュタイナー教育』
松井 るり子 著、学陽書房

『センス・オブ・ワンダー』
レイチェル・L. カーソン 著、新潮社




廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
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魂に効く絵本『おおきなきがほしい』

■日付

2005年6月1日(水)


■タイトル

魂に効く絵本『おおきなきがほしい』


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.6.1 第6号
 


      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



もう初夏ですね。

青葉が目にまぶしい季節です。

木々の濃い緑陰が映える季節。


この季節にふさわしい絵本ということで、

「おおきな きが ほしい」を選んでみました(^^)




   ☆「大自然に抱きとめられながら
        一人で過ごす時間の大切さ」を語る絵本 ご紹介

    
    『おおきな きが ほしい』(5歳くらいから)

    『あな』(4歳くらいから)
    




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 ● 『おおきな きが ほしい』

  さとう さとる 作・ むらかみ つとむ 絵   偕成社

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     〜〜あらすじ〜〜

 おおきな おおきな 木が あると いいな。

 うーーーんと太くて、

 もちろん かおるひとりで手をまわしたくらいでは

 抱えられないような、そんな太い木。



 そのおおきな木にはしごをかけ、どんどん登っていくと、

 途中にかおるの家があるのです。

 そこには小さな台所もあり、ちいさなベッドもあります。

 「ぼく、ホットケーキなら、ひとりで できるんだ。」



 妹のかよちゃんも連れてきてあげようかな。

 そのためには吊り篭を付けて、

 ハンドルを回すだけで あがってこれるようにしてあげよう。



 その家からもっと上、木のこずえ近くには見晴台があるのです。


 見晴台の近くにはリスの巣穴があり、小鳥たちがいます。。。。


 見晴台からは遥か遠くまで見渡せます。

 「ぼく、とりに なった みたいだ」



 もうすぐ夏です。

 夏になると、高い木の上のかおるの部屋は、

 さぞかし涼しいことでしょう。


 秋になると・・・




    かおるの空想はどんどん広がるのでした。







 そしてつぎの日曜日、

 おとうさんとかおるは本当に木を植えました。

 まてばしい という、とても大きくなる木だそうです。





  ライプチヒ国際図書デザイン展銅賞受賞。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






自由な空想の翼にのって、自立を模索し始めた子どもの絵本。



おおきなおおきな木の上の、小さなかおるの小屋には、

大人は入れない。



でも、小さな妹なら連れてきてあげてもいい。

リスや小鳥になら木のウロを貸してあげてもいい。

妹、リス、小鳥・・・

病的な孤立ではない、同胞とのつながりを保った、あたたかな孤独。

弱いもの、小さいものへのいたわりも感じる。




おおきなおおきな木に育つ 苗を植えるということ。

それは、夢、希望の種をまくということ。


親が それにつきあってくれる喜び。


その苗は いつか大きく育つだろう。


  それは多分、自己。



  いずれ、時を経て 大きく育ち、

  人を受け入れ、共存し、高みから広々とした世界をながめる。



それは、自分のスペースを確立していく過程。

自己を確立していく過程。





この絵本で描かれるのは 個の崇高さ。

人はその内面世界を尊重されなければならない。


  子どもであろうと。


いや、これから自立していかねばならない 子どもだからこそ。




子どもの内面世界を尊重しよう。


子どもが庭の隅に植えた小さな種には、

それだけの 夢と希望とストーリーが 

こめられているかもしれないのだ。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






ひとりの場所の大切さ。

ひとりでいる時間の大切さ。

スペースの確保の意味。


それらを静かに描き出す名作絵本。




なぜ子どもは、

机の下や部屋の隅、ベッドの下や大きめの段ボール箱の中などに

すぐにもぐりこみたがるんだろう。



なぜ子どもは、

性差に関係なく、

「ここは**ちゃんのおうち。++ちゃんはお客さんね」などと

言いたがるんだろう。


なぜ子どもは、一定の年齢に達すると必ず秘密基地を作るのだろう。





その答えは、人が自分自身になっていく過程での


  自分の中に埋没する時間の必要さ

  自分をひとりで見つめなおす体験の重要さ 


の中にあるのではないだろうか。





子どもが一人で静かにすごす時間を大切にしてあげよう。

それは決して、子どもを一人ぼっちで放置する ということではない。


おとなの 温かな配慮と視線の中 見守られているという安心感のもとで、

存分に一人の世界に浸らせてあげるということ。



見守られてひとりでいるときに、意味深い変容が起こる。

見守られている、という大きな安心感のもとでこそ、

「ひとりでいることのできる能力」は育まれる。

ひとりでいる能力を身に付けて、

はじめて人はその人自身になることができる。




おとなだって ひとりになろう。




 あなたはひとりの時間を大切にしていますか?

 あなたは自分自身を大切にしていますか?

 あなたは自分の本質とつながってますか?



できれば、無機質な場所よりも、

母なる大自然のふところに抱かれ、

見守られているという実感が得られる場所を探してみよう。

その場所で、のびのびと自分自身になってみよう。



  おおきな木のそばで。

  海辺で。

  山の中で。

  滝の傍で。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





『おおきな きが ほしい』
さとう さとる 作・ むらかみ つとむ 絵   
偕成社(およそ5歳くらいから)





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






 ☆「大自然に抱きとめられながら
        一人で過ごす時間の大切さ」を語る絵本 
   もう一冊 ご紹介

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 ● 『あな』

  谷川 俊太郎 作・ 和田 誠 絵   福音館

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 にちようびの朝、なにもすることがなかったので、

 ひろしは あなをほりはじめた。

 おかあさんがきた。「なにやってるの?」

 ひろしはこたえた。「あな 掘ってるのさ」

 そういて あなをほりつづけた・・・

 ・・・

 おとうさんがきた。「なかなかいいあなができたな」

 ひろしはこたえた。「まあね」そうして あなにすわりつづけた。


 ・・・・

 あなの なかからみる そらは、

 いつもより もっとあおく もっとたかく おもえた。

 そのそらを いっぴきのちょうちょうが 

 ひらひらと よこぎっていった。


 ・・・・

 「これは ぼくの あなだ」 もういちどひろしはおもった。

 そうして ゆっくり あなを うめはじめた。


 (おわり)




     ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




ただ穴を掘り、その中にしばらく座り、そしてその穴を埋める。

それだけ。

それ以外になにも起こらない。

  なのに、1983年の発刊以来、20年以上のロングセラー。




読む人の胸を打つ真実が含まれているからこそだと思う。

読んでもらう 子どもの内面世界に響く 真理が含まれているからこそ。



  ひとりの場所の大切さ。

  ひとりでいる時間の大切さ。

  スペースの確保の意味。


それらを静かに描き出す名作絵本。



人が自分自身になっていく過程での

自分の中に埋没する時間の必要さ、

自分をひとりで見つめなおす体験の重要さ。



あなたも、

母なる大自然に見守られているという実感が得られる場所で、

のびのびと自分自身になってみよう。


  おおきな木のそばで。

  海辺で。

  山の中で。

  滝の傍で。


  大地にほった、深い穴の中で。

(これこそまさに、母なる大地のふところに抱かれて、

                 ってことですよね。)





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





村上春樹の言葉に、

「井戸を掘って掘って掘っていくと、

そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、

というコミットメント」
(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』p70)

というのを読んだことがあります。




「すべての大陸が海でつながっているように、

すべての人は感情でつながっている。」

(本田 健 講演会 での言葉)




表面的な違いをこえて 深く掘り下げていったとき、

私たちはメタスキル(感情)でつながれるのです。



そのためには、まず、存分に一人の世界に浸ること。

ひとりでいる能力を身に付けて、

はじめて 孤立からは無縁になれる。



ひとりでいる能力を身に付けて、

はじめて 

本来の自分自身として、

人と本当の意味でつながれるのではないでしょうか。


 逆説的ですが。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




『あな』
谷川 俊太郎 作・ 和田 誠 絵   
福音館
 * 読んであげるなら4歳くらいから

      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'


参考文献

『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』
エリーズ ボールディング (著), 松岡 享子 (翻訳)
こぐま社

『孤独であるためのレッスン』 NHKブックス
諸富 祥彦 (著) 日本放送出版協会

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 新潮文庫
河合 隼雄 (著), 村上 春樹 (著) 文庫 (1998/12) 新潮社

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
河合 隼雄 (著), 村上 春樹 (著) 単行本 (1996/12) 岩波書店



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【ときには甘えてもいいんだよ】魂に効く絵本

■日付

2005年4月19日(火)


■タイトル

【ときには甘えてもいいんだよ】魂に効く絵本


■本文
 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。


魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.4.19 第5号
 

      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



四月ですね。

新入園、新入学の季節です。


入学式、入園式での、
ちょっとおにいちゃんおねえちゃんになった自覚に
誇らしげに胸をそらすわが子の姿。

思わず鼻の奥がつんとした方も多いのではないでしょうか。


お子さんに限らず、
新年度からガラッと環境が変わり、
緊張した毎日を送っている方も多いことでしょう。


そんな皆さんにエールを送る絵本たち!




   ☆「そんなにがんばらなくてもいいんだよ、
            時には甘えてもいいんだよ」と

         優しく語り掛ける絵本 ご紹介

    
    『どんどこももんちゃん』(二歳くらいから)

    『ぼくがおっぱいをきらいなわけ』(四歳くらいから)
    




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 ● 『どんどこももんちゃん』

  とよた かずひこ 作・絵   童心社

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     〜〜あらすじ〜〜

  どんどこ どんどこ

     どんどこ どんどこ


  ももんちゃんが いそいでいます


  川を越え、

  急な坂をのぼり、


  時には 立ちはだかる熊を 投げ飛ばし(^^)


  時には ころび 

           



  それでも

  ももんちゃんは いそいでいます


  目に涙をいっぱいためて。



  どんどこ どんどこ

     どんどこ どんどこ




    どーーーーーーーーーん




  とうとう ももんちゃんは 目指すものに向けてダイブ!! 




  川を越え、山を越え、ももんちゃんが急いでいた先とは?




                  第7回日本絵本大賞受賞。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





川を越え、山を越え、涙をこらえて
ももんちゃんが目指していたのは


  お母さん!



最後のぺージで、すごい勢いで飛び込んできたももんちゃんを
全身で受け止める大きなお母さん。

その柔らかい笑顔。



そしてお母さんの腕の中の


ももんちゃんの


安心しきった笑顔。



大人でもほろりとする読後感。




幼い日、お母さんの腕に飛び込んだときの 


 あの安心感、

  あの温かさ。

   体感する 無条件の愛。


おとなにもその感覚を思い出させる絵本。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




人間は、直線上を移動するように成長するのではない。

年輪を描くように、同心円がふくらんでいくように成長するのです。

   


今日の朝ご飯をおぼえていられない老人でも
子ども時代の思い出は、昨日のことのように思い出す。


どれほど年輪を重ねても、中心にあるのは幼心であり童心なのです。


だからこそ、大人でも
お母さんに抱きとめられた時のことを思い出してほろりとできるのです。


年端のいかない子どもたちならばなおさらでしょう。



二歳くらいから喜ぶ

単純な絵本ですが、小学校低学年も大喜びします。



学年も上がったし がんばらなくては、と

慣れない環境で 気を張っている

小さいひとたちに 是非読んであげてください。


ももんちゃんと同化してハラハラしていた子どもたちは、

ラストシーンで

ホッと、体の奥がゆるむような安らぎを得ることでしょう。


そしてきっと、本を閉じたあとに

満面の笑みをあなたに向けてくることでしょう。



そこをすかさず、ぎゅっと抱きしめてあげてください。



 あなたは愛されている。

 私はいつでもあなたの帰りを待っている。

 あなたが泣きながら帰ってきたときに、抱きとめる用意がある。




たとえ無言のままでも、
それらの大切なメッセージがきっと伝わることでしょう。




待っててくれる人がいるから乗越えられる。

帰る場所があるからがんばれる。

抱きとめてもらえると信じられるから飛び込める。




 人とは そういうものなのです・・・ 






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





「どんどこももんちゃん」
とよた かずひこ 作・絵
童心社(およそ二歳から)

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4494001368/qid%3D1113905610/249-7239819-3785157
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 ☆「そんなにがんばらなくてもいいんだよ、
   時には甘えてもいいんだよ」と優しく語り掛ける絵本 
   もう一冊 ご紹介

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 ● 『ぼくがおっぱいを きらいなわけ』

  礒 みゆき 作・絵   ポプラ社

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  ぼくはおっぱいなんてきらいだ。


  おっぱいをのむなんて、 

  あかんぼうのすることだ。


  うしのおっぱいは、

  おなかかおっぱいか わからないから きらいだ。


  おとうさんのおっぱいは、

  けが はえてるから もっときらいだ。



そう強がるのは、下に赤ちゃんが生まれた男の子。

お母さんのおっぱいをまさぐる赤ちゃんを横目に、

「おっぱいなんてきらいだ」とうそぶく。


そんながんばりやさんの男の子も

おでこをぶつけると

涙をこらえて

そっとお母さんの部屋をのぞく。


お母さんは

「まあどうしたの」と優しく呼びよせ、

ぎゅっと抱っこしてくれる。



  おっぱいは、

  やわらかくて あったかくて いいにおい。

  だから・・・

  せっかく がまんしてたのに・・・




  わぁーーーーーーーーーん




  だから ぼくは、 おっぱいがきらいなんだ。




四歳くらいから喜ぶ単純な絵本ですが、おとなも大受け(^^)。

そして、最後にグッとくる絵本。


下に弟妹がいて、

自分だってまだまだ甘えたい年頃なのに 

日頃から我慢している 

けなげな おにいちゃんおねえちゃんたちに、

是非読んであげてほしい。



「おとうさんのおっぱいは毛がはえてる、だってーー!」

面白がって笑っていたお子さんも、

ラストシーンではしんみりくるものがあることでしょう。



そこをすかさず、ぎゅっと抱きしめてあげてください。




 あなたはあなたのままでいい。

 そんなに我慢しなくてもいい。

 そんなに背伸びしなくてもいい。

 あなたはあなたのままで価値がある。

 あなたが泣きたいときに、私はいつでも抱きとめる用意がある。




たとえ無言のままでも、
それらの大切なメッセージがきっと伝わることでしょう。




待っててくれる人がいると 乗越えられる。

帰る場所があるから がんばれる。

抱きとめてもらえると信じられると 飛び込める。



 人とは そういうものなのです・・・ 




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




『ぼくがおっぱいを きらいなわけ』
礒 みゆき 作・絵
ポプラ社
 * 読んであげるなら4歳くらいから

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4591069737/qid%3D1113907821/249-7239819-3785157
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      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




おとなだって、泣きたいとき、甘えたいとき、ありますよね。


ときどき、イメージの中で、

自分自身をギュッとハグしてあげてくださいね。


弱い自分、至らない自分、醜い自分・・・


普段、切り捨てたり無視したり責め立てたりしてしまう

みっともない小さな自分を

イメージの中で、ぎゅっと 抱きしめてあげてください。



そして


 あなたはあなたのままでいい。

 そんなに我慢しなくてもいい。

 そんなに背伸びしなくてもいい。

 そんなにがんばらなくてもいい。

 あなたはあなたのままで価値がある。

 あなたがたとえ

 どんなに弱くて欠点だらけでも

 私はあなたを受け入れ、抱きしめる。



と、語りかけてあげてください。



 待っててくれる人がいるから乗越えられる。

 帰る場所があるからがんばれる。

 抱きとめてもらえると信じられるから飛び込める。



次の日から、またがんばる気力がわいてくることでしょう。




廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
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『秘密の花園』と『トムは真夜中の庭で』

■日付

2005年3月19日(土)


■タイトル

『秘密の花園』と『トムは真夜中の庭で』


■本文

前号で予告していたとおり、
“庭もの”古典的名作児童文学をご紹介いたします。
(絵本ではありません。ご了承ください。)

    『秘密の花園』(小学校高学年以上)
    『トムは真夜中の庭で』(小学校高学年以上)


                      メルマガ「魂に効く絵本」号外より

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● 『秘密の花園』
 フランシス・ホジソン バーネット 作   岩波少年文庫

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まずは 庭の再生=魂の再生として描いた古典的名作
『秘密の花園』をご紹介いたします。

ご存知、『小公女』『小公子』の作者でもあるバーネット女史の作品。

庭仕事の喜びが細やかにイキイキと描写され、
園芸好き、ガーデニング好きにもおすすめ。




    〜〜あらすじ〜〜


インド駐在中のイギリス貴族の娘として生まれたメアリーは、
子どもなんてちっとも欲しくなかったキレイなお母さんにうとまれ、
遠ざけられて、召使に育てられます。

ある日、はやり病で両親も乳母も一度に喪い、
遠くイギリス本国の、
会ったことも無い親戚のうちに送られることになるメアリー。

今まで愛されたことのない少女はすっかり心を閉ざしており、
両親が死んでしまったことも悲しまず、
送られる先にも関心を示しません。

しかめっつらをして
「自分には関係がない」という頑なな態度を取り続けます。




そんな少女の心を優しくほぐすのは、イギリスのムーアの大自然。


  小首をかしげて自分の後をついてくるコマドリ。

  春の訪れ。

  戸外に満ちる 肥えた土の 湿っぽいにおい。

  ムーアのことならなんでも知っていて、
  どんな野生動物も手なづけてしまう
  村の自然児ディッコンとの交流。



ある日、メアリーはコマドリの導きで、
10年間封印されていた秘密の庭の入り口と、
その入り口の鍵をみつけました。


灰色のつるがすべてのものにからみ、
物音ひとつせず、まるで死んでいるかのような庭・・・



ディッコンの助けを借りつつ、メアリーは、
やはり両親の愛を知らない車椅子の少年コリンと共に、
その荒れ果た庭の再生に取り組みます。


  土を掘り、

  花の種をまき、

  苗を植え、

  雑草を抜き、

  バラの茂みの枝を払い・・・


誰の目からも隠されて、
荒れ果てるままに放置されていた庭が
見事な花園に再生したとき、奇跡は起こります・・・






      ':・:*:. ☆ .:*:・:'






固く閉ざされて荒れ果てていた秘密の庭。


「ネグレクト」という虐待の被害児であり、
心を固く閉ざして何もかもを憎んでいたメアリー。

誕生と同時に母を亡くし、父からはかえりみられず、
体が弱く歩くこともできず、
ひとりぼっちで暗いお屋敷の一室に閉じこもって
全てに絶望して泣いていたコリン。



秘密の庭が この二人の魂の象徴であることは
議論の余地がないだろう。




その庭が、見事な花園に再生する。

       奇跡は起こったのだ・・・




いつだって、取り返しがつかない ということは、ないのだ。




  どれほど理不尽な境遇に苦しめられても

  もう二度と笑えないような気がしても

  どれほど損なわれても

  どれほど傷ついても


  人は立ち直る。



  春の来ない冬はない。

  生き続けている限り、いつでもよみがえるチャンスはある。

  いつでも、取り返せる。





植物が、水と光さえあれば
よみがえり、再生し、イキイキと生い茂ることができるように。

まるで 長い間投げ捨てられ荒れ果てていた庭でも
春が来れば 緑が萌えだすように。

愛情深く思慮深い人の手が加われば、
もう一度見事な庭園として
たくさんの花々を咲き誇らせることができるように。




人の心、魂は、常に成長しようとしている。
粘り強い復元力がある。



植物は、水と光さえあれば、常に天に向かって伸びていこうとする。


人の心、魂は、

どんな悲惨な状態からでも

傷を癒して

常に明るい方向を目指して成長しようとする。

誰かの温かい眼差しと支えさえあれば。




それは必ずしも肉親でなくていい。



温かい目で見つめてくれ、
ほんの少しの応援の手を差し伸べてくれる人。



貧しいディッコンのおっかさんが、
メアリーのために二ペンスで縄跳びを買って渡してくれたように。




貴族の娘メアリーは
自分のおこずかいで 何十本でも縄跳びを買えただろう。

でも、その心遣い、気遣い、思いやりこそが
メアリーには必要だったのだ。

わずか二ペンスの一本の縄跳びの紐。

それが、愛情深く思慮深い人の手で差し出された、
ということこそが重要なことだったのだ。

自分のことを気に掛けてくれていて、
心を込めたストロークをくれる存在がいる、という実感。




長い間投げ捨てられ荒れ果てていた庭でも
春の訪れと共に
愛情深く思慮深い人の手が加われば、
もう一度見事な庭園としてよみがえる。





  温かい周囲の大人たちの眼差しと 

  大自然の恵みが引き起こした、

  傷ついた魂の 再生と成長の奇跡を 

  格調高く描き出した感動の名作。





秘密の花園 (上) 岩波少年文庫 (2028)

秘密の花園 (下) 岩波少年文庫 (2029)

フランシス・ホジソン バーネット 作、  吉田 勝江 訳
小学校高学年以上向け




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




☆『トムは真夜中の庭で』

弟のハシカをうつされないよう、
都会の親戚のアパートに預けられたトム。

子どものいない叔父さん夫婦との
庭もない狭いアパートでの毎日は、退屈で孤独なものだった。




毎日部屋の中で

「誰か遊ぶ相手はいないかなあ」

「どこか遊べる場所はないかなあ」

と切望する毎日。




その切なる願いが時空を超え、
二つの孤独な子どもの魂が、毎夜、触れ合う。


現実のこの世界にはもう存在しない、まぼろしの、庭で。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





子ども時代の豊かな思い出は、心の中で庭になる。



 憩いの場所。

 イキイキした感情の生まれる場所。

 生命力や活力のみなもと。

 潤いの沸き出でる泉。



大人になっても、老人になっても、

人はいつでも自分の奥底の“庭”へ帰ることができる。

アクセスできる。




そしてその“庭”の中でなら、
人と人は、年齢も性別も超えて、真に触れ合える。



魂が触れ合うのだ。






子どもはなぜ大切にされるべきなのか。

それは、子ども時代を豊かに幸福に過ごせば
豊かな“庭”を内面に持つことができるからだ。


豊かな“庭”を持つことは、人にとって、一生の財産になる。

これ以上ないほどの財産に。

“庭”が豊かな人ほど、
豊かで味わい深い人生を送ることが出来るのだ。



伸び伸びした子ども時代を過ごすことと、
魂の豊かさとの関連を静かに浮かび上がらせた傑作。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






しかし子ども時代が殺伐とした苦しいものであったとしても、
豊かな庭を内面に持つことは可能なのだ。


運命の過酷な仕打ちにもめげず、
自分の中の内なる王国、内なる庭園を守り通した少女の魂との、
時空を超えた出会いを描いたのが『トムは真夜中の庭で』。


ひどく傷つけられ、損なわれた子どもたちの
魂の再生を描いたのが『秘密の花園』。


淡々と生きてきた大人が、
無味乾燥な庭に潤いと華やぎを取り返す過程を描いたのが
『ルラルさんのにわ』。




魂の復元力に敬意を。

大自然の生命力に全幅の信頼を。



いつどんなときも、もうだめということはないのだ。


どれほど理不尽な境遇に苦しめられても

もう二度と笑えないような気がしても

どれほど損なわれても

どれほど傷ついても

人は立ち直る。

春の来ない冬はない。

明けない夜はない。


人の心、魂は、常に成長しようとしている。

粘り強い復元力がある。



植物が、水と光さえあれば、
不毛の地と見えていた場所から芽を吹き、天を目指すように。

人の心、魂も、
誰かの温かい眼差しと支えがあれば、
高みを目指して成長することができるのだ。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






トムは真夜中の庭で 岩波少年文庫 (041)
フィリパ・ピアス 作   高杉 一郎 訳
小学校高学年以上向け





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

魂に効く絵本 --人は自分の中に豊かな庭を持っている--

2005年3月18日(金)


■タイトル

魂に効く絵本 --人は自分の中に豊かな庭を持っている--


■本文

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。





      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




もう春ですね(^^)




春といえば、再生を目の当たりに出来る季節です。





一面の枯れ草の間から、小さな緑の芽が萌えいずる季節。


まるで枯れ木のようだった木々の枝の
固い小さな冬芽がふくらみ、
柔らかな新芽をのぞかせる季節。


一面のモノトーンの景色が、
毎日毎日彩りと活力を取り戻していく季節。




春の来ない冬はありません。




どんなに厳しく長い冬も、必ず終わりを告げ、


緑は豊かに再生し、

      生い茂り、

         花は咲き乱れ、

              生を謳歌します。








まるで人の心のようだ、と思います。

どれほどひどく損なわれたように見えても、
人は必ず立ち直ることができる。

もう一度立ち上がり、歩き出すことができる。

以前より、一層力強くなっていることさえある。

厳しい状況を 人は必ず乗越えてもう一度立ち上がり、
より豊かに力強く、歩き始める。




その連想ゆえか、
人の心や魂を“庭”に例えた絵本や児童文学は多いですよね。

大自然に包含されながらも、個人に属する“小自然”。



周囲の他の人の庭との境界が明確で、
個々人の個性や好みによって千差万別の顔を持つ

“小自然”、“小宇宙”。




それが“庭”。




そこで、今号では
“庭”を魂や心の象徴として扱った作品をご紹介いたします。




『ルラルさんのにわ』(読んであげるなら三歳くらいから)
(HP内に載せていた書評を大幅に加筆・修正いたしました。
前に読まれたことがある方も楽しめる内容になっております。)



テーマは


 「人は誰でも、自分の中に豊かな庭を持っている。」




   ☆“庭もの”古典的名作児童文学 ご紹介
    (絵本ではありません。ご了承ください。)

    『秘密の花園』(小学校高学年以上)
    『トムは真夜中の庭で』(小学校高学年以上)
    




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● 『ルラルさんのにわ』

 いとう ひろし 作・絵   ポプラ社

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     〜〜あらすじ〜〜



ルラルさんは毎日庭の手入れをします。

ルラルさん自慢の大切な庭なんです。

だれも庭に入ることを許しません。



ところが、ある朝、その庭に大きな丸太が
ころがっていました。

腹を立てたルラルさんが蹴飛ばそうとすると、
なんと、丸太ではなく、大きなワニだったのです。



ワニはルラルさんを手招きし、
「気持ちいいぜ。寝そべってみなよ」といいます。



逆らうのが怖くて仕方なく言うことを聞いたルラルさんは、
初めて自分の大切な庭を身体で感じたのです。

ちくちくと肌に刺さる芝生の気持ちいいこと・・・。



そして・・・。




第13回絵本にっぽん大賞受賞。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






可愛らしい動物たちがたくさん出てくる、
のほほんとした癒し系の絵柄。

でもその可愛らしさにだまされてはいけない。
この絵本は、佐野洋子の「おじさんのかさ」に並ぶ、
不安を乗越えて心を開くことの大切さと
それに伴う魂の変容を描いた名作なのだ。



秩序を乱されることを恐れ、
他者に向かって心を開くということをしなかった一人の男性に、

否応なく訪れた危機、混乱。


その中で 自分の“庭”、
つまり自分の心、魂を五感で感じることを強要される。


その中に踏み入り、身を投げ出し存在をゆだねることを強いられる。




今まで管理の対象だった“庭”。

混乱や変化を引き起こしそうなものを追い払い、
乱されないことを最優先してきた“庭”。



整然とコントロールすることしか考えたことがなかった。


その存在を楽しみ、その中に踏み入って遊ぶことなど、
したことがなかった。


身を投げ出し、五感でその感覚を味わうなど、
したことがなかった。





しかし、やってみると



   パジャマをとおして ちくちく ちくちく。

   にわのしばふが おなかをさします。

   その きもちのいいこと きもちのいいこと。

   おもわず うっとりしてしまいます。








男はこの経験をきっかけに、
秩序を乱す多様な存在を受け入れ、
その混沌を楽しみ、
ともに“今、この瞬間”を味わうような生き方へと方向転換する。



最後のページでは、
今まで容赦なく追い払ってきていた種々雑多な動物たちと、
仲良く一緒に芝生の庭で寝転ぶルラルさんの姿。





動物たちとルラルさんの、とても楽しそうな無邪気な笑顔。




その、豊かさ。豊饒。





混沌は時に、豊かさ、生き生き感、
温かい他者とのつながりを運んできてくれるのだ・・・。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




これは「恋」の話としても読める作品だ。



否応なく他者から揺さぶられる。

   それが‘呑み込むもの’の象徴、
   大きな口のワニだったことも象徴的。


  ‘呑み込むもの’と言えば女性原理。



自分にはどうしようもない。恋に落ちてしまったのだ。


そして、初めて心を開いて内面に他者を受け入れる違和感、不安。

しかしそれはどれほど刺激的で、喜びを伴う経験であることか。



心を開いて他人を受け入れる不安と、
それを乗り越えなければ得られないものがあることを、
幼い人たちに教えてくれる本。







大人も、これを読んで、恋のトキメキを想いだそう(^^)




時はまさに春。固く閉じていた心の鎧を脱いで、


自分の心、魂を五感で感じきろう。


自身の奥深くに踏み入り、身を投げ出し存在をゆだねよう。





しなやかにそして敏感に生きる喜びを味わおう。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





「ルラルさんのにわ」
いとう ひろし 作・絵
ポプラ社(読んであげるならおよそ三歳から)







      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



   ☆“庭もの”古典的名作児童文学 ご紹介
     (絵本ではありません。ご了承ください。)

    『秘密の花園』(小学校高学年以上)
    『トムは真夜中の庭で』(小学校高学年以上)
    

 長くなりましたので、この二つのご紹介は
 号外という形でお届けしますね。

 明日の配送予約を入れておきます。

 私が書くとどうしても長くなってしまって・・・

 長いメルマガがお嫌いな方、ごめんなさいね〜(泣)


 長いだけでなく、「毎月15日発行」という発行予定日が守れなくて・・・

 ちょっと自分が恥ずかしいです(^^;

 こんな私ですが、よろしければもう少しお付き合い願えれば幸いです☆




廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

魂に効く絵本 --人はひとりで生きているのではない--

■日付

2005年2月16日(水)


■タイトル

魂に効く絵本 --人はひとりで生きているのではない--


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜

  #  2005.2.15  # 第3号

 
==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*=

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。


     まるで恋のように。


      ':・:*:. ☆ .:*:・:'


今年の冬は雪が多いですね。

私の住む北海道の片田舎の山村では、積雪が2m近いです。
観測史上初の積雪量だと聞きました。

毎日毎日、除雪車が大活躍です。
雪の厚い毛布をかき分けて、
社会の動脈、生活道路を確保してくれます。

そこで、今号では
『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』を
ご紹介いたします。


テーマは

 「人は一人で生きているのではない

 〜はたらくということ、社会の中で役割を果たすということ〜」



   ☆もし読み聞かせに使うならば組み合わせたい本
    『もぐらとずぼん』



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● 『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』

 バージニア・リー・バートン  福音館書店

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     〜〜あらすじ〜〜

ケイティーはキャタピラのついている、赤い立派なトラクターです。
とても強くて大きくて、色々な仕事ができました。

夏の間はブルドーザーを付けて道を直し、
冬になると除雪機を付けて雪をかきのけました。

ある日のこと、
ケイティーの住むジェオポリスの町に、大雪が降ります。

ジェオポリスは 一日にして
真っ白い 雪の毛布の下に すっぽりと隠れてしまいました。


ケイティーの仕事仲間、小型の雪かきトラックたちは全て立ち往生。


 町中で動くことができるのは


     ケイティー ただひとりだけ。


ゆっくり、じっくり、ケイティーが雪をかいていくと、
 あちこちから「頼みます!」の声がかかります。

警察署、郵便局、電話局、電力会社、お医者さん、消防署・・・

   「頼みます! 町を守らなければなりません。

          私たちが出歩けるようにしてください!」


ケイティーは応えます。

    「よろしい。私についていらっしゃい。」
 

      ':・:*:. ☆ .:*:・:'


 「けいてぃーは、はたらくのが すきでした。
  むずかしい ちからのいる しごとが、あればあるほど、
  けいてぃーは よろこびました。」


ケイティーは 誇りをもって 自分の使命を果たしている。
道路を確保する、という使命。
ライフラインの確保。
ライフラインが切れてしまうと、
他のみんなが自分の使命をはたせない。
自分の役割を、義務を、責任を果たせない。

 おまわりさんは町を守りたい。

 郵便屋さんは郵便を届けたい。

 電話局と電力会社の人は倒れた電柱を直したい。

 お医者さんは患者を病院に運びたい。

 消防署員は火事を消したい。


 みんな 使命を、義務と責任を、果たしたい。


そして、文中には触れられていないが
細かく隅々まで描き込まれた挿絵の中で、
ケイティーが 除雪し 通れるようにした道路を使って、
さまざまな役割を果たして社会を守る人たちが描かれている。

    パン屋さんがパンを届け、

    牛乳屋さんが牛乳を配達し、

    ゴミ収集車がゴミを集めている。

大雪の中、除雪を待ってただちに働き出した彼らのおかげで、

 お腹を空かせた誰かがパンを受け取れている。

 泣いている赤ちゃんのもとへミルクが届く。

 ゴミは適切に排せつされる。


そして、先頭に立って力強く雪をかきのけるケイティーの
後ろに続く車の列の中に

 石油を運ぶタンクローリーの姿があり、

 たくさんの乗客を乗せたバスの姿がある。


この絵本は、
ライフラインである道路の確保に奮闘するケイティを
主人公にすえることで、

社会の 支えあいのシステムを浮かび上がらせることに 成功している。


道路は町の血管だ。

道路を通って必要なものが運びこまれ、不要なものが運び出される。

有機生命体としての町が維持される。

道路によって人はつながり、助け合い、支えあっている。


社会の中で、誇りをもって 自らの義務と責任と使命を果たすことで

 人は 支えあい、助け合って、 そして 生かされている。



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



助け合うこと。
自分の得意分野で能力を生かして、喜びを生み出し、
感謝を受け取る。喜びと感謝を循環させる。
有機生命体としての社会全体を 生き生きと活性化させる。

おまわりさんは町を守ることで。

郵便屋さんは郵便を届けることで。

電話局と電力会社。

お医者さん。

消防署員。

パン屋さん、牛乳屋さん、ゴミ収集係。

タンクローリーの運転手、バスの運転手。


みんな、自分の本分を果たすことで、

          人の役に立ち、喜ばれ感謝されている。



それが働くということ、それが仕事をするということ。
有機生命体としての町を維持すること。
つながり、助け合い、支えあい、生かしあうこと。


      ':・:*:. ☆ .:*:・:'


 「けいてぃーは もう、すこし くたびれていました。
  けれども しごとを とちゅうで やめたりなんか、
  けっしてしません・・・

  やめるものですか。」


最後から二枚目のページでは、

ケイティーの活躍で 
やっとすべての道路網を雪の中から掘り出された
ジェオポリスの町の地図が 見開きいっぱいに描かれる。


最後のページで、ケイティは とうとう帰りつく。
道路管理部の中の自分の車庫へ。


 「こうしてけいてぃーは 
  だいじな しごとを ぜんぶ すませて、
  はじめて うちへ かえりました。」


文中ではさらりとこう書かれているだけだが、
絵の中では、大きく手を振って、
疲れ切ったケイティーを迎える人の姿が何人も描かれている。


帰りを待っていてくれる人、労をねぎらってくれる人が こんなにいる。


「よくやった、よくやり通した」
「もういい、よくがんばった、ゆっくり休め」

そんな温かい声が聞こえてくるような、最後のページ。


どれほどがんばったか、知っててくれる人がいる。
正当な評価をくれる人たちがいる。

自分の 得意分野で 能力を生かして 喜びを生み出し、

   正当に評価され、正当な対価を受け取る。

それが働くということ、それが仕事をするということ。


      ':・:*:. ☆ .:*:・:'


ケイティーは 自分の仕事を誇りに思っている。

果たすべき役割があることを、
   自分にしかできない仕事があることを知っている。

なんのために自分がそこにいるのか、よくわかっている。

そして、その価値を知って、評価し、ねぎらってくれる人たちがいる。

その人たちが待っていてくれる、帰る場所がある。



こんな幸せなことがあるだろうか。



 自分の 得意分野で 能力を生かして 喜びを生み出す。

 それぞれが 誇りを持って
   それぞれの役割、義務、責任を果たし、

 つながり、助け合い、支えあい、認められ、評価される。

 それが 働くということ、仕事をするということ、
 よく生きるということ。



よき社会人としての生き方モデルを、

幼い人たちに最初に見せてくれる名作絵本。

   * 「ケイティー」は女性なんです。
     そのことも素敵ですよね♪


『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』
 作・絵: バージニア・リー・バートン
訳: 石井 桃子
出版社: 福音館書店
 * 読んであげるなら4歳くらいから


      ':・:*:. ☆ .:*:・:'


 ☆もし読み聞かせに使うならば組み合わせたい本
  『もぐらとずぼん』

もぐらくんはポケット付のスボンが欲しくなりました。
ズボンを手に入れるにはどうしたらいい? 
もぐらくんはまずアマという植物を育てるところから始めます。
アマから繊維を取り、機織り機で布を織り、
色々な動物たちに裁断や裁縫を手伝ってもらい・・・

1つのズボンを作るということが、どれほど大変なことなのか。
どれほどたくさんの手間と工程が必要なのか。

    
人は一人で生きているのではない。
衣食住の全てが、たくさんの人の手を経て
手間をかけられて、私たちの手に届く。

そしてもちろん、すべて大自然の恵みあってのこと、もの。


「人は一人で生きているのではない」
もぐらくんという等身大の主人公を介し、
“ポケットのついたズボン”という身近な素材を通して、
子どもたちが そのことを実感できる絵本。


泥にまみれて田植えしたことがなく、
汗水たらして稲刈りもしたことのない自分が
毎日 お米を食べられているということは どういうことなのか。

自分が着ている温かい服は誰がどうやって作ってくれたものなのか。

それを着ていられるということはどういうことなのか。



忘れがちですよね・・・



大人も謙虚な気持ちになれます。


『もぐらとずぼん』
作: エドアルド・ペチシカ
絵: ズデネック・ミレル
訳: 内田 莉莎子
出版社: 福音館書店
  
 * 読んであげるなら4歳くらいから



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平穏に暮らすことの尊さを考える

■日付

2005年1月17日(月)


■タイトル

魂に効く絵本 --平穏に暮らすことの尊さを考える --


■本文

メルマガ、”魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜”
記念すべき第二号のテーマは、時節柄、
「平穏に暮らすことの尊さを考える 〜一瞬一瞬を大切に〜」
にしたいと思います。


なぜ時節柄かというと、

1月17日はあの阪神淡路大震災から10年目の記念日だから。


そしてもちろん、スマトラ沖地震の記憶もまだ生々しいから。



取り上げようと思っている絵本は、

『せかいいち うつくしい ぼくの村』

 ☆もし読み聞かせに使うならば組み合わせたい本
『わたしのせいじゃない --せきにんについて-- 』

ご紹介いたします。


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● 『せかいいち うつくしい ぼくの村』

 小林 豊、ポプラ社

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     〜〜あらすじ〜〜


 アフガニスタンの小さな村、パグマン村は、
 おいしいくだものがなる自然豊かな美しい村です。

 パグマン村に住む小さい男の子、ヤモは
 生まれて初めて、
 まちの市でさくらんぼを売ることになりました。

 戦争に行っているお兄さんの代わりに、
 お父さんのお手伝いをするのです。

 不安でしょうがないヤモですが、
 なんとかさくらんぼもスモモも全部売れました。

 お父さんは「この子のおかげ」と言ってくれました。

 帰り、お父さんはそのお金を全部使って、
 真っ白い子羊を一匹買い求めました。


 ヤモはその子羊が嬉しく誇らしくてなりません。



 村の人がみんな羊を見ているよ! 

 早く兄さんにもこの羊を見せたいな!


   この としの ふゆ、

   村は せんそうで はかいされ、

   いまは もう ありません。(p39より)



 作者が実際に訪れたアフガニスタンの村をモデルにしたお話。


  その村で、わたしは、ヤモのような小さい子どもたち、
  おとうさんのような誠実なひとたちと知り合い、
  友だちになりました。

  けれども村は、
  そののち、パグマン村とおなじように爆撃をうけ、
  破壊されました。

  なつかしいひとびとが、いまどこにるのかはわかりません。

                (作者によるあとがきより)



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



全39ページ中、38ページまでが、
ヤモの目から見た、穏やかで美しいある初夏の日が描かれる。

生まれて初めての町の市で、
おとうさんとは二手に分かれ、
ロバのポンパーだけを相棒に
ひとりでさくらんぼを売るという小さな試練。

そしてそれを無事乗越え、
お父さんからも認められ、
その売り上げで
家族にとって初めての羊も手に入れることができた。


小さな男の子が、

両親に温かく見守られながら小さな試練に挑み、

少し成長する、ささやかな日常の一ページ。



アフガニスタン版「はじめてのおつかい」だ。



38ページめ、無事家に帰り着いたヤモは、
子羊に、”春”という意味の「バハール」という名前をつける。

兄さんも春には戦争から帰ってくることになっている。

まさに春は未来への希望の象徴なのだ。




  そして最後のページ。




  不吉な黄土色一色に塗りつぶされたページに、


   ただ



   この としの ふゆ、

   村は せんそうで はかいされ、

   いまは もう ありません。



 この文字がならぶ。




      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




 コ・ピーピーの何もかもが気に入って、私達は何日もそこに滞在した。
 毎日が幸せで、楽しくて、癒された。
 リゾートってこういう事を言うんだと思った。
 天国みたいな場所って、こんな場所の事を言うんだなと思った。
 私はそれまで、知らなかった。
 これを知れて本当に良かったと思った。
 日本でいる友達にも、こんなリゾートを味合わせてあげたいと思った。
 必ずもう一度来ようと思った。


 で、それらはいったいどうなっちゃったんだろう。
 あの大きな津波は、あれを全部どうしちゃったんだろう。
 ピーピー島は二つのホテル以外は全て壊滅したとニュースで聞いた。


   じゃあ、あのバンガローは?

   その下でいた鶏達は?

   鶏と遊んでいた子供たちは?

   美味しい米を炊くオーナーは?

   気のいい息子は、どうなったんだろう。

   あの流木にもたれかかって海を見ていた女の人は?

   あの手の中にいた赤ちゃんは?



   楽天日記
『ひーよん@脱出中の日記』2005年01月10日

                       より引用 

      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



 “赤ん坊を抱いて、ぬくぬくと布団にくるまって眠っていると、
  まるでそれが当たり前のことのように思えます。
  この幸せが、永遠に続くかのように思えます。
  でも、それはある日突然に覆されるものなのかもしれない。

  だからこそ一瞬は美しいし、尊い。
  だからこそ一日一日を大切にしなければならないんだって。”


 あの日、亡くなったたくさんの人に代わって、
 ほんの神様の気まぐれで運良く残された私たちが、精一杯生きること。


 それが先立った方々に対して、私たちができる唯一のこと。


 大自然の災害を前に、人間には何も為す術がありません。


 でもそこに何かのメッセージを感じ、
 気づきを得ることができれば、

 悲劇にもまた大きな意味が生まれるのではないでしょうか。


   だから私は、ずっと震災を忘れないでいたい。

   だから私は、いまの幸せに感謝しつづけたい。

   だから私は、いつも子どもたちを愛していたい。

   だから私は、一瞬を無駄にしないようにしたい。

   それをこれからの人生の、大きな宿題にしたいと思います。


 メルマガ『ママがハッピ〜なら、子どももハッピ〜
タオとアービーの実録!子育てコーチング』
   2005年01月09日
   -- タオ@神戸が、震災から10年経って思うこと。--
                       より抜粋

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      .:・:*:' ☆ ':*:・:.



本田健さんの小冊子、「きっと、よくなる!」に
死ぬときに一番後悔するのは、愛を引っ込めたことだ、
という言葉があった。


「愛を示せたのに、

 気恥ずかしさとか面倒くささで、

 愛を引っ込めたこと、

 それを私は一番悔やむでしょう」


本田健さん公式ホームページ参照 )


 一寸先が闇ならば、

   今この瞬間の光を大切に味わうしかない。


心を込めて 一瞬一瞬を 歩み続けること。

一歩ごとに味わい、感謝すること。



目の前の人を愛し、つながろうとすること。

受け入れようとすること。



それはきっと 世界平和へとつながっていくと 私は信じる。


天災は避けようがない。

でもその後、助け合えますように。


戦争は避けられるはず。

みんなが 愛を体現して 生きられますように。



「平穏な日常」に感謝すること。

生かされて、今日あることに感謝すること。

目の前に愛する人が居てくれることに感謝すること。

それは決して当然のことではないのだ。

奇跡として喜んで受け取るに値することのなのだ。



そして今、この地球上に、苦しんでいる人たちがいること。

そのことを、我がことのように思いやる 想像力。



  『せかいいち うつくしい ぼくの村』
   小林 豊、ポプラ社
   * 対象年齢:8歳くらいから



 ☆もし読み聞かせに使うならば組み合わせたい本

  『わたしのせいじゃない --せきにんについて-- 』
   レイフ・クリスチャンセン (文)、 岩崎書店
   * 対象年齢:8歳くらいから


 私のせいじゃない、私は見ていただけ、

 怖くて止められなかったけど、私のせいじゃない、

 私のせいじゃない、他の子が先に叩いた、

 私のせいじゃない、私だけじゃなくみんなも一緒に叩いた、
 
 私のせいじゃない、その子に原因やきっかけがあるんだ

                     ・・・etc



    「わたしのせいじゃない?」



 黒地に その言葉だけが印刷されたページのあと、もう言葉はありません。


 ただ、白黒の写真が続きます。


   トラックに轢かれてひしゃげた三輪車、

   目隠しされ銃を向けられる少年兵、

   核爆発のきのこ雲、

   骨と皮ばかりに痩せて泣き叫ぶ幼児・・・


 本当に私のせいではないんだろうか。



 何か 責任の一端は ないだろうか。

 何か 果たすべき義務が あるんじゃないだろうか。



 こんな私にも、

 悲しみや理不尽な苦しみを世界から減らすために

 何か できることはあるんじゃないだろうか。



 重い問いを投げかけて、答えは一切提示しない、そんな絵本。




廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私にとってのクリスマス絵本、『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』。

■日付

2004年12月17日(金)


■タイトル

私にとってのクリスマス絵本、『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』。


■本文

新メルマガ、”魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜”の創刊号をとうとう発行した。

遅筆のため、毎月15日発行の予定だったのに、16日朝4:30発行(苦笑)。
もちろん、早起きして4:30なわけではありません。
15日中に発行することができず、苦吟して苦吟して、空が白みかける頃、やっと発行できた、ということです・・・

しんどかった〜

記念すべき創刊号は、時節柄、「クリスマス特集」。

--------以下、新メルマガ創刊号を一部改変、加筆訂正したものです------------


取り上げたいと思っている絵本は、


『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』。


え?どうして?ツリーもサンタも出てこないよ? と不思議に思われたあなた。

”クリスマス”って、いったい何の日でしょう?

子どもがプレゼントをもらえる日でしょうか。
若い男女がデートをする日でしょうか。

私は、そうじゃなくて”分かち合う日”だと思っているのです。



本来、クリスマスはイエス・キリストの誕生日、
キリスト教の信者の皆さんが、主イエス・キリストの誕生日を祝うお祭りです。


しかしもっとそれはキリスト教が普及してから結び付けられたことであって、
さかのぼればもともとは冬至のお祭りだったようです。

クリスマス・ラブ
「イエス・キリストって本当に12月25日に生まれたのですか?」
 を参照ください)


クリスマス・ツリーの起源は、
雪に閉ざされ飢えに苦しむ鳥たちへの プレゼントとして
冬が極まる日である冬至に
麦の穂などを庭先の木にくくりつけたことだ
と聞いたことがあります。


夜が一番長くなり、寒さが究極を迎える冬至。


文明の発達した現代と違い
寒さや雪が 飢えや死と直結していた時代に、
「今が一番つらい時期だけど、ここさえ乗越えれば春が来るから」
と隣人同士お互いに励ましあい、
乏しいたくわえを分かち合う日だったのではないでしょうか。

それがパーティの開催やお互いのプレゼント交換など、
現代の風習につながっているのではないかと
私は解釈しているのです。

そして、体が小さく弱い存在である鳥たちへの施しに象徴されるように、
老人や病人、子沢山の家庭など、社会的に弱い立場の方々へ
特に手を差し伸べる日だったのではないでしょうか。

実際、西欧キリスト教社会では、クリスマスは施しや慈善活動など、
弱者へ手を差し伸べる日ですもんね。

なんせ、神が人を愛するあまり、ひとり子を遣わされた日ですから(^^)

ツリーもサンタも、クリスマスという単語すら出てこないけれど、
”分かち合い”がテーマと言う意味では
クリスマス精神を強く伝える二冊の絵本
『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』。


ご紹介いたします。



『すてきな三にんぐみ』
 トミー=アンゲラー、偕成社

     〜〜あらすじ〜〜

 黒マントに黒ぼうしの三にんぐみのどろぼうは、
 通行人を襲っては宝ものを奪っていました。

 ところが、ある日襲った馬車には、
 みなしごのティファニーちゃんが一人乗っているだけでした・・・


  「えものは なんにもなかったので、
   かわりに ティファニーちゃんを だいじにかかえ、
   かくれがへ・・・。」


 そしてその日を境に 三にんぐみの毎日は、
 奪う日々から、
 与える日々へと変わっていったのです。



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



与えることの豊かさ。

喜ばれることの豊かさ。

奪うことではなく、

与えることによって初めて人は心が満たされる。


要求して、奪いつづけた 三人組み。
いつまでそれを続けても 満たされることはなかった。
でもある日、彼らの存在を必要としてくれる幼い少女に出会った。


与え、喜ばれて、初めて心が満たされる感覚を知った。


相手が幼く無邪気で、素直に喜んでくれたこと。
ここがポイントなんじゃないかなと思う。


相手が大人で、恐縮したり申しわけながったり、
『このご恩は必ず』と何度もくどく言い募ったりしたら、
そこまで満足できただろうか。


無防備に心を開いてくれる幼い存在の前に、

彼らも心が開くことができたのでは。


真実は真実を呼び、率直さは率直さを呼ぶ。

まっすぐに必要としてくれて、まっすぐに喜びで応えてくれる。


そのまっすぐさに、彼らも自分の心の殻を脱ぎ、
必要とされる悦び、人を喜ばせることのできる喜びが
自分の中に確かにあることを認めざるを得なくなった。



      .:・:*:' ☆ ':*:・:.



  クリスマスに、幼い子どもたちにプレゼントを贈り、
  飛び跳ねて喜ぶさまを見るとき、
  より多くのものを得ているのは、与えた側かもしれない。

作者アンゲラー(ウンゲラーとも表記するようです)はこの絵本を
娘のフィービーちゃんに捧げています。

このことから、私はこの絵本はアンゲラーの精神的自叙伝なのではないかと
勘ぐってます(^^;

若い頃は、大人社会に反抗して、強引な要求を繰り返していたのではないでしょうか。
普通の若者らしく。

そんな怒れる若者アンゲラーのもとへ、ある日、
自分が守らなければ路頭に迷ってしまう小さな天使が舞い降りるわけです。

娘の誕生です。

  「えものは なんにもなかったので、
   かわりに ティファニーちゃんを だいじにかかえ、
   かくれがへ・・・。」
このページの、ティファニーちゃんを大事に大事に抱きしめる泥棒の顔・・・
はじめて授かった我が子を愛しむ顔にしか見えなくなってくるから不思議です。

そして、社会や周囲に要求ばかり突きつけていた怒れる若者も、
娘を愛し育てる過程で、与え育み愛する悦びに目覚めていく・・・

そんな自身の心境の変化をつづった絵本なのではないでしょうか。




『モチモチの木 』
斎藤 隆介 (著), 滝平 二郎(絵)、 岩崎書店

   〜〜あらすじ〜〜

 峠の猟師小屋で、ジサマと二人っきりで暮らしている豆太。
 人一倍臆病で、夜に一人で外へ出ることができない豆太だが、
 ある初雪の舞う夜ふけ、
 急病に倒れたジサマのために 
 助けを求めて 夜の峠道を一人走り出す。

 寝巻きのまんま。

 はだしで。

 はんみちもあるふもとの村まで。


 そしてその夜、豆太は不思議なものを見た・・・


 大好きなジサマのためなら 強くなれる。
 幼い男の子が 冬の夜に遭遇した奇跡を
 情感あふれる切り絵で描く名作。


  「じぶんでじぶんを よわむしだなんて おもうな。
  にんげん、やさしささえあれば、
  やらなきゃならねえことは きっとやるもんだ。」
                   p30より



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'
  



どんなに幼く、

どんなに無力な存在でも、

愛する人を守るためならば行動できてしまう、

人とはそんな生き物なのだ。


大切な人のためなら強くなれる。


『もちもちの木』の表紙では、しわくちゃのジサマが、
愛しくてならないという風情で豆太を抱きしめている。

豆太がジサマのために夜道を走り出したように、
ジサマは 豆太のために 毎日を 生き抜き、
無事猟師小屋に帰って来ていたのだろう。

  豆太を独りおいて死ねるわけがない。


この年で、まだ青ジシを追っかけて
肝を冷やすような岩から岩への飛び移りを
やってのけることができるのも、
豆太がいるからだろう。

  お腹をすかして待っている豆太のもとへ、

  手ぶらでは帰れない。



人は、大切な人が居て、始めて強くなれる。
必要とされなくて、どうして強くなんてなれるだろう?

信じて待っていてくれる人がいなくて、
どうしてがんばれるだろう?

愛する、ということは惜しみなく与えることなのだと、改めてそう思う。


   君には 
   大切な人がいますか?

   人は・・・
   大切な何かを
   守りたいと思ったときに、本当に強くなれるものなんです
               (TVアニメ ナルトより)



      .:・:*:' ☆ ':*:・:.




 ---質問:クリスマスには、どうしてプレゼントをするのですか?---

  クリスマスはイエスの誕生日です。
  それでは、イエスにバースデー・プレゼントをあげてはどうでしょうか。
  「でも、どうやって?」 
   イエスは、次のように言いました。
  「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、
  すなわち、わたしにしたのである。」(マタイによる福音書 25章40節)

  つまり、困っている人を助けたり、
  誰かに優しくすることは、イエスに対してしていることとなり、
  こうしてあなたもイエスにバースデー・プレゼントを贈れるのです。
   「クリスマス・ラブ」クリスマスには、どうしてプレゼントをするのですか?  
   より抜粋



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』が、
本来のクリスマス精神を強く伝える絵本だということは
納得いただけたでしょうか。

クリスマスを、ただのお祭り騒ぎの日、イベントの日、とするのは
もったいない。


大好きな人 身近な人の幸せを願う日、
お互いに喜びを分かち合う日、
自分にできる精一杯の行為で誰かを支える日 だと、
子どもたちにも伝えることができたら、素敵ですよね。






『すてきな三にんぐみ』 トミー=アンゲラー、偕成社
 * 読んであげるなら4歳くらいから


『モチモチの木 』斎藤 隆介 (著), 滝平 二郎(絵)、 岩崎書店
 * 読んであげるなら4歳くらいから


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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