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2006年07月19日

あたまにつまった石ころが【魂に効く絵本】

■日付

2006年6月30日(金)


■タイトル

あたまにつまった石ころが【魂に効く絵本】


■本文

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。


 
      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2006.6.30 第15号
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『あたまにつまった石ころが』
キャロル・オーティス・ハースト 著 千葉 茂樹 訳
光村教育図書(対象年齢:およそ小学校中級以上)
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あたまにつまった石ころが

あらすじ

切手にコイン、人形やジュースのビンのふた。
みなさんも集めたこと、ありませんか?
わたしの父は、石を集めていました。
周りの人たちは言いました。

「あいつは、ポケットにもあたまのなかにも
石ころがつまっているのさ」

たしかにそうなのかもしれません・・・

−−−−−−−−−−−−−−−


子どもの頃から石ころ集めに変わらぬ情熱を持ち続け、
どれだけ周囲の人に笑われても石集めをやめなかった、
作者の父の実話。

学歴はないけれど、
石を愛する気持ちは人並み外れていた。

大恐慌のさなか、その情熱と知識量を認められ、
科学博物館の鉱物学部長の座に
館長から推薦されるまでになる。

「ここに必要なのは、
あたまのなかとポケットが石でいっぱいの人なのよ。
あなたみたいにね。」


01年度ボストングローブ・ホーンブック賞
ノンフィクション部門オナー賞受賞作。




   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




肩の力の抜けた走り書き調のペン画に

透明水彩で色づけした、

さらりと軽やかな絵柄のごく薄い絵本。


でもその軽やかさにだまされてはいけない。


この絵本は、子どもたちに

自分の個性をいかに生かして

社会に貢献していこうかを考えさせる、

絵本版「13歳のハローワーク」なのだ。


自分の「好き」と「ワクワク」を追求しよう。

自分を殺すことで、ではなく、

生かし切ることで、社会に貢献しよう。


こんな人間として生まれてきたことには、なにか意味があるはず。

自分をこんな人間に作られたのには、神様に何か意図があったはず。


何をしているときが一番ワクワクするのか、

そのワクワクセンサーに従って生きていこう。


自分を生き生きと輝かせることは、

その光で社会を照らすことだ。

それこそ社会貢献への一番の近道なのだ。


中学生や高校生など、これから社会へ出て行こうとする世代に

読み聞かせしてみたい。




   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




ここで間違ってはいけないのは、

「好き」と「ワクワク」を追求することは

「好きなことしかしない」ことではない、ということ。


好きなことに邁進していく道は、いばらの道だ。

周囲の人は「そんなことしてなんになる?」と

こぞってあなたを笑うだろう。

次から次へと、障害が前に立ちはだかるだろう。


「好き」なことのために、

イヤなこと、苦手なこと、つらいことに挑戦しつづけざるを得ないだろう。


  この「好きなこと」さえあきらめてしまえば、

  どれほど楽になれることか。


  周囲の期待や状況に流されて生きれば、

  どれほど楽だろう・・・。



あなたの頭を、そんな考えが何度もよぎるはずだ。




好きなことを追求していくことと、

好きなことだけやっていくのとは違うのだ。


好きなことを追求するためには、困難に立ち向かい続けなくてはいけない。


人生、なにをやっていても試練はやってくる。


しかし、それが好きで、あきらめきれないことならば、

その試練に立ち向かい続け、それを乗り越え続けないと仕方がないのだ。



  「成功の方程式」はよく言われるように

  「失敗+失敗+失敗+・・・・・=成功」の形を取る。



数知れない失敗のあとに初めて得られるもの、それが成功。



次々に経験する挫折と紆余曲折を乗り切るために、必要なもの。


それは「それが好き」という熱い想い、熱い情熱。


「それが好きなんだ」「それがやりたいんだ!」という想い。





イメージは、ジブリのアニメ映画『天空の城 ラピュタ』で、

シータの胸に下がった飛行石のペンダントから発する一筋の光。

それは、レーザー光線のように、まっすぐにラピュタを指し示す。



  ラピュタはあなたが追い求め続けずにはいられないものの象徴。


  ラピュタを真っ直ぐに指し示す一筋の光は、

  あなたを内側から駆り立てずにいられない想いの象徴。


  それは、視覚化された「好き」と「ワクワク」。




あなたの胸からまっすぐに伸びた光は、どこを指し示しているだろう?




自分の「好き」と「ワクワク」を追求しよう。


何をしているときが一番ワクワクするのか、

そのワクワクセンサーに従って生きていこう。


自分を生き生きと輝かせることは、

その光で社会を照らすことだ。

それこそ社会貢献への一番の近道なのだ。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'








あなたは、あなたの飛行石が指し示す方向へ歩んでいますか。



自分を殺すことで、ではなく、

生かし切ることで、社会に貢献しよう。


こんな人間として生まれてきたことには、なにか意味があるはず。

自分をこんな人間に作られたのには、神様に何か意図があったはず。


あなたには、呼ばれている場所があり、

待っている人たちがいる。

はるか彼方からあなたの魂に呼びかける、

あなたにとってのCallingにぜひ従って欲しい。



あなたもライトワーカーの一人として、

自分自身を輝かせよう。

そのまばゆい輝きで、一隅を照らそう。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


「父が情熱をかたむけたのは、石や鉱物だけではありませんでした。
「学ぶ」ということそのものをこよなく愛し、尊重していたのです。

この絵本では紹介できませんでしたが、
博物館の鉱物学部長になった父は、働きながら大学に通いました。

ジョンソンさん(博物館館長)の計らいでした。

大学の若い同級生たちは、父を「おじいちゃん」とよんだといいます。
でも、その頃には、そうよばれてもちっともおかしくない年に
なっていたのです。

ジョンソンさんが退職すると、
その後を次いでスプリングフィールド科学博物館の館長に
就任したのは、なんと私の父でした。

父ほど幸福な人生を送った人を、私は他に知りません。」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

著者による後書きより。



『あたまにつまった石ころが』
キャロル・オーティス・ハースト 著 千葉 茂樹 訳
光村教育図書(対象年齢:およそ小学校中級以上)




        .。.・:*: ☆ .:*:・:'





この絵本を書店で立ち読みしたとき、

軽やかで明るいハッピーな絵本なのに、

涙があふれてきた。


許されたように感じたのだ。


私は、絵本が好き、児童文学が好き。


子どもの頃から、本を読み出すと話しかけられても聞こえなかった。

学校の休み時間もずっとひとりで本を読んでいた。


学校の行き帰りも、本を読みながら歩いたので、

ときどき電柱にぶつかった。


親からは「読み過ぎ!目が悪くなる」と小言をいわれつづけ、

周囲からは変わった子扱いで、浮きまくっていた。



大人になり、結婚してからも、

気に入った本は多少高くても買わずにはいられない。


夫は「これがなんになる」と渋い顔をした。



周囲から理解されず、ずっと肩身の狭い思いで生きてきた。

そんな私を、許されたように感じたのだ。




立ち読みしおわったとき、涙を手の甲でぬぐいながらこう思った。

「私の頭の中には子どもの本がつまっているんだ。」


「この絵本の主人公は、
好きな石ころを大切にすることを止めなかったことで、
結果的に周囲の役に立ち、重用されるようになった。

だったら私も、

子どもの本を集めることは何の役にも立たない
無駄な行為だなんて
自分を責めなくてもいいんじゃないだろうか。

この本を買ってもいいんじゃないだろうか。」



だから、この絵本をレジまで持って行き、買った。




あれから数年。

私はこうして絵本・児童文学のメルマガを書き、

読み聞かせのワークショップを開くようになっている。



好きなことを追い求め続ければ、

必ずやなにかの形で誰かの役に立つことができる。

その知識とその情熱を評価される時が来る。



好きなことをあきらめるのではなく、

生かすことで、社会のお役に立っていこう。



自分を殺すことで、ではなく、

自分の個性を生かし切ることで、社会に貢献しよう。


こんな人間として生まれてきたことには、なにか意味があるはず。

自分をこんな人間に作られたのには、神様に何か意図があったはず。


私たちには、呼ばれている場所があり、

待っている人たちがいる。


私たちもライトワーカーの一人だ。

自分自身を輝かせ、その光で、社会の一隅を照らそう。




魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
という今はもう廃刊にしてしまったメルマガに掲載していた記事を
収録しております。

あたまにつまった石ころが


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【魂に効く絵本】『イオマンテ』いのちの重み、食の重み

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。


 
      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



形態は絵本ですが、字数が多くて内容も高度。

児童書の範疇に入れた方がいいでしょう。

おとなにもずっしりと響きます。


魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2006.5.12 第14号
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イオマンテ
  寮 美千子 作、パロル舎(小学校高学年くらいから)
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 〜あらすじ〜

「今日は山へ、キムンカムイ(山の神様)をお迎えに行くぞ」

早春の山に猟に出かけた父さんは、三日後、

たっぷりの熊肉と立派な毛皮、

  そして、生まれて間もない熊の子を連れて 帰ってきた。


母さんが熊の赤ちゃんをすぐに抱き取った。

「おおよしよし。寒かったでしょう、怖かったでしょう」

そう語りかけて、自分のおっぱいを含ませる。


その夜、コタン(村)のどの家も、お腹いっぱい、

おいしい熊肉のオハウ(煮込み)を食べた。

お父さんが背負って持ち帰った肉だ。


それ以来、熊の子と僕は、きょうだいのように暮らした。

同じ布団に寝て、同じご飯を食べた。

外でコロコロ遊んだ。

いっぱい相撲も取った。

熊の子が迷子になったとき、僕は青くなって必死で探した。

やっと見つけたとき、

熊の子は、切ない声を上げてまっすぐ僕に向かって駆けてきた。


それから約一年近くたった真冬のある日、

ずいぶん大きくなった熊の子が突然、

降りしきる雪に けだもののような声で吠えかかり始めた。


驚いて熊の子を懸命になだめようとする僕に、父さんは言った。

  「心配するな。そろそろカムイの国に帰りたくなったんだ」

  「カムイの国って?」

  「この子の母さんのいるところさ。

  この子の母さんはね、

  たくさんの肉を背負い、毛皮の服を着て

  カムイの国から遊びにきてくださった。

  そしてこの子を私たちのところにあずけ、

  カムイの国へ帰っていかれた。

  今頃はカムイの国で、この子が来るのを、

  今か今かと待っておられるだろう。」

  父さんは、僕の方にそっと手を置いた。

  「だから、この子を送って差し上げよう。
             カムイの国へ。」(p28より)



         ・
         ・
         ・




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アイヌ民族の荘厳な儀式、熊送り(イオマンテ)を通して

「いのち」の重さ、

その重い「いのち」を食事としていただくことの痛みを

詩のような美しい文体で秀逸に描き出した、名作。


大切に大切に育てられた熊の子は、

イオマンテの祭りの中で殺され解体され、

その肉は村中の人にふるまわれる。


熊の子をただ飼って太らせて、屠るのではない。

決して家畜ではないのだ。

カムイ(神さま)の化身を、お預かりして、またお見送りするのだ。

ぜひまた、この人間の里へ遊びに来て下さい、という祈りをこめて。



我が子同様に育ててきた村の女も、

きょうだい同様に暮らしてきた子ども達も、

胸のつぶれる想いに耐え、泣きながら敢えてその肉を口にする。



  それから、肉のオハウが出てきた。

  あぶらみばかりの、

  とろりとおいしい、あつあつのオハウだ。

  おいしい、おいしいとぼくはたべ、

  それからふいに思い出した。


  これは、あの子熊の肉。

  ついさっきまで、子熊だった肉。

  ぼくは、子熊をたべている。


  ああ、あのときもそうだった。

  子熊がここにきた夜に、

  おなかいっぱいオハウをたべた。

  あれは子熊のかあさんの肉。

  ぼくは、子熊のかあさんをたべたんだ。


  それだけじゃない、みんなみんな、

  兎も、鹿も、さけやますも、

  ぼくはいのちをたべている。

  みんなのいのちをたべている。

  ぼろぼろ、なみだがこぼれてきた。(p46より)



エカシ(長老)が言う。

「泣くんじゃない。

子熊のカムイが悲しまれるぞ。

さあ、楽しく送って差し上げよう。」



わざわざ肉と毛皮を背負って

カムイの国からはるばる来て下さったカムイを、

精一杯のおもてなしで楽しませ、送るために、

イオマンテの夜は、

村中で夜通し、飲んで歌って踊って食べ、楽しく笑いさざめく。

カムイを喜ばせるために。



      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



カムイからのお預かりものである幼い熊の子を、

家族同様に、大切に大切に、愛情を注いで育て、

時がくれば

たくさんの捧げものとお供えを何日もかけて入念に用意し、

敬意と礼儀を尽くした儀式でお送りする。



ただ送るだけではない。

ついさっきまで抱きしめ頬ずりしていたその愛しい身体に包丁を入れ、

料理して、食べる。

涙にくれ、そして心から敬意と感謝を捧げながら。

また会えることを、カムイとして再び訪れてくれることを、

心から祈りながら。



自分たちが、大いなる大自然の一部として生かされていることを肝に銘じ、

普段、何気なく口にしている命の尊さを体で思い知るための仕組みとして、

これ以上の仕組みがあるだろうか。


この仕組みを「祭祀」とした狩猟採集民族、アイヌの民の

その叡智の深さ、その生命観の厳しさ。

大自然に対する畏敬の念と、感謝の念の、深さ。

その、謙虚さ。



      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



自分たちがいただいている命の尊さを体で思い知る。

普段何気なく食べている肉は、さっきまで息づいていたいのち。

つぶらな瞳と温かな肌を持っていただろう、誰かの子ども。

誰かのきょうだい。

誰かの親だったかもしれない存在。


肉だけじゃない。

魚はもちろん、野菜だって、いのち。



私たちは、他者のいのちをいただかなくては、生きていけない。

光合成をしている植物以外、どんな生き物も、

他者のいのちを分けてもらわなければ、生きていけない。

私たちは、地球上を循環しているいのちの一部。

死んで、他のいのちの一部となり、

生まれて、

他のいのちを取り入れ続けて生き延びていく。



私たちは、生かされている。

他のいのちの累々たる屍の上で、生かされている。


その厳しさ、その責任を、甘んじて引き受けて生き続けるしか、ない。

与えられたこの命を、

引き継ぎ、十全に生かしていくしか、その重責に応える術は、ない。




私たちは、命をいただいて生きている。

命は、こんなにも尊い。

命を奪う行為というのは、こんなにも重い。



私たちは、スーパーでパック詰めの肉や魚を買うとき、

野菜を買うとき、

どのくらいその痛みやその重さを感じているのだろうか。


どのくらい感謝していただいているのだろうか。




  だから、こどもたちよ、よくおぼえておくんだ。

  一粒のあわもひえも、

  一切れの肉も魚も、みんないのち。

  わたしたちは、いのちをたべている。

  いのちと魂との、おおきなめぐりの中にいる。

  すべては、めぐるいのちのめぐみ。

  すべては、めぐるいのちのめぐみ。(P64より)





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



イオマンテ

『イオマンテ』 寮美千子 文 /小林敏也 絵 出版社:パロル舎
(小学校高学年くらいから)



      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



「生かされていることに感謝し、

その尊さその重さをひしひしと感じながら、

他の命を謹んで食すこと」


「大いなるいのちの流れの一部にすぎないことを良く認識して、

謙虚に、対等に、他のいのちを遇すること。」


私たちは、残念ながら、他の命の累々たる屍の上にしか、

生きていられないのです。

いえ、それを「残念ながら」と表現するのが

おこがましいかもしれません。



大いなる命の流れの一部として内包されていることを喜び、

感謝しながら、と表現するべきなのかもしれません。



私たちは生かされていて、そして大きないのちの流れの一部。

私たちは、孤独ではない。

私たちは、分断されていない。

私たちの身体を構成する分子は、すべてこの地球の一部。

ビッグバンの昔から、

恐竜の身体の一部だったりマンモスの身体の一部だったり、

生々流転を繰り返してきた分子で、

私たちの身体は構成されている。



私たちの身体は、この地球に属している。

他のすべてのいのちときょうだい。



すべて一緒なのかもしれません。

どちらがどんなタイミングで食べられようとも。


これがワンネス。

これが種を超えた愛。



どの「いのち」も光。

その「いのち」も、大切な輝く存在。

どの「いのち」も、誰かのこども。誰かのきょうだい。

でも、私たちはそんな重いいのちをいただかなくては生きていけない。

私たちは、そんな唯一無二の愛しいいのちを食べ続けて、今日がある。


その重み、その痛みを感じることこそ、

「種を超えた愛」を感じることではないか、と思うのです。




魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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『台所のマリアさま』聖なるものとの絆を切望するたましいのうずき

■日付

2006年2月4日(土)


■タイトル

『台所のマリアさま』聖なるものとの絆を切望するたましいのうずき


■本文

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。




      ':・:*:. ☆ .:*:・:'





しばらく間があいてしまいました・・・。

ちょっとスランプに陥ってました(^^;



二ヶ月ぶりの今号で取り上げるのは『台所のマリアさま』。
  
絵本ではありません。薄い小さな本ですが、児童書です。


魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2006.2.4 第13号
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台所のマリアさま

  ルーマー・ゴッデン 作、評論社(小学校高学年くらいから)

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 〜あらすじ〜
グレゴリーは孤独だった。


優しいけれども多忙で、いつも家にいない両親、

やってきては去っていく お手伝いさんたち。



いつのまにかグレゴリーは他者に心を閉ざし、

「自分のことにしか興味がない」と

嘆かれる少年になってしまっていた。






 そんなグレゴリーの家に、マルタが来た!



マルタは今までのお手伝いさんとは違う。


グレゴリーがいつ学校から帰ってきても、

必ず台所にいる。


  そして、ずっとこの家に居ると言ってくれる。





グレゴリーは言う。

「お手伝い? とんでもない! マルタは“家”だよ。」






マルタはウクライナ難民。


ときどき、二度とは戻れぬ 遠い故郷を恋しがり 

  たどたどしい英語で訴える。



「ここには“いい場所”がありません。

私たちの家には、必ず“いい場所”がありました。」


「ウクライナ人の台所には、

必ずマリア様と幼子キリスト様の絵をおまつりします。

ただの絵ではありません。

布を貼って服にし、ビーズや金で飾ってあるものです。

そして、その聖画の前にランプをともします。


一日中私たちはそれを見るんです。

台所は暗いけど、ランプと絵は光っているんです。

部屋のどこにいても、

マリア様と幼子の顔がこっちを見てるんですよ。

でも、ここにはそれがない・・・。」





  マルタの悲しむ顔を見たくない!


マルタの思い出にできるだけ近い聖画を求めて、

グレゴリーの奮闘が始まった。



外界との関わりを拒んでいた少年が、

その幸せを心から願わずにいられない存在を得たとき


        すべては変わり始めた・・・




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




聖なるものとの絆を切望する、たましいのうずきを、



そして日常生活の中の「祈り」の大切さを描いた名作。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




マルタの求めるような「聖画」は、子どものお小遣いではとても買えない。

グレゴリーはそのことに気づいてもあきらめなかった。

驚くべき忍耐強さで 手作りに挑む。



あれほど他人と関わることを拒んでいた少年が、

理想の聖画を追い求めるためには、

人見知りを克服して外へ外へと出かけていく。



博物館、教会、宝石商・・・



初めて入る帽子屋さんで、

「キレイな端布を分けてもらえませんか」と頼む。



目も合わさないようにしていた近所のお菓子屋のおばさんに、

お菓子を包んでいるキラキラ輝く紙が必要なことを話す。



今まで妹にも触らせたことのない大切な船の絵の背景を切り抜く。

それが一番聖母子像の背景に似合いそうだったから。



創意工夫を凝らし、時間をかけ手間を掛け、

自分が大事にしていたものも差し出して

聖画はとうとう完成した。



それは「祈り」の過程だった。



良いもの、美しいものを、心を込めて創り上げる行為は、

そのまま「祈り」なのだ。


誰かの喜ぶ顔が見たいがために、

一心に美しいものを作る行為は、まさに「祈り」そのものなのだ。



だからこそ、芸術と信仰は常にワンセットだった。

最高の芸術は、常に、謙虚な祈りに満ちているのだ。





聖なるものへの希求を込め、

愛する人の喜ぶ顔を思い浮かべながら、

コツコツと手間を掛け時間を掛け、

想いを注ぎ込まれて創り上げられた作品に



     魂がこもらないわけがあろうか。


     人の胸を打たないわけがあろうか。




逆に言えば、そのように作られたものでないものが、

人の心を打つことはあり得ないのだ。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




聖画というのはただの絵じゃない。

この地上の世界と天国とを結びつける役割をするもの。

神聖なものに向かって開かれているひとつの窓。




近代的なしゃれたデザインの台所にタマネギを吊すマルタ。


地から生えてきたような、土の匂いのぷんぷんするマルタ。


だからこそ、グレゴリーは安心することが出来た。






そして、天上の世界と結びつく窓がその台所に開いたとき、

全てはつながる。




地と天は結ばれねばならない。

天と地をつなげるパイプが必要なのだ。

どちらとのつながりも、切れていてはいけないのだ。




マルタが家に来てくれる前のグレゴリーは、

どんな存在ともつながりが持てていなかった。

だから孤独だったのだ。




マルタは、土とのつながりを体現した存在だった。

マルタを得てまず安定したグレゴリーの精神は、次は天上を目指す。




マリア様の聖画が完成し、


   “いい場所”が台所に出現したとき、パイプは通る。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





  マルタは“いい場所”を見たとき、棒立ちになった。

  それからマルタはゆっくりと手を上げた。

  その顔つきが完全に変わった。

    (中略)


  それからマルタは話し始めた。

  マルタの口にする言葉を理解したものはだれもいなかった。

  しかし、ジャネットでさえも、

  それが感謝と賛美の祈りであり、歌であることはわかった。

  その声は朗々とあたりにひびきわたった。


    (中略)


  一言もわからないままに、

  その言葉はグレゴリーの胸にくいこみ、その体をゆさぶった。



     『台所のマリアさま 』 ルーマー・ゴッデン 作、評論社
     P110より抜粋





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





  chant という英単語がある。

  「歌う」という意味、

  「(祈りや魔法の呪文を)唱える」という意味がある言葉。




そしてまたサンスクリット語には、shanti という言葉がある。

“大いなる平安” “全ては祝福されている”という意味。



chant と shanti 、音の響きも意味にも共通点がある。




  チャントという言葉には言霊がある。

  日本語の「ちゃんと」にも同じ言霊がこもっている。



つまり、「ちゃんとやる」というのは、

「穏やかな心で祝福を込めて為す」ということではないかと。


   「ちゃんと」やる、ということは、

   「想いを込め、祈りながら」やる、ということなのだと。





マルタの言う「いい場所」とは、

「ちゃんとした場所」、祈りの場所、平安の場所だった。





「ちゃんと料理する」

「ちゃんと掃除する」

「ちゃんと片付ける」

「ちゃんとした暮らし」

生活そのものが祈りである暮らしも可能なのだ。

その豊かさ。



人が住んでいる家と、空き家と、一目でわかる。

オーラが違うから。


誰かから慈しまれている存在は、

輝き、温もり、生気、まとっている空気が違う。



日々の生活に想いと祈りを込めていくと

生活空間がほのかな光で包まれる。




あなたの住空間は「祈り」のオーラをまとっているだろうか。

あなたの身近な人は「愛されている」オーラをまとっているだろうか。




あなたは「ちゃんと」生きているだろうか。





        .。.・:*: ☆ .:*:・:'




人は、天とも地とも、つながりが切れては、健全に生きられない。


聖なるものとつながる窓が、必要なのだ。

地なるものとつながるための温もりと安心感が必要なのだ。



そして、その両方をつなぐためのパイプが、必要なのだ。


そのパイプが、「祈り」。



人には、「祈り」が必要なのだ。



ちゃんと生きること。

ちゃんと、日々の生活を送ること。

丁寧に、心を込め、祝福をこめて、日常生活を送ること。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



  『台所のマリアさま
   ルーマー・ゴッデン 作、評論社
   (小学校高学年くらいから)




魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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この世界に恋して

■日付

2005年12月1日(木)


■タイトル

この世界に恋して


■本文

私の暮らす北海道の山村では、もう一週間くらい前から銀世界です。
(今日なんか、吹雪だったりします^^)

でも、本州ではまだ紅葉だったりするのですね!


では、この絵本もまだ遅すぎない?とあわてて取り出した一冊
  

メルマガ魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.11.30 第12号

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『ボビーとそらいろのヨット 』

  マーガレット・バーディック 作、童話館出版(3歳くらいから)

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 〜あらすじ〜


  ボビーはカワウソの男の子。

  ある秋の日、アナグマさんのお店で、素敵なヨットを見つけました。

  
  大きな白い帆のついた空色のヨット。

  「ビーバーさんの作品。いいものと交換します」
                  の札がついてました。



  こんな素敵なヨットと交換してもらえるほどの「いいもの」って
  いったいなんだろう?


  きれいに色づいた森の木の葉は すぐに茶色くなってしまう。

  おいしい小枝は 食べたらなくなってしまう。

  川底できらきら輝く小石は 乾いたら何でもないただの小石。


  

  なかなかいつまでも喜んでもらえるものが見つけられません。



  夕日を眺めながらヨットのことばかり考えていた日の夜、

  ボビーは空色のヨットで遊ぶ夢を見ました。



  ヨットは金色の夕焼けの海に浮いていました。

  帆は、綺麗な秋の森の色。

  空のお月様は、きらきら光る小石のようでした。


  次の朝、目が覚めるとすぐに、

  ボビーは絵を描き始めました。




  美しい色の絵の具で、夕日のしずむ、カエデの森を描きました。

  そのなかにきれいな木の葉と小枝と、
 
  きらきら光る小石を、いっぱい描きました。



   「すばらしい絵だよ、ボビー!」とアナグマさんがいいました。

   「これなら空色のヨットと交換してあげるよ。

      きっとビーバーさんがいつまでも喜んでくれるからね。」





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






この美しい世界に恋して、恋いこがれて、

その想いの結晶が「芸術作品」なのだ。



いくら心奪われても、

決して手の中にとどめておくことのできないもの。


 秋の森の 木の葉の色。

 金色の 夕焼け。

 濡れた小石が 川底で日の光を反射する。


 帆に風をみなぎらせたヨットが描く マリンブルーの海の白い航跡




「恋う」は 「請う」であり

      「乞う」である。


どうかもう少し近くに、と請い願うこと。


どうか触れさせてください、と、

どうか一瞬でも長く ここにとどまってください、と乞うこと。



「恋」は「来い」にもつながる。

決して手に入らぬもの、決して手に届かぬものを、

声をからして呼ぶ声。


それが、芸術作品を生み出す原動力。



決して手には入れることが出来ないけれども、

希求することをやめることもできない 崇高なものへの憧れ、恋。


決して所有することのできないものから引き起こされる心の震えを 

いかに上手く再現するかの 技術の追求に、

その恋うる想いを昇華させる。


それが芸術。




ビーバーさんは大きな白い帆を張った青いヨットの姿に

なにかをかき立てられたのだろう。

だから模型を作らずにいられなかった。


その心の震えや胸の高まりを

もう一度呼び起こしてくれるほどの質の高さを目指して、一心に。



ビーバーさんの感動と憧れがこもり、

手塩にかけて丁寧に作られたヨットは、

同じくらいの想いと熱意の込められた

ボビーの絵となら、交換できた。


良い作品はそれなりの対価を求めるのだ。




この絵本の最後のページで、

ビーバーさんはボビーの描いた絵を眺めながら、手仕事に励んでいる。

窓の外は雪景色。

雪に閉ざされた冬の間、ビーバーさんは温かい室内で、

木を削って新しい作品を作りながら、ボビーの絵を愛でる。


身の回りの世界の美しさに、幼い少年が息をのみ、目を見張った。

その純粋な悦びと驚きがそのまま表現されている、絵。

冬の過ごし方として、なんて豊かなことだろう。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




一瞬のきらめき、一瞬の感動を

     形にしてとどめておきたいのだ。


その心の震えや胸の高まりを

もう一度呼び起こしてくれるもの。

それを所有したいのだ。




私たちはこの地球に恋して生まれてきた。

その美しさに触れる度に胸が躍る。

心の琴線が高鳴る。



恋いこがれるばかりで

決して手に入れられない はかなくも崇高な現象たち。


 蜘蛛の糸につらなる朝露。

 雨上がりの虹。

 真っ黒い雨雲を切り裂いて走る稲妻。

 天青石の空に浮かぶローズクォーツの夕焼け雲。

 美しく咲き誇り、あっという間にしおれていく花々。

 あどけなさをすぐに卒業してしまう幼子たち。

 いずれ 別れの時が来る 愛する存在たち。



決して手中に収めておくことは出来ないけれども、

希求することをやめることもできない。



私たちは その苦しい恋を 芸術に昇華し続ける。



どうかもう少し近くに、どうか一瞬でも触れられますように、

と請い願う。


どうか一瞬でも長く ここにとどまっていてくださいと乞う。



その想いこそが芸術作品を生み出す原動力。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




動物たちが主人公の可愛らしいミニサイズの絵本。

でもその可愛らしさにだまされてはいけない。

この絵本には、「芸術とは何か」がつまっているのだ。



幼いうちにぜひ出会って欲しい一冊。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




『ボビーとそらいろのヨット』 
マーガレット・バーディック 作、 わたなべ しげお 訳
童話館出版(読んであげるならおよそ三歳から)


魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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エルマおばあさん

■日付

2005年10月28日(金)


■タイトル

エルマおばあさん


■本文

木の葉が色づき、舞い散る 晩秋となりました。

ここ 北海道では、初雪も舞いました。


全ての生命活動が一旦休止するかに見える、

北の国の厳しい冬の訪れです。



そこでこの季節、「死」を見据える絵本を選んでみました。

  

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.10.27 第11号

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『さよなら エルマおばあさん 』

  大塚 敦子  写真・文、小学館(10歳くらいから)

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 〜あらすじ〜


  ある夏の終わり、エルマおばあさんは、お医者さんから、

  病気でもう長くは生きられない、と言われました。





著者の大塚敦子さんと 以前から家族ぐるみのつきあいで、

孫のように可愛がってくれていたというエルマおばあさん。



その大塚さんが、許可を得てエルマおばあさんの自宅に住み込み、

介護を手伝いながら撮った写真で構成された

ドキュメンタリー写真絵本。



外出前にお化粧するエルマおばあさん。

老人クラブの朝食会で友人たちと談笑するエルマおばあさん。

庭で草花の世話をする姿。



その後、

 ゆっくりと 衰弱していくエルマおばあさんの姿。



  「それは、体が旅にでる準備をしているからなんだよ」
  本書19pより



点滴を付けた寝姿。

そして、延命治療をしないで欲しい、という要望書に
サインするシミの浮いた手。


弟との、子どもたちとの、親戚たちとの、

別れを惜しむシーンの数々。




とうとう、歩けなくなります。


酸素吸入器の細いチューブを鼻に刺した顔は、
以前よりも 一回り小さく見えます・・・。



  そして、まるでゲームでも楽しむみたいに、
  こんなことも言いました。

  「わたしは、自分の死ぬ日を決めたからね。

  その日付を紙に書いてかくしておいたから、

  私が死んだあと、さがしてごらん。」   p43より





そしてある日、

その日がエルマおばあさんの決めた日だ、ということが、

家族にもわかりました。



その夜、みんなは寝ないでエルマおばあさんにつきそいました・・・





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





 “この本は、子どもたちだけではく、お父さんお母さんにも、

 ぜひ読んでいただきたいと思います。

 そして、子どもといっしょに、

 「人の命には限りがあり、だれにも必ず死を迎えるときがくること」や

 「死が訪れる瞬間は苦しくないこと」を

 話し合ってほしいと思います。”

   本書の帯より(ホスピスケア研究会代表 季羽倭文子さんの言葉)




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





エルマおばあさんの淡々とした姿。

それが写真である、という重み。

迫り来るリアリティ。




最後まで、強いまなざしを持ち続けていた彼女。


しわくちゃの、一回り小さくなった顔の中の

意志に満ちたまなざし。

力強い瞳。




それは、


  自分の死に方を自分で決めた満足感と誇りで


        輝いているのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





死は破滅でも敗北でもない。

死は忌むべきことではない。


人生という作品の大切なエンディングなのだ。

クライマックスを経たあとのエンディング、大団円。


一年は、冬があって初めて完全な一年なのだ。

1日は、夜があって初めて完全な1日なのだ。



天寿を全うした老人の死は、

季節が来て舞い落ちる木の葉のように静かで

そして 尊厳に満ちている。



それは、物事のあるべき姿を思い起こさせる。



季節は巡る。

夏が過ぎ、青々としていた木々の葉は 色を変えていく。

そしてある時、そのときが来たことを知る。

葉は、風に手を取られ そっと枝から離れる。

旅立つ。

それはとても自然なこと。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





考えてみれば、


今まで生きてきた数え切れない数の先人たちも、

一人残らず死んだのだ。


今生きている私たちも一人残らず死に向かいつつあるのだ。


誰一人死を免れないのだ。

むやみに恐れることはないのだ。

誰にだって訪れることなのだ。

全員が通り抜けるところ。




  すごく普通のこと。

  特別なことじゃない。





命は大いなる流れに浮かぶ泡沫だ。

かつ消え、かつ結び、を繰り返す。

泡が消えても、元の流れに戻るのみ。

そして、また泡を結ぶこともあるのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





しかし、死は痛ましい。

 嘆きと 喪失の哀しみに 満ちている。



パール・バックの「母の肖像」の中の一節を思い出す。




   「(こどもは天国で安らかにしていると)考えたからといって、

         母親の腕と心が充たされると思うんですか?」


            (中略)


   「肉体は何でもないでしょうか? 

    私は自分の子どもたちの肉体を愛しました。(略)

    私が生んで、可愛がって、洗ってやり、着せてやり、

    面倒を見てやった肉体は、私には貴重な宝です。」
  
         『母の肖像』P・バック 新潮文庫p123より
    




私たちは地上で生きている。

肉体をまとって生まれることを選んだのは、
五感で生きることを味わうため。

感覚や感情を通して事物と関わるため。

肉体を通して他者と関わるため。



 「海が大陸をつなぐように、

   感情が私たちをつなぐよすがなのです」

              本田健さんの言葉より。




肉体を通して、私たちは触れあう。

感情を通して、私たちは触れあう。



地上の肉をまとって、

初めて私たちはお互いの重みと温かさを知ることができる。



子どもの身体のずっしりした温もりを膝に感じ、

恋人の髪の感触にドキッとし、

老いた母の細い肩をもみながら 

  幼い日に抱きしめられた 母親の力強い腕を 思い出す。



肉体が喪われるとき、

私たちは触れあえなくなる。

お互いの温もりを感じることが出来なくなる。



それを嘆くのは当然のこと。

去る者も残されるものも 名残を惜しむのは当然のこと。




死は破滅でも敗北でもない。

むやみに恐れることではない。

忌むべきことではない。

しかし、一時の別れとはいえ、別れは別れなのだ。


文字通り、今生の別れを

心ゆくまで悼み、大いに嘆き、惜しもう。


それができて、初めて私たちは心の平安へと行き着くのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





一人の老女の いのちが燃え尽きるさまを淡々と記録し
その後の喪失の空間の痛みまで切り取った、感動の一作

『さよなら エルマおばあさん 』
  大塚 敦子  写真・文、小学館(10歳くらいから)




魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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家族全員で 幸福探しの旅【魂に効く絵本】

■日付

2005年9月23日(金)


■タイトル

家族全員で 幸福探しの旅【魂に効く絵本】


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.9.24 第10号

キノコ採り、果物狩り、芋掘り・・・

秋って、狩猟採集時代の古いDNAが騒ぐ季節。

実りの秋。

そんな秋の景色が美しく描かれる絵本を取り上げてみました。




   ☆「家族全員で 幸福探しの旅」

             がテーマの 絵本 ご紹介



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14ひきのひっこし 』 14ひきのシリーズ

  いわむら かずお  文・ 絵、童心社(読んであげるなら3歳くらいから)

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 〜あらすじ〜

お父さんお母さんに

子どもが10人。

それにおばあちゃんおじいちゃん。

三世代、総勢14匹のネズミの大家族。



その一家が、秋の野山の景色の中

新しい巣穴を探して、大移動。



その旅は希望にも満ちているけれども

命の危険とも隣り合わせ。



天敵のイタチを、息を潜めてやりすごす。

川が行き先を遮れば、助け合いながら、渡る。

夜は、やはり天敵のフクロウを警戒しながら、不安な野宿。



そんな長い旅の末、やっと新しい巣穴が見つかった!

大木の根っこに空いた洞だ。


今度は新しい巣穴を快適な「家」にするための

一致団結した努力が始まった・・・





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





天敵のイタチと遭遇したとき、川を渡るとき、野宿のとき。

危険なときは、家族一丸となって協力体制をとる。



まだ少年の長男次男も、鋭くとがった棒を持ってイタチを警戒するし、

長男はお父さんと一緒に たき火を囲んで寝ずの番もする。


家族を守るためには、闘う覚悟ができているのだ。

幼い弟妹を守るために。



まだ少年の長男次男も、川の両岸で綱を支える。

幼い弟妹や年老いた祖父母が 安全に流れを渡れるように。



家族全員で困難を乗り越え、幸福探しの旅。

その中で、それぞれがそれぞれの役割を果たそうとして

一生懸命。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





私の敬愛する河合隼雄先生は

「児童文学」を論じた本も数多く著されているが、


家族が協力し合うことについて

「大草原の小さな家」シリーズを例に上げ

こんな一文を書かれていました。



インガルス一家が幌馬車で川を渡るシーン。



お父さんはもちろん先に立って、

馬の手綱をしっかりと握りしめ、

流れの中で足を踏ん張り、一歩ずつ向こう岸を目指す。



子どもたちは幌馬車の中で怖いのを我慢してじっとしている。

お母さんはただ静かにその子どもたちを抱きしめている。


家族全員が、できることを精一杯やっている。

一家が直面した危機を乗り越えるために、全員が協力している。





子どもにはできることと出来ないことがあって、

お父さんと一緒になって川の中には入っていけない。


けどだからと言って自分を役立たずだとか責めなくてもいい。

怖いのを我慢してじっとしていること。

それも役割を果たすこと。



どんな子も、いつも、

そのときに家庭で果たせる精一杯の役割を果たそうとしていて。

健気に。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




「14ひきのひっこし」でも、

年かさの子どもたちは棒を持ってイタチを警戒する。

小さな弟妹たちは怖いのを我慢してじっとしている。。。



おじいちゃんおばあちゃんも

そんな子を抱きしめたりしながらじっとしていて。。。



新しい巣穴を快適な「家」にするための大工仕事の場面でも、

大きい子どもたちはお手伝い。

小さい子どもたちは走り回って遊んでいる。



それぞれにできる精一杯の役割を果たして居る。

胸が熱くなるようだ。



幼い人たちは

そこにいて笑いながら遊んでいてくれれば

それが役割を果たすこと。




幸せそうにしていること、っていう役割がある。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





ただ遊んでいるだけのように見える子どもたちも 

それが役割。



社会と一緒。


無駄と思えるものを排除しちゃうと

潤いや柔軟性のない社会になる。

多様性こそが生命力を高めるのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





家族全員で困難を乗り越え、幸福探しの旅。

幼い子どもたちまでもが それぞれの持ち場を守りぬく。




最後から二ページ目では、

ろうそくの柔らかな明かりの中、

家族全員で

秋の実りがふんだんに饗された 豊かな食卓を囲む。


一日の労働のあとの、和やかな食卓。



  家庭という幸せ。

  家族があるというの幸せ。

  自分の居場所があるという幸せ。


  一緒に困難に立ち向かう仲間がいるという幸せ。

  守るべきものがあるという幸せ。

  それを今日も守り抜けたという幸せ。


     満足感と感謝と喜び。





全ての家庭が、

今日もまた困難を乗り越え終わって、

家族一同笑顔で 食卓を囲めていますように。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





細やかに描き込まれた、秋の里山の風景が美しい名作定番絵本。

『14ひきのひっこし 』 14ひきのシリーズ
  いわむら かずお  文・ 絵、童心社(読んであげるなら3歳くらいから)



魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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めくるめく異世界に遊ぶ絵本ご紹介【魂に効く絵本】

■日付

2005年8月22日(月)


■タイトル

めくるめく異世界に遊ぶ絵本ご紹介【魂に効く絵本】


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.8.22 第9号




甲子園も終わりましたね!

北海道は駒大苫小牧の優勝で盛り上がってますよ(^^)

それにしても、人はなぜ 高校野球の応援に

   暑い中 わざわざ出かけていくのでしょうね。





   ☆「夢中で 遊びに熱中する 体験の大切さ」

             がテーマの 絵本 ご紹介



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『めっきらもっきらどおんどん』長谷川摂子 文、降矢奈々 絵、福音館書店
                    (読んであげるなら4歳くらいから)


『かいじゅうたちのいるところ』モーリス・センダック、富山房
                   (読んであげるなら4歳くらいから)

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二冊とも、子どもが異次元の世界に巻き込まれ、

いろんな冒険をし

そして無事に元の世界に戻ってくるというファンタジー。



いわゆる「行きて還りし物語」を踏襲している。



ファンタジー文学の王道「行きて還りし物語」の精髄が


    低年齢から 存分に楽しめる 定番の名作。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





この二作品には、

「めくるめく」という形容詞がぴったりなような気がする。

その迫力、その強烈なイメージ。



  思う存分異世界で遊びほうけてから帰って来る 完全燃焼感。

  理性も理屈も振り捨てて 全身で遊ぶ感覚。


  野性的な情動に突き動かされて、

     すべてを忘れて遊び狂う、その感覚。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






そして、もう一つ印象的なのは、

そっちの世界に行ったっきりにならずに

ちゃんと戻ってこれるきっかけに、

二作に共通して 母親との絆が描かれていること。





情動の世界も大切で、そっちにどっぷりと浸かる体験も大切。



でも、現実生活も送らなきゃいけない。

戻ってこなくてはいけない。

そこで、呼び戻してくれるもの。

つなぎとめてくれるもの。


 それは愛に満ちた身近な人間関係。




子どもの頃、 「かいじゅうたちのいるところ」の最後の一文に

とても慰められたのをよく覚えてる。


 「部屋にはちゃんと夕ご飯が置いてあって、まだほかほかと温かかった」


待っててくれている人がいる、という安心感、安定感。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






このメルマガ、「魂に効く絵本」の趣旨は、

“魂を少し震わせて、
    少し生き生きを取り戻そう”なのですが、


まさにそれをやっている子どもを描写したのが

「めっきらもっきら」であり

「かいじゅうたちのいるところ」なのだと思います。



夢中になれるものに没頭して、

現実とか理性とかの手の届かない

自分の深いところまで降りていって

戻ってくる体験の豊かさ。



情動とか本能とか狂気とか野性とか


   それらにどっぷりと浸かる経験の健康さ。



そしてそれは、

  「人はなぜロックのライブとか、

   よさこいソーランとか、

   高校野球の応援に

   わざわざ出かけていくのか」

という問いの答えなのだろう。


それらの会場の熱狂と、

「かいじゅうたちがいるところ」での

怪獣たちとの言葉もない熱狂のシーンはとても似ている。



共鳴や共振があればより容易に熱狂や没頭や夢中の体験ができる。

場の力、仲間のダイナミズムが作用する。


同じく熱狂している人間が発するなにかに共鳴して、

よりいっそう夢中になる。

よりいっそうのめりこむ。

より一層理性を吹っ飛ばす。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






言葉の要らない、

理屈も 理性もない、

あるのは情動とか熱狂とか歓喜とか野性とか本能。

魂のふるえ。



そういう世界に浸かることの豊かさ。

集合無意識レベルで多くの魂と共感する。

魂のジャングルみたいな。

魂の深海みたいな。



そこへ還っていって

  そこにどっぷりと浸かることで

          人は魂の全体性を取り戻すのだろう。



生きる力を取り戻すのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





「遊び」の重要性。


人間の根源的な生きる力を取り戻す時間が

我を忘れて熱狂している時間、

“遊びに夢中になっている時間”。



一見無駄にしか見えない「遊び」が持っている豊かさ、力強さ、奥深さ。

それを失ったら、生きる力も失われてしまう。




熱狂と没頭。

それがある人生は厚みとふくらみと深みがある。

それがある人生は味わい深い人生となる。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






私の大好きな言葉に、

中島らもさんの名言

「恋愛は日常に対して垂直に立っている」

があります。





  「恋愛は日常に対して垂直に立っている。


  その一瞬が永遠をはらんでいる。

  その一瞬は、通常の時間軸に対して垂直に屹立していて、

  その無限の広がりの中に、

  この世とは別の宇宙がまたひとつ存在しているのだ。」


            『恋は底ぢから』中島らも著 集英社文庫P70より






物語や絵本や 遊びに熱中している時間も

日常に対して垂直に立っているといえるのではないだろうか。


だからこそ、

そういう時間が多い人生は ふくらみや厚みや深みがある。

豊かなのだ。




心電図の針の軌跡の、上下に振れる幅が広いように。

上下の振幅の幅が狭いのは、生きる力が弱い状態を表している。

無感動で平坦な日常。

潤いのない茫漠とした状態。

生きたまま死んでいるかのような。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





「めっきらもっきらどおんどん」と

「かいじゅうたちのいるところ」の二冊の絵本を手に取ろう。

その二冊が ページ一杯に発する熱狂と夢中の波動に共鳴しよう。


大声で朗唱してみよう。

理性なんて一瞬忘れて、その世界を全身で味わってみよう。

散文の日常に対して垂直に立つ、詩のような時間を登場人物たちと共有しよう。

その一瞬に永遠を見よう。



それから、大切な人たちが暮らす、この愛しい日常に帰ってこよう。



多少 退屈かもしれないし

詩のキラメキや 爆発性はないかもしれないけれども、

散文の安心感と安定感のある、この日常生活に。







      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






『めっきらもっきらどおんどん』長谷川摂子 文、降矢奈々 絵、福音館書店
                    (読んであげるなら4歳くらいから)


『かいじゅうたちのいるところ』モーリス・センダック、富山房
                   (読んであげるなら4歳くらいから)


参考図書:『恋は底ぢから』中島らも著 集英社文庫



魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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魂に効く絵本「ナヌークの贈り物」

■日付

2005年7月25日(月)


■タイトル

魂に効く絵本「ナヌークの贈り物」


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.7.25 第8号

夏真っ只中ですね!

北海道はそうでもないですが、他の地域はさぞかし暑いんでしょうね。

季節柄、目に涼しげな絵本を選んで見ました。



   ☆「大自然の中、いのちはめぐりつづける」

             がテーマの 絵本 ご紹介



    ・『ナヌークの贈り物』星野道夫 写真/文 小学館
                    (小学校中学年くらいから)


    ・『いわしくん』菅原たくや 文化出版局
                   (読んであげるなら4歳から)

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 ● 『ナヌークの贈り物』

  星野道夫 写真/文 小学館

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     〜〜あらすじ〜〜


ある吹雪の夜、北米原住民の少年は、
ナヌーク(ホッキョクグマ)の精霊に語りかけられる・・・



「人間はクジラに向かってもりを投げ、

クジラはサケを飲み込み、

サケはニシンを飲み込む。

 −−−−生まれかわっていく、いのちたち。」




「おまえのおじいさんの最期の息を受け取った風が、

生まれたばかりのオオカミに、最初の息をあたえたのだ。

 −−−−生まれかわっていく、いのちたち。」




「少年よ、消えていく命のために祈るのだ。

お前のおじいさんが、祈っていたように。

おまえのその祈りこそが、私たちに聞こえる人間の言葉なのだ。」




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



クマに魅入られ、クマを追い続けた写真家、

星野道夫さんの写真絵本。



私たち人間だけが

愛情や友情などの高等な心理機能を持って生きているのではない。



動物だって、家族がいて仲間がいて、

愛し合い慈しみあって生きている。

それが生き生きと伝わる写真たち。



家族と戯れるホッキョクグマ。

雪原で身を寄せ合って気持ちよさげにうたたねする彼ら。

相撲を取る二頭、それを遠巻きにするギャラリーたち。

乳をまさぐる我が子を目を細めて抱くホッキョクグマ。

母親グマのあとを一心に追う二頭のきょうだい。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




私たちは大いなる命の流れに浮かぶうたかたに過ぎない。

かつ消えかつ結び を永遠に繰り返す・・・


そして、私たち人間だけがその流れに浮かんでいるわけではない。


TVの中でライオンがシマウマに飛び掛かって
血まみれになって食べてるのも、

庭先でアリがチョウチョの死体を運んでいるのも、

私たちがスーパーで
パック入りの薄切り肉を買ってきて食べるのも、

全部一緒。



私たちは命を食べて生かされている。

私たちが食べるマックのハンバーガーも

宅配のピザも、

ついこないだまで息づいていた命だった。

生き生きしたつぶらな瞳をして、
触れると体温と鼓動が伝わってくる、そんな存在だったのだ。



私たちは生き物の命をいただいて食べている。

そして、私たちだって、
いつか世界の構成要素として大地に帰っていくだろう。

灰になり

微生物に分解され

大地に帰り

そうして永遠に循環していくだろう。



私たちは他者の命を食べて生かされている。


「いただきます」に込められた意味の深さを思おう。

「いのちを、いただきます」という敬虔な感謝の祈りなのだ




『ナヌークの贈り物』星野道夫 写真/文 小学館





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





そしてぜひ、読み聞かせにこの絵本を選ばれるときは、



   『いわしくん』菅原たくや 文化出版局



とセットにして読んでもらいたい。


<あらすじ>

日本の海で泳いでいた「いわし」くんは船につかまった。

スーパーで売られ、買われて、食べられた。



最後のページで、いわしくんが泳いでいる。

いわしくんを食べた男の子の身体に宿って。



楽しげに。生き生きと。目を輝かせて。

そこには食べられてしまった無念など、みじんもない(笑)。

あるのは、はじけるような「生の歓び」だけだ。

肉体に取り入れられたことで再び泳げることへの感謝と、悦び。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





私たちは、生かされている。

大いなる自然の中で、他者の生命をいただき、

取りいれ、そのおかげさまで生かされている。




私たちの体の中には、太古の恐竜が息づき、

昨夜の夕食で食べたいわしくんが泳いでいる。

私たちもまた、大自然の一つの構成要素に過ぎない。


私たちが他者の命を取り入れて生きているように、

私たちが死んだら

そのいのちは 他の生き物に取り入れられ、

この地球上を姿を変えて生きていく。



私たちは、地球の上の大いなるいのちの流れに浮かぶ、

泡の一つにすぎない。


それは決してはかないことなどではない。

そこにあるのは、

母なる大地にしっかりと抱きとめられている安心感。



私たち いきとし生きるもの全て、

確かに悠久の命の流れの一部であり、

決して切り離された孤独な存在ではないのだ。




「いわしくん」
菅原たくや 作、文化出版局 
(読んであげるなら4歳くらいから)



魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜
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長新太さん追悼号【魂に効く絵本】

■日付

2005年6月30日(木)


■タイトル

長新太さん追悼号【魂に効く絵本】


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.7.1 第7号
 


長新太さんが亡くなりました。

ナンセンス絵本の巨匠でいらっしゃいました。

巨星墜つ、の感があります・・・




というわけで、長新太さん追悼号


   ☆「理屈抜きに 五感で楽しむ体験の 大切さ」

                 を語る絵本 ご紹介

    

    ・『キャベツくん』(五歳くらいから)

    ・ 私の お気に入り長新太作品     



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 ● 『キャベツくん』

  長 新太 文・絵  文研出版

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


     〜〜あらすじ〜〜


 キャベツくんが あるいていくと

 ブタヤマさんに あいました。



 「おなかがすいて フラフラなんだ。

      キャベツ、おまえをたべる!」




 キャベツくんが

 「ぼくをたべると キャベツになるよ!」と

 いいました。



    「ブキャ!」



 ブタヤマさんは そらをみて、

 びっくりしてしまいました。

 はなが キャベツになっている ブタヤマさんが、

 そらにうかんでいます。




 キャベツくんが、

 「ぼくをたべると、こうなる」といいました。

 「じゃあ、へびが きみをたべたら、

             どうなるんだ?」


 「こうなる!」とキャベツくんはいいました。


    「ブキャ!」


 キャベツを 三玉 串刺しにした、

 おだんごみたいなへびが そらにうかんでいます。




 「じゃあ、タヌキがたべたら、どうなる?」


 「こうなる!」とキャベツくんはいいました。


     「ブキャ!」
 

 (さて、どんなものが空にうかんでいたでしょう^^?)




 「じゃあゴリラがたべたら?」


 「こうなる!」とキャベツくんはいいました。


      「ブキャ!」


  (さて、どんなものが空にうかんでいたでしょう^^?)

         ・

         ・
       
         ・



      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




“「こうなる!」とキャベツくんはいいました。”

この決まり文句が各ページの末尾。




そこで、次のページをめくると、一行目が




    「ブキャ!」





そして、大きく宙に浮かぶ、


身体の一部がキャベツになってしまった動物の、


バカバカしくも笑える ナンセンス戯画。




その、リズミカルな繰り返し。



“「こうなる!」とキャベツくんはいいました。”

の決まり文句に、「くるぞ くるぞ くるぞ」と

いやがうえにも盛り上がる期待(^^)



「やっぱりキタ〜ッ!」

期待を裏切らない、いや期待以上のバカバカしさの快さ。





理性や知性のスイッチを切り、


理屈ぬきに大笑いするためにある本。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






絵本は、子どもたちの純粋な喜びのために存在します。


文字や言葉や知識を教えるためにあるのではない。

喜びや笑いや感動のためにあるのです。

純粋なエンターテイメントのためにある。

幼い人たちが最初に出会う芸術作品なのです。




しつけや教育のためにあるのではない。

子どもに思想的なスローガンを訴える手段ではない。

生きる喜びをはぐくむ純粋な芸術なのです。




長新太さんの作品はどれもこれもナンセンスです。

頭をつかって理解できる範疇を大きく超えてしまっている。


そこが素敵です。

頭のスイッチを切って、五感で理屈ぬきに楽しむためにある絵本。

そのコンセプトが明確なのです。




知性、理性、知識、教養、分析、批判、論理的思考力

すべて確かにとても重要なものです。

でも、時に応じてスイッチを切ることができないと、

生きる力が邪魔されることがあります。

生きる力は身体に住んでいる非論理的なものなのです。



好き、ワクワク、愛、喜び、悲しみ、情熱、怒り、ハングリー精神、悔しさ、、、、


これらの「想い」こそが牽引力。

「こうでありたい!」という強い想い。

知性や論理的思考力は、

その「想い」を叶えるために働くサポーターに過ぎません。


その「想い」のために

次の一歩を右にとるのか左にとるのかを判断する。

その役目が知性や理性の役割です。

あくまでも二次的な存在。サポーター。



まず、「想い」ありき。

あちらの方へ一歩ずつでも近づいて行きたいのだという切望あっての人生。


まずはエンジンが、牽引力が働かなければ歩き出せない。

どこへ向かえばいいのかわからない。

駆り立てられるものがなくてどうして進めるだろう?

「想い」がなければ、自分が何がしたいのか分からない。

どんな人生を生きたいのかわからない。




まず、「想い」ありき。

「こうでありたい!」という切望。





「想い」に導かれる充実した人生のために

幼い人に 心がふるえ、喜ぶ経験を与えたい。

知性や理性を刺激する情報ではなく、

心や胸が喜ぶ情報を与えたい。



理屈を超えた五感への刺激。

まずは心の栄養、心の食べ物。

美しくて、純粋な生きる喜びを与えるものを。


人は、感動することによってしか変わらない。

人は、内側からしか変容しない。

人の天命を示す飛行石は、胸でしか光らないのです。




まずは「想い」あっての人間

まずは「想い」あっての人生。



まず、幼い人には、心がふるえ、喜ぶ経験を。

知性や理性を刺激する情報ではなく。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





理性や知性のスイッチを切り

純粋に五感で楽しむ体験をくれる名作。


『キャベツくん』
  長 新太 文・絵  文研出版
(読んであげるなら五歳くらいから)








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 ● 私の お気に入り長新太作品 ご紹介!

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☆『つ き よ』 教育画劇

三日月の輝く晩、
たぬきは人知れぬ山奥の湖で、
三日月がこっそりと
あんなことやこんなことをやっているのを見てしまいました!

たぬきはびっくりして、
思わず 
おなかをぎゅうっと両手でつかんでしまいました・・・





☆『おばけのいちにち』 偕成社

おばけって、いったいどんな一日をすごしているんでしょうか?

細長い勾玉みたいな形をして目鼻もない、
緑色一色のシュールなおばけ。

どんな歯ブラシ使ってるの? 
はいているパンツは? 
かぶっている帽子は?

訪ねてくる友達、ネコとのケンカの様子、などなど、
おばけの隠された日常が明らかに!





☆『つきよのかいじゅう』 佼成出版社

かいじゅうをカメラで撮影したい! 
人里離れた湖で、
かいじゅうが現われるのをひたすら待ち続けた
カメラマンの見たものは?!





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





長新太作品にハズレはありません。

静かで品のいいナンセンス。

シュールな中に穏やかな温かさのある笑い。

おおらかで広がりのある画風。



長新太作品の末尾の数行が、特に好きです。


◇『キャベツくん』の末尾

  「ブタヤマさんの よだれが
  かぜにのって、やわらかく
  ながれていきました。」


◇『つ き よ』の末尾

  「いけは もりのおくのほうに あるので、
  せかいいちの たんけんかだって
  みつからないと、ぼくはおもいます。」



◇『おばけのいちにち』の末尾

  「よるになった。
  おかのうえの おばけのいえ。

  しろいはなが さきはじめた。」





詩的な味わいのある 静かな余韻を残す終わり方・・・


シュールでナンセンスな絵本ですが、
無理にオチをつけようとはしていない。



ナンセンス絵本ならばお笑いで締めようとしたり、
または話が広がりすぎて
収集がつかなくなったりしそうなものですが。



この詩的で節度のある距離感が好ましい。

長新太作品の 魅力の秘密のひとつのように思います。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





子どもの本にメッセージは要らない。



いや、メッセージはこもっていてもいいかもしれない。

でも、意図はいらない。

教育はいらない。

説教もしつけも理屈もいらない。


そんな、私の絵本論を裏づけしてくれるかのような 

ナンセンスな 長新太作品の数々。



絵本に、メッセージも教育も主義主張も要らない。

ただ、面白く、夢中になれればいい。

ただ、心に響けばいい。





メッセージは汲み取るものだ。

読んだ子どもたちが各自、自分の手で汲み取るものだ。

与えられるものではない。

教え込まれるものではない。






ラピュタの飛行石は胸で光るのだ。

頭で、ではない。




まずは子どもたちに、心の栄養を与えよう。

理屈ぬきのワクワクと喜びと快さを与えよう。

それこそが生きる力をはぐくむだろう。

絵本は生きる喜びを育てる栄養だ。

心の食べ物だ。




 シュタイナー教育を紹介する『7歳までは夢の中』によると、
 7歳以前は心の栄養だけでよいそうです。

 頭の栄養を与えるにはまだ早すぎるとか。

 虫や自然についての科学絵本も、
 知識を教え込むためのものではなく、
 「自然の驚異」に目を見開かせる、
 「センスオブワンダー」だけで満ちたものを。




絵本は何かを教えるためのものではない。

絵本は何か主義主張を訴えるための手段ではない。

絵本は幼い人々が最初に出会う芸術作品なのだ。

まずは純粋な喜びと感動のために。

まずは純粋な楽しみのために。

まずは美しさを愛でるために。

まずは笑うために。

まずは面白がるために。

感動のあとに汲み取れるメッセージがある。

笑いとわくわくのあとにそっと残るメッセージがある。

そんなものであって欲しい。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




長新太さんは、

純粋な喜びと楽しみのための絵本を

たくさん世に送り出してくれた

空に大きく輝く星でした。



今は、あちらの世界で、

キャベツくんやブタヤマさんや、

たぬきやかいじゅうやおばけたち、長ワールドの住人たちと

心行くまで遊んでいらっしゃるのかもしれませんね。



たくさんの豊かな喜びを、

たくさんの子どもと大人たちに遺してくれて、

ありがとうございました。


ゆっくりと、お休みください。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




『つ き よ』 教育画劇
(読んであげるなら五歳くらいから)

『おばけのいちにち』 偕成社
(読んであげるなら五歳くらいから)

『つきよのかいじゅう』 佼成出版社
(読んであげるなら五歳くらいから)


長 新太 アマゾン全検索結果なんと376件!
どれもこれも名作です。
長新太作品にはずれなし。




参考図書

『七歳までは夢の中―親だからできる幼児期のシュタイナー教育』
松井 るり子 著、学陽書房

『センス・オブ・ワンダー』
レイチェル・L. カーソン 著、新潮社




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魂に効く絵本『おおきなきがほしい』

■日付

2005年6月1日(水)


■タイトル

魂に効く絵本『おおきなきがほしい』


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.6.1 第6号
 


      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



もう初夏ですね。

青葉が目にまぶしい季節です。

木々の濃い緑陰が映える季節。


この季節にふさわしい絵本ということで、

「おおきな きが ほしい」を選んでみました(^^)




   ☆「大自然に抱きとめられながら
        一人で過ごす時間の大切さ」を語る絵本 ご紹介

    
    『おおきな きが ほしい』(5歳くらいから)

    『あな』(4歳くらいから)
    




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 ● 『おおきな きが ほしい』

  さとう さとる 作・ むらかみ つとむ 絵   偕成社

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


     〜〜あらすじ〜〜

 おおきな おおきな 木が あると いいな。

 うーーーんと太くて、

 もちろん かおるひとりで手をまわしたくらいでは

 抱えられないような、そんな太い木。



 そのおおきな木にはしごをかけ、どんどん登っていくと、

 途中にかおるの家があるのです。

 そこには小さな台所もあり、ちいさなベッドもあります。

 「ぼく、ホットケーキなら、ひとりで できるんだ。」



 妹のかよちゃんも連れてきてあげようかな。

 そのためには吊り篭を付けて、

 ハンドルを回すだけで あがってこれるようにしてあげよう。



 その家からもっと上、木のこずえ近くには見晴台があるのです。


 見晴台の近くにはリスの巣穴があり、小鳥たちがいます。。。。


 見晴台からは遥か遠くまで見渡せます。

 「ぼく、とりに なった みたいだ」



 もうすぐ夏です。

 夏になると、高い木の上のかおるの部屋は、

 さぞかし涼しいことでしょう。


 秋になると・・・




    かおるの空想はどんどん広がるのでした。







 そしてつぎの日曜日、

 おとうさんとかおるは本当に木を植えました。

 まてばしい という、とても大きくなる木だそうです。





  ライプチヒ国際図書デザイン展銅賞受賞。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






自由な空想の翼にのって、自立を模索し始めた子どもの絵本。



おおきなおおきな木の上の、小さなかおるの小屋には、

大人は入れない。



でも、小さな妹なら連れてきてあげてもいい。

リスや小鳥になら木のウロを貸してあげてもいい。

妹、リス、小鳥・・・

病的な孤立ではない、同胞とのつながりを保った、あたたかな孤独。

弱いもの、小さいものへのいたわりも感じる。




おおきなおおきな木に育つ 苗を植えるということ。

それは、夢、希望の種をまくということ。


親が それにつきあってくれる喜び。


その苗は いつか大きく育つだろう。


  それは多分、自己。



  いずれ、時を経て 大きく育ち、

  人を受け入れ、共存し、高みから広々とした世界をながめる。



それは、自分のスペースを確立していく過程。

自己を確立していく過程。





この絵本で描かれるのは 個の崇高さ。

人はその内面世界を尊重されなければならない。


  子どもであろうと。


いや、これから自立していかねばならない 子どもだからこそ。




子どもの内面世界を尊重しよう。


子どもが庭の隅に植えた小さな種には、

それだけの 夢と希望とストーリーが 

こめられているかもしれないのだ。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






ひとりの場所の大切さ。

ひとりでいる時間の大切さ。

スペースの確保の意味。


それらを静かに描き出す名作絵本。




なぜ子どもは、

机の下や部屋の隅、ベッドの下や大きめの段ボール箱の中などに

すぐにもぐりこみたがるんだろう。



なぜ子どもは、

性差に関係なく、

「ここは**ちゃんのおうち。++ちゃんはお客さんね」などと

言いたがるんだろう。


なぜ子どもは、一定の年齢に達すると必ず秘密基地を作るのだろう。





その答えは、人が自分自身になっていく過程での


  自分の中に埋没する時間の必要さ

  自分をひとりで見つめなおす体験の重要さ 


の中にあるのではないだろうか。





子どもが一人で静かにすごす時間を大切にしてあげよう。

それは決して、子どもを一人ぼっちで放置する ということではない。


おとなの 温かな配慮と視線の中 見守られているという安心感のもとで、

存分に一人の世界に浸らせてあげるということ。



見守られてひとりでいるときに、意味深い変容が起こる。

見守られている、という大きな安心感のもとでこそ、

「ひとりでいることのできる能力」は育まれる。

ひとりでいる能力を身に付けて、

はじめて人はその人自身になることができる。




おとなだって ひとりになろう。




 あなたはひとりの時間を大切にしていますか?

 あなたは自分自身を大切にしていますか?

 あなたは自分の本質とつながってますか?



できれば、無機質な場所よりも、

母なる大自然のふところに抱かれ、

見守られているという実感が得られる場所を探してみよう。

その場所で、のびのびと自分自身になってみよう。



  おおきな木のそばで。

  海辺で。

  山の中で。

  滝の傍で。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





『おおきな きが ほしい』
さとう さとる 作・ むらかみ つとむ 絵   
偕成社(およそ5歳くらいから)





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






 ☆「大自然に抱きとめられながら
        一人で過ごす時間の大切さ」を語る絵本 
   もう一冊 ご紹介

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 ● 『あな』

  谷川 俊太郎 作・ 和田 誠 絵   福音館

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 にちようびの朝、なにもすることがなかったので、

 ひろしは あなをほりはじめた。

 おかあさんがきた。「なにやってるの?」

 ひろしはこたえた。「あな 掘ってるのさ」

 そういて あなをほりつづけた・・・

 ・・・

 おとうさんがきた。「なかなかいいあなができたな」

 ひろしはこたえた。「まあね」そうして あなにすわりつづけた。


 ・・・・

 あなの なかからみる そらは、

 いつもより もっとあおく もっとたかく おもえた。

 そのそらを いっぴきのちょうちょうが 

 ひらひらと よこぎっていった。


 ・・・・

 「これは ぼくの あなだ」 もういちどひろしはおもった。

 そうして ゆっくり あなを うめはじめた。


 (おわり)




     ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




ただ穴を掘り、その中にしばらく座り、そしてその穴を埋める。

それだけ。

それ以外になにも起こらない。

  なのに、1983年の発刊以来、20年以上のロングセラー。




読む人の胸を打つ真実が含まれているからこそだと思う。

読んでもらう 子どもの内面世界に響く 真理が含まれているからこそ。



  ひとりの場所の大切さ。

  ひとりでいる時間の大切さ。

  スペースの確保の意味。


それらを静かに描き出す名作絵本。



人が自分自身になっていく過程での

自分の中に埋没する時間の必要さ、

自分をひとりで見つめなおす体験の重要さ。



あなたも、

母なる大自然に見守られているという実感が得られる場所で、

のびのびと自分自身になってみよう。


  おおきな木のそばで。

  海辺で。

  山の中で。

  滝の傍で。


  大地にほった、深い穴の中で。

(これこそまさに、母なる大地のふところに抱かれて、

                 ってことですよね。)





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





村上春樹の言葉に、

「井戸を掘って掘って掘っていくと、

そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、

というコミットメント」
(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』p70)

というのを読んだことがあります。




「すべての大陸が海でつながっているように、

すべての人は感情でつながっている。」

(本田 健 講演会 での言葉)




表面的な違いをこえて 深く掘り下げていったとき、

私たちはメタスキル(感情)でつながれるのです。



そのためには、まず、存分に一人の世界に浸ること。

ひとりでいる能力を身に付けて、

はじめて 孤立からは無縁になれる。



ひとりでいる能力を身に付けて、

はじめて 

本来の自分自身として、

人と本当の意味でつながれるのではないでしょうか。


 逆説的ですが。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




『あな』
谷川 俊太郎 作・ 和田 誠 絵   
福音館
 * 読んであげるなら4歳くらいから

      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'


参考文献

『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』
エリーズ ボールディング (著), 松岡 享子 (翻訳)
こぐま社

『孤独であるためのレッスン』 NHKブックス
諸富 祥彦 (著) 日本放送出版協会

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 新潮文庫
河合 隼雄 (著), 村上 春樹 (著) 文庫 (1998/12) 新潮社

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
河合 隼雄 (著), 村上 春樹 (著) 単行本 (1996/12) 岩波書店



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【ときには甘えてもいいんだよ】魂に効く絵本

■日付

2005年4月19日(火)


■タイトル

【ときには甘えてもいいんだよ】魂に効く絵本


■本文
 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。


魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜 2005.4.19 第5号
 

      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



四月ですね。

新入園、新入学の季節です。


入学式、入園式での、
ちょっとおにいちゃんおねえちゃんになった自覚に
誇らしげに胸をそらすわが子の姿。

思わず鼻の奥がつんとした方も多いのではないでしょうか。


お子さんに限らず、
新年度からガラッと環境が変わり、
緊張した毎日を送っている方も多いことでしょう。


そんな皆さんにエールを送る絵本たち!




   ☆「そんなにがんばらなくてもいいんだよ、
            時には甘えてもいいんだよ」と

         優しく語り掛ける絵本 ご紹介

    
    『どんどこももんちゃん』(二歳くらいから)

    『ぼくがおっぱいをきらいなわけ』(四歳くらいから)
    




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 ● 『どんどこももんちゃん』

  とよた かずひこ 作・絵   童心社

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     〜〜あらすじ〜〜

  どんどこ どんどこ

     どんどこ どんどこ


  ももんちゃんが いそいでいます


  川を越え、

  急な坂をのぼり、


  時には 立ちはだかる熊を 投げ飛ばし(^^)


  時には ころび 

           



  それでも

  ももんちゃんは いそいでいます


  目に涙をいっぱいためて。



  どんどこ どんどこ

     どんどこ どんどこ




    どーーーーーーーーーん




  とうとう ももんちゃんは 目指すものに向けてダイブ!! 




  川を越え、山を越え、ももんちゃんが急いでいた先とは?




                  第7回日本絵本大賞受賞。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





川を越え、山を越え、涙をこらえて
ももんちゃんが目指していたのは


  お母さん!



最後のぺージで、すごい勢いで飛び込んできたももんちゃんを
全身で受け止める大きなお母さん。

その柔らかい笑顔。



そしてお母さんの腕の中の


ももんちゃんの


安心しきった笑顔。



大人でもほろりとする読後感。




幼い日、お母さんの腕に飛び込んだときの 


 あの安心感、

  あの温かさ。

   体感する 無条件の愛。


おとなにもその感覚を思い出させる絵本。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




人間は、直線上を移動するように成長するのではない。

年輪を描くように、同心円がふくらんでいくように成長するのです。

   


今日の朝ご飯をおぼえていられない老人でも
子ども時代の思い出は、昨日のことのように思い出す。


どれほど年輪を重ねても、中心にあるのは幼心であり童心なのです。


だからこそ、大人でも
お母さんに抱きとめられた時のことを思い出してほろりとできるのです。


年端のいかない子どもたちならばなおさらでしょう。



二歳くらいから喜ぶ

単純な絵本ですが、小学校低学年も大喜びします。



学年も上がったし がんばらなくては、と

慣れない環境で 気を張っている

小さいひとたちに 是非読んであげてください。


ももんちゃんと同化してハラハラしていた子どもたちは、

ラストシーンで

ホッと、体の奥がゆるむような安らぎを得ることでしょう。


そしてきっと、本を閉じたあとに

満面の笑みをあなたに向けてくることでしょう。



そこをすかさず、ぎゅっと抱きしめてあげてください。



 あなたは愛されている。

 私はいつでもあなたの帰りを待っている。

 あなたが泣きながら帰ってきたときに、抱きとめる用意がある。




たとえ無言のままでも、
それらの大切なメッセージがきっと伝わることでしょう。




待っててくれる人がいるから乗越えられる。

帰る場所があるからがんばれる。

抱きとめてもらえると信じられるから飛び込める。




 人とは そういうものなのです・・・ 






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





「どんどこももんちゃん」
とよた かずひこ 作・絵
童心社(およそ二歳から)

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 ☆「そんなにがんばらなくてもいいんだよ、
   時には甘えてもいいんだよ」と優しく語り掛ける絵本 
   もう一冊 ご紹介

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 ● 『ぼくがおっぱいを きらいなわけ』

  礒 みゆき 作・絵   ポプラ社

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  ぼくはおっぱいなんてきらいだ。


  おっぱいをのむなんて、 

  あかんぼうのすることだ。


  うしのおっぱいは、

  おなかかおっぱいか わからないから きらいだ。


  おとうさんのおっぱいは、

  けが はえてるから もっときらいだ。



そう強がるのは、下に赤ちゃんが生まれた男の子。

お母さんのおっぱいをまさぐる赤ちゃんを横目に、

「おっぱいなんてきらいだ」とうそぶく。


そんながんばりやさんの男の子も

おでこをぶつけると

涙をこらえて

そっとお母さんの部屋をのぞく。


お母さんは

「まあどうしたの」と優しく呼びよせ、

ぎゅっと抱っこしてくれる。



  おっぱいは、

  やわらかくて あったかくて いいにおい。

  だから・・・

  せっかく がまんしてたのに・・・




  わぁーーーーーーーーーん




  だから ぼくは、 おっぱいがきらいなんだ。




四歳くらいから喜ぶ単純な絵本ですが、おとなも大受け(^^)。

そして、最後にグッとくる絵本。


下に弟妹がいて、

自分だってまだまだ甘えたい年頃なのに 

日頃から我慢している 

けなげな おにいちゃんおねえちゃんたちに、

是非読んであげてほしい。



「おとうさんのおっぱいは毛がはえてる、だってーー!」

面白がって笑っていたお子さんも、

ラストシーンではしんみりくるものがあることでしょう。



そこをすかさず、ぎゅっと抱きしめてあげてください。




 あなたはあなたのままでいい。

 そんなに我慢しなくてもいい。

 そんなに背伸びしなくてもいい。

 あなたはあなたのままで価値がある。

 あなたが泣きたいときに、私はいつでも抱きとめる用意がある。




たとえ無言のままでも、
それらの大切なメッセージがきっと伝わることでしょう。




待っててくれる人がいると 乗越えられる。

帰る場所があるから がんばれる。

抱きとめてもらえると信じられると 飛び込める。



 人とは そういうものなのです・・・ 




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




『ぼくがおっぱいを きらいなわけ』
礒 みゆき 作・絵
ポプラ社
 * 読んであげるなら4歳くらいから

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      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




おとなだって、泣きたいとき、甘えたいとき、ありますよね。


ときどき、イメージの中で、

自分自身をギュッとハグしてあげてくださいね。


弱い自分、至らない自分、醜い自分・・・


普段、切り捨てたり無視したり責め立てたりしてしまう

みっともない小さな自分を

イメージの中で、ぎゅっと 抱きしめてあげてください。



そして


 あなたはあなたのままでいい。

 そんなに我慢しなくてもいい。

 そんなに背伸びしなくてもいい。

 そんなにがんばらなくてもいい。

 あなたはあなたのままで価値がある。

 あなたがたとえ

 どんなに弱くて欠点だらけでも

 私はあなたを受け入れ、抱きしめる。



と、語りかけてあげてください。



 待っててくれる人がいるから乗越えられる。

 帰る場所があるからがんばれる。

 抱きとめてもらえると信じられるから飛び込める。



次の日から、またがんばる気力がわいてくることでしょう。




廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
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『秘密の花園』と『トムは真夜中の庭で』

■日付

2005年3月19日(土)


■タイトル

『秘密の花園』と『トムは真夜中の庭で』


■本文

前号で予告していたとおり、
“庭もの”古典的名作児童文学をご紹介いたします。
(絵本ではありません。ご了承ください。)

    『秘密の花園』(小学校高学年以上)
    『トムは真夜中の庭で』(小学校高学年以上)


                      メルマガ「魂に効く絵本」号外より

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● 『秘密の花園』
 フランシス・ホジソン バーネット 作   岩波少年文庫

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まずは 庭の再生=魂の再生として描いた古典的名作
『秘密の花園』をご紹介いたします。

ご存知、『小公女』『小公子』の作者でもあるバーネット女史の作品。

庭仕事の喜びが細やかにイキイキと描写され、
園芸好き、ガーデニング好きにもおすすめ。




    〜〜あらすじ〜〜


インド駐在中のイギリス貴族の娘として生まれたメアリーは、
子どもなんてちっとも欲しくなかったキレイなお母さんにうとまれ、
遠ざけられて、召使に育てられます。

ある日、はやり病で両親も乳母も一度に喪い、
遠くイギリス本国の、
会ったことも無い親戚のうちに送られることになるメアリー。

今まで愛されたことのない少女はすっかり心を閉ざしており、
両親が死んでしまったことも悲しまず、
送られる先にも関心を示しません。

しかめっつらをして
「自分には関係がない」という頑なな態度を取り続けます。




そんな少女の心を優しくほぐすのは、イギリスのムーアの大自然。


  小首をかしげて自分の後をついてくるコマドリ。

  春の訪れ。

  戸外に満ちる 肥えた土の 湿っぽいにおい。

  ムーアのことならなんでも知っていて、
  どんな野生動物も手なづけてしまう
  村の自然児ディッコンとの交流。



ある日、メアリーはコマドリの導きで、
10年間封印されていた秘密の庭の入り口と、
その入り口の鍵をみつけました。


灰色のつるがすべてのものにからみ、
物音ひとつせず、まるで死んでいるかのような庭・・・



ディッコンの助けを借りつつ、メアリーは、
やはり両親の愛を知らない車椅子の少年コリンと共に、
その荒れ果た庭の再生に取り組みます。


  土を掘り、

  花の種をまき、

  苗を植え、

  雑草を抜き、

  バラの茂みの枝を払い・・・


誰の目からも隠されて、
荒れ果てるままに放置されていた庭が
見事な花園に再生したとき、奇跡は起こります・・・






      ':・:*:. ☆ .:*:・:'






固く閉ざされて荒れ果てていた秘密の庭。


「ネグレクト」という虐待の被害児であり、
心を固く閉ざして何もかもを憎んでいたメアリー。

誕生と同時に母を亡くし、父からはかえりみられず、
体が弱く歩くこともできず、
ひとりぼっちで暗いお屋敷の一室に閉じこもって
全てに絶望して泣いていたコリン。



秘密の庭が この二人の魂の象徴であることは
議論の余地がないだろう。




その庭が、見事な花園に再生する。

       奇跡は起こったのだ・・・




いつだって、取り返しがつかない ということは、ないのだ。




  どれほど理不尽な境遇に苦しめられても

  もう二度と笑えないような気がしても

  どれほど損なわれても

  どれほど傷ついても


  人は立ち直る。



  春の来ない冬はない。

  生き続けている限り、いつでもよみがえるチャンスはある。

  いつでも、取り返せる。





植物が、水と光さえあれば
よみがえり、再生し、イキイキと生い茂ることができるように。

まるで 長い間投げ捨てられ荒れ果てていた庭でも
春が来れば 緑が萌えだすように。

愛情深く思慮深い人の手が加われば、
もう一度見事な庭園として
たくさんの花々を咲き誇らせることができるように。




人の心、魂は、常に成長しようとしている。
粘り強い復元力がある。



植物は、水と光さえあれば、常に天に向かって伸びていこうとする。


人の心、魂は、

どんな悲惨な状態からでも

傷を癒して

常に明るい方向を目指して成長しようとする。

誰かの温かい眼差しと支えさえあれば。




それは必ずしも肉親でなくていい。



温かい目で見つめてくれ、
ほんの少しの応援の手を差し伸べてくれる人。



貧しいディッコンのおっかさんが、
メアリーのために二ペンスで縄跳びを買って渡してくれたように。




貴族の娘メアリーは
自分のおこずかいで 何十本でも縄跳びを買えただろう。

でも、その心遣い、気遣い、思いやりこそが
メアリーには必要だったのだ。

わずか二ペンスの一本の縄跳びの紐。

それが、愛情深く思慮深い人の手で差し出された、
ということこそが重要なことだったのだ。

自分のことを気に掛けてくれていて、
心を込めたストロークをくれる存在がいる、という実感。




長い間投げ捨てられ荒れ果てていた庭でも
春の訪れと共に
愛情深く思慮深い人の手が加われば、
もう一度見事な庭園としてよみがえる。





  温かい周囲の大人たちの眼差しと 

  大自然の恵みが引き起こした、

  傷ついた魂の 再生と成長の奇跡を 

  格調高く描き出した感動の名作。





秘密の花園 (上) 岩波少年文庫 (2028)

秘密の花園 (下) 岩波少年文庫 (2029)

フランシス・ホジソン バーネット 作、  吉田 勝江 訳
小学校高学年以上向け




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




☆『トムは真夜中の庭で』

弟のハシカをうつされないよう、
都会の親戚のアパートに預けられたトム。

子どものいない叔父さん夫婦との
庭もない狭いアパートでの毎日は、退屈で孤独なものだった。




毎日部屋の中で

「誰か遊ぶ相手はいないかなあ」

「どこか遊べる場所はないかなあ」

と切望する毎日。




その切なる願いが時空を超え、
二つの孤独な子どもの魂が、毎夜、触れ合う。


現実のこの世界にはもう存在しない、まぼろしの、庭で。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





子ども時代の豊かな思い出は、心の中で庭になる。



 憩いの場所。

 イキイキした感情の生まれる場所。

 生命力や活力のみなもと。

 潤いの沸き出でる泉。



大人になっても、老人になっても、

人はいつでも自分の奥底の“庭”へ帰ることができる。

アクセスできる。




そしてその“庭”の中でなら、
人と人は、年齢も性別も超えて、真に触れ合える。



魂が触れ合うのだ。






子どもはなぜ大切にされるべきなのか。

それは、子ども時代を豊かに幸福に過ごせば
豊かな“庭”を内面に持つことができるからだ。


豊かな“庭”を持つことは、人にとって、一生の財産になる。

これ以上ないほどの財産に。

“庭”が豊かな人ほど、
豊かで味わい深い人生を送ることが出来るのだ。



伸び伸びした子ども時代を過ごすことと、
魂の豊かさとの関連を静かに浮かび上がらせた傑作。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






しかし子ども時代が殺伐とした苦しいものであったとしても、
豊かな庭を内面に持つことは可能なのだ。


運命の過酷な仕打ちにもめげず、
自分の中の内なる王国、内なる庭園を守り通した少女の魂との、
時空を超えた出会いを描いたのが『トムは真夜中の庭で』。


ひどく傷つけられ、損なわれた子どもたちの
魂の再生を描いたのが『秘密の花園』。


淡々と生きてきた大人が、
無味乾燥な庭に潤いと華やぎを取り返す過程を描いたのが
『ルラルさんのにわ』。




魂の復元力に敬意を。

大自然の生命力に全幅の信頼を。



いつどんなときも、もうだめということはないのだ。


どれほど理不尽な境遇に苦しめられても

もう二度と笑えないような気がしても

どれほど損なわれても

どれほど傷ついても

人は立ち直る。

春の来ない冬はない。

明けない夜はない。


人の心、魂は、常に成長しようとしている。

粘り強い復元力がある。



植物が、水と光さえあれば、
不毛の地と見えていた場所から芽を吹き、天を目指すように。

人の心、魂も、
誰かの温かい眼差しと支えがあれば、
高みを目指して成長することができるのだ。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






トムは真夜中の庭で 岩波少年文庫 (041)
フィリパ・ピアス 作   高杉 一郎 訳
小学校高学年以上向け





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
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魂に効く絵本 --人は自分の中に豊かな庭を持っている--

2005年3月18日(金)


■タイトル

魂に効く絵本 --人は自分の中に豊かな庭を持っている--


■本文

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。



     まるで恋のように。





      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




もう春ですね(^^)




春といえば、再生を目の当たりに出来る季節です。





一面の枯れ草の間から、小さな緑の芽が萌えいずる季節。


まるで枯れ木のようだった木々の枝の
固い小さな冬芽がふくらみ、
柔らかな新芽をのぞかせる季節。


一面のモノトーンの景色が、
毎日毎日彩りと活力を取り戻していく季節。




春の来ない冬はありません。




どんなに厳しく長い冬も、必ず終わりを告げ、


緑は豊かに再生し、

      生い茂り、

         花は咲き乱れ、

              生を謳歌します。








まるで人の心のようだ、と思います。

どれほどひどく損なわれたように見えても、
人は必ず立ち直ることができる。

もう一度立ち上がり、歩き出すことができる。

以前より、一層力強くなっていることさえある。

厳しい状況を 人は必ず乗越えてもう一度立ち上がり、
より豊かに力強く、歩き始める。




その連想ゆえか、
人の心や魂を“庭”に例えた絵本や児童文学は多いですよね。

大自然に包含されながらも、個人に属する“小自然”。



周囲の他の人の庭との境界が明確で、
個々人の個性や好みによって千差万別の顔を持つ

“小自然”、“小宇宙”。




それが“庭”。




そこで、今号では
“庭”を魂や心の象徴として扱った作品をご紹介いたします。




『ルラルさんのにわ』(読んであげるなら三歳くらいから)
(HP内に載せていた書評を大幅に加筆・修正いたしました。
前に読まれたことがある方も楽しめる内容になっております。)



テーマは


 「人は誰でも、自分の中に豊かな庭を持っている。」




   ☆“庭もの”古典的名作児童文学 ご紹介
    (絵本ではありません。ご了承ください。)

    『秘密の花園』(小学校高学年以上)
    『トムは真夜中の庭で』(小学校高学年以上)
    




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● 『ルラルさんのにわ』

 いとう ひろし 作・絵   ポプラ社

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     〜〜あらすじ〜〜



ルラルさんは毎日庭の手入れをします。

ルラルさん自慢の大切な庭なんです。

だれも庭に入ることを許しません。



ところが、ある朝、その庭に大きな丸太が
ころがっていました。

腹を立てたルラルさんが蹴飛ばそうとすると、
なんと、丸太ではなく、大きなワニだったのです。



ワニはルラルさんを手招きし、
「気持ちいいぜ。寝そべってみなよ」といいます。



逆らうのが怖くて仕方なく言うことを聞いたルラルさんは、
初めて自分の大切な庭を身体で感じたのです。

ちくちくと肌に刺さる芝生の気持ちいいこと・・・。



そして・・・。




第13回絵本にっぽん大賞受賞。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






可愛らしい動物たちがたくさん出てくる、
のほほんとした癒し系の絵柄。

でもその可愛らしさにだまされてはいけない。
この絵本は、佐野洋子の「おじさんのかさ」に並ぶ、
不安を乗越えて心を開くことの大切さと
それに伴う魂の変容を描いた名作なのだ。



秩序を乱されることを恐れ、
他者に向かって心を開くということをしなかった一人の男性に、

否応なく訪れた危機、混乱。


その中で 自分の“庭”、
つまり自分の心、魂を五感で感じることを強要される。


その中に踏み入り、身を投げ出し存在をゆだねることを強いられる。




今まで管理の対象だった“庭”。

混乱や変化を引き起こしそうなものを追い払い、
乱されないことを最優先してきた“庭”。



整然とコントロールすることしか考えたことがなかった。


その存在を楽しみ、その中に踏み入って遊ぶことなど、
したことがなかった。


身を投げ出し、五感でその感覚を味わうなど、
したことがなかった。





しかし、やってみると



   パジャマをとおして ちくちく ちくちく。

   にわのしばふが おなかをさします。

   その きもちのいいこと きもちのいいこと。

   おもわず うっとりしてしまいます。








男はこの経験をきっかけに、
秩序を乱す多様な存在を受け入れ、
その混沌を楽しみ、
ともに“今、この瞬間”を味わうような生き方へと方向転換する。



最後のページでは、
今まで容赦なく追い払ってきていた種々雑多な動物たちと、
仲良く一緒に芝生の庭で寝転ぶルラルさんの姿。





動物たちとルラルさんの、とても楽しそうな無邪気な笑顔。




その、豊かさ。豊饒。





混沌は時に、豊かさ、生き生き感、
温かい他者とのつながりを運んできてくれるのだ・・・。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




これは「恋」の話としても読める作品だ。



否応なく他者から揺さぶられる。

   それが‘呑み込むもの’の象徴、
   大きな口のワニだったことも象徴的。


  ‘呑み込むもの’と言えば女性原理。



自分にはどうしようもない。恋に落ちてしまったのだ。


そして、初めて心を開いて内面に他者を受け入れる違和感、不安。

しかしそれはどれほど刺激的で、喜びを伴う経験であることか。



心を開いて他人を受け入れる不安と、
それを乗り越えなければ得られないものがあることを、
幼い人たちに教えてくれる本。







大人も、これを読んで、恋のトキメキを想いだそう(^^)




時はまさに春。固く閉じていた心の鎧を脱いで、


自分の心、魂を五感で感じきろう。


自身の奥深くに踏み入り、身を投げ出し存在をゆだねよう。





しなやかにそして敏感に生きる喜びを味わおう。






      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





「ルラルさんのにわ」
いとう ひろし 作・絵
ポプラ社(読んであげるならおよそ三歳から)







      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'



   ☆“庭もの”古典的名作児童文学 ご紹介
     (絵本ではありません。ご了承ください。)

    『秘密の花園』(小学校高学年以上)
    『トムは真夜中の庭で』(小学校高学年以上)
    

 長くなりましたので、この二つのご紹介は
 号外という形でお届けしますね。

 明日の配送予約を入れておきます。

 私が書くとどうしても長くなってしまって・・・

 長いメルマガがお嫌いな方、ごめんなさいね〜(泣)


 長いだけでなく、「毎月15日発行」という発行予定日が守れなくて・・・

 ちょっと自分が恥ずかしいです(^^;

 こんな私ですが、よろしければもう少しお付き合い願えれば幸いです☆




廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
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魂に効く絵本 --人はひとりで生きているのではない--

■日付

2005年2月16日(水)


■タイトル

魂に効く絵本 --人はひとりで生きているのではない--


■本文

魂に効く絵本  〜絵本は恋に似ている〜

  #  2005.2.15  # 第3号

 
==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*=

 優れた絵本、児童書は、大人の心をもわしづかみにし、揺り動かします。


     まるで恋のように。


      ':・:*:. ☆ .:*:・:'


今年の冬は雪が多いですね。

私の住む北海道の片田舎の山村では、積雪が2m近いです。
観測史上初の積雪量だと聞きました。

毎日毎日、除雪車が大活躍です。
雪の厚い毛布をかき分けて、
社会の動脈、生活道路を確保してくれます。

そこで、今号では
『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』を
ご紹介いたします。


テーマは

 「人は一人で生きているのではない

 〜はたらくということ、社会の中で役割を果たすということ〜」



   ☆もし読み聞かせに使うならば組み合わせたい本
    『もぐらとずぼん』



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● 『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』

 バージニア・リー・バートン  福音館書店

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     〜〜あらすじ〜〜

ケイティーはキャタピラのついている、赤い立派なトラクターです。
とても強くて大きくて、色々な仕事ができました。

夏の間はブルドーザーを付けて道を直し、
冬になると除雪機を付けて雪をかきのけました。

ある日のこと、
ケイティーの住むジェオポリスの町に、大雪が降ります。

ジェオポリスは 一日にして
真っ白い 雪の毛布の下に すっぽりと隠れてしまいました。


ケイティーの仕事仲間、小型の雪かきトラックたちは全て立ち往生。


 町中で動くことができるのは


     ケイティー ただひとりだけ。


ゆっくり、じっくり、ケイティーが雪をかいていくと、
 あちこちから「頼みます!」の声がかかります。

警察署、郵便局、電話局、電力会社、お医者さん、消防署・・・

   「頼みます! 町を守らなければなりません。

          私たちが出歩けるようにしてください!」


ケイティーは応えます。

    「よろしい。私についていらっしゃい。」
 

      ':・:*:. ☆ .:*:・:'


 「けいてぃーは、はたらくのが すきでした。
  むずかしい ちからのいる しごとが、あればあるほど、
  けいてぃーは よろこびました。」


ケイティーは 誇りをもって 自分の使命を果たしている。
道路を確保する、という使命。
ライフラインの確保。
ライフラインが切れてしまうと、
他のみんなが自分の使命をはたせない。
自分の役割を、義務を、責任を果たせない。

 おまわりさんは町を守りたい。

 郵便屋さんは郵便を届けたい。

 電話局と電力会社の人は倒れた電柱を直したい。

 お医者さんは患者を病院に運びたい。

 消防署員は火事を消したい。


 みんな 使命を、義務と責任を、果たしたい。


そして、文中には触れられていないが
細かく隅々まで描き込まれた挿絵の中で、
ケイティーが 除雪し 通れるようにした道路を使って、
さまざまな役割を果たして社会を守る人たちが描かれている。

    パン屋さんがパンを届け、

    牛乳屋さんが牛乳を配達し、

    ゴミ収集車がゴミを集めている。

大雪の中、除雪を待ってただちに働き出した彼らのおかげで、

 お腹を空かせた誰かがパンを受け取れている。

 泣いている赤ちゃんのもとへミルクが届く。

 ゴミは適切に排せつされる。


そして、先頭に立って力強く雪をかきのけるケイティーの
後ろに続く車の列の中に

 石油を運ぶタンクローリーの姿があり、

 たくさんの乗客を乗せたバスの姿がある。


この絵本は、
ライフラインである道路の確保に奮闘するケイティを
主人公にすえることで、

社会の 支えあいのシステムを浮かび上がらせることに 成功している。


道路は町の血管だ。

道路を通って必要なものが運びこまれ、不要なものが運び出される。

有機生命体としての町が維持される。

道路によって人はつながり、助け合い、支えあっている。


社会の中で、誇りをもって 自らの義務と責任と使命を果たすことで

 人は 支えあい、助け合って、 そして 生かされている。



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



助け合うこと。
自分の得意分野で能力を生かして、喜びを生み出し、
感謝を受け取る。喜びと感謝を循環させる。
有機生命体としての社会全体を 生き生きと活性化させる。

おまわりさんは町を守ることで。

郵便屋さんは郵便を届けることで。

電話局と電力会社。

お医者さん。

消防署員。

パン屋さん、牛乳屋さん、ゴミ収集係。

タンクローリーの運転手、バスの運転手。


みんな、自分の本分を果たすことで、

          人の役に立ち、喜ばれ感謝されている。



それが働くということ、それが仕事をするということ。
有機生命体としての町を維持すること。
つながり、助け合い、支えあい、生かしあうこと。


      ':・:*:. ☆ .:*:・:'


 「けいてぃーは もう、すこし くたびれていました。
  けれども しごとを とちゅうで やめたりなんか、
  けっしてしません・・・

  やめるものですか。」


最後から二枚目のページでは、

ケイティーの活躍で 
やっとすべての道路網を雪の中から掘り出された
ジェオポリスの町の地図が 見開きいっぱいに描かれる。


最後のページで、ケイティは とうとう帰りつく。
道路管理部の中の自分の車庫へ。


 「こうしてけいてぃーは 
  だいじな しごとを ぜんぶ すませて、
  はじめて うちへ かえりました。」


文中ではさらりとこう書かれているだけだが、
絵の中では、大きく手を振って、
疲れ切ったケイティーを迎える人の姿が何人も描かれている。


帰りを待っていてくれる人、労をねぎらってくれる人が こんなにいる。


「よくやった、よくやり通した」
「もういい、よくがんばった、ゆっくり休め」

そんな温かい声が聞こえてくるような、最後のページ。


どれほどがんばったか、知っててくれる人がいる。
正当な評価をくれる人たちがいる。

自分の 得意分野で 能力を生かして 喜びを生み出し、

   正当に評価され、正当な対価を受け取る。

それが働くということ、それが仕事をするということ。


      ':・:*:. ☆ .:*:・:'


ケイティーは 自分の仕事を誇りに思っている。

果たすべき役割があることを、
   自分にしかできない仕事があることを知っている。

なんのために自分がそこにいるのか、よくわかっている。

そして、その価値を知って、評価し、ねぎらってくれる人たちがいる。

その人たちが待っていてくれる、帰る場所がある。



こんな幸せなことがあるだろうか。



 自分の 得意分野で 能力を生かして 喜びを生み出す。

 それぞれが 誇りを持って
   それぞれの役割、義務、責任を果たし、

 つながり、助け合い、支えあい、認められ、評価される。

 それが 働くということ、仕事をするということ、
 よく生きるということ。



よき社会人としての生き方モデルを、

幼い人たちに最初に見せてくれる名作絵本。

   * 「ケイティー」は女性なんです。
     そのことも素敵ですよね♪


『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』
 作・絵: バージニア・リー・バートン
訳: 石井 桃子
出版社: 福音館書店
 * 読んであげるなら4歳くらいから


      ':・:*:. ☆ .:*:・:'


 ☆もし読み聞かせに使うならば組み合わせたい本
  『もぐらとずぼん』

もぐらくんはポケット付のスボンが欲しくなりました。
ズボンを手に入れるにはどうしたらいい? 
もぐらくんはまずアマという植物を育てるところから始めます。
アマから繊維を取り、機織り機で布を織り、
色々な動物たちに裁断や裁縫を手伝ってもらい・・・

1つのズボンを作るということが、どれほど大変なことなのか。
どれほどたくさんの手間と工程が必要なのか。

    
人は一人で生きているのではない。
衣食住の全てが、たくさんの人の手を経て
手間をかけられて、私たちの手に届く。

そしてもちろん、すべて大自然の恵みあってのこと、もの。


「人は一人で生きているのではない」
もぐらくんという等身大の主人公を介し、
“ポケットのついたズボン”という身近な素材を通して、
子どもたちが そのことを実感できる絵本。


泥にまみれて田植えしたことがなく、
汗水たらして稲刈りもしたことのない自分が
毎日 お米を食べられているということは どういうことなのか。

自分が着ている温かい服は誰がどうやって作ってくれたものなのか。

それを着ていられるということはどういうことなのか。



忘れがちですよね・・・



大人も謙虚な気持ちになれます。


『もぐらとずぼん』
作: エドアルド・ペチシカ
絵: ズデネック・ミレル
訳: 内田 莉莎子
出版社: 福音館書店
  
 * 読んであげるなら4歳くらいから



廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
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平穏に暮らすことの尊さを考える

■日付

2005年1月17日(月)


■タイトル

魂に効く絵本 --平穏に暮らすことの尊さを考える --


■本文

メルマガ、”魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜”
記念すべき第二号のテーマは、時節柄、
「平穏に暮らすことの尊さを考える 〜一瞬一瞬を大切に〜」
にしたいと思います。


なぜ時節柄かというと、

1月17日はあの阪神淡路大震災から10年目の記念日だから。


そしてもちろん、スマトラ沖地震の記憶もまだ生々しいから。



取り上げようと思っている絵本は、

『せかいいち うつくしい ぼくの村』

 ☆もし読み聞かせに使うならば組み合わせたい本
『わたしのせいじゃない --せきにんについて-- 』

ご紹介いたします。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

● 『せかいいち うつくしい ぼくの村』

 小林 豊、ポプラ社

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

     〜〜あらすじ〜〜


 アフガニスタンの小さな村、パグマン村は、
 おいしいくだものがなる自然豊かな美しい村です。

 パグマン村に住む小さい男の子、ヤモは
 生まれて初めて、
 まちの市でさくらんぼを売ることになりました。

 戦争に行っているお兄さんの代わりに、
 お父さんのお手伝いをするのです。

 不安でしょうがないヤモですが、
 なんとかさくらんぼもスモモも全部売れました。

 お父さんは「この子のおかげ」と言ってくれました。

 帰り、お父さんはそのお金を全部使って、
 真っ白い子羊を一匹買い求めました。


 ヤモはその子羊が嬉しく誇らしくてなりません。



 村の人がみんな羊を見ているよ! 

 早く兄さんにもこの羊を見せたいな!


   この としの ふゆ、

   村は せんそうで はかいされ、

   いまは もう ありません。(p39より)



 作者が実際に訪れたアフガニスタンの村をモデルにしたお話。


  その村で、わたしは、ヤモのような小さい子どもたち、
  おとうさんのような誠実なひとたちと知り合い、
  友だちになりました。

  けれども村は、
  そののち、パグマン村とおなじように爆撃をうけ、
  破壊されました。

  なつかしいひとびとが、いまどこにるのかはわかりません。

                (作者によるあとがきより)



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



全39ページ中、38ページまでが、
ヤモの目から見た、穏やかで美しいある初夏の日が描かれる。

生まれて初めての町の市で、
おとうさんとは二手に分かれ、
ロバのポンパーだけを相棒に
ひとりでさくらんぼを売るという小さな試練。

そしてそれを無事乗越え、
お父さんからも認められ、
その売り上げで
家族にとって初めての羊も手に入れることができた。


小さな男の子が、

両親に温かく見守られながら小さな試練に挑み、

少し成長する、ささやかな日常の一ページ。



アフガニスタン版「はじめてのおつかい」だ。



38ページめ、無事家に帰り着いたヤモは、
子羊に、”春”という意味の「バハール」という名前をつける。

兄さんも春には戦争から帰ってくることになっている。

まさに春は未来への希望の象徴なのだ。




  そして最後のページ。




  不吉な黄土色一色に塗りつぶされたページに、


   ただ



   この としの ふゆ、

   村は せんそうで はかいされ、

   いまは もう ありません。



 この文字がならぶ。




      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




 コ・ピーピーの何もかもが気に入って、私達は何日もそこに滞在した。
 毎日が幸せで、楽しくて、癒された。
 リゾートってこういう事を言うんだと思った。
 天国みたいな場所って、こんな場所の事を言うんだなと思った。
 私はそれまで、知らなかった。
 これを知れて本当に良かったと思った。
 日本でいる友達にも、こんなリゾートを味合わせてあげたいと思った。
 必ずもう一度来ようと思った。


 で、それらはいったいどうなっちゃったんだろう。
 あの大きな津波は、あれを全部どうしちゃったんだろう。
 ピーピー島は二つのホテル以外は全て壊滅したとニュースで聞いた。


   じゃあ、あのバンガローは?

   その下でいた鶏達は?

   鶏と遊んでいた子供たちは?

   美味しい米を炊くオーナーは?

   気のいい息子は、どうなったんだろう。

   あの流木にもたれかかって海を見ていた女の人は?

   あの手の中にいた赤ちゃんは?



   楽天日記
『ひーよん@脱出中の日記』2005年01月10日

                       より引用 

      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



 “赤ん坊を抱いて、ぬくぬくと布団にくるまって眠っていると、
  まるでそれが当たり前のことのように思えます。
  この幸せが、永遠に続くかのように思えます。
  でも、それはある日突然に覆されるものなのかもしれない。

  だからこそ一瞬は美しいし、尊い。
  だからこそ一日一日を大切にしなければならないんだって。”


 あの日、亡くなったたくさんの人に代わって、
 ほんの神様の気まぐれで運良く残された私たちが、精一杯生きること。


 それが先立った方々に対して、私たちができる唯一のこと。


 大自然の災害を前に、人間には何も為す術がありません。


 でもそこに何かのメッセージを感じ、
 気づきを得ることができれば、

 悲劇にもまた大きな意味が生まれるのではないでしょうか。


   だから私は、ずっと震災を忘れないでいたい。

   だから私は、いまの幸せに感謝しつづけたい。

   だから私は、いつも子どもたちを愛していたい。

   だから私は、一瞬を無駄にしないようにしたい。

   それをこれからの人生の、大きな宿題にしたいと思います。


 メルマガ『ママがハッピ〜なら、子どももハッピ〜
タオとアービーの実録!子育てコーチング』
   2005年01月09日
   -- タオ@神戸が、震災から10年経って思うこと。--
                       より抜粋

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      .:・:*:' ☆ ':*:・:.



本田健さんの小冊子、「きっと、よくなる!」に
死ぬときに一番後悔するのは、愛を引っ込めたことだ、
という言葉があった。


「愛を示せたのに、

 気恥ずかしさとか面倒くささで、

 愛を引っ込めたこと、

 それを私は一番悔やむでしょう」


本田健さん公式ホームページ参照 )


 一寸先が闇ならば、

   今この瞬間の光を大切に味わうしかない。


心を込めて 一瞬一瞬を 歩み続けること。

一歩ごとに味わい、感謝すること。



目の前の人を愛し、つながろうとすること。

受け入れようとすること。



それはきっと 世界平和へとつながっていくと 私は信じる。


天災は避けようがない。

でもその後、助け合えますように。


戦争は避けられるはず。

みんなが 愛を体現して 生きられますように。



「平穏な日常」に感謝すること。

生かされて、今日あることに感謝すること。

目の前に愛する人が居てくれることに感謝すること。

それは決して当然のことではないのだ。

奇跡として喜んで受け取るに値することのなのだ。



そして今、この地球上に、苦しんでいる人たちがいること。

そのことを、我がことのように思いやる 想像力。



  『せかいいち うつくしい ぼくの村』
   小林 豊、ポプラ社
   * 対象年齢:8歳くらいから



 ☆もし読み聞かせに使うならば組み合わせたい本

  『わたしのせいじゃない --せきにんについて-- 』
   レイフ・クリスチャンセン (文)、 岩崎書店
   * 対象年齢:8歳くらいから


 私のせいじゃない、私は見ていただけ、

 怖くて止められなかったけど、私のせいじゃない、

 私のせいじゃない、他の子が先に叩いた、

 私のせいじゃない、私だけじゃなくみんなも一緒に叩いた、
 
 私のせいじゃない、その子に原因やきっかけがあるんだ

                     ・・・etc



    「わたしのせいじゃない?」



 黒地に その言葉だけが印刷されたページのあと、もう言葉はありません。


 ただ、白黒の写真が続きます。


   トラックに轢かれてひしゃげた三輪車、

   目隠しされ銃を向けられる少年兵、

   核爆発のきのこ雲、

   骨と皮ばかりに痩せて泣き叫ぶ幼児・・・


 本当に私のせいではないんだろうか。



 何か 責任の一端は ないだろうか。

 何か 果たすべき義務が あるんじゃないだろうか。



 こんな私にも、

 悲しみや理不尽な苦しみを世界から減らすために

 何か できることはあるんじゃないだろうか。



 重い問いを投げかけて、答えは一切提示しない、そんな絵本。




廃刊にしたメルマガ、「魂に響く絵本・児童文学」より収録
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私にとってのクリスマス絵本、『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』。

■日付

2004年12月17日(金)


■タイトル

私にとってのクリスマス絵本、『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』。


■本文

新メルマガ、”魂に効く絵本 〜絵本は恋に似ている〜”の創刊号をとうとう発行した。

遅筆のため、毎月15日発行の予定だったのに、16日朝4:30発行(苦笑)。
もちろん、早起きして4:30なわけではありません。
15日中に発行することができず、苦吟して苦吟して、空が白みかける頃、やっと発行できた、ということです・・・

しんどかった〜

記念すべき創刊号は、時節柄、「クリスマス特集」。

--------以下、新メルマガ創刊号を一部改変、加筆訂正したものです------------


取り上げたいと思っている絵本は、


『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』。


え?どうして?ツリーもサンタも出てこないよ? と不思議に思われたあなた。

”クリスマス”って、いったい何の日でしょう?

子どもがプレゼントをもらえる日でしょうか。
若い男女がデートをする日でしょうか。

私は、そうじゃなくて”分かち合う日”だと思っているのです。



本来、クリスマスはイエス・キリストの誕生日、
キリスト教の信者の皆さんが、主イエス・キリストの誕生日を祝うお祭りです。


しかしもっとそれはキリスト教が普及してから結び付けられたことであって、
さかのぼればもともとは冬至のお祭りだったようです。

クリスマス・ラブ
「イエス・キリストって本当に12月25日に生まれたのですか?」
 を参照ください)


クリスマス・ツリーの起源は、
雪に閉ざされ飢えに苦しむ鳥たちへの プレゼントとして
冬が極まる日である冬至に
麦の穂などを庭先の木にくくりつけたことだ
と聞いたことがあります。


夜が一番長くなり、寒さが究極を迎える冬至。


文明の発達した現代と違い
寒さや雪が 飢えや死と直結していた時代に、
「今が一番つらい時期だけど、ここさえ乗越えれば春が来るから」
と隣人同士お互いに励ましあい、
乏しいたくわえを分かち合う日だったのではないでしょうか。

それがパーティの開催やお互いのプレゼント交換など、
現代の風習につながっているのではないかと
私は解釈しているのです。

そして、体が小さく弱い存在である鳥たちへの施しに象徴されるように、
老人や病人、子沢山の家庭など、社会的に弱い立場の方々へ
特に手を差し伸べる日だったのではないでしょうか。

実際、西欧キリスト教社会では、クリスマスは施しや慈善活動など、
弱者へ手を差し伸べる日ですもんね。

なんせ、神が人を愛するあまり、ひとり子を遣わされた日ですから(^^)

ツリーもサンタも、クリスマスという単語すら出てこないけれど、
”分かち合い”がテーマと言う意味では
クリスマス精神を強く伝える二冊の絵本
『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』。


ご紹介いたします。



『すてきな三にんぐみ』
 トミー=アンゲラー、偕成社

     〜〜あらすじ〜〜

 黒マントに黒ぼうしの三にんぐみのどろぼうは、
 通行人を襲っては宝ものを奪っていました。

 ところが、ある日襲った馬車には、
 みなしごのティファニーちゃんが一人乗っているだけでした・・・


  「えものは なんにもなかったので、
   かわりに ティファニーちゃんを だいじにかかえ、
   かくれがへ・・・。」


 そしてその日を境に 三にんぐみの毎日は、
 奪う日々から、
 与える日々へと変わっていったのです。



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'



与えることの豊かさ。

喜ばれることの豊かさ。

奪うことではなく、

与えることによって初めて人は心が満たされる。


要求して、奪いつづけた 三人組み。
いつまでそれを続けても 満たされることはなかった。
でもある日、彼らの存在を必要としてくれる幼い少女に出会った。


与え、喜ばれて、初めて心が満たされる感覚を知った。


相手が幼く無邪気で、素直に喜んでくれたこと。
ここがポイントなんじゃないかなと思う。


相手が大人で、恐縮したり申しわけながったり、
『このご恩は必ず』と何度もくどく言い募ったりしたら、
そこまで満足できただろうか。


無防備に心を開いてくれる幼い存在の前に、

彼らも心が開くことができたのでは。


真実は真実を呼び、率直さは率直さを呼ぶ。

まっすぐに必要としてくれて、まっすぐに喜びで応えてくれる。


そのまっすぐさに、彼らも自分の心の殻を脱ぎ、
必要とされる悦び、人を喜ばせることのできる喜びが
自分の中に確かにあることを認めざるを得なくなった。



      .:・:*:' ☆ ':*:・:.



  クリスマスに、幼い子どもたちにプレゼントを贈り、
  飛び跳ねて喜ぶさまを見るとき、
  より多くのものを得ているのは、与えた側かもしれない。

作者アンゲラー(ウンゲラーとも表記するようです)はこの絵本を
娘のフィービーちゃんに捧げています。

このことから、私はこの絵本はアンゲラーの精神的自叙伝なのではないかと
勘ぐってます(^^;

若い頃は、大人社会に反抗して、強引な要求を繰り返していたのではないでしょうか。
普通の若者らしく。

そんな怒れる若者アンゲラーのもとへ、ある日、
自分が守らなければ路頭に迷ってしまう小さな天使が舞い降りるわけです。

娘の誕生です。

  「えものは なんにもなかったので、
   かわりに ティファニーちゃんを だいじにかかえ、
   かくれがへ・・・。」
このページの、ティファニーちゃんを大事に大事に抱きしめる泥棒の顔・・・
はじめて授かった我が子を愛しむ顔にしか見えなくなってくるから不思議です。

そして、社会や周囲に要求ばかり突きつけていた怒れる若者も、
娘を愛し育てる過程で、与え育み愛する悦びに目覚めていく・・・

そんな自身の心境の変化をつづった絵本なのではないでしょうか。




『モチモチの木 』
斎藤 隆介 (著), 滝平 二郎(絵)、 岩崎書店

   〜〜あらすじ〜〜

 峠の猟師小屋で、ジサマと二人っきりで暮らしている豆太。
 人一倍臆病で、夜に一人で外へ出ることができない豆太だが、
 ある初雪の舞う夜ふけ、
 急病に倒れたジサマのために 
 助けを求めて 夜の峠道を一人走り出す。

 寝巻きのまんま。

 はだしで。

 はんみちもあるふもとの村まで。


 そしてその夜、豆太は不思議なものを見た・・・


 大好きなジサマのためなら 強くなれる。
 幼い男の子が 冬の夜に遭遇した奇跡を
 情感あふれる切り絵で描く名作。


  「じぶんでじぶんを よわむしだなんて おもうな。
  にんげん、やさしささえあれば、
  やらなきゃならねえことは きっとやるもんだ。」
                   p30より



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'
  



どんなに幼く、

どんなに無力な存在でも、

愛する人を守るためならば行動できてしまう、

人とはそんな生き物なのだ。


大切な人のためなら強くなれる。


『もちもちの木』の表紙では、しわくちゃのジサマが、
愛しくてならないという風情で豆太を抱きしめている。

豆太がジサマのために夜道を走り出したように、
ジサマは 豆太のために 毎日を 生き抜き、
無事猟師小屋に帰って来ていたのだろう。

  豆太を独りおいて死ねるわけがない。


この年で、まだ青ジシを追っかけて
肝を冷やすような岩から岩への飛び移りを
やってのけることができるのも、
豆太がいるからだろう。

  お腹をすかして待っている豆太のもとへ、

  手ぶらでは帰れない。



人は、大切な人が居て、始めて強くなれる。
必要とされなくて、どうして強くなんてなれるだろう?

信じて待っていてくれる人がいなくて、
どうしてがんばれるだろう?

愛する、ということは惜しみなく与えることなのだと、改めてそう思う。


   君には 
   大切な人がいますか?

   人は・・・
   大切な何かを
   守りたいと思ったときに、本当に強くなれるものなんです
               (TVアニメ ナルトより)



      .:・:*:' ☆ ':*:・:.




 ---質問:クリスマスには、どうしてプレゼントをするのですか?---

  クリスマスはイエスの誕生日です。
  それでは、イエスにバースデー・プレゼントをあげてはどうでしょうか。
  「でも、どうやって?」 
   イエスは、次のように言いました。
  「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、
  すなわち、わたしにしたのである。」(マタイによる福音書 25章40節)

  つまり、困っている人を助けたり、
  誰かに優しくすることは、イエスに対してしていることとなり、
  こうしてあなたもイエスにバースデー・プレゼントを贈れるのです。
   「クリスマス・ラブ」クリスマスには、どうしてプレゼントをするのですか?  
   より抜粋



      ':・:*:. ☆ .:*:・:'




『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』が、
本来のクリスマス精神を強く伝える絵本だということは
納得いただけたでしょうか。

クリスマスを、ただのお祭り騒ぎの日、イベントの日、とするのは
もったいない。


大好きな人 身近な人の幸せを願う日、
お互いに喜びを分かち合う日、
自分にできる精一杯の行為で誰かを支える日 だと、
子どもたちにも伝えることができたら、素敵ですよね。






『すてきな三にんぐみ』 トミー=アンゲラー、偕成社
 * 読んであげるなら4歳くらいから


『モチモチの木 』斎藤 隆介 (著), 滝平 二郎(絵)、 岩崎書店
 * 読んであげるなら4歳くらいから


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2006年07月12日

私の中に飼っている竜

(2005年5月21日(土)からしばらく続いた
「溜め込んだ怒りと憎悪」というタイトルの連載を
まとめたものです。)


もう一週間まえになりますが、Rosemaryさんにブリージングセラピーを受けました。

見ていきたいテーマは「魔女狩りの記憶について」。

しかし、よっぽど封印が強いのか、

なかなか何も感じられず、なにも見えないのです。

ただ、お腹がひどく痛くなっていきました。

痛むので両手をお腹に乗せていたのですが、

まるでエイリアンでも入っているかのように、

グリングリンと激しく腸が動くのです。

痛みもその激しい動きに応じて、背中、胃の辺り、下腹、と動きます。


「その痛みに焦点を当ててみてください。

どんなエネルギーなんでしょうか。」


浮かんできたのは、“藍色の竜”。


「その竜は、何を訴えているのでしょうね。」


怒り。

激しい怒りのエネルギー。

目をギラギラと血走らせ、歯をがちがちと鳴らし、

よだれをたらしながら、激しい怒りと憎悪に悶絶している。


渾身の力で壁に体当たりし、落ち、また体当たりし、落ち、

それを繰り返している。

絶望的なまでの怒りと憎しみに、理性は完全に失っている。


呪い。

「俺はクズだ。でもお前らはもっとクズだ!!」

「全員皆殺しにして、それから俺も死ぬ!!!」

「殺す!殺す!殺す」

「許さない!呪う!呪い殺してやる!」


そんな言葉が聞こえてくる。

そんな呪詛と憎悪のどす黒いガスを吐き散らしながら、

周囲の壁に体当たりを続けている・・・


ああ、だからこんなにお腹が痛いんだ。


お腹の中で暴れているのは、その竜でした・・・




私の中で、ものすごい怒りと憎悪に悶絶しながら暴れている竜。

最初、そんな存在が私の中にいたことがすごく意外で、

そして徐々にとても納得できました。

先日、ここでも書いたように、

私は魔女狩りに遭った過去生があるんじゃないかと思っているんですね。



生まれつき、根強い自己嫌悪と自己否定と対人恐怖があった。

それは、怒りと憎しみの裏返しだったんだ・・・。



「よくも仲間と私を迫害してくれたな!許さない、絶対に!」

という・・・。


「よくもあんな目に遭わせてくれたな!! よくも、よくも!」

という・・・。




ブリージングセラピーで、お腹の痛みにフォーカスし、

そこに竜の存在を感じるまで、全く気づきませんでした。


一方的に被害者だと思ってました。



ひどい目に遭い続けて、自己否定と対人恐怖に苦しみ続け、

それでも人を信じ社会に貢献して生きようと努力している健気な私。




そんな自己イメージでした。

こんなに恨みと憎しみと怒りの

どす黒いエネルギーを撒き散らしていたなんて・・・



自己否定も、対人恐怖も、そう思ってみれば、消極的な復讐でした。

対人恐怖は

「お前らなんかに誰が心を開くもんか!」

「誰がお前らなんかを信用するか!」

そういう不信感と拒否の表現でした。



自己否定は

“こんな世の中、こんな人間たちへの徹底的な拒否、否認”

でした。



「もう誰も愛さない」(昔こんなタイトルのドラマがありましたよね)

「自分自身も含めて、もう誰も愛さないし信用しない」

こんな痛々しい、すべてに対するNOでした。



私は、対人恐怖と自己否定の塊となって、

殻に閉じこもって生きてきました。

それは消極的とはいえ、あきらかに攻撃であり、復讐でした。

世の中に対する、人間に対する。




そこでまたアニメ「ナルト」の話になるのですが(^^;

私が最初にナルトにはまるきっかけは、我愛羅という敵役の存在でした。

夕食時、居間でくつろぎながら、

息子が見ているTVが何気なく視野に入ってきて。



我愛羅とナルトの対決の回の放映でした。

その内容があまりに私の魂の傷に触れ、すごい勢いで引き込まれ、

最後は息子を押しのけてティッシュ片手に号泣している私がいました。



ごくごく簡単にかいつまんで説明しますね。

我愛羅という少年は、体内に怪物を封じ込まれて生まれた。

そのあまりに強大な力のため、

村人から「化け物」と疎まれ恐れられ、ずっと一人ぼっちで育つ。

幼い我愛羅が他の子たちと遊びたくて近寄っていっても、

「化け物がきた!」と、禍々しいものを見る目で

クモの子を散らすように逃げていく・・・。


唯一、我愛羅に優しくしてくれたのが、死んだ母の弟である養育係。


だが、ある日、その彼までが我愛羅を襲った。

我愛羅の力を恐れた実の父の差し金だった。

我愛羅の内なる怪物に返り討ちにされた養育係は、

「嘘だ!」と泣きながらすがりつく我愛羅に、

彼を襲ったのは父の命令であること、そして

「姉もあなたなんか愛していなかった。

姉はあなたを生んだせいで死んだのだ。」

と告げる。

「私もあなたなんか愛していなかった。ずっと憎んでいた。」と・・・。

「あなたは愛されてなどいなかった!」と。


そのとき、我愛羅の中で何かが壊れる。

「ようやくわかった。ボクはひとりだ。

もう誰も信じない・・・ 愛さない・・・ ボクはたった一人だ・・・」



で、主人公であるナルトも、そっくりな生い立ちなんです。

孤児であること。

体内に化け物を封印されていること。

それゆえ村人から憎まれ、孤立し、一人ぼっちで大きくなったこと。


でも、その後が違う。

ナルトは淋しい生い立ちゆえに、

自分を認めてくれた人とのつながりを大切にする。


友情に篤く、こんな自分に親切にしてくれた師を慕い、

他の村人からも認められたいからと努力を惜しまない。


明るく、オープンハートで、まっすぐで率直。



我愛羅は、誰も信じない。

誰も愛さない。怒り狂い、世界を呪っている。

心を固く閉ざし、決して心を許さず、

「もう誰も信じない」「誰も愛さない」

「自分以外の人間を殺すために戦う」。



そんな二人が、TVの中で戦っていました。


まさに、私の内面のせめぎ合いを見せられた・・・。



孤独を知り、寂しさを知っているからこそ、

人を信じ人とつながって人のために生きていくのを選びたい私と。


迫害し、拒否し、傷つけた世界を決して許さない私と。

もう誰も信じない、自分を含めだれも愛さない、

もうこれ以上傷つきたくない私。

そんな恨みと憎悪と怒りに満ちた私と。




それでもなお、光を信じ、光を追い求めて生きたい私と。

だからもう、心を閉ざして闇の世界に引きこもっていたい私と。




「仲間だと?! ふざけるな! 自分のためだけに闘え!それが強さだ!」

と我愛羅は叫んでました。


「守りたい人がいて、それではじめて人は強くなれるんだ!

 俺は仲間のために闘う!」とナルトは叫んでいました。




まさに、私の内面のせめぎ合いを見せられたと思いました。

「ロードオブザリング」の中でも、

スメアゴルとゴラムが似たような言い争いをしていましたよね。

ひとつの人格の中の、明暗の部分の押し問答・・・。



確か去年の夏ごろの放映だったと思います。

それ以来、ずっと

「私の中にはナルトと我愛羅の二つの人格がいて、いつもせめぎあう」

と感じて暮らして来ました。


人前に出るのが怖い私は「我愛羅」

(というより、不信感ゆえのビクビクさ・オドオドさかげんはむしろゴラム?

 我愛羅ならば強いからね〜)


怖いのを押して、それでも子育てコーチングセミナーを開いたり、

人とかかわりお役に立って行こうとする私が「ナルト」

(こちらもむしろスメアゴルかも)



子育てコーチングセミナーの前にお腹が痛くなる私は「我愛羅」

(というよりむしろゴラム)


痛むお腹をさすりながら、新聞社にチラシをファックスしたり、

たくさんの人に知ってもらおうと心を砕く私が「ナルト」。



「ナルト(スメアゴル)」が偉いと、

私の中のその部分こそが正しい、と、そちらばかりを応援し、

「我愛羅(ゴラム)」の存在を否定し、

押さえつけ、閉じ込めてしまっていた・・・。




それが、ブリージングセラピーの時にやっと気がついた、

私の体内で怒りと憎悪にもがき苦しむ藍色の竜の正体でした。



    .。.・:*: ☆ .:*:・:'



「一日は夜があってはじめて完全な一日となる。

人格だってそう。

影の部分があってはじめて完全な一人の人間となる。」


有名な『ゲド戦記』の名前を出すまでもなく、

こんなことはどこででも言われていて、周知の事実ですよね。



心理学好きな私は、

中学生の時に『ゲド戦記』、『夢判断』(フロイトですね^^)

読んだときからそんな概念は良く知ってました。



でも、自分のお腹の痛みの原因が、怒り狂った藍色の竜だ、と

ブリージングセラピーで気がつくまで、

自分が自分の影の人格を打ち負かし、抑圧し、無視しているなんて、

一切気がつけずにいました。




狭いところに閉じ込められ、

怒り狂って壁に体を打ち付けて暴れている竜の存在に気がつき、

注意を向けたら、それだけで、竜の怒りは静まって行きました。



そして、さめざめと泣き始めました。


ひどく傷ついていること、

その傷がまだ全然癒えておらず、

まだ血が流れていること、

その耐えがたい苦痛ゆえ再び傷つくのをひどく警戒していること、

だからこそ怒りと憎しみの臨戦態勢で防御していること、

などがよく伝わってきます。



多分、過去生から持ち越してきた傷、怒り、憎しみなんでしょうね。



今まで、人格を乗っ取られて圧倒され振り回されるか、

でなければ打ち負かして抑圧して押し込めるか、

そんな極端な対応しか、してこなかった・・・


こんなふうに、存在に気づき、寄り添うなんて、したことがなかった。

そんなことに気づきます。


その怒り狂った竜に気がついてから今日で二週間ちょっと。

その間、注意を向け続け、その怒りや苦痛を共有しつづけました。

どんどん怒りは静まり、穏やかに、ただ哀しげなだけになっていきました。



無視して蓋をして押し込めても、いなくはならない。

人格を乗っ取られ、振り回されても、満足してくれたりしない。

蓋を開けて、その存在に気づき、正視したら、穏やかになり、

コントロールできるようになる。


でも、蓋を開けるのが難しい。

蓋の存在に気づくのがまず難しい。

なにかを閉じ込めているのかもしれない、

ということに気づくのがまず難しい。



そのために、ヒプノセラピー、ブリージングセラピー、前世療法、

などのセラピーが生み出されたんでしょうね。

そのために、セラピストがいるんですよね。


楽天仲間にもたくさんのすぐれたセラピストさんがいらっしゃいます。

ぜひ、頼ってみてくださいね。

Rosemaryさん(今回は私はRosemaryさんにお世話になりました^^)

りり&ririさん

さゆりん




ラベル:過去生の記憶
posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去生の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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