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●インナーチャイルドの癒しの旅
●自分史:夫との出会い
●魂に響く絵本・児童文学第一号〜順次掲載しつづけます
●自分史:占い師への道
●過去生の記憶(魔女狩りの記憶 他)
●私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

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2009年07月02日

子どもの頃から、家族のために、いっぱい我慢してきた

2009年5月15日(金)


■タイトル

子どもの頃から、家族のために、いっぱい我慢してきた。周囲に迷惑をかけないために、いっぱいがんばってきた(;;)


■本文

昨日の暗い日記に、温かい反響をたくさんありがとうございました!

ああやって自分の中のモヤモヤや悲しみを表現してみたおかげで、

また色々気づきが進みました・・・



子どもの頃から、不仲な両親の間を取りなすために、

そして不幸な結婚生活で眉間にしわを寄せてはため息ばかりついている母親のために、

そして半分ノイローゼ気味の母のヒステリーから妹たちを守るために、

私はたくさん我慢して、そしてたくさんがんばってきた。



子どもの頃から、周囲に気を遣い、迷惑を掛けないように、自分を押し殺して来た。



そんな人生ならもうイヤだ。

そんな生き方は、もううんざりなんだ。



そういうことなんだと思います。




今回、「自分はもしかしたら病気を持ってるのかも」と思ったとき、

自動的に

「ではもっとがんばらなくては。

私が元気でいないと家族や周囲に迷惑をかけちゃうから。」


と思いました。


そしたら・・・。


内側から

「もうこれ以上がんばりたくない!

今まで十分がんばってきたし自分を押し殺してきたし我慢してきた。

これがもうこれ以上続くだけなら、別に生きていなくてもいい!

誰かのためにがんばったり我慢したりするのは、もうたくさんだ!」


という猛反発が帰ってきた、ということなんだなあ、と・・・。



もう「余命宣告」を受けたつもりで、好き放題やって生きたいな。

だって、限りある命だもの。

実際、今日死ぬか明日死ぬか、誰しもわからないんだもの。


そんなことを考えさせられました・・・




今日はりんご園やサクランボ園の間をドライブ。

空は抜けるように青く、リンゴやサクランボの木々は花ざかり。

まるで桃源郷のように美しい光景でした。。。



世界は美しい。

我慢やがんばりで心を閉じて生きて行くにはもったいない。

しみじみとそう感じました・・・



迷惑を掛けてもいいし素っ頓狂でも非常識でもいいじゃないか。

私らしく生きたい。

木々がただ内側の発露として花を咲かせているように。

誰の評価も気にせず咲き誇っているように。


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 02:43| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

積極的に「生きたい」とはまだ思えていない

2009年5月14日(木)


■タイトル

積極的に「生きたい」とはまだ思えていない自分と出会って凹んでます・・・


■本文

一昨日、「これって病気の兆候なんじゃ?」というカラダの不具合に気づきました・・・

(あ、慢性系の病気かも、って感じのことで、痛かったり苦しかったりはまったくしないですので安心してくださいね。

まずは病院行ってきまーす。

全然杞憂かもしれないんで。)


それでわかったこと。

「私はまだ、積極的に生きたいと思えていない」



自分が病気を持ってるかもしれないことよりも、その事実がショック・・・

健康とか長生きとか、なんだか全然ピンと来ない私がいて・・・

治療とかもあまり興味ない。(あ、もし病気だったら、ね。)

そして、そんな自分にすごい罪悪感を感じる。

「生まれてきた以上、しっかりと生きなきゃだめなんだ!」

「子どもだってまだ小さいのに!」

「生きたくても生きられない人たちがたくさんいるんだぞ!」

自分を責める声が大合唱。



今、かなり凹んでます・・・

病気の兆候のことよりもなによりも(たいした病気でもないしね)、

「生きたいと思えてない自分」に気づいたこと、

そしてその自分を責める声が自分の中で大合唱していることに、

かなり凹んでます・・・


今週末の「ネイティブアメリカン自然との共生の智恵」合宿に期待。

スピリチュアルカウンセラーの華代さんも心理セラピストのふたこさんも参加してくれるんだから、

ちょっと相談してみようかな。

あ、お医者さまのうみやみさんにも相談できるね。


まずは、自分を許し受け入れようっと。



 私は無理に生きたいとねがわなくてもいい。

 私は生きたいと思わなきゃだめだ、って自分を責めるのをやめてもいい。

 私はがんばって生き続けようとしなくてもいい。



 私は「家族のため」と、本当には望んでいないことを望まなきゃと自分を責めなくてもいい。

 誰かのために自分を抑えてがんばらなくてもいい。

 もうこれ以上我慢したりがんばったりしたくない。

 
 私はがんばることを放棄してもいい。

 私はもう二度とがんばりたくない。

 私はもう我慢したくない。

 私はやりたくないことはやりたくない。

 望んでないことは望んでない。

 ありのままの自分を肯定してもいい。


 私は心底生きたいと思えるようになりたい。

 私は生きたいと願いたい。

 本当の自分として、生きたいと願いたい。

 
 私は本当の自分として生きてもいいはず。

 私は本当の自分として生きてもいいはず。

 私は生きてもいいはず。
 


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私は歌いたいし踊りたい!!

2008年11月13日(木)


■タイトル

私は歌いたいし踊りたい!!


■本文

前回の日記に、ミクシィでたくさんのコメントをいただきました。

ありがとうございました!!


元々ひどいAC(アダルトチルドレン)で、自己否定が本当にひどくて、自分に「生きてること」を許可できてなかったのですが・・・

最近はどんどん自由に主体的に前向きになってる!って思ってたのにまだ二割かよ、みたいな(苦笑)


「休みたいときは休んでいい」

「したくないことはムリしてしなくていい」

などの、「やめる」系、「手放す」系はだいぶできてるんです、しばらく前から。

「愛と桃舎」のあぜさんのセッションなどを受けてきた過程で、その辺はかなり解放されました。

 
でも、

「やりたいことはちょっとくらいお金かかってもやる」とか、

「仕事と関係ない、純粋に好きなこと、楽しいことを、万難を排してでもやる」とは

なかなか思えなーーーい!!




     □ ☆ □




日頃クライアントさんに「チャレンジする」ことを要請し続けているコーチである私。

ここで自分がチャレンジしなければ女がすたる。

やらせていただきますとも。

宣言。



 「仕事と関係ない、純粋に好きなこと、楽しいことを、万難を排してでもやります」




というわけで、今週の土曜日はマイミク+かるめん+さんのフラメンコライブを観に行きます!!
  

年末は、マイミクサト@さんに誘っていただいた三日連続ゴスペルワークショップに参加したい!!
  



     □ ☆ □




自分に楽しみや遊びを許可しないのは、チャイルドちゃんを大切にしないことにつながるんですね。



気づいてなかったですが、DAYAさんのセッションを受けて突然腑に落ちました!!
 

テーマは全然違うことを扱ってたんですが、すべてはつながってますね。

「ワガママ言っちゃだめ」「静かにしてろ」「我慢しろ」と言われ続けたチャイルドちゃんが、どれほど傷つき、怒り、悲しんでいるか。

それは存在否定に等しい。



もう我慢したくない。

チャイルドちゃんは、生きることを楽しみたがってる。

遊びたがってる。

歌いたがってるし、踊りたがってる。




     □ ☆ □




というわけで、フラメンコのライブ行ってきます!!

私が踊るわけじゃなくって見るだけですけど、でもフラメンコ大好きなのでワクワクです

オーレ!

それから、三日間のゴスペルワークショップも行けるようにがんばる〜

あきらめない!

(いやね、行きたいって夫に相談したら、「そんな暇があるならたまには子どもと遊んでやれ」と一蹴されたんですよ

確かに・・・って自分でも思ってしまうだけに、つらい

よく話し合ってみます。)

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「もっと遊びたい」「もっと楽しみたい」とまだ言えない私(^^;

2008年11月11日(火)


■タイトル

「もっと遊びたい」「もっと楽しみたい」とまだ言えない私(^^;


■本文

先日の波動ワークで、小窪・荒島先生に、「たまちゃんはまだ本当の自分の2割くらいしか出してない」って言われちゃいました[m:78]

十分ワガママに、自分らしく、どん欲に振る舞っていたつもりだったので、すごく驚きました!!

これで2割だったら、10割出したらいったいどうなっちゃうの?!



波動ワークから一週間。

少しずつ、先生方のおっしゃった意味がわかってきました


私、まだ、自分の弱っちい面、情けない面、傷つきやすい面、寂しがりやな面を、受け入れ切れていないかも。

そういう側面の声を、聞き入れないように耳をふさいでいるかも。

「静かにしてろ」「ワガママを言うな」「黙っておとなしくしてろ」と抑圧し、押さえ込み、なかったことにしちゃってるかも。


今年の5月の心屋ぢんのすけさんのワークショップで、私まだ「さびしい」って言えなかったものね、思い返してみれば。

「子どもの頃、本当は言いたくても言えなかったことを言ってみましょう」というワークで、「さびしい」って言いたかったのに、口に出せなかった

ただ涙が出てくるばかりで・・・

「言っても無駄」

「そういうことを言うと、迷惑になる。負担になる。」

「あきらめろ。何も期待するな。黙って我慢してるのが一番いいんだ。」


そういう思いこみ、絶望、あきらめが、今年の5月の時点で生々しく残っていました。


私もまだまだ渦中だなあ、と、実感させられた経験でした。




私ね、まだ「回りまわって周囲の役に立つこと」しか、望んだり求めたりできないんです

「これは仕事の役に立つ」

「これは自分を成長させてくれる。つまり後々周囲に貢献できるネタになるはず」

なにか、こういう言い訳ができることでないと、自分に許可を出せないんです。

自分に、純粋な喜びや楽しみを、許可できない。

テレビを見て笑う時間を、自分に許せない。

ぶらりと旅行に行くとか、もってのほか。

仕事に使う物や最低限の生活必需品以外の買い物をすることが、できない。


テレビとか散歩とか、「子どもとの団らんの時間」、などの言い訳をつければ少しはできる。

そういう言い訳が必要。



そろそろ、自分の「あまり役に立たない部分」の存在を、丸ごと認めてあげたい。

楽しんでいいよ、遊んでいいよ、って言ってあげたい。

周囲の人の役に立つことでしか、存在を許可できない。

そんなところから、そろそろ抜け出したい。

純粋な楽しみの時間、遊びの時間を、自分に許したい。


寂しいって言っていいよ。

たまには負担になってもいいんじゃない?

たまには迷惑かけてもいいんじゃないかな。

とにかく、そのことをあんまり恐れなくてもいいと思う。

人と人は支え合うものなんだから。



というわけで、またもう一段と自由でワガママで破天荒な自分にチャレンジ。


まっすぐに望んでも良いんだと思う。

あまり遠慮したり気を回したり「きっと迷惑だ」と先回りして自分を責めたりせずに。

もし受け入れがたかったら、きっとサラリと気持ちよく断ってくれるさ。

そのときにこちらもサラリと撤回すればいいだけなんだ。


いろんな望み、いろんな想い、いろんな願いを自分に許そう。


私は私のままでいい。

私の胸の奥、魂の奥からわき出てくる願いを自分に許そう。

仕事以外の楽しみを自分に許そう。

純粋な遊び、純粋な楽しみを自分に許そう。



そしたら、「本当の自分」を三割くらいは表現してることになれるかな??



タグ:波動ワーク
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

がんばってがんばって役に立つ自分になれれば、周囲に受け入れてもらえてる実感が手にはいると思ってがんばってきた。

2008年8月12日(火)


■タイトル

燃え尽き症候群また発症中


■本文

定期的に「もうこれ以上がんばれない」という状態に陥るたまちゃんです(苦笑)

この度、これと言って「大きなイベントが終わった」などのわかりやすいきっかけもなく、一週間ほど前からガクッと来てました・・・

前兆はもっと前からありましたね・・・一ヶ月くらい前から? 

ピークは昨夜。



「なあーーーーーんにもしたくなぁーーーーーいっ!!!」




やらなければいけないことを目の前にすると、体の奥底から、ほとばしるようなつらい想いがあふれてきて・・・

苦しくて苦しくて体も思うように動かないし、涙は止まらなくなるし。

パソコンを前に、事務処理などに取りかかろうとするたびに突然何もできなくなってしまって。





  ※そのせいで、メールの返信・メッセージの返信など、各種作業が滞っております。

  ご迷惑をおかけしてる皆様、ご心配をおかけしてる皆様、ごめんなさいね

  自己管理能力がまだまだ低くって。

  ホント、お恥ずかしい限りです。

  今後、鋭意努力していく所存ですので、温かい目で見守っていただければ幸いです。




その「なんにもしたくない」気持ちをよくよく聞き取ってあげると、その底にあったのは。



「もうこれ以上がんばれない」



そしてもっとその底にあったのは。

「がんばってがんばって役に立つ自分になれれば、周囲に受け入れてもらえてる実感が手にはいると思ってがんばってきた。

でも、なにも変わらないじゃないか。

いつまでたっても、どれほどがんばっても、いくら実績をあげても成果をあげても相変わらず不安なだけ、寂しいだけ、孤独なだけ。

がんばってもがんばっても、何も変わらないなら、もうこれ以上がんばりたくない。

何もしたくない。」



という想い。



ああ。

私は、「がんばってがんばって、役に立つ自分にさえなれれば、周囲から受け入れてもらえる」と思いこんで、自分にむち打ってきたんですね

・・・


全然気がつかなかった。




あのね、「役に立つ喜び」と、「受け入れてもらえる安心感」は、分けて考えて大丈夫なんだよ。

受け入れてもらえた実感、欲しいよね。

当然だよ、わかるよ。

人として当然の欲求だよ。

これから、もっともっと味わえるようになっていこうね。


でもね、それは「役に立つ」ということとは、関係なかったんだよ。

役に立たない自分でも大丈夫だったんだよ。

必要なことは、「受け入れられていると実感したい自分」に気がつくことと、そして、周囲からの愛と受容を受け取ると宣言すること。

それだけでもう大丈夫。

安心して満ち足りて愛を実感していけるようになっていくよ。

これからどんどん変わっていくよ。





そして、「役に立てる喜び」も、もっともっと謳歌していこうね。

私たちはたくさんの人の役に立てるよ。

存在意義を発揮していこうね。

お役に立つ喜び、満足、輝きあえる悦び、照らしあえる悦びを、もっともっともっと純粋に味わおうね。

何かと引き替えるための取引材料として、ではなく、ただただ喜びのために。


もっともっと、生きることを楽しんでいこうね>小さなたまちゃん。


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

薄皮をはぐように、幼少時のトラウマ由来の信念体系を手放していく


2008年6月1日(日)


■タイトル

薄皮をはぐように、幼少時のトラウマ由来の信念体系を手放していく


■本文

5/31(土)は、メルマガ発行仲間、心屋仁之助さんの 『自分を開示し 人間関係やコミュニケーション、劣等感が根本から楽になるワークショップ』に出て参りました!

 ※心屋仁之助さん
 サイトhttp://www.kokoro-ya.jp/


二日間セミナーのうち、二日目の今日(日曜日)は所用のため出席できなかったのが本当に残念。

一日目だけでもかなり深かったので、二日目も参加したらどうなったことでしょうか・・・

早速昨日お友達になった、参加者さんのお一人が二日目の感想&報告メールをくださいましたが、かなりな感動体験&変容体験をされた様子です

出たかったなーーーー





一日目だった昨日。

「今までの失敗体験」などを一分間ずつかるーく話す、みたいなところから始まり。

「トイレねた」などをシェアしてげらげら笑いあっていたわけですが。

ぢんのすけさんの深刻ぶらない爽やかなリードのもと、気がつけば「子供時代のつらかったこと、されていやだったこと」「そのとき、本当は言いたかったこと」などを泣きながらシェアしている自分がおりました

あの重くて深くて痛い話を、なぜかついついさくさく話してしまう雰囲気作りはうまかったです、ぢんのすけさん。

段階を踏んでスモールステップで軽い話から深い話、痛い話、本当の話に少しずつ近づけちゃう手法は・・・鮮やかでしたね。

さすがです。



で。

昨日。

「子供時代のつらかったこと、されていやだったこと」「そのとき、本当は言いたかったこと」などについて、涙ながらに話す体験を通し・・・

自分の子供時代の傷や痛みや苦しみを、俯瞰して一覧しました。

そして、私はまだまだこんなにたくさんの問題を生々しい痛みと共に話すような状態にいるのだな、と(苦笑)


今回、この時期にこんな時間を持つことができたことに、なんだか、布置(コンステレーション)を感じました。

シンクロと言い換えてもいいのですが。


2006年の春くらいから二年間掛けて、私は自分の中の見捨てられ不安や愛情飢餓感、孤独感、傷ついたインナーチャイルドと徹底的に向き合い、解放し、癒すことに取り組んできました。

その二年間も掛かった大きな流れが、今やっと終わりかけています。

この二月三月の日記にも少し書いた、人間関係でひどく傷ついた体験、憎しみにとらわれてしまった境地からはい上がってきた体験が最後のクライマックスとなりました。

その痛みと苦しみと七転八倒からはい上がる過程で、"自分自身とつながり直し、受け入れ直す"、ということができたような気がします。

そして先日の「サバイバル技術体験講座」で、"世界とつながり直す"体験をしました。



自分自身とつながり直し、統合された自分として世界とつながり直した一週間後、子供の頃のトラウマ体験を一覧する機会に恵まれるなんて。

なんとも不思議なタイミングです


その幼少時トラウマ一覧を通し、自分の誤った信念体系を見直しました。

「生まれてきてごめんなさい。生まれてきたことで、迷惑を掛けてごめんなさい。」

「私はここにいない方がいい。いると迷惑になり、負担になる。」

「私は一人ぼっちだ。」

「誰も信じてはいけない。」

「優しい言葉で近寄ってくる人は、みんな手のひらを返して裏切って去っていく。」



・・・確かに、私にはこういう思いこみがあります。

まだ、残ってます。



薄皮をはぐように、少しずつ、少しずつ薄くなっていますが。




ぢんのすけさんのワークショップを通じ、また薄皮を一枚はぐことができた、と感じてます。

残った薄皮も、もう少ない気がする。

完全解放される日も、もう近い気がする。


ぢんのすけさん、ありがとう!

二日目も出席できれば、きっと完全解放できたんだろうなあ。
残念。

 ※心屋仁之助さん
 サイトhttp://www.kokoro-ya.jp/


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

弱くて無力な自分を受け入れます

■日付

2008年4月5日(土)


■タイトル

新月に贈る【宣言文】。「弱くて無力な自分を受け入れます」


■本文

さきほど、

【宣言文:私は弱くて無力な自分も受け入れます】

を読み上げている音声ファイルを音声ブログにアップして参りました〜。
http://tamahovoice.seesaa.net/article/92335697.html

宣言文です。

アファーメーションです。

明日が牡羊座の新月という今日、アップするのにちょうどいいタイミングだったかも。



       □ ☆ □



  【宣言文:私は弱くて無力な自分も受け入れます】



  私は生まれてきても良かった。

  私は生きていても良い。

  私は役に立たない自分を愛する。

  私は弱くて無力な自分も受け入れ、愛する。

  人に迷惑を掛け、負担になる自分も受け入れ、愛し、慈しむ。

  誰かからNOと言われることも受け入れ、受け止める。

  そんなこともあるさ。それがなんだと言うんだ?

  私は生まれてきても良かったんだよ。

  人に迷惑を掛けて負担になっても良かった。

  それもまたこの世へのギフトなんだよ。

  NOと言われても大丈夫。

  Noの奥にある大きなYesに目を向けよう。

  大きなYesに裏打ちされたNoだけを受け止め、そしてそんなNOだけを発信しよう。



       □ ☆ □



自分にも必要なメッセージだと言う方は、ダウンロードされて毎日聞いてみてください。

潜在意識にインプットされちゃいますよ!

宣言文も、よかったらプリントアウトして貼っておいてくださいね。

あ、一応著作権は珠帆美汐に属しますので、それだけは。

(転載、引用などご希望の方は、作者名とリンク先を明記しててくださればそれでOKです)



       □ ☆ □


私には、

「私は生まれてきただけで周囲に迷惑を掛ける存在だ」

「弱くて無力で役に立たない自分は生きている価値がない」

「生まれてきてごめんなさい、迷惑を掛けてごめんなさい」

という強い思いこみがあり、それでずいぶん苦しんできました。


何度もセラピーやコーチングセッションで扱いつづけ、かなり楽になったし解放されてきていたのですが、

今回の「つらかった月間」中は「これでもか」「これでもか」とそこを刺激され続けました。

今考えれば、卒業のためのお試しだったんでしょうね。

この課題をクリアできたかどうかの卒業試験。



 『誰かが「そのままでいいよ」「迷惑なんかじゃないよ」って言ってくれさえすれば生きていけるのに。
 
  誰か一人でもいいから。』


ずっとそう思ってきました。
そんなことを言ってくれる相手を渇望してきた。


でもね、外に求めている限り、常に不安定。
常に渇望しつづけないといけない。
常に確認し続けないと、不安でいてもたってもいられない。


  そんなのは、イヤ。
  
  そんな人生は、イヤ。


  もう外に承認は求めない。
  もう外に証明は求めない。
 

これからは自給自足!! 自立よ!!



というわけで作った宣言文でした。

牡羊座の新月には、自立に関する宣言文が効果的だそうです。

本当にタイムリーなのかも。




posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インナーチャイルドが順調に育ってます!

2007年12月6日(木)


■タイトル

インナーチャイルドが順調に育ってます!


■本文

前回の日記、「文字通り息を殺して生きてきました」に

たくさんの心のこもったレスをありがとうございました。


みなさんのレス、何度読み返しても、泣けます(;;)


私だけじゃないんですよね。

幼い頃、大好きなお母さんを喜ばせたくて、

それができないならせめて苦しめたくなくて、

自分を責めて、押し殺して(TT)


その悲しみ、その胸の痛みが

今もインナーチャイルドとして心の奥底でまだすすり泣いている・・・

それぞれの、胸に秘めた幼い日の哀しみに、深く共感します・・・


お一人お一人にレスを書けなくてごめんなさいね。



     □  ☆  □


確か、一年前にも

同じような課題と直面してなんとか乗り越えたんだよな、

と過去日記を読み返してみました。




【無力で役に立たない自分を受け入れる】2006年11月02日

 −−一部抜粋引用。主にあぜさんとのセッション記録です−−


無力で、なんにもできず、

全面的に世話を焼いてもらうしかない赤ん坊の自分。

弱々しくて、依存的で、どんなことも自分ではできず、

泣き声をあげて助けを呼ぶしかない自分。


情けなく、みっともなく、はた迷惑。

お前のせいで、

どれほどお母さんがしんどい思いをしているのか、わかっているのか?

自責の念。

罪悪感。


   (中略)


誰か一人でいいから、私を受け入れてくれたら。

一生に一度でいいから、「迷惑じゃない」って言ってもらえたら。

ぶにょぶにょで弱々しくて無力で依存的な、

そんなお前の面倒を見るのはむしろ喜びだ、と。



誰かひとりでいいからそう言ってくれたら。

嘘でもいいから。

そうしたら、生きていけるのに。



散々泣いてから、イメージの中で、左手にその弱い自分を乗せて見てみました。

「小さくて傷つきやすそうで柔らかそうで、くるんと丸まっていて・・・」

私が描写すると、あぜさんが、「まるで胎児のようですね」と言ってくれました。


  ああ、胎児なんだ・・・。

  赤ちゃんなんだ。

  急に愛しくなってきました


   (中略)


無力で、役に立たない存在である自分を、受け入れてないのは、私自身でした。

弱くて依存的な自分は、

みっともなくて醜くて気持ち悪いと決め付けて否定していたのは、私自身でした。


弱々しくて傷つきやすい存在って、かえっていとおしい。



私は、私の弱さを、受け入れます。

抱きしめます。

なんて可愛い。



あのね、無力でも良かったんだよ。

迷惑なんかじゃ、なかったんだよ。

いのちって、生まれてくるって、そういうことなんだよ。

人は、助け合って、支えあう。そういう存在なんだよ。

だから、いっぱい甘えていいんだよ。

大好きだよw。

生まれてきてくれて、ありがとう>自分



    -*----*----*----ここまで----*----*----*



  ※全文はこちら
  http://tamahomishio.blog69.fc2.com/blog-entry-93.html



     □  ☆  □



読み直してみて・・・

あの時の胎児、あの時の赤ちゃんが、生まれてきてくれたんだ、と。



私たち夫婦は、数年前に三人目が欲しくて努力していたのに、授からなかったのです。

もう歳だから無理なのかな、とあきらめてから突然授かったのが、

先日生まれて来てくれたベイビーちゃんなのですが。



この日記を書いたのが去年11/2。

妊娠に気がついたのが、そのわずか三ヶ月後の今年2月。

つまり、あぜさんとのセッションで、

弱々しい胎児である自分を受け入れて抱きしめられてから日を置かずに、

受胎していることになります。



数年間、まったく授からなかったのに。

そうそう、セッション中にイメージとして現れた「胎児」ちゃんは、

小さなお魚みたいな姿でしたよ、そういえば。



ごく妊娠初期の姿でした。

あれから、着実に育っていたんですね・・・

そして、こうして生まれ出てきてくれた。

ずっと、生まれたくて、私の周りを飛び回っていたのかもしれません。

それなのに、私が中々受け入れてあげなかったのかも。

ごめんね、赤ちゃん。



今、目の前にいる、弱々しくて無力で全面的に依存してくる存在。

私は、あなたの弱さを、受け入れます。

抱きしめます。

なんて可愛い。



あのね、無力でもいいんだよ。

迷惑なんかじゃ、ないんだよ。

いのちって、生まれてくるって、そういうことなんだよ。

人は、助け合って、支えあう。そういう存在なんだよ。

だから、いっぱい甘えていいんだよ。

大好きだよw。

生まれてきてくれて、ありがとう>ベビちゃん。私の内なる幼子。


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月07日

私は生まれてきたくなかった(2005.2.10の日記より)

ヒプノセラピー体験記第二弾!

りり&ririさんのヒプノセラピーを体験しました。

二回目のりり&ririさんヒプノ体験です。


もう一週間以上経ってしまいましたが、感動体験でしたのでいまさらですがご報告しますね。


ヒプノで見たいもの、扱いたいテーマを、始めるときに明確にします。



私は、

「社会に出るとか人前に立つっていうことに、

根強い苦手意識や、根拠のない不安や恐怖がある。

その原因を見つけて癒したい」

ということをテーマに選びました。


その原因にさかのぼっていく中で、

お母さんのお腹に居たときのことを思い出しました。

すると突然、まるで平衡感覚がどうかしたかのように、体が揺れて感じられはじめました。

まるで波にもまれる舟の上で横になっているように。

ちょっと気分が悪くなったくらい。


羊水に浮かびながらお腹の中で運ばれている感覚なんでしょうか・・・

実感としてゆらりゆらりと揺れて感じるのがなんとも不思議・・・



それとともに、母がとても不安がっている気持ちをありありと感じました。


色々と複雑な環境の中で、

ひどく不安な思いで毎日をすごしている母の気持ちが、痛いくらいに・・・。


そして、お腹の中の胎児である私は、ひどく心を痛めます。

私がなんとかしてあげたい、と強く思ってる。

なんとかお母さんの力になってあげたい、お母さんの助けになりたい、って。


りり&ririさんの穏やかな問いかけに答えて、

言葉を捜しながらゆっくりゆっくり自分の中を探求していた私ですが、

この気持ちを思い出したとき、泣けて泣けて仕方ありませんでした。


母の力になりたい。

でもまた役に立てないに違いない。

またきっとなんの役にも立てない。



その怖れと無力感に、生まれてくるのを嫌がっている自分。


私が予定日を大幅に過ぎてから生まれてきた、という母の話を思い出しました。



こんなに不安がっておびえていたからだったんだー。



で、残念ながら、その不安は的中してしまったわけです。

迷惑をかけ続け、面倒をかけ続ける乳幼児の自分。

次々に生まれるきょうだい。

家事育児に髪を振り乱し、眉間に皺を寄せ、暗い顔でため息をつき続ける母。

「子どもさえいなければ」の言葉。



私は「ほらやっぱり何の役にも立てない。

迷惑になるくらいならば生まれてこなければ良かった」と、

自分を責め、自分の存在を否定しました。



私なんか生まれてこなければよかった。

そしたらせめて迷惑だけはかけなくてすんだ・・・




りり&ririさんにハグされて大泣きしました。

優しい温もりの中、存分に泣いたあとに見えてきたもの。




「判断するのが早すぎた」


私が何か人様や社会の役に立てるとしたら、今から。

1歳や2歳のときに“役に立てない”と判断したのは早すぎた(苦笑)


母に、“あなたが苦労しながら育てた子はこんなにも社会のお役に立っています”と見せたい。

“あなたの苦労はこんな形で実りました”と。



私の、

「社会に出るとか人前に立つっていうことに対する根強い苦手意識や不安や恐怖」

の理由が少し見えてきたように思いました。



また役に立てない、また失敗する、迷惑だったらどうする、お呼びじゃないに違いない。


そんな気持ちが沸きあがってくるのです。

(きっと、過去生に、手ひどい失敗体験があるのでしょうね・・・

いや、ひとつふたつそれらしきものを思い出しているのですが。)



ちょうど母のお腹からなかなか出てこれなかったときのように。




でも、ここで私がためらい続けたら、また私は役立たずで終わってしまう。

母に、

“あなたが苦労しながら育てた子はこんなにも社会のお役に立っています”と見せるためにも、

“あなたの苦労はこんな形で実りました”と誇りに思ってもらうためにも、

私はもう苦手意識や不安や恐怖は手放します。


私は、社会に関わっていく。

私は仕事をしていく。

私は広報や告知を恐れない。

私は成果を上げる。

私は露出度を上げていく。

私はもう引っ込まない。


たくさんの人にお役に立つために、

持って生まれた特性を、得意分野に生かしていきます。


私はここにいて、コーチングとタロット占い師をしています。

どうか、あなたのお役に立ててください。
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2007年07月06日

父と話す(2006年6月13日(火)の日記より)



ただいまです〜。

6/12の夜、旅から、帰って参りました〜。


三日間のCTIコーチング応用コース@大阪に

アシスタントとして参加してきました!


6/8の朝は、とうとう完徹完遂。

一睡もせぬまま家を出ました(爆)

もちろん、洗濯物はたためないまま(失笑)


姫路の実家に滞在させてもらったので、

たまには両親に孫の顔でも見せようと、下の子を連れての旅。


はしゃいだ息子に、飛行機の中でも電車の中でも眠らせてもらえず(汗;

疲れが取れぬまま・・・。


そして、本番開始。

翌日から、朝7時に家を出て、丸一日の研修にアシスタントとして従事し、

夜は9時前に帰宅する日々・・・。


疲れました〜。


好きなことだからやってられるんだよな〜。



研修の内容は、素晴らしかったです。

アシスタントとしての学び、というよりも、一参加者として、

生身で、自分自身の人生と向き合うこととなりました。



で。


東京旅行からの一連の学びが、集大成を迎えました。




前回の日記「東京旅行中盤戦のご報告」では


対人恐怖症がまだ癒えない自分を感じていき

子どもの頃、父と不仲だった母から、

「あんたたちさえ生まれていなければ、離婚できたのに」

と何度も何度も聞かされてきたことを思い出したことを書きました。


「私なんて居ない方がいい。私なんて居ない方が、みんなが幸せになれる。消えてしまいたい。」


と、心の奥底にインプットしてしまっていたことに気づいたことを。


「この“恐れ”の源は“愛”だった」

「私は、こんなにも周囲の人の幸せを願っている。

自分自身の存在を消してしまってもいいと思うほどに。」



と気づいたところで、「つづく」と結んだのですが。



「東京旅行後半戦のご報告」をすっとばしてしまいますが(^^;

今回の関西旅行で、すべてが大団円を迎えました。



私は、愛されてきたのです(涙)


私は、生まれてきても良かった(涙)



研修の二日目に、参加者全員に宿題が出されます。

それぞれが、コース中のコーチングで、「人生に意味のある一歩」を決め、

それを帰宅してから次の日のコース開始までの間に、

必ず実行すること。


私もアシスタントとしてコーチングセッションに参加し、

そして自分にとっての「人生に意味のある一歩」を決めました。


それは、「父と対話すること」でした。



以前、日記にも書いたことがあるように、父はいつも不機嫌な人でした。

その日記は残念ながら、今回の「ブログ強制削除事件」で消えてしまったようなのですが(涙)


なにか気に触ると、いつまでも大声で母に対して怒鳴り散らしていました。

もちろん、母だけでなく、幼い私たちきょうだいも、その標的になりました。


暴力も、ゼロではありませんでした。

多くもなかったのですが。


私の子ども時代、父が居る間は、家は安全な場所ではありませんでした。

いつもびくびくして、父の顔色を伺っていなければいけなかった。

そうしてないと、私だけじゃなく、大好きな母や、姉や幼い弟妹が酷い目に遭う。


正直に言って、私は父が嫌いでした。

恨んでいました。

母にため息をつかせつづけ、「あんたたちさえいなければ」と言わせ続けた

私の無邪気で幸せな子ども時代を奪った張本人。

そう思いこんで責めていました。



ずっと責めて、恨んできた。



その父への恨みがましい気持ちを、とうとう手放すことにしました。

とても勇気の必要な決断でした。



きっかけは、よーじゅ先生の占星術講座。

習ったばかりの占星術の知識で、家族全員の私との相性を何の気なく見ていたのですが。

父との相性を見てみると、なんと・・・。


父はすごく私を支え、応援してくれる存在として、そこに浮かび上がるのです。


意外に思いながらも「そうかな?」という目で見てみると。


・私の、人の内面と自分の内面に対する強い興味と関心は、
 明らかに父から受け継いだもの

・父の蔵書のおかげで、ユングやフロイトを始め、
 数多くの心理学の専門書に触れることができた

・高い教育を受けさせてくれた

・コーチングの勉強も、影になり日向になり、応援し続けてくれている


これをきっかけに、この歳になってやっと、心からの父への素直な感謝がこみ上げてきました。

私は父から、応援され、支えられてきた。

もしかしたら、私は父から愛されてきたのかもしれない。



そしてこの土曜日、家族での食事のあと、私は父の自室まで父を追いかけていきました。



そして、感謝の気持ちを伝えました。

父ははっきりと「よくがんばってると誇りに思う」と言ってくれました。

ブログも読んでいる、と(驚!)

とても自慢に思っていると。

応援してる、と。



パパ、この日記も読んでますか?

私はずっと、あなたを恨んできました。

愛されてこなかったと思っていました。

私なんか、生まれてこなければ良かったんだと思っていました。



この歳になって、やっと、素直に事実が見えます。

私はずっと応援され、支えられてきた。

私は生まれてきても良かったんですよね(;;)



父と話したあと、母にその感動を伝えにいきました。

母ともまた、いろいろ話しました。

母と話しながら、泣けて泣けて仕方ありませんでした。

母もまた、こんなに私を応援してくれている。



父と母が私にしてくれたこと、そしてこれからもしてくれることは

私は両親に直接返せないかもしれない。


でも、必ず、社会には還元していきます。


そして、もちろん、私の二人の息子にも。



二人から受けとったペイフォワードは、必ず前へ前へと回していきます。

私は社会に貢献していきます!



対人恐怖症との最後の闘いが、無事終わったように感じています(^^)

「私が、生まれてきてもよかったのならば。

もっともっと社会のお役に立っていきたい。」

「私がここに居てもいいならば。

私はもっともっと活躍していきたい。

存在を生かし続け、輝かし続けていたい。」


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2007年07月01日

父の病気(2006年6月27日(火)の日記より)

父を思い出すとき、必ず浮かんでくる光景があります。

冬の抜けるような青空をバックに、坂道を片手を挙げて駆け下りてくる姿。

そして、それを見てひどく安堵している、幼い私と姉の姿。




   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




あれは、私が4〜5歳、姉が6〜7歳の頃ではないでしょうか。

父に連れられて、列車に乗って父の仕事場へ行きました。

理由は、なんだったんでしょう?

父は自分の職場を見せたかったのでしょうか。


途中、どこかの駅で、父がホームに降りました。

駅弁か缶ジュースでも買いに行ったんでしたっけ。


・・・で。


戻ってくるのが間に合わず、列車は父をホームに残して、発車(^^;

幼い私たち姉妹は、子どもだけで、車内に残されました。



・・・呆然。


しばらく顔を見合わせていた私たちですが、車掌さんを呼び止めて、

事情をつたない口調で説明し、私たちは次の駅で降ろされました。

戸外の風が吹き込む寒い駅員詰め所で、丸い石油ストーブのそばに座らされ、

熱いお茶を手渡されました。

心細い思いで、熱いお茶をふーふー吹きながらすすっていたら。



冬の抜けるような青空をバックに、父の姿が。

ホームのある方向から、片手を挙げて、走って駆け下りてくる父の姿。

その父の姿を見て、私たちがどれほど深く安堵したことか。


「パパがちゃんと私たちを迎えに来てくれた(;;)」




  .。.・:*: ☆ .:*:・:'




不和だった家庭、あまり家に寄りつかず、たまに家に居るときは

いつも不機嫌だった父。

その父との、数少ない心温まる思い出なのです。

そして、あまり強くない絆、あまりしっかりとはしていない信頼関係の、

数少ない補強材料。



「でも、最後にはちゃんと迎えに来てくれる。あの時のように。」

「決して本当には私たちを見捨てはしない。あの時のように。」




   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




父に、病気が見つかりました。

生死に関わるような病名です。


親って、居なくならない、と、どこかでたかをくくっていたように思います。

いくら、わがままを言おうと困らせようと、私を置いていかないと。

あのとき、走って戻ってきてくれたように。



決して、私を置き去りにしては去っていかないのだ、と。

いつまでも、影になり日向になり、見守ってくれるもんだ、と。

あのとき、走って戻ってきてくれたように。





   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




手術は来週だそうです。



実家から遠く離れた土地に住んでいる私にできることは、

祈ることだけです。



手術の日程が決まったら、一緒に祈ってくださいますか。




  .。.・:*: ☆ .:*:・:'




涙の父娘和解からわずか数週間。

私から父へ、感謝を伝え、父から私へ「誇りに思う」という言葉をもらってから

わずか数週間で。

いきなりの病気発覚。


まるでドラマです(;;)

まるで、安っぽい通俗なドラマみたい。



でも、病気発覚の前に、感謝の言葉を伝えられたのは、せめてもの慰めです・・・



あのとき、ハグしておけば良かったよ、パパ。
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2007年05月31日

インナーチャイルドとバーストラウマ(2006.814の日記より)

昨日、ひとりブリージングをしてました〜。



ここのところ、怒濤の学びに襲われていて。

かなり混乱していて。

先日、とうとうブルーウィンズの真美さんのところへ、

助けを求めて行ってきたところなんです。




で、はっきりしたこと。

私が苦しんだり揺らいだりしている根っこは一つ。

傷ついたインナーチャイルド。


真美さんの誘導でライトブリージングをし、

幼い頃、母に甘えることをあきらめてしまった感覚を思い出し、

号泣してきました。


たくさんの子ども、祖父母とも同居で多忙な母、

不幸な結婚生活で消耗しきった母。


どちらかと言えば私が母のカウンセラー役を果たしていたくらいです。

とても甘えられませんでした。



幼い頃に母親との幸福な一体感、絶対的な安心感を得られなかった。

そこを求めることを、

「無理だ」「不可能だ」「仕方がないんだ」とあきらめ、封印してきた。



そこが、私の根強い寂しさの元になっているようです。



「温もり」も「一体感」も「安心感」も、

この世では決して得られないのだ、と幼い頃にあきらめてしまった。


どんなに欲しくても、どんなに渇望しても、

決して決して手にはいることがないのだ、と。


「一体感を伴う安心感」や、

「愛し愛されているという確信と温もり」などを、

私は絶望と共に、自分に禁じてしまった。


 ※最初にこの「あきらめ」と「封印」に気づいたのは、
  旭川波動ワークショップだったのですが。
  またその話も書きたい!



その寂しさと諦念に焦点を当て、いっぱい泣いて来ました。

本当は、あきらめなくてもいいんですよね。

本当は既に手にしている。

だって、私には愛する夫と子ども達がいる。

この理不尽なあきらめを手放し、

私は既に満たされていることを受け入れます!



でも、まだ親玉が出てないね、って

セッションが終わってから真美さんに言われちゃいました。


多分、バーストラウマが親玉だね、って。



私が母のお腹にいたとき、母は不幸でした。

色んな複雑な家庭の事情に、翻弄されている最中でした。

胎児の私が、その状況にとても胸を痛めて、

「生まれたくない」と強く願っていたことを、

以前、りり&ririさんのヒプノで思い出したことがあります。

「生まれたら、母に迷惑をかけることになってしまう」と。




そのときのトラウマを、しっかり癒せば、

すごくパワフルに力強くなれるのにね、と。

ちょっとやそっとじゃ揺らがなくなれるよ、と。



ぜひまた真美さんのブリージングを受けて、

しっかりと根っこから自分を癒したいのですが、

昨日、ぽかりと空いてしまった時間を利用して、

見よう見まねで「一人ブリージング」に挑戦していたのです(^^)


出てきたのは、

 
  「私は災厄じゃない!」


という強い悲しみでした。


私は、誕生を、「待ちこがれた良きもの」として、受け止められたかった(;;)

私は、喜びと共に、迎えられたかった。

私は「忌むべき災厄」なんかじゃなかった。

私は本来、「喜び」であり、「福音」であり、「祝福」であったはずなのに。

そんな“良きもの”“幸いなるもの”として、天から降りてきたはずだったのに。



私は不幸の象徴か?

私は負担と迷惑の権化か?

私はお荷物か?

私は厄介者か?



私は、大好きな母に、喜びと共に抱きとめられたかった!



一人で、ぽろぽろぽろぽろ泣きました。

  「私は災厄なんかじゃなかったのに! 

   私は喜びだったはずなのに!」

と一人つぶやきながら、泣いていました。




私は、「恋愛至上主義」なところがあります(^^;

ちょっと「恋愛依存症」っぽい傾向があるのです。

その理由が、少し見えた気がしました。



私は、求められたいんです。

私は、自分を待ち望み、強く求めてくれる人が、欲しい。

私を見たときに、パッと顔を輝かせてくれる人が欲しい。

私が電話した、メールした、と言っていちいち喜んでくれる人が欲しい。


私のことを、「待ちこがれた良きもの」と見なしてくれる人がほしい。

私のことを、喜びと共に迎えてくれる人。

私のことを、「喜び」、「福音」、「祝福」であるかのように扱ってくれる存在。



幸せな家庭を築いていても、

やっぱり恋愛初期のあの狂おしいほどの情熱が欲しくなります(^^;

「会いたい」と言われたい、「声が聞きたい」って言われたい。

恋愛初期の頃の熱烈に求められる体験をもう一度!って思ってしまう(^^;


そんな自分がすごく謎で、ちょっと恥ずかしかったんですけど、

その原因が少し見えました。


誕生を純粋に喜んでもらえなかった、という心の傷からの強迫行為なんだなあ、って。


待ち望まれたい。待ちこがれられたい。

私がここに来たことを情熱的に喜んで歓迎して欲しい。

その望みを、変形した形で、叶えようとしていたのですね。


ちょっと切ないです(;;)


気づいたからには、乗り越えるよ!

ネガティブな影響から、自由になりたい。

心底、そう望みます。


私は本来、「喜び」であり、「福音」であり、「祝福」です。

そんな“良きもの”“幸いなるもの”として、天から降りてきました。


そこに、なんの証明もいりません。

誰かから保証してもらわなくても、私の価値は揺らぎません。

それを認め、受け入れます。

強迫的な証明渇望を、手放します。
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2007年05月30日

無力で役に立たない自分を受け入れる(2006.11.3の日記より)

えっと、友人の凄腕セラピスト、あぜさんに、落ち込みの真っ只中にセッションを受けたのですが。

 ※あぜさんのHP
 セッションルーム愛と桃舎

セッションの中で、「動けない自分」「人に助けを求めずにいられない自分」に対する激しい自己嫌悪を、ひたすらじーっと見つめました。

この根強い自己嫌悪、自己否定はなに?

胸の奥から吹き出してくる声高な“NO!”は一体なに?


  「私は人に迷惑をかける存在だ。

   私は居るだけで、周囲に負担を掛けてしまう。

   生まれてきて、ごめんなさい。」


根深く私の胸の奥に巣くう罪悪感。自責の念。


私は、この世に生を受けたときに、全面的に歓迎してはもらえなかった。

(こちらで詳しく書いてます。「インナーチャイルドとバーストラウマ

待ちわびた祝福として、母に、歓びと共に抱きとめられたかったのに。


無力で、なんにもできず、全面的に世話を焼いてもらうしかない赤ん坊の自分。

弱々しくて、依存的で、どんなことも自分ではできず、泣き声をあげて助けを呼ぶしかない自分。

情けなく、みっともなく、はた迷惑。

お前のせいで、どれほどお母さんがしんどい思いをしているのか、わかっているのか?

自責の念。

罪悪感。



一生のうちに、一度でいいから、思う存分、依存を許されてみたい。

誰かに、安心して、全体重を預けて、甘えてみたい。

「無力で何もできなくても、泣いて助けを求めるだけでも、それでも存在を喜ばれている」と感じてみたい。

そう実感してみたい。



一生のうちに、一人くらい、「迷惑じゃないよ」って言ってくれる人が居てくれたら。

そうしたら、生きていけるのに。


  淋しい淋しい淋しい。


あぜさんの優しく穏やかな声で誘導されながら、ありありとその渇望を味わい、さめざめと、思う存分泣きました。




みっともなくて、ぶにょぶにょしていて、できそこないの芋虫のような、気持ち悪い存在。

それが、イメージの中の弱い自分でした。

  こんなものが、愛されるわけがない。

  誰も欲しがるわけがない。

まるで、ヒルコ(古事記に出てくる、イザナギとイザナミの最初の子ども。できそこないだから、って捨てられちゃう)。


その、ヒルコのような気持ち悪い弱い私が、身をよじって泣き叫んでいました。


誰か一人でいいから、私を受け入れてくれたら。

一生に一度でいいから、「迷惑じゃない」って言ってもらえたら。

ぶにょぶにょで弱々しくて無力で依存的な、そんなお前の面倒を見るのはむしろ喜びだ、と。

誰かひとりでいいからそう言ってくれたら。

嘘でもいいから。

そうしたら、生きていけるのに。



散々泣いてから、イメージの中で、左手にその弱い自分を乗せて見てみました。

「小さくて傷つきやすそうで柔らかそうで、くるんと丸まっていて・・・」

私が描写すると、あぜさんが、「まるで胎児のようですね」と言ってくれました。


  ああ、胎児なんだ・・・。

  赤ちゃんなんだ。

  急に愛しくなってきました



私「うーん、なんだか可愛いですね。」

あぜ「あれ?気持ち悪くってみっともなくて醜い存在なんじゃなかったの?」

私「いや、なかなか可愛いです^^。無力で弱々しい存在って、結構可愛いですよね。」

あぜ「そうだよね、そういう存在って可愛いよね。そう言ってあげようよ、可愛いよ、って。」

私「・・・はい、言ってあげました。喜んでますね・・・すごく喜んでます・・・」


胸がいっぱいになって、涙がにじんできました・・・

せめて、私だけでも、「可愛いよ」って、もっと早く言ってあげればよかった・・・


無力で、役に立たない存在である自分を、受け入れてないのは、私自身でした。

弱くて依存的な自分は、みっともなくて醜くて気持ち悪いと決め付けて否定していたのは、私自身でした。


弱々しくて傷つきやすい存在って、かえっていとおしい。



私は、私の弱さを、受け入れます。

抱きしめます。

なんて可愛い。



あのね、無力でも良かったんだよ。

迷惑なんかじゃ、なかったんだよ。

いのちって、生まれてくるって、そういうことなんだよ。

人は、助け合って、支えあう。そういう存在なんだよ。

だから、いっぱい甘えていいんだよ。

大好きだよw。

生まれてきてくれて、ありがとう>自分

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2005年01月30日

私の号泣映画『A.I.』(2005年1月30日(日)の日記より)

小泉浩子さんのメルマガ
『ライターHIROの泣ける映画で人生のヒントを学ぼう!』を購読しています。

映画大好きだけど、
なかなか情報収集の時間が取れない私にとって、
貴重な情報源です。



そこでは、「泣ける映画」が以下のように評価されていて(^^)

  HIRO式涙指数

  --------------------------------------------------
   1.ハンカチ…………そっと涙をぬぐう ★☆☆
  --------------------------------------------------
   2.ミニタオル………あふれる涙を抑える ★★☆
  --------------------------------------------------
   3.バスタオル………ひたすらだだ泣きをする★★★
  --------------------------------------------------



そこで私の『バスタオル映画』ってなんだろうな、と考えてみました。



まず思い浮かぶのは『A.I』ですね。
あの、オスメント少年の。スティーブン・スピルバーグ監督の。



----**----以下ネタバレ注意----**----
『A.I』をこれから見ようと楽しみにしている方は読まないでくださいね。



実は、映画の内容自体は評価していないんですね。
スティーブン・スピルバーグ監督の作品としては、
駄作なんではないかとさえ思ってます。
(好きな方、ごめんなさい!)

ストーリーの完成度とか、細部のツメとか、甘すぎるのでは、と。


でもそれでなぜバスタオル映画なのか。



私のインナーチャイルドを
これでもかこれでもかと 刺激してくれた作品でした。

頭では色々批判しながら見ているのですが、
心は悲鳴を上げながら号泣です(;;)
もちろん、顔グチャグチャ、鼻水ずるずるです(^^;

そして、この映画のすごいところは
(っていうか、私にとって凄かったところは)、
何ヶ月たっても思い出して泣けるとこです・・・



家族でドライブに行っての帰り道、子どもたちが疲れて眠り込んだ静かな車内で。

家族でキャンプに行き、そのテントの中で。



ひとりで静かに物思いにふけるとき、
私は何度も何度も、『A.I』を思い出して泣きました。
切々と。しみじみと。すすり泣きました。
何度も何度も。
三ヶ月経っても、半年経っても。

ラストを思い出すのです。

デイヴィッド少年が、宇宙人の協力で、
とっくに亡くなったお母さんをクローンで作り出してもらい、
一日だけの約束で一緒に楽しく過ごすラストを。

「お母さんはこれが好きだったよね」と言いながらコーヒーを入れてあげ、
心置きなく、誰にも邪魔されず、
かくれんぼして無邪気に遊び、甘え・・・


何度も何度もその場面を思い出し、泣いてしまうのです・・・

自分でも不思議でした。
なぜこんなに胸が引き裂かれるほど悲しく、つらく、苦しいのか。
なぜ何ヶ月経っても思い出し続け、泣き続けるのか。


半年くらいたって、あるきっかけでやっと気が付いたのです。


私はうらやましかった。デイヴィッドが。

私も子ども時代をやり直したい。
お母さんのくったくのない笑顔が見たい。
お母さんが幸せそうに笑う姿を、私が作り出してあげたい。
子どもに返って、何の心配も悩みもなさそうなお母さんと、
二人きりで、過ごしたい。

一緒にケーキ作りたい。好きなコーヒーを入れてあげたい。
そして嬉しそうで幸せそうな笑顔がみたい。


父と仲が悪く、いつも眉間に皺を寄せ、
「あんたたちがいなかったら離婚できるのに」と
暗い顔でため息をついていた母・・・


私はこんなにも胸を痛めていたんですね。
私は 母を幸せにしてあげたかった。
それができなかったことを、こんなにも責めていたんですね・・・


それに気づき、号泣しました。
それこそ、バスタオルが必要なくらい号泣しました・・・

だから、家族で楽しく過ごした後に限って思い出して泣けたんですね・・・。

いっぱい泣いて、インナーチャイルドを抱きしめました。
それ以来、思い出して泣いてしまうことはなくなりました。

映画を見て泣くことって、少しずつ自分を癒しているんでしょうね。
そう感じた経験でした。




みなさんにとっての『バスタオル映画』って、なんですか?


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 02:33| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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