こちらではこんなコラムが読めます。

●私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など

●インナーチャイルドの癒しの旅
●自分史:夫との出会い
●魂に響く絵本・児童文学第一号〜順次掲載しつづけます
●自分史:占い師への道
●過去生の記憶(魔女狩りの記憶 他)
●私は声が出なかった(場面緘黙症だった記憶)

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2009年07月02日

もう誰も、一人ぼっちでは泣かせない。

2009年6月4日(木)


■タイトル

もう誰も、一人ぼっちでは泣かせない。


■本文


  ああ、私の「夢」ってなんだろう。

  私が一生を賭けたい「夢」ってなんだろう。


  私が持てる愛のすべてと

  生きている間のすべての日々を注ぎ込みたい「夢」って

  いったいなんだろう。

  私は確かにそれを見つけているはずなんだけど。


と。

それが、わかりました。


私の夢が。

私が既にまっすぐに追い求め始めている「夢」。


持てる愛のすべてと、

生きている間のすべての日々を注ぎ込みつつある「夢」。



それは、「私自身を救い出すこと」でした。

自己否定と他者不信の暗闇の中でひとりぼっちで泣いていた私を、全力で救い出すこと。

そしてかつての私のような人たちを、全力で救い出すこと。



もう誰も、一人ぼっちでは泣かせない。




そのために、私はコーチングをやり、タロット占いをし、

心理の勉強を、セラピーの勉強を続ける。



そのために、私はセラサポをやる。

私は愛と桃舎さんを招いて個人セッションをやってもらう。

「内なるセラピストを育てる」EFTセミナーをやってもらう。




私自身を自己否定と他者不信の闇から救い出すために。


ひとりぼっちで泣いているすべての人が、誰かの手をつかめるように。



         □ ☆ □



私は私を全力で救い出す。

私は私を全力で許す。

私は私を、全力で支える。

私は私を、全力で輝かせる。



私は私に、「あなたのままでいい」と言う。

私は私に、「好きなことを好きと言っていい」と言う。

「欲しいものを欲しいと言っていい」と言う。

「疲れたら休んでいい」と言う。

「やりたくないことをやりたくないと言っていい」と言う。

「あなたがピンと来たものに邁進していい」と言う。



「気が変わった」って言っていい、と言う。

「むかついた」って言っていい、と言う。

「やめた」って言っていい、と言う。

ゆっくりでいい、と言う。

のんびりでいい、と言う。

あなたの速度でいい、と言う。

すべて必要で重要なプロセスだから、と言う。



私は私を全肯定する。

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 02:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子どもの頃から、家族のために、いっぱい我慢してきた

2009年5月15日(金)


■タイトル

子どもの頃から、家族のために、いっぱい我慢してきた。周囲に迷惑をかけないために、いっぱいがんばってきた(;;)


■本文

昨日の暗い日記に、温かい反響をたくさんありがとうございました!

ああやって自分の中のモヤモヤや悲しみを表現してみたおかげで、

また色々気づきが進みました・・・



子どもの頃から、不仲な両親の間を取りなすために、

そして不幸な結婚生活で眉間にしわを寄せてはため息ばかりついている母親のために、

そして半分ノイローゼ気味の母のヒステリーから妹たちを守るために、

私はたくさん我慢して、そしてたくさんがんばってきた。



子どもの頃から、周囲に気を遣い、迷惑を掛けないように、自分を押し殺して来た。



そんな人生ならもうイヤだ。

そんな生き方は、もううんざりなんだ。



そういうことなんだと思います。




今回、「自分はもしかしたら病気を持ってるのかも」と思ったとき、

自動的に

「ではもっとがんばらなくては。

私が元気でいないと家族や周囲に迷惑をかけちゃうから。」


と思いました。


そしたら・・・。


内側から

「もうこれ以上がんばりたくない!

今まで十分がんばってきたし自分を押し殺してきたし我慢してきた。

これがもうこれ以上続くだけなら、別に生きていなくてもいい!

誰かのためにがんばったり我慢したりするのは、もうたくさんだ!」


という猛反発が帰ってきた、ということなんだなあ、と・・・。



もう「余命宣告」を受けたつもりで、好き放題やって生きたいな。

だって、限りある命だもの。

実際、今日死ぬか明日死ぬか、誰しもわからないんだもの。


そんなことを考えさせられました・・・




今日はりんご園やサクランボ園の間をドライブ。

空は抜けるように青く、リンゴやサクランボの木々は花ざかり。

まるで桃源郷のように美しい光景でした。。。



世界は美しい。

我慢やがんばりで心を閉じて生きて行くにはもったいない。

しみじみとそう感じました・・・



迷惑を掛けてもいいし素っ頓狂でも非常識でもいいじゃないか。

私らしく生きたい。

木々がただ内側の発露として花を咲かせているように。

誰の評価も気にせず咲き誇っているように。


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 02:43| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

積極的に「生きたい」とはまだ思えていない

2009年5月14日(木)


■タイトル

積極的に「生きたい」とはまだ思えていない自分と出会って凹んでます・・・


■本文

一昨日、「これって病気の兆候なんじゃ?」というカラダの不具合に気づきました・・・

(あ、慢性系の病気かも、って感じのことで、痛かったり苦しかったりはまったくしないですので安心してくださいね。

まずは病院行ってきまーす。

全然杞憂かもしれないんで。)


それでわかったこと。

「私はまだ、積極的に生きたいと思えていない」



自分が病気を持ってるかもしれないことよりも、その事実がショック・・・

健康とか長生きとか、なんだか全然ピンと来ない私がいて・・・

治療とかもあまり興味ない。(あ、もし病気だったら、ね。)

そして、そんな自分にすごい罪悪感を感じる。

「生まれてきた以上、しっかりと生きなきゃだめなんだ!」

「子どもだってまだ小さいのに!」

「生きたくても生きられない人たちがたくさんいるんだぞ!」

自分を責める声が大合唱。



今、かなり凹んでます・・・

病気の兆候のことよりもなによりも(たいした病気でもないしね)、

「生きたいと思えてない自分」に気づいたこと、

そしてその自分を責める声が自分の中で大合唱していることに、

かなり凹んでます・・・


今週末の「ネイティブアメリカン自然との共生の智恵」合宿に期待。

スピリチュアルカウンセラーの華代さんも心理セラピストのふたこさんも参加してくれるんだから、

ちょっと相談してみようかな。

あ、お医者さまのうみやみさんにも相談できるね。


まずは、自分を許し受け入れようっと。



 私は無理に生きたいとねがわなくてもいい。

 私は生きたいと思わなきゃだめだ、って自分を責めるのをやめてもいい。

 私はがんばって生き続けようとしなくてもいい。



 私は「家族のため」と、本当には望んでいないことを望まなきゃと自分を責めなくてもいい。

 誰かのために自分を抑えてがんばらなくてもいい。

 もうこれ以上我慢したりがんばったりしたくない。

 
 私はがんばることを放棄してもいい。

 私はもう二度とがんばりたくない。

 私はもう我慢したくない。

 私はやりたくないことはやりたくない。

 望んでないことは望んでない。

 ありのままの自分を肯定してもいい。


 私は心底生きたいと思えるようになりたい。

 私は生きたいと願いたい。

 本当の自分として、生きたいと願いたい。

 
 私は本当の自分として生きてもいいはず。

 私は本当の自分として生きてもいいはず。

 私は生きてもいいはず。
 


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | インナーチャイルドの癒やし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キノコにもなりたいけど、ナウシカも捨てがたいw


2009年2月13日(金)


■タイトル

キノコにもなりたいけど、ナウシカも捨てがたいw


■本文

私自身も「地球のセラピスト」、キノコでいたいと願っているのですが(前回の日記参照ください[m:206])、

それ以上に、キノコ的存在を守り育てる人でいたいし、キノコの果たす重要な役割を啓蒙してまわる人でもありたいです。

やっぱ、私はナウシカになりたいのかも[m:66]

菌類の森「腐海」が大地の浄化をしているんだ、と気づき、その大切さを訴える人、ナウシカに。




もう役割を終えたものを引き受け、浄化し、再生して新たな生命エネルギーに転換していく存在に対する深いリスペクトが私の中にあります。

ネガティブだと思われやすいもの

取るに足りないと思われやすいもの

目を背けられがちなもの

忌み嫌われやすいもの

すべて不必要なものなんてないんだ、良い悪いなんてないんだ、と

それらすべてを等しく抱きしめて受け止めてくれる、

そして浄化と再生へと誘ってくれる。

母なる大地の女神ガイアの使いですよね、キノコや菌類など、分解者って。



多分、ネガティブなものもポジティブなものも、良い悪いなんて無いんだ、どちらかが価値が低いなんてことはないんだ、っていうのを伝えたいんだと思います、私。

光と影と、両方大事なんだ、って。



多分、存在しているのにもかかわらず、なかったものとして扱われるとか、取るに足りないものとして黙殺されるとか、そういうのがとっても嫌いなんです、私。


「死」とか「老い」とか「病」とか「嘆く」とか「悲しむ」とか「憎む」とか「怒り」とか、

そういうものが一段低いものとして扱われている、という違和感があるんです。

必要だから存在しているもののはずなのに。

自然界に存在するものにムダなもの、不要なものなんてないはずなのに。


そこで、キノコ。

「キノコ」を代表とした分解者をキーワードにすると、それらの存在の大切さが見えやすくなった。

循環の重要ポイントなんだ、と。

それらの右肩下がりのエネルギーが滞りなく循環されることで、初めて生命エネルギーが円滑にイキイキと巡る。




とにかく、あるのに無いことにされてしまうのがイヤなのですが。

「望み」とか「希望」とか「志」とか「想い」とか「夢」とか「理想」とか、

そういう"明"や"光"、ポジティブな側面に属するはずのものでも、黙殺されることが多いと感じてます。


ココロの中に、小さな火だねを抱えつつも、

「私になんて何もできない」

と最初っからあきらめている人のなんと多いことか。



私は、火だねを抱いている人に、ふいごで新鮮な空気を吹き込む人でもいたい。

火だねを赤々と燃えあがらせることも手伝いたい。


「望まずにいられないことを、抑えつけないでください。

願わずにいられないのは、そこに何か使命やメッセージがあるから。

魂の青写真に沿っていることだから。」




生命エネルギーは、循環することでイキイキといのちを紡ぐ。

その「始まり」を止めてしまったら、巡るものも巡らない。

願ってください。

夢を描いてください。

理想を語ってください。

チャレンジしてください。

必ずや、叶いますから。

思い描いたとおりではないかもしれませんが、「なぜそれを願わずにいられなかったのか」が腑に落ちるような形で、

必ずや夢は叶いますから。
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キノコは地球のセラピストだと思うんです!!

2009年2月12日(木)


■タイトル

キノコは地球のセラピストだと思うんです!!だから私はキノコになりたいのです!!


■本文

さんざん引っ張りましたが、とうとう待望の(?)キノコ談をば。



えっとね、キノコって、地球のセラピストだと思うんですよ!! 

いえ、キノコと限定する必要はないんですが、菌類とかバクテリアとか微生物とか、とにかく「分解者」の役割を果たす存在って、地球のセラピストですよね。



生命活動のために必要だから生み出された存在が、いずれその役割を終える。

落ち葉、朽ち木、枯れ草、脱皮の際に脱ぎ捨てられた皮、成虫が飛び去ったあとのサナギ、繭、孵化したあとの卵の殻・・・etc.

そしてもちろん、死骸、糞。


それらを、分解して再び土に還し、新たな生命エネルギーとして再生し、循環させる存在。

それがキノコであり菌類であり微生物群ですよね。



それって、セラピストだと思いません?!


ボディセラピストはまさにそうですよね。

体内で役割を終えたもの(老廃物)の、分解、排出、循環をうながし、新鮮な生命エネルギーと置き換えていく。

「良く終わらせる」
「良く分解させる」
「良く排出させる」
「良く循環させる」

のを手伝う。

そんな、存在。



心理セラピストもそうですよね。

今までの自分にとって必要だった、感情、想念、信念体系、行動パターン。

それらが、その役割を終え、もう不要になったとき。

「良く手放す」
「良く終える」
「良く卒業する」

のを、手伝う。

そんな、存在。



すべての存在って、生まれて(芽生えて、発生して)、育って(さかえて、活躍して)、老いて(衰退して)、死んでいく(排出されていく、消滅していく)と思うのです。

生まれて育って活躍する、そういう右肩上がりのベクトルは喜ばしいものとして歓迎され、脚光を浴び、注目されやすい。

「獲得」のエネルギーですよね。



でも、同じくらい必要で大切で重要な、

老いるとか、衰退する、とか、死ぬとか、終えるとか手放すとか、そういう右肩下がりのベクトル(喪失のエネルギーですよね)は、忌み嫌われやすい。

無かったことにされやすい。

見て見ぬふりされやすい。



キノコなど自然界の分解者が、死骸や糞などを引き受け、腐敗させ分解することで、生命エネルギーを循環させ健全で豊かな森の維持を請け負うように

セラピストは、「良く終える」「良く手放す」「良く休む」「良く喪失する」「良く嘆く」などを手伝うことで、健全で豊かな人生の維持を請け負うのだと思うのです。


「良く終える」ことができた人は「良く始める」ことができ、

「良く手放す」ことに成功した人は「良く獲得する」ことに成功し、

「良く休む」ことができれば「良く活躍する」ことが容易になり

「良く喪失し、良く嘆く」ことさえ許されれば「良く出会い、良く愛する」ことに再度チャレンジしやすい。

それを手伝うのがセラピストだと思うのです。



これが、「キノコは地球のセラピスト」だと思うゆえんです

言い換えれば、「分解者は地球のセラピスト」。

役割を終えたものを新たな生命エネルギーへと再生させる存在。



そして、私はキノコのような存在になりたい。

忌み嫌われやすく、目を背けられやすく、無かったことにされやすい側面

しかし万全に存分に生きるためには丁寧に丁寧に寄り添い味わい抜くことが欠かせない側面

喪失と手放しの側面

そこにとどまり続け、サポートし続けたい。

浄化とデトックスと、新たな生命エネルギーへの再生に関わりたい。

キノコのように

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 02:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私はコーチングと共に、「感情の癒やしと解放」を進めていく人でいたい。

2009年1月2日(金)


■タイトル

心の闇のバケツリレー


■本文

このお正月、立て続けに二冊の本を読みました。


夢をかなえるゾウ


成功者の告白

両方面白かった!!

特に「成功者の告白」(あの有名な神田昌典さんの著書)。



「イケイケドンドン」の起業家社長の心の闇を、社員が背負わされる。

自分の闇(怒りやトラウマなど)を省みない社長の影で、家庭がおかしくなっていく。

「なるほど〜」って感じです。

「そういうことあるよなー」って。



やっぱり、ビジネスにおいても「感情」「癒やし」はキーワードですよね。

社長や社員の「感情」を癒したり開放したりしないことには、

関係者一同(社長・社員はもちろん、それぞれの家族)の間でぐるぐると
「心の闇」をバケツリレーをやりつづけることになる。

根本解決ができない。

そして、一番弱いところにそのツケが吹き出す。

社員の中の繊細な人がウツになったり病気になったり。

社長or社員の家族の幼い子どもが病気になったり事故にあったり。

確かに、良く聞く話ですよね・・・



めちゃくちゃ考えさせられました。

私はコーチングと共に、この「感情の癒やしと解放」を進めていく人でいたい。

そういう形で、社会の健全化に貢献したい。

改めて今後の目指すべき方法を確認しました。



良かったら皆様もこの二冊、読んでみてください。


ではでは、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!!


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゴスペルワークショップからの気づき

2009年1月1日(木)


■タイトル

年頭の所感に代えて、ゴスペルワークショップからの気づきを箇条書きにします!


■本文

明けましておめでとうございます!!

皆様全員にとって、2009年が愛と光の降り注ぐ年となりますように!!



         □ ☆ □



年頭の所感に代えて、年末三日間ゴスペルワークショップからの気づきを箇条書きにしますね。


◎リーダーは楽しそうにするべき!
そうすれば、人はついてくる。
だって、楽しそうなところに人は惹きつけられるから。


◎リーダーがカラダ全体で、心から、魂の底から楽しみと喜びを表現していれば、
そして掲げる理想が明確でぶれていなければ、
そしてその理想や志をメンバーで共有できていれば、
その組織は魅力的で結束の堅いものになるだろう。


◎人の申し出や提案や打診を断るときは、基本的に「抱きしめるように」断ろう。

(いやあできてるかなあ、ってすごい反省


◎神への愛と信頼と感謝を歌い上げること、敬虔な祈りを捧げることと、生きる喜びの表現は両立する!!

ストイックで利他的なだけが祈りじゃないし信仰じゃない。

ていうか、神はきっと、私たちがまず自分の命や自分の肉体を大切にして喜ばせることを望んでいらっしゃると思う。

本来の自由な自分自身をまず命がけで救いだすこと。
まずは自分自身の命を生き抜くこと。
まずは自分自身を全力で喜ばすこと。

その後で、あふれ出た愛と喜びを周囲にも分かち合うこと。

神(=サムシンググレイト)はそれを望んでいらっしゃるのではないだろうか。


◎「魂が喜ぶこと」「心から求めるもの」をすることは結局学びや成長に直結する。
つまり、自分自身に肥料をあげたり水をやったりして可愛がることが、周囲に貢献できる自分を育てあげることになる。
仕事への意欲ややりがいに、結局つながる。

だから、「仕事と直接関係ない楽しみに時間やお金を使うこと」をもう恐れなくてもいい。

これからはやりたいことをためらわずにやっていい!!


◎私がゴスペルに憧れていた理由がわかった。
・楽譜がない
・コール&レスポンス

つまり、すっごい自由で構成員が互いを尊重しあう世界なんです!!


指揮者、クワイア、バンド、それぞれがお互いの響きを聴きあい、エネルギーを感じ合い、呼応し合って、その度ごとに作り上げるもの。

耳を澄ませあい、お互いを感じとり合って、美しく力強いハーモニーを織りなし、感動をプロデュースするもの。


→つまり、「ワークショップ」すべてに通じる「真髄」を体現しているじゃないか!!

すべてのワークショップリーダー、すべてのファシリテーターに体験してほしい、「DO!Gospel 年末ゴスペルワークショップ in 北海道」。

(いや、すべてのゴスペルワークショップがここまで自由で尊重しあっている場を作ってるとは限らないので、限定させていただきました


私が追い求めてやまない、「理想のワークショップ」の姿をかいま見ました!!!


◎去年は「千秋真一」(「のだめカンタービレ」の)でしたが、今年は「大山小夜子」さん(「DO!Gospel年末ゴスペルワークショップ in 北海道」の統括リーダーを務めていらっしゃった方)です!!

新たな私のモデル、私のメンター。

見つけちゃった!!って気分です!!

あんな風に全身を愛と喜びで打ち震えさせながら。2009年は仕事をしていきます。



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | おすすめセラピー・ワークショップ・講座など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Do!Gospel2008 年末ゴスペルワークショップ in 北海道の感動体験!!

2008年12月30日(火)


■タイトル

茫然自失状態。感動でクラクラ。


■本文

Do!Gospel2008 年末ゴスペルワークショップ in 北海道の三日間が、終わりました。

感無量です。

書きたいことだらけで、まったくまとまりません。

茫然自失状態です(爆)

感動でクラクラです。。。



100人くらい参加されてましたが、会場となった教会のホールには、まだ100人分くらいの空席がありました。

もったいない。

もったいなさすぎです。

満席になってしかるべきです。

あっという間に満席になって当然な催しです。



発売当日の、発売開始時間すぐに電話しなければ一瞬で満席、
くらいな勢いでも当然なくらいの価値があります。


参加者の中には、たくさんの中高生の姿もありました。
私も来年は家族で参加したい(できれば、ですが)。

子ども達に、感受性の柔らかい若い世代に、「音楽とはなにか」を体験してもらうのに、最適な催しです。

音楽は、音を楽しむと書くのです。
音学ではない。


全身を、「音」という波動に揺さぶられる体験。

体中の細胞液を、髄液を、美しいハーモニーに振動させられる体験。

指導してくれる人が、全身全霊で音楽を、歌を、喜び楽しんでいる姿を見る体験。

会場全部が一体となって、美しいハーモニーを織りなすために協力している。
そのうちの一人になる体験。



得難い体験になるはずです。



音楽は、エネルギーワークですね。

めくるめくエネルギーの奔流が、沸き立ち、うねり、びりびりと会場全体を振るわせて包み込むのを体感しました。

私たちのカラダの隅々までビリビリと震わせ、しびれさせていくのを体感しました。

会場一体となって、生きる喜びと生かされている感謝に打ち震えるのを体感しました。


アタマを介さず、カラダとココロとハラで、肉体をまとってこの地球上に生きていることを喜び抜きました。

アタマを介さず、カラダとココロとハラで、創造主に感謝と賛美を表現し抜きました。



私、このワークショップに、呼ばれたと思います。

参加してよかった。
参加して良かったです。

すべて仕組まれていたかのようです。

興味は津々なのに参加をためらう私に、これでもかこれでもかと色んな形でメッセージが届きました。



それが、仕事を直接関係無い楽しみごとだからこそ、参加をためらっていたはずなのですが。

参加してみて、今後の私の仕事の方向性が、明確になりました。

膨大な量のヒントが得られました。

このために呼ばれていたのか、と。

愕然とします。



クリスチャンでもなく、特定の宗教は信じていない私ですが。

神様はいますね。

サムシンググレイト、大いなる何者かはおわします。

宇宙意志は存在します。

創造主と言い換えてもいい。

神はいます。

こうして、私をことあるごとに導いてくださる。

ハレルヤ!



今回のゴスペルワークショップを通じて、私の為すべき事が明確になりました。


どうか私が自分の為すべきことを、最善の形で為すことができますように。

神様、私をお用いください。

十全に。

万全に。

使い倒してくださいますように。



感動でクラクラしている状態なので、何が言いたいのかイマイチ伝わらないかもしれませんが(苦笑)

明日以降にでも、この気づきの数々をちゃんとした文章にしたいと思います。



しかし明日はもう大晦日なのですね・・・
いやあ、素晴らしい一年の締めくくりとなりました。

快く行かせてくれた夫に感謝。
お留守番しててくれた子ども達に感謝。

誘ってくれたサト@さんに感謝。
一緒に行ってくれたちしゃさん、かよちゃんに感謝。
泊めてくださってお弁当までこしらえてくださったちしゃさんのお母様に感謝。

もちろん、今回のワークショップを企画運営してくださった皆々様、
指導してくださった素晴らしい講師陣の皆様に、ココロからの感謝を。


☆ご参考までに。
来年もこちらのURLで情報収集できるんじゃないでしょうか。

ミクシィの「北海道でゴスペル歌ってます」コミュ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=519169

Do!Gospel2008 年末ゴスペルワークショップ in 北海道
http://www.do-gospel.jpn.org/Welcome.html

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私のコーチングにはセラピーの要素が入ってます

2008年12月26日(金)


■タイトル

私のコーチングの特徴


■本文

私のコーチングにはセラピーの要素が入っています。

コーチングとは、未来指向で行動重視なもの。
セラピーとは内面や潜在意識重視で癒し指向なもの。

例えて言えば、焦点を当てる方向性の矢印が外側を向いているのが「コーチング」で、内側を向いているのが「セラピー」。

植物で例えると、天を目指して伸びようとする勢いが「コーチング」、大地に深く根差して行く力が「セラピー」。

人は同心円が膨らむように成長するものだと思うのです。

上にばかり伸びるわけにはいかないもの。
上に伸びたなら、それと同じだけ下にも伸びていかなければバランスがとれないもの。

上昇指向と内省指向、活躍と瞑想、行動と沈思、両方ないと人生の全体性のバランスが崩れてしまう。

呼吸のように、昼と夜のように、男女のように、夏と冬のように。

行動してはその結果を味わい、がんばってはその疲れを癒し、未来にビジョンを描いては過去に思いを馳せ、やるべきことに熱い使命感を燃やしては浮かび上がってきた過去の傷の痛みに涙を流す。

その両方が大切であり、どちらかがないがしろにされるのはおかしい、と私は思うのです。

天と地のように、精神と肉体のように、父と母のように。

私のコーチングにはセラピーの要素もたっぷり加えてあります。

クライアントさんの状態に応じ、要望に応じ、高みを目指してチャレンジする時間にも、自分の内側に深く沈潜する時間にも、使っていただけます。

未来へのビジョンを熱く思い描く時間にも、過去の傷やインナーチャイルドの嘆きに寄り添い解放する時間にも、どちらにも使っていただけます。

これが私のコーチングの特徴です。


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私は歌いたいし踊りたい!!

2008年11月13日(木)


■タイトル

私は歌いたいし踊りたい!!


■本文

前回の日記に、ミクシィでたくさんのコメントをいただきました。

ありがとうございました!!


元々ひどいAC(アダルトチルドレン)で、自己否定が本当にひどくて、自分に「生きてること」を許可できてなかったのですが・・・

最近はどんどん自由に主体的に前向きになってる!って思ってたのにまだ二割かよ、みたいな(苦笑)


「休みたいときは休んでいい」

「したくないことはムリしてしなくていい」

などの、「やめる」系、「手放す」系はだいぶできてるんです、しばらく前から。

「愛と桃舎」のあぜさんのセッションなどを受けてきた過程で、その辺はかなり解放されました。

 
でも、

「やりたいことはちょっとくらいお金かかってもやる」とか、

「仕事と関係ない、純粋に好きなこと、楽しいことを、万難を排してでもやる」とは

なかなか思えなーーーい!!




     □ ☆ □




日頃クライアントさんに「チャレンジする」ことを要請し続けているコーチである私。

ここで自分がチャレンジしなければ女がすたる。

やらせていただきますとも。

宣言。



 「仕事と関係ない、純粋に好きなこと、楽しいことを、万難を排してでもやります」




というわけで、今週の土曜日はマイミク+かるめん+さんのフラメンコライブを観に行きます!!
  

年末は、マイミクサト@さんに誘っていただいた三日連続ゴスペルワークショップに参加したい!!
  



     □ ☆ □




自分に楽しみや遊びを許可しないのは、チャイルドちゃんを大切にしないことにつながるんですね。



気づいてなかったですが、DAYAさんのセッションを受けて突然腑に落ちました!!
 

テーマは全然違うことを扱ってたんですが、すべてはつながってますね。

「ワガママ言っちゃだめ」「静かにしてろ」「我慢しろ」と言われ続けたチャイルドちゃんが、どれほど傷つき、怒り、悲しんでいるか。

それは存在否定に等しい。



もう我慢したくない。

チャイルドちゃんは、生きることを楽しみたがってる。

遊びたがってる。

歌いたがってるし、踊りたがってる。




     □ ☆ □




というわけで、フラメンコのライブ行ってきます!!

私が踊るわけじゃなくって見るだけですけど、でもフラメンコ大好きなのでワクワクです

オーレ!

それから、三日間のゴスペルワークショップも行けるようにがんばる〜

あきらめない!

(いやね、行きたいって夫に相談したら、「そんな暇があるならたまには子どもと遊んでやれ」と一蹴されたんですよ

確かに・・・って自分でも思ってしまうだけに、つらい

よく話し合ってみます。)

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「もっと遊びたい」「もっと楽しみたい」とまだ言えない私(^^;

2008年11月11日(火)


■タイトル

「もっと遊びたい」「もっと楽しみたい」とまだ言えない私(^^;


■本文

先日の波動ワークで、小窪・荒島先生に、「たまちゃんはまだ本当の自分の2割くらいしか出してない」って言われちゃいました[m:78]

十分ワガママに、自分らしく、どん欲に振る舞っていたつもりだったので、すごく驚きました!!

これで2割だったら、10割出したらいったいどうなっちゃうの?!



波動ワークから一週間。

少しずつ、先生方のおっしゃった意味がわかってきました


私、まだ、自分の弱っちい面、情けない面、傷つきやすい面、寂しがりやな面を、受け入れ切れていないかも。

そういう側面の声を、聞き入れないように耳をふさいでいるかも。

「静かにしてろ」「ワガママを言うな」「黙っておとなしくしてろ」と抑圧し、押さえ込み、なかったことにしちゃってるかも。


今年の5月の心屋ぢんのすけさんのワークショップで、私まだ「さびしい」って言えなかったものね、思い返してみれば。

「子どもの頃、本当は言いたくても言えなかったことを言ってみましょう」というワークで、「さびしい」って言いたかったのに、口に出せなかった

ただ涙が出てくるばかりで・・・

「言っても無駄」

「そういうことを言うと、迷惑になる。負担になる。」

「あきらめろ。何も期待するな。黙って我慢してるのが一番いいんだ。」


そういう思いこみ、絶望、あきらめが、今年の5月の時点で生々しく残っていました。


私もまだまだ渦中だなあ、と、実感させられた経験でした。




私ね、まだ「回りまわって周囲の役に立つこと」しか、望んだり求めたりできないんです

「これは仕事の役に立つ」

「これは自分を成長させてくれる。つまり後々周囲に貢献できるネタになるはず」

なにか、こういう言い訳ができることでないと、自分に許可を出せないんです。

自分に、純粋な喜びや楽しみを、許可できない。

テレビを見て笑う時間を、自分に許せない。

ぶらりと旅行に行くとか、もってのほか。

仕事に使う物や最低限の生活必需品以外の買い物をすることが、できない。


テレビとか散歩とか、「子どもとの団らんの時間」、などの言い訳をつければ少しはできる。

そういう言い訳が必要。



そろそろ、自分の「あまり役に立たない部分」の存在を、丸ごと認めてあげたい。

楽しんでいいよ、遊んでいいよ、って言ってあげたい。

周囲の人の役に立つことでしか、存在を許可できない。

そんなところから、そろそろ抜け出したい。

純粋な楽しみの時間、遊びの時間を、自分に許したい。


寂しいって言っていいよ。

たまには負担になってもいいんじゃない?

たまには迷惑かけてもいいんじゃないかな。

とにかく、そのことをあんまり恐れなくてもいいと思う。

人と人は支え合うものなんだから。



というわけで、またもう一段と自由でワガママで破天荒な自分にチャレンジ。


まっすぐに望んでも良いんだと思う。

あまり遠慮したり気を回したり「きっと迷惑だ」と先回りして自分を責めたりせずに。

もし受け入れがたかったら、きっとサラリと気持ちよく断ってくれるさ。

そのときにこちらもサラリと撤回すればいいだけなんだ。


いろんな望み、いろんな想い、いろんな願いを自分に許そう。


私は私のままでいい。

私の胸の奥、魂の奥からわき出てくる願いを自分に許そう。

仕事以外の楽しみを自分に許そう。

純粋な遊び、純粋な楽しみを自分に許そう。



そしたら、「本当の自分」を三割くらいは表現してることになれるかな??



タグ:波動ワーク
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怒り続けていてもいい

2008年10月29日(水)


■タイトル

怒り続けていてもいい


■本文

◎最近の気づき。



私は怒り続けていい。

許さなきゃ、いつまでも怒ってちゃいけない、なんとも思わなくならなきゃ、って自分を責めてなくてよかった。

私は怒り続けていてよかった!!



もちろん、それは特定の個々の出来事や個々人に対して怒るんじゃない。

怒りの次元をワンランクアップするんだ。

背景に対して怒れ。




私は幸せな家庭で愛に包まれて育つことができなかった。

そのことに対して怒りつづけていい。

でもそれは不仲だった両親を責めるんじゃない。

両親に向かって怒るんじゃない。


背景に対して怒るんだ。


なぜ、両親はコミュニケーション下手だったのか?

なぜ両親は自分の作った家庭を温かく愛に満ちたものに保つことができなかったのか?



彼らもまた、ひどく傷ついていたからだ。

幼い頃に、日本が戦争していたからだ。

父親を戦争に取られ、ろくに食べるものもなく・・・。

彼ら自身が、愛と安心感に満ちた温かい家庭を奪われていたからだ。



なぜ、私の両親は幸せな子ども時代を奪われなければならなかったのか?


私はそこに対して怒りつづけていい。



私はすべての

「愛と安心感に満ちた温かい家庭を奪われた子ども達」

「幸せな子ども時代を奪われた子ども達」

のために、怒り続けよう。





異質な存在として、排斥され続け、排除されつづけ、否定されつづけた。

私にはそういう怒りがある。

前世なのか、魔女狩りの記憶がある。

今生では、イジメの記憶。


なぜ、異質だからといって排斥されねばならなかったのか?

なぜ、違いが尊重されない社会なのか?

私はそこに対して怒りつづけていていい。

許さなくてもいい。



私は、怒りの次元を、ひとつ引き上げる。

次元の高い怒りを燃やし続ける。

そうすれば、「怒り続ける自分」を肯定し、受け入れることができる。



自己否定から自己受容へ。

感情を否定するのではなく、その奥の感情に目を向け、次元アップを試みればよかったのだ。


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真のプロ意識の高いスピリチュアルコーチを目指して


2008年9月28日(日)


■タイトル

真のプロ意識の高いスピリチュアルコーチを目指して


■本文

セラピスト(カウンセラー、占い師、ヒーラー、など)を志してる人、

セラピストとしての仕事を安定させたい人なら、

自分のクライアントさんでなくても

私のセラサポ(セラピスト開業・独立サポートプロジェクト)の参加者さんでなくても

つまり、私には特に見返りがなくても


私は応援したくてしたくてたまらない。

能力を伸ばしていく姿が見たくて見たくてたまらない。

仕事を発展させていく姿を見たくて見たくてたまらない。





私はスピ業界・セラピー業界全体の発展が見たい。

人を癒やすことを仕事にして食べていける人の数を増やしたい。

「石を投げるとセラピストに当たる」ような。

「ポストの数ほどセラピールームがある」ような。

一人で泣いている人を出したくない。

今までだったら一人で泣いてるしかなかった人が、
「あの人のところに行こう!」とそそくさと予約の電話を入れる先がある。

そして、それがちゃんと機能して、すっきりした顔で涙を拭いて未来を考えはじめられる。

そんな世界を実現したい。



私にとっては、そんな"理想の世界の実現"が最大優先事項。

私の仕事の発展とか収入とかクライアントの数とか、すべては後からついてくると信じて。

胸の奥からこみ上げてくる情熱に、ただ従って。






考えてみれば、こんなに熱くセラピストの応援をしているコーチはあまりいないかもしれませんね。



自分と他の人との違いって、つまり「自分の個性」「自分の特色」。

それが「自分の仕事への取り組み方と、似たような仕事をしている他の人たちの取り組み方との違い」ならば、
きっと仕事上の「売り」や「強み」になるのだと思うのですが。



この私ならではの熱い想い、熱いスタンスを、もっと仕事に結びつくように考えていきたいな。

ただ闇雲に「後からついてくると信じる」で放置するのではなく。

それが「プロ」ということだと思うので。

真の、プロ意識の高いスピリチュアルコーチとして、活躍していきたいです。



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愛はまちがわない。ただ・・・

2008年9月2日(火)


■タイトル

愛はまちがわない。ただ・・・


■本文


私の敬愛してやまない心の師匠、かめおかゆみこさんが、「愛はまちがわない。ただ、…」というブログを書かれていました。

「愛はまちがわない、ただ、方法をまちがうだけ」と。
http://plaza.rakuten.co.jp:80/kamewasa/diary/200808310000/

 ※かめおかゆみこさん
 http://kamewaza.com/


素晴らしい記事でした。
いろいろ、考えさせられました。

そこから、触発されて思い出したこと。



私は「言霊」「音魂」というのはある、と考えているのですが。

「音」が表す意味、というのがありますよね。

「m」音が、世界中のどの言語でも「母」を意味す言葉と結びついている、とか。

「n」音は「否定」を意味する言葉と結びついてますし。

ちなみに、「肯定」は「d」音だそうです。



では「ai」は?

「人と人が出会って、関わり合い、感情が動く」。

それらの現象をすべて表しているのではないか、と私は思うのです。

「愛」は「哀」、「会い」、「遭い」、「合い」。

そして"I"でもあり、"eye"でもあり。

イタリア語では「アイ」は痛みを意味する言葉だとか。

ずいぶん以前、TVでやっていた外国語の演劇では、悲嘆を表す間投詞が「アーイー!」でした。
たぶん、ギリシャのものだったと思うのですが。

中国語でも「アイー」は驚きを表す間投詞ですよね。




人と人が出会い、感情が動く。

それがすべて「愛」なのだと思います。

痛みや悲嘆や驚きさえも。

そしてたぶん、怒りや憎しみさえも。



今年の5月末、ふたこさんの第一回「ネイティブアメリカンサバイバル合宿」で。

夜、講師のふたこさんの指示に従い、私たち参加者はひとりひとり、誰とも口を利かず、静かに街灯のひとつもない戸外に散りました。

20分間の夜の自然の中での瞑想のために。



私はひとり、芝生の上に横になり、満点の星空を眺めていました。


「Full of love」


瞑想中、ふいにそんな言葉が頭に浮かびました。


   Full of love、Full of love、Full of love、、、、


   世界は愛に満ちている。




確かに、世界は憎悪やいさかい、ケンカ、暴力、犯罪、戦争などなどに満ちていって。

しかし、それらさえも、「愛」の形を変えたものなのだ。

人と人が出会わなければ、人が完全に世界で孤立していれば、起こらなかったこと。

出会って関わり合ったからこそ、起こったこと。



痛みや悲嘆や驚きさえも、愛なのだ。

怒りや憎しみさえも、愛なのだ。


「愛」は「哀」、「会い」、「遭い」、「合い」。

そして"I"、"eye"。

痛み、悲嘆、驚き。



私は、この春先、人間関係で手ひどく傷つき、苦悶する体験をしました。

 ※こちら参照
  「土石流に襲われてるかのようにつらかった2月」
  「怒りと憎しみの塊になってから戻ってきた(^^;」



5月末のその夜、まだその痛みの名残り、怒りや憎しみのなごりを抱えたままの状態でした。

そんな私に届いたメッセージ。


   Full of love、Full of love、Full of love、、、、


   世界は愛に満ちている。


   その苦痛、その怒り、その憎しみさえも、愛。

   世界は愛に満ちている。





「ああ・・・」と思いました。

「世界は愛に満ちていて、私もまた愛に満ちている」

「この激しい感情、これは本来愛だったもの。ただ表現方法を誤っているだけ」

自分を許し、(私を傷つけたと怒りを覚えずにいられなかった)相手を許しました。

自分自身と、相手を、イメージの中で抱きしめました。

涙があふれては頬を伝いました・・・


posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 00:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 怒りや憎しみなど、ネガティブな感情と向き合い乗り越える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小さくてささやかなものにこそ、神は宿る

2008年8月21日(木)


■タイトル

小さくてささやかなものにこそ、神は宿る


■本文

8/11に、「原点に戻る〜ロードオブザリング礼賛〜」という日記を書きました。
http://plaza.rakuten.co.jp/sprtcoach/diary/200808100000/


日記に書いた通り、三日掛けて三部作を通して見直しましたよ!

本当に良い原点回帰になりました。

感動し直した〜



  ※ネタバレありかも〜



いやあ、まずはねー、やはり「この世には身を挺してでも守るだけの価値のあるものがある」というメッセージにやられましたね。

そして、「あなたもこの世界に住んでいるんでしょう?」というメッセージにも。


「命を賭けて戦ってでも守る価値のあるものが、この世にはある。
 
 それらを守りぬくのは、この世界に住んでいるもの共通の責任と義務ではないのか?」




確かに。

私は、それらを守り抜くために、自分自身の中の恐れや不信感に立ち向かい続けたいし挑戦しつづけていたい。

目の前に次々と現れる課題に立ち向かい続けていたいし挑戦しつづけていたい。

私はそんな人でいたい。



それから、絶望的な状況での、友軍に対するアラゴルンの演説にもしびれました



「いつか、人の勇気がくじかれる日がくるかもしれない。

  しかし、それは今日ではない!

  いつか、我々がお互いを信じられなくなり、友情の絆を裏切る日がくるかもしれない。

  しかし、それは今日ではない!

  今日は、

  戦う日だ!!」






「怖いよね、逃げ出したいよね、もう投げ出してしまいたいよね。でも、それは今日じゃない。今日は、踏みとどまり立ち向かう日だ。」

私は常にそう言っていたいな。

常にそういう人でいたい。



なんていうかねー、三部作を通して見直して、今後の人生に採用する新たな判断基準を見つけたな、と思いました。


「世界を良くするのか否か。」

この問を、今後の判断基準として採用したい。




 「この決断は、世界を良くするだろうか?」 

 「世界をより良くする選択肢は、いったいどちらだろうか?」

何かの判断に迷ったとき、自分にそう問いかけたい。


  世界を少しでも良くするためなら、なんでもできる。

  世界が少しでも良くなるためなら、なんでもする。




それからまた、映画から、『小さくてささやかなものにこそ、神は宿る』というメッセージも読み取りました。


たとえば、身を挺してでも守り抜きたいものの象徴として、何度も何度も映しだされるのが、「ホビット庄」。

小さな、ささやかな、田舎の農村。

おいしいものを飲み食いすることをこよなく愛している小さな人々の住む緑豊かな村。



そして、戦いの背景に何度も映しだされるのが、攻められている城内でおびえる幼い子どもたち、その子らを抱きしめる母、老人たちの姿。



私たちはなんのために戦うのか?

戦ってでも守り抜きたいものは何か?

その答え。


  緑の農村。

  そこに住む素朴な人々。

  幼い子ら。

  子を抱く母。

  老人たち。



そして、物語の鍵をにぎる「指輪」を運ぶ大役をつとめることができるのがホビット族だけだ、というのも、象徴的ですよね。

ホビットってのは、輝かしいところが何もない純朴な種族、として物語の中で描かれます。

これといった能力がない、小さくてのんきで朗らかな種族。

戦闘力なんて皆無に近い、弱い存在。

無欲かつ無力。

ホビット庄でのどかに暮らす素朴な農民たち。



しかし、最後のハッピーエンドのシーンで。

即位したばかりの王アラゴルン、エルフの王、そして並み居る大群衆が、

4人の小さなホビットたちの前に膝を折り、頭を垂れます・・・

なぜなら、ホビットたちこそが、「指輪」を運びきったから。

世界を滅亡から守ったから。



感動したなあ



小さくて、ささやかで、無力で無欲なものの存在の、大切さ。

そういう存在こそに、神が宿るのだと思うのです。

命を賭けてでも守り抜く価値があるのは、そんな存在。

そしてまた、そういう存在こそが、真に強い。

世界を守り通してくれるのもまた、そんな存在。


私たちは、そういう存在を守りながら、そういう存在に守られているんでしょうね。




         □ ☆ □




以上、長くなってしまいましたが、まとめ。

【今回原点回帰して得た学び】

◎「世界を良くするのか否か」という問いを、今後迷ったときの判断基準として採用。

◎小さくてささやかなものにこそ、神は宿る。
 守るべき対象も、真に強いものも、「小さくてささやかな存在」。
 心からのリスペクトを。


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がんばってがんばって役に立つ自分になれれば、周囲に受け入れてもらえてる実感が手にはいると思ってがんばってきた。

2008年8月12日(火)


■タイトル

燃え尽き症候群また発症中


■本文

定期的に「もうこれ以上がんばれない」という状態に陥るたまちゃんです(苦笑)

この度、これと言って「大きなイベントが終わった」などのわかりやすいきっかけもなく、一週間ほど前からガクッと来てました・・・

前兆はもっと前からありましたね・・・一ヶ月くらい前から? 

ピークは昨夜。



「なあーーーーーんにもしたくなぁーーーーーいっ!!!」




やらなければいけないことを目の前にすると、体の奥底から、ほとばしるようなつらい想いがあふれてきて・・・

苦しくて苦しくて体も思うように動かないし、涙は止まらなくなるし。

パソコンを前に、事務処理などに取りかかろうとするたびに突然何もできなくなってしまって。





  ※そのせいで、メールの返信・メッセージの返信など、各種作業が滞っております。

  ご迷惑をおかけしてる皆様、ご心配をおかけしてる皆様、ごめんなさいね

  自己管理能力がまだまだ低くって。

  ホント、お恥ずかしい限りです。

  今後、鋭意努力していく所存ですので、温かい目で見守っていただければ幸いです。




その「なんにもしたくない」気持ちをよくよく聞き取ってあげると、その底にあったのは。



「もうこれ以上がんばれない」



そしてもっとその底にあったのは。

「がんばってがんばって役に立つ自分になれれば、周囲に受け入れてもらえてる実感が手にはいると思ってがんばってきた。

でも、なにも変わらないじゃないか。

いつまでたっても、どれほどがんばっても、いくら実績をあげても成果をあげても相変わらず不安なだけ、寂しいだけ、孤独なだけ。

がんばってもがんばっても、何も変わらないなら、もうこれ以上がんばりたくない。

何もしたくない。」



という想い。



ああ。

私は、「がんばってがんばって、役に立つ自分にさえなれれば、周囲から受け入れてもらえる」と思いこんで、自分にむち打ってきたんですね

・・・


全然気がつかなかった。




あのね、「役に立つ喜び」と、「受け入れてもらえる安心感」は、分けて考えて大丈夫なんだよ。

受け入れてもらえた実感、欲しいよね。

当然だよ、わかるよ。

人として当然の欲求だよ。

これから、もっともっと味わえるようになっていこうね。


でもね、それは「役に立つ」ということとは、関係なかったんだよ。

役に立たない自分でも大丈夫だったんだよ。

必要なことは、「受け入れられていると実感したい自分」に気がつくことと、そして、周囲からの愛と受容を受け取ると宣言すること。

それだけでもう大丈夫。

安心して満ち足りて愛を実感していけるようになっていくよ。

これからどんどん変わっていくよ。





そして、「役に立てる喜び」も、もっともっと謳歌していこうね。

私たちはたくさんの人の役に立てるよ。

存在意義を発揮していこうね。

お役に立つ喜び、満足、輝きあえる悦び、照らしあえる悦びを、もっともっともっと純粋に味わおうね。

何かと引き替えるための取引材料として、ではなく、ただただ喜びのために。


もっともっと、生きることを楽しんでいこうね>小さなたまちゃん。


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なにゆえ、私は心理学やコーチングやコミュニケーション術を学び続けるのか。

2008年7月23日(水)


■タイトル

ど、どこですか?なんですか?しかも、すっごい幸せそう・・


■本文

デブリハット珠帆 小.jpg


最近マイミクになった方から、ミクシィでプロフィール画像に使っている写真(上)について、


 『この写真、すごいですね

  ど、どこですか?なんですか?しかも、すっごい幸せそう・・』
  



という感想とご質問をいただきました


この写真は、今年の5月に行われた第一回「ふたこわたるネイティブアメリカンサバイバル技術体験合宿中のワンシーンです。

一日目の午後、自分たちの手で作り上げたばかりの「デブリハット」から顔をのぞかして満足げな私。


本当に幸せそうですよね。

実際、最高に楽しくて、最高に幸せな二日間でしたから・・・




「デブリハット」とは、山の中に落ちている枝や落ち葉で作るシェルター。

シェルターって、つまり「隠れ家」「避難所」という意味ですが、いわばビバーク(緊急一時露営)用の即席テントですよね。

山に落ちている物しか使わない、究極にエコな、緊急避難所。

山歩きの最中に、今夜の眠る場所をぱぱぱっと作り上げる。

そんな技を習ってしまったわけです。



他にもたくさんのことを学んだ、私にとってエポックメイキングな二日間でした。

大きな大きなターニングポイントとなりました。



なんていうか、


     「目指していたのは、ここじゃないか!!」  


という衝撃を受けたのです。



なにゆえ、私は心理学やコーチングやコミュニケーション術を学び続けるのか。

なにゆえ、私はセミナーや講座やワークショップを受け続けるのか。

なにゆえ、私は各種セラピー、各種ヒーリングなどのインナーワークに取り組み続けるのか。




どこに行き着きたいのか。

どこを目指して歩き続けているのか。



その答えを見つけました。


その「目的地」がそこにはありました。




本の中にも、かでる2・7の中にもエルプラザの中にもちえりあの中にもありませんでした。

(かでる2・7、エルプラザ、ちえりあ、というのは、札幌の主な貸し会議室です。多くのセミナーはそれらの施設で行われます)


"天と地の間"にありました。


大地の上にありました。

木漏れ日の中にありました。

風の中に。太陽の下に。落ち葉の上に。

私の身体の中に。

人の肉体の中に。

地球の上にありました。



地球のいのちといのちの間に満ちていました。




有名な寺山修司の言葉に「書を捨てよ、町へ出よう」というのがありますが。

私は「知識はもう十分だ、大地に立とう」と言いたい。




なにゆえ、私は心理学を学び続け、セミナーを受け続け、セラピーを受け続けていたのか。



「私は生きていてもよい」という実感を得るためでした。

「私は存在を受け入れられ、許されている」と感じるためでした。

「生きている喜び」を感じられるようになるためでした。




その実感を、私はとうとうあの日、空の下、大地の上、木漏れ日の下、風の中、身体の中、肉体の内に見いだすことができたのです。


目的地は、実感は、本の中にも、かでる2・7の中にもエルプラザの中にもちえりあの中にも見つけられるものではありませんでした。


たくさんの知識と情報とスキルと学びは、その目的地に至るための手段にすぎませんでした。


   ※目的地ではなく手段であった、というだけで、もちろん手段としては非常に有効なものですよ!



しかし、私は、日頃から山奥の村に住んでいます。
毎日、あの空気を吸い、あの大地の上を歩いています。
でも、全然つながることができなかった。

あの日、あの場で、いったい何が起こったのでしょうか。

私が世界とつながるためには、いったい何が必要だったのでしょう。


その答えは、きっと「覚醒した先人たちの叡智」なんでしょうね。


ネイティブアメリカンの叡智。

その叡智の魔法が、私を目的地に導いてくれました。

私の中のプラグが、世界のコンセントにプチプチと音を立てて次々につながりました。

自分が世界から受け入れられ、愛されていることを実感しました。

生きる喜びが全身に流れ込んできました。

だからこそ、写真があれほどまでに幸せそうで満ち足りているのでしょうね・・・


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対人恐怖症だった私が、願望実現できたコツとは

2008年7月16日(水)


■タイトル

「恐れ」って、願望が実現するときの陣痛なんじゃないだろうか。


■本文

私、出発点がめちゃくちゃ低いんです(^^;

今でこそ物怖じせずに活躍しているかのように見えるかもしれませんが。

つい5年ほど前まで、ひどい対人恐怖症でした。

あまりの対人恐怖の強さに、就職もあきらめました。

バイトだけは色々やってましたが、ものすごくつらかった。

挨拶するのが怖い、世間話するのが怖い、オドオドびくびく、緊張しっぱなし。

ちょっと注意されただけで「やっぱり私なんかダメだ!」とパニックに襲われ

取り乱して泣き出したりしてしまう。


だから、一度も正社員や就職の経験のないまま、今に至っています。


成功しているコーチには

「トップ営業マンだった」とかいう方が多いですよね。

そういうことを聞いたりすると、自分との違いに愕然とします(^^;


私は人と目が合わせられず、世間話なんてもってのほか。

就職もできなかった。

私は出発点が限りなく低い。



それなのに、今はこうして並み居るコーチと肩を並べ、

「組織に属さない自由業で経済的自立を果たす」という子ども時代からの夢を

実現させています。



なんと、月収20万を越すカウンセラー・コーチの数は、

全体の約8%しかいないと言われているそうです。

私は、起業からわずか半年後にその8パーセントに加わることができました。



実は、私は子どもの頃に描いた夢のほとんどを、既に実現してたりします。

◎以前、思い出せるまま、叶ってないものも含めて「子ども時代に描いた夢」を
羅列してみたページはこちら。
http://tamahomishio.blog69.fc2.com/blog-entry-157.html


見ていただければわかるように、結構難易度が高い望みも多いにも関わらず
15個中、11個が叶ってます。

つまり、願望達成率7割以上!



その秘訣は?

なにがコツだったのでしょう?




私の実体験、そしてコーチや占い師になるためにした勉強、

そしてクライアントさんの夢実現の過程に寄り添うお仕事の現場の中で

つかみとった願望実現のコツは、「内観」。





自分自身の内側をしっかり見つめ(内観)、

自分が抑えようもなく願ってしまうこと、熱望してしまうことは何か、を明確にする。


抑えようもなく願ってしまうこと、熱望せずにいられないことは、

「魂が生まれる前に描いてきた今生の青写真」にかなうこと。



だからこそ、夢中にならずにいられない。

あきらめることなんて、とてもできない。




自分の内側からこみ上げてくる情熱に従って生きることは、自分の魂の要請に応えること。

自分の今生の青写真に従って生きること。

「偉大なる何者か」の期待に応え、使命を生きること。


だから、内観を通して「自分の心の底からの願い」を明確にし、

それに忠実に生きると

宇宙からたくさんの援助が得られてしまうのだと思うのです。

その結果、その夢は実現してしまうのだと。



まず、自分の内側をまっすぐにじっくりと見つめ、

自分が望まずにいられないもの、自分が求めずにいられないものを認めてください。

それを望んでいい、求めていい、と自分に許可してください。



苦手意識や「きっと無理」みたいなネガティブな感情がわき上がってくるなら、

そのネガティブな感情をしっかり見つめ、解放してください。




内側からこみ上げてくる本当の願いをまっすぐ見つめず、

本当に求めているものを掘り下げもせず

ぼんやりした夢を見ているだけでは何も変わりません。


そういう意味では、

「願っていればいつかは叶う」

「思い描いていればいつかは実現する」

というのは、嘘です。


どんなタイプの人に惹かれずにいられないか、

どんな人と一生を共にしたいのか、を掘り下げもしないで、

「とりあえず金持ちで、まあまあかっこいい人」程度のビジョンをぼんやりと思い描いていても、

なかなか赤い糸の相手と巡り会うことは難しいでしょう。



どんなことに取り組んでいるときが一番充実してるのか、

好きで好きで仕方ないことは何か、を掘り下げもせず、

「とりあえず給料が高くて年休の多い職場」程度のビジョンをぼんやりと思い描いていたら、

天職に巡り会うことなど、多分無理でしょう。



すべては「等価交換」なのです。

人は、何らかの対価なしに、何も得ることはできないのです。

費やしたエネルギーに見合うものが返ってくるのです。



内観を怠り、

実際に自分の中にある願い、夢、希望、理想、

また恐れや不安をはっきりと明確にすることを避けていては何も得られません。




「恐れ」や「不安」があるところは、エネルギーの動いているところです。

何一つ動きがない場所では、感情も動きようがありません。

「想い」があるからこそ、「成長の動き」があるからこそ、「恐れ」や「不安」も芽生えるのです。


いわば、恐れと不安は、「陣痛」なのです。

「産みの苦しみ」なのです。

「変化の摩擦熱」なのです。


それら変化の痛みを恐れないで下さい。

そこをしっかりと見つめ、起ころうとしている変容をサポートしてあげてください。

育とうとしているものを育てあげてください。

生まれようとしているものを生まれさせてあげてください。

エネルギーを注ぎ続けてあげてください。


そうすれば、おのずと夢は実現していくのです。



生まれる前に決めてきた、あなたの「魂の青写真」を、内観によって明確にしてください。

魂の要請に従ってください。

「偉大なる何者か」の期待に応え、使命を生きてください。


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人が自分自身になるということ

2008年7月3日(木)


■タイトル

人が自分自身になるというのは、これほどまでに大変なことなのか


■本文

ずっと自分自身であるということを否定して生きてきた。

自分自身とつながることを拒否し、世界とつながることを拒否し、

自分の人生を生きることを拒否し、地球に生きていくことを受け入れることを拒否し。



6年前の夏、「白い自分」を受け入れた。



私はより良く生きたいと願っている。

人の役に立ちたいと願っている。

社会の役に立ちたいと願っている。



「おまえなんかにそんなことを願う資格はない」と自分を否定するのをやめた。



"役に立つかも知れない自分"

"役に立ちたいとまっすぐに願う自分”

を受け入れ、許した。



「白い自分」、自分の中のホワイトサイドを受け入れた。



それ以来、まっすぐに、人の役に立とうと、社会に貢献しようと、人の輝きを応援しようと、自分自身の良い面を生かしていこうと、がむしゃらにあがいてきた。

強い上昇志向で、天を目指して伸び続けた。




そして、2年前の夏。「黒い自分」と出会い直した。

それは、役に立てない自分。

人に迷惑をかける自分。

人を傷つけてしまう自分。

弱音を吐き、愚痴っぽく、めそめそした寂しがりやな自分。

ブニュブニュと柔らかくてすぐに傷つく、弱々しくて未熟で、人に助けを求めずにいられない依存的な自分。

そして激しい怒りや恨みつらみ、憎しみを抱いている自分。



それ以来、二年間掛けて、「黒い自分」と向き合い続けてきた。



そして、抜けた。



私は自分のダークサイドを受け入れた。



この地球に、肉体をまとって生きることを受け入れるっていうことは、汚かったり醜かったりする自分を受け入れる、ってこと。

他の存在を傷つけたり命を奪ったりしながら生きることを受け入れる、ってこと。

きれい事では生きていけない、ってことを引き受けること。



迷惑をかけるということ。

負担だってかけるだろう、ってこと。

役に立てないことだってある、ってこと。




汗もかくしゲップもするしおならだってするし排泄だってする。




弱かったり未熟だったりかっこわるかったり惨めな失敗をすることだってある。




そんな自分を受け入れ、それでもなお生きる、って覚悟を決めること。




白い自分と黒い自分が、一つの円になった。




まず、白い自分として天を目指して伸び


それから黒い自分として、地に根を張る。




大変な作業だった。

七転八倒を繰り返して、こんなに長い年月が必要だった。




人が自分自身になる、ということは、これほどまでに大変なことなのだな、と。

感慨無量。



posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の本質を輝かせて生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

私のスピリチュアルコーチングセミナーについて


2008年6月24日(火)


■タイトル

2年ぶりにコーチングセミナー開きます。


■本文

ちょっとした事情があり、一旦封印しなければならないかと思われた私のコーチングセミナー。

二年前、札幌での開催時、「珠帆美汐のコーチングセミナーはこれが最後かもしれません」という文言を入れて告知しました。

その後事情は一転し、開催しても大丈夫に。

(またその事情は差し障りのない範囲でお話したいと思います)




というわけで、二年ぶりに開催します!!


二年間も間が空いたこともあり、「どんなセミナーにしたいのか」「何を伝えたいのか」を再度考え直しました。

そして、告知文を以下のようなものに作り直してみました。

どう思います?

そそりますかねーー?

ご意見募集!


って言っても、もう二週間弱しかないのですが

今更告知文をいじってる場合か、的な自分ツッコミを密かに入れつつ。




   −−−−以下−−−−




この「コーチングセミナー」ではコーチングは教えません。


わずか一日半の講座でコーチングを教えるのは無理があります。

そんなことをしようとすると
「コーチングとはどういうものか駆け足でご紹介します」みたいな
浅い体験講座にしかなりません。

そんな「コーチングの表面をサササッと撫でる」ような講座を
体験したからといって、知的好奇心は満足するかもしれませんが、
日常生活の役に立つでしょうか?

これからの人生の役に立つでしょうか。

私にはそうは思えません。




私はこの講座で、『内なる声との対話』を体験していただきたいと思います。

それは、私が自分の行うコーチングセッションでとても大切にしている要素です。

その人の内なる声に耳を澄まし、聴き取ること。

なぜなら、「すべての答えはその人の内側にしかない」からです。

自分自身が何を望み、何を恐れ、何を希求しているのか。

私はいったいどうしたいのか。


すべての答えは自分の中に既にあります。

そこを聴き取る力を得ることは、今後の人生で迷うことが激減するということ。

周囲に惑わされにくくなること。

自分らしい人生を送る力を得るということ。

揺るがなくなるということ。

不安が減るということ。




今回のこの講座は、
私の行っている"スピリチュアルコーチング"
(精神性を重視するコーチングであり魂の成長を目指すコーチング)の中から、
『内なる声の聴き方』に焦点を絞ってお伝えします。


自分の内なる声を聴けるようになり、
目の前の対話相手の内なる声を引き出してあげるようになる講座を目指します。

繊細で精妙な『内なる声』『心の声』を引き出すには、何が必要で、何が大切なのか。

そのコツをお伝えします。



本質の自分自身と向き合い、対話したい方へ。

目の前の対話相手が心に秘めている想い、それを引き出してあげたい方、
明確にするのを手伝いたい方へ。

あなたの大切にしている方々と、
よりスムーズで、より深いコミュニケーションが取れるようになりたい方へ。




7/5,6 「珠帆美汐」スピリチュアルコーチングセミナー
http://tamaho.seesaa.net/article/98352737.html



  −−−−以上−−−−



どうでしょうね??

アドバイスなどありましたら教えてくださいませ。

posted by スピリチュアルコーチたまちゃん at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のコーチングに対する想い・私のコーチングスタイルの特長など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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