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2012年09月19日

足の悪いヒヨコ。名付けてクララ。

 

夫が孵卵器を自作し、ひよこを孵化させました。

楽しさと志しの高さと豊かさと。何一つあきらめずに生きるために。 



全部で10羽のヒヨコちゃんが孵った中で、一羽、生まれつき足の悪いヒヨコちゃんがいます。 


楽しさと志しの高さと豊かさと。何一つあきらめずに生きるために。 

赤い箱の手前に写ってる子(見づらい写真ですいません)、 

わかりにくいかもしれませんが、手前側の足がマヒしてて、まったく使えません。 

片足だけで移動してます。 


孵化した直後に片足のマヒがわかり、夫が近所で養鶏を営んでる方に相談に行きました。 

言われたアドバイスが、 


「このヒヨコはもうだめだ。 



この足は治らないだろうし、


足が悪いと餌も十分当たらず、


大きくならないだろう。

 

ペットならいいが、


経済動物なんだから飼ってても仕方ない。


破棄するしかない。」

 


ペットと経済動物。 

同じ命なのに、ペットならば動物病院につれていって手厚く看病し、 

経済動物(家畜ってことですよね)ならばあっさりと殺される。 


なんなんでしょうね・・・ 


いのちってなんなんでしょうね。 

人間ってなんなんでしょうね・・・ 



もちろん、私も家畜という存在の恩恵を雪崩のように受けています。 

おいしいケーキやスイーツが食べられるのも、乳牛のおかげ、白色レグホンのおかげ。 

また、我が家は全然ベジタリアンではなく、肉大好き一家です。 

育ち盛りの子供たちがいることもあり肉の消費量は多いのですが、 

それも全部家畜の命をいただいているわけです。 

家畜を飼っていてくれて経済活動をしてくださってる全国の農場、牧場、養鶏場さんのおかげで 

おいしいお肉が日々いただけているわけです。 


その事実を受け入れ、必要以上にセンチメンタルにならずにいたい。 

そう思ってます。 

でも、なかなか難しい。 

今回みたいに卵から孵すところまでやっちゃうと、心情的に割り切りにくい涙 



夫は全然楽に割り切れてるみたい。 

そもそも、毎日のように食べる卵を、スーパーで買ってくるのではなく我が家で自給したかった。 

卵を産んでくれるメンドリが手に入れたくてヒヨコを孵したのだから、 

どの子が雄かはっきりわかるくらい成長したら、雄はつぶして食肉にする。 

足が悪くて生育が悪い鶏なんてもちろん要らない。 


夫の意志は明確で、迷わず「というわけでコイツは捨てるから」と。 



「外に放すわ。



そしたらキツネかカラスが食べるやろ」と。 


とまあ、早い段階でそういうことになっていたにも関わらず、 

なぜか昨日まで普通に飼い続けてました。 

毎日「もう捨てられちゃったかな」とドキドキしながらヒヨコちゃんを見に行っては 

「まだ居た!」と胸をなで下ろす日々。 


この子、足が悪いなりにすごいがんばってるんです。 

片足でバランス悪く立ってるところに、他の元気なヒヨコがすごい勢いで横を通り過ぎる。 

するとそれだけでよろめいていちいちこける。 

でもめげずにまた立ち上がる。 

またこかされる。 

また立ち上がる・・・ 

別にいじめられてるわけでもないんですが、周囲見ながら歩いたりしないみたいですね、

 

ヒヨコって。 


餌をあげると、他の元気なヒヨコがえさ箱に殺到して、足の悪い子ちゃんははじき出される。 

それでもその餌を囲む輪の中に果敢に突っ込んでいく。 

ものすごいファイトでなんとか自分の体をねじこんで、餌にありつく。 


案の定、発育、他の子に比べるとずいぶん遅くて、今や他の子の半分くらいの体の大きさ。 

何にも考えてない兄弟たちに体の上を踏まれて通り過ぎられても、 

餌を食べてるときに当たり前みたいに背中の上に立たれてても、めげない。 

淡々と耐え、やりすごしてる。 


そんな姿を見てるとついつい感情移入・・・ついつい特別扱い。 

その子が餌にありつけやすいように色々工夫したりとか。 


そして、とうとう昨日。 

朝、ヒヨコたちを飼ってるケージをのぞきこむと、足の悪い子ちゃんの姿がない。 

「とうとうその日が来たか・・・。」 

夫が計画を敢行したのでしょう。 

今、すぐに外に出たら、まだその辺をピヨピヨと歩いてるかもしれない。 

今なら保護できるかもしれない。 


でも、それでいいのか。 

それは安易でセンチメンタルな行為でしかないのではないか。 

日々卵を食べ鶏肉を食べてる私に、足が悪いヒヨコに同情する資格なんてあるのか。 


今同情していい人ぶって保護するのは簡単だ。 

その後、どうするのか。 

一生、ペットとして可愛がって飼いきれるのか? 

その覚悟はあるのか。 


名古屋コーチンの品種の鶏だと聞いてる。 

大きくなるはずだ。 

ペットとして飼うのはきっと大変だろう。 

万が一雄だったら大声で時を告げられてすごくうるさいはずだ。 

それでも飼えるのか? 


これらの問いは、その子が足が悪いとわかった時点から

 

ずっと繰り返し繰り返し自分に問いかけてきたものでした。 

そして、これらの問いの答えは、「NO」でした。 

私にあの子は飼えない。 

ペットとしては、飼えない。 


・・・なので、外に探しに出ることはせず、

 

淡々とその日の自分のやるべきことをこなしました。 

「もう誰かに食べられちゃったかなあ。」と時々思い出しつつ。 



夕方5時過ぎ、保育所から帰ってきた娘と一緒に、外に散歩に出かけました。 

ヒヨコちゃんの姿はありませんでした。 

夫に尋ねてみると、「その辺に放した。朝は鳴き声がしてたけどしばらく前からもう声がしない。 


もう食べられたんじゃないか」ってことでした。 



そっか、と思いながら、別に探すでもなく周囲を一回り散歩して帰ってきました。 




すると、


家の前で大きく「ピヨピヨ」と鳴き声が。

 

辺りを見回すと、


植え込みの影にヒヨコちゃんが! 



思わず駆け寄ると、


ヒヨコちゃんの方も私のところに


駆け寄ってきてくれます。 

しゃがんだ私の足下に、


まっすぐヒヨコちゃんがもぐりこみます。 


「覚えててくれたんだなー涙」 

手を差し出しても逃げません。 

おとなしく抱かれます。 


降参だ!と思いました。 

山の中の家なので、キツネもカラスもトンビも蛇もたくさん周りにいます。 

すぐ近所の家で猫を何匹も放し飼いにしてます。 

そんな環境で、丸一日よくぞ生き延びた。 

足が悪くて思うように動けないカラダで。 


そして、たまたま私が外に出たタイミングで、よくぞ再会できた。 

何も考えてない風のヒヨコ頭で、よくぞ私を覚えてて、逃げるどころか駆け寄ってきてくれた。 


これだけのシンクロが続くなら、これは縁があるってことだ。 

飼えってことだ。 

飼おう。 


ちょうどペットに小鳥が飼いたいと思ってた。 

セキセイインコを飼う予定だったけど、足の悪い名古屋コーチンでいいや。 

雄じゃありませんように。 

大声で早朝からコケコッココケコッコって騒ぎませんように。 


というわけで、私はこの子に名前を付けました。 

一生ペットとして可愛がる覚悟で。 


クララです。 

理由はもちろん、足が悪いからです(ベタ?わーい(嬉しい顔)) 

もし雄なら、クレールです。 

クララの男性名はクレールだよね、きっと? 

違うかなあせあせ 



6月末から10日間保護していた雀の子は無事巣立っていき、二度と戻ってきませんでした。



楽しさと志しの高さと豊かさと。何一つあきらめずに生きるために。 


今回、足の悪いヒヨコは戻ってきました。 

なんだか示唆的な感じがします。 

もともと野鳥で健康体だった雀は飛び立っていく。 

もともと家禽で足が悪い子は放しても戻ってくる。 

なんだろう? 

胸の奥で何かがうずきます。 

何を手放すべきで何を引き受けるべきなのか。 

コントロールが及ばないモノと責任の範囲内のモノ。 

なんだか色々ここから学べそうな。 



というわけで、セキセイインコが名古屋コーチンに化けましたわーい(嬉しい顔) 

我が家のペット、クララちゃん、以後お見知りおきをあっかんべー 

 

 

後日談はこちら

 

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 04:16| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

森に捨てられたインナーチャイルドちゃんを回収しました

先日

足の悪いヒヨコ。名付けてクララ。」 

という日記を書きました。 

クララちゃんの兄弟たちはとっくに鶏小屋に引っ越していったのですが、 

クララちゃんだけは私のペットとして、私の仕事部屋に放し飼いにしてます(^^) 


クララちゃん(今のところ雌っぽいです。

雄だったらクララじゃなくてクレールだなって思ってましたが、

その線は薄くなりました)はとってもなつっこくって、 

私の後を付いて歩いてくれます(^^)







クララちゃんを得たことは、私にとって本当に大きなことでした。 


私、過去生の記憶としか思えない光景を、セラピーをきっかけに思い出すことが時々あるんですが、 

代表的なものとして、 

「捨て子として森でのたれ死んだ記憶」とか、 

「ちゃんと役割を果たせなかったということを責められてリンチで殺された少年の記憶」 

などがあります。 

これらの過去生の悲しみや寂しさや絶望や悔しさを今生で癒やす、と

決めて生まれてきてるのではないか、と思うと、 

今生の私の理不尽なまでの人間不信や自己不信、根強すぎる孤独感、

強烈なまでの見捨てられ不安の説明が一番うまくつくなという感じ。 


また、私には「私は役に立たないと受け入れてもらえない」という

強い思い込みも持ってます。 

それらの過去生の記憶の影響なのかどうかわかりませんが。 


あまりにひどい自己評価の低さや見捨てられ不安をどうにかしようと、

セラピーを受けて内省を繰り返す中で気がついたのですが、 

自分のことを「どうせ私は役に立たないとあっさり捨てられる家畜みたいな存在だから」と

思ってる節があるのです。 


「今は表面的には仲良くしてくれてるかもしれない。

でも期待ほど役に立たないとなったら手のひら返すんだよね?」みたいな。 


「みんな、私が役に立ってるうちは表面的には受け入れてくれる。

でもそれだけなんだよね。」みたいな。 

もちろん、これがゆがんだ自己認識であることは頭ではよくわかってるんですよ? 

でもその疑いが念頭を去ってくれないのです。 

「そんなことない、って誰か証明して!」って感じなんです。 

「役に立たなくても存在していい、

役に立たなくても捨てられたり殺されたりしない、って私に心から思わせて!」って。 



今回、 

経済動物としては価値がない、と、足の悪いヒヨコを夫が家の前の林に捨てました。

そして私は、いくつかの偶然を経て、彼女を拾って家に帰ることになりました。 

「経済動物として価値が無くてもいい。私はこの子を飼う。ペットとして。」と宣言して。 


こうして、一度捨てられたクララちゃんを拾ったことが、

私の根強いトラウマを深いところから癒やしてくれました。 


今、しみじみと思うのです。 

私が私を捨てなければ良かっただけだった。 

私が私を拾えば良かった。 


たくさんの人に受け入れてもらう必要はなかった。 

私が私を「役に立たなくてもいい。そこにいるだけでいい。」って

言ってあげればよかっただけだった。 


足の悪いヒヨコなんていらない、っていう人は世の中にたくさんいることでしょう。 

でも、私がクララちゃんを可愛いと思えばそれでいい。 

他の人がどう思うかなんて関係ない。 


私自身のことを受け入れない人も世の中にはたくさんいることでしょう。 

でも、私が私のことを認めて受け入れて、

役に立たなかろうが能力が十分でなかろうが愛していればそれで良い。 



クララちゃんは足の骨格に先天的な障害があり、左足がまったく使えません。 

そのせいなのか、体がとても小さく、

今や他の兄弟の三分の一くらいの大きさしかありません。 

どうやら雌のようですが、この体の小ささから見て、たぶん一生卵を産まないでしょう。 

片足でよろめきながらしか歩けないし、自然界なら一瞬で淘汰されたことでしょう。 

養鶏場でなら「いらない」と判断されることでしょう。 


クララちゃんは、「役に立つか立たないか」で言うと、役に立たないのです。 

でも、私はこの子が可愛い。 

この子にそばに居て欲しい。 

見てると和む。 

なでてると癒やされる。 

私はこの子が好き。 



私が私を愛して、可愛がって、「居てくれるだけでいい」と言えばそれでいいだけだった。 

役に立つ必要なんて、なかった。 

全員から受け入れられる必要なんて、なかった。 

愛されるために役に立たなければいけないなんて思い込む必要なかった。 

生きていることを許されるためには役に立っていなければならないなんて

思う必要まったくなかった。 


私もクララちゃんのように、いびつな弱いところがある。 

メンタルの弱さ。 

感情の激しさ、傷つきやすさ、自分で自分をうまくコントロールできないところ。 

普通に標準的な社会人をやると落ちこぼれてしまう。 

人前に立つとか人前でしゃべるとか、いまだに緊張ひどいし。 

整理整頓とか、物事の期限を守るとか、めっちゃ不得意だし。 


これはまっとうな社会人をやるには「障害」になる点。 


でも、だからといって、

「愛されない」「受け入れられない」「排除される」なんてことはない。 

適材適所という意味で、私を必要としない場所はある。 

私では役に立てない場所、私以外の人の方が適してる場所はある。 

でも、私が私を受け入れ、可愛がって、一番生かされる場所を選べばいいだけ。 

どこかで否定されたからといって、悲嘆にくれる必要性なんて全然なかった。 


養鶏場からは「いらない」といわれちゃうだろうクララちゃんだって、 

私が可愛がっていればそれでいい。 

他の人からどう思われようと関係ない。 


何かを愛するのに、役に立つかどうかなんて関係ない。 

ただ愛するだけ。 

いびつに生まれついてないか、きちんと標準的に整ってるかどうか、なんて関係ない。 

ただ愛するだけ。 


自分が自分をまず愛せばよかった。 

他の人が自分をどう扱うかはその人次第。 

そんなことに振り回される必要なんてなかった。 


クララちゃんを拾って帰った日から、そのことがバンッと腑に落ちたのです。 

「役に立たなかったら捨てられる、いらないって言われる、見殺しにされる」という

インナーチャイルドの恐怖が、 深いところから癒やされました。 


「他の誰がなんと言おうと、私はあなたが好きだよ。

私があなたを可愛がって大事に大事にするよ」と 

私が自分のインナーチャイルドに言えるようになりました。 


「あなたは確かに多少いびつで多少扱いづらい。 

そんなあなたはきっと生きづらいことでしょう。 

でも私はそんなあなたが可愛くていとおしい 

私があなたを愛し励ましてサポートします」と。 


あの日、私が拾って帰ったのは、

私が自分で見捨てていたインナーチャイルドちゃんでした。 

いびつなはみ出しモノのインナーチャイルドちゃん。 


私は今まで、 

「そんなんじゃだめだ、もっとしっかりしなきゃだめだ、

もっと立派な人間に成長しないとダメだ」と 

自分自身を叱咤激励することで、

自分の個性として備わった「いびつさ」「弱さ」を否定していたのです。 

「ちゃんとやらなきゃだめだ、キチンとできるようにならないとダメだ」と。 

「対人恐怖も克服しないとダメだ、感情もコントロールできるようにならないとダメだ」と。 

そう思うことが、「自分自身を森に捨ててる」ことでした。 



私はいびつに生まれつきました。 

私には欠けてる点、弱い点があります。 

敏感すぎる点、過剰すぎる点があります。 

これは個性です。 

この個性ゆえに私は私を愛します。 


がんばって克服しようとしなくていい。 

うまくつきあえるようになれると楽に生きられるとは思うけれども、 

無くそうとしなくていいし、恥ずかしく思わなくてもイイ。 

みんな違ってみんなイイ。 


今、私はそのことが深く腑に落ちてます。 

身体レベルで、この視点の転換を体験しました。 

私は私のままで良かった。 


 ※「クララ哀悼。あなたがいてくれたから私は強くなれた」へ
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 04:11| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クララ哀悼。あなたが居てくれたから私は強くなれた。

2011-10-30 03:14:40 

タイ合宿中、留守宅の夫からクララの訃報を受け取りました。

朝起きると冷たくなっていたとか。

クララというのは、私が飼っていた生まれつき足の悪いヒヨコです。 

※クララを飼うことになった経緯はこちら。 
http://mishio.seesaa.net/article/293174653.html 


※クララちゃんは私のインナーチャイルドの象徴でした。 
http://mishio.seesaa.net/article/293174303.html 


生まれつきクララには骨格に障害があり、足も背骨も曲がってました。




↑私の後を付いて歩くクララの動画




体が小さいうちは上の動画のように片足でヒョイヒョイ歩けていたのですが。 

少しずつ大きくなるに伴い、片足で立つのが難しくなり、すわりっぱなしになり始め・・・ 

私がタイに行くしばらく前から、「要介護ニワトリ」でした。 

生まれ持った障害が、成長と共にひずみを大きくしていったのでしょうね。 


早すぎる死でしたが、彼女なりの精一杯の寿命だったのでしょう涙



敏朗撮影 ひび割れ卵 20110725ヒヨコどアップ

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可愛いでしょう? 


本当に可愛い子だったんです。 


私に、愛させてくれました。 

私の愛を受け取ってくれました。 

私に抱きしめさせてくれました。 

私になでさせてくれました。 

私を見たら飛んできてくれました。 

私の足下に潜り込んでくれました。 


私の椅子の下が一番居心地がいいらしく、定位置でした。 

椅子の下のクララ

「愛させてくれる」ということが、どれほど人を勇気づけるか。 

「愛を注ぐ先がある」ということが。 

「愛を受け取ってもらえる」ということが。 

そのことを私に教えてくれました。 



私は『You Raise Me Up』(あなたが私を引き上げてくれる) という曲が大好きでよく聴くのですが、その歌詞の解釈が変わりました。 

「You」とは、なにか力強くて大きな存在のことだと思ってました。 

神とか。恋人とか。 


そうじゃなかったんですね。 

弱い者こそが、私たちを引き上げてくれるのですね。 

私たちの愛を受け取ってくれる、弱くてあどけない存在こそが。 

そんな存在がいてくれるから私たちは強くなれる。 


クララ、あなたが私を引き上げてくれました。 

あなたが私を強くしてくれました。 

私の愛を受け取ってくれたから、私は私を超えられました。 



↑ぜひ見てみてくださいね。感動します。歌詞の意味がすごい伝わってくる。

 

『You Raise Me Up』歌詞全文はこちらから

http://www.lovecms.com/music-josh-groban/music-you-raise-me-up.html





ざっくり訳すと、



 あなたが引き上げてくれるから 
 山々の頂にだって立てる 

 あなたが引き上げてくれるから 

 荒海だって越えられる


 あなたに支えられるなら 

 私は強くなれる 、自分を超えられる





という意味の歌詞です。




クララ、あなたが私に教えてくれたこと、一生忘れません。 

私は弱くてよかったし、いびつで良かった。 

私は役に立たなくてよかった。 


自分自身の弱さ、至らなさを愛します。 

そして、自分に注がれる愛を受け取ります。 


私を愛してくれる存在(家族とか、友人とか^^)からの愛を受け取ることは、私自身を強くするだけじゃなく、

私が彼らの愛を受け取ることが、彼ら自身をエンパワメントする。 

私は愛していい。 

そして愛を受け取っていい。 



クララ、安らかに眠ってください。 

これからも私にあなたを愛し続けさせてくださいね。 

そして、最期の時に一緒に居てあげられなくてごめんなさい。 

調子の良くないあなたを置いて旅に出ちゃってごめんなさい。 

寂しい思いをさせちゃってごめんなさい。 

そのことだけが心残りですがく〜(落胆した顔) 

あまり苦しまなかったのなら良いのだけど。 

 ※クララ後日談その1へ
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 04:10| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クララ後日談その1

2011-11-11 16:35:34 タイトル「落ち込んでます(><)こんな私ですが、温かく見守っていただけると幸いです。」

秋季ウツの傾向があり、毎年10月や11月に落ち込むことが多いたまちゃんです、こんにちは! 

今年はタイ合宿や東京出張があり、忙しいやら充実してるやら楽しいやらで11月始まっても調子よく過ごしていたのですが、 

やっぱり今年も来ちまいましたわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)なはわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗) 


何をする気にもなれない。 

気分がふさいで仕方ない。 

孤独感にさいなまれる。 

不安感と焦燥感でどうにもこうにも落ち着かない。 

内側から「誰か助けて!」という悲鳴が聞こえる。 


でも、その悲鳴に対処する方法を思いつかない。 


今までいろんなことに取り組んできたよね、 

できることは全部して、癒やす傷は一通り癒やしたよね、って思う。 

外す思い込みも一通り外したよね、って。 

もう後は持って生まれたものってことだよね、個性だよね、って。 

こういう不安定さ、こういう生きづらさと一生付き合っていくんだろうな、って。 


私が足の悪いヒヨコ、クララちゃんに感情移入したのもこれ故。 

生まれつき、生きづらい。 
生まれつき、不自由。 
それでも生きていかねばならない。 

普通に歩こうとして歩けない。 
なんでもないところでこける。 
そしてすぐには立てない。 
もがいてあがいてやっと立って、またこける。 

みっともないかもしれないし格好悪いかもしれないけど、それを続けていくしかない。


クララが立ってはこけ、数歩あるいてはこけ、バタバタと羽をはばたかせてもがく姿に 
すごく自分を見ました。 

「まるで私だ」と。 



数年前に、自分の対人恐怖はこれ以上はマシにならないらしい、と受け入れました。 

努力や癒やしでどうにかなるレベルはもうやり終えた、 
これ以上は個性であって直すところではないらしい、と。 


今、自分自身の不安定さや弱さ、落ち着かなさを受け入れようと思います。 

 ※あ、うまく付き合っていくための工夫は色々やる気です!お灸とかあせあせ 
  瞑想や呼吸法もやってますし。 
  なにかいい方法をご存じの方からのアドバイスもお待ちしてます! 

私は時々、理由なく落ち込む。 

私は不安発作とか孤独発作とも呼びたくなるような、突然の不安感や孤独感に襲われることがある。 

そういうときには、仕事が滞る。 

そういうときには、事務的なメールの返信作業などが遅くなる。 

(セッションをやる、ってことにはそんなに影響ないんですけど。セッションは私にとって喜びですからぴかぴか(新しい)) 


そんな弱くて頼りなくていびつな私です。 

時々、周囲に迷惑を掛けてしまう私です。 

均一な速度で均一な質の作業をすることが難しい私です。 

お仕事なのに。 

そんな私でごめんなさいね。 


でも、私はそんな私を責めて直そうとしてがんばって努力する、というのを、もう手放そうかと思っています。 

「これが私だ」「私にはこういう時期が定期的に来る」と受け入れようと思っています。 


ご迷惑をおかけしたりするかもしれませんが、 
こんな私がなんとか生きていくことを寛容に見守っていただけると幸いです。 

そして、ときどきちょっと手助けをしていただけると、もっと嬉しいですぴかぴか(新しい) 


そうですね、話し相手をしてくださる、とか。 

温かい言葉をかけてくださる、とか。 

なにかが滞ってるときにゆっくり待っていただける、とか。 

さりげなく催促してくだる、とか。 

「なにか手伝いましょうか」って言っていただける、とか。 


温かく見守りつつ、そういう風に手伝っていただけたら、とても嬉しい。 


満月も今日終わったことですし、多分ちょっとずつ落ち着いて行くと思います。 

メールのお返事やコメントのお返事など、少しずつはじめられると思います。 

この日記を書けてますしね。 

ご心配おかけした方がいらっしゃったらごめんなさいね。 

 
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 04:09| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クララ後日談その2

2011-11-16 17:58:17 タイトル「批判されるんじゃないか、攻撃されるんじゃないかって本当はすごく怖かったんです」

この度、11/11の日記で、自分自身の秋季ウツ傾向と、 
「私には均一な速度で均一な質の作業をすることが難しい」ということをカミングアウトしました。 
  
http://mishio.seesaa.net/article/293243929.html 

そして、がんばって努力するというのをもう手放そうかと思っている、と書きました。 

ご迷惑をおかけしたりするかもしれないが、時々お仕事の滞るこんな私のことも温かく見守ってほしい、と書きました。 

そして時々ちょっと手助けしてもらえると嬉しい、とまで。 


そうしたらなんとも温かい心のこもったコメントの数々が・・・泣き顔
特にミクシィの日記 の方に・・・ 
(お返事できておりませんが、本当に嬉しく何度も読み返してますぴかぴか(新しい)) 

個人メッセージや個人メールでもたくさん共感と受容に満ちた言葉をいただきました涙 

本当に嬉しい。 


実は、かなり怖かったんです。 

こんなこと書いたら批判されるんじゃないか、攻撃されるんじゃないか、って。 

こんなこと言うべきじゃないよね、こんなの甘えてるよね、わがままだよね、って。 


でも書けた。 

全体公開で、「こんな至らない私です。そんな私のままで生きていこうと思います。」って宣言できた。 

そして「見守ってほしい、手助けして欲しい」って要請できた。 

そして、受け入れてもらえた。 

温かく受け止めてもらえた。 

批判なんて、ひとつもされなかった。 


これは、かなり大きなブレイクスルーですよ!? 

クララちゃんを得て、失い、嘆きのプロセスを経て、自分の内なるクララちゃんを大事に抱きしめることができました。 

私は生まれつきいびつで、欠けていて、うまく生きられず、周囲に迷惑を掛ける。 

それでもいいと言ってもらえるなら、自分を責めるのを止められる。 

自分の内なるクララちゃんを肯定して、優しく抱きしめて、一緒に生きていける。 


すごく大きなインナーチャイルドの癒やしです目がハート 

私は私のままでいい。 


 クローバー 


クララというのは、私が飼っていた生まれつき足の悪いヒヨコです。 

彼女は私の天使でした。 

彼女と出会えたことは私にとってミラクルでした。 

わずか三ヶ月という短い命の中で、どれほど大きな気づきと癒やしを私にもたらしてくれたことか。 


※クララを飼うことになった経緯。 
「足の悪いヒヨコ。名付けてクララ。」 
http://mishio.seesaa.net/article/293174653.html

※クララちゃんは私のインナーチャイルドの象徴でした。 
「森に捨てられたインナーチャイルドちゃんを回収しました」 
http://mishio.seesaa.net/article/293174303.html  

※その短い命を閉じるときも、多くのことを教えていってくれました。 
「クララ哀悼。あなたが居てくれたから私は強くなれた。」 
http://mishio.seesaa.net/article/293241913.html  



養鶏場からは「要らない」と排除の対象になるであろう足の悪いヒヨコ。 

そして、実際に長く生きられなかった障害のある体。 

そんなクララちゃんが私にとってはどれほど愛しかったか。大切だったか。 


役に立つかどうか、卵を産むかどうか、見た目が均整取れてるかどうか、健康な体を持ってるかどうか。 

そんなことで命の価値は決まらなかった。 

存在の重さはそんなところで決まるのではなかった。 

そのことを体をはって教えてくれました。 



私の愛を受け取ってくれた、私になついてくれた、私の愛を受け取ってくれ、そして愛し返してくれた。 

そのことがどれほどの歓びと勇気づけになったことか。 

クララちゃんは「在り方」のモデルとなってくれました。 


私は周囲の幸せを祈りつつ「自分にはなにをする能力もない」「なにをやってもうまくできない」と自分を責めやすいのですが。 

私は役に立とうとする前に、愛を受け取ればよかった。 

自分のことを役立たずとののしる前に周囲の人を愛すれば良かった。 

まず、有能であろうとする前に周囲と愛のエネルギー交換をすればよかった。 

それから、有能であろうとチャレンジすれば良かった。 

その方がきっとずっとうまくいく。 


これからはもっとうまく、自分自身を愛し、周囲から与えられる愛を受け取っていけるような気がします。 



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 04:08| インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の暗くて重い過去をセキララに語ります


私の暗くて重い過去をセキララに語りたいと思います。 


私はもともと、かなり暗い人でした。 

対人恐怖が物心ついたときから本当にひどく、

幼稚園でも学校でも声が出ず、誰とも遊ばず、

休み時間もひとりぼっちでポツンと机に座ってました。 


子供がみんな無邪気、というのはウソです。 

少なくとも私はぜんぜん無邪気なんかじゃなかった。 

2、3歳の幼さで、恐怖に身をこわばらせながら、

一日中一箇所でうずくまっていました。 


そういう状態だと、イジメられました。 

バイキン扱いされて、私が触ったものを触ってもらえませんでした。 

机をくっつけてもらえませんでした。 

理由なく男の子たちからたたかれたりけられたりもしました。 


班を作るときはクラスで最後までどの班にも入れずにあまってました。 

クラス委員の女の子が、先生に言われてイヤイヤ私を班に入れてくれる。 

するとその班の他のメンバーからブーイングが一斉に巻き起こる。 

そういうことが日常茶飯事でした。 


学校に行きたくなかった。 

自分は誰からも嫌われる。 

誰からも好かれない。 

みんながあっちに行けと言う。 

こっちに来るな、と言う。 

どこにも居場所なんかない。 


両親がとても仲が悪く、母がノイローゼ状態で、家庭にも居場所はありませんでした。 

「あんたたちさえ生まれてなかったら、離婚できたのに」と母から何度も言われました。 

私が生まれてきたせいで、大好きなお母さんが苦しんでいる。 

私さえ生まれてこなかったら。 

自分が生まれてきたことを本当に申し訳なく思いました。 


今でも思い出すのがつらい思い出があります。 

母が他の兄弟を連れて家出しようとしたときに、私だけは置いて行こうとしたこと。 

「あんたはお母さんがおらんでも大丈夫やろ、な?」と言われたこと、 

次の日、家出を断念した母がトランクから他のきょうだいの衣類を出していたけれども、 

私の衣類だけはいつものタンスの中に入っていたこと。 


私は誰からも愛されない。 

みんなから要らないと言われる。 

生みの母からすらも。 

誰一人私を愛さないし欲しがらない。 

私が居ることはみんなの迷惑。 


自意識が過剰になる思春期は本当に疾風怒濤に苦しく、高校から大学にかけて、

何度も何度も自殺企図をしました。 

びくびくおどおど、人の顔色をうかがい、友達をろくに作れず、 

バイトでちょっと注意されてもいちいち泣き出したりしてしまう。 


見捨てられ不安が強く、ひとりで居ることに耐えられず、恋愛依存。 

複数の人から同時に注目を浴びることが病的に怖く、

そんな機会があると心臓がバクバク、息が上がり、イヤな汗をかき、足が震え、

目眩がして倒れそうになる。 

それゆえ、就職活動もできませんでした。 

面接試験を想像しただけで呼吸ができなくなり、目がくらむ。 

結局会社訪問も面接も一社もしないまま大学卒業。 

だって、できなかったんですもの(泣)。 

不可能、でした。 

まっすぐフリーターの道へ。 


まともな社会人経験がないまま、25歳で結婚、26歳で長男に恵まれましたが、

お約束のように育児ノイローゼ。 

赤ん坊の泣き声が私を責める声に聞こえ、「あんたまで私を責めるのか!」と

子供と一緒に泣き崩れる日々。 

双方の親も親族も友人も一人も居ない知らない土地(北海道の山奥の村)での

慣れない子育て。 

熱が出ようが寝不足でフラフラになろうが、誰も手伝ってくれない。 


赤ちゃんのときの長男は神経質で、何をするのもママじゃなければダメなタイプ。 

後追いがひどく、私はトイレも食事も睡眠もままならない。 

夫は、慣れない子育てで疲れ果ててる私を助けるどころか

「お前が甘やかすからこんな子になったんだ!」となじりました。 

私が高熱を出したとき、子供の世話を夫に頼むと、「この忙しいのに!」とキレられ、

怒鳴られました。 

この環境、この状況下で、頼れる人は夫しかいないのに。 

孤独、見棄てられ感。 


寂しさに耐えきれずママ友が欲しかった。 

でも知らない人たちに近寄れない。 

人が怖くて怖くて。 


親切な人が話しかけてくれても、相手の顔色を伺ってしまいびくびくおどおど。 

ちょっとした語調の変化や表情の微妙な変化に具合が悪くなるくらいのショックを受けて

すぐに距離を置いてしまう。 

そんな私の状態じゃ、友達なんてできない。 



子供が3歳の時から近隣に経理系事務のパートに出ました。 

しかし勤め先でも、誰とも目をあわせられず、挨拶の声も蚊が鳴くよう。 

緊張しすぎテンパリすぎるために電話の応対もしどろもどろ、仕事もミスばかり。 

叱られ、注意され、説教され、 
舌打ちされ、ため息をつかれ、「あのパートはなんだ。簡単な仕事もろくにできないぷっくっくな顔」と

聞こえよがしに言われる毎日。 

居たたまれなさと自分のふがいなさに耐えられず、何回トイレに駆け込んで泣いたことか。 


ひどい従業員ですよね。 

さぞかし使いづらかったと思います。 

でも、自分ではどうしようもなかった。 

自分が一番つらかった。 


つらかった。 

本当にずっとつらかったです。 

子供のころから希死念慮がありました。 

大人になったら少しは変わるかと思っていたらなにも変わらない、いつまでこれが続くんだ、と

天を呪いました。 

当時は夫とも毎日毎日ケンカ。 

自分は両親のような家庭は作らない、夫婦の仲の良い穏やかな家庭で子どもを育てるんだ、って

あんなに固く誓っていたのにどうしてこうなるの?と本当につらかった。 



そんな私が、いつのころからか、変わりました。 


周囲の無理解や意地悪さを嘆くことや、

運命を呪うこと、
 

自分を可哀想な被害者の椅子に座らせること、を

一切やめ、

 
自分で自分を幸せにしてみせる、と誓ってから、

変わり始めました。 

(長くなりましたので、つづく

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 03:51| いじめられっ子からの乗り越えストーリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生きづらかった当事者として見いだした「幸せになるためのエネルギーの扱い方法則」

晴れ「私の暗くて重い過去でもセキララに語りましょうか。」のつづきです。


周囲の無理解や意地悪さを嘆くことや、運命を呪うこと、 

自分を可哀想な被害者の椅子に座らせること、を一切やめ、 

自分で自分を幸せにしてみせる、と誓ってから、変わり始めました。
 


いくつになっても、人は変われるのですね。 

そして、自分が変われば周囲が変わる。 


夫がまず変わりました。 

私が自分の人生をイキイキと生きるようになり、機嫌が良くなり、

夫に対しても感謝やいたわりを伝えるのが自然になると、

夫が張り切って私の応援をしてくれるようになりました。 


ものすごく熱心に支えてくれるようになりました。 

今では家事育児を100パーセント担ってくれ、私に仕事以外の心配を一切させませんぴかぴか(新しい) 

それが彼なりの美学みたいです。 

以前はあんなに非協力的だったのに。 

この変わりよう! 

その上、毎日抱きしめてくれて「可愛い」って言ってくれますウインク 


子どもたちも変わりました。 

明るくなり、健康になりました。 

長男のあの神経質ぶりはたぶん、私の状態の反映だったのでしょうね(汗) 

そしててきめんに子どもたちの病院通いの頻度が減っています。 


お姑さんにも可愛がっていただいてます(^^) 

「アイツ(夫のことです)の唯一良かったところは、アンタと結婚したことや」

と言ってくれます(^^) 


親友と言える友人複数に囲まれています。 

信頼でき、尊敬できるビジネスパートナーたちと、盟友関係を築けています。 


そしてなにより、「ファンです!」「応援してます!」と言ってくださる皆様に囲まれてますぴかぴか(新しい) 

「信頼してます」と言ってくださる皆様方に。 



そして、この私が、自力で仕事をしています。 

バイトもまともにできなかったのに!! 

就職活動ができなかったのに!! 


女性が一人で、それもスピリチュアルコーチなどの市民権を得ていないマイナーな職業で、

自営で、家族を養うほど稼ぎ続ける。 

それが結構大変なことなのはわかっていただけるでしょうか。 

それも今年8年目。 

その間、赤字補填など、どこからも受けていません。 

夫は専業主夫。夫からの収入はありません。 


今年の春にはセカンドカーに新車を購入しました。 

そして長男は今年から大学生。 (2012年当時)

下宿で子どもを大学にやれている。 

この私が! 


ここまでくるためには、過去の影響から抜け出すこと、

自分の生き方や考え方のクセに気づいて糺していくこと、

そして幸せになるチカラを得ることが必要でした。 


幸せになるチカラとは。 

自信や折れないココロ、折れても自分で自分を癒してまた立ち上がるしなやかさ、

他人に惑わされず自分軸を貫くつよさ、自尊心、自分を愛し豊かさを受け入れる心、

そして、自分を含め人を信じ続けるチカラ、倒れても何度でも立ち上がり続けるチカラ、

などですよね。 


私は生きづらかった当事者として、

「どうやって過去の影響から抜け出すのか」

「どうやって自分の生き方のクセに気づき矯正していくのか」

「どうやって幸せになるためのチカラを得ていくのか」

を自分を実験台に観察しつづけてきました。 


私の見いだした「幸せになるためのエネルギーの扱い方法則」があります。 


@.周囲にあふれている慈愛のエネルギーに気がつき、効率的に受け取り、

しっかり自分の中に受け入れる。 

A.自分の中のエネルギーの器の漏れをふさぐ。 

B.自分の中のエネルギーの器の容量を大きくしていく。 


この三つをバランス良く、交互に、やっていくこと。 

これが、コツなんだな、と。 


周囲から慈愛エネルギーを受け取り、無駄にダダ漏れさせず、容量の大きい器にため、

それをまた周囲に発信し、循環させる。 

その循環の流れを、少しずつ太くしていく。 

これが、私の見いだした「幸せになるためのエネルギーの扱い方法則」です。 


@はつまり、森羅万象から慈愛のエネルギーを上手に受け取ればいい、という話です。 

世界は愛で満ちているんですよ、実は。 

大地、太陽、風、木々、花々、動物たち。そしてもちろん、人間たちも。 

自然は無条件の慈愛をあふれさせています。 

私たちはそこにアクセスして、愛のエネルギーを受け取るだけ。 

そして自分の中に注ぎ込めばよい。 

子どもの頃に親から受け取れなかった無条件の承認や愛は、

いつでもこうして補填していくことが可能です。 


Aは「自分はダメだ」とか「自分は馬鹿だ」みたいな、自分を責めさいなむクセを手放していくこと。 

自分で自分を突きまくって穴だらけにする、叩きまくってヒビ入れまくる、みたいなこと

私たちは良くしているのですよ。 

そこからエネルギーダダ漏れ、みたいなことを。 


Bは、人間としての容量アップの話でもあります。

苦手なことに向き合ったり取り組んだり実際に行動を起こしたり。 

その中で経験と学びを増やしていくこと。新たな視点を次々に身につけていくこと。

思い込みを手放していくこと。 

自由になっていくこと。 


@もAもBも、アタマで理解できても独力で身につけるのは難しいものです。 

誰かの助力が必要。 


その助力の得方として 

Aに関しては「トラウマの癒やし」やインナーチャイルドの癒やし、過去生退行、

催眠療法、バイロン・ケイティ・ワークなど、

多くの手法が知られてます。
 
各種ヒーリングやエネルギーワークも有効なんじゃないでしょうか。 

Bに注目した手法としては、コーチングや行動療法、ブリーフセラピーが有名ですよね。 

AとBに共通して、 

「信念体系の変換」「思い込みはずし」「潜在意識のブロック外し」に取り組むことになると思います。 


しかし、@のコツやヒケツを丁寧に体系立てて伝える手法は、まだあまりないように思います。 

ある意味基本中の基本で、めっちゃ大切なんですが。 

飢餓状態から抜けだそう、みたいなことなんですけどね。。。 

毎日の食事をちゃんと取ってますか、実は栄養失調じゃないですか、っていうね。。。

基本すぎて見過ごされがち、ってやつでしょうか。 


私は30歳を過ぎて、自信を持つことを覚え、自己肯定感を手に入れました。 

基本的信頼感を培いました。 

過去の影響から抜け出し、自分の生き方のクセに気づき矯正し、

幸せになるためのチカラを得てきました。 


人はいくつになっても変われる。 

幸せになれる。 

子どもの頃、十分に愛されなくても、大人になってから取り戻せるんですよ。 


いつまでも、過去に、私たちを損なわせ続けるわけにいきません。 

そんなの、悔しいじゃありませんか。 

過去の影響なんて、絶対に断ち切りましょう。 

一緒に幸せになりましょう。 


私自身今でも時々「死にたい」とか「生きていていいとなかなか思えない」って

言ってたりしますけどねあせあせ 

私もまだ道の途上です。 

一緒にもっともっと幸せになりましょう! 



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 02:56| いじめられっ子からの乗り越えストーリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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