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2007年07月08日

信頼って、なに?その1(2005年7月の日記より)

7/9〜7/14の東京旅行全体が人生の昇格試験のようだったと感じているんですが、その大きなテーマは二つ。


1.「信頼とはなに?」

2.「応援してくれる人が居るからがんばれる? じゃあ誰も応援してくれなければ、あなたはどうするの?」


でした(^^;



私はこの旅行の前半に、ちょっとした個人的な対人トラブルを経験しました。

それは、実際に起こった事件レベルで言うと、本当に些細なことでした。




このブログを以前から読んでくださっている人ならもうご存知だと思いますが、私はとてももろく、あやうい面を持っています。

傷だらけのインナーチャイルドを抱えています。

自己肯定とか基本的信頼感が、とても揺らぎやすい。




この些細な出来事を巡って、なぜか私の中で地震が起こってしまいました。

もともとバランスの悪い基本的信頼感が大きく揺らいでしまいました。

事実関係としては、全然たいした事件じゃないのに、インナーチャイルドとしてはすごく傷ついちゃったみたいで・・・(;;)




多分、私が「課題」を求めている時機だったんでしょうね。

基本的信頼とはなにか、について考えなければいけないタイミングだった。

この、本当に些細な出来事に、私はなぜか根本から揺らがされ、ものすごくショックを受けてしまいました(^^;







「応援してくれる人が居るからがんばれる。」

「少なくとも何人か、私を認めてくれる人が居る。
だからこの世に生きていてもいいと思える。」

私の基本的信頼感は、そういう条件付きだったのですね。


私にとってのその些細なトラブルの相手の方は、その「私を応援してくれる人」「認めてくれる人」のうちの、存在感の大きい一人でした。


「この人は私を応援してくれる、と信じていたけど、その根拠はいったいなんだったんだろう?」と、世界に対する基本的信頼がガラガラと音を立てて崩れました。




「応援してくれる人が居るからがんばれる、と思ってきた。

それがただの思い込みで、誰も応援してくれてなんかいないとすれば?」


「私を認めてくれる人が居るから、この世界に生きていてもいいと思えた。

でも、誰も私を認めてなんていないとすれば?」


「私はこんなに簡単に揺らぐものを信じてきたんだ・・・。

なんの根拠もないことを。

なんて、心細い。なんて、あやうい。」


「こんなに簡単に信頼とは揺らぐのだ。

私が信頼している他のこともまた、簡単に揺らいで失われてしまうのだろうか・・・。」


「あの人も私を応援してくれている、あの人も私を認めてくれている、あの人も、あの人も、と今まで数え上げてきた人。

でも、その根拠は?

それは一体、事実なんだろうか。証明できる? 保証はある?」

「信頼って、一体なんだろう。私はいったい、今まで何を信じてきたんだろう。

これからは一体、何を信じて生きていけばいいんだろう。」



高所恐怖症の人が催眠術をかけられてすいすいと高い塀の上を歩いていた。

なのに、その途中で、その催眠術がとかれてしまった。




例えて言えば、そんな気分でした。



ハッと気がつくと、自分は高い塀の上で何も支えるものもなく立っている。

向こうはじまではまだまだ遠い。

あそこまで渡りきらなければいけない。

でも催眠術からは醒めてしまった。

私はぶるぶる震えながらその場にしゃがみこみ、動けなくなってしまいました。

「最後まで夢を見させていて欲しかった」こんな言葉が何度も何度も頭をよぎります。





大切な大切な家族だって、明日交通事故で死んでしまうかもしれない。

実家の両親だって、きょうだいだって、いつ私を置いて天に召されるかわからない。それは今日かもしれない、明日かもしれない。

家族も、友達も、他のなにも、確かなものなんて、何一つ無い。

それは、どうしようもないこと。

そんな中、私は何を信じて生きればいい?



こんな些細な出来事で、私の住んでいる世界というものの確かさが揺らぎました。

確かな実体だと思っていた世界の構成要素は、まったく確かなものでなんかなかった。

押せば倒れる張りぼてだ。書割だ。




そのトラブルの内容は、本当に些細なこと、ささやかなことです。

「もぉ〜(笑)、今度からは気をつけてよね!」で済んでもおかしくないことなんです。



でも、私の中の傷を直撃してしまいました。


誰かがすれ違いざまに誰かの肩に当たる。よくあること。

でもその相手の人は丁度その場所に深いまだ癒えてない傷を持っていた。

何の悪気も無いただのはずみ、よくあることなのに、傷を持っている人はその場で悶絶しなければならないほどの苦痛を感じることとなってしまった。


そんな感じです。


多分、私が「課題」を求めている時機だったんでしょうね。

基本的信頼とはなにか、について考えなければいけないタイミングだった。





「あの人も私を応援してくれている、あの人も私を認めてくれている、あの人も、あの人も、と今まで数え上げてきた。でも、全て思い込みに過ぎないのでは?」

「信頼って、一体なんだろう。私はいったい、今まで何を信じてきたんだろう。

これからは一体、何を信じて生きていけばいいんだろう。」


私の住んでいる世界というものの確かさが揺らぎました。

確かな実体だと思っていた世界の構成要素は、まったく確かなものでなんかなかった。

押せば倒れる張りぼてだ。書割だ。





そのトラブルが起こった日が10日の夜でした。

久々に私のインナーチャイルドである内なる我愛羅ちゃんが大暴れしているのを感じ、寝ても醒めても涙が止まらない状態にまでなってしまっていました。

そのときは何がこんなにつらく苦しく痛いのか、よく把握できてませんでした。

正直に言って、「あの人が私をこんなにも傷つけた。ひどい!」という程度の認識でした。

渦中に巻き込まれてしまって客観的な眼差しを失ってしまってました。



翌11日、ゆこりん改め天海 悠さんと初の対面を果たし、ローズ大ハッピーさんのヒプノを受ける中で、気づきが深まっていく私・・・。


(ずいぶん以前から11日にローズ大ハッピーさんのヒプノセラピーの予約を入れていた、ということがすごく不思議で、シンクロだなあと感じます。)



「全てのことはベストのタイミングで与えられるギフト」なんですよね。

私にとって、この出来事が必要だった。

必要な学びとして、今、与えてもらった。

相手の方は、私のための課題を携えて、私の人生を訪れてくれた恩人なんだよ、と気づきました(気づいただけで、なかなか「でもひどい!」という気持ちからは抜けられませんでしたが^^;)


そしてたぶん、相手の方にとっても、私が涙ながらに「ひどい」と訴えたこと(お恥ずかしい;;)は、きっと丁度いいタイミングで与えられた学びだったに違いない。

色んな事情を鑑みると、素直にそう納得できる材料が揃っているんですね。



また、ローズさんのヒプノでは、まだこれだけ痛む傷の正体を見に行きました・・・

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 03:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去生の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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