こちらではこんなコラムが読めます。

 ・いじめられっ子からの乗り越えストーリー  ・ネガティブを抱えて生きる象徴「キノコ荘物語」

 ・私のコーチングに対する想い/私のコーチングスタイルの特長など

 ・インナーチャイルドの癒しの旅  ・自分史:夫との出会い  ・魂に響く絵本・児童文学  ・自分史:占い師への道  ・過去生の記憶(魔女狩りの記憶 他)  ・私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)  ・おすすめセラピー・ワークショップ・講座など  ・私の年表

 ・怒りや憎しみなど、ネガティブな感情と向き合い乗り越える

【珠帆美汐のサイト、ブログ、各種サービスなど】   banner.jpgホームページ「スピリチュアルコーチング

アメブロ \ フェイスブック \ ツイッター\ 魂の成長を促すタロット講座(たまタロ) \魂の成長を促すコーチ養成講座 \   ライトワーカー応援サイト「珠帆印」 \ 現実を動かす7ヶ月間グループセッション〜セラサポ

2014年04月08日

父のようにだけはなりたくない、母のようにだけは生きたくない、とずっとかたくなに身構えて生きてきました

父のようにだけはなりたくない、と思って反面教師にして生きてきた。

外に女性を囲い、そちらにも四人の子供を持ち、家に滅多に帰ってこず、たまに帰ってくるといつも不機嫌でイライラして些細なことで母や私たち兄弟を罵倒した父。


母のようにだけは生きたくない、とかたくなに身構えてきた。

専業主婦で、父のご機嫌を伺っていつもビクビクおどおどして。

「あんたたちがいるから離婚できない」と口癖のように言い、環境の被害者として生きていた母。

「仕事をしてないからお金がないから、自由には生きられない」と愚痴をこぼしつづけて自分の不幸を嘆き続けていた母。


あんな父のようにだけはなりたくない、あんな母のような人生だけは嫌だ。


でも。

最近やっと、父も母もそれぞれつらい状況の中で精一杯やっていたということが腑に落ちるのです。

父も母も悪くなかった。

いいところもたくさんあったし、

その困難な生涯の中で達成したことも晴れがましいところもたくさんあったのです。


父と母の良いところを誇ろう。


父のように生きたい。

精神科医として多くの患者さんに慕われていた父。

二つの家庭を養いたくさんの子供たちに教育を施すほどの収入を得続けた父を誇りに思おう。


母のようになりたい。

父不在の家庭の中で私たち兄妹を守りぬき育てあげてくれた母。

強い責任感と大きな愛情。

粘り強さ。あきらめない心。

逆境に負けない強さを持った母を誇りに思おう。


私は今やっと両親を誇りに思えます。

あなたがたの子供でよかった。


ふたこわたるさんの心理カウンセリングを受けて。
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 00:32| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

地震で驚いたり、怖かったり、ショックを受けたときのセルフケア方法

心理セラピスト茅原田久仁子(天賞エリカ)さんより、お役立ち情報です!
http://www.kunikuni.info/
http://happywoman.at.webry.info/
https://www.facebook.com/kuniko.chiharada/info

地震で精神的に驚いたり、怖かったり、ショックを受けたときのセルフケア方法。

許可を得て、コピペにて手動シェア。

 ---------------

地震で精神的に驚いたり、怖かったり、ショックを
受けたときのセルフケア例です。
驚いたりショックを受けると「気」が上がります。
気が上がると、冷静な判断力や思考力が鈍ります。
自分の中心がずれるため、元に戻す必要があります。

1【運動して気を下げる】

 運動の不得意、気分がのらないに関わらず
 早急に継続的に体を動かすことで、気を下げます。
 気分が乗るまで待っていると、長引きます。
  
2【フラワーエッセンス、レスキューレメディの活用】

 *バッチ・フラワー・レメディ社の
  レスキューレメデイを活用
 *ヒーリング・ハーブス社の
 「ファイブ・フラワーレメディ」を活用
  (砂糖球のものと、口に垂らすエッセンスがあり
  砂糖球は子どもにも使いやすい)
 
3【アロマの活用】

 ベルガモットを始めとする柑橘系のオイルを
 噴射する、嗅ぐ。しばらくは繰り返します

4【ホメオパシーの活用】
 
 驚いたときや、ショックを受けたときに
 対応するレメディ、トラウマ対応のレメディを活用。

5【外出していつもの日常を続ける】
 
 いえにこもりたくなりますが、できるだけ
 家族以外の人と会い、習い事を継続し、
 好きなことや目標や夢に向かって今までと
 同じように行動するようにします。
 そのほうが回復が早いです。

 ---------------
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 23:42| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月01日

クララ哀悼。あなたが居てくれたから私は強くなれた。

タイ合宿中、留守宅の夫からクララの訃報を受け取りました。

朝起きると冷たくなっていたとか。

クララというのは、私が飼っていた生まれつき足の悪いヒヨコです。

※クララを飼うことになった経緯はこちら。
http://ameblo.jp/tamahomisio/entry-10975851875.html


※クララちゃんは私のインナーチャイルドの象徴でした。
http://ameblo.jp/tamahomisio/entry-11010263914.html


生まれつきクララには骨格に障害があり、足も背骨も曲がってました。




↑私の後を付いて歩くクララの動画




体が小さいうちは上の動画のように片足でヒョイヒョイ歩けていたのですが。

少しずつ大きくなるに伴い、片足で立つのが難しくなり、すわりっぱなしになり始め・・・

私がタイに行くしばらく前から、「要介護ニワトリ」でした。

生まれ持った障害が、成長と共にひずみを大きくしていったのでしょうね。


早すぎる死でしたが、彼女なりの精一杯の寿命だったのでしょう涙



敏朗撮影 ひび割れ卵 20110725ヒヨコどアップ

DSC_0086 DSC_0079

DSC_0064 DSC_0057


可愛いでしょう?


本当に可愛い子だったんです。


私に、愛させてくれました。

私の愛を受け取ってくれました。

私に抱きしめさせてくれました。

私になでさせてくれました。

私を見たら飛んできてくれました。

私の足下に潜り込んでくれました。


私の椅子の下が一番居心地がいいらしく、定位置でした。

椅子の下のクララ

「愛させてくれる」ということが、どれほど人を勇気づけるか。

「愛を注ぐ先がある」ということが。

「愛を受け取ってもらえる」ということが。

そのことを私に教えてくれました。



私は『You Raise Me Up』(あなたが私を引き上げてくれる) という曲が大好きでよく聴くのですが、その歌詞の解釈が変わりました。

「You」とは、なにか力強くて大きな存在のことだと思ってました。

神とか。恋人とか。


そうじゃなかったんですね。

弱い者こそが、私たちを引き上げてくれるのですね。

私たちの愛を受け取ってくれる、弱くてあどけない存在こそが。

そんな存在がいてくれるから私たちは強くなれる。


クララ、あなたが私を引き上げてくれました。

あなたが私を強くしてくれました。

私の愛を受け取ってくれたから、私は私を超えられました。


http://youtu.be/_1_MydgRFZw


↑ぜひ見てみてくださいね。感動します。歌詞の意味がすごい伝わってくる。

 

『You Raise Me Up』歌詞全文はこちらから

http://www.lovecms.com/music-josh-groban/music-you-raise-me-up.html





ざっくり訳すと、



 あなたが引き上げてくれるから
 山々の頂にだって立てる

 あなたが引き上げてくれるから

 荒海だって越えられる


 あなたに支えられるなら

 私は強くなれる 、自分を超えられる





という意味の歌詞です。




クララ、あなたが私に教えてくれたこと、一生忘れません。

私は弱くてよかったし、いびつで良かった。

私は役に立たなくてよかった。


自分自身の弱さ、至らなさを愛します。

そして、自分に注がれる愛を受け取ります。


私を愛してくれる存在(家族とか、友人とか^^)からの愛を受け取ることは、私自身を強くするだけじゃなく、

私が彼らの愛を受け取ることが、彼ら自身をエンパワメントする。

私は愛していい。

そして愛を受け取っていい。



クララ、安らかに眠ってください。

これからも私にあなたを愛し続けさせてくださいね。

そして、最期の時に一緒に居てあげられなくてごめんなさい。

調子の良くないあなたを置いて旅に出ちゃってごめんなさい。

寂しい思いをさせちゃってごめんなさい。

そのことだけが心残りですがく〜(落胆した顔)

あまり苦しまなかったのなら良いのだけど。
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 17:32| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月19日

足の悪いヒヨコ。名付けてクララ。

 

夫が孵卵器を自作し、ひよこを孵化させました。

楽しさと志しの高さと豊かさと。何一つあきらめずに生きるために。 



全部で10羽のヒヨコちゃんが孵った中で、一羽、生まれつき足の悪いヒヨコちゃんがいます。 


楽しさと志しの高さと豊かさと。何一つあきらめずに生きるために。 

赤い箱の手前に写ってる子(見づらい写真ですいません)、 

わかりにくいかもしれませんが、手前側の足がマヒしてて、まったく使えません。 

片足だけで移動してます。 


孵化した直後に片足のマヒがわかり、夫が近所で養鶏を営んでる方に相談に行きました。 

言われたアドバイスが、 


「このヒヨコはもうだめだ。 



この足は治らないだろうし、


足が悪いと餌も十分当たらず、


大きくならないだろう。

 

ペットならいいが、


経済動物なんだから飼ってても仕方ない。


破棄するしかない。」

 


ペットと経済動物。 

同じ命なのに、ペットならば動物病院につれていって手厚く看病し、 

経済動物(家畜ってことですよね)ならばあっさりと殺される。 


なんなんでしょうね・・・ 


いのちってなんなんでしょうね。 

人間ってなんなんでしょうね・・・ 



もちろん、私も家畜という存在の恩恵を雪崩のように受けています。 

おいしいケーキやスイーツが食べられるのも、乳牛のおかげ、白色レグホンのおかげ。 

また、我が家は全然ベジタリアンではなく、肉大好き一家です。 

育ち盛りの子供たちがいることもあり肉の消費量は多いのですが、 

それも全部家畜の命をいただいているわけです。 

家畜を飼っていてくれて経済活動をしてくださってる全国の農場、牧場、養鶏場さんのおかげで 

おいしいお肉が日々いただけているわけです。 


その事実を受け入れ、必要以上にセンチメンタルにならずにいたい。 

そう思ってます。 

でも、なかなか難しい。 

今回みたいに卵から孵すところまでやっちゃうと、心情的に割り切りにくい涙 



夫は全然楽に割り切れてるみたい。 

そもそも、毎日のように食べる卵を、スーパーで買ってくるのではなく我が家で自給したかった。 

卵を産んでくれるメンドリが手に入れたくてヒヨコを孵したのだから、 

どの子が雄かはっきりわかるくらい成長したら、雄はつぶして食肉にする。 

足が悪くて生育が悪い鶏なんてもちろん要らない。 


夫の意志は明確で、迷わず「というわけでコイツは捨てるから」と。 



「外に放すわ。



そしたらキツネかカラスが食べるやろ」と。 


とまあ、早い段階でそういうことになっていたにも関わらず、 

なぜか昨日まで普通に飼い続けてました。 

毎日「もう捨てられちゃったかな」とドキドキしながらヒヨコちゃんを見に行っては 

「まだ居た!」と胸をなで下ろす日々。 


この子、足が悪いなりにすごいがんばってるんです。 

片足でバランス悪く立ってるところに、他の元気なヒヨコがすごい勢いで横を通り過ぎる。 

するとそれだけでよろめいていちいちこける。 

でもめげずにまた立ち上がる。 

またこかされる。 

また立ち上がる・・・ 

別にいじめられてるわけでもないんですが、周囲見ながら歩いたりしないみたいですね、

 

ヒヨコって。 


餌をあげると、他の元気なヒヨコがえさ箱に殺到して、足の悪い子ちゃんははじき出される。 

それでもその餌を囲む輪の中に果敢に突っ込んでいく。 

ものすごいファイトでなんとか自分の体をねじこんで、餌にありつく。 


案の定、発育、他の子に比べるとずいぶん遅くて、今や他の子の半分くらいの体の大きさ。 

何にも考えてない兄弟たちに体の上を踏まれて通り過ぎられても、 

餌を食べてるときに当たり前みたいに背中の上に立たれてても、めげない。 

淡々と耐え、やりすごしてる。 


そんな姿を見てるとついつい感情移入・・・ついつい特別扱い。 

その子が餌にありつけやすいように色々工夫したりとか。 


そして、とうとう昨日。 

朝、ヒヨコたちを飼ってるケージをのぞきこむと、足の悪い子ちゃんの姿がない。 

「とうとうその日が来たか・・・。」 

夫が計画を敢行したのでしょう。 

今、すぐに外に出たら、まだその辺をピヨピヨと歩いてるかもしれない。 

今なら保護できるかもしれない。 


でも、それでいいのか。 

それは安易でセンチメンタルな行為でしかないのではないか。 

日々卵を食べ鶏肉を食べてる私に、足が悪いヒヨコに同情する資格なんてあるのか。 


今同情していい人ぶって保護するのは簡単だ。 

その後、どうするのか。 

一生、ペットとして可愛がって飼いきれるのか? 

その覚悟はあるのか。 


名古屋コーチンの品種の鶏だと聞いてる。 

大きくなるはずだ。 

ペットとして飼うのはきっと大変だろう。 

万が一雄だったら大声で時を告げられてすごくうるさいはずだ。 

それでも飼えるのか? 


これらの問いは、その子が足が悪いとわかった時点から

 

ずっと繰り返し繰り返し自分に問いかけてきたものでした。 

そして、これらの問いの答えは、「NO」でした。 

私にあの子は飼えない。 

ペットとしては、飼えない。 


・・・なので、外に探しに出ることはせず、

 

淡々とその日の自分のやるべきことをこなしました。 

「もう誰かに食べられちゃったかなあ。」と時々思い出しつつ。 



夕方5時過ぎ、保育所から帰ってきた娘と一緒に、外に散歩に出かけました。 

ヒヨコちゃんの姿はありませんでした。 

夫に尋ねてみると、「その辺に放した。朝は鳴き声がしてたけどしばらく前からもう声がしない。 


もう食べられたんじゃないか」ってことでした。 



そっか、と思いながら、別に探すでもなく周囲を一回り散歩して帰ってきました。 




すると、


家の前で大きく「ピヨピヨ」と鳴き声が。

 

辺りを見回すと、


植え込みの影にヒヨコちゃんが! 



思わず駆け寄ると、


ヒヨコちゃんの方も私のところに


駆け寄ってきてくれます。 

しゃがんだ私の足下に、


まっすぐヒヨコちゃんがもぐりこみます。 


「覚えててくれたんだなー涙」 

手を差し出しても逃げません。 

おとなしく抱かれます。 


降参だ!と思いました。 

山の中の家なので、キツネもカラスもトンビも蛇もたくさん周りにいます。 

すぐ近所の家で猫を何匹も放し飼いにしてます。 

そんな環境で、丸一日よくぞ生き延びた。 

足が悪くて思うように動けないカラダで。 


そして、たまたま私が外に出たタイミングで、よくぞ再会できた。 

何も考えてない風のヒヨコ頭で、よくぞ私を覚えてて、逃げるどころか駆け寄ってきてくれた。 


これだけのシンクロが続くなら、これは縁があるってことだ。 

飼えってことだ。 

飼おう。 


ちょうどペットに小鳥が飼いたいと思ってた。 

セキセイインコを飼う予定だったけど、足の悪い名古屋コーチンでいいや。 

雄じゃありませんように。 

大声で早朝からコケコッココケコッコって騒ぎませんように。 


というわけで、私はこの子に名前を付けました。 

一生ペットとして可愛がる覚悟で。 


クララです。 

理由はもちろん、足が悪いからです(ベタ?わーい(嬉しい顔)) 

もし雄なら、クレールです。 

クララの男性名はクレールだよね、きっと? 

違うかなあせあせ 



6月末から10日間保護していた雀の子は無事巣立っていき、二度と戻ってきませんでした。



楽しさと志しの高さと豊かさと。何一つあきらめずに生きるために。 


今回、足の悪いヒヨコは戻ってきました。 

なんだか示唆的な感じがします。 

もともと野鳥で健康体だった雀は飛び立っていく。 

もともと家禽で足が悪い子は放しても戻ってくる。 

なんだろう? 

胸の奥で何かがうずきます。 

何を手放すべきで何を引き受けるべきなのか。 

コントロールが及ばないモノと責任の範囲内のモノ。 

なんだか色々ここから学べそうな。 



というわけで、セキセイインコが名古屋コーチンに化けましたわーい(嬉しい顔) 

我が家のペット、クララちゃん、以後お見知りおきをあっかんべー 

 

 

後日談はこちら

 

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 04:16| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

森に捨てられたインナーチャイルドちゃんを回収しました

先日

足の悪いヒヨコ。名付けてクララ。」 

という日記を書きました。 

クララちゃんの兄弟たちはとっくに鶏小屋に引っ越していったのですが、 

クララちゃんだけは私のペットとして、私の仕事部屋に放し飼いにしてます(^^) 


クララちゃん(今のところ雌っぽいです。

雄だったらクララじゃなくてクレールだなって思ってましたが、

その線は薄くなりました)はとってもなつっこくって、 

私の後を付いて歩いてくれます(^^)







クララちゃんを得たことは、私にとって本当に大きなことでした。 


私、過去生の記憶としか思えない光景を、セラピーをきっかけに思い出すことが時々あるんですが、 

代表的なものとして、 

「捨て子として森でのたれ死んだ記憶」とか、 

「ちゃんと役割を果たせなかったということを責められてリンチで殺された少年の記憶」 

などがあります。 

これらの過去生の悲しみや寂しさや絶望や悔しさを今生で癒やす、と

決めて生まれてきてるのではないか、と思うと、 

今生の私の理不尽なまでの人間不信や自己不信、根強すぎる孤独感、

強烈なまでの見捨てられ不安の説明が一番うまくつくなという感じ。 


また、私には「私は役に立たないと受け入れてもらえない」という

強い思い込みも持ってます。 

それらの過去生の記憶の影響なのかどうかわかりませんが。 


あまりにひどい自己評価の低さや見捨てられ不安をどうにかしようと、

セラピーを受けて内省を繰り返す中で気がついたのですが、 

自分のことを「どうせ私は役に立たないとあっさり捨てられる家畜みたいな存在だから」と

思ってる節があるのです。 


「今は表面的には仲良くしてくれてるかもしれない。

でも期待ほど役に立たないとなったら手のひら返すんだよね?」みたいな。 


「みんな、私が役に立ってるうちは表面的には受け入れてくれる。

でもそれだけなんだよね。」みたいな。 

もちろん、これがゆがんだ自己認識であることは頭ではよくわかってるんですよ? 

でもその疑いが念頭を去ってくれないのです。 

「そんなことない、って誰か証明して!」って感じなんです。 

「役に立たなくても存在していい、

役に立たなくても捨てられたり殺されたりしない、って私に心から思わせて!」って。 



今回、 

経済動物としては価値がない、と、足の悪いヒヨコを夫が家の前の林に捨てました。

そして私は、いくつかの偶然を経て、彼女を拾って家に帰ることになりました。 

「経済動物として価値が無くてもいい。私はこの子を飼う。ペットとして。」と宣言して。 


こうして、一度捨てられたクララちゃんを拾ったことが、

私の根強いトラウマを深いところから癒やしてくれました。 


今、しみじみと思うのです。 

私が私を捨てなければ良かっただけだった。 

私が私を拾えば良かった。 


たくさんの人に受け入れてもらう必要はなかった。 

私が私を「役に立たなくてもいい。そこにいるだけでいい。」って

言ってあげればよかっただけだった。 


足の悪いヒヨコなんていらない、っていう人は世の中にたくさんいることでしょう。 

でも、私がクララちゃんを可愛いと思えばそれでいい。 

他の人がどう思うかなんて関係ない。 


私自身のことを受け入れない人も世の中にはたくさんいることでしょう。 

でも、私が私のことを認めて受け入れて、

役に立たなかろうが能力が十分でなかろうが愛していればそれで良い。 



クララちゃんは足の骨格に先天的な障害があり、左足がまったく使えません。 

そのせいなのか、体がとても小さく、

今や他の兄弟の三分の一くらいの大きさしかありません。 

どうやら雌のようですが、この体の小ささから見て、たぶん一生卵を産まないでしょう。 

片足でよろめきながらしか歩けないし、自然界なら一瞬で淘汰されたことでしょう。 

養鶏場でなら「いらない」と判断されることでしょう。 


クララちゃんは、「役に立つか立たないか」で言うと、役に立たないのです。 

でも、私はこの子が可愛い。 

この子にそばに居て欲しい。 

見てると和む。 

なでてると癒やされる。 

私はこの子が好き。 



私が私を愛して、可愛がって、「居てくれるだけでいい」と言えばそれでいいだけだった。 

役に立つ必要なんて、なかった。 

全員から受け入れられる必要なんて、なかった。 

愛されるために役に立たなければいけないなんて思い込む必要なかった。 

生きていることを許されるためには役に立っていなければならないなんて

思う必要まったくなかった。 


私もクララちゃんのように、いびつな弱いところがある。 

メンタルの弱さ。 

感情の激しさ、傷つきやすさ、自分で自分をうまくコントロールできないところ。 

普通に標準的な社会人をやると落ちこぼれてしまう。 

人前に立つとか人前でしゃべるとか、いまだに緊張ひどいし。 

整理整頓とか、物事の期限を守るとか、めっちゃ不得意だし。 


これはまっとうな社会人をやるには「障害」になる点。 


でも、だからといって、

「愛されない」「受け入れられない」「排除される」なんてことはない。 

適材適所という意味で、私を必要としない場所はある。 

私では役に立てない場所、私以外の人の方が適してる場所はある。 

でも、私が私を受け入れ、可愛がって、一番生かされる場所を選べばいいだけ。 

どこかで否定されたからといって、悲嘆にくれる必要性なんて全然なかった。 


養鶏場からは「いらない」といわれちゃうだろうクララちゃんだって、 

私が可愛がっていればそれでいい。 

他の人からどう思われようと関係ない。 


何かを愛するのに、役に立つかどうかなんて関係ない。 

ただ愛するだけ。 

いびつに生まれついてないか、きちんと標準的に整ってるかどうか、なんて関係ない。 

ただ愛するだけ。 


自分が自分をまず愛せばよかった。 

他の人が自分をどう扱うかはその人次第。 

そんなことに振り回される必要なんてなかった。 


クララちゃんを拾って帰った日から、そのことがバンッと腑に落ちたのです。 

「役に立たなかったら捨てられる、いらないって言われる、見殺しにされる」という

インナーチャイルドの恐怖が、 深いところから癒やされました。 


「他の誰がなんと言おうと、私はあなたが好きだよ。

私があなたを可愛がって大事に大事にするよ」と 

私が自分のインナーチャイルドに言えるようになりました。 


「あなたは確かに多少いびつで多少扱いづらい。 

そんなあなたはきっと生きづらいことでしょう。 

でも私はそんなあなたが可愛くていとおしい 

私があなたを愛し励ましてサポートします」と。 


あの日、私が拾って帰ったのは、

私が自分で見捨てていたインナーチャイルドちゃんでした。 

いびつなはみ出しモノのインナーチャイルドちゃん。 


私は今まで、 

「そんなんじゃだめだ、もっとしっかりしなきゃだめだ、

もっと立派な人間に成長しないとダメだ」と 

自分自身を叱咤激励することで、

自分の個性として備わった「いびつさ」「弱さ」を否定していたのです。 

「ちゃんとやらなきゃだめだ、キチンとできるようにならないとダメだ」と。 

「対人恐怖も克服しないとダメだ、感情もコントロールできるようにならないとダメだ」と。 

そう思うことが、「自分自身を森に捨ててる」ことでした。 



私はいびつに生まれつきました。 

私には欠けてる点、弱い点があります。 

敏感すぎる点、過剰すぎる点があります。 

これは個性です。 

この個性ゆえに私は私を愛します。 


がんばって克服しようとしなくていい。 

うまくつきあえるようになれると楽に生きられるとは思うけれども、 

無くそうとしなくていいし、恥ずかしく思わなくてもイイ。 

みんな違ってみんなイイ。 


今、私はそのことが深く腑に落ちてます。 

身体レベルで、この視点の転換を体験しました。 

私は私のままで良かった。 


 ※「クララ哀悼。あなたがいてくれたから私は強くなれた」へ
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 04:11| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クララ哀悼。あなたが居てくれたから私は強くなれた。

2011-10-30 03:14:40 

タイ合宿中、留守宅の夫からクララの訃報を受け取りました。

朝起きると冷たくなっていたとか。

クララというのは、私が飼っていた生まれつき足の悪いヒヨコです。 

※クララを飼うことになった経緯はこちら。 
http://mishio.seesaa.net/article/293174653.html 


※クララちゃんは私のインナーチャイルドの象徴でした。 
http://mishio.seesaa.net/article/293174303.html 


生まれつきクララには骨格に障害があり、足も背骨も曲がってました。




↑私の後を付いて歩くクララの動画




体が小さいうちは上の動画のように片足でヒョイヒョイ歩けていたのですが。 

少しずつ大きくなるに伴い、片足で立つのが難しくなり、すわりっぱなしになり始め・・・ 

私がタイに行くしばらく前から、「要介護ニワトリ」でした。 

生まれ持った障害が、成長と共にひずみを大きくしていったのでしょうね。 


早すぎる死でしたが、彼女なりの精一杯の寿命だったのでしょう涙



敏朗撮影 ひび割れ卵 20110725ヒヨコどアップ

DSC_0086 DSC_0079

DSC_0064 DSC_0057


可愛いでしょう? 


本当に可愛い子だったんです。 


私に、愛させてくれました。 

私の愛を受け取ってくれました。 

私に抱きしめさせてくれました。 

私になでさせてくれました。 

私を見たら飛んできてくれました。 

私の足下に潜り込んでくれました。 


私の椅子の下が一番居心地がいいらしく、定位置でした。 

椅子の下のクララ

「愛させてくれる」ということが、どれほど人を勇気づけるか。 

「愛を注ぐ先がある」ということが。 

「愛を受け取ってもらえる」ということが。 

そのことを私に教えてくれました。 



私は『You Raise Me Up』(あなたが私を引き上げてくれる) という曲が大好きでよく聴くのですが、その歌詞の解釈が変わりました。 

「You」とは、なにか力強くて大きな存在のことだと思ってました。 

神とか。恋人とか。 


そうじゃなかったんですね。 

弱い者こそが、私たちを引き上げてくれるのですね。 

私たちの愛を受け取ってくれる、弱くてあどけない存在こそが。 

そんな存在がいてくれるから私たちは強くなれる。 


クララ、あなたが私を引き上げてくれました。 

あなたが私を強くしてくれました。 

私の愛を受け取ってくれたから、私は私を超えられました。 



↑ぜひ見てみてくださいね。感動します。歌詞の意味がすごい伝わってくる。

 

『You Raise Me Up』歌詞全文はこちらから

http://www.lovecms.com/music-josh-groban/music-you-raise-me-up.html





ざっくり訳すと、



 あなたが引き上げてくれるから 
 山々の頂にだって立てる 

 あなたが引き上げてくれるから 

 荒海だって越えられる


 あなたに支えられるなら 

 私は強くなれる 、自分を超えられる





という意味の歌詞です。




クララ、あなたが私に教えてくれたこと、一生忘れません。 

私は弱くてよかったし、いびつで良かった。 

私は役に立たなくてよかった。 


自分自身の弱さ、至らなさを愛します。 

そして、自分に注がれる愛を受け取ります。 


私を愛してくれる存在(家族とか、友人とか^^)からの愛を受け取ることは、私自身を強くするだけじゃなく、

私が彼らの愛を受け取ることが、彼ら自身をエンパワメントする。 

私は愛していい。 

そして愛を受け取っていい。 



クララ、安らかに眠ってください。 

これからも私にあなたを愛し続けさせてくださいね。 

そして、最期の時に一緒に居てあげられなくてごめんなさい。 

調子の良くないあなたを置いて旅に出ちゃってごめんなさい。 

寂しい思いをさせちゃってごめんなさい。 

そのことだけが心残りですがく〜(落胆した顔) 

あまり苦しまなかったのなら良いのだけど。 

 ※クララ後日談その1へ
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 04:10| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クララ後日談その1

2011-11-11 16:35:34 タイトル「落ち込んでます(><)こんな私ですが、温かく見守っていただけると幸いです。」

秋季ウツの傾向があり、毎年10月や11月に落ち込むことが多いたまちゃんです、こんにちは! 

今年はタイ合宿や東京出張があり、忙しいやら充実してるやら楽しいやらで11月始まっても調子よく過ごしていたのですが、 

やっぱり今年も来ちまいましたわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)なはわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗) 


何をする気にもなれない。 

気分がふさいで仕方ない。 

孤独感にさいなまれる。 

不安感と焦燥感でどうにもこうにも落ち着かない。 

内側から「誰か助けて!」という悲鳴が聞こえる。 


でも、その悲鳴に対処する方法を思いつかない。 


今までいろんなことに取り組んできたよね、 

できることは全部して、癒やす傷は一通り癒やしたよね、って思う。 

外す思い込みも一通り外したよね、って。 

もう後は持って生まれたものってことだよね、個性だよね、って。 

こういう不安定さ、こういう生きづらさと一生付き合っていくんだろうな、って。 


私が足の悪いヒヨコ、クララちゃんに感情移入したのもこれ故。 

生まれつき、生きづらい。 
生まれつき、不自由。 
それでも生きていかねばならない。 

普通に歩こうとして歩けない。 
なんでもないところでこける。 
そしてすぐには立てない。 
もがいてあがいてやっと立って、またこける。 

みっともないかもしれないし格好悪いかもしれないけど、それを続けていくしかない。


クララが立ってはこけ、数歩あるいてはこけ、バタバタと羽をはばたかせてもがく姿に 
すごく自分を見ました。 

「まるで私だ」と。 



数年前に、自分の対人恐怖はこれ以上はマシにならないらしい、と受け入れました。 

努力や癒やしでどうにかなるレベルはもうやり終えた、 
これ以上は個性であって直すところではないらしい、と。 


今、自分自身の不安定さや弱さ、落ち着かなさを受け入れようと思います。 

 ※あ、うまく付き合っていくための工夫は色々やる気です!お灸とかあせあせ 
  瞑想や呼吸法もやってますし。 
  なにかいい方法をご存じの方からのアドバイスもお待ちしてます! 

私は時々、理由なく落ち込む。 

私は不安発作とか孤独発作とも呼びたくなるような、突然の不安感や孤独感に襲われることがある。 

そういうときには、仕事が滞る。 

そういうときには、事務的なメールの返信作業などが遅くなる。 

(セッションをやる、ってことにはそんなに影響ないんですけど。セッションは私にとって喜びですからぴかぴか(新しい)) 


そんな弱くて頼りなくていびつな私です。 

時々、周囲に迷惑を掛けてしまう私です。 

均一な速度で均一な質の作業をすることが難しい私です。 

お仕事なのに。 

そんな私でごめんなさいね。 


でも、私はそんな私を責めて直そうとしてがんばって努力する、というのを、もう手放そうかと思っています。 

「これが私だ」「私にはこういう時期が定期的に来る」と受け入れようと思っています。 


ご迷惑をおかけしたりするかもしれませんが、 
こんな私がなんとか生きていくことを寛容に見守っていただけると幸いです。 

そして、ときどきちょっと手助けをしていただけると、もっと嬉しいですぴかぴか(新しい) 


そうですね、話し相手をしてくださる、とか。 

温かい言葉をかけてくださる、とか。 

なにかが滞ってるときにゆっくり待っていただける、とか。 

さりげなく催促してくだる、とか。 

「なにか手伝いましょうか」って言っていただける、とか。 


温かく見守りつつ、そういう風に手伝っていただけたら、とても嬉しい。 


満月も今日終わったことですし、多分ちょっとずつ落ち着いて行くと思います。 

メールのお返事やコメントのお返事など、少しずつはじめられると思います。 

この日記を書けてますしね。 

ご心配おかけした方がいらっしゃったらごめんなさいね。 

 
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 04:09| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クララ後日談その2

2011-11-16 17:58:17 タイトル「批判されるんじゃないか、攻撃されるんじゃないかって本当はすごく怖かったんです」

この度、11/11の日記で、自分自身の秋季ウツ傾向と、 
「私には均一な速度で均一な質の作業をすることが難しい」ということをカミングアウトしました。 
  
http://mishio.seesaa.net/article/293243929.html 

そして、がんばって努力するというのをもう手放そうかと思っている、と書きました。 

ご迷惑をおかけしたりするかもしれないが、時々お仕事の滞るこんな私のことも温かく見守ってほしい、と書きました。 

そして時々ちょっと手助けしてもらえると嬉しい、とまで。 


そうしたらなんとも温かい心のこもったコメントの数々が・・・泣き顔
特にミクシィの日記 の方に・・・ 
(お返事できておりませんが、本当に嬉しく何度も読み返してますぴかぴか(新しい)) 

個人メッセージや個人メールでもたくさん共感と受容に満ちた言葉をいただきました涙 

本当に嬉しい。 


実は、かなり怖かったんです。 

こんなこと書いたら批判されるんじゃないか、攻撃されるんじゃないか、って。 

こんなこと言うべきじゃないよね、こんなの甘えてるよね、わがままだよね、って。 


でも書けた。 

全体公開で、「こんな至らない私です。そんな私のままで生きていこうと思います。」って宣言できた。 

そして「見守ってほしい、手助けして欲しい」って要請できた。 

そして、受け入れてもらえた。 

温かく受け止めてもらえた。 

批判なんて、ひとつもされなかった。 


これは、かなり大きなブレイクスルーですよ!? 

クララちゃんを得て、失い、嘆きのプロセスを経て、自分の内なるクララちゃんを大事に抱きしめることができました。 

私は生まれつきいびつで、欠けていて、うまく生きられず、周囲に迷惑を掛ける。 

それでもいいと言ってもらえるなら、自分を責めるのを止められる。 

自分の内なるクララちゃんを肯定して、優しく抱きしめて、一緒に生きていける。 


すごく大きなインナーチャイルドの癒やしです目がハート 

私は私のままでいい。 


 クローバー 


クララというのは、私が飼っていた生まれつき足の悪いヒヨコです。 

彼女は私の天使でした。 

彼女と出会えたことは私にとってミラクルでした。 

わずか三ヶ月という短い命の中で、どれほど大きな気づきと癒やしを私にもたらしてくれたことか。 


※クララを飼うことになった経緯。 
「足の悪いヒヨコ。名付けてクララ。」 
http://mishio.seesaa.net/article/293174653.html

※クララちゃんは私のインナーチャイルドの象徴でした。 
「森に捨てられたインナーチャイルドちゃんを回収しました」 
http://mishio.seesaa.net/article/293174303.html  

※その短い命を閉じるときも、多くのことを教えていってくれました。 
「クララ哀悼。あなたが居てくれたから私は強くなれた。」 
http://mishio.seesaa.net/article/293241913.html  



養鶏場からは「要らない」と排除の対象になるであろう足の悪いヒヨコ。 

そして、実際に長く生きられなかった障害のある体。 

そんなクララちゃんが私にとってはどれほど愛しかったか。大切だったか。 


役に立つかどうか、卵を産むかどうか、見た目が均整取れてるかどうか、健康な体を持ってるかどうか。 

そんなことで命の価値は決まらなかった。 

存在の重さはそんなところで決まるのではなかった。 

そのことを体をはって教えてくれました。 



私の愛を受け取ってくれた、私になついてくれた、私の愛を受け取ってくれ、そして愛し返してくれた。 

そのことがどれほどの歓びと勇気づけになったことか。 

クララちゃんは「在り方」のモデルとなってくれました。 


私は周囲の幸せを祈りつつ「自分にはなにをする能力もない」「なにをやってもうまくできない」と自分を責めやすいのですが。 

私は役に立とうとする前に、愛を受け取ればよかった。 

自分のことを役立たずとののしる前に周囲の人を愛すれば良かった。 

まず、有能であろうとする前に周囲と愛のエネルギー交換をすればよかった。 

それから、有能であろうとチャレンジすれば良かった。 

その方がきっとずっとうまくいく。 


これからはもっとうまく、自分自身を愛し、周囲から与えられる愛を受け取っていけるような気がします。 



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 04:08| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月02日

子どもの頃から、家族のために、いっぱい我慢してきた

2009年5月15日(金)


■タイトル

子どもの頃から、家族のために、いっぱい我慢してきた。周囲に迷惑をかけないために、いっぱいがんばってきた(;;)


■本文

昨日の暗い日記に、温かい反響をたくさんありがとうございました!

ああやって自分の中のモヤモヤや悲しみを表現してみたおかげで、

また色々気づきが進みました・・・



子どもの頃から、不仲な両親の間を取りなすために、

そして不幸な結婚生活で眉間にしわを寄せてはため息ばかりついている母親のために、

そして半分ノイローゼ気味の母のヒステリーから妹たちを守るために、

私はたくさん我慢して、そしてたくさんがんばってきた。



子どもの頃から、周囲に気を遣い、迷惑を掛けないように、自分を押し殺して来た。



そんな人生ならもうイヤだ。

そんな生き方は、もううんざりなんだ。



そういうことなんだと思います。




今回、「自分はもしかしたら病気を持ってるのかも」と思ったとき、

自動的に

「ではもっとがんばらなくては。

私が元気でいないと家族や周囲に迷惑をかけちゃうから。」


と思いました。


そしたら・・・。


内側から

「もうこれ以上がんばりたくない!

今まで十分がんばってきたし自分を押し殺してきたし我慢してきた。

これがもうこれ以上続くだけなら、別に生きていなくてもいい!

誰かのためにがんばったり我慢したりするのは、もうたくさんだ!」


という猛反発が帰ってきた、ということなんだなあ、と・・・。



もう「余命宣告」を受けたつもりで、好き放題やって生きたいな。

だって、限りある命だもの。

実際、今日死ぬか明日死ぬか、誰しもわからないんだもの。


そんなことを考えさせられました・・・




今日はりんご園やサクランボ園の間をドライブ。

空は抜けるように青く、リンゴやサクランボの木々は花ざかり。

まるで桃源郷のように美しい光景でした。。。



世界は美しい。

我慢やがんばりで心を閉じて生きて行くにはもったいない。

しみじみとそう感じました・・・



迷惑を掛けてもいいし素っ頓狂でも非常識でもいいじゃないか。

私らしく生きたい。

木々がただ内側の発露として花を咲かせているように。

誰の評価も気にせず咲き誇っているように。


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 02:43| Comment(2) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

積極的に「生きたい」とはまだ思えていない

2009年5月14日(木)


■タイトル

積極的に「生きたい」とはまだ思えていない自分と出会って凹んでます・・・


■本文

一昨日、「これって病気の兆候なんじゃ?」というカラダの不具合に気づきました・・・

(あ、慢性系の病気かも、って感じのことで、痛かったり苦しかったりはまったくしないですので安心してくださいね。

まずは病院行ってきまーす。

全然杞憂かもしれないんで。)


それでわかったこと。

「私はまだ、積極的に生きたいと思えていない」



自分が病気を持ってるかもしれないことよりも、その事実がショック・・・

健康とか長生きとか、なんだか全然ピンと来ない私がいて・・・

治療とかもあまり興味ない。(あ、もし病気だったら、ね。)

そして、そんな自分にすごい罪悪感を感じる。

「生まれてきた以上、しっかりと生きなきゃだめなんだ!」

「子どもだってまだ小さいのに!」

「生きたくても生きられない人たちがたくさんいるんだぞ!」

自分を責める声が大合唱。



今、かなり凹んでます・・・

病気の兆候のことよりもなによりも(たいした病気でもないしね)、

「生きたいと思えてない自分」に気づいたこと、

そしてその自分を責める声が自分の中で大合唱していることに、

かなり凹んでます・・・


今週末の「ネイティブアメリカン自然との共生の智恵」合宿に期待。

スピリチュアルカウンセラーの華代さんも心理セラピストのふたこさんも参加してくれるんだから、

ちょっと相談してみようかな。

あ、お医者さまのうみやみさんにも相談できるね。


まずは、自分を許し受け入れようっと。



 私は無理に生きたいとねがわなくてもいい。

 私は生きたいと思わなきゃだめだ、って自分を責めるのをやめてもいい。

 私はがんばって生き続けようとしなくてもいい。



 私は「家族のため」と、本当には望んでいないことを望まなきゃと自分を責めなくてもいい。

 誰かのために自分を抑えてがんばらなくてもいい。

 もうこれ以上我慢したりがんばったりしたくない。

 
 私はがんばることを放棄してもいい。

 私はもう二度とがんばりたくない。

 私はもう我慢したくない。

 私はやりたくないことはやりたくない。

 望んでないことは望んでない。

 ありのままの自分を肯定してもいい。


 私は心底生きたいと思えるようになりたい。

 私は生きたいと願いたい。

 本当の自分として、生きたいと願いたい。

 
 私は本当の自分として生きてもいいはず。

 私は本当の自分として生きてもいいはず。

 私は生きてもいいはず。
 


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私は歌いたいし踊りたい!!

2008年11月13日(木)


■タイトル

私は歌いたいし踊りたい!!


■本文

前回の日記に、ミクシィでたくさんのコメントをいただきました。

ありがとうございました!!


元々ひどいAC(アダルトチルドレン)で、自己否定が本当にひどくて、自分に「生きてること」を許可できてなかったのですが・・・

最近はどんどん自由に主体的に前向きになってる!って思ってたのにまだ二割かよ、みたいな(苦笑)


「休みたいときは休んでいい」

「したくないことはムリしてしなくていい」

などの、「やめる」系、「手放す」系はだいぶできてるんです、しばらく前から。

「愛と桃舎」のあぜさんのセッションなどを受けてきた過程で、その辺はかなり解放されました。

 
でも、

「やりたいことはちょっとくらいお金かかってもやる」とか、

「仕事と関係ない、純粋に好きなこと、楽しいことを、万難を排してでもやる」とは

なかなか思えなーーーい!!




     □ ☆ □




日頃クライアントさんに「チャレンジする」ことを要請し続けているコーチである私。

ここで自分がチャレンジしなければ女がすたる。

やらせていただきますとも。

宣言。



 「仕事と関係ない、純粋に好きなこと、楽しいことを、万難を排してでもやります」




というわけで、今週の土曜日はマイミク+かるめん+さんのフラメンコライブを観に行きます!!
  

年末は、マイミクサト@さんに誘っていただいた三日連続ゴスペルワークショップに参加したい!!
  



     □ ☆ □




自分に楽しみや遊びを許可しないのは、チャイルドちゃんを大切にしないことにつながるんですね。



気づいてなかったですが、DAYAさんのセッションを受けて突然腑に落ちました!!
 

テーマは全然違うことを扱ってたんですが、すべてはつながってますね。

「ワガママ言っちゃだめ」「静かにしてろ」「我慢しろ」と言われ続けたチャイルドちゃんが、どれほど傷つき、怒り、悲しんでいるか。

それは存在否定に等しい。



もう我慢したくない。

チャイルドちゃんは、生きることを楽しみたがってる。

遊びたがってる。

歌いたがってるし、踊りたがってる。




     □ ☆ □




というわけで、フラメンコのライブ行ってきます!!

私が踊るわけじゃなくって見るだけですけど、でもフラメンコ大好きなのでワクワクです

オーレ!

それから、三日間のゴスペルワークショップも行けるようにがんばる〜

あきらめない!

(いやね、行きたいって夫に相談したら、「そんな暇があるならたまには子どもと遊んでやれ」と一蹴されたんですよ

確かに・・・って自分でも思ってしまうだけに、つらい

よく話し合ってみます。)

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「もっと遊びたい」「もっと楽しみたい」とまだ言えない私(^^;

2008年11月11日(火)


■タイトル

「もっと遊びたい」「もっと楽しみたい」とまだ言えない私(^^;


■本文

先日の波動ワークで、小窪・荒島先生に、「たまちゃんはまだ本当の自分の2割くらいしか出してない」って言われちゃいました[m:78]

十分ワガママに、自分らしく、どん欲に振る舞っていたつもりだったので、すごく驚きました!!

これで2割だったら、10割出したらいったいどうなっちゃうの?!



波動ワークから一週間。

少しずつ、先生方のおっしゃった意味がわかってきました


私、まだ、自分の弱っちい面、情けない面、傷つきやすい面、寂しがりやな面を、受け入れ切れていないかも。

そういう側面の声を、聞き入れないように耳をふさいでいるかも。

「静かにしてろ」「ワガママを言うな」「黙っておとなしくしてろ」と抑圧し、押さえ込み、なかったことにしちゃってるかも。


今年の5月の心屋ぢんのすけさんのワークショップで、私まだ「さびしい」って言えなかったものね、思い返してみれば。

「子どもの頃、本当は言いたくても言えなかったことを言ってみましょう」というワークで、「さびしい」って言いたかったのに、口に出せなかった

ただ涙が出てくるばかりで・・・

「言っても無駄」

「そういうことを言うと、迷惑になる。負担になる。」

「あきらめろ。何も期待するな。黙って我慢してるのが一番いいんだ。」


そういう思いこみ、絶望、あきらめが、今年の5月の時点で生々しく残っていました。


私もまだまだ渦中だなあ、と、実感させられた経験でした。




私ね、まだ「回りまわって周囲の役に立つこと」しか、望んだり求めたりできないんです

「これは仕事の役に立つ」

「これは自分を成長させてくれる。つまり後々周囲に貢献できるネタになるはず」

なにか、こういう言い訳ができることでないと、自分に許可を出せないんです。

自分に、純粋な喜びや楽しみを、許可できない。

テレビを見て笑う時間を、自分に許せない。

ぶらりと旅行に行くとか、もってのほか。

仕事に使う物や最低限の生活必需品以外の買い物をすることが、できない。


テレビとか散歩とか、「子どもとの団らんの時間」、などの言い訳をつければ少しはできる。

そういう言い訳が必要。



そろそろ、自分の「あまり役に立たない部分」の存在を、丸ごと認めてあげたい。

楽しんでいいよ、遊んでいいよ、って言ってあげたい。

周囲の人の役に立つことでしか、存在を許可できない。

そんなところから、そろそろ抜け出したい。

純粋な楽しみの時間、遊びの時間を、自分に許したい。


寂しいって言っていいよ。

たまには負担になってもいいんじゃない?

たまには迷惑かけてもいいんじゃないかな。

とにかく、そのことをあんまり恐れなくてもいいと思う。

人と人は支え合うものなんだから。



というわけで、またもう一段と自由でワガママで破天荒な自分にチャレンジ。


まっすぐに望んでも良いんだと思う。

あまり遠慮したり気を回したり「きっと迷惑だ」と先回りして自分を責めたりせずに。

もし受け入れがたかったら、きっとサラリと気持ちよく断ってくれるさ。

そのときにこちらもサラリと撤回すればいいだけなんだ。


いろんな望み、いろんな想い、いろんな願いを自分に許そう。


私は私のままでいい。

私の胸の奥、魂の奥からわき出てくる願いを自分に許そう。

仕事以外の楽しみを自分に許そう。

純粋な遊び、純粋な楽しみを自分に許そう。



そしたら、「本当の自分」を三割くらいは表現してることになれるかな??



ラベル:波動ワーク
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

がんばってがんばって役に立つ自分になれれば、周囲に受け入れてもらえてる実感が手にはいると思ってがんばってきた。

2008年8月12日(火)


■タイトル

燃え尽き症候群また発症中


■本文

定期的に「もうこれ以上がんばれない」という状態に陥るたまちゃんです(苦笑)

この度、これと言って「大きなイベントが終わった」などのわかりやすいきっかけもなく、一週間ほど前からガクッと来てました・・・

前兆はもっと前からありましたね・・・一ヶ月くらい前から? 

ピークは昨夜。



「なあーーーーーんにもしたくなぁーーーーーいっ!!!」




やらなければいけないことを目の前にすると、体の奥底から、ほとばしるようなつらい想いがあふれてきて・・・

苦しくて苦しくて体も思うように動かないし、涙は止まらなくなるし。

パソコンを前に、事務処理などに取りかかろうとするたびに突然何もできなくなってしまって。





  ※そのせいで、メールの返信・メッセージの返信など、各種作業が滞っております。

  ご迷惑をおかけしてる皆様、ご心配をおかけしてる皆様、ごめんなさいね

  自己管理能力がまだまだ低くって。

  ホント、お恥ずかしい限りです。

  今後、鋭意努力していく所存ですので、温かい目で見守っていただければ幸いです。




その「なんにもしたくない」気持ちをよくよく聞き取ってあげると、その底にあったのは。



「もうこれ以上がんばれない」



そしてもっとその底にあったのは。

「がんばってがんばって役に立つ自分になれれば、周囲に受け入れてもらえてる実感が手にはいると思ってがんばってきた。

でも、なにも変わらないじゃないか。

いつまでたっても、どれほどがんばっても、いくら実績をあげても成果をあげても相変わらず不安なだけ、寂しいだけ、孤独なだけ。

がんばってもがんばっても、何も変わらないなら、もうこれ以上がんばりたくない。

何もしたくない。」



という想い。



ああ。

私は、「がんばってがんばって、役に立つ自分にさえなれれば、周囲から受け入れてもらえる」と思いこんで、自分にむち打ってきたんですね

・・・


全然気がつかなかった。




あのね、「役に立つ喜び」と、「受け入れてもらえる安心感」は、分けて考えて大丈夫なんだよ。

受け入れてもらえた実感、欲しいよね。

当然だよ、わかるよ。

人として当然の欲求だよ。

これから、もっともっと味わえるようになっていこうね。


でもね、それは「役に立つ」ということとは、関係なかったんだよ。

役に立たない自分でも大丈夫だったんだよ。

必要なことは、「受け入れられていると実感したい自分」に気がつくことと、そして、周囲からの愛と受容を受け取ると宣言すること。

それだけでもう大丈夫。

安心して満ち足りて愛を実感していけるようになっていくよ。

これからどんどん変わっていくよ。





そして、「役に立てる喜び」も、もっともっと謳歌していこうね。

私たちはたくさんの人の役に立てるよ。

存在意義を発揮していこうね。

お役に立つ喜び、満足、輝きあえる悦び、照らしあえる悦びを、もっともっともっと純粋に味わおうね。

何かと引き替えるための取引材料として、ではなく、ただただ喜びのために。


もっともっと、生きることを楽しんでいこうね>小さなたまちゃん。


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

薄皮をはぐように、幼少時のトラウマ由来の信念体系を手放していく


2008年6月1日(日)


■タイトル

薄皮をはぐように、幼少時のトラウマ由来の信念体系を手放していく


■本文

5/31(土)は、メルマガ発行仲間、心屋仁之助さんの 『自分を開示し 人間関係やコミュニケーション、劣等感が根本から楽になるワークショップ』に出て参りました!

 ※心屋仁之助さん
 サイトhttp://www.kokoro-ya.jp/


二日間セミナーのうち、二日目の今日(日曜日)は所用のため出席できなかったのが本当に残念。

一日目だけでもかなり深かったので、二日目も参加したらどうなったことでしょうか・・・

早速昨日お友達になった、参加者さんのお一人が二日目の感想&報告メールをくださいましたが、かなりな感動体験&変容体験をされた様子です

出たかったなーーーー





一日目だった昨日。

「今までの失敗体験」などを一分間ずつかるーく話す、みたいなところから始まり。

「トイレねた」などをシェアしてげらげら笑いあっていたわけですが。

ぢんのすけさんの深刻ぶらない爽やかなリードのもと、気がつけば「子供時代のつらかったこと、されていやだったこと」「そのとき、本当は言いたかったこと」などを泣きながらシェアしている自分がおりました

あの重くて深くて痛い話を、なぜかついついさくさく話してしまう雰囲気作りはうまかったです、ぢんのすけさん。

段階を踏んでスモールステップで軽い話から深い話、痛い話、本当の話に少しずつ近づけちゃう手法は・・・鮮やかでしたね。

さすがです。



で。

昨日。

「子供時代のつらかったこと、されていやだったこと」「そのとき、本当は言いたかったこと」などについて、涙ながらに話す体験を通し・・・

自分の子供時代の傷や痛みや苦しみを、俯瞰して一覧しました。

そして、私はまだまだこんなにたくさんの問題を生々しい痛みと共に話すような状態にいるのだな、と(苦笑)


今回、この時期にこんな時間を持つことができたことに、なんだか、布置(コンステレーション)を感じました。

シンクロと言い換えてもいいのですが。


2006年の春くらいから二年間掛けて、私は自分の中の見捨てられ不安や愛情飢餓感、孤独感、傷ついたインナーチャイルドと徹底的に向き合い、解放し、癒すことに取り組んできました。

その二年間も掛かった大きな流れが、今やっと終わりかけています。

この二月三月の日記にも少し書いた、人間関係でひどく傷ついた体験、憎しみにとらわれてしまった境地からはい上がってきた体験が最後のクライマックスとなりました。

その痛みと苦しみと七転八倒からはい上がる過程で、"自分自身とつながり直し、受け入れ直す"、ということができたような気がします。

そして先日の「サバイバル技術体験講座」で、"世界とつながり直す"体験をしました。



自分自身とつながり直し、統合された自分として世界とつながり直した一週間後、子供の頃のトラウマ体験を一覧する機会に恵まれるなんて。

なんとも不思議なタイミングです


その幼少時トラウマ一覧を通し、自分の誤った信念体系を見直しました。

「生まれてきてごめんなさい。生まれてきたことで、迷惑を掛けてごめんなさい。」

「私はここにいない方がいい。いると迷惑になり、負担になる。」

「私は一人ぼっちだ。」

「誰も信じてはいけない。」

「優しい言葉で近寄ってくる人は、みんな手のひらを返して裏切って去っていく。」



・・・確かに、私にはこういう思いこみがあります。

まだ、残ってます。



薄皮をはぐように、少しずつ、少しずつ薄くなっていますが。




ぢんのすけさんのワークショップを通じ、また薄皮を一枚はぐことができた、と感じてます。

残った薄皮も、もう少ない気がする。

完全解放される日も、もう近い気がする。


ぢんのすけさん、ありがとう!

二日目も出席できれば、きっと完全解放できたんだろうなあ。
残念。

 ※心屋仁之助さん
 サイトhttp://www.kokoro-ya.jp/


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

弱くて無力な自分を受け入れます

■日付

2008年4月5日(土)


■タイトル

新月に贈る【宣言文】。「弱くて無力な自分を受け入れます」


■本文

さきほど、

【宣言文:私は弱くて無力な自分も受け入れます】

を読み上げている音声ファイルを音声ブログにアップして参りました〜。
http://tamahovoice.seesaa.net/article/92335697.html

宣言文です。

アファーメーションです。

明日が牡羊座の新月という今日、アップするのにちょうどいいタイミングだったかも。



       □ ☆ □



  【宣言文:私は弱くて無力な自分も受け入れます】



  私は生まれてきても良かった。

  私は生きていても良い。

  私は役に立たない自分を愛する。

  私は弱くて無力な自分も受け入れ、愛する。

  人に迷惑を掛け、負担になる自分も受け入れ、愛し、慈しむ。

  誰かからNOと言われることも受け入れ、受け止める。

  そんなこともあるさ。それがなんだと言うんだ?

  私は生まれてきても良かったんだよ。

  人に迷惑を掛けて負担になっても良かった。

  それもまたこの世へのギフトなんだよ。

  NOと言われても大丈夫。

  Noの奥にある大きなYesに目を向けよう。

  大きなYesに裏打ちされたNoだけを受け止め、そしてそんなNOだけを発信しよう。



       □ ☆ □



自分にも必要なメッセージだと言う方は、ダウンロードされて毎日聞いてみてください。

潜在意識にインプットされちゃいますよ!

宣言文も、よかったらプリントアウトして貼っておいてくださいね。

あ、一応著作権は珠帆美汐に属しますので、それだけは。

(転載、引用などご希望の方は、作者名とリンク先を明記しててくださればそれでOKです)



       □ ☆ □


私には、

「私は生まれてきただけで周囲に迷惑を掛ける存在だ」

「弱くて無力で役に立たない自分は生きている価値がない」

「生まれてきてごめんなさい、迷惑を掛けてごめんなさい」

という強い思いこみがあり、それでずいぶん苦しんできました。


何度もセラピーやコーチングセッションで扱いつづけ、かなり楽になったし解放されてきていたのですが、

今回の「つらかった月間」中は「これでもか」「これでもか」とそこを刺激され続けました。

今考えれば、卒業のためのお試しだったんでしょうね。

この課題をクリアできたかどうかの卒業試験。



 『誰かが「そのままでいいよ」「迷惑なんかじゃないよ」って言ってくれさえすれば生きていけるのに。
 
  誰か一人でもいいから。』


ずっとそう思ってきました。
そんなことを言ってくれる相手を渇望してきた。


でもね、外に求めている限り、常に不安定。
常に渇望しつづけないといけない。
常に確認し続けないと、不安でいてもたってもいられない。


  そんなのは、イヤ。
  
  そんな人生は、イヤ。


  もう外に承認は求めない。
  もう外に証明は求めない。
 

これからは自給自足!! 自立よ!!



というわけで作った宣言文でした。

牡羊座の新月には、自立に関する宣言文が効果的だそうです。

本当にタイムリーなのかも。




posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インナーチャイルドが順調に育ってます!

2007年12月6日(木)


■タイトル

インナーチャイルドが順調に育ってます!


■本文

前回の日記、「文字通り息を殺して生きてきました」に

たくさんの心のこもったレスをありがとうございました。


みなさんのレス、何度読み返しても、泣けます(;;)


私だけじゃないんですよね。

幼い頃、大好きなお母さんを喜ばせたくて、

それができないならせめて苦しめたくなくて、

自分を責めて、押し殺して(TT)


その悲しみ、その胸の痛みが

今もインナーチャイルドとして心の奥底でまだすすり泣いている・・・

それぞれの、胸に秘めた幼い日の哀しみに、深く共感します・・・


お一人お一人にレスを書けなくてごめんなさいね。



     □  ☆  □


確か、一年前にも

同じような課題と直面してなんとか乗り越えたんだよな、

と過去日記を読み返してみました。




【無力で役に立たない自分を受け入れる】2006年11月02日

 −−一部抜粋引用。主にあぜさんとのセッション記録です−−


無力で、なんにもできず、

全面的に世話を焼いてもらうしかない赤ん坊の自分。

弱々しくて、依存的で、どんなことも自分ではできず、

泣き声をあげて助けを呼ぶしかない自分。


情けなく、みっともなく、はた迷惑。

お前のせいで、

どれほどお母さんがしんどい思いをしているのか、わかっているのか?

自責の念。

罪悪感。


   (中略)


誰か一人でいいから、私を受け入れてくれたら。

一生に一度でいいから、「迷惑じゃない」って言ってもらえたら。

ぶにょぶにょで弱々しくて無力で依存的な、

そんなお前の面倒を見るのはむしろ喜びだ、と。



誰かひとりでいいからそう言ってくれたら。

嘘でもいいから。

そうしたら、生きていけるのに。



散々泣いてから、イメージの中で、左手にその弱い自分を乗せて見てみました。

「小さくて傷つきやすそうで柔らかそうで、くるんと丸まっていて・・・」

私が描写すると、あぜさんが、「まるで胎児のようですね」と言ってくれました。


  ああ、胎児なんだ・・・。

  赤ちゃんなんだ。

  急に愛しくなってきました


   (中略)


無力で、役に立たない存在である自分を、受け入れてないのは、私自身でした。

弱くて依存的な自分は、

みっともなくて醜くて気持ち悪いと決め付けて否定していたのは、私自身でした。


弱々しくて傷つきやすい存在って、かえっていとおしい。



私は、私の弱さを、受け入れます。

抱きしめます。

なんて可愛い。



あのね、無力でも良かったんだよ。

迷惑なんかじゃ、なかったんだよ。

いのちって、生まれてくるって、そういうことなんだよ。

人は、助け合って、支えあう。そういう存在なんだよ。

だから、いっぱい甘えていいんだよ。

大好きだよw。

生まれてきてくれて、ありがとう>自分



    -*----*----*----ここまで----*----*----*



  ※全文はこちら
  http://tamahomishio.blog69.fc2.com/blog-entry-93.html



     □  ☆  □



読み直してみて・・・

あの時の胎児、あの時の赤ちゃんが、生まれてきてくれたんだ、と。



私たち夫婦は、数年前に三人目が欲しくて努力していたのに、授からなかったのです。

もう歳だから無理なのかな、とあきらめてから突然授かったのが、

先日生まれて来てくれたベイビーちゃんなのですが。



この日記を書いたのが去年11/2。

妊娠に気がついたのが、そのわずか三ヶ月後の今年2月。

つまり、あぜさんとのセッションで、

弱々しい胎児である自分を受け入れて抱きしめられてから日を置かずに、

受胎していることになります。



数年間、まったく授からなかったのに。

そうそう、セッション中にイメージとして現れた「胎児」ちゃんは、

小さなお魚みたいな姿でしたよ、そういえば。



ごく妊娠初期の姿でした。

あれから、着実に育っていたんですね・・・

そして、こうして生まれ出てきてくれた。

ずっと、生まれたくて、私の周りを飛び回っていたのかもしれません。

それなのに、私が中々受け入れてあげなかったのかも。

ごめんね、赤ちゃん。



今、目の前にいる、弱々しくて無力で全面的に依存してくる存在。

私は、あなたの弱さを、受け入れます。

抱きしめます。

なんて可愛い。



あのね、無力でもいいんだよ。

迷惑なんかじゃ、ないんだよ。

いのちって、生まれてくるって、そういうことなんだよ。

人は、助け合って、支えあう。そういう存在なんだよ。

だから、いっぱい甘えていいんだよ。

大好きだよw。

生まれてきてくれて、ありがとう>ベビちゃん。私の内なる幼子。


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

文字通り「息を殺して」生きてきました

2007年12月2日(日)


■タイトル

文字通り「息を殺して」生きてきました


■本文

最近の私は、

胸の中に静かにすすり泣くインナーチャイルドちゃんを抱いているのです(;;)


可愛い子どもたちに囲まれて楽しい毎日を送りながらも、

「お世話してばかりじゃなく、私だって誰かに優しく甘えさせてもらいたい」と

悲しくなることが多くって・・・(TT)



私は「誕生を母親から歓迎してもらえなかった」という深いトラウマを持っています。


そのせいか、

「生まれてきてごめんなさい」

「ここに私が居るせいで、迷惑ばかりかけてごめんなさい」

という想いから自由になれずにいます。


今でさえ。


その悲しみと痛みが、赤ちゃんのお世話をしていると刺激されます(><)



私も、無条件で受け入れられていると実感したい。

例えなんの役に立たなくても、

いや役に立つどころか手間ばかり掛けていても、

それでも存在を喜ばれている。


そう心底感じられる体験が欲しい(泣)。

大人になると、そんな機会なんて得られないですよね・・・




そんな私に、

11月28日発行の

ボイスコーチ濱田真実さんのメルマガがすごくグッときたのでご紹介。


---*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*


★ 声と呼吸のレッスン【自尊心と呼吸量】


この頃、つくづく思います。
「自尊心の高さ」と「呼吸の豊かさ」は比例すると。


◆息、しちゃいけないんです私・・・

A子さんの場合。

A子さんは、学生時代に、自宅に引きこもっていました。
学校で、いじめにあったことが直接の原因のようです。

その頃から、自分はいなくていい人間なんだ、存在していると人が
不快になってしまうんだと、思い込むようになりました。

自室で数年過ごし、ようやく外出が出来るようになった頃、彼女は
自分の身体の癖に気付きました。

他人と一緒にいると、息を止めている・・・

「私がここにいることで、人に迷惑をかけていると思うと、
 申し訳ない気持ちになります。

 そんな自分の存在を消すためには、息を止めるしかなかっ
 たんです」


◆あなた達と一緒の空気を吸うなんて

B子さんの場合。

彼女は中間管理職。

有能で人当たりも良いので、上からも下からも、たくさんの仕事が
まわってきます。

全てを引き受けているうちに、自分の自由時間はどんどん削られ、
疲労は蓄積されて行きました。

B子さんは、周囲の人間がみんな敵のように思えてきました。

「上司も部下も会社も大嫌いでした。

 顔ではにこやかに応対しながら、心の中では悪態をついて
 いました。

 心の中を悟られないために、息を止めて自分を隠しました」


◆吐けない、吸えない

「息って、どうやって吐くんでしたっけ?」

レッスン中にそう聞かれることって、実はけっこう多いのです。

呼吸すら、当たり前にできなくなってきている私たち。
恐ろしいなと感じます。

レッスンで呼吸の仕方を思い出し、身体の中にどっと流れ込むよう
に空気が入ってきた瞬間に、驚いて涙ぐむ人もいます。

自分を尊重することをせず、否定し無理を重ね、怒りを溜め込み、
精神を抑圧して、固い殻の中に逃げ込む・・・

すると、身体はとても正直に反応し、自分の身体を固い殻のように
変え、息を止めて、生きることをやめようとするのです。

呼吸が止まると、生き物は死にます。
それなのに、自らが息を止めるなんて・・・

あなたを虐待し、ゆるやかな自殺に追い込んでいるのは、あなた自
身です。


◆豊かな呼吸を取り戻す

息は生きるためのエネルギーであり、他者とつながるためのリボン
でもあり、あなたを愛するためのパワーです。

あなたが自分を粗末に扱えば扱うほど、呼吸は浅く、貧しくなりま
す。

自尊心を取り戻し、あなた自身を大切にすれば、呼吸は自然に豊か
になっていきます。

また呼吸が豊かになれば、自尊心を取り戻すことが出来るのです。

どんな大変な修行をしても、たくさんの本を読んでも、多くの知識
を得ても、自尊心が低い人はダメです。

言い換えれば、あなた自身を大切にすることさえ出来れば、必ず本
当の幸せを生きて行くことが出来るのだと、私は確信しています。


◆自分を大切にするって・・・

「それは、頭ではわかっています。でも、どうすればいいの?」

と問いかけてきた人がいました。

静かな気持ちで、ゆったりとした深い呼吸を意識的に続けます。
ただそれだけ。

過去のことを悔やんだり、未来を思いわずらったり、人の視線を気
にしたりせずに、ゆっくり丁寧に呼吸をしていく。

目の前のごはんを美味しく味わう。
批判や判断や分析をせずに、静かに自分や人と向かい合う。

頭の中のおしゃべりをやめて、ただ静かに・・・


「私、息しても良いんですよね。そうですよね。
 生きているんですものね。

 なぁんだ。もったいないことした」

A子さんは、笑顔でそう言いました。

「息するって、気持ちが良いですね〜。今まで、こんなにも
 息を止めていたのかと気付いて、びっくりしました。

 息をしても良いし、言いたいことも、もっと言っていいん
 ですよね。

 なぁんだ・・・良かったのか・・・」

B子さんも、しみじみ言いました。


そう、「なぁんだ!」というくらいにシンプルで良いのです。



   あなたの毎日が、歓びと美しい響きに
          満たされたものでありますように。





★メルマガ「呼吸の奇跡 声の魔法」の新規登録はこちらから!
  http://www.mag2.com/m/0000135766.htm

■バックナンバーは、全てこちらに公開しています。
 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000135766

■Mamy's Voice Style(濱田真実さんのサイトです)
 http://www.kaonsya.com/


---*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*

以上。


私が場面緘黙症だったのも当然ですよね。


「生まれてきてごめんなさい」

「ここに居てごめんなさい」

って思っていましたもの。



「息をしてごめんなさい」ってマジで思っていたのを良く覚えてます。

「私なんかが酸素を消費してごめんなさい」って。



自分らしさをできるだけ表現しないように自分を殺し、、、

そう、文字通り「息を殺して」生きてきました(^^;



今ではかなり自己肯定感がアップして、

おかげでこんなに元気でこんなにイキイキ溌剌と自分らしく生きているのですが・・・



まだ残ってましたね(^^;

赤ちゃんを授かることは、

残っていたトラウマ大掃除の機会を授かることでもあったのだな、と。



私と良く似た顔の女の赤ちゃん。


「生まれてきてくれてありがとう」

「ただそこに居てくれてありがとう」

「存在自体が喜びだよ」

「愛させてくれてありがとう」


とたっぷり伝えて可愛がって育てたい。

そのことが、そのまま自分自身の育て直しにつながる気がします。


自分のインナーチャイルドちゃんが目の前にいるとイメージして、

自分が自分をたっぷり受け入れて甘えさせてあげたい。

ゆったり丁寧に深い呼吸をすることを自分に許して。

「今、ここにあること」を感謝して味わいながら。



長男と次男のときは夢中だったから、そこまで意識せずに育ててきたなあ。

彼らにもたっぷり愛を注ぎたいですね(^^;

今からでも!

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月07日

私は生まれてきたくなかった(2005.2.10の日記より)

ヒプノセラピー体験記第二弾!

りり&ririさんのヒプノセラピーを体験しました。

二回目のりり&ririさんヒプノ体験です。


もう一週間以上経ってしまいましたが、感動体験でしたのでいまさらですがご報告しますね。


ヒプノで見たいもの、扱いたいテーマを、始めるときに明確にします。



私は、

「社会に出るとか人前に立つっていうことに、

根強い苦手意識や、根拠のない不安や恐怖がある。

その原因を見つけて癒したい」

ということをテーマに選びました。


その原因にさかのぼっていく中で、

お母さんのお腹に居たときのことを思い出しました。

すると突然、まるで平衡感覚がどうかしたかのように、体が揺れて感じられはじめました。

まるで波にもまれる舟の上で横になっているように。

ちょっと気分が悪くなったくらい。


羊水に浮かびながらお腹の中で運ばれている感覚なんでしょうか・・・

実感としてゆらりゆらりと揺れて感じるのがなんとも不思議・・・



それとともに、母がとても不安がっている気持ちをありありと感じました。


色々と複雑な環境の中で、

ひどく不安な思いで毎日をすごしている母の気持ちが、痛いくらいに・・・。


そして、お腹の中の胎児である私は、ひどく心を痛めます。

私がなんとかしてあげたい、と強く思ってる。

なんとかお母さんの力になってあげたい、お母さんの助けになりたい、って。


りり&ririさんの穏やかな問いかけに答えて、

言葉を捜しながらゆっくりゆっくり自分の中を探求していた私ですが、

この気持ちを思い出したとき、泣けて泣けて仕方ありませんでした。


母の力になりたい。

でもまた役に立てないに違いない。

またきっとなんの役にも立てない。



その怖れと無力感に、生まれてくるのを嫌がっている自分。


私が予定日を大幅に過ぎてから生まれてきた、という母の話を思い出しました。



こんなに不安がっておびえていたからだったんだー。



で、残念ながら、その不安は的中してしまったわけです。

迷惑をかけ続け、面倒をかけ続ける乳幼児の自分。

次々に生まれるきょうだい。

家事育児に髪を振り乱し、眉間に皺を寄せ、暗い顔でため息をつき続ける母。

「子どもさえいなければ」の言葉。



私は「ほらやっぱり何の役にも立てない。

迷惑になるくらいならば生まれてこなければ良かった」と、

自分を責め、自分の存在を否定しました。



私なんか生まれてこなければよかった。

そしたらせめて迷惑だけはかけなくてすんだ・・・




りり&ririさんにハグされて大泣きしました。

優しい温もりの中、存分に泣いたあとに見えてきたもの。




「判断するのが早すぎた」


私が何か人様や社会の役に立てるとしたら、今から。

1歳や2歳のときに“役に立てない”と判断したのは早すぎた(苦笑)


母に、“あなたが苦労しながら育てた子はこんなにも社会のお役に立っています”と見せたい。

“あなたの苦労はこんな形で実りました”と。



私の、

「社会に出るとか人前に立つっていうことに対する根強い苦手意識や不安や恐怖」

の理由が少し見えてきたように思いました。



また役に立てない、また失敗する、迷惑だったらどうする、お呼びじゃないに違いない。


そんな気持ちが沸きあがってくるのです。

(きっと、過去生に、手ひどい失敗体験があるのでしょうね・・・

いや、ひとつふたつそれらしきものを思い出しているのですが。)



ちょうど母のお腹からなかなか出てこれなかったときのように。




でも、ここで私がためらい続けたら、また私は役立たずで終わってしまう。

母に、

“あなたが苦労しながら育てた子はこんなにも社会のお役に立っています”と見せるためにも、

“あなたの苦労はこんな形で実りました”と誇りに思ってもらうためにも、

私はもう苦手意識や不安や恐怖は手放します。


私は、社会に関わっていく。

私は仕事をしていく。

私は広報や告知を恐れない。

私は成果を上げる。

私は露出度を上げていく。

私はもう引っ込まない。


たくさんの人にお役に立つために、

持って生まれた特性を、得意分野に生かしていきます。


私はここにいて、コーチングとタロット占い師をしています。

どうか、あなたのお役に立ててください。
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月06日

父と話す(2006年6月13日(火)の日記より)



ただいまです〜。

6/12の夜、旅から、帰って参りました〜。


三日間のCTIコーチング応用コース@大阪に

アシスタントとして参加してきました!


6/8の朝は、とうとう完徹完遂。

一睡もせぬまま家を出ました(爆)

もちろん、洗濯物はたためないまま(失笑)


姫路の実家に滞在させてもらったので、

たまには両親に孫の顔でも見せようと、下の子を連れての旅。


はしゃいだ息子に、飛行機の中でも電車の中でも眠らせてもらえず(汗;

疲れが取れぬまま・・・。


そして、本番開始。

翌日から、朝7時に家を出て、丸一日の研修にアシスタントとして従事し、

夜は9時前に帰宅する日々・・・。


疲れました〜。


好きなことだからやってられるんだよな〜。



研修の内容は、素晴らしかったです。

アシスタントとしての学び、というよりも、一参加者として、

生身で、自分自身の人生と向き合うこととなりました。



で。


東京旅行からの一連の学びが、集大成を迎えました。




前回の日記「東京旅行中盤戦のご報告」では


対人恐怖症がまだ癒えない自分を感じていき

子どもの頃、父と不仲だった母から、

「あんたたちさえ生まれていなければ、離婚できたのに」

と何度も何度も聞かされてきたことを思い出したことを書きました。


「私なんて居ない方がいい。私なんて居ない方が、みんなが幸せになれる。消えてしまいたい。」


と、心の奥底にインプットしてしまっていたことに気づいたことを。


「この“恐れ”の源は“愛”だった」

「私は、こんなにも周囲の人の幸せを願っている。

自分自身の存在を消してしまってもいいと思うほどに。」



と気づいたところで、「つづく」と結んだのですが。



「東京旅行後半戦のご報告」をすっとばしてしまいますが(^^;

今回の関西旅行で、すべてが大団円を迎えました。



私は、愛されてきたのです(涙)


私は、生まれてきても良かった(涙)



研修の二日目に、参加者全員に宿題が出されます。

それぞれが、コース中のコーチングで、「人生に意味のある一歩」を決め、

それを帰宅してから次の日のコース開始までの間に、

必ず実行すること。


私もアシスタントとしてコーチングセッションに参加し、

そして自分にとっての「人生に意味のある一歩」を決めました。


それは、「父と対話すること」でした。



以前、日記にも書いたことがあるように、父はいつも不機嫌な人でした。

その日記は残念ながら、今回の「ブログ強制削除事件」で消えてしまったようなのですが(涙)


なにか気に触ると、いつまでも大声で母に対して怒鳴り散らしていました。

もちろん、母だけでなく、幼い私たちきょうだいも、その標的になりました。


暴力も、ゼロではありませんでした。

多くもなかったのですが。


私の子ども時代、父が居る間は、家は安全な場所ではありませんでした。

いつもびくびくして、父の顔色を伺っていなければいけなかった。

そうしてないと、私だけじゃなく、大好きな母や、姉や幼い弟妹が酷い目に遭う。


正直に言って、私は父が嫌いでした。

恨んでいました。

母にため息をつかせつづけ、「あんたたちさえいなければ」と言わせ続けた

私の無邪気で幸せな子ども時代を奪った張本人。

そう思いこんで責めていました。



ずっと責めて、恨んできた。



その父への恨みがましい気持ちを、とうとう手放すことにしました。

とても勇気の必要な決断でした。



きっかけは、よーじゅ先生の占星術講座。

習ったばかりの占星術の知識で、家族全員の私との相性を何の気なく見ていたのですが。

父との相性を見てみると、なんと・・・。


父はすごく私を支え、応援してくれる存在として、そこに浮かび上がるのです。


意外に思いながらも「そうかな?」という目で見てみると。


・私の、人の内面と自分の内面に対する強い興味と関心は、
 明らかに父から受け継いだもの

・父の蔵書のおかげで、ユングやフロイトを始め、
 数多くの心理学の専門書に触れることができた

・高い教育を受けさせてくれた

・コーチングの勉強も、影になり日向になり、応援し続けてくれている


これをきっかけに、この歳になってやっと、心からの父への素直な感謝がこみ上げてきました。

私は父から、応援され、支えられてきた。

もしかしたら、私は父から愛されてきたのかもしれない。



そしてこの土曜日、家族での食事のあと、私は父の自室まで父を追いかけていきました。



そして、感謝の気持ちを伝えました。

父ははっきりと「よくがんばってると誇りに思う」と言ってくれました。

ブログも読んでいる、と(驚!)

とても自慢に思っていると。

応援してる、と。



パパ、この日記も読んでますか?

私はずっと、あなたを恨んできました。

愛されてこなかったと思っていました。

私なんか、生まれてこなければ良かったんだと思っていました。



この歳になって、やっと、素直に事実が見えます。

私はずっと応援され、支えられてきた。

私は生まれてきても良かったんですよね(;;)



父と話したあと、母にその感動を伝えにいきました。

母ともまた、いろいろ話しました。

母と話しながら、泣けて泣けて仕方ありませんでした。

母もまた、こんなに私を応援してくれている。



父と母が私にしてくれたこと、そしてこれからもしてくれることは

私は両親に直接返せないかもしれない。


でも、必ず、社会には還元していきます。


そして、もちろん、私の二人の息子にも。



二人から受けとったペイフォワードは、必ず前へ前へと回していきます。

私は社会に貢献していきます!



対人恐怖症との最後の闘いが、無事終わったように感じています(^^)

「私が、生まれてきてもよかったのならば。

もっともっと社会のお役に立っていきたい。」

「私がここに居てもいいならば。

私はもっともっと活躍していきたい。

存在を生かし続け、輝かし続けていたい。」


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月01日

父の病気(2006年6月27日(火)の日記より)

父を思い出すとき、必ず浮かんでくる光景があります。

冬の抜けるような青空をバックに、坂道を片手を挙げて駆け下りてくる姿。

そして、それを見てひどく安堵している、幼い私と姉の姿。




   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




あれは、私が4〜5歳、姉が6〜7歳の頃ではないでしょうか。

父に連れられて、列車に乗って父の仕事場へ行きました。

理由は、なんだったんでしょう?

父は自分の職場を見せたかったのでしょうか。


途中、どこかの駅で、父がホームに降りました。

駅弁か缶ジュースでも買いに行ったんでしたっけ。


・・・で。


戻ってくるのが間に合わず、列車は父をホームに残して、発車(^^;

幼い私たち姉妹は、子どもだけで、車内に残されました。



・・・呆然。


しばらく顔を見合わせていた私たちですが、車掌さんを呼び止めて、

事情をつたない口調で説明し、私たちは次の駅で降ろされました。

戸外の風が吹き込む寒い駅員詰め所で、丸い石油ストーブのそばに座らされ、

熱いお茶を手渡されました。

心細い思いで、熱いお茶をふーふー吹きながらすすっていたら。



冬の抜けるような青空をバックに、父の姿が。

ホームのある方向から、片手を挙げて、走って駆け下りてくる父の姿。

その父の姿を見て、私たちがどれほど深く安堵したことか。


「パパがちゃんと私たちを迎えに来てくれた(;;)」




  .。.・:*: ☆ .:*:・:'




不和だった家庭、あまり家に寄りつかず、たまに家に居るときは

いつも不機嫌だった父。

その父との、数少ない心温まる思い出なのです。

そして、あまり強くない絆、あまりしっかりとはしていない信頼関係の、

数少ない補強材料。



「でも、最後にはちゃんと迎えに来てくれる。あの時のように。」

「決して本当には私たちを見捨てはしない。あの時のように。」




   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




父に、病気が見つかりました。

生死に関わるような病名です。


親って、居なくならない、と、どこかでたかをくくっていたように思います。

いくら、わがままを言おうと困らせようと、私を置いていかないと。

あのとき、走って戻ってきてくれたように。



決して、私を置き去りにしては去っていかないのだ、と。

いつまでも、影になり日向になり、見守ってくれるもんだ、と。

あのとき、走って戻ってきてくれたように。





   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




手術は来週だそうです。



実家から遠く離れた土地に住んでいる私にできることは、

祈ることだけです。



手術の日程が決まったら、一緒に祈ってくださいますか。




  .。.・:*: ☆ .:*:・:'




涙の父娘和解からわずか数週間。

私から父へ、感謝を伝え、父から私へ「誇りに思う」という言葉をもらってから

わずか数週間で。

いきなりの病気発覚。


まるでドラマです(;;)

まるで、安っぽい通俗なドラマみたい。



でも、病気発覚の前に、感謝の言葉を伝えられたのは、せめてもの慰めです・・・



あのとき、ハグしておけば良かったよ、パパ。
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月31日

インナーチャイルドとバーストラウマ(2006.814の日記より)

昨日、ひとりブリージングをしてました〜。



ここのところ、怒濤の学びに襲われていて。

かなり混乱していて。

先日、とうとうブルーウィンズの真美さんのところへ、

助けを求めて行ってきたところなんです。




で、はっきりしたこと。

私が苦しんだり揺らいだりしている根っこは一つ。

傷ついたインナーチャイルド。


真美さんの誘導でライトブリージングをし、

幼い頃、母に甘えることをあきらめてしまった感覚を思い出し、

号泣してきました。


たくさんの子ども、祖父母とも同居で多忙な母、

不幸な結婚生活で消耗しきった母。


どちらかと言えば私が母のカウンセラー役を果たしていたくらいです。

とても甘えられませんでした。



幼い頃に母親との幸福な一体感、絶対的な安心感を得られなかった。

そこを求めることを、

「無理だ」「不可能だ」「仕方がないんだ」とあきらめ、封印してきた。



そこが、私の根強い寂しさの元になっているようです。



「温もり」も「一体感」も「安心感」も、

この世では決して得られないのだ、と幼い頃にあきらめてしまった。


どんなに欲しくても、どんなに渇望しても、

決して決して手にはいることがないのだ、と。


「一体感を伴う安心感」や、

「愛し愛されているという確信と温もり」などを、

私は絶望と共に、自分に禁じてしまった。


 ※最初にこの「あきらめ」と「封印」に気づいたのは、
  旭川波動ワークショップだったのですが。
  またその話も書きたい!



その寂しさと諦念に焦点を当て、いっぱい泣いて来ました。

本当は、あきらめなくてもいいんですよね。

本当は既に手にしている。

だって、私には愛する夫と子ども達がいる。

この理不尽なあきらめを手放し、

私は既に満たされていることを受け入れます!



でも、まだ親玉が出てないね、って

セッションが終わってから真美さんに言われちゃいました。


多分、バーストラウマが親玉だね、って。



私が母のお腹にいたとき、母は不幸でした。

色んな複雑な家庭の事情に、翻弄されている最中でした。

胎児の私が、その状況にとても胸を痛めて、

「生まれたくない」と強く願っていたことを、

以前、りり&ririさんのヒプノで思い出したことがあります。

「生まれたら、母に迷惑をかけることになってしまう」と。




そのときのトラウマを、しっかり癒せば、

すごくパワフルに力強くなれるのにね、と。

ちょっとやそっとじゃ揺らがなくなれるよ、と。



ぜひまた真美さんのブリージングを受けて、

しっかりと根っこから自分を癒したいのですが、

昨日、ぽかりと空いてしまった時間を利用して、

見よう見まねで「一人ブリージング」に挑戦していたのです(^^)


出てきたのは、

 
  「私は災厄じゃない!」


という強い悲しみでした。


私は、誕生を、「待ちこがれた良きもの」として、受け止められたかった(;;)

私は、喜びと共に、迎えられたかった。

私は「忌むべき災厄」なんかじゃなかった。

私は本来、「喜び」であり、「福音」であり、「祝福」であったはずなのに。

そんな“良きもの”“幸いなるもの”として、天から降りてきたはずだったのに。



私は不幸の象徴か?

私は負担と迷惑の権化か?

私はお荷物か?

私は厄介者か?



私は、大好きな母に、喜びと共に抱きとめられたかった!



一人で、ぽろぽろぽろぽろ泣きました。

  「私は災厄なんかじゃなかったのに! 

   私は喜びだったはずなのに!」

と一人つぶやきながら、泣いていました。




私は、「恋愛至上主義」なところがあります(^^;

ちょっと「恋愛依存症」っぽい傾向があるのです。

その理由が、少し見えた気がしました。



私は、求められたいんです。

私は、自分を待ち望み、強く求めてくれる人が、欲しい。

私を見たときに、パッと顔を輝かせてくれる人が欲しい。

私が電話した、メールした、と言っていちいち喜んでくれる人が欲しい。


私のことを、「待ちこがれた良きもの」と見なしてくれる人がほしい。

私のことを、喜びと共に迎えてくれる人。

私のことを、「喜び」、「福音」、「祝福」であるかのように扱ってくれる存在。



幸せな家庭を築いていても、

やっぱり恋愛初期のあの狂おしいほどの情熱が欲しくなります(^^;

「会いたい」と言われたい、「声が聞きたい」って言われたい。

恋愛初期の頃の熱烈に求められる体験をもう一度!って思ってしまう(^^;


そんな自分がすごく謎で、ちょっと恥ずかしかったんですけど、

その原因が少し見えました。


誕生を純粋に喜んでもらえなかった、という心の傷からの強迫行為なんだなあ、って。


待ち望まれたい。待ちこがれられたい。

私がここに来たことを情熱的に喜んで歓迎して欲しい。

その望みを、変形した形で、叶えようとしていたのですね。


ちょっと切ないです(;;)


気づいたからには、乗り越えるよ!

ネガティブな影響から、自由になりたい。

心底、そう望みます。


私は本来、「喜び」であり、「福音」であり、「祝福」です。

そんな“良きもの”“幸いなるもの”として、天から降りてきました。


そこに、なんの証明もいりません。

誰かから保証してもらわなくても、私の価値は揺らぎません。

それを認め、受け入れます。

強迫的な証明渇望を、手放します。
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月30日

無力で役に立たない自分を受け入れる(2006.11.3の日記より)

えっと、友人の凄腕セラピスト、あぜさんに、落ち込みの真っ只中にセッションを受けたのですが。

 ※あぜさんのHP
 セッションルーム愛と桃舎

セッションの中で、「動けない自分」「人に助けを求めずにいられない自分」に対する激しい自己嫌悪を、ひたすらじーっと見つめました。

この根強い自己嫌悪、自己否定はなに?

胸の奥から吹き出してくる声高な“NO!”は一体なに?


  「私は人に迷惑をかける存在だ。

   私は居るだけで、周囲に負担を掛けてしまう。

   生まれてきて、ごめんなさい。」


根深く私の胸の奥に巣くう罪悪感。自責の念。


私は、この世に生を受けたときに、全面的に歓迎してはもらえなかった。

(こちらで詳しく書いてます。「インナーチャイルドとバーストラウマ

待ちわびた祝福として、母に、歓びと共に抱きとめられたかったのに。


無力で、なんにもできず、全面的に世話を焼いてもらうしかない赤ん坊の自分。

弱々しくて、依存的で、どんなことも自分ではできず、泣き声をあげて助けを呼ぶしかない自分。

情けなく、みっともなく、はた迷惑。

お前のせいで、どれほどお母さんがしんどい思いをしているのか、わかっているのか?

自責の念。

罪悪感。



一生のうちに、一度でいいから、思う存分、依存を許されてみたい。

誰かに、安心して、全体重を預けて、甘えてみたい。

「無力で何もできなくても、泣いて助けを求めるだけでも、それでも存在を喜ばれている」と感じてみたい。

そう実感してみたい。



一生のうちに、一人くらい、「迷惑じゃないよ」って言ってくれる人が居てくれたら。

そうしたら、生きていけるのに。


  淋しい淋しい淋しい。


あぜさんの優しく穏やかな声で誘導されながら、ありありとその渇望を味わい、さめざめと、思う存分泣きました。




みっともなくて、ぶにょぶにょしていて、できそこないの芋虫のような、気持ち悪い存在。

それが、イメージの中の弱い自分でした。

  こんなものが、愛されるわけがない。

  誰も欲しがるわけがない。

まるで、ヒルコ(古事記に出てくる、イザナギとイザナミの最初の子ども。できそこないだから、って捨てられちゃう)。


その、ヒルコのような気持ち悪い弱い私が、身をよじって泣き叫んでいました。


誰か一人でいいから、私を受け入れてくれたら。

一生に一度でいいから、「迷惑じゃない」って言ってもらえたら。

ぶにょぶにょで弱々しくて無力で依存的な、そんなお前の面倒を見るのはむしろ喜びだ、と。

誰かひとりでいいからそう言ってくれたら。

嘘でもいいから。

そうしたら、生きていけるのに。



散々泣いてから、イメージの中で、左手にその弱い自分を乗せて見てみました。

「小さくて傷つきやすそうで柔らかそうで、くるんと丸まっていて・・・」

私が描写すると、あぜさんが、「まるで胎児のようですね」と言ってくれました。


  ああ、胎児なんだ・・・。

  赤ちゃんなんだ。

  急に愛しくなってきました



私「うーん、なんだか可愛いですね。」

あぜ「あれ?気持ち悪くってみっともなくて醜い存在なんじゃなかったの?」

私「いや、なかなか可愛いです^^。無力で弱々しい存在って、結構可愛いですよね。」

あぜ「そうだよね、そういう存在って可愛いよね。そう言ってあげようよ、可愛いよ、って。」

私「・・・はい、言ってあげました。喜んでますね・・・すごく喜んでます・・・」


胸がいっぱいになって、涙がにじんできました・・・

せめて、私だけでも、「可愛いよ」って、もっと早く言ってあげればよかった・・・


無力で、役に立たない存在である自分を、受け入れてないのは、私自身でした。

弱くて依存的な自分は、みっともなくて醜くて気持ち悪いと決め付けて否定していたのは、私自身でした。


弱々しくて傷つきやすい存在って、かえっていとおしい。



私は、私の弱さを、受け入れます。

抱きしめます。

なんて可愛い。



あのね、無力でも良かったんだよ。

迷惑なんかじゃ、なかったんだよ。

いのちって、生まれてくるって、そういうことなんだよ。

人は、助け合って、支えあう。そういう存在なんだよ。

だから、いっぱい甘えていいんだよ。

大好きだよw。

生まれてきてくれて、ありがとう>自分

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月30日

私の号泣映画『A.I.』(2005年1月30日(日)の日記より)

小泉浩子さんのメルマガ
『ライターHIROの泣ける映画で人生のヒントを学ぼう!』を購読しています。

映画大好きだけど、
なかなか情報収集の時間が取れない私にとって、
貴重な情報源です。



そこでは、「泣ける映画」が以下のように評価されていて(^^)

  HIRO式涙指数

  --------------------------------------------------
   1.ハンカチ…………そっと涙をぬぐう ★☆☆
  --------------------------------------------------
   2.ミニタオル………あふれる涙を抑える ★★☆
  --------------------------------------------------
   3.バスタオル………ひたすらだだ泣きをする★★★
  --------------------------------------------------



そこで私の『バスタオル映画』ってなんだろうな、と考えてみました。



まず思い浮かぶのは『A.I』ですね。
あの、オスメント少年の。スティーブン・スピルバーグ監督の。



----**----以下ネタバレ注意----**----
『A.I』をこれから見ようと楽しみにしている方は読まないでくださいね。



実は、映画の内容自体は評価していないんですね。
スティーブン・スピルバーグ監督の作品としては、
駄作なんではないかとさえ思ってます。
(好きな方、ごめんなさい!)

ストーリーの完成度とか、細部のツメとか、甘すぎるのでは、と。


でもそれでなぜバスタオル映画なのか。



私のインナーチャイルドを
これでもかこれでもかと 刺激してくれた作品でした。

頭では色々批判しながら見ているのですが、
心は悲鳴を上げながら号泣です(;;)
もちろん、顔グチャグチャ、鼻水ずるずるです(^^;

そして、この映画のすごいところは
(っていうか、私にとって凄かったところは)、
何ヶ月たっても思い出して泣けるとこです・・・



家族でドライブに行っての帰り道、子どもたちが疲れて眠り込んだ静かな車内で。

家族でキャンプに行き、そのテントの中で。



ひとりで静かに物思いにふけるとき、
私は何度も何度も、『A.I』を思い出して泣きました。
切々と。しみじみと。すすり泣きました。
何度も何度も。
三ヶ月経っても、半年経っても。

ラストを思い出すのです。

デイヴィッド少年が、宇宙人の協力で、
とっくに亡くなったお母さんをクローンで作り出してもらい、
一日だけの約束で一緒に楽しく過ごすラストを。

「お母さんはこれが好きだったよね」と言いながらコーヒーを入れてあげ、
心置きなく、誰にも邪魔されず、
かくれんぼして無邪気に遊び、甘え・・・


何度も何度もその場面を思い出し、泣いてしまうのです・・・

自分でも不思議でした。
なぜこんなに胸が引き裂かれるほど悲しく、つらく、苦しいのか。
なぜ何ヶ月経っても思い出し続け、泣き続けるのか。


半年くらいたって、あるきっかけでやっと気が付いたのです。


私はうらやましかった。デイヴィッドが。

私も子ども時代をやり直したい。
お母さんのくったくのない笑顔が見たい。
お母さんが幸せそうに笑う姿を、私が作り出してあげたい。
子どもに返って、何の心配も悩みもなさそうなお母さんと、
二人きりで、過ごしたい。

一緒にケーキ作りたい。好きなコーヒーを入れてあげたい。
そして嬉しそうで幸せそうな笑顔がみたい。


父と仲が悪く、いつも眉間に皺を寄せ、
「あんたたちがいなかったら離婚できるのに」と
暗い顔でため息をついていた母・・・


私はこんなにも胸を痛めていたんですね。
私は 母を幸せにしてあげたかった。
それができなかったことを、こんなにも責めていたんですね・・・


それに気づき、号泣しました。
それこそ、バスタオルが必要なくらい号泣しました・・・

だから、家族で楽しく過ごした後に限って思い出して泣けたんですね・・・。

いっぱい泣いて、インナーチャイルドを抱きしめました。
それ以来、思い出して泣いてしまうことはなくなりました。

映画を見て泣くことって、少しずつ自分を癒しているんでしょうね。
そう感じた経験でした。




みなさんにとっての『バスタオル映画』って、なんですか?


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 02:33| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
banner.jpgホームページ「スピリチュアルコーチング」はこちら!
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。