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2007年07月08日

信頼ってなに?その3(2005年7月の日記より)

昨日、『天災で孤児になった過去世の記憶』は、この実際の記憶を「例えて言えばこんな衝撃」と物語として表現したものかもしれません、と書きました。

でも、ゆっくりかみ締めてみると、私の感覚としては、先に『天災で孤児になった過去世の記憶』があり、

さらにその傷を上からえぐられたのが「要らない子として母から選ばれてしまった五歳の頃の実際の経験」と思ったほうがしっくりきます。


だからこそ、ここまで痛むのだ、と考えたほうが、しっくりくる感じ。



親しくて信頼していた人から、前言を翻されたり、約束を守ってもらえなかったりした時の「まただ・・・!」という怒りと悲しみ。


「いつもこうだ」

「いつもいつも、みんな守れない約束ばかりする」

「どうして、信頼させておいて裏切るんだろう?」

「守れない約束なんて、しないで欲しい。自分がどれほど残酷な行為をしているのか、わかっているんだろうか?」


この怒りと悲しみと裏切られ感。

そんな感情を味わうたびに感じる、世界が根底から崩壊してしまうような不安。


その根っこは、その過去生の記憶にあると思うと、なにかと矛盾なく符号する感じ・・・。

ま、真実なのかどうなのかは検証のしようがないわけですが。




13日、CTIのコーチ認定資格試験のあと、CTI関係者の飲み会に試験受験生も誘っていただきました。

試験の最中からずっと

「何も確かなものなんてない」

「他の友人だろうが、夫だろうが、子どもだろうが、いつ私を置いて去っていくのか、誰にもわからない」

「私が信じていたものって、なんてはかないんだろう」

という想いに囚われ、ずっと涙ぐんで鼻をすすっていた私ですが、飲み会の席でとうとう泣き始めてしまいました・・・(恥; *^^*)


コーチ仲間はみんな、とても聞き上手で、人の心に寄り添うのが上手です。

そして、明らかに私の様子はおかしかった。

そんな敏感で優しくあったかい仲間から、どうしたのかを聞かれ、



「資格コースが終わってしまうのが本当に淋しい。

私は北海道在住で、他のCTIコーチ仲間からは一人で離れてる。

資格コースが終わってしまうと誰かから電話がかかってくることも、もうない。

私は一人で放り出されてしまう、私は一人だ、と感じてる。」

というふうに説明して、そのまますすり泣き・・・。




そしたら、CTI代表の島村剛さんが離れた席に座っていらっしゃったのに、わざわざ私のとこに来てくださって、



「僕は、決して、珠帆さんを一人になんかしません!」



と力強く断言してくださいました(;;)




思わず胸に迫るものがあり、一層激しく泣きじゃくりながら「インナーチャイルドが嘘つき!って言ってます」と返事をしました(^^;




それが本当だったらどんなに嬉しいか。

でも、できない約束なんかもうしないでよ!

できない約束で期待させるのが、どれほど残酷なことか、わかってるの?!




でも、剛さんは繰り返し言ってくださいました。

「僕は、決して、珠帆さんを一人になんかしません」




その二回の言葉にこめられた語勢が、私の胸を打ちました。

深いところから出された、真実を語る声でした。

表面的な浅いところから出された声とは全く違う、力強くて人の胸に直球で届く声でした。


内容ではなく、声にこもった真剣さ、思いの深さが私の心を揺さぶりました。




想いだけは真実なんだ。


それが、突然、その時、腑に落ちたんです。



状況がそれをゆるさないことは、ままあるだろう。


(ただでさえ多忙な剛さんが、どうやって私をひとりにしないでおくことができると言うのでしょう?)


でも、その思いはきっと、真実なものなんだ。



「約束を守ったか守らなかったか」「実際にどのような言動を取ったのか」など、表面的な行動レベルに焦点を合わすのではなく

また、物理的地理的距離も超えて、

私たちは、お互いの「想い」の強さや真実さを信じていくしかない。



そうなんですよね・・・




状況がそれを許さないことは、ままある。

でも、想いだけは信じよう。

それ以外に信じるに足るものがあるだろうか?





熱烈に愛を語り合ったカップルが破局を迎えて別れることなんてよくあって。

でも、以前、「愛してる!」と囁きあったその瞬間の想いだけは真実で。




お母さんが子どもに「何があってもお母さんが守ってあげる」っていくら言っても守れないことはままあって。

でも、その想い、そう言いたくなる想いだけは真実で。



私もまた、愛しい我が子を置いて、突然天に召されるような事態になるかもしれない。

でも、私が幼い子どもたちを置いて去らなければならなくなったとしても、私が彼らを愛した事実は変わらない。

私が彼らを抱きしめる、その瞬間の温もりを覚えていてほしい。





過去生での母も、今生での母も、「大好き」「大切」「ずっと一緒」とよく言ってくれていた。

その想いが真実なことを、私は実はよく知っていて・・・(;;)

私は裏切られてなんか居ない(泣)

残念なことに、状況がそれを許さなかった。

それだけなのだ・・・


想いは真実。

込められていた深い想いは真実でした。








  大切な大切な家族だって いつ喪ってしまうかわからない。

  今日、外出先から帰宅したら家がないかもしれない。

  家族も、友達も、世界も、確かなものなんて、何一つ無い。

  それは、どうしようもない事実。

  そんな中、私は何を信じて生きればいい?




この問いの答えを、私は見つけました。



人との関係においては、「その瞬間瞬間に飛び散る火花を」。






人と人が深いところで触れ合った瞬間に飛び散る火花、それ以外に信じるに足るものがあるでしょうか。


誰かと誰かの魂が触れ合う。

その神聖な瞬間、人と人の間にスパークする火花。


温かな共感。

存在の奥深いレベルで、何かと何かが共鳴を起こす。




人と人とは、まるで宇宙の虚空に浮かぶ惑星同士のように孤独。

なのに、お互いの間に横たわる深遠の闇を超えて、神聖な火花が飛ぶ奇跡の瞬間っていうのが、確かにあって。



(今回日記に寄せられた温かいコメントの数々に、私はそれら火花を見ました・・・。真実の触れ合い、真実の共感を感じました。ありがとうございました。)


そしてそれは、流れ星をビンに閉じ込めていられないように、

そよ風を缶詰にはできないように、

一瞬一瞬過ぎ去っていってしまうもの、つなぎとめてはいられないもので。


だからこそ、貴重で。


飛び散る火花は宇宙の虚空に消えていっても、その明るさ、美しさ、その瞬間の感動を私はありありと覚えている。


そしてまた、火花は必ずや何回でもスパークするだろう。

周囲に人がいてくれる限り。

私が、人と誠実に触れ合い続けるのをやめない限り。




人との触れ合い以外の部分では、私が何を信じようと、どんな信念を持とうと、自由なのだ、と。

裏づけとか証拠とか保証とか根拠とか、どうせないんだし、と。




  今日、外出先から帰宅したら家がないかもしれない。


でも、あるかもしれない。




  今日、人工衛星が降ってきて潰されるかもしれない。


でも、そんなことは起こらないかもしれない。




何を信じようと自由ならば、

   人がその個人的な世界の神ならば、

私は、自分が一番心地よく、一番力強さを増す信念を選ぼう。



明日もまた世界は安全に続くと、まずは信じよう。

この階段は崩れない、そう信じてのぼっていこう。

人と関わった瞬間に胸に満ちる温かい感動。

「いつか訪れるかもしれない別れ」を恐れすぎて、その瞬間瞬間の温もりを味わうことを拒否してしまうようなことのないように、生きていこう。




思い起こせば、私はその元々のトラブルの相手の方との間に、たくさんの美しい共感の火花を飛び散らせてきていたのです。


「実際にどのような言動を取ったのか」など、表面的な行動レベルに焦点を合わすのではなく

飛び散った火花の明るさ、美しさ、その瞬間の感動の記憶に焦点をあわせたい。


その瞬間瞬間の想い、共感、感動、温もり。

それらは真実のものでした。





この東京旅行全体が、まるで人生の昇格試験のようだったと感じています。

そして、答えが見えた、と。

そして私は自分が人生の昇格試験には合格できただろう、と感じています。



1.「信頼とはなに?」

→なんの根拠も保証もなくても、あえて身を投げ出して預けることです。

 なんの保証もないことを、覚悟の上で。
 
 裏切られて痛い思いをするのも、自己責任で。

 その瞬間瞬間の、自分にとっての真実を重んじること。

 それに従って、身を投げ出して預けること。
 
 その結果を、引き受ける覚悟をすること。




2.「応援してくれる人が居るからがんばれる? じゃあ誰も応援してくれなければ、あなたはどうするの?」

→誰一人応援してくれなくても、誰一人私を認めてくれなくても、私は前を向いて歩き続けます。

 それが私ですから。




今回、激しい苦痛の中で、たくさんの方に支えられて、私はわたしなりの答えを、光を、見つけました。


私と関わってくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました。


心からの感謝を捧げます。

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去生の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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