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2006年07月19日

『台所のマリアさま』聖なるものとの絆を切望するたましいのうずき

■日付

2006年2月4日(土)


■タイトル

『台所のマリアさま』聖なるものとの絆を切望するたましいのうずき


■本文

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。




      ':・:*:. ☆ .:*:・:'





しばらく間があいてしまいました・・・。

ちょっとスランプに陥ってました(^^;



二ヶ月ぶりの今号で取り上げるのは『台所のマリアさま』。
  
絵本ではありません。薄い小さな本ですが、児童書です。


魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2006.2.4 第13号
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台所のマリアさま

  ルーマー・ゴッデン 作、評論社(小学校高学年くらいから)

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 〜あらすじ〜
グレゴリーは孤独だった。


優しいけれども多忙で、いつも家にいない両親、

やってきては去っていく お手伝いさんたち。



いつのまにかグレゴリーは他者に心を閉ざし、

「自分のことにしか興味がない」と

嘆かれる少年になってしまっていた。






 そんなグレゴリーの家に、マルタが来た!



マルタは今までのお手伝いさんとは違う。


グレゴリーがいつ学校から帰ってきても、

必ず台所にいる。


  そして、ずっとこの家に居ると言ってくれる。





グレゴリーは言う。

「お手伝い? とんでもない! マルタは“家”だよ。」






マルタはウクライナ難民。


ときどき、二度とは戻れぬ 遠い故郷を恋しがり 

  たどたどしい英語で訴える。



「ここには“いい場所”がありません。

私たちの家には、必ず“いい場所”がありました。」


「ウクライナ人の台所には、

必ずマリア様と幼子キリスト様の絵をおまつりします。

ただの絵ではありません。

布を貼って服にし、ビーズや金で飾ってあるものです。

そして、その聖画の前にランプをともします。


一日中私たちはそれを見るんです。

台所は暗いけど、ランプと絵は光っているんです。

部屋のどこにいても、

マリア様と幼子の顔がこっちを見てるんですよ。

でも、ここにはそれがない・・・。」





  マルタの悲しむ顔を見たくない!


マルタの思い出にできるだけ近い聖画を求めて、

グレゴリーの奮闘が始まった。



外界との関わりを拒んでいた少年が、

その幸せを心から願わずにいられない存在を得たとき


        すべては変わり始めた・・・




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




聖なるものとの絆を切望する、たましいのうずきを、



そして日常生活の中の「祈り」の大切さを描いた名作。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




マルタの求めるような「聖画」は、子どものお小遣いではとても買えない。

グレゴリーはそのことに気づいてもあきらめなかった。

驚くべき忍耐強さで 手作りに挑む。



あれほど他人と関わることを拒んでいた少年が、

理想の聖画を追い求めるためには、

人見知りを克服して外へ外へと出かけていく。



博物館、教会、宝石商・・・



初めて入る帽子屋さんで、

「キレイな端布を分けてもらえませんか」と頼む。



目も合わさないようにしていた近所のお菓子屋のおばさんに、

お菓子を包んでいるキラキラ輝く紙が必要なことを話す。



今まで妹にも触らせたことのない大切な船の絵の背景を切り抜く。

それが一番聖母子像の背景に似合いそうだったから。



創意工夫を凝らし、時間をかけ手間を掛け、

自分が大事にしていたものも差し出して

聖画はとうとう完成した。



それは「祈り」の過程だった。



良いもの、美しいものを、心を込めて創り上げる行為は、

そのまま「祈り」なのだ。


誰かの喜ぶ顔が見たいがために、

一心に美しいものを作る行為は、まさに「祈り」そのものなのだ。



だからこそ、芸術と信仰は常にワンセットだった。

最高の芸術は、常に、謙虚な祈りに満ちているのだ。





聖なるものへの希求を込め、

愛する人の喜ぶ顔を思い浮かべながら、

コツコツと手間を掛け時間を掛け、

想いを注ぎ込まれて創り上げられた作品に



     魂がこもらないわけがあろうか。


     人の胸を打たないわけがあろうか。




逆に言えば、そのように作られたものでないものが、

人の心を打つことはあり得ないのだ。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




聖画というのはただの絵じゃない。

この地上の世界と天国とを結びつける役割をするもの。

神聖なものに向かって開かれているひとつの窓。




近代的なしゃれたデザインの台所にタマネギを吊すマルタ。


地から生えてきたような、土の匂いのぷんぷんするマルタ。


だからこそ、グレゴリーは安心することが出来た。






そして、天上の世界と結びつく窓がその台所に開いたとき、

全てはつながる。




地と天は結ばれねばならない。

天と地をつなげるパイプが必要なのだ。

どちらとのつながりも、切れていてはいけないのだ。




マルタが家に来てくれる前のグレゴリーは、

どんな存在ともつながりが持てていなかった。

だから孤独だったのだ。




マルタは、土とのつながりを体現した存在だった。

マルタを得てまず安定したグレゴリーの精神は、次は天上を目指す。




マリア様の聖画が完成し、


   “いい場所”が台所に出現したとき、パイプは通る。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





  マルタは“いい場所”を見たとき、棒立ちになった。

  それからマルタはゆっくりと手を上げた。

  その顔つきが完全に変わった。

    (中略)


  それからマルタは話し始めた。

  マルタの口にする言葉を理解したものはだれもいなかった。

  しかし、ジャネットでさえも、

  それが感謝と賛美の祈りであり、歌であることはわかった。

  その声は朗々とあたりにひびきわたった。


    (中略)


  一言もわからないままに、

  その言葉はグレゴリーの胸にくいこみ、その体をゆさぶった。



     『台所のマリアさま 』 ルーマー・ゴッデン 作、評論社
     P110より抜粋





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





  chant という英単語がある。

  「歌う」という意味、

  「(祈りや魔法の呪文を)唱える」という意味がある言葉。




そしてまたサンスクリット語には、shanti という言葉がある。

“大いなる平安” “全ては祝福されている”という意味。



chant と shanti 、音の響きも意味にも共通点がある。




  チャントという言葉には言霊がある。

  日本語の「ちゃんと」にも同じ言霊がこもっている。



つまり、「ちゃんとやる」というのは、

「穏やかな心で祝福を込めて為す」ということではないかと。


   「ちゃんと」やる、ということは、

   「想いを込め、祈りながら」やる、ということなのだと。





マルタの言う「いい場所」とは、

「ちゃんとした場所」、祈りの場所、平安の場所だった。





「ちゃんと料理する」

「ちゃんと掃除する」

「ちゃんと片付ける」

「ちゃんとした暮らし」

生活そのものが祈りである暮らしも可能なのだ。

その豊かさ。



人が住んでいる家と、空き家と、一目でわかる。

オーラが違うから。


誰かから慈しまれている存在は、

輝き、温もり、生気、まとっている空気が違う。



日々の生活に想いと祈りを込めていくと

生活空間がほのかな光で包まれる。




あなたの住空間は「祈り」のオーラをまとっているだろうか。

あなたの身近な人は「愛されている」オーラをまとっているだろうか。




あなたは「ちゃんと」生きているだろうか。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




人は、天とも地とも、つながりが切れては、健全に生きられない。


聖なるものとつながる窓が、必要なのだ。

地なるものとつながるための温もりと安心感が必要なのだ。



そして、その両方をつなぐためのパイプが、必要なのだ。


そのパイプが、「祈り」。



人には、「祈り」が必要なのだ。



ちゃんと生きること。

ちゃんと、日々の生活を送ること。

丁寧に、心を込め、祝福をこめて、日常生活を送ること。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



  『台所のマリアさま
   ルーマー・ゴッデン 作、評論社
   (小学校高学年くらいから)




魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
という今はもう廃刊にしてしまったメルマガに掲載していた記事を
収録しております。

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 魂に響く絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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